呪いは皿の上で

「桔平も、五災厄の一つになるんですよね」
「……ええ」

 贄になった者は、五災厄に加えられる。
 桔平を呑み込んだ、あの眼球が密集した怪物こそが過去に捧げられた者たちだったのだ。
 この土地の人間はそれを喜ぶ。正しくこの土地に捧げられ、この土地の安寧が守られたことに繋がるからだ。
 だからこそ、あの医者はああ言ったのだ。言葉にこそしていないが、それを喜ぶべきだと咎める響きを含みながら。
 舌打ちが出た。抑えきれぬ怒りで渡された紙を左右に破る。そこに書かれている内容を読めば読むほど、煮え立つ怒りが腹の底から噴き上がる。
 細かな紙片になるまで引き千切ったそれを、地面の上に散らした。不法投棄だろうが自然破壊だろうが、何だっていい。
 投げやりの気持ちでいっぱいだった。
 その紙に書かれている内容は、桔平を生贄として弔う方法が事細かに書かれていたのだから。
 その内容は、桔平が昭和101年の世界で話したものをそのままなぞった方法だった。

 生贄になった者の右目を生きながら抜き、土地に捧げる。
 次に捧げられて空っぽになった体を焼いて骨にした後は、水に還す。
 そうして生贄になった者は、永遠と水脈を巡り、この地を見守り続けることができる。
 そんなゾッとするような儀式の手順だ。

 水に還す、というのはきっと仁川診療所の地下で見たものだ。水流こそ弱いが渇くことなく流れていた巨大な水路。あれこそが、犠牲者の骨を水に還すための場所だったのだろう。
 濡れた土に埋もれた大小様々な骨。あれらが犠牲になった者たちだったのだ。

「桔平も殺したあれも日奈子さんだったんでしょ。……なんで桔平の体を食ったんだ」
「もう分かりません。あれは多くの人の怨恨を重ねすぎた」

 あれはもう日奈子の意思すら無視していたのだろう。犠牲となった彼らの考えは想像することしかできないが、桔平の死体を残さないことであの悍ましい儀式を完遂させまいとしたのだろうか。
 どうか、そんな優しい理由であって欲しい。そう願うのは桔平の死があまりにも惨たらしいものだったからだ。
 藤吾の腕には、まだ桔平の生々しい痙攣が残っている。一生心の傷として残り続けるのだろう。抜け落ちていく体温も骨に刻んで。

「……もういい」

 これ以上、彼女から聞き出したいことはない。ベンチから立ち、地面に残る紙切れを靴先で払った。
 ごめんなさいとか細い声の謝罪も口を左右に振る。謝罪も慰めも欲しくなかった。
 今、藤吾が欲するのは桔平だけ。
 それが叶わないならば、何も欲しくなかった。

「日奈子さんのせいじゃ、ないよ」

 ここに残っているのが桔平ならこう言っただろう。自分の感情を押し殺し続け、優しさを損なわなかった彼を真似る。
 そうして不憫な彼女の心に寄り添うことが、藤吾の餞だった。精一杯の強がりで取り繕えば、藤棚に背を向けて立ち去った。
 こんなにも寂しいのに、涙の一つも溢せない。そんなことを他人事のように考えながら、背中で啜り泣く彼女の声を聞いた。

「……待って」

 呼びかける声には振り向かなかった。縋り付きたくても、藤棚である彼女はその場から動けないのだ。
 だから、遠ざかる背中に彼女は叫んだ。

「私の旦那はね、村の外に妾を作ってたのよ!だから貴方が桐島の血を継いでいると気づいた時、正直憎たらしかった。あの男が他所に残した血が戻ってきたって」

 日奈子の血が通った叫びが容赦なく藤吾の体を叩く。おおよそ、桐島という名字から察していたことだ。
 足を止めて、遠縁とも呼べない彼女へと振り返る。

「でも私も貴方も同じね。愛した人が手からすり抜けていく」

 その言葉は恨み言ではない。寂しそうに、悲しそうだった。胸を押さえながら絞り出すその言葉は涙で濡れていた。

「やっぱり、怒ってたんでしょう。俺のさっき言ったことに」
「……そうね。本当にそう。嘘ばっかり吐いて……ごめんなさい」

 立ち去るつもりだったが、戻った。戻って彼女の前に立つ。異形の姿をしていても小柄で細い体をしていた。
 腕を広げ、優しく抱き寄せた。藤吾の初恋は自分よりも体格のいい桔平だった。だから自分より小さな体を扱う力がこれくらいでいいのか分からない。
 手探りの抱擁の中、日奈子が小さく息を呑む。硬直する背中を優しく叩いてから、坑道で桔平がしてくれた抱擁を思い出したのだった。

 どうしようもなく切なかった。悲しむ相手の力になれないことが。だから少しでも慰めになればと選んだ方法がこれだった訳だ。
 きっと、桔平も同じ気持ちだったのだろう。今度は真似たのではなく、彼と同じ方法を無意識に選ぶことができた。
 それが少しだけ誇らしくて、少しだけ胸の痛みが和らいだ。未だに爪痕の残る背中に日奈子が触れる。

「……ありがとう」
「俺の方こそ」

 互いに、別の人を思いながら抱き合うというのは何とも不思議な感覚だ。だが、欠けているピースを別の何かで埋められたような気がした。
 時間をかけて抱擁を解くと、今度こそ藤吾は藤棚に背を向けた。
 あれから、藤吾がここに戻ることはなかった。