背後から出口にかけて、黒い煙が伸びている。不快な鉄臭さを塗り潰す焦げる匂いを、肺いっぱいに吸い込んだ。
あと数歩で出られる。外界から吹き込む風を頬に受けて確信した瞬間。背後から熱波が襲う。
ガスコンロが爆発したのだ。
その爆風に背中を押される形で二人は炭鉱から転がり出た。
病院で受けた背中の傷は未だに癒えていない。そこに熱波を受けたのだ。まるで切り込みを入れられたソーセージにでもなったような気分だった。
うつ伏せに倒れていた藤吾と桔平がゴロリと仰向けになる。時刻はあちらと連動していたのか。丸々と肥えた月が浮かんでいた。夜空を眺めるなんてどれくらい振りだろうか。湿った土の感触を背中に感じながら、二人は暫く空を見上げていた。
「なあ、……フジがいてくれて良かったよ」
その言葉に報われた気がした。彼は共に生きている。呪いを刻まれた右目は今頃、ポップコーンのように炭鉱の中で弾けて焼け落ちただろう。
彼を蝕む呪いは終わったのだ。その力になれたという充足感が全身を包み込んでいる。
拳を握って桔平に突き出した。桔平も同じように拳を突き出す。拳をぶつけ合って、勝利の喜びを共有しながら二人は疲労のまま空を見上げ続けた。
「炭鉱で目が落ちた後、変なものが見えたんだ」
月が薄くなり始めた夜明けに二人は山を下っていた。当然、バスはこの時間には来ない。だから二人はバス停の看板を通り過ぎて、八俸山を下りる道を進む。
桔平が見た変なものについて聞き返しながら、足裏に刺さった小石を指で弾き飛ばした。
「日奈子さんの記憶」
桔平の話はこうだ。まず、庭で飼っていたクロの様子がおかしくなった。
同じ方向にぐるぐると回り続け、痙攣が止まらなくなったのだと。そうして間も無くクロは死んでしまった。
次にヤエに痴呆のような症状が出た。耳が遠くなり発声も危うくなった。その症状は短期間で急激に悪化し、最後には食べ物を消化できなくなって死んだのだと、桔平が語る。
「……日奈子さん、お腹に赤ちゃんがいたんだよ」
その重い口振りから、その子供がどうなってしまったのかと察した。だが伝えるべきだと責任を感じているのか、桔平が途切れ途切れに話を続ける。
「予定日よりずっと早い内に産まれちゃって。その子も……結局」
「……そっか」
下山しているのに、足の進みが遅くなる。飼い犬が死に、母親が死に、お腹の子も……となれば世を恨みたくもなるだろう。それだけではなく、彼女は集落の生贄にまで選ばれているのだ。
「昭和101年の世界ってさ、日奈子さんにとっては幸せな世界なのかもね」
穏やかな日常が続く世が、あそこにはあった。平穏が続くことを願った彼女が生み出した幽世。それが五災厄を通じて、繋がってしまったのか。
「だとしたら、一回旦那さんにも挨拶しておくべきだったかな」
「もしかしたら、仲良くできた……ってことはないだろ。挨拶してたら俺たち絶対死んでたぜ」
そこで一つ気になった。
「そういえば、旦那さんの記憶は見なかったの?」
彼女の記憶を見たのであれば、間違いなく存在するはず。どんな人だったのか気になってそう問うた。桔平も「ああ」と相槌を打って口を開いた。
「……何でだか、お前に似てたよ」
桐島という苗字といい。嫌な偶然が続くと何かが仕組まれているかのようで気味が悪い。だが、終わったのだ。だから深く気にすることはないだろう。
「聞かなきゃよかった」
とは言っても、ぼやきの一つは出る。
「俺の気持ち、少しは分かった?」
何でだか、桔平は嬉しそうにそう言うのだった。
しかし片目を失ったせいで、右側が見えていないのだろう。時折、木の枝に腕を引っ掛けたり、石につまずいたりと動きに支障が出ている。左側に立っていた藤吾は黙って右側へと場所を移す。そうして、右手を握るのだった。
彼がぶつからないよう、配慮しながら時間をかけて傾斜を進む。道の左右を囲む木々が途切れ、コンクリートで舗装された車道が見えた。
あと数歩で出られる。外界から吹き込む風を頬に受けて確信した瞬間。背後から熱波が襲う。
ガスコンロが爆発したのだ。
その爆風に背中を押される形で二人は炭鉱から転がり出た。
病院で受けた背中の傷は未だに癒えていない。そこに熱波を受けたのだ。まるで切り込みを入れられたソーセージにでもなったような気分だった。
うつ伏せに倒れていた藤吾と桔平がゴロリと仰向けになる。時刻はあちらと連動していたのか。丸々と肥えた月が浮かんでいた。夜空を眺めるなんてどれくらい振りだろうか。湿った土の感触を背中に感じながら、二人は暫く空を見上げていた。
「なあ、……フジがいてくれて良かったよ」
その言葉に報われた気がした。彼は共に生きている。呪いを刻まれた右目は今頃、ポップコーンのように炭鉱の中で弾けて焼け落ちただろう。
彼を蝕む呪いは終わったのだ。その力になれたという充足感が全身を包み込んでいる。
拳を握って桔平に突き出した。桔平も同じように拳を突き出す。拳をぶつけ合って、勝利の喜びを共有しながら二人は疲労のまま空を見上げ続けた。
「炭鉱で目が落ちた後、変なものが見えたんだ」
月が薄くなり始めた夜明けに二人は山を下っていた。当然、バスはこの時間には来ない。だから二人はバス停の看板を通り過ぎて、八俸山を下りる道を進む。
桔平が見た変なものについて聞き返しながら、足裏に刺さった小石を指で弾き飛ばした。
「日奈子さんの記憶」
桔平の話はこうだ。まず、庭で飼っていたクロの様子がおかしくなった。
同じ方向にぐるぐると回り続け、痙攣が止まらなくなったのだと。そうして間も無くクロは死んでしまった。
次にヤエに痴呆のような症状が出た。耳が遠くなり発声も危うくなった。その症状は短期間で急激に悪化し、最後には食べ物を消化できなくなって死んだのだと、桔平が語る。
「……日奈子さん、お腹に赤ちゃんがいたんだよ」
その重い口振りから、その子供がどうなってしまったのかと察した。だが伝えるべきだと責任を感じているのか、桔平が途切れ途切れに話を続ける。
「予定日よりずっと早い内に産まれちゃって。その子も……結局」
「……そっか」
下山しているのに、足の進みが遅くなる。飼い犬が死に、母親が死に、お腹の子も……となれば世を恨みたくもなるだろう。それだけではなく、彼女は集落の生贄にまで選ばれているのだ。
「昭和101年の世界ってさ、日奈子さんにとっては幸せな世界なのかもね」
穏やかな日常が続く世が、あそこにはあった。平穏が続くことを願った彼女が生み出した幽世。それが五災厄を通じて、繋がってしまったのか。
「だとしたら、一回旦那さんにも挨拶しておくべきだったかな」
「もしかしたら、仲良くできた……ってことはないだろ。挨拶してたら俺たち絶対死んでたぜ」
そこで一つ気になった。
「そういえば、旦那さんの記憶は見なかったの?」
彼女の記憶を見たのであれば、間違いなく存在するはず。どんな人だったのか気になってそう問うた。桔平も「ああ」と相槌を打って口を開いた。
「……何でだか、お前に似てたよ」
桐島という苗字といい。嫌な偶然が続くと何かが仕組まれているかのようで気味が悪い。だが、終わったのだ。だから深く気にすることはないだろう。
「聞かなきゃよかった」
とは言っても、ぼやきの一つは出る。
「俺の気持ち、少しは分かった?」
何でだか、桔平は嬉しそうにそう言うのだった。
しかし片目を失ったせいで、右側が見えていないのだろう。時折、木の枝に腕を引っ掛けたり、石につまずいたりと動きに支障が出ている。左側に立っていた藤吾は黙って右側へと場所を移す。そうして、右手を握るのだった。
彼がぶつからないよう、配慮しながら時間をかけて傾斜を進む。道の左右を囲む木々が途切れ、コンクリートで舗装された車道が見えた。
