庭の隅で白銀の閃光を放ったあの日から、ハルの日常は静かに、しかし決定的に変質していった。
「スキルがない」という事実は、この世界では社会的な死を意味する。父親の視線は日を追うごとに冷たくなり、母親の注ぐスープからは湯気と共に諦念が立ち上るようになった。ハルはそれらすべてを、まるで遠い異国の風景を眺めるような無関心さで受け流していた。
彼が見つめていたのは、家族の落胆ではなく、指先をかすめていくマナの規則性だ。
「……まただ」
ハルは、古びた納屋の裏で一人、石ころを宙に浮かせていた。
重力魔法のスキルなどない。彼はただ、石の周囲にある空気の密度を極限まで高め、物理的な「浮力」だけでそれを持ち上げている。
だが、その演算が完了する直前、いつも奇妙な感覚に襲われる。
自分が「右に回れ」と数式を組むより先に、世界がわずかに右へ傾く。
自分が「燃えろ」と摩擦を計算するより先に、火花が散る。
(……僕の計算が、速すぎるのか?)
ハルは自分の側頭部を押さえる。
あるいは、この世界そのものが、僕という欠陥品を哀れんで、正解を先回りして提示しているのではないか。そんな、吐き気を催すような仮説が脳裏をよぎる。
私は、その疑念を抱く彼の横顔を、次元の裏側からうっとりと眺めていた。
彼は自分を「不運な無能」だと思っている。だが、その実、彼は世界で最も甘やかされた「愛し子」なのだ。私が彼の望む結末を、因果律の針を動かして整えてやっているのだから。
「ハル。お前に、最後の機会をやる」
十五歳の誕生日の朝、父親が重い口を開いた。
差し出されたのは、王立アルカナ魔法学院の編入試験の願書だった。
「わが家系から無能を出したままにはできん。そこで不合格になれば、お前を廃嫡し、北の鉱山へ送る。……行け。そこで自分の無価値さを思い知ってこい」
父親の言葉は呪いのようだったが、ハルにとっては、それは最高の「実験場」への招待状に過ぎなかった。
数千人のエリートが集まる場所。そこなら、この「自分を追い越していく幸運」の正体を突き止められるかもしれない。
ハルは一言も発さず、願書を受け取った。
その瞬間、私は彼の運命のページを力強くめくった。
旅立ちの朝。
ハルが村の境界線を越えたとき、一陣の風が吹いた。
それは彼を祝福するような、あまりにも完璧な追い風だった。
ハルは足を止め、背後の空を振り返った。
そこには青い空と流れる雲があるだけだ。
だが、彼は確かに感じていた。自分を見送る親の視線とは別の、もっと巨大で、もっと執拗な「何か」の気配を。
「……見ていろよ」
誰に宛てたわけでもないその呟きを、確かに聞き取った。
さあ、舞台を移そう。
孤高の観測期間は終わりだ。ここからは、多くの脇役たちが君を彩る、絢爛豪華な学園劇の始まりだ。
馬車の車輪が、王立学院の石畳を叩き始めた。
「スキルがない」という事実は、この世界では社会的な死を意味する。父親の視線は日を追うごとに冷たくなり、母親の注ぐスープからは湯気と共に諦念が立ち上るようになった。ハルはそれらすべてを、まるで遠い異国の風景を眺めるような無関心さで受け流していた。
彼が見つめていたのは、家族の落胆ではなく、指先をかすめていくマナの規則性だ。
「……まただ」
ハルは、古びた納屋の裏で一人、石ころを宙に浮かせていた。
重力魔法のスキルなどない。彼はただ、石の周囲にある空気の密度を極限まで高め、物理的な「浮力」だけでそれを持ち上げている。
だが、その演算が完了する直前、いつも奇妙な感覚に襲われる。
自分が「右に回れ」と数式を組むより先に、世界がわずかに右へ傾く。
自分が「燃えろ」と摩擦を計算するより先に、火花が散る。
(……僕の計算が、速すぎるのか?)
ハルは自分の側頭部を押さえる。
あるいは、この世界そのものが、僕という欠陥品を哀れんで、正解を先回りして提示しているのではないか。そんな、吐き気を催すような仮説が脳裏をよぎる。
私は、その疑念を抱く彼の横顔を、次元の裏側からうっとりと眺めていた。
彼は自分を「不運な無能」だと思っている。だが、その実、彼は世界で最も甘やかされた「愛し子」なのだ。私が彼の望む結末を、因果律の針を動かして整えてやっているのだから。
「ハル。お前に、最後の機会をやる」
十五歳の誕生日の朝、父親が重い口を開いた。
差し出されたのは、王立アルカナ魔法学院の編入試験の願書だった。
「わが家系から無能を出したままにはできん。そこで不合格になれば、お前を廃嫡し、北の鉱山へ送る。……行け。そこで自分の無価値さを思い知ってこい」
父親の言葉は呪いのようだったが、ハルにとっては、それは最高の「実験場」への招待状に過ぎなかった。
数千人のエリートが集まる場所。そこなら、この「自分を追い越していく幸運」の正体を突き止められるかもしれない。
ハルは一言も発さず、願書を受け取った。
その瞬間、私は彼の運命のページを力強くめくった。
旅立ちの朝。
ハルが村の境界線を越えたとき、一陣の風が吹いた。
それは彼を祝福するような、あまりにも完璧な追い風だった。
ハルは足を止め、背後の空を振り返った。
そこには青い空と流れる雲があるだけだ。
だが、彼は確かに感じていた。自分を見送る親の視線とは別の、もっと巨大で、もっと執拗な「何か」の気配を。
「……見ていろよ」
誰に宛てたわけでもないその呟きを、確かに聞き取った。
さあ、舞台を移そう。
孤高の観測期間は終わりだ。ここからは、多くの脇役たちが君を彩る、絢爛豪華な学園劇の始まりだ。
馬車の車輪が、王立学院の石畳を叩き始めた。
