不安げな君の顔に恋をした

「おーい、及木! ちょっと」

 教壇の上からちょいちょいと手招きする現代文の先生。
 授業が押した上に次は移動教室だ。今話しかけてくるとか、タイミングもっと図ってほしい。

「湊、先に行っててくれ」
「うん、わかった」

 ヒラヒラと手を振って湊と別れて、ずっとちょいちょいと手を動かしている人の元へ行く。
 化学室遠いのに。先生の授業が押したんだぞ……。

「煮干し先生」
「二星先生だ。なんだその間抜けな呼び方は」

 やべ。甚鉄の言い方が出ちゃった。

「あだ名です。俺が考えたんじゃないですけど」
「そうか。考えたやつに流行らすなって言っておけよ」

 甚鉄のことだから流行らないだろ。先生に呼び出されることはあっても、自分から先生のところに行こうとなんてしないから。先生の話題すら基本的には聞きたくないスタンスだし。流行りようがなさそう。
 俺は割と嫌いじゃないんだけど本人NGか。

「覚えていたら言っておきます。何の用ですか?」
「そうだよ、神白の様子はどうだ? お前から何か言ってくるの待ってたんだけど何の報告もないから直々に進捗を聞こうと思ってな」
「はぁ」

 二星先生は神白のクラスの担任だったな。忘れてた。
 進捗も何も、何もしてないからな。報告することがないんだけど、それがないって言いにいくべきだったのか。先生が頼ったんだから先生から声をかけて聞きにきてくれよ、今みたいに。
 それにしても神白の様子か。日々バイトに邁進しているということは理解した。

「元気ではあると思います、たぶん」
「様子見に行ってくれたんじゃないのか? なんでそんな微妙な感じなんだ」
「特に何もしてないのでわからないです」
「何もしてないのに元気だど思った理由はなんだ……?」

 すっごい揚げ足取られてる気分。取られてるのか。

「生活圏が被るので」
「それをわかってるからお前に頼んだんだよ」

 そうだったな。個人情報……。
 神白は関わらないで欲しそうだったし、バイトしてる事も勝手に伝えない方がいいのか? だとすると本当に話すことがないな。
 そういえば出席してないのはもちろん、あいつ、テストも受けてないんだっけ? そろそろこのままだと本気でまずいのか。わざわざ俺に聞きに来るくらいだ、やばいのかも。
 少し先生に聞いてみるくらいならしてもいいか……?

「あー、神白の出席日数とか単位ってどうなんですか?」
「お! なんだやっぱり神白のこと気にしてくれるんじゃないか!」
「うるさいです」
「おい!」

 急に元気にならないでほしい。余計なこと聞いてる自覚があるから平坦なままスルーしてほしい。

「先生に対する態度じゃねえなぁ、指導すんぞ」
「保健室受験ってできるんですか?」

 だいたいどこの学校でも保健室登校と保健室受験はありそうなもんだけど、どうなんだ? 俺は別に不登校じゃないから気にしたことなんてなくて、当然何も知らないんだよな。
 なんであいつが学校に来ないのか聞くのは踏み込みすぎるよな。先生が知ってるとも限らないが……。

「無視すんなよ」
「そろそろ次の授業に行きます」

 あと1分くらいで鐘鳴りそうだし。

「あーっ! 待て待て! 保健室受験はもちろんできる。というより保健室でもどこでもいいからしてもらわなきゃ困る。出席は初日以外来てないからこのままだとかなりまずいな」
「そうですか」
「一応いろいろ対策はあるんだけど学校には来てもらわないとな」
「へぇ……」

 やっぱりまずいのか。でも不登校用のなんかはあるんだな。
 不登校を続けるためにもテストは受けるべきか? 学校に来たくないならこのまま退学になる方がいいのか。どう考えてるんだろうな、あいつ。
 ルポマで野菜の話っていう学校と関係ないことはスムーズに答えてくれた。たぶん悪いやつではないんだろう。
 妹のために急に張り切り始めた俺の疑問にわざわざ答えてくれるくらいだし、うん、優しいやつだな。
 学校が絡まなきゃ普通に話したり、関わることに問題はないのか。
 あの後せっかくだから教えてもらった豆知識を妹に披露したけど、レタスのことよりもイケメン店員神白に食いつかれた。野菜のお兄さんメロいって。
 妹はいいとして。……しょっちゅう見かけるからな。ちょっと興味はある、あいつが学校に来ている姿に。

「まぁとりあえず次の授業に行け。放課後、生徒指導室に来いよ」
「なんでですか。あ、放課後までに保健室受験のことまとめてくれるんですか。ありがとうございます」
「クソガキ〜」

 シッシッと手を払われ行けと示される。呼んだくせに。
 情報はあって損はない、はず。
 放課後は言われた通り生徒指導室に行ってみるか。





 うちのアパートって築何年だ。鍵が抜けん。油が足りてない。
 引っ張ってダメなら一回戻すか。押してダメなら引いてみろ、の逆で案外抜けるようになるかもしれない。
 ……。あ、ダメだわ。余計に抜けなくなった気がする。
 でも諦めるわけにはいかないんだよ。鍵だから。どうにか引き抜くためにゆっくり引っ張ったり角度を調整してみたりする。試行錯誤を繰り返していると、カチャン。キィ……という音が聞こえてきた。
 鍵から顔を上げて音の方を見やれば、隣の部屋のドアが徐々に開いてきている。その開いた隙間から、今日もいつも通りのシンプルな上下の服装をしている神白と目が合う。
 見てはいけないものを見てしまったかな……?みたいな目で見られているな……。
 犯罪行為の目撃なんてしてませんとでも言うように、開いたドアが逆再生されるかのようにゆっくりと閉じられていく。
 いちいち動作が丁寧だな……って、いやいやいや!

「待て、不審者じゃないから。ここ俺ん家だから!」

 なんかデジャヴ……! 先生にしたことが返ってきたのか……!
 たしかに鍵を引き抜こうとしてガチャガチャやってた! だいぶ怪しい感じだったかもしれない。でもこれは仕方ないことだから。鍵の放置ができないだけだから!
 不法侵入じゃないし、犯罪者でもない!
 ドアが完全に閉じられる前にどうにか弁明をすると、ピタリとドアの動きが止まった。存在ごとなかったことにするのはやめてくれたらしい。

「ここ俺の家」

 ジェスチャーも使ってもう一回しっかりと伝えておく。大切なことだからな……。

「……」

 ゆっくりと頷かれた。了承したらしい。よし。
 これで安心して帰れる——って、帰れないじゃん。まだ鍵抜けてなかった。

「……」
「……」

 沈黙が痛い。
 バイト行けって言うのもおかしいな。俺から話しかけたのに。勘違いを正したかったのが理由だから目標は達成されたんだけど。
 どうするか。抜けるまで家に入れないし。神白に話しかけてもいいものか……?
 野菜について聞くか? でも咄嗟に何か出てくるほど料理の知識も技術も蓄えられていない。まだわからないことがわからないレベルなんだよな。
 学校に関わらない話なら、バイトの話ならセーフか?

「あー、今日も会ったな。これからバイトか?」
「……そうだよ」
「食料品コーナーの方?」
「うん」

 あ、今のは把握してるみたいで気持ち悪かったかも。でも何度も会ってれば覚えるし。許されたい。

「掛け持ちしてんの?」
「うん。2つ受けておけばどっちかは受かるかなって。両方受かったから掛け持ちになったんだ」
「数打ちゃ当たる作戦か」

 意外と話してくれるじゃん。なんか心境の変化でもあったのか? あれか、隣人のよしみか。俺が不審者に間違われないように。
 顔に似合わず脳筋っぽいところもあるんだな。
 で、両方受かる要領の良さがあるのか。普段も、というと違うけどドアの開け閉めから、バイト中の一つ一つの動作が丁寧だからな。欲しがられるのもわかるかも。

「ん?」

 あ! 鍵抜けた! これでやっと家に入れる……! 意識逸れてたのが良かったのか。今の手応えはすんなりだった。

「……あの」
「うん?」
「名前なんていうの?」
「…………うん?」

 今、名前聞かれた? あれ? 俺名乗ってなかったか?
 感激して鍵に行っていた視線を神白に戻す。うん、いつも通りのフラフラと揺れた目をしている。
 そもそも、神白が俺に言葉を発する隙すら与えずにドアを閉じたんじゃ……?
 関わりたくないことの現れだったと思うんだけど、名前も隣人であることも知らない状態で拒絶って結構な筋金入りの不登校じゃん。
 俺だけ一方的に名前知ってたのは据わりが悪いな。自己紹介くらいはしてもいいだろ。

「俺は及木。お前の隣の208号室の住人だから。よろしくな」
「下の名前は?」
「え、富貴だけど……」

 フルネームで知りたかったのか? 興味なさそうなのに。
 あれ、そうなると今度は俺が神白の下の名前知らないことになるのか? 二星先生が言っていたような気もするけど……。覚えてないな……。

「神白は? 下の名前」
「……(やなぎ)だよ」
「へぇ似合う、そんな感じだな」

 ユラユラ揺れる瞳とかまんま柳じゃん?

「じゃあ俺は鍵抜けたから。神白もバイトいってらっしゃい」

 あ、やべ。いつも妹に声をかける癖で、神白にもいってらっしゃいとか言っちゃった。さすがに気安くてそんな関係じゃねえよって感じだよな。
 今さら口を手で塞いでも遅い。ドアノブを掴んでいる方の手に力が入る。

「いってきます」
「……え?」

 ……返事が返ってきた? 多少はよろしくする気があるってことか?
 案外普通に会話ができたし。もしかしてちょっとくらいなら話してもいいってことか?
 驚いて、スタスタと歩いて去っていく後ろ姿を凝視するも神白が振り返ることはなく。ついに角を曲がり階段へと姿を消した。
 え、でもなんか、これ。なんか猫に懐かれたみたいじゃないか……? 猫と触れ合ったことなんてないから合ってるかわかんねえけど! すごい……!
 力んだ手を緩めて、悪くない気分でドアを開けて帰宅する。

「飛燕ちゃんおかえり!」
「ただいま、なんかテンション高いねお兄ちゃん。あ、ねえ、なんかずっとドアがガチャガチャ鳴ってたんだけど外に酔っ払いとかいた……?」
「……すまん、それたぶん確実に俺」
「……怖かったんだけど」
「悪い……」

 親父は基本いないし、今は母さんもいないから俺が守ると思ってたのに。俺が怖がらせてどうする。

「何してたの?」
「鍵が抜けなかったんだよ」
「あ、最近私もなるんだった」

 母さんの様子を見に行くついでに買えばいいか。なんかそういうの売ってるだろ。今日のタスクに追加しておこう。