呪いは皿の上でほどける

 八俸山(はちほうざん)。この日積市を、金の採掘によって恩恵を齎した鉱山だ。かつて、その山は砂金が摂れ、水源も多く川魚や山菜も豊かな山だった。麓に住む住民からは「八つの宝を与えた給う山、八宝山」と呼ばれ、それが時が流れて名を変え「八俸山」となったらしい。
 採掘が進み枯渇しゆく金を求め、蹂躙を繰り返したことによってかつての豊かな自然も損なわれた。そこまでは2人が知っている話だ。
 「自然を大切にしましょう」で締め括られる筈の話には続きがあった。

「人間による無秩序な採掘によって、山の神様が怒ったのです」
 
 最初は川の魚が大量死から始まった。次に、山の獣が死んだ。鳥が囀らなくなった山の麓の住民たちはその異変に怯えながらも、依存する山の恩恵を拒めず過ごし続けた。
 死んだ魚や獣を食い、山に流れる水を井戸に引いた。その結果は当然のものだった。多くの住民が死んだのだ。生き残った者の何人もが奇怪な苦痛を訴えながら倒れた。生まれた子供もほとんどが育たなかった。

「この土地で生まれた者で、神様の怒りから逃れる者はいませんでした。この日積市を栄えさせたのは、閉山後に移住してきた者なのですよ」

 なるほど。その過去を知る者全てが死んだから、その歴史は葬られたことになったのだろう。だが、すぐに疑問が生まれた。藤吾と同じく桔平もその疑問が浮かんだのだろう。互いに目配せをして、藤吾が口を開いた。

「あなたは何時からここにいるんですか」

 雲によって太陽が隠れる。
 一時的な翳りが一帯を包んだ。

「私は、かつては八俸山に咲く藤の花でした。挿し枝により此処へ」

 鉱山に咲いた藤の花はこの藤棚へと移された。その理由は分からないと彼女は語る。だが、移された理由はあまり好意的なものではなかったようだ。
 生き残った麓の住民たちによって縋られたと彼女は続けた。移されてすぐに、盃に注がれた日本酒や米を供えられた。
 次の年にはまだ息があった魚や獣を捌き、湯気立つ内臓と肉を供えられた。
 そして次には──

「まだ若い娘でした」

 藤の花の前で、その娘は捧げられたと静かに言葉を締めた。彼女の白い手が拳を握る。見間違えでなければ少しだけ義憤に震えているように見えた。

「五災厄は、その山で起きたことが始まりなんでしょうか」
「それはどうかしらね。でも……」

 握った拳が緩んだ。そうして藤棚の柱を愛しむように撫でる。

「この土地が穢れていることは確かよ」

 日積市以前からこの土地を知る者の言葉だ。疑う余地もない。その言葉に唾液を飲み込んだが、その音が異様に大きく聞こえた。
 流れる汗が顎から滴る。
 じゃわじゃわとけたたましい蝉の鳴き声が聞こえる。その喧しさに思わず耳を塞いだが、その音は途切れず延々と続く。
 この音は、血流が引き起こす耳鳴りだ。

「お話しいただきありがとうございました……」

 桔平の言葉で肩が小さく跳ねる。気づけば彼は立ち上がって礼を告げている。藤吾も慌てて立ち上がって礼を告げた。
 暑いのに寒い。奇妙な温度を肌で感じ、剥き出しの二の腕を撫で摩る。汗が乾いた肌はべとべとしていて不愉快だった。
 何か不安を感じて横の桔平を盗み見る。右瞼が閉じていた。彼もまた不快なものを感じているのだろうか。

「怖がらせてしまったかしら」

 藤の花が寂しそうな声で問うた。人間臭く、細い肩を竦ませる。

「ねえ、私は貴方たちの味方よ。……何かあれば此処へいらっしゃい。──砂糖漬けが完成した時にもね」

 桔平は右瞼を閉じたまま。頭もまだ下げたままだ。そんな彼に変わって、藤吾は頭を上げて彼女に向き合った。
 そこで初めて彼女が自分より、頭ひとつ分小さいことに気づいた。さあっと花の房が風に揺れる。夏の暑さを癒す甘い匂いがその場に残された。
 彼女はそこにはもう居なかった。

「……帰ろっか」

 頭上を覆う藤の花は変わらない。小瓶を持ち上げ、中に収められた花弁も同じく淡い色を保っていた。
 変わったのは桔平の右目だ。画数は増えてはいない。だが、先日よりも二画目はくっきりと浮上がっていた。
 見て見ぬふりをするのは藤吾は得意だった。だからこそ、何でもないふりをして気の抜けた声で取り止めもない会話を一人で続ける。
 桔平が落ち着くまで。

「これ、藤吾に渡しといていいか」

 藤吾が手を引いて帰路に着いた最中、幾分落ち着いた様子の桔平が口を開いた。その手には袋に詰められた花弁があった。
 それを当然のように受け取る。

「おー、任しとけ!こっちは明日には食えるようなモンに仕上げちゃうぞ」
「今度は腹壊すなよ」
「もち。んじゃ、また明日な」

 藤吾がふふんと鼻を鳴らして得意ぶった笑みを作る。その裏では、早速何を作るか思案を進めていた。そうして千切れんばかりの勢いで腕を振って別れを惜しむ。
 しかし明日の約束は取り付け済みだ。鼻歌混じりに藤吾は家への道を辿る。
 時間はすでに夕暮れに差し掛かり、藤吾の影が長く長く伸びていた。