呪いは皿の上で

「日奈子さん。この山菜はどこ置きましょう?」

 彼女の母、ヤエが採ってきた山菜が入った籠を藤吾が台所に運びこむ。タイルが貼られたキッチンは古めかしくても清潔感が漂っていた。
 テーブルの上に広げられた新聞紙。そこに置けばいいか?と聞けば、日奈子が頷いた。その上に、フキや紫蘇等の葉物を広げる。濡れた土が新聞紙に染みる。
 ピカピカに磨かれたシンクの前に立つ日奈子は、ボウルに菜箸を突っ込み掻き混ぜている。トロッとした卵色の生地から、この山菜で何を作るのかを察した。

「天ぷらですか?」
「正解。本当に藤吾さんは料理が好きなのね」

 葉がついたフキを取って、シンクで一枚ずつ丁寧に洗った。日奈子の指示に従い、フキの葉を切り落としていく。

「山菜の調理法なんて何処でも学べるだろうに、こんなのでいいの?」

 少し不安そうに、だがやはり面白そうに日奈子が聞いた。茎に塩を振ってゴロゴロとまな板に擦り付けていく。いわゆる板ずりという手法を学ぶのもまた新鮮な心地だ。
 二人でアク抜きの作業を進めながらたわいも無い会話を続ける。

「むしろ、こういうのがいいんです。八宝山の山菜はここでしか食べられないですから」

 ちょうど湯が沸いた。コンロに乗せられた大鍋にフキの茎を落としていく。鍋の中で鮮やかな緑に染まった。ボコボコと沸き立つ大きな泡を眺め、時間を壁掛け時計で測る。

「あのね、フキってアク抜きに一晩から半日は必要なのよ」

 2分経過し、ザルにフキを上げながら日奈子が言う。その言葉に動揺する藤吾の様子を揶揄うように、んふふと口元を抑えながら笑った。
 水に晒したフキを布巾で拭っていく。慣れた手つきで筋を剥き始めた。

「じゃあ、今日は食べられない……ですよね?」

 日奈子を真似て筋剥きを始める。スナップエンドウの筋剥きと感覚が似ているから、そう苦戦することはなかった。
 黙々と続けつつも、藤吾の心は失望一色だった。ここに長く居るつもりはない。明らかに異変が起きているこの空間丸ごとが呪いみたいなものだ。
 そこで自生しているものを口にできれば……という考えを否定されたようだった。
 その失望は分かりやすく表情に出ていたのだろう。そんな藤吾の口に向かって、日奈子は湯掻いたフキを差し出していた。
 え?とポカンと開いた口へふきが差し込まれる。ほとんど無意識に前歯で食めば、山菜特有のほろ苦さが口に広がった。

「え、全然エグ味がない?」
 
 アク抜きには長くて半日かかると聞いていたのに、舌が縮こまるようなエグ味は一切感じられなかった。
 ポリポリと食べ進めても、口に広がるのは少しの青臭さと心地よい苦味飲み。

「八宝山の山菜は特別なの」

 先ほどから見せていた笑みの意味はこれだったのか。
 合点が行き、失望に満ちた心が晴れ渡っていく。

「さ、早速天ぷらにしていきましょうか。量が多いから気合い入れて頂戴ね」

 その頃、桔平はヤエと一緒にいた。料理慣れしていなかった彼は戦力外と見做され、日奈子に台所を追い出されていたのだった。
 後に藤吾が話を聞いたところ、風呂掃除をしたり肩揉みをしていたらしい。
 ついでにクロと呼ばれた犬に餌もやりに行ったそうだが、ヤエの目が届かないところでは存分に吠えられた。そんな泣き言をこっそり藤吾に吐くのだった。

「藤吾くん。山菜のことは学べたかえ?」

 茶碗に米を盛り付ける藤吾へ、ヤエが問いかけた。

「はい!おかげさまで」
「それはそれは良かったねえ。論文っていうやつ?も、これで書けるかしら」

 民俗学の学徒としてここにいる設定を貫き通す以上、その言葉に頷くしかない。だが、その疑うことを知らぬ純朴さにいい加減罪悪感を抱きそうだった。
 四人で囲むのに難儀しそうな小さいちゃぶ台に、次々と料理が並べられていく。
 人数分の茶碗に味噌汁の器。大皿には稚鮎の甘露煮。そしてフキと紫蘇の天ぷらが乗った皿が置かれた。
 温かな食卓だ。藤吾がもうずっと味わっていない、団欒の気配にどうにも心が浮き立ってしまう。

「夫は帰りが遅いらしいの。だから、先に頂いちゃいましょう」

 少し申し訳ないような気がしたが、そのお言葉に甘えることにした。
 桔平と藤吾は揃って手を合わせる。

「頂きます」

 声も揃えて頭を小さく下げた。箸を手に取って、早速手を伸ばしたのは山菜の天ぷらだ。
 天汁が注がれた小皿に浸し、フキの天ぷらを頬張った。揚げたてのサクッとした衣が口の中で剥がれる。遅れてじゅわっとフキの水気が口に広がった。
 熱が通ったせいか、苦さの角が取れていた。青臭さも油の香りを纏って柔らかくなっている。非常に美味しい山菜の天ぷらだ。

「すっごい、美味しいです。これ」

 呪いを口にする、という目的を達成した感動より味に興奮を覚えていた。繊維質な山菜を咀嚼し、飲み込む。その瞬間まで味に感動していた。
 その勢いで、鮎の甘露煮を菜箸に持ち替えて摘む。ついでに桔平の白米に上に、ぽんと置いた。
 炭鉱で呪いを口にするということをしたためか。彼もこれらを口にすることへの抵抗はないようだ。
 米の上に乗せられた鮎を白米ごと持ち上げ、口に運んでいる。

「鮎も、身が締まってて……!骨も柔らかくて美味しい」

 口々に感想を言い合う二人を微笑ましそうに桐島親子は見つめていた。少しだけむず痒い気がしたが、その優しい視線に包まれながら箸を運ぶ。
 紫蘇もフキと同じく、上品な一品料理に仕上がっていた。衣の軽い歯応えに紛れる薄さなのに、広がる爽やかな風味に舌鼓を打つ。

「米も八宝山の水で炊いているのよぉ。お味噌汁もね、引いた水で作っているの」
「なら、この料理全部が八宝山で作られているんですね」

 藤吾からすれば言うことなしだ。それはさておき、どれも美味しかった。そして、居心地が良かった。
 まるで家族がまともだった時のことを思い出すかのようで。
 再び、新聞紙が油取り紙の代わりをこなしている天ぷらへと藤吾は箸を伸ばす。ふと視線を落としたそこには今日の日付が書かれていた。
「昭和101年 8月4日」と。
 見たことのない文字の並びに頭が真っ白になる。だが行動を起こすことはできた。こっそりと日付部分を箸で千切って、自分の膝の上に落とす。

「えー、えっと。すみません」

 油染みが浮いた新聞紙からは新しい紙の匂いがした。

「今年って何年でしたっけ?今日のことを書き記さないといけないのにド忘れしちゃって」

 隣で正座する桔平が答えぬよう、こっそりと彼の膝を抑える。それに気付かぬ親子二人は、確認し合うように顔を合わせた。

「2026年よ」