不安げな君の顔に恋をした

「17時か。おい、俺そろそろ帰るんだけど。寝てるならノート返せよ」

 テーブルに突っ伏して居眠りする甚鉄の頭を教科書で叩く。土曜ゆえ多少賑わっているフードコートにパシンという音が響かず消えていく。
 いつものことで感慨すらない。お前のテストの点が悪くなるだけだぞ。

「はっ! これはオレの!」
「違えよ。俺も使うんだよ」
「いつも点良いんだからいいだろ!」
「お前と違って勉強してるから点取れるんだよ」

 どうにか悪くならないように毎日コツコツやってるんだ。

「この時間は眠いんだ……!」
「勉強してるときはいつだろうが眠いだろお前……」

 お前が毎度毎度テスト前に泣きつくんだろうが。教えてやってんだからちゃんとやれ。居眠りは5分までは許してやるから。
 またノート返したくないらしい甚鉄が、テスト範囲にあたる課題を再びやり始めた。それを見て深く腰をかけ直す。仕方ないな。あと少しだけいるとして、何しよう。
 俺の方が集中力切れたな。何となしにぐるりとフードコートを見回すと、ルポマの清掃バイトの制服に身を包んだ神白がいた。今日もきっちり働くらしい。
 丁寧に作業する姿をボーッと眺める。
 なんだろう、猫をずっと目で追える感じに近いんだろうか。野良猫くらいしか知らないが。見かけると視界から消えるまでつい追うことがある。
 ウォーターサーバー用の紙コップの補充を終えた神白がこちら側に振り返った。パチリ、と目が合う。
 俺に気づいてくれたので、ヒラヒラと手を振って挨拶もどきをする。
 ふっ、と微笑まれた。
 すごい小さな変化なんだけど、表情がまるく柔らかくなる。
 やばい。こっち見て笑いかけられるって、これは……自己肯定感が上がる。俺と認識して好意的な態度を取るんだ。
 美形に微笑まれるってすごいな。なるほどパワーがある。
 すぐに作業に戻ったので一瞬のことなのに余韻がすごい。

「あれ? あいつってあいつ?」
「あいつだよ」
「それで伝わるんだからやっぱり君たち仲良いよね」

 甚鉄と同じレベルって言ってんのか。
 湊も集中力が切れたのかひと段落したのか、課題の手を止めてお喋りに参加するみたいだ。

「湊にも伝わってるじゃんか! オレがすごい!」

 読み取れる俺たちがすごいんだよ。

「進展してるんだね」
「進展」

 進展ねぇ。拒否され、目を逸らされていたことを考えるとたしかに変わったな。
 猫が寄ってきてくれた感じで悪くない。

「そうだといい——」
「チッ……」
「……!」

 苛立った舌打ちが背後から聞こえてきて反射的に振り返る。
 なんか見覚えあるの顔。あ、こっち向いて目が合った。
 記憶を辿ると少し前にリールバーガーで接客してた愛想のないの店員に行き着く。ルポマ併設のフードコートに出店しているハンバーガーチェーン店だ。
 湊が毎回フラッペ買うから、俺も一緒によく買っている。そのときに何度が見てる顔だ。

「なに?」
「あ? 別にお前じゃねえよ、自意識過剰かキモいな」
「はぁ?」

 聞こえるように舌打ちしておいて何言ってるんだこいつ。
 俺じゃないならじゃあ誰だよ。湊? 甚鉄? あ。

「神白……?」
「は? 知らねえよ」

 知らないってなんだよ。なら舌打ちすんなっつの。

「お前ここのバイトだろ。他のバイトのやつと問題起こすようなことすんなよ。あいつに迷惑かかるだろうが」

 学校は来なくてもバイトはサボらず行ってるんだ。自業自得で辞めさせられるなら当然神白のせいだけど、客の前で舌打ちするようなやつからの貰い事故で辞めることになったら最悪だろ。
 今やってることを、できることを妨げるんじゃねえよ。
 引きこもりになったらどうすんだ。
 せっかく話すようになったのに、振り出しに戻ったらどうすんだ。

「うるせえ、あいつがどうなろうが興味ねえよ」

 興味ないなら放っておけよ。なんでわざわざ突っかかるかなぁ。
 チラリ、とさっきまで神白がいた場所を確認して、とっくに移動してたことを思い出す。よかったいなくて。

「何にイラついたのか知らないけど、懐いた猫が逃げたらお前のせいだからな」
「は……??」
「野菜の話題なら話せるようになったのに……」
「は? お前何言ってんだ……」

 クソ、なんでこんなにイライラしてんだ。伝染してんのか?? 迷惑な。
 舌打ちしたこいつが悪いけど、俺もなんでこんなやつに突っかかってるんだ。自分で何を言ったかわからん。考えたことと口に出したことの境界が曖昧になってわけわからん……!

「あぁーー!!」
「——っ!?」

 甚鉄の張り裂けるような声でビクッと体が跳ねて思考が途切れた。頭の中でグルグルと渦巻いたものが霧散していく感じがする。

「俺のクラスのモテてるやつ! そう、海の幸!」
「っ春海(はるうみ)だ……!」

 っはぁ……? あ、名前か? 甚鉄お得意のあだ名か……。
 よく瞬間的に、今のは自分の名前が間違われたんだってわかったな……。うわ、肩の力抜けた……。

「チッ……」
「あ! 行っちまった!」
「当たり前だろ……」

 フードコートのくたびれた座面の椅子にグデリと全体重をかける。背もたれに頭をつけて抱えてないと体が支えられねえよ……。
 何枚も重なったトレーを重そうに抱えて去っていった。トレーの回収で近くに居ただけなのか。さっさと回収して戻れよ。神白の勤勉さを見習え……。
 なんだったんだあいつ……。

「顔いいやつらって生きるの大変なんだなぁ……」
「話がデカいな……」

 生きるのって。しみじみ言うなよ。
 さっきのあいつのことは知らないけど、いや神白ことだって何も知らないか……。でも神白は現在進行形で不登校だからな。生きづらさはあるのかも。

「大丈夫? まぁ甘いものでも買ってきて癒されなよ。季節限定のフラッペ美味しいよ。今回のマンゴーは大当たりだから」
「それはさっきのあいつのところに買いに行ってビビらせて来いって言ってんのか? 鬼畜かよ」
「ふはっ……!」

 のそのそと顔を上げたらちょうど湊が吹き出していた。そんな笑うことか……。今言ったやつ実行したら結構やばいやつだろ。

「いや、そんな酷いことは思ってないよ。でも買いに行ったらそうなるのかな……?」

 そうなるだろ。でも気遣って言ってくれたことはわかるし感謝する。

「あ、買ってきてほしいってことか? あいつの顔見たくないから」
「深読みしすぎだよー……」
「買いに行くけど?」

 甘いものか。買いに行くならついでに自分のも買う。たまには悪くないかも。特に何も考えずお茶とか、ずっとあるものを惰性で選びがちだから。

「そういうところだよねぇ」
「どういうところだよ」

 わかるように言え。なんだってそんな曖昧なんだ……。

「富貴がいらないなら買いに行かなくていいよ。僕のまだたくさん残ってるし」
「そうか」

 じゃあいいか。行かなくても。かなりのサイクルでいろんな味が出されてるっぽいから、そのうち買いに行く機会ができるだろ。





 ファミレスのメニューを端から端まで全部見ていく。既に3周目だ。何が食べたいかわからん。メニューの数が多いな。
 妹が親父に本当に文句を言ったらしく、今日は俺が夕飯を作る必要がない。楽でいいけどまさか選ぶのが大変になるとは儘ならない。
 夕飯の献立は基本的にレトルト合わせ調味料が大活躍しているからそんなに困らない。端から作っていけばいいから。

「お兄ちゃん決まった?」
「シェフのおまかせサラダ」

 ファミレスにシェフはいないがたぶん美味しいだろ。自分で作るサラダの参考にしてやる。

「え? それだけ? もっと肉とか肉とかピザとか肉は? 食べないの?」
「飛燕ちゃんそんなに肉食べたいのか?」

 普段のご飯足りてなかったのか? 量増やすか。ちょうど成長期で食べる量増えてるのかもしれないな。

「パパに当てつけで頼むかと思ったの」
「は?」
「えっ……?」

 そういうこと? 俺そんなに性格悪そうだと思われてんの? 悲しい。

「パパ目の前にいるんだよ? 飛燕には見えてないのかな……?」
「見えてるからでしょ!」
「うっ」

 俺の妹が強い。俺の分まで文句を言うって言ってたな。有言実行してる。

「ふ、二人とも! 何頼んでもいいからね……!」
「私はちゃんと最後にデザートも食べるよ。食べれそうだったら2つ頼むから!」

 食欲旺盛だな。俺は今日あんまり食べる気しないしサラダだけでいいや。たぶん前に食い尽くされたそのときなら肉と肉とピザを頼んだかもしれない。

「どれ選んだの、注文するから教えて」

 二人からこれとあれとあれと……と聞いていき、タッチパネルをポチポチして注文を完了させる。妹も親父もよく食うなぁ。
 サラダとフライドポテトとパスタとピザとステーキと……。最後にデザートも注文すんだろ。メニューにある種類を端からいく感じか?

「いやぁ、リハビリが順調で本当によかった! 長くかからなそうだし退院まで遠くないね」

 リハビリの一環で、ビーズを使ってティッシュケース作らされててなかなかにストレスだっつってたけどな。細かい作業がしんどいって。体力があるとかないとか関係なく。
 そんなこと言いつつ隣に座ってた人とお喋りしながら作業してるらしいから、回復してるんだろう。いいことだ。
 二人に後から合流して母さんの見舞いに行ったら、のんびりとお喋りしていた。前はずっと起きているのもしんどそうだったし、元気になってるのが目に見えるのはいいな。

「ママの退院楽しみだなぁ!」
「お母さんが家に帰ってきてもパパは単身赴任だからいないけどね!」
「うぅっ、なんでそんなひどいこと言うの……」
「だからお母さんが退院してからもちゃんと休日は帰ってきてよ」
「飛燕! まかせて!」

 運ばれてきたサラダの中のレタスを見て、神白を思い出す。今日は食料品コーナーのバイトじゃなくて、フードコートのバイトだったな。
 ここじゃあ、あいつを見かけることはない。バイトは2つって言ってたから——って、まだ母さんが退院してきたわけじゃないのに。順調だからといって、親父たちが喜んでる横で全然違うこと考えるなんて。
 生活圏が被って頻繁に会うから悪いんだよ。