呪いは皿の上で

 藤の花は、涼しげな少女のような声で出迎える。一方で返す藤吾の声は低い。疑問と怒りを抱え込んだ、悲壮な声で問うた。 

「こうなるって分かってたんじゃないか。なあ、日奈子さん」

 その名を呼んでも彼女は動じる気配はない。表情が分からないから察せないが、彼女はそう聞かれることも覚悟していたかのようだ。
 シャンと背筋を伸ばし、答えた。

「それを伝えても……、あの子の運命は変えられなかった」

 日奈子の名前を否定はしない。だから、彼女に聞きたかったことを続けて問うた。

「どうして、桔平だったんだ」

 甘い花蜜の香りがベタつく。あんなにいい香りだと感じたのに、今は腐臭に等しき香りだ。
 胃が痙攣するのを手で抑えこみ鋭く睨む。
 人間でもないくせに、彼女は深く息を吸い込み……吐いた。これから話す内容に、腹を括るかのように。

「……私。いえ、私たちは……。贄になるために愛されている人から引き離された。だから、この地で愛されている人を呪ってしまう。贄に選んでしまうのです」

 声を震わせながら自白した。しかしどこか他人事のように語る内容に怒りが込み上げる。顔中の筋肉を痙攣させ叫んだ。
 腹の底から絞り出した怒声は藤の花を散らさんばかりに響いていく。

「俺が、俺が……桔平を愛してたから。それが理由だっていうのか?!」

 その声に萎縮したようにこくりと日奈子は頷いた。

「俺の──、俺のせい」

 急激な怒りで頭に血が上ったせいか。視界が眩んでベンチの上に腰を落とした。
 桔平が死んだのは自分のせい。それを突きつけられた絶望に息ができなかった。

 ──もしも、自分が桔平のよき友人であり続けたのなら。
 ──もしも、自分が桔平と出会わなければ。
 ──もしも、桔平と同じ土地に生まれなければ。

 彼は今も生きていられたのだろうか。あんな、まともではない死に方をしなくても済んだのだろうか。
 今、この時間も家族で団欒の時を過ごして、ベッドに入って明日のことをぼんやり考えながら寝付く。そんな当たり前があったはず。
 それを奪うことになった原因が自分にあった。
 直視し難い事実を突きつけられて、藤吾の頭は真っ白になる。

「ごめんなさい」

 彼女が謝った。だが、謝られても彼はもういない。
 園田桔平は死んだ。
 心から愛した男は、間接的であれ藤吾によって殺された。

「死んでるくせに。お前ら全員、生きてもないくせに。よくも……」

 恨み言がつらつらと溢れる。桔平を理不尽に奪ったことへの怨嗟を募らせ、拳でベンチを殴りつけた。
 ささくれが手に食い込んだが、構うことか。何度も何度も行き場のない怒りのまま拳をベンチに打ち付ける。
 それでも抑えきれぬ憤怒から勢いよく立ち上がった。人差し指で日奈子を指して糾弾を続ける。

「なあ!お前らが死んだ原因は、水銀中毒だったんだろ。あの炭鉱、嫌な匂いがしたもんな。あの炭鉱の赤い石だって……」

 彼らが死んだ原因に藤吾は気づいていた。あの炭鉱に漂う嫌な鉄臭さ。それが硫化水銀であることに。
 無理な採掘によって地層奥深くに埋まっていた硫化水銀が流れ出たのだろう。地下水に染み込んだそれの影響が出たのは、当然山だった。
 水の影響を直接受ける魚たち。湧水を飲む獣たち。そうして、それらを食し、水を井戸に引いた人間らに影響を及ぼしたのだ。
 炭鉱の壁から突き出た赤い石は、辰砂と呼ばれる水銀であることも藤吾は知っていた。
 桔平の姉がまとめた内容の一部に記されていたものだ。

「馬鹿な奴ら!呪いなんてなかったのに!全部自分たちのせいだったのに!そうとは知らずに、浅ましく吹き溜まり続けやがって!」

 呪いの始まりは山の祟りではなかった。
 勝手に恐れて、勝手に生贄を捧げて、勝手に恨んだだけという、あまりにも滑稽な事実が潜んでいただけだった。
 だが、滑稽なのは彼・彼女らだけではない。藤吾自身、自分もそうだと思っていた。

「仁川診療所。元は産婦人科も兼ねてたんだろ。アンタ……あそこで切迫流産したって桔平から聞いたよ」

 桔平が見た記憶を口走る。残忍な復讐心のまま、言葉を続けた。
 その続きはきっと触れてはいけない内容だと、頭では分かっているのに藤吾はもう止まれなかった。
 彼女の全てを呪いながら吐き捨てる。

「子供が流れたのも水銀中毒の影響だったらしいよな。 ……それで?今もその子を探して病院内を彷徨いてんの?」

 仁川診療所で、藤吾の背中に傷を負わせたのも彼女だと藤吾は気づいていた。
 彼女はここから全てを見通していた訳ではない。
 この忌地に”居る者”。それら全てが彼女だったのだ。

「……そう、だったの」

 突きつけられた事実を噛み締めているのだろうか。
 花の房に覆われて表情は分からないが、少なからずショックを受けているようだ。そんな彼女を横目に再びベンチにどっかりと腰を下ろす。
 興奮と怒りで息が切れていた。
 しかし心に澱む感情を欠片も残さず叩きつけたことへの爽快感。それを今回は感じられなかった。
 胸にあるのは、言うべきではないことまで言ってしまったことへの後悔……
罪悪感だ。

「……そうだよ」

 自らの身に降りかかった不幸の原因が何であるかを、彼女は知らなかったのだ。姿形も見えぬ何かによって、飼い犬も母も死んだ。腹の中で大切に育てていた子も死んだ。
 そして、最後には我が身をこの土地のためにと殺されたのだ。
 それの意味が一つもなかったと伝えられた彼女は黙って俯いていた。

「……貴方も日奈子さんなんでしょう。恨まないんですか」
「私は……、どちらかといえば植物に近いですから」

 人の真似事はできても、感情は凪いでいるのか。恨みや憎悪といった感情は薄いらしい。羨ましい限りだった。
 仁川診療所について記された一枚の紙を広げて、改めて目を通す。
 昭和の中期に建てられたその診療所は、どこにもでもあるような村の診療所だったらしい。
 だが、今は違う。あの診療所で見た、隠された水路を藤吾は思い出していた。
 他の忌み地にはなかった。地下のあれは一体何だったのか。その答えが一枚の中に書かれている。