藤吾の住む日積市は仄暗い習わしがあった。
一つは五災厄と呼ばれる、五つの忌み地があること。そしてもう一つがそれを鎮めるための人身御供だった。
しかし、人身御供が最後に行われたのは八十年前だったと聞く。伝承になる前にその忌まわしい儀は再びこの令和に執り行われようとしていた。
しかし日積市は決して、山や海に囲まれたような村ではない。かといって栄えているわけでもない。都市部からは何駅も離れているものの、都市開発が進むようなどこにでもあるような街だ。
つい数ヶ月前には趣味の悪いタワーマンションが建てられた。ついでのように駅前には誰が行くのかも分からないシーシャの店もできた。
そんなどこにでもあるような街で、藤吾の友人である園田桔平は人身御供に選ばれてしまったのだった。
彼の右目。瞳孔に薄く”一”の字が刻まれたのがその証拠だ。
瞳孔に刻まれたその字は一角ずつ増えていく。”正”を刻み終えた時、彼はこの地の供物となるらしい。
「フジ。俺って、やっぱ死ぬんだよなあ」
桔平はどこか他人事だった。しかし、彼の立場で考えてみれば当然だろう。
貴方はこの街の為に犠牲になることが決まりました。そう宣言をされてもピンと来る者はそう多くはあるまい。ましてや桔平も藤吾もZ世代を代表する現代っ子だ。
「そう、らしいけど。 桔平が死ぬって感じ全然しねえわ」
夏休みの予定を立てるのに忙しくもなる七月の半ばの朝。学校に行く準備を整える最中、母親に桔平が今回の人身御供に選ばれたと教えられたのだ。
通学鞄も持たず、桔平の家に走って向かえばそこにはいつもと変わらぬ桔平がいた。だが、彼の心に変化はあったのかも知れない。彼はその日から学校に行くのを止めてしまったのだ。
試合を控えたバスケ部にも足を運ばず、途中まで読んでいたシリーズの本を開くこともなく、藤吾から見ても明らかに無益な時間を過ごすようになった。
夏休みに入るまでの数週間、彼は制服に袖を通すことはなく、そのまま夏休みに突入した。
毎日のように桔平の家に入り浸りながら、藤吾は悩んでいた。
藤吾は桔平が好きだった。友人以上の好意だ。
男性的ながら甘さのある顔立ちも、少しだけ幼さのある大きな瞳も、自分よりも少し大きな背丈も、バスケ部員らしい大きな手も、筋肉がついたスラっとした長身も、動物好きなところも、老若男女に優しいところも、料理が苦手なところも、繊細でちょっとしたことを結構長く引き摺るところも、自分だけに見せる頑固で負けず嫌いなところも。
全部。全て。余すところなく好きだった。
だからこそ、彼が生贄となって死ぬと考えるだけで気もおかしくなろうというもの。
そして8月に差し掛かる前、茹だるような猛暑も相まって藤吾の正気は焼き切れた。
蝉が異様に静かな夏だった。
「俺さ、お前と一緒に死のうかと思うんだよね」
昼間の酷暑を避け、夜のコンビニに行った道すがら藤吾は思いを打ち明けた。食べ切ったアイスの棒を咥えながら。
藤吾が立ち止まったのも気づかない様子で桔平は歩みを進めていく。そうして止まったのは、十歩ほど先を進んでからだった。
「面白くないわ。その冗談」
「マジだって」
桔平のスラリとした背中が震えている。その背中を追いかけて数歩進んで、元いた位置よりも退がった。桔平に突き飛ばされたのだ。吐き出した息と共にアイスの棒が地面に落ちる。
端正な顔を歪め、唇を震わせて、桔平はなおも藤吾を突き飛ばそうと迫った。こういう時、拳を振り上げたっていいのに、突き飛ばすだけに留める彼は優しい。そして何より、そんな顔も好きだなと恋に浮かされた藤吾の心は場違いにもそう思うのだった。
「どうやって、一緒に死ぬつもりだよ」
その答えは考えてある。だが、藤吾は答えに詰まった。桔平の大きな瞳に涙の膜が張るのを見たからだ。
桔平は涙もろい男だった。戦争映画を見ては涙ぐみ、迷子が母を求め泣いているのを見るのも辛そうにしている。そんな感受性が強い男だった。その彼が自分の感情のみに揺さぶられているのを見て、藤吾は動揺していた。
そして、そうしてなった理由が自分にあることに罪悪感を抱いた。見てはいけないものと、罪の意識を目の当たりにして耐えきれずに視線を外す。そこでようやく、考えを声にすることに成功した。
「一緒に呪われてみようかと思って」
「だから、その方法について聞いてるだろ!」
答えはスマホに準備してある。好きな人の泣きそうな声を聞いて、落ち着いていられる筈もない。ジョガーパンツのポケットからスマホを取り出す指は震えていた。画面をタップして動画を再生する。
小さな液晶に映っているのはベッドだ。虫食いだらけの不衛生なシーツは打ち捨てられた長い年月を物語る。
その上に小さな褐色の小壺を起き、薄汚いシーツで包む。突如、ざっと画面にノイズが走った。
激しいノイズを切り裂く金切声と共に画面が暗転し、ブツっと動画が途切れる。
「何これ……?」
「奈良漬」
突き飛ばされて再び桔平との距離が開く。だが、彼の怒りはごもっとも。現状会話が成り立っていないのだ。
弁明させて欲しいと、スマホを持った手で上げて追撃を静止する。
「おちょくってんの?」
「話せば分かるって。頼むから最後まで聞いて」
咳払いをして、緊張で乾く喉を整える。スウハアと息を吸ってから理由を語り出した。
「動画の通りだけど、あいつらだけじゃ俺を呪い殺せなかった。過去の人身御供のせいかな。今は呪い殺すだけの力はないみてえだった」
再び酸素を取り込もうと肺を動かす。だけど、ほとんど酸素を取り込むに至らない。
掠れ切った声で絞り出した。
「だけど、少しずつでも蓄積させたら?」
鉱毒は少しずつ体に溜まって、肉体を蝕む。骨を肉を侵して最終的に死へ導くのだ。人体を蝕むのは毒も呪いも近しいとも言える。
「五災厄の一つの、仁川診療所。あそこに奈良漬の壺を置いてきた。それを食って、他の五災厄でも同じことして呪いを体に蓄積する」
「ば……、バッカじゃねえの?!」
「物は試しだ。呪い殺される方法としては名案だと思うんだけど」
それを聞いた桔平は眉根を寄せ、口元が引き攣っている。呆れ切った表情だ。だが、それを前に臆することはない。こうでもしなければ、呪い殺されようもないのだ。
不謹慎だと言われようが、藤吾は正気を失っている。
「そんなもん食ったところで意味なんてないだろ。腹壊して終わりだよ」
「腹を壊すのも呪いの効果かも。何にせよ、俺はやり切るつもりだぜ?」
何と言われようが、藤吾の正気は遥か彼方。桔平にどうこう言われようが後退の道はない。彼を一人で死なせるつもりはないのだ。
理解されようとされまいと、言うだけのことは言って満足した。スマホをポケットにしまい直して、落ちたアイスの棒を拾い上げる。それをひらひらと指揮者のように振りながら歌うように桔平を誘う。
「どうせ、明日も暇だろ。今から仁川診療所行くから付き合えよ」
一つは五災厄と呼ばれる、五つの忌み地があること。そしてもう一つがそれを鎮めるための人身御供だった。
しかし、人身御供が最後に行われたのは八十年前だったと聞く。伝承になる前にその忌まわしい儀は再びこの令和に執り行われようとしていた。
しかし日積市は決して、山や海に囲まれたような村ではない。かといって栄えているわけでもない。都市部からは何駅も離れているものの、都市開発が進むようなどこにでもあるような街だ。
つい数ヶ月前には趣味の悪いタワーマンションが建てられた。ついでのように駅前には誰が行くのかも分からないシーシャの店もできた。
そんなどこにでもあるような街で、藤吾の友人である園田桔平は人身御供に選ばれてしまったのだった。
彼の右目。瞳孔に薄く”一”の字が刻まれたのがその証拠だ。
瞳孔に刻まれたその字は一角ずつ増えていく。”正”を刻み終えた時、彼はこの地の供物となるらしい。
「フジ。俺って、やっぱ死ぬんだよなあ」
桔平はどこか他人事だった。しかし、彼の立場で考えてみれば当然だろう。
貴方はこの街の為に犠牲になることが決まりました。そう宣言をされてもピンと来る者はそう多くはあるまい。ましてや桔平も藤吾もZ世代を代表する現代っ子だ。
「そう、らしいけど。 桔平が死ぬって感じ全然しねえわ」
夏休みの予定を立てるのに忙しくもなる七月の半ばの朝。学校に行く準備を整える最中、母親に桔平が今回の人身御供に選ばれたと教えられたのだ。
通学鞄も持たず、桔平の家に走って向かえばそこにはいつもと変わらぬ桔平がいた。だが、彼の心に変化はあったのかも知れない。彼はその日から学校に行くのを止めてしまったのだ。
試合を控えたバスケ部にも足を運ばず、途中まで読んでいたシリーズの本を開くこともなく、藤吾から見ても明らかに無益な時間を過ごすようになった。
夏休みに入るまでの数週間、彼は制服に袖を通すことはなく、そのまま夏休みに突入した。
毎日のように桔平の家に入り浸りながら、藤吾は悩んでいた。
藤吾は桔平が好きだった。友人以上の好意だ。
男性的ながら甘さのある顔立ちも、少しだけ幼さのある大きな瞳も、自分よりも少し大きな背丈も、バスケ部員らしい大きな手も、筋肉がついたスラっとした長身も、動物好きなところも、老若男女に優しいところも、料理が苦手なところも、繊細でちょっとしたことを結構長く引き摺るところも、自分だけに見せる頑固で負けず嫌いなところも。
全部。全て。余すところなく好きだった。
だからこそ、彼が生贄となって死ぬと考えるだけで気もおかしくなろうというもの。
そして8月に差し掛かる前、茹だるような猛暑も相まって藤吾の正気は焼き切れた。
蝉が異様に静かな夏だった。
「俺さ、お前と一緒に死のうかと思うんだよね」
昼間の酷暑を避け、夜のコンビニに行った道すがら藤吾は思いを打ち明けた。食べ切ったアイスの棒を咥えながら。
藤吾が立ち止まったのも気づかない様子で桔平は歩みを進めていく。そうして止まったのは、十歩ほど先を進んでからだった。
「面白くないわ。その冗談」
「マジだって」
桔平のスラリとした背中が震えている。その背中を追いかけて数歩進んで、元いた位置よりも退がった。桔平に突き飛ばされたのだ。吐き出した息と共にアイスの棒が地面に落ちる。
端正な顔を歪め、唇を震わせて、桔平はなおも藤吾を突き飛ばそうと迫った。こういう時、拳を振り上げたっていいのに、突き飛ばすだけに留める彼は優しい。そして何より、そんな顔も好きだなと恋に浮かされた藤吾の心は場違いにもそう思うのだった。
「どうやって、一緒に死ぬつもりだよ」
その答えは考えてある。だが、藤吾は答えに詰まった。桔平の大きな瞳に涙の膜が張るのを見たからだ。
桔平は涙もろい男だった。戦争映画を見ては涙ぐみ、迷子が母を求め泣いているのを見るのも辛そうにしている。そんな感受性が強い男だった。その彼が自分の感情のみに揺さぶられているのを見て、藤吾は動揺していた。
そして、そうしてなった理由が自分にあることに罪悪感を抱いた。見てはいけないものと、罪の意識を目の当たりにして耐えきれずに視線を外す。そこでようやく、考えを声にすることに成功した。
「一緒に呪われてみようかと思って」
「だから、その方法について聞いてるだろ!」
答えはスマホに準備してある。好きな人の泣きそうな声を聞いて、落ち着いていられる筈もない。ジョガーパンツのポケットからスマホを取り出す指は震えていた。画面をタップして動画を再生する。
小さな液晶に映っているのはベッドだ。虫食いだらけの不衛生なシーツは打ち捨てられた長い年月を物語る。
その上に小さな褐色の小壺を起き、薄汚いシーツで包む。突如、ざっと画面にノイズが走った。
激しいノイズを切り裂く金切声と共に画面が暗転し、ブツっと動画が途切れる。
「何これ……?」
「奈良漬」
突き飛ばされて再び桔平との距離が開く。だが、彼の怒りはごもっとも。現状会話が成り立っていないのだ。
弁明させて欲しいと、スマホを持った手で上げて追撃を静止する。
「おちょくってんの?」
「話せば分かるって。頼むから最後まで聞いて」
咳払いをして、緊張で乾く喉を整える。スウハアと息を吸ってから理由を語り出した。
「動画の通りだけど、あいつらだけじゃ俺を呪い殺せなかった。過去の人身御供のせいかな。今は呪い殺すだけの力はないみてえだった」
再び酸素を取り込もうと肺を動かす。だけど、ほとんど酸素を取り込むに至らない。
掠れ切った声で絞り出した。
「だけど、少しずつでも蓄積させたら?」
鉱毒は少しずつ体に溜まって、肉体を蝕む。骨を肉を侵して最終的に死へ導くのだ。人体を蝕むのは毒も呪いも近しいとも言える。
「五災厄の一つの、仁川診療所。あそこに奈良漬の壺を置いてきた。それを食って、他の五災厄でも同じことして呪いを体に蓄積する」
「ば……、バッカじゃねえの?!」
「物は試しだ。呪い殺される方法としては名案だと思うんだけど」
それを聞いた桔平は眉根を寄せ、口元が引き攣っている。呆れ切った表情だ。だが、それを前に臆することはない。こうでもしなければ、呪い殺されようもないのだ。
不謹慎だと言われようが、藤吾は正気を失っている。
「そんなもん食ったところで意味なんてないだろ。腹壊して終わりだよ」
「腹を壊すのも呪いの効果かも。何にせよ、俺はやり切るつもりだぜ?」
何と言われようが、藤吾の正気は遥か彼方。桔平にどうこう言われようが後退の道はない。彼を一人で死なせるつもりはないのだ。
理解されようとされまいと、言うだけのことは言って満足した。スマホをポケットにしまい直して、落ちたアイスの棒を拾い上げる。それをひらひらと指揮者のように振りながら歌うように桔平を誘う。
「どうせ、明日も暇だろ。今から仁川診療所行くから付き合えよ」
