呪いは皿の上で

「フジ、なあ……」

 桔平が何かを言いかけた。同時に進む足がぴたりと止まる。彼に縫い留められる形で、藤吾の動きも止まった。

「桔平?」

 顔だけ振り返れば、傾斜の向こうから日が差していた。逆光になった桔平の顔はよく見えない。

「どうし──」
 
 眩しそうに顔を顰め、体を反転させる。桔平に向き合った藤吾の表情は固まった。
 桔平の脛から下は真っ黒に染まっている。前方に伸びた自分の影に絡め取られているかのよう。そのせいで動きが縫い留められてた。
 その影は瞬く間に腿へと上がり、桔平の下腹部から胸部まで真っ黒に染め上げていく。その黒い立体的な影の中に見えたのは目玉だった。
 「正」の字が刻まれた眼球がぎょろぎょろと黒目を忙しなく揺らす。その視線の一つと藤吾は目が合った。
 そこに何の感情もない。ガラス玉のように虚な瞳。いいや、死んで腐った魚の目玉のよう。
 

「フ、フジ……!」

 桔平がか細い呼吸と共に呼びかける。握ったままの手を強く握られ、ようやく我に帰った。右手と強く握り込んで、その影から引き出そうにも圧倒的な力で全く敵わない。
 恐怖にカッと見開いた桔平の右目と視線が絡む。空っぽの筈の眼窩に何かが潜んでいる。それは……幾つもの眼球だ。一つの眼窩の中に、みっちりと「正」の字が刻まれた瞳が収まっていた。
 恐怖に桔平の顔が歪む。泣き出しそうな怯えた表情。助けを求めて左手が藤吾へと伸ばされた。

「助け──」

 藤吾もその手に触れようと腕を伸ばした。 指と指が触れ合う寸前で──

「桔平!!」

 パツン。
 風船が割れるより軽い音を立てて、桔平が弾けた。
 部活で鍛えられたしなやかで長い手足。無駄な肉のないすらりとした胴体。少しだけ硬い黒髪。どこまでも藤吾の心を掻き乱す程に、豊かな表情を見せた顔。それらが嘘だったように一瞬で砕けた。
 名を呼び、開いた口の中にたっぷりと桔平だったものが流し込まれる。それを吐き出すことはできなかった。
 口腔をベッタリと塗り潰す生臭さの味に胃液が込み上げる。だが嘔吐さえできな
かった。ショックが、肉体の反射を忘失させる。

 桔平は肉も骨も内臓も小さな欠片になった。それらが這い上がる影の中に取り込まれていく。その肉を咀嚼するように影が上下に動いた。ズル、グチャ、と肉と骨が擦れる音を立てながら散り散りになった血も余さず啜っていく。

「……なんで」

 唯一残ったのは藤吾が最後まで握り締めていた右手だけだ。肘から先だけが残された桔平の手はまだ温かい。
 断裂した筋肉の収縮で、肉を抉るほどに強く藤吾の手を握り返したが……やがてだらりと力が抜けた。

「どうして」

 その場に呆然と立ち尽くす藤吾の問いに誰も答えない。全身に桔平の返り血を浴びた藤吾は、太陽が真上に昇っても立ち続けた。
 ブウンと蛇行しながら飛んできた蠅が、桔平の腕の断面を舐める。

 ──今日は、蝉の音が五月蝿かった。