夕陽の向こう側



 同時刻三年四組。

「……先生!あれ!」

 クラスメイトの一人が叫ぶ、声に含まれる危機感の高さを感じ取り皆の顔に緊張感が走る。
 指さした窓の先には感染者の姿があった。誰もが恐怖する存在にクラスの中が静まりかえる。

「……」

 秋山海史(あきやまかいし)も自分の席から立ち上がり、皆の視線の先を確認した。
 元はサラリーマンだったのか、歳の頃は三十代前半に見えるがその顔色は明らかに生者のものではない。
 土色の肌にぎこちない動き、胸元には血痕がある。それがこの男のものなのか、別の人間のものなのかは遠目では判断出来ない。
 校門から入ってしまったのだろうか?

「皆、落ち着いて、ちょっと様子を見てくるから座って待っていること、教室の外には出ないように」

 担任の春日井は言いながら廊下に出ていった。
 今まで学校内に感染者が入ってきたことはなかったので、対応に不安があるのだろう。

「感染者……どこから来たんだろう……」
「発露?もしかして、狂騒者……?」

 ざわざわとクラスの中で小波のような小声の連鎖が起きる。どの顔にも不安と好奇心が見え隠れしている。
 きっと恐怖より好奇心が勝る者は、感染者と対峙したことがまだない幸運な人間なのだろう。
 中にはスマホで感染者を撮影している者もいる。その反対に顔を手で覆い、小刻みに震える者、それに寄り添う者も。
 クラスの中の様々な反応を見ながら、自身を落ち着かせるよう深呼吸する。
 この教室の中でただ一人自分だかが静かに興奮している。それを悟られたくはない。

「皆、このあと体育館へ移動になります、放送が入ったら移動します」

 出ていったときに比べると緊張感が増した表情で春日井が戻ってきた。

「体育館?」
「そうです、荷物はそのままで移動になります」
「えー」
『……体育館へ避難してください、鍵の解除を許可、鍵の解除を許可します、速やかに行動に移してください』

 丁度校内放送が入る。ざわつきが一瞬で消え、皆が真剣に耳を傾けた。
 最後の言葉を聞き海史は春日井の方へ顔を向ける。向こうも分かっていたのだろう、視線がかち合う。
 春日井の顔には躊躇いのようなものが見えるが、それを断ち切らせるよう、強い視線で見つめ返す。
 それは五秒にも満たないやり取りだったから、クラス中の誰も気付いた者はいなかった。

「はい、皆立って、移動しますよ」
「警察はまだ来ないのかな?」
「なー」
「おい、秋山行くぞ、どうした?」
「先行ってて」
「は?」
「ちゃんと行くから」
「……?」

 立ち上がらない海史をクラスメイトが不思議そうに見下ろしながら廊下へと出ていく。
 残り五人程になったところで立ち上がる。その時グラウンドの方から銃声が聞こえた。

「え?」
「何……?もしかして警察が……?」
「ほら、体育館へ移動よ、また状況が変わったら放送が入りますから今は移動して」
「はーい」

 今のは確かに銃声だ。警察ではなく、多分教師が感染者を駆除したのだろう。
 だが、校内放送が入るということはグラウンド内に感染者が立ち入った以上のことが起きているのではないか、海史は考えている。

「先生」
「……無茶はしないでね」
「大丈夫ですよ」

 春日井には高校生の息子がいると聞いたことがある。だから母親の顔をしているのだろう、心配そうな、本当であればこんなことをさせたくないという思いがその顔からは伝わってくる。
 春日井が渡してくれた鍵を受け取ると、教室には海史一人が残った。

「……さて、と」

 鍵を持ち教室の後にある掃除用具入れを開ける。埃っぽい匂いが鼻に届き、思わず息を止めた。
 箒やモップの掛かっているフックが取り付けてある上面には鍵穴が見える。厚さ15センチ程の引き出しの中央に鍵を差し込み、そのまま引き出す。
 薄い鉄板の箱の中には校章入の黒のトートバッグが入っている。
 それを引っ張り出し、鍵は掛けずに引き出しを仕舞い、ロッカーを閉じた。

「……大丈夫」

 トートバッグの中身を確認し、自分に言い聞かせるようにひとりごつ。
 これは訓練ではない。実戦だ。だけど、初めてではない。
 でも、もしかしたら経験したことのない規模の何かが待っているかもしれない。
 何かを感じている訳ではなく、ただ漠然とそんなことを思うのは恐れているからだ。だけど、恐怖を感じることは臆病だからではない。
 危機を恐怖だと感じられなくなる方が危ない。

「よし……」

 教室を出たらまずはクラスの皆に追いつかないと。早足でドアまで行き廊下を開ける。
 廊下は避難移動する生徒で溢れていた、その流れに乗るように同じ歩幅で歩き出す。

「秋山」

 流れの中から呼ばれ振り向けば、見知った顔が二つあった。

「鈴木……真叶(まなか)も……五組か、ここ」
「そう、丁度よかった、連絡しようかと思ったんだよ」

 連絡と言われ、自分がスマートフォンを持ってくるのを忘れたことに今気付く。まぁいいか。
 二人の顔に緊張感はない、落ち着いて見える。
 鈴木は親が警察官なこともあり、将来は警察官になりたいからと言う理由で狩人になったと聞いたことがある。
 もう一人、皆川真叶、小さい頃からよく知っている従兄弟だ。
 二人とも長身でそこそこ体を鍛えているので見た目に威圧感がある。
 鈴木は柔和な顔立ちなので、体格による威圧感はどちらかといえば危機的状況になれば安心感を与えてくれる。
 だが、従兄弟の真叶はいつも無表情で何を考えているか分からない、表情筋が死んでいると陰口を叩かれていた。
 顔立ちだけは整っているので、やっかみも入っているのかもしれない。
 無口無感情無関心。クラスでは大抵一人でいるようだ。本人に気にした様子はないが、もう少し愛想があってもいいのではと余計なこととは思いながらも心配してしまう。
 こうなった一端は自分のせいでもあるからだろう。

「そっか……あ、何か聞いてる?」
「うちは担任がさ」
「あぁ、そっか……」
「そう、だから先に行ってて、行く前にもしかしたらって鍵だけ渡されたんだよ」

 先程、春日井は隣の五組の担任の久保の意見を聞き戻ってきたのだろう。狩人である久保から少し状況を聞いたのかもしれない、だからこそ戻ってきた時に表情が固くなっていたのだろう。
 廊下の端まで来ると、上の階から降りてくる生徒たちとの合流で進みが遅くなり、やがて止まった。

「さっきの音ってもしかして」
「あーそうじゃないかな、久保先生じゃないかなぁ」
「ふーん……で、どうなんだろう……グラウンドにいたあれだけなのかな……」
「……分からないけど……放送が入って鍵が解放されるにはレベル3以上の筈」
「……だよね……」

 緊張感の薄い雰囲気なのはグラウンドの感染者の駆除を知っているからだろう。周りの生徒たちの顔は不満気だったり、面倒に感じ怠慢に移動している者も多い。
 大きめのボリュームのざわめきの中では三人の話す小声は掻き消える。

「……このまま体育館へ行ければいいけどな……」

 ずっと黙っていた真叶が思いつめた声を出す。二人は同じ思いで頷いた。



 やっと階段の詰まりが解消され始め、ゆっくりとではあるが歩みが再開された。
 海史たちの列も動きだし、前列にならいのろのろと階段を降りる。踊り場の付近でまた立ち止まりかけた所で、後方から叫び声が聞こえた。

「うわぁぁぁ……!!」
「感染者がいるぞ!」
「逃げろ!!」

 階上がたちまちパニック状態になると、その恐慌は直に階段を降りている生徒たちにも伝わった。
 前の生徒たちからバラバラと走り出すが、後方もそれに続こうと前の生徒を押し始めている。
 平均よりやや背の低い海史はもみくちゃにされてしまった。
 さっきまで隣にいた鈴木や真叶の姿は見えないが、周りを見ようにも人だかりで首を動かすことも出来ない。

「急いで降りてよ!」
「痛い、押さないでよ……!」
「早くしろ!」
「もっと落ち着いて歩けよ!」

 このまま将棋倒しにでもなったら、負傷者が出てしまう。教師の姿も見え、必死に慌てずにとアナウンスしているがあまり効果はない。
 背後からの圧に転びそうになる、やばい!と思ったが、寸前で横から伸びた腕に支えられ転倒せずに済んだ。

「……まなか……」
「……」

 真叶だ。やや長い前髪が海史の顔に掛かる程近くにある。見慣れた顔なのに一瞬だけドキリとしたが、顔は直に離れた。
 支えられていた腕が外れても、真叶は背の小さい海史が人波に飲まれないよう背後に周ると、肩に手をかけながら階段を降り降りた。
 何とか一階へ降り立つことが出来ると、鈴木は階段脇で待っていた。
 階段からは続々と昇降口へと向かう生徒で列が出来ている。

「どうする?」
「流石にここを逆流は無理だと思う……」

 あとどのくらい生徒が残っているのかは分からないが、まだ列が途切れそうにない。転んだ生徒がいたら助けようと、走りながら降りている生徒たちを見ながら答える。
 階段横にいる三人には皆目もくれず一目散に逃げていく。

「だよな……オレたちも体育館へ行くか?」
「……鍵が解放された理由が知りたい」

 一階の教室のある廊下から逃げてくる生徒はほとんどいない。一階のクラスの移動はほぼ終わっているのだろう。

「たしかに……」

 真叶の言葉に頷きながら考える。
 鍵の開放があるレベル3だとすれば感染者が5人程度発生もしくは侵入しているということだ。
 グラウンドの感染者は駆除さてている。
 そして二階に感染者がいる(新たな発露?)
 あと三人くらいはどこかに感染者がいる筈。
 だけど、どこに?どこかに潜んでいるのか?
 ではその場所は?

「久保先生に確認してみよう、オレたちだけで動くことも出来るけど、駆除が必要なのかそれとも体育館へ行った方がいいのか……電話してみる」
「そうだな」

 鈴木は制服のズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。
 海史はリュックの中へ置いてきてしまった。やはり、持ってくるべきだったかと思ったがもう遅い。

「久保先生、はい、そうです、はい、今は一階の階段の辺りです、はい、避難している生徒はまだいますが……もうほとんど残っていないと思います、ただ、二階で感染者が出たみたいです」

 階段を使い逃げてくる生徒の数はもうまばらになっている。感染者が何人で、どこにいるのかにもよるが教室に戻った生徒もいるのではないかと推測される。
 そこに狩人たる生徒がいればいいが、いなければ孤立無援になり全員やられてしまう。

「え?特別棟の方にいるんですか……?あぁ……はい、職員室で……はい、はい、わかりました……じゃあ、校舎内の感染者は……はい、駆除対象に……はい、わかりました、そのあと体育館へ行きます、はい、こちらは皆川と四組の秋山もいます」

 漏れ聞こえてくる単語から特別棟にある職員室で感染者の発露があったのかもしれない。
 教師で狩人登録しているのは久保の他にもいるが、職員室に居合わせたかは分からない。

「はい、わかりました、はい……はい、先生も……」

 通話を終えるとまたズボンのポケットにスマートフォンを仕舞う。
 一つ息をついてから、鈴木は真叶と海史の顔を見比べた。

「これから一階保健室に置いてある武器を
回収してから校内の感染者の駆除にあたる。その際、感染している者の駆除の許可は降りた……あと」
「?!」

 銃声が聞こえた、三人が一斉に上の階を見やる。

「……狩人が残っているな」
「そうだな、なら急いで武器を回収その後合流しよう」
「久保先生はなんて?」
「特別棟で……職員室で感染者が出た、駆除は出来たが噛まれた教師も出て……更に既に半日以上経っている感染者が潜んでいたらしく……その駆除に行くって……」
「半日以上って……まさか狂騒者か?」
「食い荒らされた死体が出たって……これは一部にしか知らされてないから他言するなって」
「分かった……」
「……こっちにはいないよな……」
「分からない……半日なのか一日なのか、数日なのか……」

 時間が経つ程に感染者は狡猾になる。知能が戻ってくるとでもいうのか、自己で判断をし動く者たち。『狂騒者』感染者が進化するとそう呼ばれていた。

「とにかく、保健室だ」
「うん」

 階段を見上げるともう降りてくる者はいない。銃声は時折聞こえてくるし、生徒たちの足音や叫び声も聞こえる。
 それらを無視するのは忍耐がいるが、三人の顔からは感情が消えている、覚悟が出来た顔だ。

「急ごう」

 鈴木が走り出す、そのあとに二人も続いた。




 保健室は校舎の右奥にある。階段は校舎内左右の端にあり、三人は左端にいる。ここからは昇降口が近く、外に出て裏手に回れば体育館はすぐだ。
 ここから逃げた生徒たちは無事体育館へたどりつけただろうか、確かめるのはもっと後になりそうだ。
 廊下を走りながら空いているドアから教室を覗いていくが、残っている生徒はいないようだ。
 鈴木、海史、真叶の順で走り、ほどなく保健室前に着いた。
 引戸に手を掛け一気に開ける。室内を見渡したが誰もいない。既に避難済みのようだ。

「えーと、保健室のはどこだ……ベッドの方だっけ?」

 鈴木が衝立の先のベッドへ向かおうとしているので、海史もその後に続こうとしたが腕を引かれ立ち止まる。

「?」
「お前はこのまま体育館へ向かえ」
「は?」
「ここからなら外へ出られる、今ならグラウンドに感染者もいなさそうだから」
「何言ってんだよ、真叶」
「……海史は体育館へ行くべきだ」

 二人の身長差は十センチ以上ある。真っすぐに見下ろしてくる真剣な表情は、真顔だとよく怒っているように見え怖いと噂される程の迫力だが海史には無効だ。
 産まれた時から近くで育ってきた従兄弟だ、真叶がどんな顔をしていたって怖くはないし、何を考えているのかも分かる。
 分かるからこそ引きたくないのだ。

「オレは狩人だ、お前と同じだ、オレだけ逃げるようなことは出来ない」
「お前は違う、対象者だ」
「違わない!」

 海史の大声に驚いた鈴木が衝立の向こう側から顔だけ出してきた。

「おいおい、どうした?」
「どうもしない」

 むすっとして海史が答える。

「……今は喧嘩なんかしている場合じゃないって分かるだろ?つか、お前ら仲良いのか悪いのか時々分からなくなるよな……」

 呆れ顔がまた衝立に隠れる。
 この話は終わりだ、と言うように海史の胸の上辺りを軽く拳で叩き海史も鈴木の方へ向かった。

「……」

 誰が見ても怒っている顔は実際怒っている顔だった。
 端から見れば大型犬と小型犬の喧嘩に見える程、二人の体格差はある。分が悪いのは小さな海史に見えるが、血の気の多さから海史は引くことを知らない。実際体術だけならこの場で一番強い自信もあるのだろう。
 過信ではないが、その強気さも真叶が危惧する一因でもある。そして、対象者であることが無鉄砲に飛び込んでいく理由にもなっている。
 だが、ここで議論の続きをするつもりは真叶にもないのだろう、ため息のように深く息を吐き出し二人に続いた。

 鈴木がベッドの下から木の箱を取り出していた。緊急時用と札が提げてる白い木箱に、トートバッグの中に入っていた鍵の束から保健室の鍵を選び差し込む。

「……リュックは二つか、もう一つ箱があるからこっちも開けよう、二人は装備の確認を」
「うん」

 どんな武器がどこに置いてあるかは予め校内訓練などで知らされてはいるのだが、それら全てを覚えている訳ではない。
 置いてある場所は狩人がいる教室と、狩人(教師)が担当している教科準備室。職員室、校長室、保健室。それ以外だと空き教室や特別棟にある音楽室などにも置いてある。
 一番装備品が多いのは体育館になり、あそこは弾倉なども置いてある。いわば倉庫に近い。
 教室に置いてあるのは緊急時に使用できる程度のものだ。そして、保健室などには回収して使う為に予備として置いてある。
 保健室の場合、救護用具などもセットで置いてある。

 リュックの中身はハンドガン二丁と弾倉。サバイバルナイフ。水のペットボトル二本。他にもタオルなど細々した物も入っている。
 リュックの他には包帯や消毒液、固形の非常食なども詰め込まれていた。それら必要な物をリュックの中へ仕舞う。

「こっちも同じだな、リュック二個だけど……こっちは手榴弾が入ってるな……あと、アサルトライフルか?」
「おー、当たりだな、体育館だっけ?マシンガン置いてあるの」
「あぁ、多分職員室にもあると思う」
「誰が持つ?」

 鈴木が箱から取り出したアサルトライフルを両手に持つ。
 無言で手を出したのは真叶だ。それを見て海史はハンドガンを選んだ。予備用だ。

「あとは鈴木が使ってくれ、オレは小回り効く方がいい」
「分かった」

 トートバッグに入っていた銃などをリュックへ移し、再度装備を確認して三人は互いの顔を見て頷き合った。

「友達だったとしても噛まれていたら躊躇うなよ、もう助からない」
「……うん」
「出来れば校内の狩人と合流したいが、取り残されている生徒の救出を優先する、もし、狂騒者がいて駆除が無理であれば撤退、もしくは避難だ」
「うん、分かった」
「もし対象者がいたらどうする?」

 真叶が問い掛ける。一瞬鈴木が口籠る。

「対象者は連れて行く……いまだ不明な所多い感染者に対して無効な対象者は貴重だ、詳しくは知らないが血清……?抗体から薬を作る実験をしているんだろ……効き目は薄いがオレたちが打たれるワクチンの材料になってるって聞いた」
「……そうだな」

 キッと真叶を睨みつける。鈴木は海史が対象者であることを知らない。知っているのは狩人になっている教師だけだ。
 真叶は満足そうに頷いている、何処かで海史が噛まれ対象者だと分かれば直ぐにでも体育館へ避難させる口実を得たとでも思っているような顔だ。
 だが、そんなことを知らない鈴木は、対象者のことも考えないとな、と真面目に思案している。

「……全員実戦経験はある程度積んでいるけどな、だけど、無茶はするな、自分の命優先だ」
「……あぁ」

 真叶がちらりと視線を寄越す。無茶をするなと釘を刺されているのを無視する訳にもいかず、分かったと口に出す。

「じゃあ、行くか、まずは階段から三階を目指す、そこから取り残された生徒がいないか確認しながら下へ降りていく」
「分かった」

 二人はライフルを構え、海史は銃を右手に走り出す。
 鈴木が先頭に、次いで海史、殿に真叶。さっきと同じ順でまずは階段を目指す。
 廊下は不気味な程静かだった。保健室へ来るまでに覗いた教室に人の気配はやはりない。
 階段の近くまで来ると、二階の物音が聞こえ始める。人の声に混じり、物が倒れる音などが聞こえる。今のところ銃声は聞こえない。

「……」

 鈴木が無言で振り返る。付いてきているかを確認したというより、これから階段を登るという意図だろう。
 駆け出した鈴木の後を追い、海史も階段を駆け上がる。
 その後、数秒遅れて足音が背中に届く。

「……!」

 踊り場の折り返しで二階を見上げると、階段にうつ伏せで倒れている生徒がいる。
 制服から女子だと分かる。上履きのラインは緑なので二年生。階段には彼女の血が流れ落ち、血溜まりを作っていた。
 足は止めなかった。感染して駆除された生徒だろう。顔が見えなかったのはよかったか、死顔を見たら足が止まっていたかもしれない。

 鈴木が二階へ到着し、廊下を覗こうと数歩進み、柱に隠れながら様子をうかがっている。
 急に向きを変えると、急げというように手を払い階段まで走り出す。
 廊下に何があるのか、海史も気になったが確かめることはせず、鈴木の背中を追った。
 三階まで階段を登り切ると、廊下へは進まず三人揃うのを待った。
 真叶の後から誰かが登っては来なかった。




「……感染者がいたのか?」
「あぁ、でもこっちには気付いてないみたいだった」
「……そうか」

 真叶が確かめるように鈴木に聞けば、やはりいたのは感染者だった。
 息が上がるほどではないが、喉が乾いた。
 海史がリュックからペットボトルを取り出すと、二人も思い出したようにリュックから同じようにペットボトルを出した。
 数分の休憩は直に終わった。
 水を飲み終えると、三人の視線が合わさる。言葉に出さなくても、意思疎通が出来るのはこれが初めての『実戦』ではないからだろう。
 高校が同じでも、訓練は別々に受けることも多い。だが、三人は偶然にも同じ訓練に参加することが多かった。
 感染区へ出向く実戦を伴う訓練も一度や二度ではない。この手で感染者を駆除したこともある。
 危険を前に進む勇気を持てるのは一人ではないから。友がいるから。原動力の全てではないが、二人の存在は大きなものだった。

 鈴木が行くぞ、と廊下の方を手で示す。足音を立てないようにゆっくりとした動きだ。
 感染者は時間が経つほど音や気配に敏感になっていく。校内にいる感染者の大半はまだ感染してから一時間以内の者が多い筈だ。
 その時間内であれば、まだウィルスが体内の支配を始めたばかりで動きはぎこちなく、歩みなども遅い。だから感染から何時間経っているかで駆除出来る確率も違ってくる。
 初期段階で駆除が成功すれば、被害は最小限で済む。
 学校などに配置されている狩人は訓練を受けていはいるが、警察や軍隊とは違いいわば素人である。だから、この初期段階でどれだけ脅威を取り除けるかでその施設内の生存率が上がるのだ。

 廊下には倒れている元生徒がいる。血溜まりの中に倒れている者ばかりなので、生徒か教師かは分からないが狩人に駆除された後だろう。
 三階の教室は主に一年生の教室がある。
 奥へ進む程に何かが蠢いている気配を感じた。
 一つ一つ教室を開けて確認していく。
 誰もいない教室が多い。そんな中ある教室で動けなくなっている感染者がいた。
 両足と体の一部を撃ち抜かれ、教室の床の上でもがいている男子生徒だ。
 既に自我はなく、痛みも感じていないのだろう。動く手だけで床を掻きむしるその様に同情はしても、それ以上の感情は持たない。
 鈴木は教室の中まで進むと、ベルトに付けたホルダーの銃を抜き、感染者の額に向け一発弾丸を打ち込んだ。

「……」

 時間経過した感染者は助からない。唯一の救いは動けなくすることだけだ。

「……?」

 鈴木は何か引っかかりを覚えたような顔をすると、廊下ではなくベランダ側に進んだ。
 その姿を見て、海史と真叶は顔を見合わせ教室の中へ入った。

「どうかしたのか?」

 真叶が問いかける。
 鈴木は二人を振り返っただけで何も答えない、多分まだ確信が持てないからだろう。
 ベランダへと通じるガラス戸を開けた鈴木はそのままベランダへ出た。
 左右をきょろきょろと見渡し、身を乗り出した。直に体を引っ込め、教室にいる二人を手招く。二人は駆け出した。

「二階から避難している生徒が多い」
「あぁ……さっき感染者が二階にいたもんな、結構生徒が残っていたってことか」
「カーテンか?何かロープみたいなので伝って降りてる……って飛び降りたか?あれ」

 ベランダの手摺から階下の様子を伺う。生徒たちがバラバラと体育館の方へ走っていく。あとどのくらい生徒が残っているのか、狩人がいるのかは分からない。
 少し前に聞こえていた銃声は聞こえてこないから感染者が駆除され、避難しているということか。

「このままベランダから進むか……」

 ベランダには教室ごとに簡素な柵があるが、飛び越えられないようなものではないので、右奥へとそのまま進んでいく。
 奥から二つ目の教室の前に差し掛かると、中には数名の生徒たちがいた。

「?!」

 教室とベランダでお互い驚き合い、鈴木が直に手招いた。
 廊下側の引戸の前には机や椅子が積んであり、バリケードを作ったのだと知れる。ということは感染者がどこかにいたということだ。
 生徒たちは一瞬躊躇った後にベランダへ寄ってきた。ガラス戸を開けたのは、一番背の高い男子生徒だった。

「怪我をしている者はいないか?」
「え、あ、はい、いません……あ、あの……先輩……たちは……」
「オレたちの説明はあとだ、感染者は廊下にいたのか?」
「はい、いました……入ってこないようバリケード代わりに机を摘んで……他にも誰かが通ったような音や……銃声も……」
「そうか……オレたちが誘導するから体育館へ行こう」
「はい!!」
「……よかったぁ……」

 残っていた生徒は全部で六人。全員一年生だ。安心したのか、手を取り合い床に座り込み泣き出す女生徒たちもいる。

「他にも取り残されている生徒がいるか分かるか?」
「……隣の教室から声が聞こえていました……でも、少し前から声は聞こえなくなって……」
「……そうか……」

 鈴木は教室から一旦ベランダへ出る。教室内の会話は聞こえていたので、鈴木が考え込んでいる理由は分かる。
 隣の教室で何が起きているか。
 廊下側に感染者がいたことは確かだ。そして三人がここへ来るまでで廊下にも教室にも感染者はいなかった。斃された感染者だけだ。
 ということは感染者は隣の教室にいる。声が聞こえていたということは取り残さてた生徒がいたのかもしれないが、声は途切れているのならば生存者はいないかもしれない。

「ベランダから隣の教室を確認するか?」
「……そうだな……いや、それより先に避難させるべきか……」
「ベランダから……?」
「うーん、二階からならまだしも、ここからカーテンで降りるのは……二階の状況も分からないから危険だ、さっき上がってきたルートで戻るか?どうする、先に隣をどうにかした方がいいと思うか?」
「……」

 まだこの階に取り残さている生徒がいるのならば助けたい。だが、いるのかいないのかは分からない。確実に言えるのは感染者はこの階、多分隣の教室にいるということだけ。

「先にここにいる者だけでも避難させた方がいいと思う」
「理由は?」
「今感染者がどのくらいいるかは分からないし、生存者がどのくらいいるかも分からない、時間が経つほど襲われる確率も上がるし、もし生存者がまだいても一度に逃がせるというか、オレたち三人が護衛出来る人数か分からない、今の六人なら護衛出来る範囲内だ、誘導して避難させられる、隣は気になる」
「ベランダは閉まっているのかな?」
「……たぶんな、感染したてでは鍵を開けられないのかも、ベランダに感染者が出てこない内に行動した方がいいだろうな」
「……皆川の言う通りかもな、避難させよう」

 三人は頷き合い直に行動へ移した。



「みんな、体育館へ避難しよう、誘導するから付いてきてくれ」
「はい……!」
「オレたちが通ってきたのは西側の階段だ、感染者はいなかったから今なら一階まで降りられる」
「よかった……!」

 一年生たちは一斉に安堵した表情になる、中には泣き出した女子生徒もいた。

「こっちだ」

 鈴木が先頭に立ちベランダへ出る。そのまま二つ先の教室へ入り、階段を降り昇降口へ向かう作成だ。
 先頭に鈴木、間に三人一年生を挟み真ん中に海史、また一年生ニ人、殿を真叶が務めた。真叶は足を挫いたという女子生徒をおぶっている、だから生徒たちは避難していたようだ。
 真叶が教室へ入ると鈴木は既に廊下に出ようとしていた。廊下に首をだし左右に視線を飛ばし、安全を確認すると廊下へ出た。

「焦らなくていいから、早足で付いてきてくれ」
「はい」

 先頭に立ったり一年生と並走したりしながら廊下を進み、階段へ向かう。
 真ん中の海史は泣いている女子生徒の隣で並走しながら階段へ向かった。
 踊り場までは順調だった。二階へ降り一階に続く階段へ海史が差し掛かろうとした時だ。

「た、助けて……!」

 悲痛な声が二階の廊下から聞こえ、顔を向けると泣き腫らした顔の女子生徒が階段方面に走ってくる所だった。
 その後には感染者らしき生徒が二人。

「海史、何止まってるんだ!」

 後から続いていた真叶が階段から声を掛ける。一人背中に背負っているのに、身軽そうに走り寄ってくる。

「先に行ってて」
「だめだ」
「大丈夫だ、行っててくれ!鈴木!二階に戻る、あと頼んだ!」
「はぁ?!おい……!」
「皆川!秋山に任せろ、行くぞ!」
「……分かった」

 階下からの声に渋々頷き、海史の前後にいた一年生を追い立てるようにして階段を降りた。
 海史は二人のやり取りを背中で聞きながら、廊下の女子生徒に駆け寄った。

「大丈夫?後に下がってて」
「はい……!」

 見た所噛み跡はない、感染者に追いかけられパニックになっているようだ。
 感染者があと2メートルの所まで迫る、1メートル半、海史はベルトに付けていたホルダーからハンドガンを取り出し両手で持つと手前の感染者の額に狙いを付け引き金を引いた。

「……!!」

 背中で女子生徒が驚いたような声を出したが、説明は後だ。
 弾は残念ながら額ではなく、耳の横を掠めた。もう一発引き金を引く、今度は額ではなく頬に命中した。
 もう1メートルに迫り手を伸ばせば届く距離になろうという所で、続け様にハンドガンを撃つ。
 頬に当たった感染者の額と、その背後にいた感染者は足を狙った。二人してもつれるように倒れた所で、頭を撃ち抜く。

「……ふぅ……もうだいじょ……え……」

 背後に隠れていた女子高生は、突然海史の腕を掴むと噛みついてきた。
 咄嗟のことで対応が遅れてしまったが、直に腕を引き感染者となってしまった女子高生の腹に蹴りを入れ引き離す。
 彼女は廊下に転がり、虚ろな目で海史を見つめた。
 噛み跡は見当たらないと思っていたが、倒れた瞬間長い髪に隠れた項が顕になるとそこにはくっきりと歯型が刻まれ血が滲んでいた。
 自分の腕を見ると、シャツを捲った手首に牙が刺さったような穴と歯型が付いている。血はあまり出ていないがこのままにしておくわけにはいかない。だが、今は目の前の感染者だ。

 まだ感染して間もないので動きは鈍い。倒れたまま起き上がろうとしているが、両手を床に付いたまま屈んでいる。
 海史は彼女の後頭部へ狙いを定め、二発打ち込んだ。

「……はぁ」

 ゆっくりと廊下へと沈み、彼女の長い髪は見る間に赤い血溜まりの中へ広がっていく。
 廊下を見るとまだ感染者はいたが、警戒しているのか海史の方へ近寄っては来ない。
 アサルトライフルがあれば教室二つ分離れていても攻撃可能であるが、ハンドガンでその距離にいる感染者を仕留めるのは海史の腕では無理だった。
 二階で助けを求めている生存者がいたということは、三階のように教室へ入れないようになっているということだろう。上から見ていたが、ベランダから避難している生徒たちがいた。その中には狩人がいたのだろうか。
 廊下には感染者だった死体が何体かある、狩人がいたという証拠だがその狩人はどこへ行ったのか。感染者の合間を縫って三階もしくは一階へ逃げたか。
 考えても答えは分からない、だから目の前のことだけに集中する。

「……どうするかな……」

 リュックの中に弾倉はあるからまだここで駆除を続けることは出来るが、一人でどこまで出来るだろうか。
 襲ってこないのならば放置して、自分も体育館へ行くべきか。今から真叶たちの後を追うか?
 ……いや、真叶ならば……。
廊下から足音が聞こえてきた、それは1人分ではなく二人分ある。

「海史!」
「……真叶……鈴木も……戻ってきたのか?一年生たちは?」
「まだグラウンドで先生たちが体育館まで誘導していたから託してきた」
「……そっか」
「……戻ってきて正解だな」

 鈴木は廊下の先にいる感染者に目線を合わせ、肩から提げていたアサルトライフルを正面に構えた。

「……海史」
「なに」

 真叶が隣に来て小声で聞いてくる。

「噛まれたのか?」
「……」

 そういえば手当をしていなかった。腕の噛み跡を見て聞いてきたのだろう。
 海史は捲っていたシャツを戻し、袖の先のボタンを留めた。
 これなら噛み跡は見えない。

「他に怪我はないか?」
「大丈夫」
「本当に?」
「あぁ、大丈夫だって」
「……ならいいけど……」

 真叶は鈴木に続くようにアサルトライフルを構え、海史の前に出た。
 真叶が来る前に噛み跡を隠すべきだった。また、心配をかけてしまった。
 それに状況が悪い。一人にした所を噛まれたと思っているに違いない。
 まだ、真叶は……。
 従兄弟はずっとそれを気にしている。
 それはもう、真叶のトラウマになってしまっていた。