7
「……ごめん……」
こんなことをしている場合ではないのに。我に返ったように頭を上げると、思っていたより近くに雪成の顔がありびっくりする。
「いいんだ……無理するな」
「……う、うん……」
涙を拭っていると、雪成は立ち上がりアサルトライフルを構え直した。
感染者はまだ動こうとしないが、いつ襲われてもおかしくないのに泣いてしまった自分が恥ずかしい。
「走れるか?」
「うん……」
「オレが援護するから、お前は体育館へ走れ」
「……ゆきは……」
「後から行く」
光留も立ち上がり、感染者を見る。五人の生徒たちはじりじりと二人に迫っていた。時折牽制するように撃っても、感染者側の数が多いと分かるのか逃げようとはしない。
「秋山は……」
そう言って校庭の方を見る、光留も釣られるようにして見れば海史は膝を付いて立ち上がろうとしていた。その回りに動いている者はいない。
「……生きてはいるな」
「うん……助けなくちゃ……」
「あいつはオレが助ける、お前は先に避難してくれ」
「……うん」
一人の感染者が飛びかかろうという動きを見せた、雪成はその感染者目掛けてアサルトライフルを連射する。
飛びかかろうとしてきた感染者の足を貫き、隣に並ぶ感染者たちの足元を狙い撃つ。
足を撃たれた者たちは地面に倒れたが、額を撃ち抜いていない為もがきながらも立ち上がろうとしている。
ただの感染者であればこんなに素早く動けないのではないだろうか、テレビで見る情報しか知らないが素人の光留でも対峙する感染者たちには違和感を感じた。
「……川倉……!」
海史の声だ。橋本から奪ったアサルトライフルを引きずりながら、よたよたとこちらへ向かってくる。正面から見ると、あちこちから血が出て、白かったシャツは土埃で汚れていた。
「無理すんな!!」
海史に向かって雪成が叫ぶ。だが聞いていないのか、そのまま歩いてくる。そして、背負ったリュックから何かを取り出している。
顔がはっきりと見える所まで海史が近付くと、彼が何を取り出したのかが分かった。手榴弾だ。先程感染者に向けて投げた物と同じだろう。
「……秋山投げろ!!」
「は?」
「早く、感染者に!」
「もっと逃げろ、巻き込まれるぞ」
「あぁ……光留、走るぞ」
頷くなり雪成は光留の腕を掴み走り出す。引き摺られないように光留も必死に足を動かした。
「投げるぞ!!……もっと距離を取れ!」
感染者が追いかけてきている、背後からの足音で分かる。
「いいから投げろ!!光留、口を閉じて耳を塞げ」
「投げるぞ!」
海史は言われるままに安全ピンを抜くと、感染者に手榴弾を投げつけた。
口を閉じて、耳を?聞き返えす暇などない。分からないなりに唇を引き結び、耳を両手を塞いだ。
「光留!」
名前を呼ばれると背中から全身を覆うように、雪成が被さりながら倒れ込んできた。
「!!」
地面に体を打ちつける衝撃と背後からの爆風は同時だった。一瞬何が怒ったのか分からないくらいの衝撃が体を襲う。
その後、ボトボトと音がして目を開けると黒い塊が地面に落ちてきた。
無意識に目を閉じていたようだ。
多分黒い塊は感染者の体の一部だろう。
「……ゆき……?ゆき……?」
背中に重みを感じ、焦ったように名前を呼ぶ。全体重を掛けていたような重みが半減すると、どさりと隣に雪成が寝転がった。
「ゆき!」
雪成の背中はシャツは破れ、赤くただれていた。腕や足にも火傷をしたような傷が出来ている。
「……おい、大丈夫か?」
地面を引きずるような音と共に海史が来た。彼もあちこち血だらけだ。
「……何とかな……感染者は?」
「一掃出来た」
「そうか……みつる」
「ゆき……」
雪成は仰向けになると、光留の方へ顔を向け弱々しく微笑んだ。
「走れ……」
「ゆき……ゆきも……」
「いい、秋山と後から行く……先に行ってろ」
「でも……」
「佐々木、オレがこいつを連れて行くから先に体育館へ避難してくれ」
「……」
頭にも傷があるのか、額から血が流れ出ている。痛々しいその様を見下ろし、光留は首を振った。
「連れて行く……オレが連れて行くから……」
「だめだ、また……感染者がくるかも……」
「でも」
「……意味がなくなる……お前だけでも体育館へ……行ってくれ」
雪成の手が動き、隣でしゃがんでいる光留の指の先に触れる。その手を強く握ると、思いの外強い力で握り返された。
「……生きろ」
「……ゆき……」
涙が溢れてくる、やだと言いたいのに声が出ない。喉の奥で何かがつかえているみたいに音が出てこない。
「光留を助けたい、お前に生きてほしい……たのむ……」
ぎゅっと一際強い力が込めてから、雪成は手を離した。
「光留」
「うん……うん……ゆき……秋山も、待ってるから……体育館で、まってる、から……」
「大丈夫だ、連れて行く」
秋山が光留の肩を叩き、軽く押してくる。早く避難しろと言う意味だろう。
涙を手の甲で拭い、立ち上がる。
「絶対に体育館に……」
「あぁ」
「秋山、お願い……」
「まかせろ」
海史は強く頷いてくれた。
「……ゆき、先行くよ」
「あぁ」
光留は振り切るように体育館へ向かい走り出した。振り返ったら立ち止まりそうだから、振り返りはしなかった。
また涙が溢れてきた。
だけど、泣いている場合ではない。
「こっちだ、がんばれ……!」
体育館の入口で教師が手を振っている。
転げるように体育館の中へ飛び込むと、直に扉が閉められた。鍵を掛け、再びバリケード用の跳び箱やパイプ椅子などが扉前に寄せられる。
「怪我は?」
「ないです……」
「その血は……?」
「……ゆき……一緒にいた……」
質問してきたのは顔を見たことがある教師だ。まだ息が整わない内からあれこれ聞いてくる。
入口には衝立が立てられ、その奥に生徒の姿が見えた。
「佐々木!」
「……先生……」
「佐伯先生のクラスの?」
「そうです、あとは変わります」
「お願いします」
その場に座り込んだ光留に合わせ、佐伯は床に膝を付いた。
「怪我したのか?」
「いえ、これは……雪成の……先生、まだ外には生徒たちがいます、助けは来ないんですか?警察は?!」
「怪我はないんだな……今タオルと水を持ってくる、もう少しここで休んでいなさい」
「……はい」
光留は立ち上がり、衝立から奥を覗いた。
体育館の中に避難できた生徒の正確な数は分からないが、大半の生徒が避難出来ているように思える。
クラスごとだろうか、三十人前後の集団が列になり大人しく座っている。騒いでいる生徒はおらず、ひそひそとした小声での会話があちこちから聞こえてくる。
皆一様に落ち着かない様子だ。中には泣いている生徒もいる。
体育館の扉付近、バリケードの中には銃を持った教師がいて、窓から外の様子を伺っている。バリケードすぐ横にはテントが張ってある。屋根だけのテントではなく、中が見えないような作りになっている。
その前にも教師が二人いて、時折中の誰かと話をしている。
「佐々木」
佐伯が戻ってきた。手にした濡れたタオルと水のペットボトルを光留に渡し、自らも腰を下ろす。
「川倉と一緒だったのか?」
「はい……先生、あの……」
「まずは体を拭いてくれ、そんな血だらけのまま出ていったら皆が不安がる」
「……はい」
だから入ってきた生徒が直に見えないよう衝立が置いてあるのかと理解する。
受け取ったタオルで顔を吹くとべたりと赤い血が白いタオルに付く。そのまま首や腕などを順番に吹いていく。
「うん、大分ましになったな……制服は向こうのテントの中に予備のものがあるから借りなさい」
「はい」
ペットボトルを開け、水を飲む。一度空き教室の中で飲んだ以来なので喉は渇いていた。半分程をゆっくり時間を掛けて飲む。
その間、佐伯は黙ったままだった。
光留にしても聞いたいことは色々あるが、佐伯も同じだろう。だが、佐伯は現状を先に話してくれた。
「警察には最初の感染者発見の時点で通報した。中々来ないのでもう一度連絡を入れたんだが、他にも感染者が発生しているらしくてな……どうやら、この付近の小中学校でも同様に起きているようだ。それは学校だけじゃなくて病院や商業施設あらゆる場所でだ」
「パンデミック……」
「そうだ、それも六年前起きたのと同等のな……だから警察だけでなく自衛隊なども出ているようだが、対応が追いつかない……特にこの学校だと教師だけでなく……もう知っていると思うが生徒の中にも狩人を置いているから後回しにされているんだと思う」
「そんな……」
ペットボトルがべコリと音を立てる、無意識に手に力が入ってしまったようだ。
「川倉はどうしたんだ……?川倉以外で一緒にいた生徒はいるか?」
「……先生、外にまだいるんです、多分校舎の中にも……それに戦ってくれている奴らも……助けに行かないんですか……?」
生徒の悲痛な訴えを受け、佐伯は苦悶するような表情を浮かべた。
「……ごめんな……オレだって助けに行きたいが……感染者相手に一般人の教師が出来ることはここで皆と警察を待つくらいのことだ」
「……ここに狩人は……」
「既にここの守りで手いっぱいだ……数百人の生徒を守るのに、二十人未満の狩人、しかも生徒も含めてだ……勿論助けに行った先生もいる」
「え……」
「でも、帰って来ない」
「……」
「すまない、佐々木……」
項垂れる佐伯に掛ける言葉が見つからない。自分の命と引換えに感染者の中に入っていけるだろうか。
しかも助けに行った教師は戻って来ない、それでは後が続かないのも頷ける。
「うちのクラスはほとんど揃ってるぞ、聞いたぞベランダから逃がしてくれたって」
「……それはゆきが……」
「お前もクラスの皆のところへ行ってこい、心配しているぞ」
「……はい」
佐伯は立ち上がると、ポンと光留の肩を叩いて教師たちが座っている体育館後方へ向かっていった。
光留は立ち上がると無意識にため息を吐いた。自分の無力感と同時に感じる安堵感に心の中が掻き乱される。
今すぐ助けに行きたいけれど、自分に何ができる?
助かった命を無駄にすることはない。
分かってはいる、でも、だけど。
そんな思考を繰り返しながらテントへ向かう。
「あの、制服を……」
「あぁ、さっきの……ちょっと待っててくれ」
ばさりと開けた瞬間中の様子が見えた。
そこにはマットが敷かれ、横たわる生徒たちがいた。
「これ……中を見たか?」
表情から察したのだろう、険しい表情で問われる。咄嗟に首を振るが、教師はため息を付きながら言った。
「他言無用な……騒ぎを起こしたくない、着替えは隣のテントで」
「……はい」
新しい制服を持ち、隣へと移る。
こちらは屋根だけのテントだ。パイプ椅子が置かれ、放心したような顔で座っている女子生徒がいた。
テントの隅で新しいシャツに着替え、女子生徒へと近付く。
「……大丈夫?具合悪いの?」
「……わたし……噛まれたの……」
一瞬足が止まったが、光留は女子生徒の隣へ腰を下ろした。彼女は震える声で続けた。
「噛まれたの……わたしも……わたしもなの、でも……わたしだけ……」
彼女は顔を覆って泣き出した。
光留にはその理由が何となく分かる気がした、そして彼女が『何者』なのかも理解した。右腕に巻かれた包帯が痛々しい。
上履きの色を見るとまだ彼女が一年生だと知れる。あどけなさの残った顔は今日の残酷な出来事でその無邪気さを奪うだろう。
同じ立場ではあるが掛ける言葉は見つからなかった。まだ納得が出来るわけがないだろう。きっと級友たちは犠牲になり、感染者になったのに。
それなのに自分だけ生き残った。それは何故なのかまだ誰も説明してくれない。
「……今は生きていることを幸運に思った方がいい……たぶんまだ色々考えちゃうと思うけど……」
「……」
膝の上で組んだ手に視線を落としながら、心のうちを吐き出すように光留は語った。
「なんで、どうしてって多分思っていると思う……友達に起きた理不尽な出来事だって納得出来ないと思う……だけど……いつか乗り越えられる日がくるよ」
「……いつか……」
「うん……」
「……わたし……」
「うん」
「……生きられてよかった……」
「……うん」
再び彼女の目には涙が溢れた。
生きられてよかった。自分だけどうして?と自分だけ助かったことに引け目を感じていたのだろう。
今の自分のように。
自分をここへ逃がしてくれた雪成。秋山だってそうだ。
自分が対象者だから。
それだけではないのかも知れないけど。
だけど、オレだってお前に……。
「……」
「?」
光留は椅子から立ち上がった。突然のことに女子生徒は驚いたような顔で見上げてくる、彼女の悲しみ以外の感情がやっと動いた。きっと乗り越えられる、その顔を見て光留はそう感じた。
「オレにはやれることがある」
「……?」
急ぎ足で教師たちの所へ向かう。まずは担任の佐伯を見つけ、先生と呼び掛ける。
「どうした?」
いつもののんびりムードは消え、真剣な表情の佐伯は教え子の様子に戸惑いを見せた。
「助けに行かせてください」
「……なにを」
「オレなら噛まれても感染しません、まだ間に合うと思います、銃を貸してください」
「何を言っているんだ、そんなこと出来るわけないだろう」
「何でですか」
「一般生徒に銃を貸し出せる訳がないと言っているんだ」
周りの教師も二人を囲むように輪になって、光留を諭す。
「そうだぞ、そんなことは出来ない、第一銃だって貸せる程の予備はない」
「ましてや君は対象者だろう、外に出すわけにはいかない」
「佐伯、まだ皆の所へ行ってないだろう、向こうで待っていなさい、そのうち救援が来る」
「でも」
「でもじゃない」
「話は終わりだ、佐伯聞き分けなさい」
各クラスが固まっている方へと背中を押される。まだ納得はしていないが、クラスメイトの状況も知りたかった。
見知った顔を探していると、聞き覚えのある声が光留を呼んだ。
「佐々木!!」
「……川上!」
「よかった、ずっと戻ってこないからどうしたかと思ってたよ……」
立ち上がってこっちだと呼ばれ、川上がいる辺りへ急ぐ。見ればクラスメイトが固まって座っているので三年二組の列なのだろう。
光留が座るのを待ち、川上が質問してくる。
「遅かったな、心配してたんだ……一緒にいた川倉は……?」
「……ゆきは……まだ外にいるんだ……」
「そうか……川倉には感謝している、あの時ベランダへ誘導してくれたから……直ぐには逃げられなかったけど、隣のクラスの山形が感染者をやっつけてくれたんだ」
「……先生たちは、その、山形たちのことは何か言ってた?」
「言ってない……でも、山形が校内に感染者が入ってきた時にはオレたちみたいに応戦出来るのが何人かいるって」
「そっか」
「山形は?」
「いるよ、隣のクラスだから、向こうにいるはず」
「……」
「なぁ」
「ん?」
「川倉もそうなのか?」
「……うん、そうだよ」
光留は立ち上がると、隣のクラスの列を見渡した。
一様に沈んだ顔の者が多い。体育館へ来てから早い者だと三時間近くこの閉鎖された場所で過ごしているのだ。皆まだ不安な顔をしている。
隣のクラスには山形の姿はなかった。
きょろきょろと首を左右に向けながら進んでいると、体育館のステージ寄りに固まっている集団がある。その中に山形の姿があった。
「山形」
「……佐々木」
山形は立とうとして失敗したのか、右手を付きながら座り直した。
「怪我してるのか?」
「あぁ……右足をな……」
「……なぁ、もしかして……ここにいるのは全員狩人なのか……?」
「……そうだ……川倉は?」
「……まだ外」
「……」
山形を含め全員で五人いる。山形以外は見たことがなく、上履きの色を見ると二年が三人、一年が一人。
皆俯いて不安げな様子だ。
「……銃は……あるの?」
小声で聞いてみる。校章入のトートバッグやリュックは見当たらない。もしかしたら教師が預かっているのだろうか。
「先生に渡した」
「……助けに行きたいんだ」
「佐々木」
「オレなら噛まれても感染しない、感染が進んだヤツがいたけど、秋山が手榴弾投げて倒したから普通の感染者しかいない……でも時間が経てば凶暴化が進む」
「秋山も一緒だったのか……だけど」
「オレなら噛まれても感染しない」
もう一度繰り返す。狩人である山形にはその意味が分かる。この場にいた狩人は全員光留の顔を見つめた。
視線を感じ皆を見つめ返すと、下級生たちは目を逸らした。
「……一緒に行ってくれとは言わないよ……ただ、手ぶらで行ってもゆきたちを助けられない」
「川倉と秋山以外に誰がいるんだ?」
「秋山があと、二人くらいいるみたいなこと言ってたけど……」
「秋山は川倉といるのか?」
「……うん、連れて戻るって行ったけど怪我してる……橋本だったかな?感染者になって……秋山がそいつのライフルとかを奪って手榴弾を投げてくれたんだ、それで逃げられたけど……ゆきと秋山は怪我で動けない、校舎にいた狩人が助けに来てくれているといいけど……」
「……」
下級生同士で視線を交わし合っている、多分どうしたらいいか誰か判断するのを待っているのかもしれない。
だが、一緒に来てほしいわけではない。あんな危険な場にいくら狩人という役目があるからと言って、命の保証のない場に連れ出せるとは思わない。
「オレが行く」
「……山形は怪我してるだろ……銃さえ貸してくれれば」
「借りたところで扱えないだろ」
「……なんか、素人でも使えるのないの?」
「……危なすぎるだろ……」
「あの!」
二年生の一人が声を上げた。皆の注目を浴び、一瞬怯んだ表情を見せたが彼は前のめりに話し出した。
「僕が、同行します」
「……」
「佐田……」
「怖いけど……でも……たぶん、このまま先輩を一人で行かせてはきっと一生後悔すると思う……」
他の下級生たちも顔を見合わせ、オレも、僕もと佐田に続いた。
出来たら誰か同行してくれたら心強いとは思っていた。そんな中下級生たちが申し出てくれた、有難いと思うと同時に申し訳なさが募る。同調圧力を感じて同意した者もいるかも知れない。
「無理にとは言わないし、来なかったことを責めたりもしない、だから残ってもいいんだ、わかっていると思うけど命の保証はない」
「……」
「全員で行かなくてもいい、この場に残って万が一に備える必要もある、大体全員で行くことに先生たちは賛成しない」
「山形」
山形が頷く。覚悟を決めた表情をしていた。
「テーピングを直してくる、そのあと先生に体育館にある武器の使用許可を貰ってくる、武器が調達出来たら出る、オレも同行する」
「でも、先輩怪我が……」
「走れないけど歩けない訳じゃない、だから先頭に立ってもらうのは……」
「僕が先頭に立ちます」
「……分かった、頼む」
右足に負担を掛けないように立ち上がり、山形は教師たちが集まる一角へ向かった。
その背中を見送っていた光留だったが、思い立ったように立ち上がり、山形を追った。
「先生」
山形の背後にくっつくようにして首を伸ばし、教師たちの顔を見渡す。
「体育館の鍵の許可を下さい」
「鍵の……?!」
「体育館が一番備蓄が多いはずですよね、まだ解放していないなら……」
「解放して……まさか、外へ行く気か?」
「まだ生徒たちが外にいます、救援が来ないなら行くべきだと思います」
「ちょっと、来なさい」
ここで話しては他の生徒たちに聞かれると思ったのか、衝立と入口の間に引き込まれた。
着いてきたのは光留の担任の佐伯、他に教頭と狩人と思われる教師が二人、もう一人杖を付いた教師である石川も着いてきた。
教師たちの厳しい表情から難しいことを提案しているのは分かる。でも、だからそこそと思いながら懇願する。
「自分がここまで来た時、手前にいた感染者は爆弾でいなくなっています、ただ、怪我で動けなくなっている生徒を助けたいんです……校舎まで行かないので許可を貰えませんか?」
「……まだ外には感染者がいる、狂騒者がいたと言うが他にもいないとは言えないんだぞ」
「だからこそチームで行きます、オレが指揮をとります、あとは二年生が……」
「戻ってこない先生もいるんだ」
佐伯が諭すように言う。
これ以上教師も生徒も失いたくないのだろう。責任とかもあるのかも知れないが、それだけでないことは分かる。
「分かっててゆき……川倉は残りました、オレを生かす為に……でも、オレは助けたい、死なせたくないんです、武器を許可してもらえないなら手持ちだけで行きます」
「……しかし」
「だったらオレ一人で行きます」
「……でしたら……僕が付いて行きます」
石川の発言に注目が集まる。狩人である二人の教師が何か言いかけたのを教頭が手で制す。
この学校へ着任して二年目の若手で、いつも杖を付いている。大学時代に交通事故で右足を骨折して以来杖がないと歩けないと以前授業の時に話していた。担当教科は歴史。
気の弱そうな顔でおずおずとした物言いのため、生徒の一部からは舐められているが、教え方が丁寧で分かりやすく、歳が近いということもありよく生徒の相談に乗っている。
石川は俯きがちに、皆の視線に耐えるよう続けた。
「……生徒だけで行かせる訳にもいきませんし……なので、その、校舎まで行って救出は難しいですが、近くにいる生徒を保護して戻って来るだけならなんとかなると思います……はい」
「先生……貴方が行っても……」
「そうですよ、狩人ではないですよね……?」
「では、佐藤先生か鵜飼先生が行ってくれますか?」
「それは……」
石井の提案に佐藤が詰まる。
いくら教師で狩人であっても、戻ってこない教師がいる以上帰って来られる保証はないのだ。躊躇うのは当然と言えた。
そんな二人を交互に見つめ、石井はにこりと笑った。
「僕が行く、それでいいですよね、教頭先生」
「そうしてください」
「教頭……?」
「ここは石井先生にお任せして……我々はここの守りを固めておきましょう」
「……はい」
「では、先生、保管庫の鍵を」
「あ、はい……」
石川は保管庫の鍵を受け取ると、生徒たちへ視線を向けた。
「では、付いてきてください、武器を調達したらそのまま出ます」
「……はい」
「では、行ってきます」
「くれぐれも気を付けて下さいね、無理だと思ったら直に引き返して下さい」
「はい」
杖を付いた石川の後に付き保管庫のある体育館内の倉庫へ向かう。後を振り返ると心配そうな佐伯と目が合う。いまだ引き留めたそうな顔をしている、その顔に向かい頷けば佐伯は弱々しい笑顔を浮かべた。
倉庫は生徒たちがいる場所からは衝立で見えない。さざ波のような小さな囁き声は倉庫内には届かない、静かで埃っぽい空間だ。
石川は迷わず奥にある扉に向かった。
相変わらず杖を付きながらの歩行だ。これで大丈夫なのだろうか、光留もだが、佐田も同じ意見のようで心配そうに後姿を見ている。ただ、山形だけは胡乱な視線で背中をじっと見つめていた。
体育館に備蓄されている武器が校内最大というのは聞いていたが、何が置いてあるのかは把握していない。だが、教師である石川は知っているのかもしれない。
ドアを開け中に入ると、ここが体育館倉庫ということを忘れるような光景だった。
「まじか……」
山形が若干引き気味に呟く。気持ちは分かる。壁に掛けられたのはライフルや拳銃だけでなく、マシンガンなどもある。さらに長距離向きの大型の銃火器まで置いてある。
「はぁ、ほんと君たちは何を考えているんだか……」
銃を物色しながら、ドア付近にいた生徒たちを振り返る。
教師たちの前で見せていたいつもの萎縮したような顔ではなく、冷たく威圧的な表情だ。
「……!」
生徒たちは石川の突然の豹変に驚くが、そんなのお構いなしとばかりに続ける。
「久保先生が失敗した時点で教師や狩人が残った生徒たちを助けに行くのは諦めたんだ、その判断は……まぁ正しかったと言える。もしここが狂騒者に襲われた時の防衛戦のために残ったと言えるからね。一応救出には行ったと言い訳も立つ、それなのに、わざわざ危険を冒して十数人程の生徒を助けに行くとは……」
「……先生は反対なんですか?」
「反対ですよ、当然でしょう」
「……ではなぜ……」
「何故って……そんなの僕しかこのミションを遂行出来る人間がいないからでしょう、君たちを連れ、尚且取り残された生徒たちを救出し無傷で生還するなんてね」
「……え」
くるりと壁に向き直り、並べられアサルトたライフルを一丁手に取る。
「アサルトライフルは使えますね?」
「え、は、はい」
「人数分ある……あと、防刃ジャケットじゃないだろうから、せめてこの辺にあるプロテクターを付けて……もし噛まれそうになったら付けている面で防いで下さい、感染者なら噛み砕かれることはないでしょうから」
山形、佐田にアサルトライフルを渡すので光留も手を出した。
「佐々木くん」
「はい」
「狩人ではない君を連れて行くのは不本意なのに、なんで狩人でもない君に銃を与えなければならないのです?というか、なんで自分も受け取れると思ったの……」
「オレも戦います」
「素人に銃持たせられるわけないでしょ」
「……でも」
「先生」
そこへ割って入ったのは山形だった。
プロテクターを肘に装着しながら、冷静に質問をする。
「お言葉ですが、素人というのならば先生はどうなんですか?あの場にいた狩人は佐藤先生と鵜飼先生だ、先生は校内の訓練でも見たことがない……何故先生が引率を?」
「良い質問ですね、ですが答える義務はありません」
「は?」
「ただ、僕は教師ですし、さっきも言ったようにこのミッションを成功させられるのは僕だけだ、教頭も許可したのを見ましたよね」
「……教頭先生は先生の正体を知っているってことですか?」
「正体!大袈裟に考え過ぎですね、まぁでもそうですね、そういうことです、心配しなくてもいいですよ、少なくとも佐藤先生、鵜飼先生と一緒に行くよりは生存率は上がります、嫌ならまだ引き返せますよ」
「……」
山形が光留の方を見る。選択肢はない、光留は目だけで頷く。
「……お願いします」
「まぁ、僕が胡散臭いって言うのだけは僕も賛成ですね、だけど心配しないでください、貴方たちの命は守りますから」
「……はい」
「先生じゃあ」
「って、だから、人の話を聞いてました?貴方たち、というか特に佐々木くんの命は守りますよって言ったんですよ?」
石井は呆れたような顔で言う。
「先生、緊急時であれば民間人も感染者に対し駆除行為は認められている筈です」
横から山形が助け舟を出す。
「そうだけど……君は元クラスメイトを撃てるの?」
「……」
「川倉くんを助けたいのは分かるけど……狩人たちはその辺の教育を受けています、だから躊躇わずに……躊躇いはしても駆除することを選べる、だけど」
「オレは雪成を助けたいんです、だから、やります……やらないと、ゆきが死ぬなら……」
「……まぁ、丸腰で行かせるのもとは思いましたけどね……アサルトライフル……連射して弾切れにしないでくださいね、山形くん扱い方を教えてあげて、ハンドガンよりはいいでしょう」
「はい」
石井がアサルトライフルを手渡してくる。テレビの中でしか見たことがなかった銃が自分の手の中にある。約三キロ程だろうか、ずしりとした重量にこれから行く場所がどんな所になるか思い知らされる気がした。
「大丈夫か?」
「……うん、教えてくれ……」
覚悟を決めた顔で頷けば、山形は操作手順を教えてくれた。
「準備はいいですか?」
「先生が先頭ですか?」
「……言いたいことは分かります、えー……これから見ることは秘密にしろとは言いませんが……多分色々言いたいことが出てくると想いますが、いちいち突っ込まれるは面倒なので黙っていてください」
「……はぁ」
「はぁ、ってやる気ない返事しないでくださいよ」
「はい」
「じゃあ、行きますよ」
「はい」
体育倉庫から直接外へ出られるドアがある。体育館の入口とは逆方向にあるので校舎へは遠回りになるが、アサルトライフルを持ったまま体育館の中を通るわけにはいかないので仕方ない。
先頭から石川、光留、佐田、山形の順で壁際に沿う。石川は全員の顔を確認すると、一呼吸後にドアを開けた。
まずは三分の一程度開けて外の様子を見て、その後安全を確認すると走り出した。
石川の後を走る全員が心の中で突っ込まずにはいられなかった。
「走れるのかよ?!」と。
確かに三人からの質問攻めは面倒だろう、だから先に牽制したのかもしれない。
暫し信じられないものを見るように、石川の背中を見ながら走った。
全力疾走という訳では無いが、緊張のためか足が上手く動かない。遅れてしまわないよう懸命に足を動かしていると、急に石川が止まった。
どうやらハンドサインらしきものを出していたようだが、光留には分からなかったので危うく石川の背中にぶつかりそうになった。他の二人は光留の背後で停止していた。
「?」
先頭の石川が辺りをキョロキョロと見回す。まだ体育館を出て十メートルも進んでない。遮蔽物はない。
見える範囲にあるのは自転車置き場と校舎裏の特別棟、その横に食堂の入った建物。
山形たちも同じように周囲を観察している、光留を中心に三人が取り囲む。
「……」
石川が振り返り、頷く。また走り出すが、今度はゆっくりだ。
ザッザッと地面を蹴る音がピタリと止まる、今度は右手で出されたサインの通りに止まれた。
「?」
特別棟横の自転車置き場の影からふらふらと制服姿の女子が現れた。手を前に出し助けを求めているようにも見える。
外傷はなく、肌の色も正常で視線も石川たちを捉えている。
「たすけ……」
パン!と前方で銃声がすると、女生徒は後方へと倒れた。石川の右手にはハンドガンが握られていた。
「……?!」
「先生?!」
「感染してました」
「え……?」
冷静というより、冷酷に見える表情の石川は行きますよと言うなりまた走り出した。
「納得してないみたいですけどね、サーモカメラで確認してます、感染したら身体の中の熱は全て失われます、心臓はまだ動き自我も残っていたかもしれませんが助かりません、感染者になる前に死なせてあげた方がいい」
「サーモカメラ?」
石川はメガネのつるを中指で軽く叩いた。視界が一瞬曇り、また透明になる。
「これです、特集なレンズになってます、ただ遠距離用のものではないので……せいぜい10……20メートル程度ですね、まぁでもほとんどの場合カメラなしでも判別は出来ます、迷った時だけ使ってます」
「……支給品ですか?それ……」
「あまり細かいことは言えません、それより集中してくださいね」
「……」
石川は振り返らず速度を上げた。
先程の女生徒までの距離は約15メートル。ハンドガンの飛距離内ではあるが、正確に額を撃ち抜いていた。
頼もしく思える一方で、いつもと違う雰囲気だからかまるで別人のようでもあり、不気味にも感じる。
「そのまま着いてきてくださいね」
「……あ、はい」
「僕はこれでも教師です、君たちを置いて帰る真似だけはしませんがら、それだけは信じていいですよ、何度でも言いますが君たちの命を守ります」
「……はい」
顔を見られた訳でもないのに、石川は光留からの不信感を器用に感じとっていたようだ。
安心すればいいのかも知れないが、余計に得体が知れなくて怖くなる。だけど、石川の言葉だけは信じたいと思った。
「!」
特別棟の影に隠れ四人は一列に並ぶ。先頭の石川が校舎やグラウンド方面の様子を確認しているのを、息を殺して見守る。
後をちらりと見ると、二年の佐田は緊張で固まった顔なのに対し三年の山形は落ち着いた表情に見える。
この先もしかしたら狂騒者がいるかもしれないと思えば二年生の緊張感が移ったように、身体が強張る。先程の恐怖を思い出したのもある。
それはトラウマ、消えていた記憶を呼び起こす程のものだったのだ。
「グレネードを使ったって言ってましたよね」
「え?」
「手榴弾です」
「あ、はい、それで感染者はいなくなったと思います、そのせいでゆきは怪我をして動けなくなったんですけど……」
秋山のせいではない。そのおかげで光留は逃げることが出来たのだから。
だけど、心残りはある。だからこそこうして救助に来たのだけど。
「……やはり現場用のでないと、校舎の奥まではわかりませんね……」
メガネのツルに指を当てたり離したりを繰り返し、ブツブツと言っていた石川が振り返る。
「この先……見た限りでは誰もいないように思います、ここから校舎まで走って校舎裏で一旦止まります、いいですか?」
一同が頷いたのを確認すると、石川はサブマシンガンを両手で抱え走り出した。
光留たちも後へ続く。校舎までは10メートルもないが、特別棟の前には花壇と花壇の間には腰の高さより低い位のコキアが植えられている。丸みを帯びた枝葉は視界を上手く遮る。等間隔に植えられていた所へこぼれ種で増殖した一帯もあるので、屈んでしまえば視界から隠れることも出来る場所だ。
石川は注意深くそちらを見ていたが、問題ないと踏んだのかそのままその横を通り過ぎて行く。
大分校舎に近付いて来たが、銃声は聞こえない。もう誰も残っていないのだうか。近付くにつれ、嫌な想像が膨らんでいく。
校舎の手前には大量の血痕と肉塊があった。それは手榴弾により破壊された感染者だ。
後から小さな呻き声が聞こえたが、光留はなるべくそちらは見ないようにして走り過ぎる。それよりもそこから続いている血痕が気になる。
校舎裏に着くと、壁に背中を預け息を整えた。二年の佐田はずるずると背を預けたまま床に腰を下ろした。山形は周囲を警戒するように、背後を見ている。
「あの血痕の続きは校舎の方へ向かってますね……スタートの場所からして川倉くんと秋山くんが戻った感じですね……で、ここまで来て壁伝いに校舎の中へ戻った……?三年はまだいるからそこへ戻ったっていうことか?」
石川の言うように壁には血痕が付いている、丁度手形のように見えるのでこの後を伝えば雪成を発見出来るかもしれない。
「……そうですね、鈴木、皆川がいる筈ですから……戻ったのかもですね……」
「戻っているとなると……どこかの教室に立て籠もっている……?」
首だけを出しグラウンドや校舎前を石川が確認する。光留もそっとその影から同じ方面を見るが、そこに広がるのは感染者たちの骸だった。
「……ちょっとここで待機していてください、まだ動く者がいる」
「感染者ですか?」
「安全を確認したら戻ります」
言うなり石川は飛び出していった。
その後姿を追うように校舎裏から残りの二人も顔を出す。
「……」
直に佐田は顔を引っ込めた。みるみる顔色が悪くなっていく。
「……大丈夫?」
「……はい……」
「吐くか?」
「いえ……大丈夫です、今の内に水を飲んでおきます」
「そうだな……それにしても佐々木は大丈夫なのか?気分が悪くなったりとか……」
「え、あぁ、うん、それはない……」
「余裕っていうんじゃないだろうけど……メンタル強いな」
「……」
幼少期の経験や先程雪成との脱出があったからこそ、今こうして落ち着いていられるのだと思う。ただ感染者に遭遇しただけであれば体育館で大人しく助けを待っていたに違いない。
「石川先生謎だな……」
「うん……」
石川は倒れている感染者たちの頭を順に撃ち抜いていく。秋山と雪成は駆除というより、動けなくするために身体の一部を破壊して回っていたのできっとまだ動ける感染者がいたのだろう。
足で感染者の身体を転がし仰向けにし、頭を撃ち抜く。感情のない顔で淡々と。
「……先輩は先生と訓練で会ったことありました?」
「いや……ない……」
考えながら山形が答える。
「……そういえば校内訓練でも石川先生が参加されているのを見たことがない……」
「ですよね、だからさっき先生が引率役に立候補したとき驚きました、先生が狩人だったなんて知らなかったし……」
「だよな……最近免許を取ったにしては落ち着き過ぎてるよな、杖を付いていたのも何でなんだか……」
「……訓練に来ていた警察の特殊部隊の人に雰囲気が似てますよね……」
「言われてみれば……」
山形と佐田は顔を見合わせ、まさかなと笑った。
会話は石川が作業のような駆除を終え、戻って来たので終了した。
「グラウンはこれで安全です、校舎に血痕が続いているので川倉くんと秋山くんでしょうかね、行きましょうか」
「はい」
「……せめて無人偵察機があればもっと早くに済むんけどね……流石に学校への配備は出来ないんでしょうか……」
「ドローンですか?あると便利そうですね」
「まぁ、操縦出来る者がいなければあっても宝の持ち腐れですけどね」
それはそうだと思いながら校舎へ向かう。
ここまでは走っていたが、今度は歩きだ。急ぐ必要はないと思っているのだろうか、安全になったのなら却って急いだ方がいいのではないかと焦る。
「焦らずに行きましょう、いざ開戦となった時に息切れしていては戦えませんよ……生存者がどこにいるのか分からないですからね、向こうから知らせてくれるといいのですが……」
校舎を見上げているので、光留も視線を上げた。だが、どの教室からも人影は見えない。
「グラウンドでの銃声を聞けばどこかの教室に避難していても気付くと思うんですけどね……あ」
「?」
「屋上……ですか……はぁ、そんなところにいるとは……」
屋上を見れば柵に手を掛け手を振っている人物が見える。遠くて誰かは分からないが確かにいる。その人物が背後を振り返ると、柵にはばらばらと生徒たちが集まってきた。
「えーと、狩人は……あれは鈴木くんですかね、流石三年生のリーダーだけありますね、生存者も複数名いそうですね……しかし、秋山くん、川倉くんがいるのかは分からないですね……仕方ない、血痕を頼りに探すしかないか……」
屋上から手を振る鈴木に向かい、山形、佐田は大きく手を振り返している。佐田はほっとしたような表情だ。
秋山が離脱したあと、体育館へ避難するより屋上へ避難することを鈴木が選んだということだろう。屋上ならば救援ヘリでの救出も可能だし、出入り口は一箇所しかないからそこを塞げば安全と言える。
「……屋上組はこのままでいいとして……後は……」
「ーい……おーい!」
上から何か言っているので、全員顔を上げ鈴木を見る。
「生存者は10人です、それ以外皆川、鈴木、小嶋、宮川です!!江東先生と徳間先生もいます」
「秋山と川倉はどうしたー?!」
「秋山とー?」
「川倉だ!!」
鈴木が手招いたのか、ひょこりと皆川が顔を出す。
「いないのか?!」
「校舎の中に戻っているみたいだ!!」
「分かった!こちらも」
「鈴木くんたちはそこにいてください!!」
屋上とのやり取りに石川が割り込む。普段大きな声を出さないので、その声量に驚く。良く通る声は屋上まで届いた。
「こちらで救出に向かいます、君たちは待機、決してそこを動かないように!!!」
「わかりました!」
鈴木に対して皆川が何か言っているようだったが、それを鈴木が手で制している。
「お願いします!」
「わかりました」
石川はもう一度校舎全体を見渡す。サーモカメラも校舎の中までは見渡せないのだろう、諦めたようにメガネのツルを叩いた。
「……まだ感染者がいる可能性がある……一番怖いのは狂騒者が残っている場合です」
「……まだ半日経っていないのにですか?」
「どういうことですか?」
「……狂騒者がいる施設には感染を引き起こすリスクが高いというのは習っていると思います」
「はい、なのでまずは狂騒者を駆除することが最優先されます……まさか、校内の感染は狂騒者がいたから……?」
「生徒たちがパニックにならないように伏せされてますけどね、今日欠席している教師が二名いました、二人共連絡が取れなかったんですけどね、感染者が出たことで欠席については後回しにされたんです、でも体育館へ行く前の見回りの際に見つけました、一人は……死体を喰い荒らされた状態で見つけました」
「……喰い……まさか狂騒者が……それでもう一人の先生は?」
「まだ見つかってません、単に連絡が取れないだけなのか、狂騒者の犠牲になったのか……それとも、その教師が狂騒者となり隠れているのか……狂騒者になっていたとしても一日程度なので凶暴化はしていても知能は隠れる程度です、罠を張ったり言語で騙すような真似は出来ない筈ですから……急に襲ってこない限りは対処可能です」
「……」
「脅かすようなことを言ってすみません、ただ既に校内の狩人に倒されている可能性もありますので……まぁ、半々と言ったところでしょうね……」
「あの……その、見つからない先生ってどなたなんですか?」
「日野先生です」
「……体育教師の?」
「そうです、狂騒者の場合その体型というか体躯は脅威になりますからね……」
「……そうですね……」
日野というのは男子柔道部顧問もやっている男性体育教師だ。重量級の選手だったこともあるので、確かに狂騒者になっていると脅威だ。
一階の昇降口に着いた。下駄箱に倒れ込む形で亡くなっている生徒が数人いた。
「一階で武器があるのは保健室ですが……」
「あの、保健室は秋山たちが既に武器を調達したって言ってました」
「そうですか……となると、こことは逆の……社会化準備室……」
「血痕も……そちらへ向いてますね」
廊下にも下駄箱付近と同じように動かぬ生徒たちが倒れている。石川は時折ハンドガンで背後から頭を撃ち抜きながら進んだ。
奥の方でガタガタと音がした。机が倒れるような音だ。
「……!」
音だけでは何が起きているのか分からない。
全員がその場で立ち止まり音の聞こえた方へ集中する。
一旦止んだ音はまた直に続き、大きな、何かが立て続けに壊れるような音も聞こえた。人の声は全く聞こえない、ただ倒壊音が廊下の奥で聞こえてくるだけ。
石川はハンドガンを構えながら、先程より速度を上げて歩き始めた。その後に遅れないようにしながら、光留たちは続く。
音がしているのは最奥にある社会化準備室からのようだ。ドアの手前には柱があり、もしドアの前に誰かが立っていても廊下からは分からなかった。
あと教室二個分まで来た時、突如教室のドアが開き人影が飛び出してきた。
「!?」
「佐々木くんは壁側でしゃがんで待機」
「は、はい」
ハンドガンで的確に頭を撃ち抜かれ、飛び出してきた感染者は三人共床に倒れた。
他の二人はアサルトライフルを構え光留の前に立ち辺りを警戒したが、感染者が襲ってくることはなかった。
「……まずいかもですね」
「……?」
「狂騒者の感染レベルが進むとどうなるか、狩人なら講習で習っていますよね」
「……習いました……でも今回は……」
「一般的にはある程度狂騒者としての日数経過と経験が必要とされています、実際どの程度かは分かりません、だけどある条件の元狂騒者が一日たらずで鬼人化した例があるにはあるんです」
「鬼人化?」
初めて聞く単語に山形を見れば、振り返って説明してくれた。
「感染者は人間に噛みついてウイルス感染させる、その人間は感染者になる。そして半日以上の経過で狂騒者となり人を襲い喰らう、これは誰でも知っていると思う」
「うん」
「……まず保護区では見られないからニュースにもなっていないけど、狂騒者は二種類に分けられる。人を襲うだけで知能はない狂騒者と……知能というか、知恵を付け自我が芽生える鬼人と呼ばれる者に……だけど、それにはある程度の日数が必要でこんな一日や半日程度で鬼人化することはまずないんだ……」
「でも、鬼人化した……?」
光留も山形も石川に視線を送る。
石川は前を向いたままで重々しく答えた。
「一日で大量の人間を喰らうと鬼人化する……海外の例ですが、逃げ込んだ密室内で感染者が出てしまい……翌日救出された生存者はいませんでした、一人だけ鬼人化していて、あとは……はっきりした人数も分からず十人前後が犠牲になったのではと言われています」
「まさか……」
「日野先生がどこで感染したのかは分かりません、そこから狂騒者になりどれだけの犠牲者が出たのかも……だけど、先程襲ってきた感染者はうちの生徒です、半日も経っていないのであればあんなに俊敏な動きにはならない筈です、鬼人は感染者を操れると言われていますが、どうらや本当みたいですね、実際に対応するのは僕も初めてです」
「……」
石川は背中に背負っていたアサルトライフルを前に抱え直し、ハンドガンは腰のベルトに差し込んだ。邪魔になりそうな杖はまだ肩から提げている。
最後に装備を確認するように、ジャケットの中のポケット内をポンとたたく。
「まだ感染者が出てくるかもですね、教室内の確認をお願いします、僕は準備室へ行きます、日野先生が鬼人化していた場合僕が相手をします、もし生存者がいたら直に救出して脱出してください、僕のことは気にせずとにかく屋上へ、あそこなら狩人の二人いるし体育館へ行くよりは近い……多分校内にいる感染者は鬼人に引き寄せられている筈なのでここ以外にはいないと思います」
「……先生」
「無駄死にするつもりはないです、勝算が高い策はそれです、お願いしますね、くれぐれも無茶はしないように」
「はい」
「佐田、オレが先に教室に入る、援護が必要な場合のみ教室に来てくれ、それまでは佐々木と待機」
「わかりました」
その時準備室の方から咆哮が聞こえた。人間が出す声とは思えない、おぞましい獣の声だった。
「……狂騒者、でしょうね……」
「……ですね……」
「準備室には秋山くんたちがいて襲おうとしているのかもしれないですね、僕が日野先生を何とか隣の教室に連れていきます、その隙に逃げてください」
「……わかりました」
石川が飛び出していく。
山形と佐田は手前の教室から確認するようにドアへと近付く。
「……誰もいないみたいだな……」
教室の中に首を突っ込んだ山形が廊下を振り返る。
隣の教室の前を通り抜けた際にも感染者は出てこなかったので、もう敵は準備室前の狂騒者だけかもしれない。
続けざまに銃声が聞こえる。石川が発砲しているのか、準備室からなのかは分からない。
「グゥワァァァ……!」
重低音のような叫び声に三人は同時に準備室の方を見やる。
石川の前に立っているのは二メートルはあろうかという巨体だ。ボロボロになったシャツにはどす黒い血で汚れている。口の周りも赤く染まっているのを見ればその血のほとんどは犠牲者のものだろう。
濁った目に怒り狂ったような表情は正面に立つ石川に向けられていたが、その視線が背後の三人に向かった。
「な……!」
立ちはだかった石川の左側の壁へとジャンプし、壁を蹴ると背後へ着地するとそのまま三人へと突進してきた。
まさかそんな俊敏な動きが出来るとは誰もが思わなかった、虚を付かれた顔をしたのは一瞬で、石川は直に体を反転させた。
「教室の中へ……!」
すぐさま追いかけた石川が三人へ叫ぶ。そのまま日野の背中に向かいアサルトライフルを連射する。
「グウ……!」
背後からの攻撃に日野が嫌そうに振り返る。距離を詰めた石川はそのまま廊下を蹴り日野の胸元目掛けて両足で蹴り飛ばす。
普段の日野にであれば、これで後に倒れただろうが体中の筋肉が増強された状態なので衝撃で一歩後退しただけだ。
倒れないまでも、尻もちでも付かせればそのまま後頭部へ連射して駆除しようと思ったが駄目だ。石川はやり方を変えることにした。頭部をどうにかすれば駆除出来る。それは感染者でも狂騒者でも変わらない。
ライフルを廊下へ投げ、スーツの中へ手を入れ細いロープのような物を取り出す。
「……君たち、早く教室の中に避難しなさいって!」
ロープの先には尖った重りのような物が付いている。左手でロープの先端を持ち、右手で重りの付いた方をブンブンと回す。
三人は教室に入ろうとしていたが、石川の動きが気になり退避が遅れていたのだ。
「なぁ、入らなくていいのか?!」
山形、佐田は石川がまだ気になるようで光留が教室に入っても続こうとしない。
「だって、狂騒者……鬼人化した狂騒者の倒し方なんて動画にも流れてないんだぜ……今後の参考になるから」
「ですよね……あ〜スマホがあれば撮影出来るのに……」
「……お前たち余裕だな……」
「君たちねぇ!早く入ってなさいって!!」
石川の気が日野から反れる、その隙を付き日野が反転し走り出そうとした。
だが、直に日野の動きは止まった。
ビュンと音がして、日野の左腕にロープが巻き付く。左手でロープを持ったまま、右手でハンドガンを撃つ。
パンパンと乾いた音を立て、弾は日野の太ももの辺りに当たった。
「先生、生徒のことはいいですから僕の相手をしてくださいよ〜」
ぐいっとロープを引っ張るが、日野の体はびくともしない。それは分かっていた、だがこれで逃がすこともない。
ロープで繋がっているということは、石川も日野から逃げられないということだ。
日野はロープを見て何かを考えるようにしながら、じりじりと後退する。
背後にいた二人は慌てて教室に逃げ込んだ。
それを確認して石川は、ロープをぐっと引っ張った。腕が引っ張られたが、日野が倒れるようなことはない。逆に、日野は左手を大きく振り上げた。
「……!」
今度は石川が引っ張られるように前に出る。日野はそれを見て、更に腕に絡まったロープを力任せに頭上へと掲げた。
反動で石川の体が宙に浮くと、日野はそのままロープを投げるように腕を動かした。
石川の体は準備室横の教室のドアへぶつかり、そのまま中へと投げつけられた。
日野は歪んだ笑顔を浮かべ、教室へと入っていった。
「……隣の教室に入った……?」
「何かそんな音がしてるよな」
「じゃあ、今行くしかないか?」
「そうだな」
まずは山形が廊下の様子を見る、先程までいた石川と日野の姿は見当たらなかった。
「いない、行くぞ」
「はい」
「うん」
山形が飛び出した後に続き、光留、佐田が続いて廊下に出る。そこからは全力疾走だ。隣の教室を通り過ぎる際、ドアの隙間からは石川の背中がちらりと見えたがそれ以上確認する余裕はなかった。
準備室の手前で三人は横一列に立ち止まった。中の気配を探るように耳をそばだてていると、準備室の方から物音が聞こえる。微かな足音と、何かにぶつかる音。
「……」
山形がアサルトライフルに手を掛ける。
慌ててその前に出ると、山形が非難するような目をして、光留を退かそうと手を伸ばす。
「…ゆき……!!」
「?!」
準備室のドアから驚いた声が聞こえる、雪成だ。あれから二時間と経っていないというのに、久しぶりの再会のようで泣きそうになる。
石川はロープごと宙に浮く、日野は掴もうと手を伸ばした。
それを見越したように、日野の肩へと着地しそのまま背後へと勢いよく降り立つ。
ロープはまだ繋がったままだ。
日野は左腕を胸の前で曲げた格好で、背後に引っ張られるように自重で上半身がエビ反りになる。堪えきれないように床に膝を付いた。
完全に引き倒しは出来なかったが動きは止まる。
石川は持っていたハンドガンをベルトへ戻すと、肩に提げていた杖の柄を掴み横一線に振る。
すると杖の柄から先がそのまま外れ、内側からは波紋が付いた刃が現れた。
日野は背後で何が起きているのかは分からない。ロープを解けば腕が自由になると分かっているのだろう、空いている右手でロープをほどこうとしている。
だが、ロープがほどかれる前に石川は日野の右腕に刃を突き立てた。
「グゥオ……!」
痛みなどないだろう狂騒者が悲鳴のような声を上げる。
刃を抜き、左手にしていたロープを放す。そのことに日野も気付き、緩んだ拘束に腕の自由が戻った。
だが日野が反撃してくることはなかった。
石川は両手で刀を握ると、日野の首の後を真一文字に切りつけた。
「……?」
日野は何が起きたのか理解出来ない顔のままで、頬が床にべしゃりと付いた。
頭を無くした体は今度こそ倒れた。
「……はぁ……全く……疲れましたね……」
床に転がった杖の半分、鞘の部分を拾い、ちょっと考えて机の上に置く。
スーツのズボンのポケットに手を入れハンカチを取り出すと、刃に付いた血を丁寧に拭き取る。血が拭えたのを確認して、再び鞘を手にし刃を仕舞う。
「あの子たちは逃げましたかね……」
「……ごめん……」
こんなことをしている場合ではないのに。我に返ったように頭を上げると、思っていたより近くに雪成の顔がありびっくりする。
「いいんだ……無理するな」
「……う、うん……」
涙を拭っていると、雪成は立ち上がりアサルトライフルを構え直した。
感染者はまだ動こうとしないが、いつ襲われてもおかしくないのに泣いてしまった自分が恥ずかしい。
「走れるか?」
「うん……」
「オレが援護するから、お前は体育館へ走れ」
「……ゆきは……」
「後から行く」
光留も立ち上がり、感染者を見る。五人の生徒たちはじりじりと二人に迫っていた。時折牽制するように撃っても、感染者側の数が多いと分かるのか逃げようとはしない。
「秋山は……」
そう言って校庭の方を見る、光留も釣られるようにして見れば海史は膝を付いて立ち上がろうとしていた。その回りに動いている者はいない。
「……生きてはいるな」
「うん……助けなくちゃ……」
「あいつはオレが助ける、お前は先に避難してくれ」
「……うん」
一人の感染者が飛びかかろうという動きを見せた、雪成はその感染者目掛けてアサルトライフルを連射する。
飛びかかろうとしてきた感染者の足を貫き、隣に並ぶ感染者たちの足元を狙い撃つ。
足を撃たれた者たちは地面に倒れたが、額を撃ち抜いていない為もがきながらも立ち上がろうとしている。
ただの感染者であればこんなに素早く動けないのではないだろうか、テレビで見る情報しか知らないが素人の光留でも対峙する感染者たちには違和感を感じた。
「……川倉……!」
海史の声だ。橋本から奪ったアサルトライフルを引きずりながら、よたよたとこちらへ向かってくる。正面から見ると、あちこちから血が出て、白かったシャツは土埃で汚れていた。
「無理すんな!!」
海史に向かって雪成が叫ぶ。だが聞いていないのか、そのまま歩いてくる。そして、背負ったリュックから何かを取り出している。
顔がはっきりと見える所まで海史が近付くと、彼が何を取り出したのかが分かった。手榴弾だ。先程感染者に向けて投げた物と同じだろう。
「……秋山投げろ!!」
「は?」
「早く、感染者に!」
「もっと逃げろ、巻き込まれるぞ」
「あぁ……光留、走るぞ」
頷くなり雪成は光留の腕を掴み走り出す。引き摺られないように光留も必死に足を動かした。
「投げるぞ!!……もっと距離を取れ!」
感染者が追いかけてきている、背後からの足音で分かる。
「いいから投げろ!!光留、口を閉じて耳を塞げ」
「投げるぞ!」
海史は言われるままに安全ピンを抜くと、感染者に手榴弾を投げつけた。
口を閉じて、耳を?聞き返えす暇などない。分からないなりに唇を引き結び、耳を両手を塞いだ。
「光留!」
名前を呼ばれると背中から全身を覆うように、雪成が被さりながら倒れ込んできた。
「!!」
地面に体を打ちつける衝撃と背後からの爆風は同時だった。一瞬何が怒ったのか分からないくらいの衝撃が体を襲う。
その後、ボトボトと音がして目を開けると黒い塊が地面に落ちてきた。
無意識に目を閉じていたようだ。
多分黒い塊は感染者の体の一部だろう。
「……ゆき……?ゆき……?」
背中に重みを感じ、焦ったように名前を呼ぶ。全体重を掛けていたような重みが半減すると、どさりと隣に雪成が寝転がった。
「ゆき!」
雪成の背中はシャツは破れ、赤くただれていた。腕や足にも火傷をしたような傷が出来ている。
「……おい、大丈夫か?」
地面を引きずるような音と共に海史が来た。彼もあちこち血だらけだ。
「……何とかな……感染者は?」
「一掃出来た」
「そうか……みつる」
「ゆき……」
雪成は仰向けになると、光留の方へ顔を向け弱々しく微笑んだ。
「走れ……」
「ゆき……ゆきも……」
「いい、秋山と後から行く……先に行ってろ」
「でも……」
「佐々木、オレがこいつを連れて行くから先に体育館へ避難してくれ」
「……」
頭にも傷があるのか、額から血が流れ出ている。痛々しいその様を見下ろし、光留は首を振った。
「連れて行く……オレが連れて行くから……」
「だめだ、また……感染者がくるかも……」
「でも」
「……意味がなくなる……お前だけでも体育館へ……行ってくれ」
雪成の手が動き、隣でしゃがんでいる光留の指の先に触れる。その手を強く握ると、思いの外強い力で握り返された。
「……生きろ」
「……ゆき……」
涙が溢れてくる、やだと言いたいのに声が出ない。喉の奥で何かがつかえているみたいに音が出てこない。
「光留を助けたい、お前に生きてほしい……たのむ……」
ぎゅっと一際強い力が込めてから、雪成は手を離した。
「光留」
「うん……うん……ゆき……秋山も、待ってるから……体育館で、まってる、から……」
「大丈夫だ、連れて行く」
秋山が光留の肩を叩き、軽く押してくる。早く避難しろと言う意味だろう。
涙を手の甲で拭い、立ち上がる。
「絶対に体育館に……」
「あぁ」
「秋山、お願い……」
「まかせろ」
海史は強く頷いてくれた。
「……ゆき、先行くよ」
「あぁ」
光留は振り切るように体育館へ向かい走り出した。振り返ったら立ち止まりそうだから、振り返りはしなかった。
また涙が溢れてきた。
だけど、泣いている場合ではない。
「こっちだ、がんばれ……!」
体育館の入口で教師が手を振っている。
転げるように体育館の中へ飛び込むと、直に扉が閉められた。鍵を掛け、再びバリケード用の跳び箱やパイプ椅子などが扉前に寄せられる。
「怪我は?」
「ないです……」
「その血は……?」
「……ゆき……一緒にいた……」
質問してきたのは顔を見たことがある教師だ。まだ息が整わない内からあれこれ聞いてくる。
入口には衝立が立てられ、その奥に生徒の姿が見えた。
「佐々木!」
「……先生……」
「佐伯先生のクラスの?」
「そうです、あとは変わります」
「お願いします」
その場に座り込んだ光留に合わせ、佐伯は床に膝を付いた。
「怪我したのか?」
「いえ、これは……雪成の……先生、まだ外には生徒たちがいます、助けは来ないんですか?警察は?!」
「怪我はないんだな……今タオルと水を持ってくる、もう少しここで休んでいなさい」
「……はい」
光留は立ち上がり、衝立から奥を覗いた。
体育館の中に避難できた生徒の正確な数は分からないが、大半の生徒が避難出来ているように思える。
クラスごとだろうか、三十人前後の集団が列になり大人しく座っている。騒いでいる生徒はおらず、ひそひそとした小声での会話があちこちから聞こえてくる。
皆一様に落ち着かない様子だ。中には泣いている生徒もいる。
体育館の扉付近、バリケードの中には銃を持った教師がいて、窓から外の様子を伺っている。バリケードすぐ横にはテントが張ってある。屋根だけのテントではなく、中が見えないような作りになっている。
その前にも教師が二人いて、時折中の誰かと話をしている。
「佐々木」
佐伯が戻ってきた。手にした濡れたタオルと水のペットボトルを光留に渡し、自らも腰を下ろす。
「川倉と一緒だったのか?」
「はい……先生、あの……」
「まずは体を拭いてくれ、そんな血だらけのまま出ていったら皆が不安がる」
「……はい」
だから入ってきた生徒が直に見えないよう衝立が置いてあるのかと理解する。
受け取ったタオルで顔を吹くとべたりと赤い血が白いタオルに付く。そのまま首や腕などを順番に吹いていく。
「うん、大分ましになったな……制服は向こうのテントの中に予備のものがあるから借りなさい」
「はい」
ペットボトルを開け、水を飲む。一度空き教室の中で飲んだ以来なので喉は渇いていた。半分程をゆっくり時間を掛けて飲む。
その間、佐伯は黙ったままだった。
光留にしても聞いたいことは色々あるが、佐伯も同じだろう。だが、佐伯は現状を先に話してくれた。
「警察には最初の感染者発見の時点で通報した。中々来ないのでもう一度連絡を入れたんだが、他にも感染者が発生しているらしくてな……どうやら、この付近の小中学校でも同様に起きているようだ。それは学校だけじゃなくて病院や商業施設あらゆる場所でだ」
「パンデミック……」
「そうだ、それも六年前起きたのと同等のな……だから警察だけでなく自衛隊なども出ているようだが、対応が追いつかない……特にこの学校だと教師だけでなく……もう知っていると思うが生徒の中にも狩人を置いているから後回しにされているんだと思う」
「そんな……」
ペットボトルがべコリと音を立てる、無意識に手に力が入ってしまったようだ。
「川倉はどうしたんだ……?川倉以外で一緒にいた生徒はいるか?」
「……先生、外にまだいるんです、多分校舎の中にも……それに戦ってくれている奴らも……助けに行かないんですか……?」
生徒の悲痛な訴えを受け、佐伯は苦悶するような表情を浮かべた。
「……ごめんな……オレだって助けに行きたいが……感染者相手に一般人の教師が出来ることはここで皆と警察を待つくらいのことだ」
「……ここに狩人は……」
「既にここの守りで手いっぱいだ……数百人の生徒を守るのに、二十人未満の狩人、しかも生徒も含めてだ……勿論助けに行った先生もいる」
「え……」
「でも、帰って来ない」
「……」
「すまない、佐々木……」
項垂れる佐伯に掛ける言葉が見つからない。自分の命と引換えに感染者の中に入っていけるだろうか。
しかも助けに行った教師は戻って来ない、それでは後が続かないのも頷ける。
「うちのクラスはほとんど揃ってるぞ、聞いたぞベランダから逃がしてくれたって」
「……それはゆきが……」
「お前もクラスの皆のところへ行ってこい、心配しているぞ」
「……はい」
佐伯は立ち上がると、ポンと光留の肩を叩いて教師たちが座っている体育館後方へ向かっていった。
光留は立ち上がると無意識にため息を吐いた。自分の無力感と同時に感じる安堵感に心の中が掻き乱される。
今すぐ助けに行きたいけれど、自分に何ができる?
助かった命を無駄にすることはない。
分かってはいる、でも、だけど。
そんな思考を繰り返しながらテントへ向かう。
「あの、制服を……」
「あぁ、さっきの……ちょっと待っててくれ」
ばさりと開けた瞬間中の様子が見えた。
そこにはマットが敷かれ、横たわる生徒たちがいた。
「これ……中を見たか?」
表情から察したのだろう、険しい表情で問われる。咄嗟に首を振るが、教師はため息を付きながら言った。
「他言無用な……騒ぎを起こしたくない、着替えは隣のテントで」
「……はい」
新しい制服を持ち、隣へと移る。
こちらは屋根だけのテントだ。パイプ椅子が置かれ、放心したような顔で座っている女子生徒がいた。
テントの隅で新しいシャツに着替え、女子生徒へと近付く。
「……大丈夫?具合悪いの?」
「……わたし……噛まれたの……」
一瞬足が止まったが、光留は女子生徒の隣へ腰を下ろした。彼女は震える声で続けた。
「噛まれたの……わたしも……わたしもなの、でも……わたしだけ……」
彼女は顔を覆って泣き出した。
光留にはその理由が何となく分かる気がした、そして彼女が『何者』なのかも理解した。右腕に巻かれた包帯が痛々しい。
上履きの色を見るとまだ彼女が一年生だと知れる。あどけなさの残った顔は今日の残酷な出来事でその無邪気さを奪うだろう。
同じ立場ではあるが掛ける言葉は見つからなかった。まだ納得が出来るわけがないだろう。きっと級友たちは犠牲になり、感染者になったのに。
それなのに自分だけ生き残った。それは何故なのかまだ誰も説明してくれない。
「……今は生きていることを幸運に思った方がいい……たぶんまだ色々考えちゃうと思うけど……」
「……」
膝の上で組んだ手に視線を落としながら、心のうちを吐き出すように光留は語った。
「なんで、どうしてって多分思っていると思う……友達に起きた理不尽な出来事だって納得出来ないと思う……だけど……いつか乗り越えられる日がくるよ」
「……いつか……」
「うん……」
「……わたし……」
「うん」
「……生きられてよかった……」
「……うん」
再び彼女の目には涙が溢れた。
生きられてよかった。自分だけどうして?と自分だけ助かったことに引け目を感じていたのだろう。
今の自分のように。
自分をここへ逃がしてくれた雪成。秋山だってそうだ。
自分が対象者だから。
それだけではないのかも知れないけど。
だけど、オレだってお前に……。
「……」
「?」
光留は椅子から立ち上がった。突然のことに女子生徒は驚いたような顔で見上げてくる、彼女の悲しみ以外の感情がやっと動いた。きっと乗り越えられる、その顔を見て光留はそう感じた。
「オレにはやれることがある」
「……?」
急ぎ足で教師たちの所へ向かう。まずは担任の佐伯を見つけ、先生と呼び掛ける。
「どうした?」
いつもののんびりムードは消え、真剣な表情の佐伯は教え子の様子に戸惑いを見せた。
「助けに行かせてください」
「……なにを」
「オレなら噛まれても感染しません、まだ間に合うと思います、銃を貸してください」
「何を言っているんだ、そんなこと出来るわけないだろう」
「何でですか」
「一般生徒に銃を貸し出せる訳がないと言っているんだ」
周りの教師も二人を囲むように輪になって、光留を諭す。
「そうだぞ、そんなことは出来ない、第一銃だって貸せる程の予備はない」
「ましてや君は対象者だろう、外に出すわけにはいかない」
「佐伯、まだ皆の所へ行ってないだろう、向こうで待っていなさい、そのうち救援が来る」
「でも」
「でもじゃない」
「話は終わりだ、佐伯聞き分けなさい」
各クラスが固まっている方へと背中を押される。まだ納得はしていないが、クラスメイトの状況も知りたかった。
見知った顔を探していると、聞き覚えのある声が光留を呼んだ。
「佐々木!!」
「……川上!」
「よかった、ずっと戻ってこないからどうしたかと思ってたよ……」
立ち上がってこっちだと呼ばれ、川上がいる辺りへ急ぐ。見ればクラスメイトが固まって座っているので三年二組の列なのだろう。
光留が座るのを待ち、川上が質問してくる。
「遅かったな、心配してたんだ……一緒にいた川倉は……?」
「……ゆきは……まだ外にいるんだ……」
「そうか……川倉には感謝している、あの時ベランダへ誘導してくれたから……直ぐには逃げられなかったけど、隣のクラスの山形が感染者をやっつけてくれたんだ」
「……先生たちは、その、山形たちのことは何か言ってた?」
「言ってない……でも、山形が校内に感染者が入ってきた時にはオレたちみたいに応戦出来るのが何人かいるって」
「そっか」
「山形は?」
「いるよ、隣のクラスだから、向こうにいるはず」
「……」
「なぁ」
「ん?」
「川倉もそうなのか?」
「……うん、そうだよ」
光留は立ち上がると、隣のクラスの列を見渡した。
一様に沈んだ顔の者が多い。体育館へ来てから早い者だと三時間近くこの閉鎖された場所で過ごしているのだ。皆まだ不安な顔をしている。
隣のクラスには山形の姿はなかった。
きょろきょろと首を左右に向けながら進んでいると、体育館のステージ寄りに固まっている集団がある。その中に山形の姿があった。
「山形」
「……佐々木」
山形は立とうとして失敗したのか、右手を付きながら座り直した。
「怪我してるのか?」
「あぁ……右足をな……」
「……なぁ、もしかして……ここにいるのは全員狩人なのか……?」
「……そうだ……川倉は?」
「……まだ外」
「……」
山形を含め全員で五人いる。山形以外は見たことがなく、上履きの色を見ると二年が三人、一年が一人。
皆俯いて不安げな様子だ。
「……銃は……あるの?」
小声で聞いてみる。校章入のトートバッグやリュックは見当たらない。もしかしたら教師が預かっているのだろうか。
「先生に渡した」
「……助けに行きたいんだ」
「佐々木」
「オレなら噛まれても感染しない、感染が進んだヤツがいたけど、秋山が手榴弾投げて倒したから普通の感染者しかいない……でも時間が経てば凶暴化が進む」
「秋山も一緒だったのか……だけど」
「オレなら噛まれても感染しない」
もう一度繰り返す。狩人である山形にはその意味が分かる。この場にいた狩人は全員光留の顔を見つめた。
視線を感じ皆を見つめ返すと、下級生たちは目を逸らした。
「……一緒に行ってくれとは言わないよ……ただ、手ぶらで行ってもゆきたちを助けられない」
「川倉と秋山以外に誰がいるんだ?」
「秋山があと、二人くらいいるみたいなこと言ってたけど……」
「秋山は川倉といるのか?」
「……うん、連れて戻るって行ったけど怪我してる……橋本だったかな?感染者になって……秋山がそいつのライフルとかを奪って手榴弾を投げてくれたんだ、それで逃げられたけど……ゆきと秋山は怪我で動けない、校舎にいた狩人が助けに来てくれているといいけど……」
「……」
下級生同士で視線を交わし合っている、多分どうしたらいいか誰か判断するのを待っているのかもしれない。
だが、一緒に来てほしいわけではない。あんな危険な場にいくら狩人という役目があるからと言って、命の保証のない場に連れ出せるとは思わない。
「オレが行く」
「……山形は怪我してるだろ……銃さえ貸してくれれば」
「借りたところで扱えないだろ」
「……なんか、素人でも使えるのないの?」
「……危なすぎるだろ……」
「あの!」
二年生の一人が声を上げた。皆の注目を浴び、一瞬怯んだ表情を見せたが彼は前のめりに話し出した。
「僕が、同行します」
「……」
「佐田……」
「怖いけど……でも……たぶん、このまま先輩を一人で行かせてはきっと一生後悔すると思う……」
他の下級生たちも顔を見合わせ、オレも、僕もと佐田に続いた。
出来たら誰か同行してくれたら心強いとは思っていた。そんな中下級生たちが申し出てくれた、有難いと思うと同時に申し訳なさが募る。同調圧力を感じて同意した者もいるかも知れない。
「無理にとは言わないし、来なかったことを責めたりもしない、だから残ってもいいんだ、わかっていると思うけど命の保証はない」
「……」
「全員で行かなくてもいい、この場に残って万が一に備える必要もある、大体全員で行くことに先生たちは賛成しない」
「山形」
山形が頷く。覚悟を決めた表情をしていた。
「テーピングを直してくる、そのあと先生に体育館にある武器の使用許可を貰ってくる、武器が調達出来たら出る、オレも同行する」
「でも、先輩怪我が……」
「走れないけど歩けない訳じゃない、だから先頭に立ってもらうのは……」
「僕が先頭に立ちます」
「……分かった、頼む」
右足に負担を掛けないように立ち上がり、山形は教師たちが集まる一角へ向かった。
その背中を見送っていた光留だったが、思い立ったように立ち上がり、山形を追った。
「先生」
山形の背後にくっつくようにして首を伸ばし、教師たちの顔を見渡す。
「体育館の鍵の許可を下さい」
「鍵の……?!」
「体育館が一番備蓄が多いはずですよね、まだ解放していないなら……」
「解放して……まさか、外へ行く気か?」
「まだ生徒たちが外にいます、救援が来ないなら行くべきだと思います」
「ちょっと、来なさい」
ここで話しては他の生徒たちに聞かれると思ったのか、衝立と入口の間に引き込まれた。
着いてきたのは光留の担任の佐伯、他に教頭と狩人と思われる教師が二人、もう一人杖を付いた教師である石川も着いてきた。
教師たちの厳しい表情から難しいことを提案しているのは分かる。でも、だからそこそと思いながら懇願する。
「自分がここまで来た時、手前にいた感染者は爆弾でいなくなっています、ただ、怪我で動けなくなっている生徒を助けたいんです……校舎まで行かないので許可を貰えませんか?」
「……まだ外には感染者がいる、狂騒者がいたと言うが他にもいないとは言えないんだぞ」
「だからこそチームで行きます、オレが指揮をとります、あとは二年生が……」
「戻ってこない先生もいるんだ」
佐伯が諭すように言う。
これ以上教師も生徒も失いたくないのだろう。責任とかもあるのかも知れないが、それだけでないことは分かる。
「分かっててゆき……川倉は残りました、オレを生かす為に……でも、オレは助けたい、死なせたくないんです、武器を許可してもらえないなら手持ちだけで行きます」
「……しかし」
「だったらオレ一人で行きます」
「……でしたら……僕が付いて行きます」
石川の発言に注目が集まる。狩人である二人の教師が何か言いかけたのを教頭が手で制す。
この学校へ着任して二年目の若手で、いつも杖を付いている。大学時代に交通事故で右足を骨折して以来杖がないと歩けないと以前授業の時に話していた。担当教科は歴史。
気の弱そうな顔でおずおずとした物言いのため、生徒の一部からは舐められているが、教え方が丁寧で分かりやすく、歳が近いということもありよく生徒の相談に乗っている。
石川は俯きがちに、皆の視線に耐えるよう続けた。
「……生徒だけで行かせる訳にもいきませんし……なので、その、校舎まで行って救出は難しいですが、近くにいる生徒を保護して戻って来るだけならなんとかなると思います……はい」
「先生……貴方が行っても……」
「そうですよ、狩人ではないですよね……?」
「では、佐藤先生か鵜飼先生が行ってくれますか?」
「それは……」
石井の提案に佐藤が詰まる。
いくら教師で狩人であっても、戻ってこない教師がいる以上帰って来られる保証はないのだ。躊躇うのは当然と言えた。
そんな二人を交互に見つめ、石井はにこりと笑った。
「僕が行く、それでいいですよね、教頭先生」
「そうしてください」
「教頭……?」
「ここは石井先生にお任せして……我々はここの守りを固めておきましょう」
「……はい」
「では、先生、保管庫の鍵を」
「あ、はい……」
石川は保管庫の鍵を受け取ると、生徒たちへ視線を向けた。
「では、付いてきてください、武器を調達したらそのまま出ます」
「……はい」
「では、行ってきます」
「くれぐれも気を付けて下さいね、無理だと思ったら直に引き返して下さい」
「はい」
杖を付いた石川の後に付き保管庫のある体育館内の倉庫へ向かう。後を振り返ると心配そうな佐伯と目が合う。いまだ引き留めたそうな顔をしている、その顔に向かい頷けば佐伯は弱々しい笑顔を浮かべた。
倉庫は生徒たちがいる場所からは衝立で見えない。さざ波のような小さな囁き声は倉庫内には届かない、静かで埃っぽい空間だ。
石川は迷わず奥にある扉に向かった。
相変わらず杖を付きながらの歩行だ。これで大丈夫なのだろうか、光留もだが、佐田も同じ意見のようで心配そうに後姿を見ている。ただ、山形だけは胡乱な視線で背中をじっと見つめていた。
体育館に備蓄されている武器が校内最大というのは聞いていたが、何が置いてあるのかは把握していない。だが、教師である石川は知っているのかもしれない。
ドアを開け中に入ると、ここが体育館倉庫ということを忘れるような光景だった。
「まじか……」
山形が若干引き気味に呟く。気持ちは分かる。壁に掛けられたのはライフルや拳銃だけでなく、マシンガンなどもある。さらに長距離向きの大型の銃火器まで置いてある。
「はぁ、ほんと君たちは何を考えているんだか……」
銃を物色しながら、ドア付近にいた生徒たちを振り返る。
教師たちの前で見せていたいつもの萎縮したような顔ではなく、冷たく威圧的な表情だ。
「……!」
生徒たちは石川の突然の豹変に驚くが、そんなのお構いなしとばかりに続ける。
「久保先生が失敗した時点で教師や狩人が残った生徒たちを助けに行くのは諦めたんだ、その判断は……まぁ正しかったと言える。もしここが狂騒者に襲われた時の防衛戦のために残ったと言えるからね。一応救出には行ったと言い訳も立つ、それなのに、わざわざ危険を冒して十数人程の生徒を助けに行くとは……」
「……先生は反対なんですか?」
「反対ですよ、当然でしょう」
「……ではなぜ……」
「何故って……そんなの僕しかこのミションを遂行出来る人間がいないからでしょう、君たちを連れ、尚且取り残された生徒たちを救出し無傷で生還するなんてね」
「……え」
くるりと壁に向き直り、並べられアサルトたライフルを一丁手に取る。
「アサルトライフルは使えますね?」
「え、は、はい」
「人数分ある……あと、防刃ジャケットじゃないだろうから、せめてこの辺にあるプロテクターを付けて……もし噛まれそうになったら付けている面で防いで下さい、感染者なら噛み砕かれることはないでしょうから」
山形、佐田にアサルトライフルを渡すので光留も手を出した。
「佐々木くん」
「はい」
「狩人ではない君を連れて行くのは不本意なのに、なんで狩人でもない君に銃を与えなければならないのです?というか、なんで自分も受け取れると思ったの……」
「オレも戦います」
「素人に銃持たせられるわけないでしょ」
「……でも」
「先生」
そこへ割って入ったのは山形だった。
プロテクターを肘に装着しながら、冷静に質問をする。
「お言葉ですが、素人というのならば先生はどうなんですか?あの場にいた狩人は佐藤先生と鵜飼先生だ、先生は校内の訓練でも見たことがない……何故先生が引率を?」
「良い質問ですね、ですが答える義務はありません」
「は?」
「ただ、僕は教師ですし、さっきも言ったようにこのミッションを成功させられるのは僕だけだ、教頭も許可したのを見ましたよね」
「……教頭先生は先生の正体を知っているってことですか?」
「正体!大袈裟に考え過ぎですね、まぁでもそうですね、そういうことです、心配しなくてもいいですよ、少なくとも佐藤先生、鵜飼先生と一緒に行くよりは生存率は上がります、嫌ならまだ引き返せますよ」
「……」
山形が光留の方を見る。選択肢はない、光留は目だけで頷く。
「……お願いします」
「まぁ、僕が胡散臭いって言うのだけは僕も賛成ですね、だけど心配しないでください、貴方たちの命は守りますから」
「……はい」
「先生じゃあ」
「って、だから、人の話を聞いてました?貴方たち、というか特に佐々木くんの命は守りますよって言ったんですよ?」
石井は呆れたような顔で言う。
「先生、緊急時であれば民間人も感染者に対し駆除行為は認められている筈です」
横から山形が助け舟を出す。
「そうだけど……君は元クラスメイトを撃てるの?」
「……」
「川倉くんを助けたいのは分かるけど……狩人たちはその辺の教育を受けています、だから躊躇わずに……躊躇いはしても駆除することを選べる、だけど」
「オレは雪成を助けたいんです、だから、やります……やらないと、ゆきが死ぬなら……」
「……まぁ、丸腰で行かせるのもとは思いましたけどね……アサルトライフル……連射して弾切れにしないでくださいね、山形くん扱い方を教えてあげて、ハンドガンよりはいいでしょう」
「はい」
石井がアサルトライフルを手渡してくる。テレビの中でしか見たことがなかった銃が自分の手の中にある。約三キロ程だろうか、ずしりとした重量にこれから行く場所がどんな所になるか思い知らされる気がした。
「大丈夫か?」
「……うん、教えてくれ……」
覚悟を決めた顔で頷けば、山形は操作手順を教えてくれた。
「準備はいいですか?」
「先生が先頭ですか?」
「……言いたいことは分かります、えー……これから見ることは秘密にしろとは言いませんが……多分色々言いたいことが出てくると想いますが、いちいち突っ込まれるは面倒なので黙っていてください」
「……はぁ」
「はぁ、ってやる気ない返事しないでくださいよ」
「はい」
「じゃあ、行きますよ」
「はい」
体育倉庫から直接外へ出られるドアがある。体育館の入口とは逆方向にあるので校舎へは遠回りになるが、アサルトライフルを持ったまま体育館の中を通るわけにはいかないので仕方ない。
先頭から石川、光留、佐田、山形の順で壁際に沿う。石川は全員の顔を確認すると、一呼吸後にドアを開けた。
まずは三分の一程度開けて外の様子を見て、その後安全を確認すると走り出した。
石川の後を走る全員が心の中で突っ込まずにはいられなかった。
「走れるのかよ?!」と。
確かに三人からの質問攻めは面倒だろう、だから先に牽制したのかもしれない。
暫し信じられないものを見るように、石川の背中を見ながら走った。
全力疾走という訳では無いが、緊張のためか足が上手く動かない。遅れてしまわないよう懸命に足を動かしていると、急に石川が止まった。
どうやらハンドサインらしきものを出していたようだが、光留には分からなかったので危うく石川の背中にぶつかりそうになった。他の二人は光留の背後で停止していた。
「?」
先頭の石川が辺りをキョロキョロと見回す。まだ体育館を出て十メートルも進んでない。遮蔽物はない。
見える範囲にあるのは自転車置き場と校舎裏の特別棟、その横に食堂の入った建物。
山形たちも同じように周囲を観察している、光留を中心に三人が取り囲む。
「……」
石川が振り返り、頷く。また走り出すが、今度はゆっくりだ。
ザッザッと地面を蹴る音がピタリと止まる、今度は右手で出されたサインの通りに止まれた。
「?」
特別棟横の自転車置き場の影からふらふらと制服姿の女子が現れた。手を前に出し助けを求めているようにも見える。
外傷はなく、肌の色も正常で視線も石川たちを捉えている。
「たすけ……」
パン!と前方で銃声がすると、女生徒は後方へと倒れた。石川の右手にはハンドガンが握られていた。
「……?!」
「先生?!」
「感染してました」
「え……?」
冷静というより、冷酷に見える表情の石川は行きますよと言うなりまた走り出した。
「納得してないみたいですけどね、サーモカメラで確認してます、感染したら身体の中の熱は全て失われます、心臓はまだ動き自我も残っていたかもしれませんが助かりません、感染者になる前に死なせてあげた方がいい」
「サーモカメラ?」
石川はメガネのつるを中指で軽く叩いた。視界が一瞬曇り、また透明になる。
「これです、特集なレンズになってます、ただ遠距離用のものではないので……せいぜい10……20メートル程度ですね、まぁでもほとんどの場合カメラなしでも判別は出来ます、迷った時だけ使ってます」
「……支給品ですか?それ……」
「あまり細かいことは言えません、それより集中してくださいね」
「……」
石川は振り返らず速度を上げた。
先程の女生徒までの距離は約15メートル。ハンドガンの飛距離内ではあるが、正確に額を撃ち抜いていた。
頼もしく思える一方で、いつもと違う雰囲気だからかまるで別人のようでもあり、不気味にも感じる。
「そのまま着いてきてくださいね」
「……あ、はい」
「僕はこれでも教師です、君たちを置いて帰る真似だけはしませんがら、それだけは信じていいですよ、何度でも言いますが君たちの命を守ります」
「……はい」
顔を見られた訳でもないのに、石川は光留からの不信感を器用に感じとっていたようだ。
安心すればいいのかも知れないが、余計に得体が知れなくて怖くなる。だけど、石川の言葉だけは信じたいと思った。
「!」
特別棟の影に隠れ四人は一列に並ぶ。先頭の石川が校舎やグラウンド方面の様子を確認しているのを、息を殺して見守る。
後をちらりと見ると、二年の佐田は緊張で固まった顔なのに対し三年の山形は落ち着いた表情に見える。
この先もしかしたら狂騒者がいるかもしれないと思えば二年生の緊張感が移ったように、身体が強張る。先程の恐怖を思い出したのもある。
それはトラウマ、消えていた記憶を呼び起こす程のものだったのだ。
「グレネードを使ったって言ってましたよね」
「え?」
「手榴弾です」
「あ、はい、それで感染者はいなくなったと思います、そのせいでゆきは怪我をして動けなくなったんですけど……」
秋山のせいではない。そのおかげで光留は逃げることが出来たのだから。
だけど、心残りはある。だからこそこうして救助に来たのだけど。
「……やはり現場用のでないと、校舎の奥まではわかりませんね……」
メガネのツルに指を当てたり離したりを繰り返し、ブツブツと言っていた石川が振り返る。
「この先……見た限りでは誰もいないように思います、ここから校舎まで走って校舎裏で一旦止まります、いいですか?」
一同が頷いたのを確認すると、石川はサブマシンガンを両手で抱え走り出した。
光留たちも後へ続く。校舎までは10メートルもないが、特別棟の前には花壇と花壇の間には腰の高さより低い位のコキアが植えられている。丸みを帯びた枝葉は視界を上手く遮る。等間隔に植えられていた所へこぼれ種で増殖した一帯もあるので、屈んでしまえば視界から隠れることも出来る場所だ。
石川は注意深くそちらを見ていたが、問題ないと踏んだのかそのままその横を通り過ぎて行く。
大分校舎に近付いて来たが、銃声は聞こえない。もう誰も残っていないのだうか。近付くにつれ、嫌な想像が膨らんでいく。
校舎の手前には大量の血痕と肉塊があった。それは手榴弾により破壊された感染者だ。
後から小さな呻き声が聞こえたが、光留はなるべくそちらは見ないようにして走り過ぎる。それよりもそこから続いている血痕が気になる。
校舎裏に着くと、壁に背中を預け息を整えた。二年の佐田はずるずると背を預けたまま床に腰を下ろした。山形は周囲を警戒するように、背後を見ている。
「あの血痕の続きは校舎の方へ向かってますね……スタートの場所からして川倉くんと秋山くんが戻った感じですね……で、ここまで来て壁伝いに校舎の中へ戻った……?三年はまだいるからそこへ戻ったっていうことか?」
石川の言うように壁には血痕が付いている、丁度手形のように見えるのでこの後を伝えば雪成を発見出来るかもしれない。
「……そうですね、鈴木、皆川がいる筈ですから……戻ったのかもですね……」
「戻っているとなると……どこかの教室に立て籠もっている……?」
首だけを出しグラウンドや校舎前を石川が確認する。光留もそっとその影から同じ方面を見るが、そこに広がるのは感染者たちの骸だった。
「……ちょっとここで待機していてください、まだ動く者がいる」
「感染者ですか?」
「安全を確認したら戻ります」
言うなり石川は飛び出していった。
その後姿を追うように校舎裏から残りの二人も顔を出す。
「……」
直に佐田は顔を引っ込めた。みるみる顔色が悪くなっていく。
「……大丈夫?」
「……はい……」
「吐くか?」
「いえ……大丈夫です、今の内に水を飲んでおきます」
「そうだな……それにしても佐々木は大丈夫なのか?気分が悪くなったりとか……」
「え、あぁ、うん、それはない……」
「余裕っていうんじゃないだろうけど……メンタル強いな」
「……」
幼少期の経験や先程雪成との脱出があったからこそ、今こうして落ち着いていられるのだと思う。ただ感染者に遭遇しただけであれば体育館で大人しく助けを待っていたに違いない。
「石川先生謎だな……」
「うん……」
石川は倒れている感染者たちの頭を順に撃ち抜いていく。秋山と雪成は駆除というより、動けなくするために身体の一部を破壊して回っていたのできっとまだ動ける感染者がいたのだろう。
足で感染者の身体を転がし仰向けにし、頭を撃ち抜く。感情のない顔で淡々と。
「……先輩は先生と訓練で会ったことありました?」
「いや……ない……」
考えながら山形が答える。
「……そういえば校内訓練でも石川先生が参加されているのを見たことがない……」
「ですよね、だからさっき先生が引率役に立候補したとき驚きました、先生が狩人だったなんて知らなかったし……」
「だよな……最近免許を取ったにしては落ち着き過ぎてるよな、杖を付いていたのも何でなんだか……」
「……訓練に来ていた警察の特殊部隊の人に雰囲気が似てますよね……」
「言われてみれば……」
山形と佐田は顔を見合わせ、まさかなと笑った。
会話は石川が作業のような駆除を終え、戻って来たので終了した。
「グラウンはこれで安全です、校舎に血痕が続いているので川倉くんと秋山くんでしょうかね、行きましょうか」
「はい」
「……せめて無人偵察機があればもっと早くに済むんけどね……流石に学校への配備は出来ないんでしょうか……」
「ドローンですか?あると便利そうですね」
「まぁ、操縦出来る者がいなければあっても宝の持ち腐れですけどね」
それはそうだと思いながら校舎へ向かう。
ここまでは走っていたが、今度は歩きだ。急ぐ必要はないと思っているのだろうか、安全になったのなら却って急いだ方がいいのではないかと焦る。
「焦らずに行きましょう、いざ開戦となった時に息切れしていては戦えませんよ……生存者がどこにいるのか分からないですからね、向こうから知らせてくれるといいのですが……」
校舎を見上げているので、光留も視線を上げた。だが、どの教室からも人影は見えない。
「グラウンドでの銃声を聞けばどこかの教室に避難していても気付くと思うんですけどね……あ」
「?」
「屋上……ですか……はぁ、そんなところにいるとは……」
屋上を見れば柵に手を掛け手を振っている人物が見える。遠くて誰かは分からないが確かにいる。その人物が背後を振り返ると、柵にはばらばらと生徒たちが集まってきた。
「えーと、狩人は……あれは鈴木くんですかね、流石三年生のリーダーだけありますね、生存者も複数名いそうですね……しかし、秋山くん、川倉くんがいるのかは分からないですね……仕方ない、血痕を頼りに探すしかないか……」
屋上から手を振る鈴木に向かい、山形、佐田は大きく手を振り返している。佐田はほっとしたような表情だ。
秋山が離脱したあと、体育館へ避難するより屋上へ避難することを鈴木が選んだということだろう。屋上ならば救援ヘリでの救出も可能だし、出入り口は一箇所しかないからそこを塞げば安全と言える。
「……屋上組はこのままでいいとして……後は……」
「ーい……おーい!」
上から何か言っているので、全員顔を上げ鈴木を見る。
「生存者は10人です、それ以外皆川、鈴木、小嶋、宮川です!!江東先生と徳間先生もいます」
「秋山と川倉はどうしたー?!」
「秋山とー?」
「川倉だ!!」
鈴木が手招いたのか、ひょこりと皆川が顔を出す。
「いないのか?!」
「校舎の中に戻っているみたいだ!!」
「分かった!こちらも」
「鈴木くんたちはそこにいてください!!」
屋上とのやり取りに石川が割り込む。普段大きな声を出さないので、その声量に驚く。良く通る声は屋上まで届いた。
「こちらで救出に向かいます、君たちは待機、決してそこを動かないように!!!」
「わかりました!」
鈴木に対して皆川が何か言っているようだったが、それを鈴木が手で制している。
「お願いします!」
「わかりました」
石川はもう一度校舎全体を見渡す。サーモカメラも校舎の中までは見渡せないのだろう、諦めたようにメガネのツルを叩いた。
「……まだ感染者がいる可能性がある……一番怖いのは狂騒者が残っている場合です」
「……まだ半日経っていないのにですか?」
「どういうことですか?」
「……狂騒者がいる施設には感染を引き起こすリスクが高いというのは習っていると思います」
「はい、なのでまずは狂騒者を駆除することが最優先されます……まさか、校内の感染は狂騒者がいたから……?」
「生徒たちがパニックにならないように伏せされてますけどね、今日欠席している教師が二名いました、二人共連絡が取れなかったんですけどね、感染者が出たことで欠席については後回しにされたんです、でも体育館へ行く前の見回りの際に見つけました、一人は……死体を喰い荒らされた状態で見つけました」
「……喰い……まさか狂騒者が……それでもう一人の先生は?」
「まだ見つかってません、単に連絡が取れないだけなのか、狂騒者の犠牲になったのか……それとも、その教師が狂騒者となり隠れているのか……狂騒者になっていたとしても一日程度なので凶暴化はしていても知能は隠れる程度です、罠を張ったり言語で騙すような真似は出来ない筈ですから……急に襲ってこない限りは対処可能です」
「……」
「脅かすようなことを言ってすみません、ただ既に校内の狩人に倒されている可能性もありますので……まぁ、半々と言ったところでしょうね……」
「あの……その、見つからない先生ってどなたなんですか?」
「日野先生です」
「……体育教師の?」
「そうです、狂騒者の場合その体型というか体躯は脅威になりますからね……」
「……そうですね……」
日野というのは男子柔道部顧問もやっている男性体育教師だ。重量級の選手だったこともあるので、確かに狂騒者になっていると脅威だ。
一階の昇降口に着いた。下駄箱に倒れ込む形で亡くなっている生徒が数人いた。
「一階で武器があるのは保健室ですが……」
「あの、保健室は秋山たちが既に武器を調達したって言ってました」
「そうですか……となると、こことは逆の……社会化準備室……」
「血痕も……そちらへ向いてますね」
廊下にも下駄箱付近と同じように動かぬ生徒たちが倒れている。石川は時折ハンドガンで背後から頭を撃ち抜きながら進んだ。
奥の方でガタガタと音がした。机が倒れるような音だ。
「……!」
音だけでは何が起きているのか分からない。
全員がその場で立ち止まり音の聞こえた方へ集中する。
一旦止んだ音はまた直に続き、大きな、何かが立て続けに壊れるような音も聞こえた。人の声は全く聞こえない、ただ倒壊音が廊下の奥で聞こえてくるだけ。
石川はハンドガンを構えながら、先程より速度を上げて歩き始めた。その後に遅れないようにしながら、光留たちは続く。
音がしているのは最奥にある社会化準備室からのようだ。ドアの手前には柱があり、もしドアの前に誰かが立っていても廊下からは分からなかった。
あと教室二個分まで来た時、突如教室のドアが開き人影が飛び出してきた。
「!?」
「佐々木くんは壁側でしゃがんで待機」
「は、はい」
ハンドガンで的確に頭を撃ち抜かれ、飛び出してきた感染者は三人共床に倒れた。
他の二人はアサルトライフルを構え光留の前に立ち辺りを警戒したが、感染者が襲ってくることはなかった。
「……まずいかもですね」
「……?」
「狂騒者の感染レベルが進むとどうなるか、狩人なら講習で習っていますよね」
「……習いました……でも今回は……」
「一般的にはある程度狂騒者としての日数経過と経験が必要とされています、実際どの程度かは分かりません、だけどある条件の元狂騒者が一日たらずで鬼人化した例があるにはあるんです」
「鬼人化?」
初めて聞く単語に山形を見れば、振り返って説明してくれた。
「感染者は人間に噛みついてウイルス感染させる、その人間は感染者になる。そして半日以上の経過で狂騒者となり人を襲い喰らう、これは誰でも知っていると思う」
「うん」
「……まず保護区では見られないからニュースにもなっていないけど、狂騒者は二種類に分けられる。人を襲うだけで知能はない狂騒者と……知能というか、知恵を付け自我が芽生える鬼人と呼ばれる者に……だけど、それにはある程度の日数が必要でこんな一日や半日程度で鬼人化することはまずないんだ……」
「でも、鬼人化した……?」
光留も山形も石川に視線を送る。
石川は前を向いたままで重々しく答えた。
「一日で大量の人間を喰らうと鬼人化する……海外の例ですが、逃げ込んだ密室内で感染者が出てしまい……翌日救出された生存者はいませんでした、一人だけ鬼人化していて、あとは……はっきりした人数も分からず十人前後が犠牲になったのではと言われています」
「まさか……」
「日野先生がどこで感染したのかは分かりません、そこから狂騒者になりどれだけの犠牲者が出たのかも……だけど、先程襲ってきた感染者はうちの生徒です、半日も経っていないのであればあんなに俊敏な動きにはならない筈です、鬼人は感染者を操れると言われていますが、どうらや本当みたいですね、実際に対応するのは僕も初めてです」
「……」
石川は背中に背負っていたアサルトライフルを前に抱え直し、ハンドガンは腰のベルトに差し込んだ。邪魔になりそうな杖はまだ肩から提げている。
最後に装備を確認するように、ジャケットの中のポケット内をポンとたたく。
「まだ感染者が出てくるかもですね、教室内の確認をお願いします、僕は準備室へ行きます、日野先生が鬼人化していた場合僕が相手をします、もし生存者がいたら直に救出して脱出してください、僕のことは気にせずとにかく屋上へ、あそこなら狩人の二人いるし体育館へ行くよりは近い……多分校内にいる感染者は鬼人に引き寄せられている筈なのでここ以外にはいないと思います」
「……先生」
「無駄死にするつもりはないです、勝算が高い策はそれです、お願いしますね、くれぐれも無茶はしないように」
「はい」
「佐田、オレが先に教室に入る、援護が必要な場合のみ教室に来てくれ、それまでは佐々木と待機」
「わかりました」
その時準備室の方から咆哮が聞こえた。人間が出す声とは思えない、おぞましい獣の声だった。
「……狂騒者、でしょうね……」
「……ですね……」
「準備室には秋山くんたちがいて襲おうとしているのかもしれないですね、僕が日野先生を何とか隣の教室に連れていきます、その隙に逃げてください」
「……わかりました」
石川が飛び出していく。
山形と佐田は手前の教室から確認するようにドアへと近付く。
「……誰もいないみたいだな……」
教室の中に首を突っ込んだ山形が廊下を振り返る。
隣の教室の前を通り抜けた際にも感染者は出てこなかったので、もう敵は準備室前の狂騒者だけかもしれない。
続けざまに銃声が聞こえる。石川が発砲しているのか、準備室からなのかは分からない。
「グゥワァァァ……!」
重低音のような叫び声に三人は同時に準備室の方を見やる。
石川の前に立っているのは二メートルはあろうかという巨体だ。ボロボロになったシャツにはどす黒い血で汚れている。口の周りも赤く染まっているのを見ればその血のほとんどは犠牲者のものだろう。
濁った目に怒り狂ったような表情は正面に立つ石川に向けられていたが、その視線が背後の三人に向かった。
「な……!」
立ちはだかった石川の左側の壁へとジャンプし、壁を蹴ると背後へ着地するとそのまま三人へと突進してきた。
まさかそんな俊敏な動きが出来るとは誰もが思わなかった、虚を付かれた顔をしたのは一瞬で、石川は直に体を反転させた。
「教室の中へ……!」
すぐさま追いかけた石川が三人へ叫ぶ。そのまま日野の背中に向かいアサルトライフルを連射する。
「グウ……!」
背後からの攻撃に日野が嫌そうに振り返る。距離を詰めた石川はそのまま廊下を蹴り日野の胸元目掛けて両足で蹴り飛ばす。
普段の日野にであれば、これで後に倒れただろうが体中の筋肉が増強された状態なので衝撃で一歩後退しただけだ。
倒れないまでも、尻もちでも付かせればそのまま後頭部へ連射して駆除しようと思ったが駄目だ。石川はやり方を変えることにした。頭部をどうにかすれば駆除出来る。それは感染者でも狂騒者でも変わらない。
ライフルを廊下へ投げ、スーツの中へ手を入れ細いロープのような物を取り出す。
「……君たち、早く教室の中に避難しなさいって!」
ロープの先には尖った重りのような物が付いている。左手でロープの先端を持ち、右手で重りの付いた方をブンブンと回す。
三人は教室に入ろうとしていたが、石川の動きが気になり退避が遅れていたのだ。
「なぁ、入らなくていいのか?!」
山形、佐田は石川がまだ気になるようで光留が教室に入っても続こうとしない。
「だって、狂騒者……鬼人化した狂騒者の倒し方なんて動画にも流れてないんだぜ……今後の参考になるから」
「ですよね……あ〜スマホがあれば撮影出来るのに……」
「……お前たち余裕だな……」
「君たちねぇ!早く入ってなさいって!!」
石川の気が日野から反れる、その隙を付き日野が反転し走り出そうとした。
だが、直に日野の動きは止まった。
ビュンと音がして、日野の左腕にロープが巻き付く。左手でロープを持ったまま、右手でハンドガンを撃つ。
パンパンと乾いた音を立て、弾は日野の太ももの辺りに当たった。
「先生、生徒のことはいいですから僕の相手をしてくださいよ〜」
ぐいっとロープを引っ張るが、日野の体はびくともしない。それは分かっていた、だがこれで逃がすこともない。
ロープで繋がっているということは、石川も日野から逃げられないということだ。
日野はロープを見て何かを考えるようにしながら、じりじりと後退する。
背後にいた二人は慌てて教室に逃げ込んだ。
それを確認して石川は、ロープをぐっと引っ張った。腕が引っ張られたが、日野が倒れるようなことはない。逆に、日野は左手を大きく振り上げた。
「……!」
今度は石川が引っ張られるように前に出る。日野はそれを見て、更に腕に絡まったロープを力任せに頭上へと掲げた。
反動で石川の体が宙に浮くと、日野はそのままロープを投げるように腕を動かした。
石川の体は準備室横の教室のドアへぶつかり、そのまま中へと投げつけられた。
日野は歪んだ笑顔を浮かべ、教室へと入っていった。
「……隣の教室に入った……?」
「何かそんな音がしてるよな」
「じゃあ、今行くしかないか?」
「そうだな」
まずは山形が廊下の様子を見る、先程までいた石川と日野の姿は見当たらなかった。
「いない、行くぞ」
「はい」
「うん」
山形が飛び出した後に続き、光留、佐田が続いて廊下に出る。そこからは全力疾走だ。隣の教室を通り過ぎる際、ドアの隙間からは石川の背中がちらりと見えたがそれ以上確認する余裕はなかった。
準備室の手前で三人は横一列に立ち止まった。中の気配を探るように耳をそばだてていると、準備室の方から物音が聞こえる。微かな足音と、何かにぶつかる音。
「……」
山形がアサルトライフルに手を掛ける。
慌ててその前に出ると、山形が非難するような目をして、光留を退かそうと手を伸ばす。
「…ゆき……!!」
「?!」
準備室のドアから驚いた声が聞こえる、雪成だ。あれから二時間と経っていないというのに、久しぶりの再会のようで泣きそうになる。
石川はロープごと宙に浮く、日野は掴もうと手を伸ばした。
それを見越したように、日野の肩へと着地しそのまま背後へと勢いよく降り立つ。
ロープはまだ繋がったままだ。
日野は左腕を胸の前で曲げた格好で、背後に引っ張られるように自重で上半身がエビ反りになる。堪えきれないように床に膝を付いた。
完全に引き倒しは出来なかったが動きは止まる。
石川は持っていたハンドガンをベルトへ戻すと、肩に提げていた杖の柄を掴み横一線に振る。
すると杖の柄から先がそのまま外れ、内側からは波紋が付いた刃が現れた。
日野は背後で何が起きているのかは分からない。ロープを解けば腕が自由になると分かっているのだろう、空いている右手でロープをほどこうとしている。
だが、ロープがほどかれる前に石川は日野の右腕に刃を突き立てた。
「グゥオ……!」
痛みなどないだろう狂騒者が悲鳴のような声を上げる。
刃を抜き、左手にしていたロープを放す。そのことに日野も気付き、緩んだ拘束に腕の自由が戻った。
だが日野が反撃してくることはなかった。
石川は両手で刀を握ると、日野の首の後を真一文字に切りつけた。
「……?」
日野は何が起きたのか理解出来ない顔のままで、頬が床にべしゃりと付いた。
頭を無くした体は今度こそ倒れた。
「……はぁ……全く……疲れましたね……」
床に転がった杖の半分、鞘の部分を拾い、ちょっと考えて机の上に置く。
スーツのズボンのポケットに手を入れハンカチを取り出すと、刃に付いた血を丁寧に拭き取る。血が拭えたのを確認して、再び鞘を手にし刃を仕舞う。
「あの子たちは逃げましたかね……」
