書店員の胸が小さいことの証明 〜理系男子は恋を定義できない〜

 六月に入り、夏服に切り替わった。とはいえ、既にシャツで過ごす日が大半だったため、実質的には何も変わっていないと思う。形式的なものだ。
 伝統か何か知らないが、それなら最初から生徒の自主性に任せればいいのに。まあ、みんな勝手に服装を変えているから、既に任されているようなものか。特に高三ともなると、服装についてとやかく言われることもなくなってくる。
 
「いやー、あっさり負けたわ。俺もとうとう引退だよ」
 高橋から、高校最後の部活の試合が終わったと聞かされた。俺と山口は帰宅部だが、高橋はテニス部だ。
 あの高橋が加入しているという点から、俺にはテニスがイケてない部活という印象がある。でも実際は、そんなことはないんだろう。本当にイケてない運動部は、きっと剣道部だ。
 どうやら他の部活も、今くらいの時期に活動が終わるものが多いらしい。受験が控えていることを思えば、それは進学校としては妥当な方針だろう。
 これまで部活に心身を捧げていた生徒も、受験という大きな荒波に飲み込まれていく。まあ、帰宅部の俺には関係ないけど。
 
 今日は、ひと月ぶりに書店へ行くことにした。英単語帳が欲しくなったためだ。最強に使い勝手がいいと評判の英単語帳があり、生徒の間で話題になっていた。
 いつもの二人には声をかけなかった。俺はまだ、例のあるあるを確認したい気持ちがあった。何より、メガネさんを前にして動揺してしまったりしたら、あいつらに何を言われるかわからない。
 俺たちの仲はいいが、いつも互いにイジる隙を目ざとく発見しようとしている。だから、気を抜くことはできない。親しき仲にも殺気あり。
 
 ショッピングセンターの中を抜けて、今日も迷わず書店へ向かう。高校生が迷うほどの広さではないけど。
 今日は雨だった。傘をビニールに包んであるとはいえ、湿った鞄を抱えて書店に入るのは、なんとなく後ろめたさを感じた。違う日の方がよかったかもしれないが、正直なところ、俺はここに来るきっかけを欲していたため、強行することにした。
 店内に入ると、湿った空気が冷房で冷やされ、肌に張り付く。入り口の特設コーナーは新しくなっていた。しかし、今回は目的がはっきりしているため、目もくれずに通り過ぎる。
 学習参考書の棚に着くと、目当ての英単語帳はすぐに見つかった。やはり人気があるのか、何冊も平積みにされて、手書きのPOPまで設置されている。
『受験生必携! 最も売れている話題の英単語帳‼』
 ピンク色の丸っこい文字で書かれたPOPは、なんだか可愛らしい。
 俺は、メガネさんがPOPを書く姿を想像する。バックヤードの机に向かい、細い指でピンク色の蛍光ペンを手にとるメガネさん。商品の魅力が最大限に伝わるようにと、気持ちを込めてペンをゆっくりと滑らせる。
 もともと、これを買うつもりで書店へ来たのだが、今はより購買意欲がそそられている。POPってすごい。

 レジの方を見ると、今日はメガネさんはいないようだった。しかし、レジにいる二人の女性店員は、どちらもメガネをかけていた。しかも、そのうちの一人は、どことなくメガネさんに似ている。背は中くらいだが、飾り気のない黒髪ポニーテールは、メガネさんを彷彿とさせた。
 先日のメガネさんを「小メガネさん」とするなら、今日のこの人は「中メガネさん」といったところか。俺にはネーミングセンスが壊滅的にない。
 俺はレジへ向かい、英単語帳を中メガネさんへ手渡す。俺の視線の先には、やはり中メガネさんの胸元があった。そして、深緑のエプロンを纏ったそれは、やはり平らだった。
 やっぱり、高橋の言っていたことは正しかったのかもしれない。身長がややあるせいか、壁っぽさがより強く感じられる。
 もちろん、エプロンの中身がどうなっているかは見えないので、実際の大きさはわからないけれど。それを想像してみようかとも思ったが、ふと脳裏に小メガネさんの顔が浮かんできてしまい、はばかられた。今は小メガネさんは関係ないのに。
 ここで疑問が湧く。なぜ二人はこんなに似た格好をしているのか。まさか、この店のルールというわけではあるまい。
 現に、レジにいる別の女性の店員は、眼鏡で黒髪ではあるものの、髪形はショートボブだ。いや待てよ。そもそも黒髪で眼鏡という時点で、この人も十分に似ている。
 ついでに、どうやら胸も小さく見える。
 考えてみると、黒髪で眼鏡というのは、なんとなく書店員にぴったりの格好であるように感じる。
 まず、書店で働いているという時点で、店員は本が好きである可能性が高い。次に、本好きの人をイメージすると、髪色の明るい快活な人よりは、大人しい印象の黒髪が似合う気がする。また、読書は知的な行為なので、眼鏡くらいかけていて当然だ。
 うーん、なんだろう、さっきから印象の話しかしていないようだ。だが、自分なりに納得感のある説明ではある。もし、これが証明問題の解答だとすれば、あっという間にバツがつくだろうが。
 以前と同じく、支払いにはQRコード決済をお願いする。端末を操作する中メガネさんの顔を、俺はこっそりと見る。
 小メガネさんとは異なり、少しだけ面長で、やや大人びた印象だ。二十代くらいだろうか。明らかに自分よりも年上だとわかる。
 それからいつも通り、目を伏せてレシートと英単語帳を受け取った。

 ショッピングセンターから自宅までは、電車で一本。俺は電車の中で英単語帳を開いた。ぱっと見た限りでは、他の英単語帳との違いはさっぱりわからなかった。まあ、深く考えずに取り組んでいけばいいだろう。
 英単語帳の表紙を眺めていると、小メガネさんが書いたPOPのことを思い出した。間違えた、俺が勝手にそうやって想像しただけだった。
 でも、小メガネさんが少し勇ましい顔で「受験生必携!」と言う姿を想像すると、おかしくて思わず笑みがこぼれた。そして、すぐに真顔になる。ここは電車の中だ。気まずさで頭が重くなった。
 それにしても、今日会ったのは中メガネさんのはずだ。それなのに、思いのほか彼女のことが印象に残っていないことに驚いた。胸は小さかった気がするけど。
 今日、俺は中メガネさんを目の前にしながら、小メガネさんのことを考えていたかもしれない。でも、書店員の特徴を帰納的に検討するのであれば、前回との比較は必要なことだ。だから何もおかしくない。
 しかし、比較するのは胸だけで十分だったはずだ。俺が知りたいのは、胸の大きさに関する統計的な結果だけのはずだ。何がおかしい?

 違和感のサインカーブは、いつの間にか一次関数になっていた。一度上がったら下がらない。

 頭の中のピンクのもやが濃くなる。その向こう側に、何かが見えたような気がした。でも、気のせいかもしれない。