透は部活部員と勉強会をするらしい。昔は俺優先だったけど、部活を始めてから部活優先になった。別に拗ねてはないけれど、少し寂しいのは事実だ。まあ、昼休みのことがあって、ふたりで帰る自信もなかったので、安心したところもある。
 今日はひとりで帰宅する。昨日と変わらず青空が広がっていて、めちゃくちゃ暑い。
 夕方になるまでどこか店に入ろうか、ついでに腹が減った。
 近くのハンバーガー屋に入って、ハンバーガーとポテトとコーラ、いつものセットにパイも注文した。透の家は普段ファーストフードに行かないみたいで、パイを始めて食べたとき感動していた。
 商品を待っていると、同じ制服の人が入ってきた。今日何度も遭遇するな、と思う鷹峰だった。いや、昼間は偶然だと思うけど。
「こういうの食うんだ」
「……俺って、社本のなかでどんなイメージ持たれているのかな」
「うーん、霞を食ってそうな?」
「ふ、ははっ……君と同じ。肉も食べるよ」
 笑うこともしないと思っていた。なんて言ったら呆れられそうだけど、目の前で美人が笑って視線が奪われてしまった。
 固まっている俺を素通りして、カウンターで注文する手順は慣れている。確かに肉を食うらしい。
 出来上がったものを受け取って、二階に上がる。高いところが好きなので、居心地がいい。窓に向いた横並びの席に座って、外を眺めながらポテトを食べる。アスファルトから陽炎が揺れている気がする。もうここから出たくない。
「外見るのが好き?」
「そんなことないでーす」
 当たり前のように隣に座る鷹峰へ横目を向けて、すぐに逸らす。
「外、出たくないね」
「ほんとに暑いから出たくない。出たいって思う奴いる?」
 嫌そうな表情で首を横に振ったら、ふふ、と笑う。鷹峰が笑うと花が咲くというような表現がぴったりだ。確か女子たちも鷹峰の顔面の良さは褒めていた。
「鷹峰って顔はいいよなあ」
「そう? 社本から褒められたら自信になるよ」
「普段もそうやって笑えばいいのにさ」
「……そっか、俺笑ってたんだ」
 恥ずかしいのか頬をぺたぺた触ってむにむに押す。顔を褒められても何も思わないのに、笑顔を見られて恥ずかしがるなんてちょっとずれてる。
「なんで照れんの」
「いや、笑ってる自覚なかったというか……社本は可愛いからね。可愛いものの前だと笑ってしまうのかも」
「かっ……?!」
 かわいい。かわ、いい……?
 そんなことを言われたのは、小学校低学年に親から言われて最後だ。
 口をぱくぱく開閉させていると、ポテトを突っ込まれた。
「食べたいかなと思って」
 美味いけど、そうじゃない。いや、待ってくれ。美味い、昼間しなかった味がする。
「君は、最近クラスメイトが休んでいることはどう思う?」
「んー心身疲れたんじゃない? 俺には関係ないけど」
 コーラをズッと吸って、あまり興味なさそうに答えた。何かしらあったのは可哀そうだとは思うが、俺には関係ない。
「今日、橘先生が話してたこと」
「ああ……たしか姉ちゃんが橘先生と学年被ってるから、なんか知ってるかもなあ」
「俺も知ってる」
 怖い話かと、両手で耳を塞いだ。その手を取って下ろされて、右手にコーラを持たされた。聞けということらしい。ホラー耐性がないので、できれば聞きたくない。
「知らない人に、呼ばれたことある?」
 まさに昨日あったことだ。苦虫を嚙み潰したような表情でうなずくと、鷹峰はまた一本フライドポテトを口に突っ込んでくれた。
「昔からここあたりってその怪異の被害があるみたいでね」
 淡々と喋る鷹峰と、内容に耳を塞ごうとすれば、鷹峰にまた手を掴まれる。
「名前を呼ばれて、返事をすること」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
「社本」
 さっきの話を聞いてからだと、返事がしづらい。口をもごもごさせていると、鷹峰はまた笑った。
「これはそうじゃない。俺が知ってるのは姓名の名と、呼ばれるのは後ろから」
「後ろから」
 なんで、なんでそこまで知っているんだろう。
 コップを持つ手に力が籠ってコーラが手にかかった。
 鷹峰はハンカチを取り出して手を拭いてくれる。綺麗に畳まれたハンカチは育ちがいいんだろうなと分かる。
「ありがと。それ洗って返すよ」
「いいよ、大丈夫。いつも遊んでいた子がそそっかしくて、よく汚していたの思い出したよ」
「あ、えっと……」
 懐かしそうにする鷹峰の顔は、寂しそうで、だけどそれだけじゃない気がする。入ってはいけないような話題で、次の言葉が紡げない。
 その様子すらおかしいのか、すでに笑っている鷹峰を見て、自分の気遣いが無駄だったことにようやく気付いて、ぶすっと頬を膨らませた。
「なんだよ、嘘だったのかよ」
「誰も嘘なんて言ってないよ。本当のこと。だって俺はそれで……大切なひと、いなくなったから」
 大切なひと。鷹峰の話した内容に、やっぱり触れてはいけないところだったかと口を閉じた。
 どうしていいか分からず、鷹峰の顔と手元を見ていたら、またポテトを突っ込まれた。大人しく食べるが、自分で食べるよりも美味しく感じた。
 鷹峰のトレイの上には新作のパイが乗っている。
「あ、今日からのやつ。意外とミーハーなんだ」
「そうかも。新作は食べたいって、最近は色々なもの試すようになったかな」
「へ~……うん、おいしい……ような」
 自分で買ったパイをひと口齧ってみたけど、また味が薄い。味のないパイは、口の中でじゃりじゃりとして食感が悪い。
 無理矢理コーラで流し込む。コーラだって、さっきより味がないような気がする。
 もごもご、と進まない食事を見た鷹峰が、俺の持っているパイを取った。鷹峰が食べてくれるなら、正直助かる。
「あーん」
「は?!」
 思わずでかい声が出た。辺りを見渡して、こちらを見てくる人に頭を下げてから、鷹峰を肘で小突く。
「ガキじゃないし」
「いいから、ほら」
 意外と頑固なところがあるな、とパイと鷹峰をちらちらと見たあと、渋々口を開く。
 ひと口、齧って味がする。なぜだろう、鷹峰から食べさせられたものは、味がする。
「なんか盛った?」
「酷いな」
 まるで餌付けみたいなことを高校生になってやるとは思わなかったが、美味いからしょうがない。

 食べ終わって、たまに一言二言零して、ふたりで窓の外を見つめる。無言の時間が心地いいと感じるのは透以外いないと思っていた。
 陽が傾いて多少は涼しくなったかもと席を立ってゴミを捨てて、ふたりでハンバーガー屋を出た。
 帰り道は同じ方向らしく、そのまま鷹峰と帰ることにした。学校を出たときよりも影が長く伸びて、暑さは多少マシになった。それでも、じんわりとした湿気を含んでいるのは変わりないけれど。
 隣を歩く鷹峰をちらりと見つめれば、透よりは少し背が低いけど、俺よりは高い。少しだけ顎を上げて、隣を見るのは透よりもちょうどいい。透は背が高すぎるから、ちょっと首が疲れてしまう。歩いているあいだの会話は何気ないものばかり。でも、やっぱりさきほどの話は気になってしまう。
「さっきの話なんだけど、鷹峰って霊感とかがあったりすんの?」
 真夏の怪談やそういうものは大の苦手であるが、だからこそ興味本位が勝ってしまって、恐る恐ると聞いてしまう。そのあと毎回後悔するんだけれど。
「そんなのないよ。幽霊と怪異は違う、ターゲットに決めたひとは視えるから」
「ターゲットに決めたひと?」
「そう、怪異が好んだひと」
「好んだひと?」
「怪異にも好みがあるみたいだよ。素直で、敏感で、自分に固執していない子」
「自分に固執……」
「執着とも言えるかな。社本は自分の将来について目標とかある?」
「いや、特に……」
「迷っている人って、誘いやすいみたいだからさ」
「なんで、俺が狙われてるって、分かったの」
「見てたから」
 鷹峰がジッと俺を見つめる。足が止まって、口を開く。
「だから、気を付けて」
「いろんな人に気を付けてって言われるんだけど、俺ってはたから見てそんなに危ないかな?」
「君は今、ギリギリだから……みんな心配しているんだと思う。それに気づいている人も、いない人も」
「ギリギリ?」
「そう、」
 鷹峰が言葉の続きを言おうとしたとき、背後に気配を感じた。ゾッとするような、寒気。それから、異臭。強張る身体、まるで地面と足裏が接着剤で張り付いたように動けない。脂汗が滲む。
 〝aaAあ、きEeii〟。
 知らない声。発音もおかしい。聞き取れるような、言葉になっていないような。知らない国の言葉ですらない。これを言葉だと認識したくないと脳が拒否反応を示す。
 寒い、夏なのに。こんなにジメジメしているのに、それがかえって生臭さを生んでる。背中を触れている感覚がある。それが、あたたかいような冷たいような、分からない。何に触れられているのだろう。それを確認しようと、首だけはギギ……と、動く。
 振り返りそうになって、両目の視界が奪われる。
 あたたかいのに、指先が冷たい手。
「振り返らない。俺と約束して」
「っ……、は……鷹、峰」
 目を覆うのは鷹峰の手のひら。そして、左手首を掴まれて引っ張られると、張り付いていた足は動き出した。前のめりに歩き出して、転びそうになっても引いてくれる手が支えてくれる。あの場から抜けられただけで、先ほどまでの不快感が消えた。
 ドッと疲労感が襲って、脂汗が滲む。ここに鷹峰がいなかったら、俺はどうなっていたんだろうか。そう考えるだけで、胃が重くなって、さっき食べたハンバーガーが逆流しそうだった。
「予想以上に怪異に好かれてるみたいだから、絶対に振り返らないで」
 鷹峰の念を押す言葉に、ただうなずくしか出来ない。
「疲れただろうから、今日は早く帰って休んだほうがいいね。目の下のクマも酷いよ」
「うん、そう……するかな」
 疲労と寝不足が全身を重くさせるが、動けないほどじゃない。
 俺の家の前までふたりで到着すると、鷹峰は手を振ってから俺の家の前を過ぎていく。鷹峰の家が通り道なら、一度くらいはすれ違っていそうなのに、そんな記憶がない。もしかしたら、優等生な鷹峰は朝早くに家を出て、俺とは一度も鉢合わせていないのかもしれない。

「ただいま」
 玄関を開けて中に入ると、ふろ上がりの縁がいた。
「……おかえり」
 思春期の反抗期なのに、挨拶はちゃんとするところが可愛い弟だ。
 風呂に入ったらしく、髪が濡れている。暑さや嫌な汗をかい身体はべたべたしていて不愉快さを感じて、俺も入ることにした。

 頭からぬるめのシャワーを浴びる。冷たくて気持ちいい。今日起きたことのすべてを洗い流してくれているみたいだ。鏡に映る自分の姿を見つめて、目元のクマを確認してから、背後に何もいないか心臓を跳ねさせながら瞳を向けるが、何もいない。今日のアレは、なんだったのだろう。怪異、とは言っていたが、妖怪とか、いわゆる学校の七不思議とか。口裂け女に、トイレの花子さん。色々と居るけれど、一体どれなんだ。
 うんうんと唸ってシャワーを終えると、その日は疲れ切って髪も乾かさずにベッドで寝落ちた。