5
非常階段に続く鉄のドアは案の定施錠されたいたが、雪成は難なく開けてしまう。
学校にある全てのドアの鍵を持っているのでは?と思ったが、今は聞いている場合ではない。
重い鉄製の扉を開けると、顔に風を感じた。秋口のからっとした柔らかいそよ風は光留の心も優しく撫でる。癖っ毛が頭の上でふわふわ靡くのを感じ、そろそろ髪を切るかなどと場違いな考えが頭に浮かぶ。
緩みそうになった気持ちを引き締めるように、唇を固く結ぶ。
「今のところ階段を使っている者はいなそうだ、一気に降りるぞ」
光留が頷いたのを確認するなり、雪成は階段を降り始めた。宣言通りに一気に駆け下りていく。
距離が開かないように光留は必死に足を動かした。初めて降りる非常階段は走りにくいというのに、雪成は平坦な所を走っているのと変わらないスピードで降りていく。
二階までの途中で一度階段は折れ向きを変える、踊り場でも止まることなく駆け下り二階の廊下へと続くドアのある踊り場で一旦雪成は足を止めた。
背後を振り返り光留が付いてきているのを確認するとまた同じスピードで降り始めた。
今のところ見える範囲には誰もいない。
先に地上へ降りた雪成は警戒するように辺りを見渡す。少し遅れて雪成の後へ付いた光留は息が上がっていた。
階段三階分の下り、いつもであれば駆け下りたとて息が上がることはないが、極度の緊張の中の全力疾走だ。呼吸が乱れるのも無理はない。
しかし同じ距離を走ったというのに雪成は息一つ乱すことなく平常時のような呼気を保っている。普段から鍛えているということか。
「大丈夫か?」
「……うん」
「このまま体育館まで駆け抜ける……今の所障害になるようなものは見当たらない……でも、体育館前はどうなっているか分からない」
「うん」
「さっきも言ったが足は絶対に止めるな、もしオレに何かあっても止まらずに体育館へ急げ」
「ゆき!」
「大丈夫だ、それよりお前が負傷してそれを抱えて走る方が大変だ」
「……その時は……」
「そんなことにはならない」
「……」
「その為にオレがいる」
安心させようというのか雪成が笑う。空元気ではなく、確信しているような頼もしさがその目には宿っていた。
「そろそろ行けるか?」
「……うん」
「走るぞ」
言うなり雪成は校舎と、校舎前の花壇の間を平行して走り出す。
非常階段は校舎の右側の一番奥まった所にある。体育館は校舎の左側後方にあるので、非常階段は逆側からの逃走ルートとなっている。
だが、校内は既に感染者が何人も発症していた。そして武器を調達するのに非常階段側の教室に向かわなくてはならなかった。光留にはわからないがこのルートが正しかったのだろう。現にこうして生きている。
それは雪成がいるおかげではあるけれど。
昇降口の前を通ると、倒れている生徒が何人もいる。なるべくそれらを見ないようにして走る。
右手校舎側からは時折悲鳴や銃声がまだ聞こえてくる。その音は近い、だが校舎の中を覗けば足が止まってしまいそうだ。
光留は前を走る雪成の背中だけを見つめ、走った。
「光留」
「……!」
急に雪成が止まったので、光留も慌てて足を止める。名前を呼ばれなかったら背中にぶつかっていたかもしれない。
隣に立てば、何故雪成が停止したのかが分かった。
感染者だ。もう一つの昇降口から感染者がわらわらと出てきた。今までで一番数が多い。
昇降口を過ぎ、校舎を右に曲がれば体育館までは直ぐなのに。
雪成が肩から提げたライフルを正面に構える。何人いるのだろう、ざっと見ただけでも十人以上だ。
「光留、大丈夫だ、オレの後に……後に感染者が来たら教えてくれ」
「うん……分かった……」
背中を合わせるように背後へ回る。直に銃声が聞こえてくる、何発も何発も。腹に響くような音にもう驚きはしないが、直に慣れるものでもない。
二階のベランダから吊るされたカーテンを結んだロープ、それがあちこちに垂れている。クラスメイトは無事逃げられただろうか。
その一本がやけに大きく揺れるので、光留はふと上を見上げた。
「……ゆき……あれ……」
「どうした?」
「うえ……」
「上?」
二人して上を見る、カーテンが何本も垂れ下がるベランダ。その一本を使い誰かが降りてくる。まさか感染者ではあるまい。
上履きのラインは赤、三年だ。逃げてきたということだろうかと考えていると、雪成がその男の名前を呼んだ。
「秋山!」
地上に降りた秋山海史は声の方へ向くと、驚いた顔で光留と雪成を見た。ベランダの真下なので、上からだと二人の存在に気付かなかったようで動揺したような表情だ。
「川倉……!?」
「……秋山?一人か?」
「いや、中で鈴木と皆川と……他にもいるが応戦中だ……他はどうなっているか分かるか?」
秋山と呼ばれたのは何組か分からないが三年生の廊下で見たことがある、以前雪成と話していたのを見かけた。
小柄だが、快活そうな明るい笑顔を覚えている。
怪我をしているのか、首には包帯が巻いてある。
その場にしゃがみ込むと、トートバッグから包帯を取り出し、左足首に巻き始めた。
「戦況は分からない、こっちは単独で動いていた」
「やっぱり無線機は必要だったんじゃないのか……?今更言っても遅いが……こっちはさっき言った二人と宮下、小嶋、あと江東先生、徳間先生がいて多分五組に避難している、あとの狩人は……山形とかはどうしたんだろうな」
「とりあえずそこに……橋本がいる」
「……橋本?あぁ……橋本か……」
橋本って誰だ?と想いながらも、海史の視線の先を追うように感染者たちを見る。
多分彼がそうだろうと目星を付けられたのは、肩からアサルトライフルを提げているからだ。
「感染者は銃を扱えなくなるのか?」
「分からんな……」
「あれ、奪えないか?」
「……正気か?」
よろりと立ち上がり、二人の所までやってくる。
「武器が足りない……オレはハンドガンしか持ってないし弾倉はあと一つ分だ」
「……出来たらこいつを逃がしたい」
「……対象者か?」
「そうだ、佐々木光留、光留、こいつは秋山海史四組だ……お前噛まれたのか?」
いまだに対象者というのは分からないが、雪成は自分を対象者と紹介した。そして海史の首を見て、眉間に皺を寄せ聞く。
「あぁ、足も捻挫してる」
「何回?」
「噛まれたのは……一回、あとは引っ掻かれた」
「……ならまだ大丈夫だな」
「あぁ……多分な」
「光留」
「な、なに?」
急に名前を呼ばれ戸惑う。二人の会話は聞いていても分からない。だが、これが深刻な状態だというのは分かる。
「今から退路を作る、一気に体育館へ走れ」
「川倉」
「何だ」
「お前もだ、せめて体育館の入口が見える所までは一緒に行け」
「……分かった」
「行くぞ」
最初に動いたのは海史だった。怪我をしているとは思えないほど、躊躇いなく感染者の群れの中に突っ込んでいく。
手を伸ばしてきた感染者の腕を取り地面に叩きつけると、右手の銃で頭を撃ち抜く。右側から襲ってきた感染者を回し蹴りで後退させると、左側にいる感染者のシャツを掴み引き倒す。
丁度倒れた所を、雪成は冷静に急所である頭を狙い撃ち抜く。
「わぁ……!!こっちにもまだいる……!」
昇降口から新たに生徒数名が逃げてきた。感染者がいるので、外に出ずに下駄箱の裏に隠れるように戻っていく。
「どこにいたんだ……?化学室にいた生徒がどこかに避難していた?」
「化学室?」
「後で説明する」
「秋山、手榴弾とかないのかよ」
「あればあいつらに投げつけてる」
「……だよな、オレが見つけたリュックの中には入ってなかった……」
「……鈴木が持ってるリュックにはあったな……」
「お前は何で出てきたんだ?」
「……走れないからな、離脱しろって言われた」
「……そうか」
悔しそうに海史が言う。
捻挫のため長時間は走り回れない。だが、体育館までであれば援護しながら逃げることは出来る。
「数が多い、一体一体倒すより、動けなくした方がいい、その間にあいつらと光留を逃がす……鈴木たちが出てきて合流……」
「あー、それな……人数が多いから多分避難を選ぶと思う、出てくるとしても直ぐには無理だろうな……」
「狩人が足りないな……体育館に避難した後は戻ってこないのかもしれないな」
「これが初めての実戦のやつもいるしな……」
「まぁな」
実戦という言葉に光留は雪成の顔を見つめる。これが初めてという訳ではないのか。じゃあ、どこで?いつ?
「……光留」
「……」
「校舎の角まで一緒に走る、その先の安全を確保したらお前は体育館へ走れ」
「ゆき……」
「いいな」
「……」
「半分になったからな、これなら何とかいけるだろ……まずオレが四人片付ける、秋山もあとの三人を頼む、光留は昇降口にいる生徒を呼んで一緒に逃げろ」
「オッケ、オレは橋本のライフルを奪う」
「は?」
「弾切れだ、そっちだって残弾ほとんどないんだろ、上手くすれば手榴弾や弾倉を持ってるかも」
「……まぁな」
トートバッグの中からサバイバルナイフを取り出し、海史はバッグを地面へ投げ捨てた。覚悟を決めた表情に、雪成も同じくリュックからナイフを取り出し背中側のベルトへ差し込む。
「行くぞ……」
今度は雪成が最初に駆け出した。もう弾はないのか、持っていたアサルトライフルを感染者の首の辺りめがけて振り回す。当たりはしたが倒れるまでには至らない。
よろけた感染者が体勢を立て直す前に蹴り倒し、ホルダーに入っていた銃を引き抜き額を撃ち抜く。
この場の感染者だけを狙うなら今の残弾で足りるが、体育館までにどの位感染者がいるか分からないので無駄に使いたくはない。
銃をホルダーに仕舞い、向かってくる感染者の懐に入り地面に投げつける。投げた方向にいた感染者にぶつかり二人はもんどり打って転がった。
光留はただ立ちすくむだけで何も出来なかった。狩人二人も光留の援護など望んでいない、だからタイミングを見て逃げなければいけないのに二人の戦う姿から目が離せない。
「橋本ぉ!」
海史が突進していく。相手はアサルトライフルを持っているが、それを使う素振りを見せない。感染者は記憶も知能も全てなくなてしまうものなのだろう、感染者を見て悲しくなる。
ラグビーのタックルのように低い姿勢で橋本に体当たりして、そのまま地面に倒す。
橋本が所持しているライフルの紐を掴み、奪おうとするがそれが大事なものだという認識があるのか、橋本は抵抗した。
唸り声を上げ、両手を海史の首に掛け絞め殺そうとする。
「くそ……」
ナイフで橋本の腕を切りつけ、体勢を立て直す。
「……いいヤツだったのになぁ……あぁ、いいヤツだったからか、だから助けられない人間でも助けようとしたのか……?」
ぐるるると低い唸り声は威嚇の声に聞こえる。完全に人間性を失ったかつての友。
「秋山!」
「分かってる、きっちりあの世へ送ってやるよ」
「うわぁぁ……!」
「?!」
昇降口へ避難していた先程の生徒たちがバラバラと駆け出してきた。
見れば後方には感染者が数名いる。
「光留、体育館まで走れ!」
「え……」
「秋山」
「あぁ、お前が先導しろ、ここはいいから行け!」
感染者はまだ残っているが、雪成は体育館へ行くことを選択した。
こっちだ!そう言いながら逃げ惑う生徒たちも誘導し、先頭で走り出す。
光留は感染者を大きく迂回するように、校舎側から離れた所から雪成たちを追う。
残った感染者たちは三人。それに今出てきたのが五人。秋山一人に任せられるにだろうか。
足は止めるな。雪成の言葉を思い出す。光留は振り返らずに走った。
雪成たちが校舎を曲がるのが見える、早く追いつかなくては。その一心で校舎を曲がる手前で銃声が聞こえ、思わず立ち止まってしまう。
「……?」
恐る恐る校舎の角を曲がる、体育館まではそこから20メートルたらずだ。
だが、そこには感染者が待ち構えていた。
「……」
雪成がはアサルトライフルを感染者たちに向け連射している。倒そうというより、後退させるのが目的のようだ。その後には青ざめた顔の生徒たちが身を寄せ合っている。
急いで合流しようと一歩踏み出した時、後方で大きな爆発音がして、地面が揺れた。立っていられない程ではないが、雪成も生徒たち、感染者までもが一瞬動きを止める。
「光留、確認してくれ」
「う、うん……」
校舎の影から出て校庭の方を見ると、秋山が蹲っている。少し離れた所々で黒煙が上がっている。その所々というのが、肉塊だと理解するのに時間が掛かった。
「……!」
「どうした?」
「……ば、爆弾……?た、たぶん……」
「……そうか……秋山は?」
「……分からない……」
爆発の距離が近く爆風を浴びたからだろうか、蹲ったまま彼は動かない。
助けに行くべきか、だが、光留の足も地面に根が張ったように動かなかった。
「今の内に体育館へ走れ!」
「は、はい……」
感染者は五人いるが、先程の爆発音とライフルの攻撃で怯んだのか動こうとしない。
このチャンスを雪成は見逃さなかった。
雪成の後に隠れていた生徒たちはバラバラと体育館へ向かい駆けていく。全速力で走る者、焦って足が動かないのかのろのろと走る者、それを引っ張って走る者と様々だ。
「光留!!早く!!!」
爆弾による攻撃で感染者はバラバラになった。その一つ、黒く焼け焦げた手首を見てから体が動かなくなった。
封じていた記憶が流れ込んでくる。
床に落ちた手首。
それは妹の小さな手。
それは、母親が食い千切った手首だ。
「……あぁ……」
何で忘れていたんだろう、何で母親と妹は感染者に殺されたと思ったんだろう。
違う、狂騒者となった母親が妹を殺したんだ。そして母親は警察官に射殺された。
思い出した。小学生の時のことだ。
何で……。
光留は地面に膝を付くように項垂れた。
正気を保つ為、海史の心を守る為、脳が記憶を消していたのだ。
今になり、先程の爆発による感染者の遺体の一部を見て思い出してしまった。
「光留!どうした?大丈夫か?」
体育館へ生徒たちが避難したのを確認すると、雪成が駆け寄ってきた。
顔を上げ幼馴染を見る。あの時もこんな風に心配そうな顔をして自分を見ていた。
「……思い出した…」
「え?」
「……お母さんたちのこと……」
「……」
雪成も同じくしゃがみ込むと、光留の頭を抱え込むようにして抱きしめた。
その温もりに、声を出さずに光留は泣いた。
非常階段に続く鉄のドアは案の定施錠されたいたが、雪成は難なく開けてしまう。
学校にある全てのドアの鍵を持っているのでは?と思ったが、今は聞いている場合ではない。
重い鉄製の扉を開けると、顔に風を感じた。秋口のからっとした柔らかいそよ風は光留の心も優しく撫でる。癖っ毛が頭の上でふわふわ靡くのを感じ、そろそろ髪を切るかなどと場違いな考えが頭に浮かぶ。
緩みそうになった気持ちを引き締めるように、唇を固く結ぶ。
「今のところ階段を使っている者はいなそうだ、一気に降りるぞ」
光留が頷いたのを確認するなり、雪成は階段を降り始めた。宣言通りに一気に駆け下りていく。
距離が開かないように光留は必死に足を動かした。初めて降りる非常階段は走りにくいというのに、雪成は平坦な所を走っているのと変わらないスピードで降りていく。
二階までの途中で一度階段は折れ向きを変える、踊り場でも止まることなく駆け下り二階の廊下へと続くドアのある踊り場で一旦雪成は足を止めた。
背後を振り返り光留が付いてきているのを確認するとまた同じスピードで降り始めた。
今のところ見える範囲には誰もいない。
先に地上へ降りた雪成は警戒するように辺りを見渡す。少し遅れて雪成の後へ付いた光留は息が上がっていた。
階段三階分の下り、いつもであれば駆け下りたとて息が上がることはないが、極度の緊張の中の全力疾走だ。呼吸が乱れるのも無理はない。
しかし同じ距離を走ったというのに雪成は息一つ乱すことなく平常時のような呼気を保っている。普段から鍛えているということか。
「大丈夫か?」
「……うん」
「このまま体育館まで駆け抜ける……今の所障害になるようなものは見当たらない……でも、体育館前はどうなっているか分からない」
「うん」
「さっきも言ったが足は絶対に止めるな、もしオレに何かあっても止まらずに体育館へ急げ」
「ゆき!」
「大丈夫だ、それよりお前が負傷してそれを抱えて走る方が大変だ」
「……その時は……」
「そんなことにはならない」
「……」
「その為にオレがいる」
安心させようというのか雪成が笑う。空元気ではなく、確信しているような頼もしさがその目には宿っていた。
「そろそろ行けるか?」
「……うん」
「走るぞ」
言うなり雪成は校舎と、校舎前の花壇の間を平行して走り出す。
非常階段は校舎の右側の一番奥まった所にある。体育館は校舎の左側後方にあるので、非常階段は逆側からの逃走ルートとなっている。
だが、校内は既に感染者が何人も発症していた。そして武器を調達するのに非常階段側の教室に向かわなくてはならなかった。光留にはわからないがこのルートが正しかったのだろう。現にこうして生きている。
それは雪成がいるおかげではあるけれど。
昇降口の前を通ると、倒れている生徒が何人もいる。なるべくそれらを見ないようにして走る。
右手校舎側からは時折悲鳴や銃声がまだ聞こえてくる。その音は近い、だが校舎の中を覗けば足が止まってしまいそうだ。
光留は前を走る雪成の背中だけを見つめ、走った。
「光留」
「……!」
急に雪成が止まったので、光留も慌てて足を止める。名前を呼ばれなかったら背中にぶつかっていたかもしれない。
隣に立てば、何故雪成が停止したのかが分かった。
感染者だ。もう一つの昇降口から感染者がわらわらと出てきた。今までで一番数が多い。
昇降口を過ぎ、校舎を右に曲がれば体育館までは直ぐなのに。
雪成が肩から提げたライフルを正面に構える。何人いるのだろう、ざっと見ただけでも十人以上だ。
「光留、大丈夫だ、オレの後に……後に感染者が来たら教えてくれ」
「うん……分かった……」
背中を合わせるように背後へ回る。直に銃声が聞こえてくる、何発も何発も。腹に響くような音にもう驚きはしないが、直に慣れるものでもない。
二階のベランダから吊るされたカーテンを結んだロープ、それがあちこちに垂れている。クラスメイトは無事逃げられただろうか。
その一本がやけに大きく揺れるので、光留はふと上を見上げた。
「……ゆき……あれ……」
「どうした?」
「うえ……」
「上?」
二人して上を見る、カーテンが何本も垂れ下がるベランダ。その一本を使い誰かが降りてくる。まさか感染者ではあるまい。
上履きのラインは赤、三年だ。逃げてきたということだろうかと考えていると、雪成がその男の名前を呼んだ。
「秋山!」
地上に降りた秋山海史は声の方へ向くと、驚いた顔で光留と雪成を見た。ベランダの真下なので、上からだと二人の存在に気付かなかったようで動揺したような表情だ。
「川倉……!?」
「……秋山?一人か?」
「いや、中で鈴木と皆川と……他にもいるが応戦中だ……他はどうなっているか分かるか?」
秋山と呼ばれたのは何組か分からないが三年生の廊下で見たことがある、以前雪成と話していたのを見かけた。
小柄だが、快活そうな明るい笑顔を覚えている。
怪我をしているのか、首には包帯が巻いてある。
その場にしゃがみ込むと、トートバッグから包帯を取り出し、左足首に巻き始めた。
「戦況は分からない、こっちは単独で動いていた」
「やっぱり無線機は必要だったんじゃないのか……?今更言っても遅いが……こっちはさっき言った二人と宮下、小嶋、あと江東先生、徳間先生がいて多分五組に避難している、あとの狩人は……山形とかはどうしたんだろうな」
「とりあえずそこに……橋本がいる」
「……橋本?あぁ……橋本か……」
橋本って誰だ?と想いながらも、海史の視線の先を追うように感染者たちを見る。
多分彼がそうだろうと目星を付けられたのは、肩からアサルトライフルを提げているからだ。
「感染者は銃を扱えなくなるのか?」
「分からんな……」
「あれ、奪えないか?」
「……正気か?」
よろりと立ち上がり、二人の所までやってくる。
「武器が足りない……オレはハンドガンしか持ってないし弾倉はあと一つ分だ」
「……出来たらこいつを逃がしたい」
「……対象者か?」
「そうだ、佐々木光留、光留、こいつは秋山海史四組だ……お前噛まれたのか?」
いまだに対象者というのは分からないが、雪成は自分を対象者と紹介した。そして海史の首を見て、眉間に皺を寄せ聞く。
「あぁ、足も捻挫してる」
「何回?」
「噛まれたのは……一回、あとは引っ掻かれた」
「……ならまだ大丈夫だな」
「あぁ……多分な」
「光留」
「な、なに?」
急に名前を呼ばれ戸惑う。二人の会話は聞いていても分からない。だが、これが深刻な状態だというのは分かる。
「今から退路を作る、一気に体育館へ走れ」
「川倉」
「何だ」
「お前もだ、せめて体育館の入口が見える所までは一緒に行け」
「……分かった」
「行くぞ」
最初に動いたのは海史だった。怪我をしているとは思えないほど、躊躇いなく感染者の群れの中に突っ込んでいく。
手を伸ばしてきた感染者の腕を取り地面に叩きつけると、右手の銃で頭を撃ち抜く。右側から襲ってきた感染者を回し蹴りで後退させると、左側にいる感染者のシャツを掴み引き倒す。
丁度倒れた所を、雪成は冷静に急所である頭を狙い撃ち抜く。
「わぁ……!!こっちにもまだいる……!」
昇降口から新たに生徒数名が逃げてきた。感染者がいるので、外に出ずに下駄箱の裏に隠れるように戻っていく。
「どこにいたんだ……?化学室にいた生徒がどこかに避難していた?」
「化学室?」
「後で説明する」
「秋山、手榴弾とかないのかよ」
「あればあいつらに投げつけてる」
「……だよな、オレが見つけたリュックの中には入ってなかった……」
「……鈴木が持ってるリュックにはあったな……」
「お前は何で出てきたんだ?」
「……走れないからな、離脱しろって言われた」
「……そうか」
悔しそうに海史が言う。
捻挫のため長時間は走り回れない。だが、体育館までであれば援護しながら逃げることは出来る。
「数が多い、一体一体倒すより、動けなくした方がいい、その間にあいつらと光留を逃がす……鈴木たちが出てきて合流……」
「あー、それな……人数が多いから多分避難を選ぶと思う、出てくるとしても直ぐには無理だろうな……」
「狩人が足りないな……体育館に避難した後は戻ってこないのかもしれないな」
「これが初めての実戦のやつもいるしな……」
「まぁな」
実戦という言葉に光留は雪成の顔を見つめる。これが初めてという訳ではないのか。じゃあ、どこで?いつ?
「……光留」
「……」
「校舎の角まで一緒に走る、その先の安全を確保したらお前は体育館へ走れ」
「ゆき……」
「いいな」
「……」
「半分になったからな、これなら何とかいけるだろ……まずオレが四人片付ける、秋山もあとの三人を頼む、光留は昇降口にいる生徒を呼んで一緒に逃げろ」
「オッケ、オレは橋本のライフルを奪う」
「は?」
「弾切れだ、そっちだって残弾ほとんどないんだろ、上手くすれば手榴弾や弾倉を持ってるかも」
「……まぁな」
トートバッグの中からサバイバルナイフを取り出し、海史はバッグを地面へ投げ捨てた。覚悟を決めた表情に、雪成も同じくリュックからナイフを取り出し背中側のベルトへ差し込む。
「行くぞ……」
今度は雪成が最初に駆け出した。もう弾はないのか、持っていたアサルトライフルを感染者の首の辺りめがけて振り回す。当たりはしたが倒れるまでには至らない。
よろけた感染者が体勢を立て直す前に蹴り倒し、ホルダーに入っていた銃を引き抜き額を撃ち抜く。
この場の感染者だけを狙うなら今の残弾で足りるが、体育館までにどの位感染者がいるか分からないので無駄に使いたくはない。
銃をホルダーに仕舞い、向かってくる感染者の懐に入り地面に投げつける。投げた方向にいた感染者にぶつかり二人はもんどり打って転がった。
光留はただ立ちすくむだけで何も出来なかった。狩人二人も光留の援護など望んでいない、だからタイミングを見て逃げなければいけないのに二人の戦う姿から目が離せない。
「橋本ぉ!」
海史が突進していく。相手はアサルトライフルを持っているが、それを使う素振りを見せない。感染者は記憶も知能も全てなくなてしまうものなのだろう、感染者を見て悲しくなる。
ラグビーのタックルのように低い姿勢で橋本に体当たりして、そのまま地面に倒す。
橋本が所持しているライフルの紐を掴み、奪おうとするがそれが大事なものだという認識があるのか、橋本は抵抗した。
唸り声を上げ、両手を海史の首に掛け絞め殺そうとする。
「くそ……」
ナイフで橋本の腕を切りつけ、体勢を立て直す。
「……いいヤツだったのになぁ……あぁ、いいヤツだったからか、だから助けられない人間でも助けようとしたのか……?」
ぐるるると低い唸り声は威嚇の声に聞こえる。完全に人間性を失ったかつての友。
「秋山!」
「分かってる、きっちりあの世へ送ってやるよ」
「うわぁぁ……!」
「?!」
昇降口へ避難していた先程の生徒たちがバラバラと駆け出してきた。
見れば後方には感染者が数名いる。
「光留、体育館まで走れ!」
「え……」
「秋山」
「あぁ、お前が先導しろ、ここはいいから行け!」
感染者はまだ残っているが、雪成は体育館へ行くことを選択した。
こっちだ!そう言いながら逃げ惑う生徒たちも誘導し、先頭で走り出す。
光留は感染者を大きく迂回するように、校舎側から離れた所から雪成たちを追う。
残った感染者たちは三人。それに今出てきたのが五人。秋山一人に任せられるにだろうか。
足は止めるな。雪成の言葉を思い出す。光留は振り返らずに走った。
雪成たちが校舎を曲がるのが見える、早く追いつかなくては。その一心で校舎を曲がる手前で銃声が聞こえ、思わず立ち止まってしまう。
「……?」
恐る恐る校舎の角を曲がる、体育館まではそこから20メートルたらずだ。
だが、そこには感染者が待ち構えていた。
「……」
雪成がはアサルトライフルを感染者たちに向け連射している。倒そうというより、後退させるのが目的のようだ。その後には青ざめた顔の生徒たちが身を寄せ合っている。
急いで合流しようと一歩踏み出した時、後方で大きな爆発音がして、地面が揺れた。立っていられない程ではないが、雪成も生徒たち、感染者までもが一瞬動きを止める。
「光留、確認してくれ」
「う、うん……」
校舎の影から出て校庭の方を見ると、秋山が蹲っている。少し離れた所々で黒煙が上がっている。その所々というのが、肉塊だと理解するのに時間が掛かった。
「……!」
「どうした?」
「……ば、爆弾……?た、たぶん……」
「……そうか……秋山は?」
「……分からない……」
爆発の距離が近く爆風を浴びたからだろうか、蹲ったまま彼は動かない。
助けに行くべきか、だが、光留の足も地面に根が張ったように動かなかった。
「今の内に体育館へ走れ!」
「は、はい……」
感染者は五人いるが、先程の爆発音とライフルの攻撃で怯んだのか動こうとしない。
このチャンスを雪成は見逃さなかった。
雪成の後に隠れていた生徒たちはバラバラと体育館へ向かい駆けていく。全速力で走る者、焦って足が動かないのかのろのろと走る者、それを引っ張って走る者と様々だ。
「光留!!早く!!!」
爆弾による攻撃で感染者はバラバラになった。その一つ、黒く焼け焦げた手首を見てから体が動かなくなった。
封じていた記憶が流れ込んでくる。
床に落ちた手首。
それは妹の小さな手。
それは、母親が食い千切った手首だ。
「……あぁ……」
何で忘れていたんだろう、何で母親と妹は感染者に殺されたと思ったんだろう。
違う、狂騒者となった母親が妹を殺したんだ。そして母親は警察官に射殺された。
思い出した。小学生の時のことだ。
何で……。
光留は地面に膝を付くように項垂れた。
正気を保つ為、海史の心を守る為、脳が記憶を消していたのだ。
今になり、先程の爆発による感染者の遺体の一部を見て思い出してしまった。
「光留!どうした?大丈夫か?」
体育館へ生徒たちが避難したのを確認すると、雪成が駆け寄ってきた。
顔を上げ幼馴染を見る。あの時もこんな風に心配そうな顔をして自分を見ていた。
「……思い出した…」
「え?」
「……お母さんたちのこと……」
「……」
雪成も同じくしゃがみ込むと、光留の頭を抱え込むようにして抱きしめた。
その温もりに、声を出さずに光留は泣いた。
