不安げな君の顔に恋をした

 神白が学校に来てる気配がない。
 保健室登校になってるのか? してくれていたらいい。近くを通ることはできても中に入る勇気が出ず確認していないから希望を語るしかできない。
 当然昼も会ってない。
 何より、あれだけすれ違っていたアパートの部屋前で顔を見ないんだ。会わないように時間をズラすのなんて簡単だったんだな。
 確実に避けられているな……。
 隣なんだから待機してればいいだけの話ではあるが。だけど、行っていいのかと迷う。
 目線の先にある見慣れたアパートのドアを眺めて、ため息が出た。そちらに一歩、足を動かすのすら怖い。
 開く気配はないな……。当然か。今の時間だとたぶんもう既にあいつは家にいないだろう。
 神白はあのとき何を考えていたんだろうか。
 本当は学校なんて来たくなかったのか。俺に会いに来てくれていた、なんて自惚れが一瞬過ぎった。でも俺が壊したんだ。
 学校にいられるように、不登校に戻らないように、なんて思ってサポートするつもりが、神白の努力で成り立ってただなんて。
 何してんだろ。いや、何もしてないのか……。
 いつまでもドアの前で何もせずただ突っ立ってるだけなんて不審だ。自分の住んでいる部屋の前とはいえ。
 家に入るかとようやく鍵をカチャリと回し帰宅する。

「飛燕ちゃんおかえりー……」
「私はお兄ちゃんのおかえりで機嫌と体調がわかるようになりそうだよ。ただいま」
「俺今どんな感じ?」
「失恋した感じ」
「……」

 グサッ!!ときた。遠慮とかなかった。突き刺さった。衝撃で喋れないし動けない。

「え、マジ? お母さーん!!」
「ほんとやめて……。してないから……。体力戻ってない母さんを煩わせるんじゃない……」

 してない……はず。そう思いたい。だってまだ何もしてないし。言ってないし言われてない。終わったどころか始まってすらいない。
 妹にそう思われるなんて恥ずかしい。隠さないと。俺のことなんてわからなくていいんだよ。

「そういう言い方するってことは大体合ってるんだよ」
「大体合ってはないから」

 状況については合ってない。俺の状態については、うん……。間違ってるとも言いにくい……。

「そのヒョロヒョロで買い物行くの?」
「行くに決まってんだろ。卵使い切ったしレタスもないぞ」
「私も行こうか?」
「宿題してろ」
「そういうところ! ふん!」

 ドスドスと足音を立ててリビングに向かっていく。下の階に響いたら迷惑だろうが。
 妹の気遣いはありがたいが、だって、見られたくないし。
 バイトに行っているはずだから。学校はサボっていたとしてもバイトはサボらないだろあいつ。その姿を見て自分がどういう反応をするかわからない。だから一緒にいたくない。
 妹大好きな俺がこんなことを思う日が来るなんて。
 そのままリビングに入って行くのかと思いきや振り返った。

「もうお母さん帰ってきたんだし、おかえりじゃなくてお兄ちゃんがただいまって言って帰ってきてよね!」

 言い捨てると今度こそリビングに入っていき、ドアを強く閉められた。
 母さんが事故に遭う前の元気なときだって別に妹の方が早く帰ってくることも多かったんだし、そのままでもいいじゃん。
 そういうことじゃないってのはわかるけどさ……。
 待機していたのか、鍵の音を聞いていたのか。兄妹だから何も言わなくてもなんとなく合っていたんだな。





 白い卵と赤い卵。違いがわからない。基本は値段か賞味期限。たまにそのときの気分で白を買うか赤を買うか選んでいた。
 食べても違いがわからないので、どっちでもいい。どっちでもいいのに、悩む。悩んでいるフリをする。
 時間を稼ぐために。
 真面目にストーカーみたいだな。
 何も考えずに声をかけていた頃が懐かしい。最初は近所の人とすれ違ったときに挨拶するのと何も変わらなかったんだ。知ってる顔だからという理由で、惰性で。
 でも今は、前みたいにひと言『お疲れ』と声をかけるのすら怖い。
 そもそもバイト中に個人的な話なんてできるわけないんだから、粘ったところで意味がない。
 姿も見ないまま、買い出しを終わらせて帰ることにする。
 卵の色なんてどっちだっていい。





「寒いの?」
「え? 別に寒くないけど」

 フードコートの空調が整えられてるから寒くもなく暑くもない。
 本日終業式で午前中で学校が終わり、惰性でいつも通りに3人で集まったフードコートはいつも通りに快適だ。

「あれ、そう? さっきから腕さすってるから」
「……っ」

 ピシと体が硬直する。

「何その変な顔」
「してねえよ……」

 無意識のうちに神白につけられた痕があった場所を触っていたらしい。痕なんてすぐに消えて、もう随分経つのに。

「ふーん。もう寒いのに富貴マフラーも手袋もしないじゃん。なんでそんな我慢大会みたいなことしてるの」
「今完全防備にしたらこれから耐えられないだろ」
「今寒くちゃ意味ないでしょ」
「寒くないっての。お前のその店内でマフラーは暑いと思う」
「ちょうどいいよ」

 もうワイシャツの袖は捲らないどころか、カーディガンもブレザーも着るし、外にいるときはコートだって着る。吐く息が白くなるようになった。
 今掴まれてもそんなにつかないかもしれないな。
 痕を見て自覚してから1ヶ月以上経ってしまった。ウジウジしてて何もしてない。何も変わってない。日が過ぎるごとに悪化するだけってわかってるのに。
 夏から急に冬が来たみたいに間がない。神白との間が。
 このままだと本当に何もなくなってしまう。

「……あー、あのさ……」
「うんうん」
「おう!」

 声をかけただけで傾聴の姿勢を取られて気後れする。

「あの、神白のことなんだけど。嫌われた、かもしれなくて。どう話しかけていいかわからなくて」

 いや、違う。怖くて、どんな反応されるのか、怖くて。

「でも話しかけたいんだ。なんかアドバイスというか、どうすればいいのか」

 しどろもどろ、支離滅裂、言いたいことを言うって難しい。

「……お前はなんでいつになくニコニコしてんだ」
「頼られて嬉しいからだ!」

 直球で言われてつい嫌な顔をしてしまう。直球で真っ直ぐで羨ましいな、この野郎。

「ついにオレが頼りになる日が来たんだぞ! そう、当たって砕けてこい!」
「砕けたくないから相談してんだろ。既にヒビ入ってんのに……」
「えぇ……? オレに難しいこと言うんじゃねえ! そうだ、あいつちゃんと学校に来てたぞ。教室にはいなかったけど! オレが体育でクラスのやつにボールぶち当てたときに一緒に保健室行ったら居たぞ! お前のおかげだな!」

 何してんのお前。俺はそのぶつけられたやつに菓子折り持ってった方がいいのか?

「ちなみにスッゲー冷ややかな目で見られて怖かったぞ」
「冷ややか……? 俺そんな目見たことないけど」

 あ、最初に目を逸らされたときとか? いやずっとフラフラと彷徨う不安げな感じだった気がする。あいつに冷たいって印象はないな。

「鰻も絶対富貴と話したいと思ってると思うけどなぁ……!」
「鰻……?」

 鰻? あ、柳? 神白のことか??

「おい……」
「あっあっ……」

 目を反復横跳びさせてんじゃねえ。
 全く。でも学校は来てたのか。よかった。安心する資格なんてないのに。

「とりあえずメッセ送ればいいんじゃないか? 名案!」
「……」

 連絡先なんか知らねえよ……。

「ちょっと富貴、出会って2秒で交換するこの時代に?」
「2秒は過言だから……」
「どんまい!」

 溌剌と言いやがって……。
 連絡先なんか知らなくても会えてたんだよ。だから聞く必要はなかったし、余計なことはしない方がいいって思って聞けなかった。
 傲慢で臆病。

「富貴ってそんな顔するんだな。慰めるために新作フラッペ買ってきてやるよ! 3つでいいか!」
「え、僕の分も買ってくれるの? もうあるけど」
「今日は特別な日だからな! みんなで一緒にだ!」

 どんな顔してるっていうんだ。
 ニカッと効果音を浮かべた笑顔で言い放ち本当に買いに行ってしまった。
 特別な日ってなんだ。俺が頼ったからか? あ、クリスマスか。終業式と被ってたからなんの特別感も感じてなかったな。

「富貴、そっちじゃないと思う」
「そっちってなんだ。どっち……あ」
「そうそっち。僕からのお祝いもほしい? 全く、甚の方が頭が良いかもしれないよ」
「暴言だろそれは……」

 最近の体たらくからすると、本当に甚鉄の方が頭が良い、というか優秀かもしれない。

「富貴も人の子だったんだねぇ」
「当たり前だ」
「そういうんじゃないってばー。わかってるけどね」

 俺もわかってるけど。

「富貴はさ、真面目だからわかりにくいだけで甚と同じくらい何も考えてないよ。だから理解してないし、言葉足らずになるんだよ。余計なことはペラペラ喋るのに。難しいこと考えずに思いついたこと端から言葉にしていくのがいいんじゃないかなぁ。神白くんと会話してから考えなよ」

 一気に捲し立てられる。ストレートな言葉が突き刺さるが俺のために言ってくれてるとわかる言葉はあたたかい。

「あ、やっぱり甚の最初のアドバイスがあってたんじゃない? 当たって砕けろ! 新しい道が開通するかもよ」
「……あぁ。ありがとな」
「いえいえ。恩返しかな?」
「……貸し借りなんてねえよ」

 少し心が楽になって下を向いた状態から顔を上げる気力が湧いて、前に視線を上げた。
 そうしたらパチリと目が合った。

「え……? 神白?」

 学校の制服ではなく、清掃バイトの制服に身を包んでいる。
 なんでこの時間にいるんだ? いつもバイトは夕方からなのに。長期休暇に入るからか……?
 そういや夏休みも時間が全然合わなくて会えなかったんじゃん。冬休みだって同じようにしてたっておかしくない。終業式のその日からバイトの時間を変えていたって。予定なんて事前にわかってるんだから。

「あ……」

 確実に目が合った。でもスゥっと逸らされた。あの、最初の綺麗な流れ。

「……いいの?」
「いいわけねえだろ。帰る」
「え! どこ行くんだ! オレの買ったフラッペは!?」
「すまん。春海にあげて来い」
「おう!」

 テキトーに言ったけど春海もこの時間からバイトしてんのかよ。
 顔の良いやつは働いてないと気が済まないのか?