4
「二階にはまだ感染者がいるみたいだな……」
先程三階から降りてきた階段まで下がり、柱の影から廊下を見れば感染者らしき生徒がふらふらと歩いているのが見える。
廊下からだとはっきりと分からないが、教室のドアはしまっている所の方が多そうなのでもしかしたら避難している教室もあるかもしれない。
「さっき銃声が聞こえていたから、狩人がいるのかも」
「合流するか?」
「そうだな……半分まで行くか……特別棟はどうなってるんだろうな」
「そういえば久保先生はどうしたろう?」
「電話、出るか分からないけどしてみるか……」
鈴木がスマホで電話をかけている間、廊下を警戒する。感染者はこちらに気付いていないのか階段側にやってくる様子はない。
「……出ないな……」
「感染者に対応しているのかもしれないな……」
「そうだな……」
「二階はベランダから逃げていたけど、さっきグラウンドから見上げた時にはもう避難はしてなかった、もしかしたらベランダにも感染者が出たのかもしれないな」
「そうなのかもな……今は銃声も聞こえない……とりあえず進んでみるか……」
廊下は三階と同様倒れた生徒が数名いた。うつ伏せで血溜まりの中にいる生徒はきっと狩人が駆除した感染者だと思われる。
まだ動く感染者や生存者がいないか、教室を開けながら進む。
鍵が掛かっているのか開かない教室もあるので、ドアを叩いてみるが反応はない。
このまま廊下を進んで行けば自分たちの教室に戻ることになる。
それならばスマートフォンを持ってこようか。そんなことを考えながら歩いていると、先頭の鈴木が立ち止まった。
ドアの前で振り返り、二人の顔を見て入るぞと親指をドアへ向けて振る。
鍵が空いている教室のようだ。
鈴木が首だけ室内に入れ、確認をする。
「誰もいない」
中に入ると、言われた通り誰もいなかった。だが、ベランダへ通じるガラス戸が開いている。
ベランダへ避難したのか、ベランダから避難したのかは判別がつかない。三階から見た時、ベランダから地上へ避難している生徒たちを見たので前者だろうか。
窓のカーテンは半分取り外されているので、この教室に残っていた生徒たちはカーテンをロープ代わりにして降りたということだ。
一般生徒でも考え付くことだが、非常時にその考えに至るだろうか。もしかしたら狩人が率先してベランダから避難誘導したのかもしれない。
「ベランダへ出てみるか……」
「そうだな」
先程もベランダからの移動で取り残された生徒を発見できたのだ。今回も同じような生徒が発見出来るかもしれない。
「先に、さっき開かなかった教室の方を確認したい」
「分かった」
元来た方向へと鈴木が進んでいく。
その後姿を見ながら、隣に立つ真叶を見上げる。
「真叶、スマホ持ってきた?」
「……忘れてきた」
「同じだ、このままだと四組も五組も通るけど持っていく?」
「鈴木が持っているし、必要ない」
「うーん、そうか?」
「邪魔だ」
「……」
邪魔ではないだろう、とは思うが必要ないと言い切る男にこれ以上何か言っても無駄である。確かに鈴木が持っているので外部との連絡は取れる。
海史は余裕があればスマホを取りに行ってもいいか、そう考えていると鈴木が戻ってきた。
「教室にはバリケードがあって、ベランダは開いていた、向こうの教室に残っている生徒はいないみたいだ……」
「そっか、じゃあ行くか……何か早速感染者が倒れてるけど……狩人たちはどうしたんだろうな……ベランダから避難したってことか?」
「どうなんだろうな……訓練の時は固まって避難していたけど、いざ実戦となるとかなりバラけるんだな……連絡手段を考えないとダメだな」
「な〜、無線機とかあるといいのにな」
「今後の課題だな」
倒れている生徒たちを避けながらベランダを進む。
今日犠牲になったのは何人くらいいるのだろう。今のところ同じクラスの生徒はいなかったが、親しい友人がいる者も多いだろう。
明日からはきっと感染者に対しての考え方ががらりと変わる者が増えるだろう。そして自分たちのように狩人になる生徒も現れるかもしれない。
「お」
三年五組のある一番奥まった教室へ行くと、そこには十人くらいの生徒が残っていた。
「結構いるな」
「おーい!」
ベランダから室内に声を掛ければ、直に一人の男子生徒が駆け寄ってきた。
狩人である三年の小嶋だ。
「お前らも残っていたのか!」
どこかほっとした顔で小嶋が言う。その後からも三年の狩人では唯一の女性の宮下がやって来る。
「鈴木たちも……他の狩人は見た?」
「いや、見てない……ここは?お前達二人だけか?」
「山形と川倉がいたけど、山形は他の三年を連れて逃げられたのかな……分からないけど……川倉は多分対象者じゃないかな、名前なんだっけ……同じクラスの男子と一緒に逃げたよ、上手く体育館へ行けていればいいけど……」
山形は二年の時に一緒のクラスになったことがある。気さくでいい奴だ。そして身内に感染者を殺され、狩人になった。
川倉についてはよく分からない。真叶のように無口であまり自分のことを喋らないからだ。真叶とは違い社交性はあるようで、無口と言えど話しかければ会話は広がるし、廊下で他のクラスの狩人と話したりしているのを見たことがある。
「そっか……」
「ベランダにはもう感染者はいない?」
「あぁ、ベランダにも教室にも今の所見当たらない」
「……そうか……」
小嶋も宮下も安堵したような、和らいだ表情を作った。
ベランダからグラウンドを見下ろす。先程までは避難していた生徒や誘導している教師がいたが、今はいなくなっていた。
校門の先の車道に車はなく、歩道を歩く歩行者の姿も見当たらない。
遠くの方でパトカーや救急車のサイレンは聞こえているが、周辺は静かなものだ。まるで学校だけ取り残されたみたいに。
「警察も混乱しているのかも……」
秋山の視線の先を追ってか、宮下がベランダに出てきて手摺を掴む。
「さっき市の防災アプリに避難指示出てたよ、よく聞こえなかったけど市内に放送もあったみたい……」
「そうなんだ……」
外の空気を吸い、宮下も小嶋も落ち着いた顔付きになってきた。先程まで生徒十人をどう守ろうかと必死に考え、緊張していたのだ。
「はぁ……」
腕を伸ばし、深呼吸をすると宮下は全員の顔を見渡した。
「どうする?」
本来の男勝りの顔が出る。女子柔道部元部長であり、全国大会でも優勝経験のある彼女は海史より体格が良い。
世界大会も経験している彼女は警察からのスカウトで狩人になったと話していた。自身も第一次パンデミックで友人を亡くした経験を持つので、渡りに船だったらしい。
「二人はどうしてここに留まっていたんだ?」
「守る対象が多くて二人で対応出来ると思わなかったから、あと江東先生にも確認したら教室で立て籠もった方が安全だと言われたの」
「江東先生は体育館に?」
「えぇ」
江東も狩人で、女子柔道部の顧問だ。
「そうか……オレたちが来て五人になったけど……このままここで救援を待つか……どうする?」
鈴木が皆の考えを聞きたそうに顔を見回す。
誰もが考え込んでいる中で、自分の意見を続けた。
「オレは特別棟が気になる……校舎の中はもしかしたらまだ感染者もいるかもしれないが、狩人もいる……でも特別棟の方は久保先生だけかもしれない」
「久保先生は特別棟にいるのか?」
「あぁ、少し前に連絡した時特別棟にいると言っていた……職員室で発露があったらしい……その対応に行っている……そのあとは繋がらなくてどうなっているかは分からない」
「今かけてみたら?」
「そうだな」
リュックに入れていたスマホを取り出し、電話をかける。
だが、久保には繫がらなかったようで、十コールくらいで鈴木は諦めた。
「……電話に出られる状況じゃないのかもな……着信に気付けば折り返してくると思っていたけどそれもないし……」
「そうか……特別棟に行った方がいいと思う人は?」
小嶋が質問する。手を上げたのは鈴木と海史、じゃあここに待機した方がいいと思うのは?と聞くと、残りの三人が手を上げた。
「真叶も待機なのか?」
「その方が安全だ、無理して特別棟へ行く必要はない」
「……でも、残された生徒がいるかもしれないだろ?」
「オレたち狩人は感染者を駆除する者として訓練を受けている、対象を守りながら逃げたりする訓練はほとんどやってない、それに久保先生が行っているんだ……万が一久保先生でも対応出来ない自体になっていたら、オレたちが行っても無駄死にするだけだ」
淡々と答える真叶にイラッとして、つい声を荒げてしまう。
「無駄死はないだろ」
「なくはない、ここにいるべきだ」
「でも」
「オレたちは本来秘匿されるべき存在だ、ヒーローじゃない、海史は無茶をしがちだ、訓練の時にも言われていただろ、少し自覚しろよ」
「……無茶してるつもりはない、あと狩人の性質については理解してる、別にヒーローを気取っているつもりはない」
「ハンドガンの命中率だって低い」
今そんなことを持ち出すなと内心思いながら、反論する。
「駆除率ならオレの方がお前より上だ」
「それは」
「ストップ、お前らまた喧嘩か?そんなことしてる場合じゃないって分かるよな?あと、皆川も、何で秋山相手だとそんな風になるんだよ……普段は大人しいのに……」
文字通り鈴木が割ってはいる。物理的に距離を開けられ、海史は少しだけほっとした。あのままでは自分から真叶の胸倉を掴んでいたに違いない。
下から真叶を睨みつけると、さっと視線を外された。従兄弟の方は少し言い過ぎたと気まずく思っているような顔をしている、多分その変化に気付いているのは自分だけだ。
従兄弟が自分を安全な場所に留めたがるのは分からなくもない。それは真叶にとってのトラウマからだ。
だけど、過保護だと思う。狩人として認められていないみたいで嫌だった。
成長するにつれ体の大きさは逆転した。
どんどん逞しくなる真叶に置いていかれそうで悔しくもあった。
そしていつも自分を守ろうとする。
あの時守れなかったから。その思いが根底になるのかもしれないが、対等でいたい、庇護対象ではないとそろそろ考え直してほしい。
そしてその話になると、お互い譲れずこうして衝突してしまうのだ。
「様子を見てくるだけでも特別棟へ行くべきだ」
まだ言うのか、と真叶が呆れながらも睨みつけてくる。普通の人間ならば長身で威圧的な男から睨みつけられれば萎縮してしまいそうだが、海史には効かない。
「……それはどうして?」
また喧嘩になっては困ると思っているのか、宮下が今度は割って入る。
「状況を明確にしておいた方がいいからだ、何か脅威があるのなら、それを排除ではなく知っておくのは需要だ、それを持ち帰ってこの人数であれば守りながら体育館へ避難できると思う……」
最後は言いながら、本当にそうだろうか、という疑問が浮かんだが海史は言い切った。
「オレも賛成だ、さっきも言ったけど、やはり気になる……最初の感染者がいつ頃なのかは分からないけど、もし狂騒者がいるのなら確認したいし、体育館へ避難した方が良い、いないならこのまま待機が一番安全だ、それを確かめたい」
「……なるほどな」
「……どうする?」
「最低でもここに二人は残した方がいいだろう」
「じゃあ、オレと鈴木で行ってく」
「オレも行く」
真叶が被せるよに言う。
「どうせ、ここに残れって言っても聞かないんだろ?ならオレも一緒に行く」
当然という顔で言うので、海史はため息を吐いた。
「じゃあ、三人で行ってくる、何かあったら直に引き返す」
「あぁ、本当に様子見だけにしろよ」
「……分かってる」
それだけで済めばいい、それはこの場全員の願いでもあった。
バリケードのない教室を選び廊下に出る。
特別棟への通路はは廊下の中間地点に付いている。上空から校舎を見るとHの形に校舎と図書室や職員室が入っている特別棟は分かれている。
特別棟へ通じる通路を渡っていく、向こうには二階と一階からしか渡れないようになっている。
特別棟は静かだった。
物音がなく、何の気配もしない。
左右の廊下を見ただけだが、そこは普段通りである。
職員室は一階だ。一階にはその他校長室や応接室、会議室などがあり主に教師たちのスペースになっていた。
「どうする?二階から確認していくか……?」
「……誰もいなさそうだけどな……職員室がどうなっているかだよな……一階に行くか?」
「……あぁ……まず廊下を見て、廊下に感染者がいたら引き返そう、人数が分からない、出来たら先生と合流したいけど……」
「そうしよう、静かに行こう」
「うん」
鈴木、海史、真叶の順で階段を降りていく。降りた左手に職員室はある。
一階まで下り、柱の影から廊下の様子を伺う。
鈴木は慎重に左右を確認し、体を引っ込めひそひそと話し出した。
「廊下には誰もいない、死体もない、いつも通りだ」
「……」
三人で視線を交わし合う、どうする?迷いが皆の顔に浮かぶ。
今回の体育館への避難指示の発端は職員室だろうと思っていた。だが、廊下に感染者は死体含めいない。全て室内で片が付いたということかもしれない……人数が少なかった?どうだろう、分からない。
「……引き返したた方がいい」
真叶が重々しく言う。いつもは会話に加わらないくせに、決定権を決める時には必ず口を挟み、安全策を提案してくる。
「理由は?」
「ここまで静かだと、感染者ではなく狂騒者がいると考えた方がいい、あいつらは隠れる、だけど感染者は徘徊する者だ、どこかにぶつかりながらとかでも移動する、今職員室のドアは閉まっている、それは中から閉めたということだ、この非常事態の中逃げればドアは開けっ放しで逃げた筈だ」
「……確かにそうだな……狂騒者がいた場合、オレたち三人で太刀打ち出来るかは微妙だ……戻るか……」
「……」
ここまで来たのだからとは思うが、真叶の言うことは一理ある。正解かもしれない。ビビってそんなことを言っているのでは?と疑る余地はない、そんな性格でないことは海史が一番良く知っているからだ。
気は済んだか?という顔で見てくるのだけはムカつくが、引き返すしかなさそうだ。
「……?」
その時、微かな音に海史は気付いた。それは二人も同じだったようで、三人が息を止め音に集中した。
職員室の手前の小さな部屋、進路指導室からのようだ。
そこは大学や専門学校、近隣の就職先の情報が入ったファイルなどを閲覧出来るスペースになっている。ファイルの入ったスチールラック、テーブルにパイプ椅子四脚があるだけの簡素な部屋だ。
隠れる場所などはない為、初めから誰もいないと思っていたが音はそこからする。
三人はそれぞれ持っている武器を構え息を殺した。
「……」
静かに進路指導室の引戸が開く。ゆっくりゆっくり開く様は中で開けている者の慎重さが伝わってくる。
鈴木が開いた手を下ろす、銃を下げろと言っているのでハンドガンを下ろす。真叶は言う事を聞く気がないようで、アサルトライフルの銃口を引戸に向けたままだ。
「……!」
頭が出る位開いた隙間から更にゆっくりと顔が出てきた。
教師の江東だ。彼女は柱の方を見て驚いた顔をした。三人も同様だ、確認が取れたからかやっと真叶も銃を下ろした。
「先生」
会話をするには遠い、大声を出すわけにもいかないので唇で伝わればと思い話し掛ける。
江東は頷くと、三人に向かい指をさし、それから三本指を立てた。
三人いるのかという意味だろう。鈴木が頷く。
先生の方は?という意味で同じように、指をさす。
少し考えた素振りを見せた後、指を二本立てた。
隙間から顔を出しているのは江東だけだが、その奥に誰かがいるということか。
「……徳間先生かも……」
「徳間?」
「……妊娠中だ、走って逃げることが出来なかったのかも……」
「もしかして、だから体育館から戻ってきたのか……?」
宮下は江東は体育館にいると話していた。身重の徳間を残してきたのが気がかりで戻ってきたのかもしれない。
「もし、徳間先生なら江東先生一人で連れて逃げるのは難しいかもしれない……二人と合流しよう」
「そうだな」
柱の影から出ていくと、江東は慌てたように手を振りそれから大きく顔の前でバツを作った。戻れということか?そう思った鈴木は背後を指さした。
江東が頷くので三人はまた階段付近へと戻る。
「どういうことだろうな?」
「宮下の連絡先知ってる?」
「知らない」
「オレも」
「……宮下から聞いて貰えればよかったんだけどな……」
だが、誰も連絡先を知らない。
狩人同士、全員の連絡先を交換しておくべきだった。今更遅いが。
「職員室はどうなっているんだろうな」
「それな……」
鈴木がまた江東の方へ顔を出す。まだ様子を見るためにドアを開けてくれているのか、暫く待つと江東が顔を出した。
職員室の方を指でさし、首を傾げるジェスチャーを加える。
「……」
江東は顔の前でバツを作り首を振った。
鈴木は江東に向け指をさし、それから親指を後にくいっと向けた。
先生たちがこちらへ来るのかと聞いてみたのだが、江東に伝わったようで二度頷いてくれた。
それから手の平を顔の前に差し出してから、室内へと戻っていった。
多分、ちょっと待っていてということだろう。中にいる者と相談するということか。
「どうだ?」
「多分先生がこっちに来る。援護出来るよう準備していてれ、あと、職員室はやばそうだ」
「まじか、了解」
進路指導室の引戸がまたゆっくりと開いていく。なるべく音を立てないように、神経を尖らせながらなのだろう、見ている方もハラハラしてくる。
一人通れるくらいの隙間が出来るとまず江東が外に出た。それから予想通り、美術教師の徳間が出て来た。美術室は職員室の隣だ、体育館へ行かずあえて残っていたのかもしれない。
徳間が江東に支えられながら静かに歩いてくる。ロングスカートから覗く右足首には包帯が巻いてある。怪我をしているようだ。
江東が廊下を渡っている間、三人は職員室のドアに銃口を向け警戒に当たっていた。
進路指導室の右隣は職員室、左隣は教師や来客用の玄関になっている。そこはガラス戸があり、外からの陽光で明るい。そしてドアは開いていた。
だが、誰もそこに注目はしていなかった。皆が中にいると思っていたからだ。
なので、そこにある靴箱が急に倒れるまで異変には気付かなかった。
「先生……」
鈴木が徳間を支えるのを手伝おうと手を伸ばした時、左手方向で何かが倒れるような大きな音がした。
「?!」
皆が音の方を見たと同時に何かの影が江東に襲いかかってきた。
「うわっ……!」
咄嗟に徳間を庇うようにし、影に背中を向ける。その背に影が迫る寸前、廊下に破裂音が響いた。
「ぎゃ……!!」
甲高い鳴き声がして、どさりと廊下に何かが倒れ込んだ。
倒れたのは生徒のようだ。女子生徒の制服を着た感染者は直に起き上がると、後方へと大きくジャンプした。
「先生」
「大丈夫、徳間先生は……」
「私も大丈夫です……」
鈴木が駆け寄る。その後でハンドガンを構え銃口を感染者に向けていたのは真叶だった。弾は感染者の肩の辺りを掠めたのか、ブラウスが赤く滲んでいる。
驚いた拍子に腰が抜けてしまったのか、右足の怪我の為か徳間は廊下にしゃがみ込んでしまった。
「感染者にしては動きが素早いな……狂騒者になるには早すぎないか?」
「騒ぎが起きる前から感染していたとか?」
「……ありえるな……」
感染者であればこんなに素早く動けない。まだウィルスが全身を支配していないからだ。だが半日以上経過すると、人間離れした動きを見せるようになる。
両脇から支え徳間を起こし、柱の影へと移動する。
その間ずっと真叶はハンドガンの引き金に指をかけ、いつでも駆除出来る体勢を取っていた。
徳間を階段に座らせると、江東も腰のベルトからハンドガンを引き抜き、構える。
「先生、職員室はどうなってるんですか?」
「……狂騒者がいます……久保先生が抑えてくれていたけど、今は……」
「先生は戻って来られたんですか?」
「えぇ、まだ徳間先生が体育館に来ていなかったから……私は体育館で授業中だったの、だから職員室の状況は知らなくて……」
「久保先生だけですか?いるのは」
「……いえ……他にも狩人の先生がいたし、三年生の子たちも応援に来てくれたけど……他にも感染者がいて、私は徳間先生を逃がすしか出来なかったわ」
職員室のドアはまだ閉められたままだ。中で何が起きているのかはここからでは分からない。
感染者との距離は三メートル。射程距離内ではあるが、この距離では命中率は下がる。自分であれば外す方が高い、そう思いながら真叶の背中を見つめる。
こいつなら……。
悔しいが命中率は真叶の方が上だ。
真叶はじりじりと距離を詰めていく、その反対に感染者は後退していく。銃を警戒しているのだろう、やはり感染者というよりも狂騒者になっている気がする。
「ここから体育館へ向かいますか?」
「……校内で避難している場所があります、そこへ合流しましょう」
「小嶋と宮下の所ですね」
「そう、一緒にいたの?」
「はい、さっきまで一緒でした」
「そう、皆無事で良かったわ」
江東が微かに笑う。教え子のことを心配していたのだろう、微笑は一瞬で消えたが先程よりも表情が明るくなる。
「鈴木くん、徳間先生を支えてあげて、私が先頭に立ちます、秋山くんは鈴木くんのサポート、殿は皆川くんに任せます」
「はい」
「じゃあ、行きましょう、皆川くん……少しだけずれてくれるかしら」
「え……?」
江東が真叶の隣に並び、手にしていたハンドガンを肩の高さに持ち躊躇いなく引き金を引く。
弾は真っすぐ、感染者の額に命中し、彼女は背中から倒れた。
「……すげ……」
「さぁ、行きましょうと言いたかったけど……やっぱり銃声に反応してしまったか……」
職員室のドアが開く。中から出てきたのは、教師の久保だ。だが、もう教師ではなくなっていた、人間ですらない。
あちこちから血を流し、血走った目をした感染者だ。
「久保先生……」
悲痛な声は鈴木から漏れた。
だが、他の者も同じだ。憐憫の目で江東が見つめる。
廊下に横一列に並ぶ。やや前に出たのは江東、その半歩後に三人が並ぶ。ここからでは徳間の姿は見えない。
「このままにしておくと追いかけてきそうね……ライフルを構えて」
「はい」
「多分この後からも出てくるわ、もう職員室から出てくるのは感染者しかいません、絶対に躊躇わないこと」
「……はい」
「秋山くん」
急に名前を呼ばれ、江東を見る。江東も背後にいる海史を見た。
「はい」
「徳間先生に付いていてあげて」
「え……」
「出来たら隙を付いて、先生と避難している教室へ逃げて」
「オレ、ですか?」
「そう、貴方が徳間先生を逃がすの、お願いね」
「……わかりました」
真叶が江東に並ぶように前に出る。鈴木もそれに倣った。
どうして自分だけ、そうは思ったが一番体が小さく戦闘になれば不利に見られたのか。それとも、自分が対象者だからか。
理由は分からないが狩人である教師からの指示を無視する訳にはいかない。ある意味一番重要な役割でもある。
隙を見て、と言ったが隙などあるのだろうか。
そう思っていると、久保が動いた。低い視線を取りながら江東に突進してくる。
「先生も狂騒者に?!」
驚きの声を上げながら、鈴木がアサルトライフルを連射したが、久保は廊下を蹴り上げ壁を数歩走り全員の後へと回った。こんな俊敏な動きが出来る感染者など見たことがない。
「今は集中して!」
「……はい」
階段で座っている徳間の存在には気付いていないのか、また久保はこちらへと突進してくる。一番手間の海史が標的になった。
慌てないようにハンドガンを向けるが、弾は久保を掠めもせず廊下に着弾した。
続けて引き金を引くが既に久保は壁際に寄ってしまっている。体の向きを変え、銃口を向けようとしたが、寸前の所まで久保が迫ってくる。
引き付けて撃つ、頭では分かっているのに引き金を引く指が動かない。慌てているつもりはないのに、いや、慌てているのか。
「海史」
ハッとして引き金を引く。だが、こんなにも近距離だというのに弾は久保の頬を掠めただけだ。
もう一発、そう思っていると銃声がして、久保が横っ飛びで後退した。
真叶が久保に向け撃ったのだ。そして、すぐさま海史の盾になるよう前方へ立つ。
その背中は大きく、逞しく見える。悔しいがほっとしてしまった。
「大丈夫か?」
「……うん」
「徳間先生の所へ」
「……でも」
「江東先生から言われただろ」
「……」
久保に対応している内に廊下には感染者が増えていた。皆ただの感染者ではないような動きで、狩人たちを翻弄する。
「秋山くん、皆川くんの言う通りよ、徳間先生をお願いね」
「……はい」
「……真叶」
「オレたちもすぐ追いつく」
「……無茶すんなよ」
「こっちの台詞なんだけど」
真叶がアサルトライフルを連射する、それが合図のように海史は階段の所まで走った。徳間も状況が分かっているからだろう、踊り場の所まで自力で登って待っていた。
「先生」
「秋山くん」
「三年五組の教室まで行きます」
「……お願いします」
徳間は海史とほぼ身長が変わらない。脇の下から手を伸ばし背中を支え、階段を登る。急ぎたいが怪我をしているので、お腹を気にしながら一歩一歩慎重に進んでいく。
「秋山くん」
「はい」
「もし、感染者に襲われたら私を置いて逃げて」
「は?そんなこと出来ませよ」
「……大丈夫、私は対象者だから噛まれても感染しないわ……だから逃げずに美術室に隠れてたの……江東先生は優しいから戻ってきてくれたけど……」
「それならオレも同じです」
「え?」
「オレも噛まれても大丈夫です……だから……オレたちの血がこれからも役にたてるように逃げましょう」
「……そうね」
階下から銃声が聞こえる。それを振り切るように階段を登った。
あと少しで二階に到着するという所で階下から足音が近付いてきた。
激しい息遣いと不規則な足音、海史は徳間を壁際に立たせ階下に向けハンドガンを向けた。
「……!」
踊り場から顔を出したのは久保だった。銃口を向け引き金を引く。今度は鎖骨の下辺りに命中したが、その場所に当てても意味がない。もっと上だと照準を合わせようとすると久保が突進してきた、更にその後からも感染者となった数学教師が現れた。
「先生、三年五組です!急いで!!」
「……でも……」
「応援をお願いします」
「……分かった、すぐに……!」
久保は弾丸を食らったことでそのまま立ち尽くしている、警戒しているのかもしれない。背後で徳間が階段を登っている、せめて登り切るまでは動かないでくれよ、などと思っていたが、そう都合良くは動いてくれない。久保と教師は連携したように左右に分かれ階段を登ってきた。
海史は久保目掛けて引き金を引き、体勢を崩しながらも教師の方へと体を倒した。
教師の上に乗り掛かるような格好で数段落下し、体勢を直そうと半身を起こすと久保が飛びかかってきた。
「うわ……この……!」
教師は下敷きになりながらもがいている、押さえつけるように体重を掛けているので逃げられないが、問題は久保だ。
海史の首目掛けて顔を近付けてくるので膝で腹を押し返すが、退かすまでには至らない。
場所が階段だけに、体の下で教師がもがいている内に階段から全員転げ落ちてしまった。
「うぅ……」
背中を打ち付けながら階段から踊り場へと転げ落ちる。直に反転して体を起こしたが、久保の方が素早かった。
勢いを付けて海史の体を壁際に押し付ける。避ける間もなく、首に痛みが走った。
「!!」
噛まれても感染しないと言っても、感染者というより狂騒者じみているのだ、首ごと噛み千切られるとも限らない。
海史は背中側のベルトに刺していたナイフを引き抜くと、右手で久保の脇腹を差した。
痛みからという訳ではないだろうが、久保は噛むのを止めたのでそのまま顎に下から手の平を強く打ち付ける。
仰け反った瞬間ナイフを引き抜き、腹を蹴って踊り場へと転がす。
ハンドガンはどうした?見れば二階まであと三段という所に落ちている。
その手前にいた教師はよろよろと立ち上がった所だった。上にいた二人は転げ落ちたが教師は数段落ちただけで済んだようだ。
普通であれば痛みを感じ直に動けなくるのだろうが、今は違う。教師もだが、久保も立ち上がる。腹と鎖骨、それ以外からも血を流しているのを見ると職員室前の廊下で誰かに撃たれたのだろう。
「……」
数歩前に久保、その上には教師がいるのでこの二人を何とかしない限りは教室には戻れない。このまま一階に戻ると、避難した教室に向かうかもしれない。
きっとまだ徳間は三年五組にはたどり着けてないだろう、階段から連絡通路である廊下を進んでいる辺りか。
浅く息を吐き、海史はナイフを握りしめた。
左足に重心を移した時、足首に痛みを感じた。さっきまで夢中になっていたので、感じていなかった痛みだが、意識するとじんじんと痛む。階段から落ちた時に捻ったか。
立っていられない程の痛みではないから、骨折などではなく捻挫だろう。
「……」
ナイフで牽制するように久保の前に突き出す。こんなことをした所で少し武術が出来る者であれば簡単にナイフを奪われそうだが、感染者相手では効いているのか久保は嫌がるように後退した。
だが、教師の方は違った。階段上から海史目掛けて飛び降りてきたのだ。
「嘘だろ?!」
避けたしたが、完全には避けられなかった。教師の伸ばした腕が肩にぶつかり、体が傾く。ナイフは落とさなかったが、よろめいたのを久保は見逃さず再び海史へと迫ってきた。
「!」
銃声が聞こえたと思うと、久保のこめかみが撃ち抜かれ赤い血が飛び散った。
階下から聞こえたのでそちらを見ると、ハンドガンを両手で持った真叶が階段に立っていた。そのまま上がってくると、起き上がろうとしている教師の頭に一発打ち込む。
「……噛まれたのか……?」
「え?あ、あぁ……」
「……」
無言で背負っていたリュックから包帯を取り出すと、海史の首にくるくると巻き付けた。無表情だが、怒っているような雰囲気だ。
「痛むか?」
「え……あ、そんなには……」
「他は?」
「ほか?」
「他、怪我してない?」
「……」
「どこ」
「足……多分捻挫」
「……そう…………先生は?」
やっと気付いたという風にキョロキョロと左右を見渡す。
「三年五組に先に行ってもらってる、校舎内で感染者は見なかったし……」
「追いかけよう」
「下は?」
「大丈夫そう、ただ、狂騒者はいなかったんだ……江東先生は誰だか言わなかったけど、教師の誰かが狂騒者になってるみたいだ」
真叶が話しながら階段を登り始める、途中で腰をかがめハンドガンを拾い上げる。
それから直に戻ってくると、海史へハンドガンを渡してきた。
「ありがと……そうか……お前は先行って先生を五組に」
「は?捻挫してるんだろ?おぶってく、その方が早い」
「先に行けよ、下は大丈夫そうなんだろ?」
「……」
「ほら」
背中を押すと渋々と言った様子で真叶は階段を一段抜かしで登っていった。
階下は大丈夫ということは狂騒者はいないが、感染者は駆除できたということだ。
受け取ったハンドガンはホルダーに仕舞わず持ったままで海史も階段を登り初めた。
二階に付き、校舎へ向かう廊下へと向かていると後方から声がした。
「秋山」
「鈴木、先生」
「徳間先生と皆川くんは……先に行ったのかしら?」
「はい、オレは捻挫しちゃって……」
「大丈夫?」
「はい、下は……狂騒者はいないって……」
「……窓が開いていたの……外へ出たみたい……まだ学校内にいるのか、学校外へ逃げたのかは分からないわ……」
大丈夫か、と言いながら鈴木が支えてくれた。江東は二人を見てから少し早歩きで通路を渡った。
あと二メートル程で渡り切るという所で前方の廊下から悲鳴が聞こえてきた。
「キャー!!」
徳間の声だ。江東が走り出し、鈴木は海史を見たが直に腕を放すと後を追うように走り出した。
海史も走りたかったが、今になり痛みが増幅してきたのでなるべく早足で進んだ。もう真叶は追いついていただろうから、一緒にいる筈だ。何が起きているのだろう。
焦りから足がもつれ転びそうになった。
銃声が聞こえる。
もどかしさを抱えながら、足を動かした。
通路から校舎の廊下に出て五組の方角を見る。
廊下の真ん中辺りで四人の姿が確認出来た。そしてその周りには感染者がいる。
狩人たちを取り囲むような動きをしている感染者たちに違和感を覚える。狂騒者ということか?
しかし、全員が生徒のようだ。まだ発生から半日も経っていないのに全員が狂騒者のようになるものだろうか。
海史は壁に手を付きながら、急いで進む。
密集した場所での銃の使用は仲間を誤射してしまう可能性があるため、使えない。
持っていたハンドガンをホルダーにしまうと、背中からナイフを取り出した。捻挫しながらではどの位動けるか分からないが、丸腰で立ち向かうよりはいいだろう。
前方に集中していたので、後方の確認が疎かになっていた。
走ってくるような足音に振り向いた時には既に一メートル半の所まで迫られていた。
「?!」
ハンドガンにしておくべきだったと思ったが遅い。
手を伸ばしてきた生徒に向け、ナイフを横一線に斬りつける。手の平を掠めただけだったが、感染者は後退した。
「……まだこんなにいたのかよ……」
どこにいたんだ?疑問ではあるが、今はそれどころではない。
壁に背を預けナイフを構え直し、感染者と対峙する。
「海史!!」
ちらりと声の方を見れば徳間を背に庇い感染者を蹴りつけている真叶がこちらを見ていた。
その間銃声が聞こえた。それは江東が背負投で廊下に投げ捨てた感染者の額に向け、鈴木が撃った音だった。
どうやら江東と真叶が感染者を廊下へ倒し、それを鈴木が撃っているようだ。
トドメを刺さない限り、感染者は立ち向かってくる厄介な存在だ。
よそ見していたのはほんの数秒だ。だが、その隙を感染者はついてきた。
海史は感染者が正面から飛びかかった瞬間横へ避けた。感染者は壁にぶつかる寸前で止まろうと動きを止めた、その背中に肘鉄を食らわせ倒すと脚の腱を素早くナイフで切断する。
暫くはこれで立ち上がれないだろう。
体勢を立て直し、また壁に手を付くと後からタックルされ廊下に強か打ち付けられた。
「?!」
まだ感染者はいたようだ。一人に気を取られていたのだが、その後方にもいたのだ。
噛みつかれても感染しないと言えど、痛いのは嫌だ。背中に乗られているのでぐっと上体を起こし、抜け出る。乗ってきたのが小柄な女子生徒でよかった。
女子生徒は転がったが、直に体を起こしまたタックルしてきた。
捻挫しているのを忘れ、左足に重心をかけてしまい体重を支えきれず感染者もろとも廊下に倒れてしまった。
海史の上で上体を起こした感染者は、口を大きく開けた。噛まれる、と思った瞬間女子生徒が後方へ吹き飛んだ。
「……真叶?!」
「大丈夫か?!」
息を切らしながら、真叶が駆けつけてきた。どうやら女子生徒を蹴り飛ばしたようだ。
「うん……」
「海史はそこにいて」
海史の前に出ると、アサルトライフルを感染者に向けた。腱を切った感染者は這いずり回っていたが、その後頭部に向け、そして蹴り飛ばされ立ち上がろうとしていた女子生徒の額に弾を打ち込む。
「……はぁ」
見れば真叶のシャツは血で汚れている。
「真叶、怪我したのか?」
「ん?違う……これは返り血、海史もだいぶシャツ汚れているぞ……あと包帯変えた方がいいな……」
「……どこにいたんだろうな、さっきまでいなかっただろう……」
「分からないけど……特別棟で授業していたクラスのやつかもって」
「放送聞いてなかったのか?」
「……化学室のスピーカーが壊れてるって江東先生がさっき言ってた」
「……それにしたって……」
「下がってて」
弾倉を入れ替え、真叶が後方へ狙いを付ける。そこには感染者がまた二人こちらへ向かって来る所だった。
ハンドガンとアサルトライフルを使いわけながら真叶は海史の盾になるように仁王立ちになる。
こっちに来ても平気だったのかと思ったが、見れば五組にいた小嶋も廊下に出て来ていた。銃声が聞こえたからだろう、宮下もそれに続いている。
「海史はこのまま体育館へ避難しろ」
「何言って……」
「オレが階段まで援護する、感染者が来るのは特別棟通路からだ、下の階からは来ない、さっきも確認したしきっと安全だ」
「だけど……」
「さっき上の階で銃声が聞こえた、まだ狩人が残っている、だから校舎内の駆除はオレたちがやる、今なら逃げられる」
「あのな、そんなこと言ってる場合じゃないだろ……他の生徒は……」
「海史は特別、だから逃げないとだ」
対象者は噛まれると、ウイルスに対抗するように体内で抗体が出来る。まだ研究段階だが、それを使い治療薬や予防薬の開発が進んでいた。予防薬は完璧ではないが、ある程度の期間であれば作用するとされ、狩人にワクチンとして打たれている。だが、保って二ヶ月、個人差もあるが短いと一月でその効果はなくなる。
対象者は守られるべき存在、守られる代わりに研究に貢献するようにと二ヶ月に一度検査が実施され、そこで献血が行われるだ。
「……徳間先生も同じだ」
「徳間先生も逃がす、それは江東先生がやる、お前はオレが逃がす……海史が戦う必要なんてないんだ」
「必要はある、オレは狩人だ」
「……」
「お前がそこまで気にする必要なんてない、オレは感染してないし、生きてるんだ」
「気にしている訳じゃない」
「……気にしてるだろ」
「ただ、守りたいだけだ、海史を……もう危険な目にあってほしくないんだ、特別だって言っただろ」
「……徳間先生も」
「違うよ」
この場にそぐわないような優しい顔で海史を見る。
「違うんだよ」
優しいのに、どこか泣きそうな顔だ。
初めて見せる表情に戸惑う。何か言ってやらなければと思うのに、言葉が見つからない。
「先生たちも納得すると思う、お前は十分戦った、怪我もしているんだ、だから今は自分が避難することだけ考えてくれ」
「……」
「この教室から……ベランダにカーテンが巻き付いてる、そこから下へ」
真叶が指し示した教室はドアが開いていた。バリケードがない教室のようだ。
足を捻挫して満足に戦えなくなっているのは事実だ。自分が危険に晒される度、真叶は駆けつけてくれる。これは自分のもだが、真叶の為にもなる。
躊躇いはある、だが、納得するしかなさそうだ。
「海史、オレも直に行くから」
「……約束できるか?」
「出来るよ」
「分かった」
五組の方を見る。徳間は宮下に連れられて五組の教室に入るところだった。
それから真叶を見る。
感染者に向けアサルトライフルを連射する。感染者の胸を打ち抜き、廊下に倒す。
「早く」
「……待ってるからな」
「分かってる、約束する」
いつ以来か分からない小さな笑みを浮かべ、行けと背中を押された。
教室に入るとドアを閉められた。ドンと音がしてドアの前を塞ぐように真叶が寄りかかったようだ。
教室にバリケードはない、代わりに幾つかの死体がある。仰向けに倒れているので顔は見えなかったが、三年の教室なのでもしかしたら知り合いかもしれない。気が滅入る。
ベランダへの鍵は閉まってたいので、開けて外へ出る。真叶が言う通りカーテンがベランダに縛り付けられている。
捻挫しているが着地に失敗しなけらば大丈夫だろう。
手摺に手をかけ、右足を大きく上げて手摺を超える。ゆっくりと無事な右足から着地して、柵を乗り越える。
カーテンを両手で掴み足をカーテンのつなぎ目に引っ掛けるようにして降りていく。カーテンに両足を絡ませ、しっかりとカーテンを掴みながらゆっくりと下降していく。
地上まで二メートル。捻挫をしていなければ飛び降りる所だが、足が付くところまではカーテンを掴みながら降りた方がいいだろう。
地上に足が付いた所で、突然名前を呼ばれた。
「秋山!」
それは、思いがけない再会だった。
「二階にはまだ感染者がいるみたいだな……」
先程三階から降りてきた階段まで下がり、柱の影から廊下を見れば感染者らしき生徒がふらふらと歩いているのが見える。
廊下からだとはっきりと分からないが、教室のドアはしまっている所の方が多そうなのでもしかしたら避難している教室もあるかもしれない。
「さっき銃声が聞こえていたから、狩人がいるのかも」
「合流するか?」
「そうだな……半分まで行くか……特別棟はどうなってるんだろうな」
「そういえば久保先生はどうしたろう?」
「電話、出るか分からないけどしてみるか……」
鈴木がスマホで電話をかけている間、廊下を警戒する。感染者はこちらに気付いていないのか階段側にやってくる様子はない。
「……出ないな……」
「感染者に対応しているのかもしれないな……」
「そうだな……」
「二階はベランダから逃げていたけど、さっきグラウンドから見上げた時にはもう避難はしてなかった、もしかしたらベランダにも感染者が出たのかもしれないな」
「そうなのかもな……今は銃声も聞こえない……とりあえず進んでみるか……」
廊下は三階と同様倒れた生徒が数名いた。うつ伏せで血溜まりの中にいる生徒はきっと狩人が駆除した感染者だと思われる。
まだ動く感染者や生存者がいないか、教室を開けながら進む。
鍵が掛かっているのか開かない教室もあるので、ドアを叩いてみるが反応はない。
このまま廊下を進んで行けば自分たちの教室に戻ることになる。
それならばスマートフォンを持ってこようか。そんなことを考えながら歩いていると、先頭の鈴木が立ち止まった。
ドアの前で振り返り、二人の顔を見て入るぞと親指をドアへ向けて振る。
鍵が空いている教室のようだ。
鈴木が首だけ室内に入れ、確認をする。
「誰もいない」
中に入ると、言われた通り誰もいなかった。だが、ベランダへ通じるガラス戸が開いている。
ベランダへ避難したのか、ベランダから避難したのかは判別がつかない。三階から見た時、ベランダから地上へ避難している生徒たちを見たので前者だろうか。
窓のカーテンは半分取り外されているので、この教室に残っていた生徒たちはカーテンをロープ代わりにして降りたということだ。
一般生徒でも考え付くことだが、非常時にその考えに至るだろうか。もしかしたら狩人が率先してベランダから避難誘導したのかもしれない。
「ベランダへ出てみるか……」
「そうだな」
先程もベランダからの移動で取り残された生徒を発見できたのだ。今回も同じような生徒が発見出来るかもしれない。
「先に、さっき開かなかった教室の方を確認したい」
「分かった」
元来た方向へと鈴木が進んでいく。
その後姿を見ながら、隣に立つ真叶を見上げる。
「真叶、スマホ持ってきた?」
「……忘れてきた」
「同じだ、このままだと四組も五組も通るけど持っていく?」
「鈴木が持っているし、必要ない」
「うーん、そうか?」
「邪魔だ」
「……」
邪魔ではないだろう、とは思うが必要ないと言い切る男にこれ以上何か言っても無駄である。確かに鈴木が持っているので外部との連絡は取れる。
海史は余裕があればスマホを取りに行ってもいいか、そう考えていると鈴木が戻ってきた。
「教室にはバリケードがあって、ベランダは開いていた、向こうの教室に残っている生徒はいないみたいだ……」
「そっか、じゃあ行くか……何か早速感染者が倒れてるけど……狩人たちはどうしたんだろうな……ベランダから避難したってことか?」
「どうなんだろうな……訓練の時は固まって避難していたけど、いざ実戦となるとかなりバラけるんだな……連絡手段を考えないとダメだな」
「な〜、無線機とかあるといいのにな」
「今後の課題だな」
倒れている生徒たちを避けながらベランダを進む。
今日犠牲になったのは何人くらいいるのだろう。今のところ同じクラスの生徒はいなかったが、親しい友人がいる者も多いだろう。
明日からはきっと感染者に対しての考え方ががらりと変わる者が増えるだろう。そして自分たちのように狩人になる生徒も現れるかもしれない。
「お」
三年五組のある一番奥まった教室へ行くと、そこには十人くらいの生徒が残っていた。
「結構いるな」
「おーい!」
ベランダから室内に声を掛ければ、直に一人の男子生徒が駆け寄ってきた。
狩人である三年の小嶋だ。
「お前らも残っていたのか!」
どこかほっとした顔で小嶋が言う。その後からも三年の狩人では唯一の女性の宮下がやって来る。
「鈴木たちも……他の狩人は見た?」
「いや、見てない……ここは?お前達二人だけか?」
「山形と川倉がいたけど、山形は他の三年を連れて逃げられたのかな……分からないけど……川倉は多分対象者じゃないかな、名前なんだっけ……同じクラスの男子と一緒に逃げたよ、上手く体育館へ行けていればいいけど……」
山形は二年の時に一緒のクラスになったことがある。気さくでいい奴だ。そして身内に感染者を殺され、狩人になった。
川倉についてはよく分からない。真叶のように無口であまり自分のことを喋らないからだ。真叶とは違い社交性はあるようで、無口と言えど話しかければ会話は広がるし、廊下で他のクラスの狩人と話したりしているのを見たことがある。
「そっか……」
「ベランダにはもう感染者はいない?」
「あぁ、ベランダにも教室にも今の所見当たらない」
「……そうか……」
小嶋も宮下も安堵したような、和らいだ表情を作った。
ベランダからグラウンドを見下ろす。先程までは避難していた生徒や誘導している教師がいたが、今はいなくなっていた。
校門の先の車道に車はなく、歩道を歩く歩行者の姿も見当たらない。
遠くの方でパトカーや救急車のサイレンは聞こえているが、周辺は静かなものだ。まるで学校だけ取り残されたみたいに。
「警察も混乱しているのかも……」
秋山の視線の先を追ってか、宮下がベランダに出てきて手摺を掴む。
「さっき市の防災アプリに避難指示出てたよ、よく聞こえなかったけど市内に放送もあったみたい……」
「そうなんだ……」
外の空気を吸い、宮下も小嶋も落ち着いた顔付きになってきた。先程まで生徒十人をどう守ろうかと必死に考え、緊張していたのだ。
「はぁ……」
腕を伸ばし、深呼吸をすると宮下は全員の顔を見渡した。
「どうする?」
本来の男勝りの顔が出る。女子柔道部元部長であり、全国大会でも優勝経験のある彼女は海史より体格が良い。
世界大会も経験している彼女は警察からのスカウトで狩人になったと話していた。自身も第一次パンデミックで友人を亡くした経験を持つので、渡りに船だったらしい。
「二人はどうしてここに留まっていたんだ?」
「守る対象が多くて二人で対応出来ると思わなかったから、あと江東先生にも確認したら教室で立て籠もった方が安全だと言われたの」
「江東先生は体育館に?」
「えぇ」
江東も狩人で、女子柔道部の顧問だ。
「そうか……オレたちが来て五人になったけど……このままここで救援を待つか……どうする?」
鈴木が皆の考えを聞きたそうに顔を見回す。
誰もが考え込んでいる中で、自分の意見を続けた。
「オレは特別棟が気になる……校舎の中はもしかしたらまだ感染者もいるかもしれないが、狩人もいる……でも特別棟の方は久保先生だけかもしれない」
「久保先生は特別棟にいるのか?」
「あぁ、少し前に連絡した時特別棟にいると言っていた……職員室で発露があったらしい……その対応に行っている……そのあとは繋がらなくてどうなっているかは分からない」
「今かけてみたら?」
「そうだな」
リュックに入れていたスマホを取り出し、電話をかける。
だが、久保には繫がらなかったようで、十コールくらいで鈴木は諦めた。
「……電話に出られる状況じゃないのかもな……着信に気付けば折り返してくると思っていたけどそれもないし……」
「そうか……特別棟に行った方がいいと思う人は?」
小嶋が質問する。手を上げたのは鈴木と海史、じゃあここに待機した方がいいと思うのは?と聞くと、残りの三人が手を上げた。
「真叶も待機なのか?」
「その方が安全だ、無理して特別棟へ行く必要はない」
「……でも、残された生徒がいるかもしれないだろ?」
「オレたち狩人は感染者を駆除する者として訓練を受けている、対象を守りながら逃げたりする訓練はほとんどやってない、それに久保先生が行っているんだ……万が一久保先生でも対応出来ない自体になっていたら、オレたちが行っても無駄死にするだけだ」
淡々と答える真叶にイラッとして、つい声を荒げてしまう。
「無駄死はないだろ」
「なくはない、ここにいるべきだ」
「でも」
「オレたちは本来秘匿されるべき存在だ、ヒーローじゃない、海史は無茶をしがちだ、訓練の時にも言われていただろ、少し自覚しろよ」
「……無茶してるつもりはない、あと狩人の性質については理解してる、別にヒーローを気取っているつもりはない」
「ハンドガンの命中率だって低い」
今そんなことを持ち出すなと内心思いながら、反論する。
「駆除率ならオレの方がお前より上だ」
「それは」
「ストップ、お前らまた喧嘩か?そんなことしてる場合じゃないって分かるよな?あと、皆川も、何で秋山相手だとそんな風になるんだよ……普段は大人しいのに……」
文字通り鈴木が割ってはいる。物理的に距離を開けられ、海史は少しだけほっとした。あのままでは自分から真叶の胸倉を掴んでいたに違いない。
下から真叶を睨みつけると、さっと視線を外された。従兄弟の方は少し言い過ぎたと気まずく思っているような顔をしている、多分その変化に気付いているのは自分だけだ。
従兄弟が自分を安全な場所に留めたがるのは分からなくもない。それは真叶にとってのトラウマからだ。
だけど、過保護だと思う。狩人として認められていないみたいで嫌だった。
成長するにつれ体の大きさは逆転した。
どんどん逞しくなる真叶に置いていかれそうで悔しくもあった。
そしていつも自分を守ろうとする。
あの時守れなかったから。その思いが根底になるのかもしれないが、対等でいたい、庇護対象ではないとそろそろ考え直してほしい。
そしてその話になると、お互い譲れずこうして衝突してしまうのだ。
「様子を見てくるだけでも特別棟へ行くべきだ」
まだ言うのか、と真叶が呆れながらも睨みつけてくる。普通の人間ならば長身で威圧的な男から睨みつけられれば萎縮してしまいそうだが、海史には効かない。
「……それはどうして?」
また喧嘩になっては困ると思っているのか、宮下が今度は割って入る。
「状況を明確にしておいた方がいいからだ、何か脅威があるのなら、それを排除ではなく知っておくのは需要だ、それを持ち帰ってこの人数であれば守りながら体育館へ避難できると思う……」
最後は言いながら、本当にそうだろうか、という疑問が浮かんだが海史は言い切った。
「オレも賛成だ、さっきも言ったけど、やはり気になる……最初の感染者がいつ頃なのかは分からないけど、もし狂騒者がいるのなら確認したいし、体育館へ避難した方が良い、いないならこのまま待機が一番安全だ、それを確かめたい」
「……なるほどな」
「……どうする?」
「最低でもここに二人は残した方がいいだろう」
「じゃあ、オレと鈴木で行ってく」
「オレも行く」
真叶が被せるよに言う。
「どうせ、ここに残れって言っても聞かないんだろ?ならオレも一緒に行く」
当然という顔で言うので、海史はため息を吐いた。
「じゃあ、三人で行ってくる、何かあったら直に引き返す」
「あぁ、本当に様子見だけにしろよ」
「……分かってる」
それだけで済めばいい、それはこの場全員の願いでもあった。
バリケードのない教室を選び廊下に出る。
特別棟への通路はは廊下の中間地点に付いている。上空から校舎を見るとHの形に校舎と図書室や職員室が入っている特別棟は分かれている。
特別棟へ通じる通路を渡っていく、向こうには二階と一階からしか渡れないようになっている。
特別棟は静かだった。
物音がなく、何の気配もしない。
左右の廊下を見ただけだが、そこは普段通りである。
職員室は一階だ。一階にはその他校長室や応接室、会議室などがあり主に教師たちのスペースになっていた。
「どうする?二階から確認していくか……?」
「……誰もいなさそうだけどな……職員室がどうなっているかだよな……一階に行くか?」
「……あぁ……まず廊下を見て、廊下に感染者がいたら引き返そう、人数が分からない、出来たら先生と合流したいけど……」
「そうしよう、静かに行こう」
「うん」
鈴木、海史、真叶の順で階段を降りていく。降りた左手に職員室はある。
一階まで下り、柱の影から廊下の様子を伺う。
鈴木は慎重に左右を確認し、体を引っ込めひそひそと話し出した。
「廊下には誰もいない、死体もない、いつも通りだ」
「……」
三人で視線を交わし合う、どうする?迷いが皆の顔に浮かぶ。
今回の体育館への避難指示の発端は職員室だろうと思っていた。だが、廊下に感染者は死体含めいない。全て室内で片が付いたということかもしれない……人数が少なかった?どうだろう、分からない。
「……引き返したた方がいい」
真叶が重々しく言う。いつもは会話に加わらないくせに、決定権を決める時には必ず口を挟み、安全策を提案してくる。
「理由は?」
「ここまで静かだと、感染者ではなく狂騒者がいると考えた方がいい、あいつらは隠れる、だけど感染者は徘徊する者だ、どこかにぶつかりながらとかでも移動する、今職員室のドアは閉まっている、それは中から閉めたということだ、この非常事態の中逃げればドアは開けっ放しで逃げた筈だ」
「……確かにそうだな……狂騒者がいた場合、オレたち三人で太刀打ち出来るかは微妙だ……戻るか……」
「……」
ここまで来たのだからとは思うが、真叶の言うことは一理ある。正解かもしれない。ビビってそんなことを言っているのでは?と疑る余地はない、そんな性格でないことは海史が一番良く知っているからだ。
気は済んだか?という顔で見てくるのだけはムカつくが、引き返すしかなさそうだ。
「……?」
その時、微かな音に海史は気付いた。それは二人も同じだったようで、三人が息を止め音に集中した。
職員室の手前の小さな部屋、進路指導室からのようだ。
そこは大学や専門学校、近隣の就職先の情報が入ったファイルなどを閲覧出来るスペースになっている。ファイルの入ったスチールラック、テーブルにパイプ椅子四脚があるだけの簡素な部屋だ。
隠れる場所などはない為、初めから誰もいないと思っていたが音はそこからする。
三人はそれぞれ持っている武器を構え息を殺した。
「……」
静かに進路指導室の引戸が開く。ゆっくりゆっくり開く様は中で開けている者の慎重さが伝わってくる。
鈴木が開いた手を下ろす、銃を下げろと言っているのでハンドガンを下ろす。真叶は言う事を聞く気がないようで、アサルトライフルの銃口を引戸に向けたままだ。
「……!」
頭が出る位開いた隙間から更にゆっくりと顔が出てきた。
教師の江東だ。彼女は柱の方を見て驚いた顔をした。三人も同様だ、確認が取れたからかやっと真叶も銃を下ろした。
「先生」
会話をするには遠い、大声を出すわけにもいかないので唇で伝わればと思い話し掛ける。
江東は頷くと、三人に向かい指をさし、それから三本指を立てた。
三人いるのかという意味だろう。鈴木が頷く。
先生の方は?という意味で同じように、指をさす。
少し考えた素振りを見せた後、指を二本立てた。
隙間から顔を出しているのは江東だけだが、その奥に誰かがいるということか。
「……徳間先生かも……」
「徳間?」
「……妊娠中だ、走って逃げることが出来なかったのかも……」
「もしかして、だから体育館から戻ってきたのか……?」
宮下は江東は体育館にいると話していた。身重の徳間を残してきたのが気がかりで戻ってきたのかもしれない。
「もし、徳間先生なら江東先生一人で連れて逃げるのは難しいかもしれない……二人と合流しよう」
「そうだな」
柱の影から出ていくと、江東は慌てたように手を振りそれから大きく顔の前でバツを作った。戻れということか?そう思った鈴木は背後を指さした。
江東が頷くので三人はまた階段付近へと戻る。
「どういうことだろうな?」
「宮下の連絡先知ってる?」
「知らない」
「オレも」
「……宮下から聞いて貰えればよかったんだけどな……」
だが、誰も連絡先を知らない。
狩人同士、全員の連絡先を交換しておくべきだった。今更遅いが。
「職員室はどうなっているんだろうな」
「それな……」
鈴木がまた江東の方へ顔を出す。まだ様子を見るためにドアを開けてくれているのか、暫く待つと江東が顔を出した。
職員室の方を指でさし、首を傾げるジェスチャーを加える。
「……」
江東は顔の前でバツを作り首を振った。
鈴木は江東に向け指をさし、それから親指を後にくいっと向けた。
先生たちがこちらへ来るのかと聞いてみたのだが、江東に伝わったようで二度頷いてくれた。
それから手の平を顔の前に差し出してから、室内へと戻っていった。
多分、ちょっと待っていてということだろう。中にいる者と相談するということか。
「どうだ?」
「多分先生がこっちに来る。援護出来るよう準備していてれ、あと、職員室はやばそうだ」
「まじか、了解」
進路指導室の引戸がまたゆっくりと開いていく。なるべく音を立てないように、神経を尖らせながらなのだろう、見ている方もハラハラしてくる。
一人通れるくらいの隙間が出来るとまず江東が外に出た。それから予想通り、美術教師の徳間が出て来た。美術室は職員室の隣だ、体育館へ行かずあえて残っていたのかもしれない。
徳間が江東に支えられながら静かに歩いてくる。ロングスカートから覗く右足首には包帯が巻いてある。怪我をしているようだ。
江東が廊下を渡っている間、三人は職員室のドアに銃口を向け警戒に当たっていた。
進路指導室の右隣は職員室、左隣は教師や来客用の玄関になっている。そこはガラス戸があり、外からの陽光で明るい。そしてドアは開いていた。
だが、誰もそこに注目はしていなかった。皆が中にいると思っていたからだ。
なので、そこにある靴箱が急に倒れるまで異変には気付かなかった。
「先生……」
鈴木が徳間を支えるのを手伝おうと手を伸ばした時、左手方向で何かが倒れるような大きな音がした。
「?!」
皆が音の方を見たと同時に何かの影が江東に襲いかかってきた。
「うわっ……!」
咄嗟に徳間を庇うようにし、影に背中を向ける。その背に影が迫る寸前、廊下に破裂音が響いた。
「ぎゃ……!!」
甲高い鳴き声がして、どさりと廊下に何かが倒れ込んだ。
倒れたのは生徒のようだ。女子生徒の制服を着た感染者は直に起き上がると、後方へと大きくジャンプした。
「先生」
「大丈夫、徳間先生は……」
「私も大丈夫です……」
鈴木が駆け寄る。その後でハンドガンを構え銃口を感染者に向けていたのは真叶だった。弾は感染者の肩の辺りを掠めたのか、ブラウスが赤く滲んでいる。
驚いた拍子に腰が抜けてしまったのか、右足の怪我の為か徳間は廊下にしゃがみ込んでしまった。
「感染者にしては動きが素早いな……狂騒者になるには早すぎないか?」
「騒ぎが起きる前から感染していたとか?」
「……ありえるな……」
感染者であればこんなに素早く動けない。まだウィルスが全身を支配していないからだ。だが半日以上経過すると、人間離れした動きを見せるようになる。
両脇から支え徳間を起こし、柱の影へと移動する。
その間ずっと真叶はハンドガンの引き金に指をかけ、いつでも駆除出来る体勢を取っていた。
徳間を階段に座らせると、江東も腰のベルトからハンドガンを引き抜き、構える。
「先生、職員室はどうなってるんですか?」
「……狂騒者がいます……久保先生が抑えてくれていたけど、今は……」
「先生は戻って来られたんですか?」
「えぇ、まだ徳間先生が体育館に来ていなかったから……私は体育館で授業中だったの、だから職員室の状況は知らなくて……」
「久保先生だけですか?いるのは」
「……いえ……他にも狩人の先生がいたし、三年生の子たちも応援に来てくれたけど……他にも感染者がいて、私は徳間先生を逃がすしか出来なかったわ」
職員室のドアはまだ閉められたままだ。中で何が起きているのかはここからでは分からない。
感染者との距離は三メートル。射程距離内ではあるが、この距離では命中率は下がる。自分であれば外す方が高い、そう思いながら真叶の背中を見つめる。
こいつなら……。
悔しいが命中率は真叶の方が上だ。
真叶はじりじりと距離を詰めていく、その反対に感染者は後退していく。銃を警戒しているのだろう、やはり感染者というよりも狂騒者になっている気がする。
「ここから体育館へ向かいますか?」
「……校内で避難している場所があります、そこへ合流しましょう」
「小嶋と宮下の所ですね」
「そう、一緒にいたの?」
「はい、さっきまで一緒でした」
「そう、皆無事で良かったわ」
江東が微かに笑う。教え子のことを心配していたのだろう、微笑は一瞬で消えたが先程よりも表情が明るくなる。
「鈴木くん、徳間先生を支えてあげて、私が先頭に立ちます、秋山くんは鈴木くんのサポート、殿は皆川くんに任せます」
「はい」
「じゃあ、行きましょう、皆川くん……少しだけずれてくれるかしら」
「え……?」
江東が真叶の隣に並び、手にしていたハンドガンを肩の高さに持ち躊躇いなく引き金を引く。
弾は真っすぐ、感染者の額に命中し、彼女は背中から倒れた。
「……すげ……」
「さぁ、行きましょうと言いたかったけど……やっぱり銃声に反応してしまったか……」
職員室のドアが開く。中から出てきたのは、教師の久保だ。だが、もう教師ではなくなっていた、人間ですらない。
あちこちから血を流し、血走った目をした感染者だ。
「久保先生……」
悲痛な声は鈴木から漏れた。
だが、他の者も同じだ。憐憫の目で江東が見つめる。
廊下に横一列に並ぶ。やや前に出たのは江東、その半歩後に三人が並ぶ。ここからでは徳間の姿は見えない。
「このままにしておくと追いかけてきそうね……ライフルを構えて」
「はい」
「多分この後からも出てくるわ、もう職員室から出てくるのは感染者しかいません、絶対に躊躇わないこと」
「……はい」
「秋山くん」
急に名前を呼ばれ、江東を見る。江東も背後にいる海史を見た。
「はい」
「徳間先生に付いていてあげて」
「え……」
「出来たら隙を付いて、先生と避難している教室へ逃げて」
「オレ、ですか?」
「そう、貴方が徳間先生を逃がすの、お願いね」
「……わかりました」
真叶が江東に並ぶように前に出る。鈴木もそれに倣った。
どうして自分だけ、そうは思ったが一番体が小さく戦闘になれば不利に見られたのか。それとも、自分が対象者だからか。
理由は分からないが狩人である教師からの指示を無視する訳にはいかない。ある意味一番重要な役割でもある。
隙を見て、と言ったが隙などあるのだろうか。
そう思っていると、久保が動いた。低い視線を取りながら江東に突進してくる。
「先生も狂騒者に?!」
驚きの声を上げながら、鈴木がアサルトライフルを連射したが、久保は廊下を蹴り上げ壁を数歩走り全員の後へと回った。こんな俊敏な動きが出来る感染者など見たことがない。
「今は集中して!」
「……はい」
階段で座っている徳間の存在には気付いていないのか、また久保はこちらへと突進してくる。一番手間の海史が標的になった。
慌てないようにハンドガンを向けるが、弾は久保を掠めもせず廊下に着弾した。
続けて引き金を引くが既に久保は壁際に寄ってしまっている。体の向きを変え、銃口を向けようとしたが、寸前の所まで久保が迫ってくる。
引き付けて撃つ、頭では分かっているのに引き金を引く指が動かない。慌てているつもりはないのに、いや、慌てているのか。
「海史」
ハッとして引き金を引く。だが、こんなにも近距離だというのに弾は久保の頬を掠めただけだ。
もう一発、そう思っていると銃声がして、久保が横っ飛びで後退した。
真叶が久保に向け撃ったのだ。そして、すぐさま海史の盾になるよう前方へ立つ。
その背中は大きく、逞しく見える。悔しいがほっとしてしまった。
「大丈夫か?」
「……うん」
「徳間先生の所へ」
「……でも」
「江東先生から言われただろ」
「……」
久保に対応している内に廊下には感染者が増えていた。皆ただの感染者ではないような動きで、狩人たちを翻弄する。
「秋山くん、皆川くんの言う通りよ、徳間先生をお願いね」
「……はい」
「……真叶」
「オレたちもすぐ追いつく」
「……無茶すんなよ」
「こっちの台詞なんだけど」
真叶がアサルトライフルを連射する、それが合図のように海史は階段の所まで走った。徳間も状況が分かっているからだろう、踊り場の所まで自力で登って待っていた。
「先生」
「秋山くん」
「三年五組の教室まで行きます」
「……お願いします」
徳間は海史とほぼ身長が変わらない。脇の下から手を伸ばし背中を支え、階段を登る。急ぎたいが怪我をしているので、お腹を気にしながら一歩一歩慎重に進んでいく。
「秋山くん」
「はい」
「もし、感染者に襲われたら私を置いて逃げて」
「は?そんなこと出来ませよ」
「……大丈夫、私は対象者だから噛まれても感染しないわ……だから逃げずに美術室に隠れてたの……江東先生は優しいから戻ってきてくれたけど……」
「それならオレも同じです」
「え?」
「オレも噛まれても大丈夫です……だから……オレたちの血がこれからも役にたてるように逃げましょう」
「……そうね」
階下から銃声が聞こえる。それを振り切るように階段を登った。
あと少しで二階に到着するという所で階下から足音が近付いてきた。
激しい息遣いと不規則な足音、海史は徳間を壁際に立たせ階下に向けハンドガンを向けた。
「……!」
踊り場から顔を出したのは久保だった。銃口を向け引き金を引く。今度は鎖骨の下辺りに命中したが、その場所に当てても意味がない。もっと上だと照準を合わせようとすると久保が突進してきた、更にその後からも感染者となった数学教師が現れた。
「先生、三年五組です!急いで!!」
「……でも……」
「応援をお願いします」
「……分かった、すぐに……!」
久保は弾丸を食らったことでそのまま立ち尽くしている、警戒しているのかもしれない。背後で徳間が階段を登っている、せめて登り切るまでは動かないでくれよ、などと思っていたが、そう都合良くは動いてくれない。久保と教師は連携したように左右に分かれ階段を登ってきた。
海史は久保目掛けて引き金を引き、体勢を崩しながらも教師の方へと体を倒した。
教師の上に乗り掛かるような格好で数段落下し、体勢を直そうと半身を起こすと久保が飛びかかってきた。
「うわ……この……!」
教師は下敷きになりながらもがいている、押さえつけるように体重を掛けているので逃げられないが、問題は久保だ。
海史の首目掛けて顔を近付けてくるので膝で腹を押し返すが、退かすまでには至らない。
場所が階段だけに、体の下で教師がもがいている内に階段から全員転げ落ちてしまった。
「うぅ……」
背中を打ち付けながら階段から踊り場へと転げ落ちる。直に反転して体を起こしたが、久保の方が素早かった。
勢いを付けて海史の体を壁際に押し付ける。避ける間もなく、首に痛みが走った。
「!!」
噛まれても感染しないと言っても、感染者というより狂騒者じみているのだ、首ごと噛み千切られるとも限らない。
海史は背中側のベルトに刺していたナイフを引き抜くと、右手で久保の脇腹を差した。
痛みからという訳ではないだろうが、久保は噛むのを止めたのでそのまま顎に下から手の平を強く打ち付ける。
仰け反った瞬間ナイフを引き抜き、腹を蹴って踊り場へと転がす。
ハンドガンはどうした?見れば二階まであと三段という所に落ちている。
その手前にいた教師はよろよろと立ち上がった所だった。上にいた二人は転げ落ちたが教師は数段落ちただけで済んだようだ。
普通であれば痛みを感じ直に動けなくるのだろうが、今は違う。教師もだが、久保も立ち上がる。腹と鎖骨、それ以外からも血を流しているのを見ると職員室前の廊下で誰かに撃たれたのだろう。
「……」
数歩前に久保、その上には教師がいるのでこの二人を何とかしない限りは教室には戻れない。このまま一階に戻ると、避難した教室に向かうかもしれない。
きっとまだ徳間は三年五組にはたどり着けてないだろう、階段から連絡通路である廊下を進んでいる辺りか。
浅く息を吐き、海史はナイフを握りしめた。
左足に重心を移した時、足首に痛みを感じた。さっきまで夢中になっていたので、感じていなかった痛みだが、意識するとじんじんと痛む。階段から落ちた時に捻ったか。
立っていられない程の痛みではないから、骨折などではなく捻挫だろう。
「……」
ナイフで牽制するように久保の前に突き出す。こんなことをした所で少し武術が出来る者であれば簡単にナイフを奪われそうだが、感染者相手では効いているのか久保は嫌がるように後退した。
だが、教師の方は違った。階段上から海史目掛けて飛び降りてきたのだ。
「嘘だろ?!」
避けたしたが、完全には避けられなかった。教師の伸ばした腕が肩にぶつかり、体が傾く。ナイフは落とさなかったが、よろめいたのを久保は見逃さず再び海史へと迫ってきた。
「!」
銃声が聞こえたと思うと、久保のこめかみが撃ち抜かれ赤い血が飛び散った。
階下から聞こえたのでそちらを見ると、ハンドガンを両手で持った真叶が階段に立っていた。そのまま上がってくると、起き上がろうとしている教師の頭に一発打ち込む。
「……噛まれたのか……?」
「え?あ、あぁ……」
「……」
無言で背負っていたリュックから包帯を取り出すと、海史の首にくるくると巻き付けた。無表情だが、怒っているような雰囲気だ。
「痛むか?」
「え……あ、そんなには……」
「他は?」
「ほか?」
「他、怪我してない?」
「……」
「どこ」
「足……多分捻挫」
「……そう…………先生は?」
やっと気付いたという風にキョロキョロと左右を見渡す。
「三年五組に先に行ってもらってる、校舎内で感染者は見なかったし……」
「追いかけよう」
「下は?」
「大丈夫そう、ただ、狂騒者はいなかったんだ……江東先生は誰だか言わなかったけど、教師の誰かが狂騒者になってるみたいだ」
真叶が話しながら階段を登り始める、途中で腰をかがめハンドガンを拾い上げる。
それから直に戻ってくると、海史へハンドガンを渡してきた。
「ありがと……そうか……お前は先行って先生を五組に」
「は?捻挫してるんだろ?おぶってく、その方が早い」
「先に行けよ、下は大丈夫そうなんだろ?」
「……」
「ほら」
背中を押すと渋々と言った様子で真叶は階段を一段抜かしで登っていった。
階下は大丈夫ということは狂騒者はいないが、感染者は駆除できたということだ。
受け取ったハンドガンはホルダーに仕舞わず持ったままで海史も階段を登り初めた。
二階に付き、校舎へ向かう廊下へと向かていると後方から声がした。
「秋山」
「鈴木、先生」
「徳間先生と皆川くんは……先に行ったのかしら?」
「はい、オレは捻挫しちゃって……」
「大丈夫?」
「はい、下は……狂騒者はいないって……」
「……窓が開いていたの……外へ出たみたい……まだ学校内にいるのか、学校外へ逃げたのかは分からないわ……」
大丈夫か、と言いながら鈴木が支えてくれた。江東は二人を見てから少し早歩きで通路を渡った。
あと二メートル程で渡り切るという所で前方の廊下から悲鳴が聞こえてきた。
「キャー!!」
徳間の声だ。江東が走り出し、鈴木は海史を見たが直に腕を放すと後を追うように走り出した。
海史も走りたかったが、今になり痛みが増幅してきたのでなるべく早足で進んだ。もう真叶は追いついていただろうから、一緒にいる筈だ。何が起きているのだろう。
焦りから足がもつれ転びそうになった。
銃声が聞こえる。
もどかしさを抱えながら、足を動かした。
通路から校舎の廊下に出て五組の方角を見る。
廊下の真ん中辺りで四人の姿が確認出来た。そしてその周りには感染者がいる。
狩人たちを取り囲むような動きをしている感染者たちに違和感を覚える。狂騒者ということか?
しかし、全員が生徒のようだ。まだ発生から半日も経っていないのに全員が狂騒者のようになるものだろうか。
海史は壁に手を付きながら、急いで進む。
密集した場所での銃の使用は仲間を誤射してしまう可能性があるため、使えない。
持っていたハンドガンをホルダーにしまうと、背中からナイフを取り出した。捻挫しながらではどの位動けるか分からないが、丸腰で立ち向かうよりはいいだろう。
前方に集中していたので、後方の確認が疎かになっていた。
走ってくるような足音に振り向いた時には既に一メートル半の所まで迫られていた。
「?!」
ハンドガンにしておくべきだったと思ったが遅い。
手を伸ばしてきた生徒に向け、ナイフを横一線に斬りつける。手の平を掠めただけだったが、感染者は後退した。
「……まだこんなにいたのかよ……」
どこにいたんだ?疑問ではあるが、今はそれどころではない。
壁に背を預けナイフを構え直し、感染者と対峙する。
「海史!!」
ちらりと声の方を見れば徳間を背に庇い感染者を蹴りつけている真叶がこちらを見ていた。
その間銃声が聞こえた。それは江東が背負投で廊下に投げ捨てた感染者の額に向け、鈴木が撃った音だった。
どうやら江東と真叶が感染者を廊下へ倒し、それを鈴木が撃っているようだ。
トドメを刺さない限り、感染者は立ち向かってくる厄介な存在だ。
よそ見していたのはほんの数秒だ。だが、その隙を感染者はついてきた。
海史は感染者が正面から飛びかかった瞬間横へ避けた。感染者は壁にぶつかる寸前で止まろうと動きを止めた、その背中に肘鉄を食らわせ倒すと脚の腱を素早くナイフで切断する。
暫くはこれで立ち上がれないだろう。
体勢を立て直し、また壁に手を付くと後からタックルされ廊下に強か打ち付けられた。
「?!」
まだ感染者はいたようだ。一人に気を取られていたのだが、その後方にもいたのだ。
噛みつかれても感染しないと言えど、痛いのは嫌だ。背中に乗られているのでぐっと上体を起こし、抜け出る。乗ってきたのが小柄な女子生徒でよかった。
女子生徒は転がったが、直に体を起こしまたタックルしてきた。
捻挫しているのを忘れ、左足に重心をかけてしまい体重を支えきれず感染者もろとも廊下に倒れてしまった。
海史の上で上体を起こした感染者は、口を大きく開けた。噛まれる、と思った瞬間女子生徒が後方へ吹き飛んだ。
「……真叶?!」
「大丈夫か?!」
息を切らしながら、真叶が駆けつけてきた。どうやら女子生徒を蹴り飛ばしたようだ。
「うん……」
「海史はそこにいて」
海史の前に出ると、アサルトライフルを感染者に向けた。腱を切った感染者は這いずり回っていたが、その後頭部に向け、そして蹴り飛ばされ立ち上がろうとしていた女子生徒の額に弾を打ち込む。
「……はぁ」
見れば真叶のシャツは血で汚れている。
「真叶、怪我したのか?」
「ん?違う……これは返り血、海史もだいぶシャツ汚れているぞ……あと包帯変えた方がいいな……」
「……どこにいたんだろうな、さっきまでいなかっただろう……」
「分からないけど……特別棟で授業していたクラスのやつかもって」
「放送聞いてなかったのか?」
「……化学室のスピーカーが壊れてるって江東先生がさっき言ってた」
「……それにしたって……」
「下がってて」
弾倉を入れ替え、真叶が後方へ狙いを付ける。そこには感染者がまた二人こちらへ向かって来る所だった。
ハンドガンとアサルトライフルを使いわけながら真叶は海史の盾になるように仁王立ちになる。
こっちに来ても平気だったのかと思ったが、見れば五組にいた小嶋も廊下に出て来ていた。銃声が聞こえたからだろう、宮下もそれに続いている。
「海史はこのまま体育館へ避難しろ」
「何言って……」
「オレが階段まで援護する、感染者が来るのは特別棟通路からだ、下の階からは来ない、さっきも確認したしきっと安全だ」
「だけど……」
「さっき上の階で銃声が聞こえた、まだ狩人が残っている、だから校舎内の駆除はオレたちがやる、今なら逃げられる」
「あのな、そんなこと言ってる場合じゃないだろ……他の生徒は……」
「海史は特別、だから逃げないとだ」
対象者は噛まれると、ウイルスに対抗するように体内で抗体が出来る。まだ研究段階だが、それを使い治療薬や予防薬の開発が進んでいた。予防薬は完璧ではないが、ある程度の期間であれば作用するとされ、狩人にワクチンとして打たれている。だが、保って二ヶ月、個人差もあるが短いと一月でその効果はなくなる。
対象者は守られるべき存在、守られる代わりに研究に貢献するようにと二ヶ月に一度検査が実施され、そこで献血が行われるだ。
「……徳間先生も同じだ」
「徳間先生も逃がす、それは江東先生がやる、お前はオレが逃がす……海史が戦う必要なんてないんだ」
「必要はある、オレは狩人だ」
「……」
「お前がそこまで気にする必要なんてない、オレは感染してないし、生きてるんだ」
「気にしている訳じゃない」
「……気にしてるだろ」
「ただ、守りたいだけだ、海史を……もう危険な目にあってほしくないんだ、特別だって言っただろ」
「……徳間先生も」
「違うよ」
この場にそぐわないような優しい顔で海史を見る。
「違うんだよ」
優しいのに、どこか泣きそうな顔だ。
初めて見せる表情に戸惑う。何か言ってやらなければと思うのに、言葉が見つからない。
「先生たちも納得すると思う、お前は十分戦った、怪我もしているんだ、だから今は自分が避難することだけ考えてくれ」
「……」
「この教室から……ベランダにカーテンが巻き付いてる、そこから下へ」
真叶が指し示した教室はドアが開いていた。バリケードがない教室のようだ。
足を捻挫して満足に戦えなくなっているのは事実だ。自分が危険に晒される度、真叶は駆けつけてくれる。これは自分のもだが、真叶の為にもなる。
躊躇いはある、だが、納得するしかなさそうだ。
「海史、オレも直に行くから」
「……約束できるか?」
「出来るよ」
「分かった」
五組の方を見る。徳間は宮下に連れられて五組の教室に入るところだった。
それから真叶を見る。
感染者に向けアサルトライフルを連射する。感染者の胸を打ち抜き、廊下に倒す。
「早く」
「……待ってるからな」
「分かってる、約束する」
いつ以来か分からない小さな笑みを浮かべ、行けと背中を押された。
教室に入るとドアを閉められた。ドンと音がしてドアの前を塞ぐように真叶が寄りかかったようだ。
教室にバリケードはない、代わりに幾つかの死体がある。仰向けに倒れているので顔は見えなかったが、三年の教室なのでもしかしたら知り合いかもしれない。気が滅入る。
ベランダへの鍵は閉まってたいので、開けて外へ出る。真叶が言う通りカーテンがベランダに縛り付けられている。
捻挫しているが着地に失敗しなけらば大丈夫だろう。
手摺に手をかけ、右足を大きく上げて手摺を超える。ゆっくりと無事な右足から着地して、柵を乗り越える。
カーテンを両手で掴み足をカーテンのつなぎ目に引っ掛けるようにして降りていく。カーテンに両足を絡ませ、しっかりとカーテンを掴みながらゆっくりと下降していく。
地上まで二メートル。捻挫をしていなければ飛び降りる所だが、足が付くところまではカーテンを掴みながら降りた方がいいだろう。
地上に足が付いた所で、突然名前を呼ばれた。
「秋山!」
それは、思いがけない再会だった。
