真夏に贈るマグカップ♡ 執着は垂れる汗とともに

 暑い。
 アスファルトの焼ける臭いを感じながら、マサトはベンチの背もたれに寄りかかった。
 かろうじてベンチは日陰にあるものの、遊歩道の白いアスファルトは、照り続ける太陽の光をこれでもかと反射していた。

「早く来いよ……」

 蝉も鳴かないような猛暑の中、マサトの呟きは吹き上がる熱風に混じって消えた。
 夏のド真ん中、マサトは呼び出したくせに遅刻中の年下の幼馴染を待っている。

 ――早く来い!
 汗をかけばかくほど、暑さが殺意に変わる。
 再び催促してやろうとマサトがポケットのスマホを取り出した時、ふっと影が落ちた。

「ごめん!」

 染めた金髪を揺らし、眉を思い切り下げた男――タケルが両手を顔の前で合わせて、マサトに許しを乞う。

「遅ぇよ、もう。すっげー暑かったんだからな」
 マサトは悪態をつきながら立ち上がり、未だ手を合わせるタケルと目線を合わせた。とはいってもタケルの目線は拳一つぶん高い。顎を少し上げ、ふんと鼻を鳴らしてタケルを睨み上げた。

「うぅ、ごめんってばぁ……」

 タケルは広い肩を丸めて縮こまる。金髪の合間から下げた眉が覗き、その下には潤んだ瞳があった。じっとマサトを見つめるその目は、濡れた子犬を連想させた。

「ったく。しょうがねぇな」

 マサトはため息をついた。
 この目にはめっぽう弱い。幼い頃に散々、見てきたはずなのに、この顔のタケルに見つめられると、兄貴風を吹かせたい自分が我を出して「許してやれよ」と余計な一言を言うのだ。

「とにかく暑いし、予定がないなら喫茶店にでも行こうぜ?」

 垂れる汗を拭いつつ話題を切り替える。しかしタケルは、歩き出そうとしたマサトの腕を掴んだ。

「待って!」
「何だよ、もう」

 腕を引っ張られ、再び日陰の中に入る。暑さも相まって苛立ちが急速に募ったが、マサトの視界は突然、光沢のある白い何かに遮られた。ピントを合わせようとぱちぱちと瞬きをすると、それは贈答用の袋であることが分かった。

「は……?」

 意味が分からず声を上げると、今度は腕を下方向に引っ張られた。マサトはその力に負けてストンとベンチに座らされる。するとタケルがささっと回り込んで、マサトの隣に座った。
 とけるような、にこにこ顔が眼前に迫る。

「お誕生日おめでとう!」

 そして膝の上に、どんと贈答用の袋を置かれ――いや、押しつけられた。
 ふとももに感じる僅かな重みに困惑しながら、マサトはタケルを見上げる。

「……ありがとう。でもさ、こういうのって喫茶店とかもっと落ち着いた場所で渡すもんじゃねぇの?」

 タケルの笑みが、はっとした表情に変わる。

「確かに!」

 そしてまた眉を下げて、不安げに呟く。

「でもぉ……マサ兄の顔みたらすぐ渡したくなっちゃったんだよ」

 彼はもう二十歳の青年だというのに、唇を尖らせ少しだけ頬をふくらませる。幼い仕草は甘えの証拠でもあり、見慣れた顔でもあったので、やはりマサトの中の兄貴が風を吹かせた。

「ま、嬉しいけどさ」

 一言言って、マサトは頭をぽりぽりと掻いた。『許します』という合図だ。
 ぱっとタケルの顔色が明るくなる。暑いのにぐいぐいと近づいてきて、膝がぴったりとくっついた。

「ね、ね! 開けてみてよ」
「はぁ? ここで?」
「ここで!」

 マサトはいつものように押し負けて、袋の中の箱を取り出した。
 ――Happy Birthday! そう印字された鮮やかなシールを剥がし、そっと箱を開ける。

「……マグカップ?」

 中にあったのは、真夏に見合わない厚みのあるマグカップ。
 二個で一セット。色鉛筆風の大型犬と三毛猫。その顔がどでかくプリントされたものが並んでいる。

「そう!」

 ぶんぶんと音がしそうな勢いでタケルが頷く。

 どうしてこのクソ暑い真夏に、マグカップ?
 それも犬と猫? 確かに俺は猫を飼ってるけど、犬は何? 抱き合わせ?

 頭の中に盛大に疑問符が飛ぶ中、隣からは感想を求めるキラキラとした視線が突き刺さる。

「……ありがとう。大切に使うよ」

 マサトが答えると、タケルは満面の笑みを浮かべた。

「うん!」

 ヒマワリにも負けない輝く笑顔。正直、今は太陽よりも暑く思えた。

「でね、マサ兄」

 どうやら続きがあったようだ。マサトは首をかしげて続きを待った。

「俺、就職決まったよ!」

 これにはマサトも笑顔になった。膝の上の割れ物を気にしながらも、小さく拍手してタケルの努力を称える。

「まじか! おめでとう。良かったな!」

 二年前、自分が就活している時は十二月にやっと決まったのにと少しチクリとしつつも、純粋に嬉しかった。
 タケルは自慢げに笑った。ただ、右側だけ若干上がったその笑みにマサトはぎくりとした。
 何かある。企んでいる。そういう時の笑顔だ。

「就職先、マサ兄の会社の近くなんだよ。だから居候させて?」

 マサトは笑顔のまま固まる。

「……は?」

「マサ兄のアパートって俺の父さんの所有物件じゃん? 2DKで広いじゃん? 俺、一人暮らししたことないし、住まわせてくれないかなーって」
「いやぁ、それは」
「父さんにも、おばさんにも許可とったからぁ! ね?」

 じりじりとタケルの顔が近づいてくる。

「嫌?」
「ええと……」

 嫌ではない。決して、嫌ではない、が。
 あまりに急すぎる。部屋割りや家事、家賃の分担はどうするのか。それに、物置同然になっている空き部屋の掃除もしなくてはならない。
 
 そんなことを考えていると、ポケットのスマホが震えた。

「あ、ごめん」

 話題を変えるチャンスだと言わんばかりに、マサトはスマホを取り出して画面を見る。何でも良い。とりあえず時間を稼いで冷静になろう。
 画面に表示されたポップ。それをタップしようと指を伸ばすと、新たな通知が飛んできた。

『――それでタケルくん、研修があるから一月には引っ越すって。それまでに部屋を片付けて……』
 母親からのメッセージ。恐らく分割されているであろう長文の一部が目に入った。

「……」

 完全に外堀は埋まっているようだ。最早、マサトに拒否権はない。
 顔を上げると、タケルのにんまり顔と目があった。
 むかつくぐらいのいい笑顔だ。

「だからね、これは俺の就職祝いでもあるんだ」

 タケルはマグカップの一つを持ち上げ、微笑んだ。大型犬のプリントがタケルの顔に並ぶ。垂れた目と幸せそうにきゅっとあがった口角がよく似ている。

「一緒に住も!」

 マサトの頬から汗が垂れた。その雫は、三毛猫が描かれたマグカップの上に落ち、ゆっくりと流れていった。