8
「……い……おい……川倉……おい……」
頭上に落ちてきた呼びかけに、雪成の意識が浮上する。なんだ?誰だ?体が動かない、右肩がひどく痛む……光留は……光留は?
「川倉」
「……みつ……」
「おーい、死んだか?!」
「…………あきやま……」
「おう」
目を開けると、海史が覗き込んでいた。知らぬ間に意識を飛ばしていたらしい。
「川倉」
「……うっ……」
「起きられるか?動けない?」
「……うごける……」
左側の肘を付いて上体を起こすと、海史が目の前にしゃがみ込んでいた。
着ている白いシャツは泥と汗と血で汚れていた。
「お前、怪我……」
「あ〜ほぼ返り血だ」
「かまれて……」
ゆっくりと起き上がる、まだ立ち上がるのは難しそうなので座ったままで海史を正面から見る。右腕、左手の甲から血が出ている、はっきりと歯形も見える。
「噛まれた」
「……お前」
「あぁ、オレは対象者だ」
「……まじかよ……」
狩人には予めワクチン接種が義務付けられている。それは非公式のもので、必ずしも噛まれても感染しないとは言い切れない。いわば保険のようなものだ。
だが目の前の男の体には噛み跡がいくつもある、目安として三回噛まれたら感染すると言われているワクチンの保証限度を超えている。
だが、理由を知れば納得である。
「立てるか?」
「あぁ……」
爆破で背中に爆風を浴び、背中と肩から腕にかけてを火傷したようだ。ボロボロになったのはシャツだけでなく、肌も皮膚が捲れ血で濡れている。
海史が左側から支えてくれた。海史自身も足を捻挫している為、体重を掛けたら二人して転倒してしまいそうだ。
「……はぁ……ありがとう……」
「どういたしまして、で、どうするよ?体育館にオレらも行くか?」
体育館はここからでは見えない。大体校舎と体育館の中間地点に二人はいた。
「……戻る……」
「そうだな……今のところ校舎付近に感染者は見当たらないし、相当狩られている筈だ……体育館へ行くよりも近いしな」
「どこへ向かう?」
「……一階でまだ武器が調達出来るところ、そこに避難していてもいいだろ、丸腰よりいい」
「保健室はないぞ、オレたちが……いやでも、保健室で手当しないとだな、これ」
「……」
「手当てして、社会科準備室に行こう、保健室と逆側になるがあそこならまだあるだろ」
二人はよたよたとグラウンドを横切り保健室横の昇降口から校舎内へと入った。
海史は学校支給のリュックを背負っているが、中身は軽そうだった。
耳を澄ませてみても物音一つしない。
まだ鈴木と真叶がいる筈だが、音がしないと言うことは感染者を掃討しどこかの教室へ避難しているからか。
どこにいるか分からない為当てずっぽうで探しに行く訳にもいかないし、万が一まだ感染者が残っている可能性がある中で、大声で呼び掛ける訳にもいかない。
ずっと上履きのままなので、白かった筈の上履きは泥と血で汚れていたが気にせず校舎内へとそのまま進む。
保健室のドアは開いていた。
「オレたちが去った時のままみたいだな」
室内が荒らされている様子はない、誰も入ってこなかったのだろう。
海史が奥の棚から消毒液や包帯を取り出している。
「それ、火傷なのか?処置方法ってわかるか?」
「……知らない」
「だよな、包帯巻く?直接巻くとくっつきそうだよな……血はまだ出てるのか?」
「いや、ほぼ止まってる……着替えがあればいいけど」
「それならある、さっき見つけた、椅子に座っててくれ」
「頼む」
パイプ椅子に座ると、どっと疲れが全身に押し寄せてきた。
海史は捻挫してはいるものの、火傷以外に大きな怪我はしていないようだ。腕や手に噛み跡があるが既に血は止まっていた。
背もたれに体重を預け座っていると、もう立ち上がれないのではないかと思ってしまう程体が鉛で出来ているように重い。
「長袖シャツだけど」
「あぁ、それでいい」
「とりあえず傷の手当した方がいいだろ、見せてみろよ」
「出来るのか?」
「あ?応急措置の講座でやっただろ、実戦でやるのは初めてだけど」
海史が右肩から腕に掛けての傷跡を観察する。血は止まっているが痛みは引かないどころか、さっきよりも痛みが増してきた気もする。
「消毒してからか?包帯巻いておけばいいのか?」
「……適当にやってくれ」
「おー、適当にやるわ……ていうかまじでこれ消毒液つけんの?あ、傷口洗った方がいいんじゃね?」
講座を受けた割には二人とも曖昧だ。もっとちゃんと聞いておけばよかったと後悔しても襲い。
「えーと、とりあえず傷口に……なんだ、これ、軟膏とか塗っとけばいいのか?」
「は?塗るのか?」
「やだよ、傷口触りたくないし、こっちのガーゼに軟膏付けて上から包帯で巻けばいいんじゃね?」
「……そうだな……お前の方は?噛まれてるんだろ」
「向こうで洗ってきた、あとは消毒して……もう血も止まったし、とりあえず絆創膏貼って、捻挫は湿布かな」
言いながらもテキパキと手を動かし、雪成の傷の手当をしていく。
包帯を巻いてもらい、 新しいシャツに着替えていると海史が水のペットボトルを差し出してきた。
「飲んだら出るか」
「あぁ……」
「川倉は……ハンドガン……いや、無理か?」
「……威嚇くらいになら使えるだろ、あるのか?」
「ある、弾はもう入っている分しかない」
「秋山は?」
「オレもハンドガンとナイフは……あんまり意味はないな……お互い機動力0だもんな……」
「でもまだ狂騒者になる程時間が経ってない、準備室へ行くくらいなら出来るだろ……そこで武器が調達できればそのまま籠城、流石にそろそろ救援が来るだろ……」
「あぁ……でも随分と遅いよな……最初のパンデミックの時以来じゃないのか……?」
「それだけ規模がデカかったんだろ」
「……そうだな……」
水分補給を終え、椅子から立ち上がる。二人共満身創痍だが、保健室へ来た時よりも大分ましになっていた。
「行くか……」
雪成は無言で頷いた。
海史がドアの隙間から廊下の様子を伺う、今の所感染者は見当たらない。
静かな教室を横並びで進む。時折後を振り返るが違和感はない。
半分程進み、立ち止まる。
「どうした?」
「……いや……何でもない……一階には誰もいない……のかな……」
「多分な、オレたちが保健室から出た時一階は全部の教室を見たけどその時残っていた感染者は全部排除している、だからもういないのかも……」
「……」
また歩き始める。
何かを見つけた訳ではない。強いて言えば、嫌な予感がする、ただそれだけ。そんな頼りない感覚でこの先にある武器を回避するのも馬鹿らしい。きっと気のせいだろう。
社会科準備室には何事もなく辿り着いた。ドアは施錠されていなかったので、そのまま中に入る。
無人の机が向かい合わせで全部で四個並んでいる。スチールラックには書籍やファイルなどが行儀よく陳列されている。掃除用具入れの隣に同じサイズのロッカー。人が隠れられなくはないが、感染者が隠れるとは考えにくい。
一通り見回し、ドアを施錠する。
「……掃除用具入れか?床下か?」
「あー……ここは掃除用具入れじゃないか?あぁ、シールが貼ってある」
赤い背景に黒で校章が入っている、これは武器が入っている場所を示す。
中を開けると箒やモップが吊る下がっている。それらを退かし、奥の鉄板を押すと、蛇腹に開くようになっている。
アサルトライフル、それにリュックが入っていた。
「ライフルか、こっちの方が今は助かるな……あとは……」
手近な椅子に座ると、保健室で感じたような疲れが体全体を覆った。
無意識に深く息を吐き出すと、頭上から心配そうな声が降る。
「川倉……お前大丈夫か?」
「……あぁ……」
顔を上げる気力もなく言えば、突然額に手の平が当てられた。
「……お前熱あるんじゃないのか?……怪我からか?」
「……あー……そうか……熱か、だるいの……」
「お前、噛まれたか?」
「……どうだろうな……引っ掻かれたりはしたけど……噛まれた?わかんね……」
「……まぁ噛まれたにしてもまだ感染してないってことは平気ってことだな……横になれるような所はないけど……保健室戻るか?」
「ここでいい……鍵掛けて待ってれば救援がくるだろ……ちょっと眠い……」
「あぁ、寝てろよ」
机の上にはノートパソコンや書類、教科書などがあるので、それを脇に寄せ突っ伏した。
「タオル使うか?」
「いい……」
もうそんなのを貰う余裕もないくらいの睡魔に雪成は襲われていた。
海史が何か言ったような気がするが、直に眠りに落ちてしまった。
「……まじで早く救援来てくれないと詰むな……とりあえずバリケードになりそうな物……は、あるけど一人で動かすのは無理か……」
残った海史は一人ブツブツ言いながら机に体重を掛け動かそうと試みたが、数センチ異動するだけでドアの所までは無理そうだった。
仕方なく、使っていない椅子を二脚ドアの前に置く。回転椅子を置いたところであまり意味はないかもしれないが、すんなり侵入されるよりはマシだ。
他に動かせそうな物といえば腰くらいの高さのカラーボックスか。それを時間を掛け移動させ、海史も椅子に座る。
完全に寝入ってしまっているようで、カラーボックスを移動させている最中も全く起きなかった。
自分は狩人たちと行動していたが、こいつは対象者と一緒だったんだ。
そう思うと、ここまでずっと緊張していたのだろうと想像出来る。しかも幼馴染だ。絶対に助けたかっただろう。
幼馴染……真叶たちはどうしているのだろうか。
鈴木も一緒だから余程のことがない限りは心配ないとは思うが……。
最後に見せた顔は自分の死を覚悟した顔だった。自分が死んでも、海史だけは逃がす。そう言う意思の固い、誓いのような表情のだった。
あいつの中ではずっと残っているだ、多分トラウマになってしまう程に。
「……?」
何か物音が聞こえたような気がして、思考が途切れる。廊下の方からだ。
ちらりと雪成を見るが、起きた気配はない。
気のせいとは片さずに、海史は立ち上がりドアの方へと足音を忍ばせながらゆっくりと進んだ。
「……!」
ずるずる、というような何かを引き摺っているが廊下側から聞こえる。
これはヤバい……何か分からないけど、多分ヤバい。
直感でそう思うと、小声で雪成を呼ぶ。
「おい、川倉、起きろ、川倉!かわ……」
ガタン!
と何かがドアにぶつかるような大きな音がして、雪成の肩がびくっと跳ねる。
「……どうし……」
顔を上げ、音の方を見ると、またドアにぶつかってくる音がして、引戸を開けようとしているような音もしている。
「何かが来てる!!!」
「何って……」
「とりあえず机、バリケードにするか!」
「あぁ……」
まだ半分寝起きのような顔だが、海史の提案に頷くと直にドアに一番近い机を押した。二人掛かりでやっと動かせたが、バリケードとしてはあまり役には立たなそうである。
ドアを開けられ、机の上に乗られたらそのまま侵入されてしまう。机の上に何かを置くべきなのだが、負傷している二人にそれは無理であった。
「何だ?感染者はこんな風にこじ開けようとするか?」
「分からない……」
部屋の奥へと退避して、雪成はアサルトライフル、海史はハンドガンの銃口をそれぞれドアへと向けた。
感染者の発生からまだ三時間も経っていない筈だ。それならばまだせいぜい走って追いかけてくるくらいで、武器さえあれば単体になら脅威に感じる程ではない。
だが、ドアの向こうにいる者は明らかに侵入しようとしているし、かなり力が強そうである。
体当たりは止めたようだが、ドアを無理やり開けようとずっとガタガタとドアを押している。廊下から聞こえるのは獣のような唸り声だ。それを聞き、二人は顔を見合わせた。
「……狂騒者だと思うか?」
「……それしか考えられないな……」
絶望的な気持ちになりながら、ドアに集中する。開いてしまうのは時間の問題だ。
「生存者じゃないよな?」
「……唸り声を上げながらドアをこじ開けようとする人間がいるか?」
「あぁ……だよな……」
いつ入られてもいいようにとドアに銃口は向けたままであるが、いざその瞬間が訪れると二人は固まってしまった。
ガラガラっと派手な音を立てドアがこじ開けられる。そこに現れたのは明らかに人間でも感染者でもなかった。
「……!!」
だが、見知った顔に二人は一瞬躊躇してしまったのだ。
「マジかよ……!」
体育教師である日野の変わり果てた姿に顔を歪める。柔道有段者であるがっしりとした体躯はウイルスにより劇的にその体を肥大させ、身長は二メートル近くに達していた。
それでも入ってこようとした瞬間に、発砲する。海史の弾丸は耳の辺りを掠め、ライフルの連射は肩にヒットしたが僅かに後退させるだけで効果は少なかった。
「がぁぁぁ……!!」
「……先生怒ってるんじゃないのか?」
「あぁ……怒ってるな……」
こんなのに入って来られたらひとたまりもない。
海史はスチールラックに置いてある集めの書籍を手に取ると、日野目掛けて投げつけた。まさかそんな物が投げられるとは思っていなかったからなのか、それとも当たったとしても大したダメージではないからなのか胸の辺りに本はぶつかった。
「おい」
「すまん、何となく……」
「まずい、入って来るぞ……!」
ドアを塞いでいる机に足をかけようとしているので、二人は日野に向かって打った。対象だ大きいので当たりはするのだが、嫌がるだけで逃げようともしない。
「頭か?頭に当てて本当に死ぬのか?」
「とにかく打たないとだろ、牽制にはなる」
「……あぁ」
パンパンと乾いた音が続き、そのあとでライフルを連射する。流石に弾が当たり続けるのは嫌なのだろう、日野が一旦退避した。
だが、まだ油断は出来ない。致命傷を与えないと倒せないのだ。
海史は室内をキョロキョロと見回し、部屋の隅に立てかけてあるパイプ椅子を持ってきた。
「今度日野が見えたら、せーので椅子を投げる」
言いながらさっきまで座っていた回転椅子を指さした。パイプ椅子も次に投げるのつもりのようだ。
「そんなんでいいのか?」
「弾切れになるよりはいい、入って来るまでの時間稼ぎだ……大きな音や銃声が聞こえれば真叶たちが助けに来てくれるかもしれない」
「……そうだな」
そうだ、まだ校舎内には狩人がいるのだ。それに望みを託すのは間違ってはいない。
数分後、日野がドアの影から顔を出し、また机に上がろうとしたので二人は回転椅子を持ち上げ振り子のように振り、投げた。
「ガぅ……!」
どこかに当たったのか、悲鳴のような声を上げると日野はまた隠れた。
「つか、そろそろ真叶たちが来てもおかしくないと思うけどな……?どうしたんだろうな」
「……武器がないとか?」
「……そうか……それも考えられるな……」
また日野が現れ、その度にパイプ椅子を投げる、これを三回繰り返したところで廊下の方から銃声が聞こえた。
「……!」
「真叶たちだ……!」
「……これで挟み撃ち出来るな」
「あぁ……!」
声は聞こえないが銃声は再び廊下から聞こえてきた。援護が来たことで二人の表情に明るさが戻る。
挟み撃ち出来るとは言ったものの、こちらは廊下に出ることは出来ないのでどう応戦するか考えないと、と思っていると日野がドアの前に立った。
今度は机の上に乗ろうとせず、机に手を掛けるとそのまま室内へと投げ入れた。
「?!」
ガッシャン!!と大きな音を立て、机は別の机の上で転がり、床へと落ちる。落ちた場所は左側からドアへ進む方向を塞いでしまった。
机を挟み二人と日野は対峙した、廊下ではまだ銃声が聞こえる。ということは感染者と応戦中ということだ。
「……おいおい、野生のクマみたいだな……」
「……あぁ……クマだ……」
机が無くなったことでその大きさが一層際立つ。肩や腕の筋肉が盛り上がり、着ているシャツを圧迫している。胸のボタンも半分程がはだけた状態だ。
二人が打った場所からは赤い血が流れているが、痛みを感じているようには見えなかった。
「感染者って痛みを感じないものなのか?」
「……感染者であればまだ感じるだろうけど、ここまでになってしまうとどうなんだろうな……」
銃口を向けるが日野が怯む様子はない。距離をはかるようにじりじりと日野が近付こうとしている。
ハンドガンで足元を狙い、それは太ももに当たったがダメージを受けた様子はない。
「……クマは頭は狙わないって言うよな」
「こいつはクマじゃない、心臓はもう止まってるから頭を狙うっていうより、ここまで来たら吹き飛ばさないと駄目なんじゃないのか?」
ウイルスに脳が支配され凶暴化しているので、体中に司令を出している脳を止める為に頭を狙うのというのが感染者に対する戦い方のセオリーだ。
アサルトライフルを日野の顔目がけて銃口を向ける。単発ではなく、三発の連射を二回。
「……?」
それは確かに日野の顔に命中した。右目から、頬から額から血を流しているが活動が止まることはなく、ゆっくりと日野は近付いてくる。
「おいおい……」
雪成もハンドガンで頭を狙うが、肩の痛みから弾がそれてしまう。
あと二メートル程の距離、飛びかかられたらお終い。あとはもう弾切れまで撃ちまくるしなかいと思った矢先、日野はピタリと動きを止めた。
そして、背後を振り返った。
「……?」
振り返った先はドアだ。だが、誰もいない。
日野はそのままドアへと駆け出した。何故か分からないが、咆哮を上げながら準備室から出ていった。
再び銃声が聞こえる。アサルトライフルの連射の音が暫く聞こえていたが、それが止むとガタガタと大きな音が聞こえた。
隣の教室からだ、机が床に倒れるような音、ドアにぶつかるような音。
「オレたちも加勢しよう……」
「そ、そうだな……!」
音だけでは何が起きているのかは分からない。もし鈴木と真叶たちが戦っているのなら二人だけで勝てる相手ではない。
駆けつけたい所だが、海史は片足をかばいながら、雪成はふらつきながら廊下へ出た。
「……ゆき……!!」
「?!」
廊下に出た途端、いる筈のない幼馴染の声が聞こえた。
廊下には狩人である山形と二年の佐田、そして光留の姿があった。
「……ゆき、良かった……!」
「みつる……?なんで、ここに……?!」
駆け寄ってくる光留の顔は今にも泣き出しそうだ。だが、それよりここに彼が、彼らがいる理由が知りたかった。
あと一歩という距離で止まると、まじまじと幼馴染の顔を見上げてくる光留。
それから真新しいシャツの下から見える包帯に顔をしかめる。
「怪我、ひどいの……痛む……?」
「……それは……ていうか……何で……」
「本当だよな、お前が命掛けで助けたってのになぁ……」
後から呆れたような山形の声がする。だが、その顔は心配と安堵が入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。
「日野先生は?」
遅れて準備室から出てきた秋山が廊下を見渡して質問する。続けて「お前たちだけなのか?」とも。
「向こうの教室で……石川先生が……あと、お前が聞きたいのは鈴木たちのことだろ?鈴木たちは屋上にいるみたいだ、生存者も何人か一緒にな」
「……そっか……二人共無事か……ていうか、石川先生が来たのか?」
「それについてのツッコミは今は不要だ」
「?」
ガタガタっとまた教室で音がしている。中で石川と日野が戦っているのだろう。
「加勢しなくていいのか?」
「……一人でいいって止められた、とにかくオレたちは屋上へ行って合流しよう、これは石川先生の指示だ」
「……一人でいいって……」
雪成も海史も納得いかないという顔だ。だが、それは先程までの石川を見ていないからだろう。
普段は気の弱そうな顔をし、片足が悪く杖を付いて歩いている所しか見たことがないのだ。戦えるなんて思っていないはずだ。
「問題ない」
山形がきっぱりと言い切ると、二人は頷いた。加勢するにしても負傷している二人は足手まといにしかならないと理解しているのだろう。
「このまま上がっていけば屋上側の階段に出られる、行こう」
準備室前の階段を見据え、山形が声を掛ける。
「佐田先頭を行ってくれ、多分感染者はいない、オレは秋山を、佐々木は川倉を支えてくれ」
「わかりました」
佐田が階段を登り始めると、山形が海の右脇に手を差し入れ、支えながら階段に足を掛ける。
「ゆき……」
「自分で登れるよ」
「うん……」
足を負傷している訳ではないので歩行は出来ているが、怪我の為なのかふらふらと歩いているので光留は雪成の背中に手を添えながら歩いた。
もう大丈夫だ、皆がそう思っていた時だ。
準備室の隣の教室から大きな音がした。それはドアが吹き飛んだ音だった。
「……何だ……?」
咄嗟に動いたのは雪成だった。
階段から廊下へ戻ろうと数歩踏み出し、足を止めた。
「……!」
「逃げなさい……早く……!」
廊下にはドアの下敷きになり、頭から血を流して倒れている石川が生徒たちに向かい叫んだ。
そしてその前には首から上のない日野の体が仁王立ちしていた。
俄には信じられない光景に、雪成もその後にいた光留も言葉を失った。
「どうした?!」
踊り場にいた山形が声を掛ける。
「分からない……あれは、なんだ……?」
頭がないのにどうやって動いているというのだ?
首からはまだ血が流れ出ている、その赤い血が襟元からぐっしょりとシャツを濡らしている。日野に頭はない、故に見えていない筈なのに、真っすぐに生徒たちの元へとやって来る。
「逃げろ……光留早く、山形たちの所へ……」
よろりと雪成が階段の前に立ち塞がる、だが日野の巨躯の前では壁役にもならない。
「う……!」
日野の腕が雪成の首に伸び、そのまま壁に押し付ける。壁に押し付けたままで日野の腕は上へと伸びていく。
「ぅ……」
藻掻きながらも何とか腕を振りほどこうとするが、まるで岩のような日野の腕はびくともしない。
「離せ……!」
光留は持っていたアサルトライフルで日野の背中を思いっきり叩いた。だが、固い皮膚に阻まれ逆に反動で光留はよろけてしまった。
「……げほ……みつ……逃げろ……」
だが、当初の目的は果たせた。日野は雪成の首から手を放すとくるりと向きを変え光留に向かい両手を伸ばした。
「撃て……!」
山形が叫ぶ。ここで日野に向かって撃ち、万が一側にいる雪成に当たってはと思うと手にしているライフルを使うのが躊躇われる。
「あ……」
「撃て……!」
雪成の声に光留は銃口を日野に向けた。だが、引き金に掛けた指が動かない。撃たなければ、そう思った瞬間に横から声が聞こえた。
「二人共伏せてなさい!!」
「?!」
「光留、伏せろ!!」
光留は石川と雪成の声に、慌ててしゃがみ込んだ。雪成は壁に背を当て低い体勢を取る。
「全く、こんな体になってまで動けるとは……」
廊下か駆けてきた石川は日野に向かいアサルトライフルを連射した。
間近で聞こえてくる銃声に、光留は体を小さく目をぎゅっと瞑った。
残弾が少ないことを石川は予め知っていたのだろう、アサルトライフルを打ち切ると直にベルトに刺していた杖を引き抜く。
日野まであと数歩という所で杖の下半分を捨て、鞘のように抜き刃を心臓目掛けて突き刺した。
「……!!!」
日野が吠える。声は聞こえないが、石川にはそれが聞こえた。
体当たりするようにして突き立てた刃は背中まで貫通し、日野の体はそのまま廊下へと沈み込んだ。
「……これで……最期ですね……」
心臓に突き立てた刃は差したままで、日野を見下ろす。指先がまだ微かに動く。
石川はベルトに差したハンドガンを引き抜くと、鎖骨や腹などに残弾を打ち込んだ。
光留が恐る恐る目を開けると、隣には雪成が立っていた。いつのまにこちらへ来たのだろう、分からなかった。
見れば山形と佐田もいる。階段の上の方に視線を向けると、海史がしゃがんでいた。流石にもう動けないのだろう。
「終わりましたね……」
「先生……」
「……全く……どういう原理で動いていたんでしょうかね……はぁ……僕たちも屋上へ行きましょうか……」
「はい、大丈夫ですか?」
「あぁ……大したことはありません」
「……あれ……?もしかして、救援来ましたか……サイレンが聞こえません?」
山形がそう言うと、皆が口を閉じる。
微かにサイレンが聞こえる、それはパトカーと救急車の音だ。
「それにヘリの音も……聞こえますね」
「そうですか?」
「多分屋上に救援部隊が到着したんですね……全く……全部終わったじゃないですか……」
「わぁ、先生、全然大丈夫じゃないじゃないですか!」
へなへなと床へしゃがみ込む石川を心配そうな目が十個覗き込む。
「大丈夫、貧血ですかね……僕よりもひどい怪我人がいますからね……屋上へ行くよりここで待ちましょうか……」
「あ、僕グラウンドへ行って救護の方を連れてきます!」
「あぁ、頼む」
佐田が廊下を走って行く。
「川倉も座ってろよ、お前も大分ヤバいだろ」
「……大丈夫だ」
「全然大丈夫に見えないよ、ゆき……ここ、座って待ってよ」
光留が階段の一段目に座ると、大人しく雪成も隣に座った。山形はそれを見て呆れたようにため息を吐き出した。
「ライフル、オレが持っておく」
「え?」
「……こんなもん、お前が持つ必要ない……」
「……持つよ」
「は?」
「……守られてばかりじゃいやだ、オレだってお前を守りたいし……オレは……一人じゃやだよ、雪成と一緒に生きたいよ」
あの時、生きろと言われた。
生き抜こうと思った。だけど、それは一人ではない。
だからこうして戻ってきた。大事な幼馴染と共に生きたいから。
「ゆきは違うの?」
真っすぐに見つめれば、雪成は力が抜けたように目を細め弱々しく笑った。
「……オレもだよ」
「海史……!!」
階段の上の方で声がする。皆がそちらを見れば、鈴木と皆川の二人が降りてきたところだった。
「まな……うわ!何だよ、わ、おい!……泣いてるのか……?あ〜もうほんと、お前は……」
「……泣いてない……」
見れば真叶が海史に抱きついている。あまりの力強さに海史が文句を言っているようだが、真叶は聞いていないようだ。隣で鈴木も二人に混ざるように肩を抱き、友の生存を喜び笑っている。
陽はすっかり傾いたのか、オレンジ色の陽光が窓から皆に降り注ぐ。
「……ゆき」
「ん?」
「……オレも狩人になる」
「は?」
「自分のことは自分で守る、これからもゆきの隣にいたいからだよ」
「……駄目って言っても聞かない顔だな……」
「分かってるじゃん」
「何年幼馴染やってると思ってるんだよ……はぁ……」
雪成は自分の膝に頭を埋めるように俯いた。
「ゆき……」
「……お前が生きていてくれて本当によかった……」
「それはこっちの台詞だよ」
「うん……そうなんだな……そうだよな……同じなんだよな……」
「……ゆき、大丈夫?」
呆れたりしている訳ではなく、具合が悪いのではないかと光留は慌てる。
「大丈夫……ただ、ちょっと眠い、疲れた……」
「……ゆっくり休んで」
「……あぁ……」
「起きたら楽しい話をしよう」
「たのしい?」
「うん、未来の話」
うん、微かに聞こえた返事に光留は口元をほころばせる。それは雪成がかつて自分に言ってくれた希望の言葉だ。
家族を失った頃、くれた約束。
明日の約束。
明後日の約束。
それを積み重ねて、時間が過去で止まりそうだった自分を未来に連れてきてくれた。
これからも供に生きられるように。生きたいと思えるように。
隣から小さな寝息が聞こえてきた。
怪我と披露と、心からの安堵が強い眠気を誘ったのだろう。
ことりと雪成の頭が光留の肩にかかる。
「ゆき」
廊下の先から複数の足音が聞こえてくる。待ちに待った救援が来たのだ。
これで終わった訳ではない。
だけど、今は。まずは。
「……ありがとう……」
寝顔なんていつ以来だろうか、優しい笑顔を浮かべ幼馴染の顔を見つめた。
完
「……い……おい……川倉……おい……」
頭上に落ちてきた呼びかけに、雪成の意識が浮上する。なんだ?誰だ?体が動かない、右肩がひどく痛む……光留は……光留は?
「川倉」
「……みつ……」
「おーい、死んだか?!」
「…………あきやま……」
「おう」
目を開けると、海史が覗き込んでいた。知らぬ間に意識を飛ばしていたらしい。
「川倉」
「……うっ……」
「起きられるか?動けない?」
「……うごける……」
左側の肘を付いて上体を起こすと、海史が目の前にしゃがみ込んでいた。
着ている白いシャツは泥と汗と血で汚れていた。
「お前、怪我……」
「あ〜ほぼ返り血だ」
「かまれて……」
ゆっくりと起き上がる、まだ立ち上がるのは難しそうなので座ったままで海史を正面から見る。右腕、左手の甲から血が出ている、はっきりと歯形も見える。
「噛まれた」
「……お前」
「あぁ、オレは対象者だ」
「……まじかよ……」
狩人には予めワクチン接種が義務付けられている。それは非公式のもので、必ずしも噛まれても感染しないとは言い切れない。いわば保険のようなものだ。
だが目の前の男の体には噛み跡がいくつもある、目安として三回噛まれたら感染すると言われているワクチンの保証限度を超えている。
だが、理由を知れば納得である。
「立てるか?」
「あぁ……」
爆破で背中に爆風を浴び、背中と肩から腕にかけてを火傷したようだ。ボロボロになったのはシャツだけでなく、肌も皮膚が捲れ血で濡れている。
海史が左側から支えてくれた。海史自身も足を捻挫している為、体重を掛けたら二人して転倒してしまいそうだ。
「……はぁ……ありがとう……」
「どういたしまして、で、どうするよ?体育館にオレらも行くか?」
体育館はここからでは見えない。大体校舎と体育館の中間地点に二人はいた。
「……戻る……」
「そうだな……今のところ校舎付近に感染者は見当たらないし、相当狩られている筈だ……体育館へ行くよりも近いしな」
「どこへ向かう?」
「……一階でまだ武器が調達出来るところ、そこに避難していてもいいだろ、丸腰よりいい」
「保健室はないぞ、オレたちが……いやでも、保健室で手当しないとだな、これ」
「……」
「手当てして、社会科準備室に行こう、保健室と逆側になるがあそこならまだあるだろ」
二人はよたよたとグラウンドを横切り保健室横の昇降口から校舎内へと入った。
海史は学校支給のリュックを背負っているが、中身は軽そうだった。
耳を澄ませてみても物音一つしない。
まだ鈴木と真叶がいる筈だが、音がしないと言うことは感染者を掃討しどこかの教室へ避難しているからか。
どこにいるか分からない為当てずっぽうで探しに行く訳にもいかないし、万が一まだ感染者が残っている可能性がある中で、大声で呼び掛ける訳にもいかない。
ずっと上履きのままなので、白かった筈の上履きは泥と血で汚れていたが気にせず校舎内へとそのまま進む。
保健室のドアは開いていた。
「オレたちが去った時のままみたいだな」
室内が荒らされている様子はない、誰も入ってこなかったのだろう。
海史が奥の棚から消毒液や包帯を取り出している。
「それ、火傷なのか?処置方法ってわかるか?」
「……知らない」
「だよな、包帯巻く?直接巻くとくっつきそうだよな……血はまだ出てるのか?」
「いや、ほぼ止まってる……着替えがあればいいけど」
「それならある、さっき見つけた、椅子に座っててくれ」
「頼む」
パイプ椅子に座ると、どっと疲れが全身に押し寄せてきた。
海史は捻挫してはいるものの、火傷以外に大きな怪我はしていないようだ。腕や手に噛み跡があるが既に血は止まっていた。
背もたれに体重を預け座っていると、もう立ち上がれないのではないかと思ってしまう程体が鉛で出来ているように重い。
「長袖シャツだけど」
「あぁ、それでいい」
「とりあえず傷の手当した方がいいだろ、見せてみろよ」
「出来るのか?」
「あ?応急措置の講座でやっただろ、実戦でやるのは初めてだけど」
海史が右肩から腕に掛けての傷跡を観察する。血は止まっているが痛みは引かないどころか、さっきよりも痛みが増してきた気もする。
「消毒してからか?包帯巻いておけばいいのか?」
「……適当にやってくれ」
「おー、適当にやるわ……ていうかまじでこれ消毒液つけんの?あ、傷口洗った方がいいんじゃね?」
講座を受けた割には二人とも曖昧だ。もっとちゃんと聞いておけばよかったと後悔しても襲い。
「えーと、とりあえず傷口に……なんだ、これ、軟膏とか塗っとけばいいのか?」
「は?塗るのか?」
「やだよ、傷口触りたくないし、こっちのガーゼに軟膏付けて上から包帯で巻けばいいんじゃね?」
「……そうだな……お前の方は?噛まれてるんだろ」
「向こうで洗ってきた、あとは消毒して……もう血も止まったし、とりあえず絆創膏貼って、捻挫は湿布かな」
言いながらもテキパキと手を動かし、雪成の傷の手当をしていく。
包帯を巻いてもらい、 新しいシャツに着替えていると海史が水のペットボトルを差し出してきた。
「飲んだら出るか」
「あぁ……」
「川倉は……ハンドガン……いや、無理か?」
「……威嚇くらいになら使えるだろ、あるのか?」
「ある、弾はもう入っている分しかない」
「秋山は?」
「オレもハンドガンとナイフは……あんまり意味はないな……お互い機動力0だもんな……」
「でもまだ狂騒者になる程時間が経ってない、準備室へ行くくらいなら出来るだろ……そこで武器が調達できればそのまま籠城、流石にそろそろ救援が来るだろ……」
「あぁ……でも随分と遅いよな……最初のパンデミックの時以来じゃないのか……?」
「それだけ規模がデカかったんだろ」
「……そうだな……」
水分補給を終え、椅子から立ち上がる。二人共満身創痍だが、保健室へ来た時よりも大分ましになっていた。
「行くか……」
雪成は無言で頷いた。
海史がドアの隙間から廊下の様子を伺う、今の所感染者は見当たらない。
静かな教室を横並びで進む。時折後を振り返るが違和感はない。
半分程進み、立ち止まる。
「どうした?」
「……いや……何でもない……一階には誰もいない……のかな……」
「多分な、オレたちが保健室から出た時一階は全部の教室を見たけどその時残っていた感染者は全部排除している、だからもういないのかも……」
「……」
また歩き始める。
何かを見つけた訳ではない。強いて言えば、嫌な予感がする、ただそれだけ。そんな頼りない感覚でこの先にある武器を回避するのも馬鹿らしい。きっと気のせいだろう。
社会科準備室には何事もなく辿り着いた。ドアは施錠されていなかったので、そのまま中に入る。
無人の机が向かい合わせで全部で四個並んでいる。スチールラックには書籍やファイルなどが行儀よく陳列されている。掃除用具入れの隣に同じサイズのロッカー。人が隠れられなくはないが、感染者が隠れるとは考えにくい。
一通り見回し、ドアを施錠する。
「……掃除用具入れか?床下か?」
「あー……ここは掃除用具入れじゃないか?あぁ、シールが貼ってある」
赤い背景に黒で校章が入っている、これは武器が入っている場所を示す。
中を開けると箒やモップが吊る下がっている。それらを退かし、奥の鉄板を押すと、蛇腹に開くようになっている。
アサルトライフル、それにリュックが入っていた。
「ライフルか、こっちの方が今は助かるな……あとは……」
手近な椅子に座ると、保健室で感じたような疲れが体全体を覆った。
無意識に深く息を吐き出すと、頭上から心配そうな声が降る。
「川倉……お前大丈夫か?」
「……あぁ……」
顔を上げる気力もなく言えば、突然額に手の平が当てられた。
「……お前熱あるんじゃないのか?……怪我からか?」
「……あー……そうか……熱か、だるいの……」
「お前、噛まれたか?」
「……どうだろうな……引っ掻かれたりはしたけど……噛まれた?わかんね……」
「……まぁ噛まれたにしてもまだ感染してないってことは平気ってことだな……横になれるような所はないけど……保健室戻るか?」
「ここでいい……鍵掛けて待ってれば救援がくるだろ……ちょっと眠い……」
「あぁ、寝てろよ」
机の上にはノートパソコンや書類、教科書などがあるので、それを脇に寄せ突っ伏した。
「タオル使うか?」
「いい……」
もうそんなのを貰う余裕もないくらいの睡魔に雪成は襲われていた。
海史が何か言ったような気がするが、直に眠りに落ちてしまった。
「……まじで早く救援来てくれないと詰むな……とりあえずバリケードになりそうな物……は、あるけど一人で動かすのは無理か……」
残った海史は一人ブツブツ言いながら机に体重を掛け動かそうと試みたが、数センチ異動するだけでドアの所までは無理そうだった。
仕方なく、使っていない椅子を二脚ドアの前に置く。回転椅子を置いたところであまり意味はないかもしれないが、すんなり侵入されるよりはマシだ。
他に動かせそうな物といえば腰くらいの高さのカラーボックスか。それを時間を掛け移動させ、海史も椅子に座る。
完全に寝入ってしまっているようで、カラーボックスを移動させている最中も全く起きなかった。
自分は狩人たちと行動していたが、こいつは対象者と一緒だったんだ。
そう思うと、ここまでずっと緊張していたのだろうと想像出来る。しかも幼馴染だ。絶対に助けたかっただろう。
幼馴染……真叶たちはどうしているのだろうか。
鈴木も一緒だから余程のことがない限りは心配ないとは思うが……。
最後に見せた顔は自分の死を覚悟した顔だった。自分が死んでも、海史だけは逃がす。そう言う意思の固い、誓いのような表情のだった。
あいつの中ではずっと残っているだ、多分トラウマになってしまう程に。
「……?」
何か物音が聞こえたような気がして、思考が途切れる。廊下の方からだ。
ちらりと雪成を見るが、起きた気配はない。
気のせいとは片さずに、海史は立ち上がりドアの方へと足音を忍ばせながらゆっくりと進んだ。
「……!」
ずるずる、というような何かを引き摺っているが廊下側から聞こえる。
これはヤバい……何か分からないけど、多分ヤバい。
直感でそう思うと、小声で雪成を呼ぶ。
「おい、川倉、起きろ、川倉!かわ……」
ガタン!
と何かがドアにぶつかるような大きな音がして、雪成の肩がびくっと跳ねる。
「……どうし……」
顔を上げ、音の方を見ると、またドアにぶつかってくる音がして、引戸を開けようとしているような音もしている。
「何かが来てる!!!」
「何って……」
「とりあえず机、バリケードにするか!」
「あぁ……」
まだ半分寝起きのような顔だが、海史の提案に頷くと直にドアに一番近い机を押した。二人掛かりでやっと動かせたが、バリケードとしてはあまり役には立たなそうである。
ドアを開けられ、机の上に乗られたらそのまま侵入されてしまう。机の上に何かを置くべきなのだが、負傷している二人にそれは無理であった。
「何だ?感染者はこんな風にこじ開けようとするか?」
「分からない……」
部屋の奥へと退避して、雪成はアサルトライフル、海史はハンドガンの銃口をそれぞれドアへと向けた。
感染者の発生からまだ三時間も経っていない筈だ。それならばまだせいぜい走って追いかけてくるくらいで、武器さえあれば単体になら脅威に感じる程ではない。
だが、ドアの向こうにいる者は明らかに侵入しようとしているし、かなり力が強そうである。
体当たりは止めたようだが、ドアを無理やり開けようとずっとガタガタとドアを押している。廊下から聞こえるのは獣のような唸り声だ。それを聞き、二人は顔を見合わせた。
「……狂騒者だと思うか?」
「……それしか考えられないな……」
絶望的な気持ちになりながら、ドアに集中する。開いてしまうのは時間の問題だ。
「生存者じゃないよな?」
「……唸り声を上げながらドアをこじ開けようとする人間がいるか?」
「あぁ……だよな……」
いつ入られてもいいようにとドアに銃口は向けたままであるが、いざその瞬間が訪れると二人は固まってしまった。
ガラガラっと派手な音を立てドアがこじ開けられる。そこに現れたのは明らかに人間でも感染者でもなかった。
「……!!」
だが、見知った顔に二人は一瞬躊躇してしまったのだ。
「マジかよ……!」
体育教師である日野の変わり果てた姿に顔を歪める。柔道有段者であるがっしりとした体躯はウイルスにより劇的にその体を肥大させ、身長は二メートル近くに達していた。
それでも入ってこようとした瞬間に、発砲する。海史の弾丸は耳の辺りを掠め、ライフルの連射は肩にヒットしたが僅かに後退させるだけで効果は少なかった。
「がぁぁぁ……!!」
「……先生怒ってるんじゃないのか?」
「あぁ……怒ってるな……」
こんなのに入って来られたらひとたまりもない。
海史はスチールラックに置いてある集めの書籍を手に取ると、日野目掛けて投げつけた。まさかそんな物が投げられるとは思っていなかったからなのか、それとも当たったとしても大したダメージではないからなのか胸の辺りに本はぶつかった。
「おい」
「すまん、何となく……」
「まずい、入って来るぞ……!」
ドアを塞いでいる机に足をかけようとしているので、二人は日野に向かって打った。対象だ大きいので当たりはするのだが、嫌がるだけで逃げようともしない。
「頭か?頭に当てて本当に死ぬのか?」
「とにかく打たないとだろ、牽制にはなる」
「……あぁ」
パンパンと乾いた音が続き、そのあとでライフルを連射する。流石に弾が当たり続けるのは嫌なのだろう、日野が一旦退避した。
だが、まだ油断は出来ない。致命傷を与えないと倒せないのだ。
海史は室内をキョロキョロと見回し、部屋の隅に立てかけてあるパイプ椅子を持ってきた。
「今度日野が見えたら、せーので椅子を投げる」
言いながらさっきまで座っていた回転椅子を指さした。パイプ椅子も次に投げるのつもりのようだ。
「そんなんでいいのか?」
「弾切れになるよりはいい、入って来るまでの時間稼ぎだ……大きな音や銃声が聞こえれば真叶たちが助けに来てくれるかもしれない」
「……そうだな」
そうだ、まだ校舎内には狩人がいるのだ。それに望みを託すのは間違ってはいない。
数分後、日野がドアの影から顔を出し、また机に上がろうとしたので二人は回転椅子を持ち上げ振り子のように振り、投げた。
「ガぅ……!」
どこかに当たったのか、悲鳴のような声を上げると日野はまた隠れた。
「つか、そろそろ真叶たちが来てもおかしくないと思うけどな……?どうしたんだろうな」
「……武器がないとか?」
「……そうか……それも考えられるな……」
また日野が現れ、その度にパイプ椅子を投げる、これを三回繰り返したところで廊下の方から銃声が聞こえた。
「……!」
「真叶たちだ……!」
「……これで挟み撃ち出来るな」
「あぁ……!」
声は聞こえないが銃声は再び廊下から聞こえてきた。援護が来たことで二人の表情に明るさが戻る。
挟み撃ち出来るとは言ったものの、こちらは廊下に出ることは出来ないのでどう応戦するか考えないと、と思っていると日野がドアの前に立った。
今度は机の上に乗ろうとせず、机に手を掛けるとそのまま室内へと投げ入れた。
「?!」
ガッシャン!!と大きな音を立て、机は別の机の上で転がり、床へと落ちる。落ちた場所は左側からドアへ進む方向を塞いでしまった。
机を挟み二人と日野は対峙した、廊下ではまだ銃声が聞こえる。ということは感染者と応戦中ということだ。
「……おいおい、野生のクマみたいだな……」
「……あぁ……クマだ……」
机が無くなったことでその大きさが一層際立つ。肩や腕の筋肉が盛り上がり、着ているシャツを圧迫している。胸のボタンも半分程がはだけた状態だ。
二人が打った場所からは赤い血が流れているが、痛みを感じているようには見えなかった。
「感染者って痛みを感じないものなのか?」
「……感染者であればまだ感じるだろうけど、ここまでになってしまうとどうなんだろうな……」
銃口を向けるが日野が怯む様子はない。距離をはかるようにじりじりと日野が近付こうとしている。
ハンドガンで足元を狙い、それは太ももに当たったがダメージを受けた様子はない。
「……クマは頭は狙わないって言うよな」
「こいつはクマじゃない、心臓はもう止まってるから頭を狙うっていうより、ここまで来たら吹き飛ばさないと駄目なんじゃないのか?」
ウイルスに脳が支配され凶暴化しているので、体中に司令を出している脳を止める為に頭を狙うのというのが感染者に対する戦い方のセオリーだ。
アサルトライフルを日野の顔目がけて銃口を向ける。単発ではなく、三発の連射を二回。
「……?」
それは確かに日野の顔に命中した。右目から、頬から額から血を流しているが活動が止まることはなく、ゆっくりと日野は近付いてくる。
「おいおい……」
雪成もハンドガンで頭を狙うが、肩の痛みから弾がそれてしまう。
あと二メートル程の距離、飛びかかられたらお終い。あとはもう弾切れまで撃ちまくるしなかいと思った矢先、日野はピタリと動きを止めた。
そして、背後を振り返った。
「……?」
振り返った先はドアだ。だが、誰もいない。
日野はそのままドアへと駆け出した。何故か分からないが、咆哮を上げながら準備室から出ていった。
再び銃声が聞こえる。アサルトライフルの連射の音が暫く聞こえていたが、それが止むとガタガタと大きな音が聞こえた。
隣の教室からだ、机が床に倒れるような音、ドアにぶつかるような音。
「オレたちも加勢しよう……」
「そ、そうだな……!」
音だけでは何が起きているのかは分からない。もし鈴木と真叶たちが戦っているのなら二人だけで勝てる相手ではない。
駆けつけたい所だが、海史は片足をかばいながら、雪成はふらつきながら廊下へ出た。
「……ゆき……!!」
「?!」
廊下に出た途端、いる筈のない幼馴染の声が聞こえた。
廊下には狩人である山形と二年の佐田、そして光留の姿があった。
「……ゆき、良かった……!」
「みつる……?なんで、ここに……?!」
駆け寄ってくる光留の顔は今にも泣き出しそうだ。だが、それよりここに彼が、彼らがいる理由が知りたかった。
あと一歩という距離で止まると、まじまじと幼馴染の顔を見上げてくる光留。
それから真新しいシャツの下から見える包帯に顔をしかめる。
「怪我、ひどいの……痛む……?」
「……それは……ていうか……何で……」
「本当だよな、お前が命掛けで助けたってのになぁ……」
後から呆れたような山形の声がする。だが、その顔は心配と安堵が入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。
「日野先生は?」
遅れて準備室から出てきた秋山が廊下を見渡して質問する。続けて「お前たちだけなのか?」とも。
「向こうの教室で……石川先生が……あと、お前が聞きたいのは鈴木たちのことだろ?鈴木たちは屋上にいるみたいだ、生存者も何人か一緒にな」
「……そっか……二人共無事か……ていうか、石川先生が来たのか?」
「それについてのツッコミは今は不要だ」
「?」
ガタガタっとまた教室で音がしている。中で石川と日野が戦っているのだろう。
「加勢しなくていいのか?」
「……一人でいいって止められた、とにかくオレたちは屋上へ行って合流しよう、これは石川先生の指示だ」
「……一人でいいって……」
雪成も海史も納得いかないという顔だ。だが、それは先程までの石川を見ていないからだろう。
普段は気の弱そうな顔をし、片足が悪く杖を付いて歩いている所しか見たことがないのだ。戦えるなんて思っていないはずだ。
「問題ない」
山形がきっぱりと言い切ると、二人は頷いた。加勢するにしても負傷している二人は足手まといにしかならないと理解しているのだろう。
「このまま上がっていけば屋上側の階段に出られる、行こう」
準備室前の階段を見据え、山形が声を掛ける。
「佐田先頭を行ってくれ、多分感染者はいない、オレは秋山を、佐々木は川倉を支えてくれ」
「わかりました」
佐田が階段を登り始めると、山形が海の右脇に手を差し入れ、支えながら階段に足を掛ける。
「ゆき……」
「自分で登れるよ」
「うん……」
足を負傷している訳ではないので歩行は出来ているが、怪我の為なのかふらふらと歩いているので光留は雪成の背中に手を添えながら歩いた。
もう大丈夫だ、皆がそう思っていた時だ。
準備室の隣の教室から大きな音がした。それはドアが吹き飛んだ音だった。
「……何だ……?」
咄嗟に動いたのは雪成だった。
階段から廊下へ戻ろうと数歩踏み出し、足を止めた。
「……!」
「逃げなさい……早く……!」
廊下にはドアの下敷きになり、頭から血を流して倒れている石川が生徒たちに向かい叫んだ。
そしてその前には首から上のない日野の体が仁王立ちしていた。
俄には信じられない光景に、雪成もその後にいた光留も言葉を失った。
「どうした?!」
踊り場にいた山形が声を掛ける。
「分からない……あれは、なんだ……?」
頭がないのにどうやって動いているというのだ?
首からはまだ血が流れ出ている、その赤い血が襟元からぐっしょりとシャツを濡らしている。日野に頭はない、故に見えていない筈なのに、真っすぐに生徒たちの元へとやって来る。
「逃げろ……光留早く、山形たちの所へ……」
よろりと雪成が階段の前に立ち塞がる、だが日野の巨躯の前では壁役にもならない。
「う……!」
日野の腕が雪成の首に伸び、そのまま壁に押し付ける。壁に押し付けたままで日野の腕は上へと伸びていく。
「ぅ……」
藻掻きながらも何とか腕を振りほどこうとするが、まるで岩のような日野の腕はびくともしない。
「離せ……!」
光留は持っていたアサルトライフルで日野の背中を思いっきり叩いた。だが、固い皮膚に阻まれ逆に反動で光留はよろけてしまった。
「……げほ……みつ……逃げろ……」
だが、当初の目的は果たせた。日野は雪成の首から手を放すとくるりと向きを変え光留に向かい両手を伸ばした。
「撃て……!」
山形が叫ぶ。ここで日野に向かって撃ち、万が一側にいる雪成に当たってはと思うと手にしているライフルを使うのが躊躇われる。
「あ……」
「撃て……!」
雪成の声に光留は銃口を日野に向けた。だが、引き金に掛けた指が動かない。撃たなければ、そう思った瞬間に横から声が聞こえた。
「二人共伏せてなさい!!」
「?!」
「光留、伏せろ!!」
光留は石川と雪成の声に、慌ててしゃがみ込んだ。雪成は壁に背を当て低い体勢を取る。
「全く、こんな体になってまで動けるとは……」
廊下か駆けてきた石川は日野に向かいアサルトライフルを連射した。
間近で聞こえてくる銃声に、光留は体を小さく目をぎゅっと瞑った。
残弾が少ないことを石川は予め知っていたのだろう、アサルトライフルを打ち切ると直にベルトに刺していた杖を引き抜く。
日野まであと数歩という所で杖の下半分を捨て、鞘のように抜き刃を心臓目掛けて突き刺した。
「……!!!」
日野が吠える。声は聞こえないが、石川にはそれが聞こえた。
体当たりするようにして突き立てた刃は背中まで貫通し、日野の体はそのまま廊下へと沈み込んだ。
「……これで……最期ですね……」
心臓に突き立てた刃は差したままで、日野を見下ろす。指先がまだ微かに動く。
石川はベルトに差したハンドガンを引き抜くと、鎖骨や腹などに残弾を打ち込んだ。
光留が恐る恐る目を開けると、隣には雪成が立っていた。いつのまにこちらへ来たのだろう、分からなかった。
見れば山形と佐田もいる。階段の上の方に視線を向けると、海史がしゃがんでいた。流石にもう動けないのだろう。
「終わりましたね……」
「先生……」
「……全く……どういう原理で動いていたんでしょうかね……はぁ……僕たちも屋上へ行きましょうか……」
「はい、大丈夫ですか?」
「あぁ……大したことはありません」
「……あれ……?もしかして、救援来ましたか……サイレンが聞こえません?」
山形がそう言うと、皆が口を閉じる。
微かにサイレンが聞こえる、それはパトカーと救急車の音だ。
「それにヘリの音も……聞こえますね」
「そうですか?」
「多分屋上に救援部隊が到着したんですね……全く……全部終わったじゃないですか……」
「わぁ、先生、全然大丈夫じゃないじゃないですか!」
へなへなと床へしゃがみ込む石川を心配そうな目が十個覗き込む。
「大丈夫、貧血ですかね……僕よりもひどい怪我人がいますからね……屋上へ行くよりここで待ちましょうか……」
「あ、僕グラウンドへ行って救護の方を連れてきます!」
「あぁ、頼む」
佐田が廊下を走って行く。
「川倉も座ってろよ、お前も大分ヤバいだろ」
「……大丈夫だ」
「全然大丈夫に見えないよ、ゆき……ここ、座って待ってよ」
光留が階段の一段目に座ると、大人しく雪成も隣に座った。山形はそれを見て呆れたようにため息を吐き出した。
「ライフル、オレが持っておく」
「え?」
「……こんなもん、お前が持つ必要ない……」
「……持つよ」
「は?」
「……守られてばかりじゃいやだ、オレだってお前を守りたいし……オレは……一人じゃやだよ、雪成と一緒に生きたいよ」
あの時、生きろと言われた。
生き抜こうと思った。だけど、それは一人ではない。
だからこうして戻ってきた。大事な幼馴染と共に生きたいから。
「ゆきは違うの?」
真っすぐに見つめれば、雪成は力が抜けたように目を細め弱々しく笑った。
「……オレもだよ」
「海史……!!」
階段の上の方で声がする。皆がそちらを見れば、鈴木と皆川の二人が降りてきたところだった。
「まな……うわ!何だよ、わ、おい!……泣いてるのか……?あ〜もうほんと、お前は……」
「……泣いてない……」
見れば真叶が海史に抱きついている。あまりの力強さに海史が文句を言っているようだが、真叶は聞いていないようだ。隣で鈴木も二人に混ざるように肩を抱き、友の生存を喜び笑っている。
陽はすっかり傾いたのか、オレンジ色の陽光が窓から皆に降り注ぐ。
「……ゆき」
「ん?」
「……オレも狩人になる」
「は?」
「自分のことは自分で守る、これからもゆきの隣にいたいからだよ」
「……駄目って言っても聞かない顔だな……」
「分かってるじゃん」
「何年幼馴染やってると思ってるんだよ……はぁ……」
雪成は自分の膝に頭を埋めるように俯いた。
「ゆき……」
「……お前が生きていてくれて本当によかった……」
「それはこっちの台詞だよ」
「うん……そうなんだな……そうだよな……同じなんだよな……」
「……ゆき、大丈夫?」
呆れたりしている訳ではなく、具合が悪いのではないかと光留は慌てる。
「大丈夫……ただ、ちょっと眠い、疲れた……」
「……ゆっくり休んで」
「……あぁ……」
「起きたら楽しい話をしよう」
「たのしい?」
「うん、未来の話」
うん、微かに聞こえた返事に光留は口元をほころばせる。それは雪成がかつて自分に言ってくれた希望の言葉だ。
家族を失った頃、くれた約束。
明日の約束。
明後日の約束。
それを積み重ねて、時間が過去で止まりそうだった自分を未来に連れてきてくれた。
これからも供に生きられるように。生きたいと思えるように。
隣から小さな寝息が聞こえてきた。
怪我と披露と、心からの安堵が強い眠気を誘ったのだろう。
ことりと雪成の頭が光留の肩にかかる。
「ゆき」
廊下の先から複数の足音が聞こえてくる。待ちに待った救援が来たのだ。
これで終わった訳ではない。
だけど、今は。まずは。
「……ありがとう……」
寝顔なんていつ以来だろうか、優しい笑顔を浮かべ幼馴染の顔を見つめた。
完
