レタスは軽いやつがいい……ってこれキャベツじゃん。どれ持っても重いと思ったら。こっちの棚じゃなかったな。
あー、何買うんだっけ……。メモは、してきてねえな。忘れた。
家の冷蔵庫の中を想像すれば……。卵の残りの数なんて覚えてねえよ……。考えるのめんどくさいし買っておけばいいか。
「及木……?」
今日たいして買うつもりなかったのに、なんかすっごい重く感じるな。カート使うべきだったか。
頭がスッキリしなくて思考が霞む。
「及木」
「……ん? あ、神白じゃん。お疲れ」
まさか向こうから声かけてくるとは。でもバイト中に無駄話するのはよくないんじゃないか?
「フラフラしてるけど大丈夫?」
「? してねーよ」
フラフラしてんのはお前の目だろうが。
「ねぇ、顔赤いよ。熱あるの?」
「あるわけないじゃん」
「え?」
熱なんて引いたことない、ん? 風邪か。だいぶ前に引いたっきり、最近はずっと健康だ。
頭が痛いとか、喉が痛いとかないんだから熱なんかあるわけない。
「ちょっと」
「っ!」
不意に腕を掴まれてたたらを踏んだ。カゴ持ってるんだから危ないだろ。神白にもぶつかりそうになったじゃねえか。
急になんなんだ。
「何すんだよ」
「熱いと思うんだけど……」
体温の差じゃないか? スーパーって大体冷えてるし、お前の体温が下がってるんだよ。俺が俺の体調の変化に気づかないわけないし。
「大丈夫? 具合悪いなら家まで送るよ」
「悪くないんだから必要ねえよ」
つーかお前バイト中だろ。サボる気か。学校は良くてもバイトはダメだろ。いや学校も良くないけど。不登校だからギリいいのか?
「でも」
「いらないって言ってんだろ……!」
腕を振って神白の手から自分の腕を解放させる。
なんで急にこんなに話しかけてくるんだ。元々は向こうが拒否したくせに。
そのままその場を離れて買い出しの続きをしていく。何がそれだけ必要なのかよくわからないけど、もうなんとなくでいい。
◆
あ゛ーー。やば……目回る。これは、本当に具合悪かったのかも。
くそ、しんどい。
さっきまで大丈夫だったんだからせめて家まで保てよ俺の体め。言うこときかない自分の体が憎い。
あー、家まで遠い。おかしいな、いつもと距離は変わってないのに。
歩道の端に寄って、ズルズルと膝を折りうずくまる。買った荷物も地面に置いてしまう。体を丸めたらなんか寒い気もしてきた。夏なのに、おかしいな。
神白の言う通りだったのかよ。全然わからなかったわ……! 自分の体調なのに! なんであいつの方が俺の体調わかるんだよ。
全力でバカみたいじゃん。
善意で言ってくれたのに。心配してくれたのに。言い返しただけ損じゃん。
「及木……!」
うわ、あいつの声聞こえてくるとか、幻聴やば。死にたくなってきた。
「及木!」
「っ! あ……?」
すげえ近くで声がするから顔を上げてみれば……神白がいる? あいつまだバイト中だろ。
「ドッペルゲンガーじゃん」
「何言ってるの……」
神白もしゃがみ込んでいるから視線の高さが一緒だ。不思議な感じだな。
「ちょっとごめんね」
「っ!」
急に手を伸ばされて思わずギュッと目を瞑る。びっくりしてバランス崩して尻もちついたじゃねえか。
「あつ……どう考えても熱あるでしょ……。よくこれで動けてたね」
デコに手を当てられて体温を確認されたらしい。そんなんでわかるかよ。
俺より大きいであろう手が離れていって、緊張から解放された。
「大丈夫だから。ちょっと休めば帰れる。家遠くないんだし」
「遠くないのに帰れてないんだよ」
「……」
恨みがましい目を向けてやる。揚げ足を取りやがって。
お前の言う通り具合悪かったよ。でもだからってどうしろと。
「なんでいるんだ、バイトは?」
「抜けてきたよ」
「……サボりか」
「シフト被ってる人が気を利かせてくれたんだよ」
本当かよ。でも嘘つくメリットもないし。
「及木。助けて、って言って」
「……は?」
「ちゃんと及木から言って。そうしないとまた自覚ないまま無理しちゃうでしょ。言葉にすれば少しはわかるかなと思って」
心当たりがあり過ぎる……!
「帰りたいでしょ?」
「帰りたいに決まって——あ、飛燕ちゃん……」
妹が家で1人で待っているんだった。遅くなったら余計な心配かけるかも。
「妹さん? 一緒に来てたの?」
「家にいる……」
「こんなときまで人のこと考えるんだね。じゃあ帰らないと。ほら?」
「……」
「及木」
「っ……」
頬を両手で挟まれて顔を上げさせられる。
同じ高さの目線で、ユラユラと揺れる神白の瞳に見つめられて呼吸が浅くなっていく。
「う……った、助けて……」
絞り出すようになんとか伝える。慣れない言葉に息が詰まって苦しい。
視線は逸らしてしまった。
「うん。助けてあげる」
神白の返答を聞いて息が吐けた。本当に助けてくれるらしい。
なんか……感情が上下して疲れたな。
手を離されて自由になったので膝の間に顔を埋めて再度うずくまる。でも直ぐにこれからどうすんだ?と不安になり1センチくらい顔を上げて神白を盗み見ると、スマホを操作してどっかに電話し始めたっぽい。
喋ってる内容から予想すると、タクシーを呼んでんのか。
「この距離でタクシーって金持ち……」
「及木1人なら運べるけど荷物もあるからね」
「運べるって俺は野菜かよ……」
ふ、って笑う声が聞こえた。
◆
「飛燕ちゃん……!」
「わっ! びっくりしたなぁ」
「あ……?」
なんだ。ここ、どこだ。暗い。今何時だ?
忙しなく動かしていた目が明るい場所を捉えてそこを凝視する。妹が立っているな。
「起きたんだ。ちょうど良かった。ご飯食べる?」
「ご飯、うっ……眩しい」
電気を点けられたのか急な明るさに目を細めた。狭くなった視界から見慣れた景色が見え、自分の部屋だと気づく。
部屋に入ってきた妹を視界の端に入れながらノロノロと体を起こし、状況把握に努めようと必死に頭を働かせる。
ご飯のワードを頼りに連想ゲームを始めて、速攻で重大なことを思い出した。
「え! 飛燕ちゃんご飯食べた? 俺作ってないよな? 買った?」
「柳さんが作ってくれたよ」
「は?」
なんて? 柳さん……? あ、神白のことか。我が妹ながらサクッと下の名前呼びするとはやるな。
じゃなくて、え?
「なんで神白が飛燕ちゃんのご飯作ってんの……?」
「お兄ちゃんのこと連れ帰ってきてくれたついでにしてくれたの!」
「連れ帰ってきた」
「お兄ちゃん柳さんに運ばれてきたんだよ。……大丈夫? 記憶ある? 結構やばいじゃん。柳さんに助けてもらえて良かったよ本当に」
「……」
えっと……?
買い物行って、神白に会ったな。で、話しかけられたか。
店内にいるときに心配してくれてたのに言い返して。結局具合悪くなって助けられたんだった。
うわ頭痛い……。でも本当に具合悪いって思ってなかったんだ……。
「私全然気づかなかったし、ごめんね」
「あぁうん。俺も気づかなかったし」
「それはちょっとどうかと思うけど」
返す言葉もないな……。
「とりあえず柳さんにお兄ちゃん起きたって教えてくるね」
「は……? 今、神白いんの……?」
柳さーん!と元気な声で呼びかけながら俺の部屋から出ていく妹を見送る。マジで家ん中にいるのか。どんな顔して会えばいいんだ。
悩む暇を与えられないまま、すぐに妹が神白を連れて戻ってきた。
「及木起きた? 大丈夫?」
アパートの部屋前やルポマで見かける姿が俺の部屋の中にある。違和感がすごい。
眉を下げた神白の表情に、申し訳なさが込み上げてきた。
「柳さんが熱確認した方がいいって。体温計持ってきたよ」
「あぁうん。測る」
妹から体温計を受け取り脇に挟む。二人にガン見されながら体温の確認するって、すっごい居心地が悪いな。熱ありませんように。
「38.5度だね」
「もう1回」
「もう3回目だよ。無駄だよお兄ちゃん」
おかしいな……。時空が捩れている。
そんな高熱なわけがないんだから、もう1回測った方がいいだろ。無駄って言うな。
うだうだ考えていると妹からの無言の圧が届く。仕方ないから体温計をしまい、現実を見る。そんなに高いのか……。
「熱は高いけど元気そうだね」
「元気だよ……」
「タクシーで寝ちゃうくらいには体つらいはずだけどね」
「え?」
そういやタクシーに押し込まれたんだったな。その記憶はあるぞ。思い出したというか。
「どうする、ご飯食べる? お粥作ったよ」
「そうじゃん、飛燕ちゃんのご飯作ってくれたって。悪いな……。あれ、つまり俺の聖域に踏み込んだってことなのか……」
「お母さんの聖域でしょ。お兄ちゃんは間借りだよ」
「……」
ひどくね……? 妹が冷たい。
もうふざけたこと考えてないと自分の不甲斐なさに耐えられないんだよ。
「ふ……仲良いんだね」
「仲良しなのはその通りだな。すまん。なんかいろいろしてもらって」
「ううん。これくらいならできるからね。もっと頼っていいよ」
これくらいならなんてよく簡単に言えるなぁ。
頼っていい、と言われても。何をどうすれば。
「飛燕ちゃんは飯食ったの?」
「食べさせてもらいました! ありがとうございます!」
「マジですまん……助かる」
妹の遠慮の無さにもびっくりする。でも成長期だしちゃんと食えてよかった。
「及木はどうする?」
「…………寝る」
考えることを放棄した。やっぱり現実を直視するのは厳しいな。
だってどうしていいかわからん。妹みたいに素直に受け取れない。
「ん。わかった」
「飛燕ちゃん、俺の代わりに神白のこと見送ってくれ」
「もちろん!」
パチっと電気を消し、妹と神白が部屋から出ていく。
暗い部屋に一人になって少し余裕が戻ってきた。ゴロンとベッドに横になり、思い出す。
え? 待ってくれ。俺運ばれたの?? 運ばれたってどうやって……。
リアルに頭を抱える日が来ることになろうとは。俺がレタスだったら運ばれることに何も思わないのに。レタスになりたかった……。
◆
37.8度。下がったな一応。オッケーオッケー。
自分的にはいいがこの状態で病院にお見舞いは行けないので、母さんに風邪引いたから数日はお見舞いに行けないと連絡をする。『飛燕から聞いた、休め』と即レス。早起きだな。
「お兄ちゃん何してるの!」
「おはよう、珍しく早起きだな」
こっちも早起きだ。みんな健康的でいいことだ。
「い、いつも早起きだし! 何してるのって聞いてるの!」
「神白が作ってくれた朝ごはんあっためてる」
見たままのことをしてるんだよ。レンジがピーピーと声を上げたので蓋を開けて取り出す。
「それくらい自分でできるよ! 熱測って!」
「あー、なかった」
「嘘つき!!」
「断定かよ」
間髪入れずに嘘つき呼ばわりって傷つく。まぁ、嘘だけど。
取り出した卵焼きをテーブルに置く。
神白が俺用に作ってくれたたまご粥も温めようかな。せっかく作ってくれたものを残すのは気分が悪い。
昨日買ったばかりの卵が大活躍だな。しゃがみ込んだときに割らなくてよかった。
「ちょっと待ってて……!」
作業を続けていたら、妹が怒気を孕んだ声で言い捨てて、スタスタと歩き玄関に向かって歩いていく。背中を目で追っていくと、そのままドアを開けて家から出て行った。
朝っぱらからどこに行く。え、待って、家出? ちょ……さすがに困るんだけど。
慌てて手に持っていたお茶とコップを置き、後を追う。
ドアノブに手を掛けようとして、空を切った。
「うわっとと……」
「何してるのお兄ちゃん!」
「いやお前が、え……?」
こんな時間に家から出ていくからだろ、と怒ろうとしたら目の前に神白がいる。
「おはよう及木」
「は……?」
「昨日より体調良さそうだね」
「あ、うん……」
いつものユラユラ揺れた瞳で微笑まれた。
「えっと、どういうこと?」
「では柳さん! 私の鍵貸すからお兄ちゃんのことお願いします!」
「うん。任せてね」
「え?」
神白の手を掴み無理やり鍵を握らせた。
「飛燕ちゃんそれはさすがに迷惑だから」
「いつでも頼ってねって言ってくれたの! 今がそのときでしょ! それに任せてって言ってくれたじゃん今!」
社交辞令では?
「お兄ちゃんのことベッドに縛りつけてもいいんで!」
「ちょっと飛燕ちゃーん!」
俺の妹が強すぎるんだが?
「とりあえず起きる元気があるならご飯食べようよ!」
肝が据わり過ぎじゃあなかろうか……。
全然無視して帰ってもらっていいんだけど、と神白の方を窺う。
「お粥食べれそう? 用意するね」
ふわりと微笑まれ、心臓がドキッとする。何というか。言外に『食べておとなしく寝ようね』という圧を感じた。勘違いだと信じたい。
お粥どころか牛丼でもカツ丼でも食べれそうなくらい元気なんだけどな。
◆
俺と神白が並んで妹を学校に送り出すという世にも奇妙な体験をした。
いや。3人で食卓を囲み飯を食ったところあたりから、風邪が見せた幻覚だったかもしれない。
「あー、えっと。妹がすまん。もう大丈夫だから」
帰っていいよ、は言葉が違うな。なんて言えばいいんだ。
「心配だから眠るまで待ってるね」
「いや……」
むしろ寝れないだろ。うん、帰ってほしい。
「飛燕ちゃんに頼まれたし。助けて、って言われたからね」
言わされたやつ……!!!
身内と自分の言葉に首を絞められるとは。
「あー、俺が寝たら帰ってもらって大丈夫だから。つーか今帰っても大丈夫かだから」
「寝てくれたら安心して帰れるよ」
「……」
気まぐれで穏やかで優しいと思っていた猫が、意外と俊敏な動きで獲物を捕える瞬間を見てしまったというか。
意外と喋るんだな、神白って……。
部屋行こうねと追い立てられ、横になろうねとベッドを整えられ、布団に滑り込まされた。
早業だった。
「疲れてたんだね」
そんなことねえよと言おうとして、現状がこれなので何も言えなかった。
「お見舞いも毎日行ってたんでしょ? 飛燕ちゃんがいつもお兄ちゃんが全部してくれるんだって言ってたよ」
基本は俺がやってるけど、妹にだって手伝ってもらってるし。
「及木はすごいね」
保育士に寝かしつけられてるみたいだな……。
神白からのほぼ一方通行な会話を瞼の裏で聞きながら悪態をつく。
体温を確かめるようにデコに置かれた手がゆっくりと動かされる。冷たくはない。でも俺より少し体温が低くてじんわりと染みる。ぬるま湯に浸かる感じだ。あったかい。
◆
——寝た。
寝られたんだけど? なんだ、催眠術にでもかかった気分だ。グッスリ眠ってパッチリと目も頭も覚めた。
窓から入ってくる陽がまだ強く明るい。長くは寝てないのか?
ゴロンと寝返りを打って横向きに体勢を変えたら目の前に背中。これはベッドのへりに背中を預けている神白か?
まだいたのか。
「起きた? 大丈夫?」
「!」
神白が俺の方に振り返った結果、顔が目の前に。美形こわい。
「だ、大丈夫」
のそのそと体を起こして距離を取る。
「帰ろうとも思ったんだけどね、うなされてたから」
「え?」
そうだったのか? 夢も見ないほどグッスリ眠った気がしたんだけど……。
「なんか譫言言ったか……?」
「ううん。言ってはなかったよ」
どっちだ、これ。聞こえたけど聞こえなかったことにしてくれてんのか? 考え出すと止まらないし額面通り受け取っておくか……。
「ずっといてもらって悪い。することもないのに」
スマホで時間を確認すると14時くらいか。まぁまぁ寝たか。
甚鉄から連絡が入ってるけど無視でいいだろう。代わりに後で湊に一言入れておくか。
「ん、ご飯作ってたから。勝手に食材とキッチン使ってごめんね」
「いや全然……。昼過ぎてるけど、お前は飯食ったのかよ」
「一回自分の部屋戻ったんだ。鍵使わせてもらったよ」
「有能だな……」
こういうところで遠慮なく使えるってある意味才能だよな。
ここで飯作ったなら、自分の分まで作ってここで食べていいんだけど。落ち着かないかさすがに。
「あ、今日バイトは? 夕方からでいいのか?」
「うん。でもそろそろ帰っておこうかな」
また俺のせいでサボらせたなんてことがなくて安心した。
「その前に熱測ってみて」
「あぁ」
俺の部屋に置きっぱなしになった体温計を取り、ピピピピピと。下がってますように。
「37.4度」
よし、下がったな。小さくガッツポーズをする。
だいぶ体軽くなってきたし、もう問題ないだろ。活動に支障はない。
「まだ少しあるね」
「もう誤差だろ」
「ぶり返すかもしれないしダメだよ」
「……」
無言でじいーっと見つめるんじゃねえよ……。
何も言ってない。誤差と言っただけだ。
妹ももう少ししたら帰ってくるだろうし、当然今日も明日も母さんも親父もいないんだ。あぁでもまた神白が飯作ってくれたんだ。それだけあればなんとかなるか。
妹だって一人で何もできない歳ではないんだ……。なんなら隣人を顎で使える胆力が……。顎で使ってはないけどさ……。
「及木」
「…………寝ます」
「いい子だね」
たっぷりと間をあけてきちんと宣言した。俺の負けだ……。
「じゃあ帰るね」
「玄関まで」
「いいよ。鍵は郵便受けに入れておくから」
「最後までは言わせろよ」
帰ろうと立ち上ろうとした神白の服をパッと掴んで引き止める。
「あー、その、ありがと……」
何から何までしてもらって、本当に感謝してるから言わないわけにはいかない……。
返しきれない恩だぞこれ。
「うん」
「っ……!」
「またね」
「……あぁ」
ドアが閉じられ俺の部屋から完全に出ていったことを確認して、ベッドに突っ伏す。
……真正面からもろに浴びた!! あの優しい微笑みを!!
過去一の笑顔を。完璧な破顔だった……。
あー、熱い。熱上がった。これは、風邪のせい……。この風邪はヤバかったのかもしれない……。
いつもがユラユラと定まらない柳の葉なら、これは水面に映って境界が溶けた月。
頭が壊れている。たしかに寝るべきだな……!
あー、何買うんだっけ……。メモは、してきてねえな。忘れた。
家の冷蔵庫の中を想像すれば……。卵の残りの数なんて覚えてねえよ……。考えるのめんどくさいし買っておけばいいか。
「及木……?」
今日たいして買うつもりなかったのに、なんかすっごい重く感じるな。カート使うべきだったか。
頭がスッキリしなくて思考が霞む。
「及木」
「……ん? あ、神白じゃん。お疲れ」
まさか向こうから声かけてくるとは。でもバイト中に無駄話するのはよくないんじゃないか?
「フラフラしてるけど大丈夫?」
「? してねーよ」
フラフラしてんのはお前の目だろうが。
「ねぇ、顔赤いよ。熱あるの?」
「あるわけないじゃん」
「え?」
熱なんて引いたことない、ん? 風邪か。だいぶ前に引いたっきり、最近はずっと健康だ。
頭が痛いとか、喉が痛いとかないんだから熱なんかあるわけない。
「ちょっと」
「っ!」
不意に腕を掴まれてたたらを踏んだ。カゴ持ってるんだから危ないだろ。神白にもぶつかりそうになったじゃねえか。
急になんなんだ。
「何すんだよ」
「熱いと思うんだけど……」
体温の差じゃないか? スーパーって大体冷えてるし、お前の体温が下がってるんだよ。俺が俺の体調の変化に気づかないわけないし。
「大丈夫? 具合悪いなら家まで送るよ」
「悪くないんだから必要ねえよ」
つーかお前バイト中だろ。サボる気か。学校は良くてもバイトはダメだろ。いや学校も良くないけど。不登校だからギリいいのか?
「でも」
「いらないって言ってんだろ……!」
腕を振って神白の手から自分の腕を解放させる。
なんで急にこんなに話しかけてくるんだ。元々は向こうが拒否したくせに。
そのままその場を離れて買い出しの続きをしていく。何がそれだけ必要なのかよくわからないけど、もうなんとなくでいい。
◆
あ゛ーー。やば……目回る。これは、本当に具合悪かったのかも。
くそ、しんどい。
さっきまで大丈夫だったんだからせめて家まで保てよ俺の体め。言うこときかない自分の体が憎い。
あー、家まで遠い。おかしいな、いつもと距離は変わってないのに。
歩道の端に寄って、ズルズルと膝を折りうずくまる。買った荷物も地面に置いてしまう。体を丸めたらなんか寒い気もしてきた。夏なのに、おかしいな。
神白の言う通りだったのかよ。全然わからなかったわ……! 自分の体調なのに! なんであいつの方が俺の体調わかるんだよ。
全力でバカみたいじゃん。
善意で言ってくれたのに。心配してくれたのに。言い返しただけ損じゃん。
「及木……!」
うわ、あいつの声聞こえてくるとか、幻聴やば。死にたくなってきた。
「及木!」
「っ! あ……?」
すげえ近くで声がするから顔を上げてみれば……神白がいる? あいつまだバイト中だろ。
「ドッペルゲンガーじゃん」
「何言ってるの……」
神白もしゃがみ込んでいるから視線の高さが一緒だ。不思議な感じだな。
「ちょっとごめんね」
「っ!」
急に手を伸ばされて思わずギュッと目を瞑る。びっくりしてバランス崩して尻もちついたじゃねえか。
「あつ……どう考えても熱あるでしょ……。よくこれで動けてたね」
デコに手を当てられて体温を確認されたらしい。そんなんでわかるかよ。
俺より大きいであろう手が離れていって、緊張から解放された。
「大丈夫だから。ちょっと休めば帰れる。家遠くないんだし」
「遠くないのに帰れてないんだよ」
「……」
恨みがましい目を向けてやる。揚げ足を取りやがって。
お前の言う通り具合悪かったよ。でもだからってどうしろと。
「なんでいるんだ、バイトは?」
「抜けてきたよ」
「……サボりか」
「シフト被ってる人が気を利かせてくれたんだよ」
本当かよ。でも嘘つくメリットもないし。
「及木。助けて、って言って」
「……は?」
「ちゃんと及木から言って。そうしないとまた自覚ないまま無理しちゃうでしょ。言葉にすれば少しはわかるかなと思って」
心当たりがあり過ぎる……!
「帰りたいでしょ?」
「帰りたいに決まって——あ、飛燕ちゃん……」
妹が家で1人で待っているんだった。遅くなったら余計な心配かけるかも。
「妹さん? 一緒に来てたの?」
「家にいる……」
「こんなときまで人のこと考えるんだね。じゃあ帰らないと。ほら?」
「……」
「及木」
「っ……」
頬を両手で挟まれて顔を上げさせられる。
同じ高さの目線で、ユラユラと揺れる神白の瞳に見つめられて呼吸が浅くなっていく。
「う……った、助けて……」
絞り出すようになんとか伝える。慣れない言葉に息が詰まって苦しい。
視線は逸らしてしまった。
「うん。助けてあげる」
神白の返答を聞いて息が吐けた。本当に助けてくれるらしい。
なんか……感情が上下して疲れたな。
手を離されて自由になったので膝の間に顔を埋めて再度うずくまる。でも直ぐにこれからどうすんだ?と不安になり1センチくらい顔を上げて神白を盗み見ると、スマホを操作してどっかに電話し始めたっぽい。
喋ってる内容から予想すると、タクシーを呼んでんのか。
「この距離でタクシーって金持ち……」
「及木1人なら運べるけど荷物もあるからね」
「運べるって俺は野菜かよ……」
ふ、って笑う声が聞こえた。
◆
「飛燕ちゃん……!」
「わっ! びっくりしたなぁ」
「あ……?」
なんだ。ここ、どこだ。暗い。今何時だ?
忙しなく動かしていた目が明るい場所を捉えてそこを凝視する。妹が立っているな。
「起きたんだ。ちょうど良かった。ご飯食べる?」
「ご飯、うっ……眩しい」
電気を点けられたのか急な明るさに目を細めた。狭くなった視界から見慣れた景色が見え、自分の部屋だと気づく。
部屋に入ってきた妹を視界の端に入れながらノロノロと体を起こし、状況把握に努めようと必死に頭を働かせる。
ご飯のワードを頼りに連想ゲームを始めて、速攻で重大なことを思い出した。
「え! 飛燕ちゃんご飯食べた? 俺作ってないよな? 買った?」
「柳さんが作ってくれたよ」
「は?」
なんて? 柳さん……? あ、神白のことか。我が妹ながらサクッと下の名前呼びするとはやるな。
じゃなくて、え?
「なんで神白が飛燕ちゃんのご飯作ってんの……?」
「お兄ちゃんのこと連れ帰ってきてくれたついでにしてくれたの!」
「連れ帰ってきた」
「お兄ちゃん柳さんに運ばれてきたんだよ。……大丈夫? 記憶ある? 結構やばいじゃん。柳さんに助けてもらえて良かったよ本当に」
「……」
えっと……?
買い物行って、神白に会ったな。で、話しかけられたか。
店内にいるときに心配してくれてたのに言い返して。結局具合悪くなって助けられたんだった。
うわ頭痛い……。でも本当に具合悪いって思ってなかったんだ……。
「私全然気づかなかったし、ごめんね」
「あぁうん。俺も気づかなかったし」
「それはちょっとどうかと思うけど」
返す言葉もないな……。
「とりあえず柳さんにお兄ちゃん起きたって教えてくるね」
「は……? 今、神白いんの……?」
柳さーん!と元気な声で呼びかけながら俺の部屋から出ていく妹を見送る。マジで家ん中にいるのか。どんな顔して会えばいいんだ。
悩む暇を与えられないまま、すぐに妹が神白を連れて戻ってきた。
「及木起きた? 大丈夫?」
アパートの部屋前やルポマで見かける姿が俺の部屋の中にある。違和感がすごい。
眉を下げた神白の表情に、申し訳なさが込み上げてきた。
「柳さんが熱確認した方がいいって。体温計持ってきたよ」
「あぁうん。測る」
妹から体温計を受け取り脇に挟む。二人にガン見されながら体温の確認するって、すっごい居心地が悪いな。熱ありませんように。
「38.5度だね」
「もう1回」
「もう3回目だよ。無駄だよお兄ちゃん」
おかしいな……。時空が捩れている。
そんな高熱なわけがないんだから、もう1回測った方がいいだろ。無駄って言うな。
うだうだ考えていると妹からの無言の圧が届く。仕方ないから体温計をしまい、現実を見る。そんなに高いのか……。
「熱は高いけど元気そうだね」
「元気だよ……」
「タクシーで寝ちゃうくらいには体つらいはずだけどね」
「え?」
そういやタクシーに押し込まれたんだったな。その記憶はあるぞ。思い出したというか。
「どうする、ご飯食べる? お粥作ったよ」
「そうじゃん、飛燕ちゃんのご飯作ってくれたって。悪いな……。あれ、つまり俺の聖域に踏み込んだってことなのか……」
「お母さんの聖域でしょ。お兄ちゃんは間借りだよ」
「……」
ひどくね……? 妹が冷たい。
もうふざけたこと考えてないと自分の不甲斐なさに耐えられないんだよ。
「ふ……仲良いんだね」
「仲良しなのはその通りだな。すまん。なんかいろいろしてもらって」
「ううん。これくらいならできるからね。もっと頼っていいよ」
これくらいならなんてよく簡単に言えるなぁ。
頼っていい、と言われても。何をどうすれば。
「飛燕ちゃんは飯食ったの?」
「食べさせてもらいました! ありがとうございます!」
「マジですまん……助かる」
妹の遠慮の無さにもびっくりする。でも成長期だしちゃんと食えてよかった。
「及木はどうする?」
「…………寝る」
考えることを放棄した。やっぱり現実を直視するのは厳しいな。
だってどうしていいかわからん。妹みたいに素直に受け取れない。
「ん。わかった」
「飛燕ちゃん、俺の代わりに神白のこと見送ってくれ」
「もちろん!」
パチっと電気を消し、妹と神白が部屋から出ていく。
暗い部屋に一人になって少し余裕が戻ってきた。ゴロンとベッドに横になり、思い出す。
え? 待ってくれ。俺運ばれたの?? 運ばれたってどうやって……。
リアルに頭を抱える日が来ることになろうとは。俺がレタスだったら運ばれることに何も思わないのに。レタスになりたかった……。
◆
37.8度。下がったな一応。オッケーオッケー。
自分的にはいいがこの状態で病院にお見舞いは行けないので、母さんに風邪引いたから数日はお見舞いに行けないと連絡をする。『飛燕から聞いた、休め』と即レス。早起きだな。
「お兄ちゃん何してるの!」
「おはよう、珍しく早起きだな」
こっちも早起きだ。みんな健康的でいいことだ。
「い、いつも早起きだし! 何してるのって聞いてるの!」
「神白が作ってくれた朝ごはんあっためてる」
見たままのことをしてるんだよ。レンジがピーピーと声を上げたので蓋を開けて取り出す。
「それくらい自分でできるよ! 熱測って!」
「あー、なかった」
「嘘つき!!」
「断定かよ」
間髪入れずに嘘つき呼ばわりって傷つく。まぁ、嘘だけど。
取り出した卵焼きをテーブルに置く。
神白が俺用に作ってくれたたまご粥も温めようかな。せっかく作ってくれたものを残すのは気分が悪い。
昨日買ったばかりの卵が大活躍だな。しゃがみ込んだときに割らなくてよかった。
「ちょっと待ってて……!」
作業を続けていたら、妹が怒気を孕んだ声で言い捨てて、スタスタと歩き玄関に向かって歩いていく。背中を目で追っていくと、そのままドアを開けて家から出て行った。
朝っぱらからどこに行く。え、待って、家出? ちょ……さすがに困るんだけど。
慌てて手に持っていたお茶とコップを置き、後を追う。
ドアノブに手を掛けようとして、空を切った。
「うわっとと……」
「何してるのお兄ちゃん!」
「いやお前が、え……?」
こんな時間に家から出ていくからだろ、と怒ろうとしたら目の前に神白がいる。
「おはよう及木」
「は……?」
「昨日より体調良さそうだね」
「あ、うん……」
いつものユラユラ揺れた瞳で微笑まれた。
「えっと、どういうこと?」
「では柳さん! 私の鍵貸すからお兄ちゃんのことお願いします!」
「うん。任せてね」
「え?」
神白の手を掴み無理やり鍵を握らせた。
「飛燕ちゃんそれはさすがに迷惑だから」
「いつでも頼ってねって言ってくれたの! 今がそのときでしょ! それに任せてって言ってくれたじゃん今!」
社交辞令では?
「お兄ちゃんのことベッドに縛りつけてもいいんで!」
「ちょっと飛燕ちゃーん!」
俺の妹が強すぎるんだが?
「とりあえず起きる元気があるならご飯食べようよ!」
肝が据わり過ぎじゃあなかろうか……。
全然無視して帰ってもらっていいんだけど、と神白の方を窺う。
「お粥食べれそう? 用意するね」
ふわりと微笑まれ、心臓がドキッとする。何というか。言外に『食べておとなしく寝ようね』という圧を感じた。勘違いだと信じたい。
お粥どころか牛丼でもカツ丼でも食べれそうなくらい元気なんだけどな。
◆
俺と神白が並んで妹を学校に送り出すという世にも奇妙な体験をした。
いや。3人で食卓を囲み飯を食ったところあたりから、風邪が見せた幻覚だったかもしれない。
「あー、えっと。妹がすまん。もう大丈夫だから」
帰っていいよ、は言葉が違うな。なんて言えばいいんだ。
「心配だから眠るまで待ってるね」
「いや……」
むしろ寝れないだろ。うん、帰ってほしい。
「飛燕ちゃんに頼まれたし。助けて、って言われたからね」
言わされたやつ……!!!
身内と自分の言葉に首を絞められるとは。
「あー、俺が寝たら帰ってもらって大丈夫だから。つーか今帰っても大丈夫かだから」
「寝てくれたら安心して帰れるよ」
「……」
気まぐれで穏やかで優しいと思っていた猫が、意外と俊敏な動きで獲物を捕える瞬間を見てしまったというか。
意外と喋るんだな、神白って……。
部屋行こうねと追い立てられ、横になろうねとベッドを整えられ、布団に滑り込まされた。
早業だった。
「疲れてたんだね」
そんなことねえよと言おうとして、現状がこれなので何も言えなかった。
「お見舞いも毎日行ってたんでしょ? 飛燕ちゃんがいつもお兄ちゃんが全部してくれるんだって言ってたよ」
基本は俺がやってるけど、妹にだって手伝ってもらってるし。
「及木はすごいね」
保育士に寝かしつけられてるみたいだな……。
神白からのほぼ一方通行な会話を瞼の裏で聞きながら悪態をつく。
体温を確かめるようにデコに置かれた手がゆっくりと動かされる。冷たくはない。でも俺より少し体温が低くてじんわりと染みる。ぬるま湯に浸かる感じだ。あったかい。
◆
——寝た。
寝られたんだけど? なんだ、催眠術にでもかかった気分だ。グッスリ眠ってパッチリと目も頭も覚めた。
窓から入ってくる陽がまだ強く明るい。長くは寝てないのか?
ゴロンと寝返りを打って横向きに体勢を変えたら目の前に背中。これはベッドのへりに背中を預けている神白か?
まだいたのか。
「起きた? 大丈夫?」
「!」
神白が俺の方に振り返った結果、顔が目の前に。美形こわい。
「だ、大丈夫」
のそのそと体を起こして距離を取る。
「帰ろうとも思ったんだけどね、うなされてたから」
「え?」
そうだったのか? 夢も見ないほどグッスリ眠った気がしたんだけど……。
「なんか譫言言ったか……?」
「ううん。言ってはなかったよ」
どっちだ、これ。聞こえたけど聞こえなかったことにしてくれてんのか? 考え出すと止まらないし額面通り受け取っておくか……。
「ずっといてもらって悪い。することもないのに」
スマホで時間を確認すると14時くらいか。まぁまぁ寝たか。
甚鉄から連絡が入ってるけど無視でいいだろう。代わりに後で湊に一言入れておくか。
「ん、ご飯作ってたから。勝手に食材とキッチン使ってごめんね」
「いや全然……。昼過ぎてるけど、お前は飯食ったのかよ」
「一回自分の部屋戻ったんだ。鍵使わせてもらったよ」
「有能だな……」
こういうところで遠慮なく使えるってある意味才能だよな。
ここで飯作ったなら、自分の分まで作ってここで食べていいんだけど。落ち着かないかさすがに。
「あ、今日バイトは? 夕方からでいいのか?」
「うん。でもそろそろ帰っておこうかな」
また俺のせいでサボらせたなんてことがなくて安心した。
「その前に熱測ってみて」
「あぁ」
俺の部屋に置きっぱなしになった体温計を取り、ピピピピピと。下がってますように。
「37.4度」
よし、下がったな。小さくガッツポーズをする。
だいぶ体軽くなってきたし、もう問題ないだろ。活動に支障はない。
「まだ少しあるね」
「もう誤差だろ」
「ぶり返すかもしれないしダメだよ」
「……」
無言でじいーっと見つめるんじゃねえよ……。
何も言ってない。誤差と言っただけだ。
妹ももう少ししたら帰ってくるだろうし、当然今日も明日も母さんも親父もいないんだ。あぁでもまた神白が飯作ってくれたんだ。それだけあればなんとかなるか。
妹だって一人で何もできない歳ではないんだ……。なんなら隣人を顎で使える胆力が……。顎で使ってはないけどさ……。
「及木」
「…………寝ます」
「いい子だね」
たっぷりと間をあけてきちんと宣言した。俺の負けだ……。
「じゃあ帰るね」
「玄関まで」
「いいよ。鍵は郵便受けに入れておくから」
「最後までは言わせろよ」
帰ろうと立ち上ろうとした神白の服をパッと掴んで引き止める。
「あー、その、ありがと……」
何から何までしてもらって、本当に感謝してるから言わないわけにはいかない……。
返しきれない恩だぞこれ。
「うん」
「っ……!」
「またね」
「……あぁ」
ドアが閉じられ俺の部屋から完全に出ていったことを確認して、ベッドに突っ伏す。
……真正面からもろに浴びた!! あの優しい微笑みを!!
過去一の笑顔を。完璧な破顔だった……。
あー、熱い。熱上がった。これは、風邪のせい……。この風邪はヤバかったのかもしれない……。
いつもがユラユラと定まらない柳の葉なら、これは水面に映って境界が溶けた月。
頭が壊れている。たしかに寝るべきだな……!
