書店員の胸が小さいことの証明 〜理系男子は恋を定義できない〜

 夏が来るのはあっという間だ。すっかり半袖のシャツがなじんだ俺は、模試の結果を眺めて、ため息をつく。
 志望校の合格判定は、軒並みCだ。模試の志望校には何を書いてもいいので、難関大学の理系学部を一通り並べておいた。そしたらこのざまだ。
 難関大学は、読んで字のごとく、難しい関門だ。そう簡単には突破させてくれない。
 しかし、中堅大学でも最も良くてB判定。これを見ると、まだまだ研鑽が足りていないことを実感してしまう。数学の成績は良いのだが、他の科目が完全に足を引っ張っている。
 山口と高橋も、俺と同じような大学を志望校に記載した。山口の結果は俺と同程度。高橋は、見るも無残なDとCの乱舞だった。いくら進学校といえど、在籍する大半の学生のレベルはこんなものである。

「そういえば、大学の専攻は何にするの?」
 高橋が何気なく聞いた。
「数学」
 俺は迷わず答えた。数学のイメージあるわー、と山口が言う。俺は昔から、算数や数学の成績が良かった。数学が特別に好きなわけではないが、それ以外を専攻にすることなんて、とても考えられなかった。
「俺は電子情報」
 山口も答える。しかし、それが何をする学問なのか、俺にはピンとこなかった。
「ハードとソフトの両方が扱えるエンジニアになりたいんだよね」
 簡単に説明してくれたが、よくわからなかった。ソフトでも、ハードでも? 多分、コンタクトレンズの話ではないだろう。俺はワンデー。
「高橋は?」
「機械工学。ロボットとか、そっち系」
 それを聞いた俺は、SF映画に出てくる、金ぴかの人型ロボットを思い浮かべた。確か、高橋の大好きな夢の国にもいた気がする。
 ところがなんと、それはほぼ正解に近かった。そのテーマパークの多くのアトラクションでは、動くキャラクターの人形がいる。その中身はロボットであり、高橋はそれらのメンテナンスや設計に携わりたいとのことだった。
 まったく、こいつは相変わらず夢の国で生きている。俺はそれを心の中で笑った。

 ただ、山口も高橋も、専攻のその先を意識していることは気になった。俺は数学を選んだが、その先に何があるのか、全く見えない。大学には研究室というやつがあるらしいが、数学の研究とは何をするものなのだろうか。想像もつかない。だが、毎年何人も数学科に入学し、また卒業しているわけだから、きっと心配には及ばないだろう。
 突然湧いた不安を、俺は適当な理由で無かったことにした。

 *

 最近、胸の話とは関係なく、書店に行く機会が増えた。受験生であるという自覚から、問題集などを買い始めたためだ。
 もうすぐ夏休み。いくら予備校の夏期講習があるとはいえ、自宅でやれるものがないと、この夏休みを無駄にしてしまうということは自明だった。
 それはそれとして、俺の視線の先には、いつも店員の胸元があった。でも、この店のレジの構造上、それは仕方がないということは既に証明されている。そう、だからこれは不可抗力なのだ。

 ところで、いつもの書店には、小メガネさんタイプ、つまり黒髪で眼鏡の女性が多い。しかし、それは単なる多数派なのだと、俺はとっくに気が付いていた。いくら何でも、店の店員がみんな同じ格好をしているなんてありえない。例外はいくらでもいるのだ。
 レジを遠目に見ただけでも、例えば金髪の女性や、男性の店員がいることがわかる。

 金髪の女性——金髪さんは、ギャルだ。年齢は二十代くらいだろうか。恐らく仕事のために髪をまとめているが、そのふわりとした感じはいかにもギャルの気配が溢れている。
 最初は、書店という場所に金髪さんはそぐわない気もしたが、よく考えればここにはファッション誌などもあるのだ。だから何もおかしくはないと考え直した。
 金髪さんに商品を渡した際に、長い手の爪がピカピカと飾られていて思わず体がこわばった。派手な女性は苦手だ。なんとなく怖い印象がある。
 しかし、レジ応対で俺にかけられた声は優しかった。客商売としては当然かもしれないが、そのギャップに一瞬勘違いしてしまいそうになる。
 でも、俺の心には小メガネさんがいるので、気持ちが揺らぐことはなかった。いやいや、俺は何を言っているんだ。でも実は、最近はだんだん自分の心をごまかすことを諦め始めていた。この書店に来るたびに、小メガネさんの姿を目で探している。

 男性の店員は、見るからにイケメンだ。こんな女性の多い職場にいたら、さぞかしおモテになることでしょうよ。イケメンさんは、恐らく大学生くらい。ハキハキと接客する、とても感じのよい好青年である。
 見た目も性格もいいなんて、世の中不公平すぎる。きっと、見えていない部分で、とんでもなくダメな点があるに違いない。例えば、美少女ソシャゲに課金しすぎて金欠とか。そうであってくれ。
 考えすぎかもしれないが、レジにイケメンさんがいるとき、一緒に働いている女性店員は明るい顔をしている気がする。レジカウンターの下で、客には見えないように、イケメンさんが秘密の合図を送る。それを見た女性店員は少し嬉しそうにはにかみ、タイミングをずらしながら、イケメンさんとバックヤードへ消えていく。な、なんて破廉恥な!
 もちろん、そんなことは俺の勝手な妄想だ。でも、俺にそう思わせる程度に、彼はモテそうな男なのだ。ああ、どうか、小メガネさんが、彼の毒牙にかかっていませんように。

 でも、ただ一つ確かなことがある。この書店の店員は、みんな胸が小さい。金髪さんもイケメンさんもそうだ(イケメンさんは男だけど)。誰も彼も、仕事着である深緑色のエプロンは、綺麗な壁を作り出している。疑いようのない共通点だ。
 もちろん、そんなものは傾向に過ぎない。ただの偶然だ。しかし、たとえ偶然であっても、俺はその事実に満足していた。なぜだかわからないが、胸の小ささという共通点に対して安心感を覚える。俺が思うに、人は無秩序なものよりも、統一的なものを好む。
 例えば、うちの高校は、右向け右でみんな大学を目指す。専門学校に行くなどと言えば、生徒からも教師からも、奇異の目で見られることは間違いないだろう。
 また、平らであるということは、御しやすいということでもある。関数のグラフでも、物理法則でも、直線的な方がシンプルで扱いやすい。例えば、曲面に対する反射角の試験問題が出たら、俺はきっと面食らってしまうだろう。
 いや、これは胸の話だった。それを、御しやすいだなんて。まともな人として、間違っても考えるべきではなかった。俺は小さく反省する。
 
 *
 
 今日も、問題集を買うために書店へ訪れた。そこで、思いがけないものを見た。私服の小メガネさんが、バックヤードから出てきたのだ。仕事終わりだろうか。
 書店の照明が薄暗くなったように錯覚する。その中で、小メガネさんだけが淡く光っている。俺は、その光に釘付けになる。
 髪型はいつものポニーテール。服装は薄手で水色のパーカーだ。ぴったりとしたパーカーを着込んだその姿は、なんだか子供のような印象がある。
 ボトムスはタイトなデニムパンツ。いつもそうなのかもしれないが、レジ越しでは下半身の様子は見えない。
 小メガネさんは小さな声で、お疲れ様でーす、と言いながら他の店員に会釈する。その後、イヤホンを耳に入れ、スマホを握りしめて店を出ていった。
 仕事が終わった後でも、同僚に対してきちんと挨拶をする小メガネさんの姿は、とても誠実で好ましく、小メガネさんのイメージにぴったりだ。
 
 さて、俺は確かに見た。見てしまった。エプロンを着けていない、貴重な小メガネさんの姿を。
 水色の薄手の生地は、その向こう側を少しも隠そうとしない。淡い色合いのパーカーが、彼女の小柄な体型をありありと示した。
 やはり、間違いなく胸は小さい。
 
 その日の夜は、なかなか寝付けなかった。夜になっても暑かったからだと思う。多分。
 
 ピンク色のもやの向こうに、水色のパーカーがはっきりと見えた気がした。