両親からの愛情なんて、諦めていた。代わるがわる入ってくる家政婦は、人間だから性格もみんな違って。子供ながらに、ひとに合わせようと必死だった。優しい人はいたけれど、信頼する前に仕事だからと辞めていく。
 幼稚園でもいつもひとりで。お披露目会や懇談会なんてものに両親が来たことはない。
 だから、俺は人と話すことをやめて、表情を動かすことすらしなくなった。
 そんな俺によく話しかけてくる奴がいた。社本明。いろんな子と仲良くしていた奴だ。底抜けな明るさが引き寄せているんだろう、きっと天性のものだ。これくらい明るかったら、俺も愛されていたのかな。
 明は俺ばかり構ってきて、最初は正直面倒だった。
 どうせ、直ぐどこかに、もっと楽しい友人を見つけてそっちに行く。俺なんてつまらない人間を捨てて、俺の目の前から消えると思っていたから。
 けれど、気が付いたら親友なんてポジションになっていた。
 俺みたいな独りぼっちの、暗闇で藻掻いているような俺に、こんな明るくキラキラして眩しい男が、……俺の親友なんて言っていいんだろうか。
 明の家族も、最初は同情だったと思う。本当にとてもよくしてもらった。
 家族の成り立ちや道徳に常識みたいな、当たり前のことを教えてくれた。他所の家の子供だっていうのに分け隔てなく、俺も明と一緒に叱ってくれた。
 いいな、と思った。羨ましい。そう思ったら明の家族は、もう家族だよと言ってくれて、欲しいものを簡単に俺に分けてくれた。
 嘘でも嬉しかった。その言葉の一割でも本音が混じっていたら、それだけで俺は、生まれてからその日までの幸せをすべて、与えられた気分になっていた。だから俺は一生、社本家には逆らえないと思う。
 
 でも、俺はもっと貪欲になっていた。
 明がほしい。
 初めての自慰も、そのあとも、ずっと明を想像してたなんて本人には言えないけど。
 俺はずっとずっと、明が好きだった。
 
 あの夏祭り。明のおばさんにお揃いの浴衣を着付けしてもらって行った、夏祭り。
 明の名前を呼ぶナニか。それに返事をする明。振り返る明と、一拍遅れてしまった俺。
 俺は明を守れたけれど、奪われた。
 俺が名前を呼ぶ度に、明は俺のことを忘れていく。
 怖くて。明が俺から離れることが。また独りぼっちになることが。
 色々試したころには、明は完全に俺のことを忘れていた。
 送り犬、犬神、土地神、色々調べてはみたけど、明が俺を認識しないことには始まらない。
 
 ある日。明が俺を見た。視線が合った。俺を認識した。
 久々の明の視線が、瞳が、嬉しくて、俺は自然と笑みが零れた。
 きっかけは分からないけれど、最近活発になった送り犬の被害者のせいだろう。
 佐伯透。俺から明を奪った男。
 明は、眩しくて明るくて、キラキラした人だから、怪異も人も。なんでも寄せ付けてしまう。

 佐伯透。呼んだのは、わざと。
 俺から明を奪ったのだから、報復を。それくらいの気持ちだったが、予想外に、送り犬も佐伯透に対しての恨みは強かった。多分、俺の感情も送り犬に乗ってしまったんだろうけども。
 鈍い音が聞こえて、怯えている明。それが可愛いなって思うだけで、やってしまったことも、目の前で起こったことも、特になんとも思っていない。寧ろうまく事が運んでしまって、笑うのを我慢するのが大変だった。そこは佐伯透と同族かもしれない。
 
 明をようやく取り戻せた。
 何度も涙を流した。こんなに泣けるんだ、と冷静な部分の俺が俯瞰して見ていた。
 それから、屋上で渡された進路調査の紙。どうしても手元に残しておきたいとわがままを言ったら、明は新しく書き直して、去年の夏に書いた進路調査の紙をくれた。俺にとって、これはラブレターだ。
 俺に……いや、全体的にそういう甘いところがあるので、ちょっと心配でもある。
 既にぐちゃぐちゃに折れ曲がった進路調査の紙を大切に折りたたんで、丁寧に鞄にしまう。
 これは宝物だな、と思っていたら、「宝物みたいに扱うなよ」と、恥ずかしそうに言う明がまたたまらなかった。

 そのあと、明の家で昼食をごちそうになった。そこで案の定というか、明のうっかりで自爆して付き合っているということがおばさんにバレた。突然立ち上がってどこかに行ったから、反対されるかな、と思っていたけれど、箱を持って戻ってきた。避妊具だった。俺と明で顔を見合わせていたら、使い方から性教育の話まで飛躍した。結さんのお母さんだなと、納得したし、ずっと顔を真っ赤にさせている明が可愛かった。
 どうやら明とまさか俺にも、彼女が出来たら話すつもりだったらしい。明と俺が付き合ったなら、一度で済んでよかった。なんて言われて、あまりにもあっさりしているので、多分明のおばさんには明と俺の気持ち、バレていたんだろう。
 それから「赤飯って今日炊くべき?」なんて言い出して、明が「やめて!」と悲鳴を上げていた。帰ってきた縁くんは呆れた顔をして、結さんにも報告しなきゃ、なんておばさんは反対どころか浮かれていた。

 騒がしくて、あたたかい。
 昔の俺なら、きっとこういう空間は苦手だった。誰かの家族の輪の中に入ることも、自分がそこにいていいと思うことも、できなかったから。
 けれど社本家は、俺に居場所を与えてくれた。
 明と一緒に叱られて。一緒にご飯を食べて。
 気づけば俺の分の箸や茶碗まで、当たり前みたいに並べられていた。

 それがどれだけ特別なことなのか、俺はずっと知っている。
 隣でまだ顔を真っ赤にしている明を見る。
 目が合うと、「笑うなよ」と拗ねた声が返ってきた。
 笑うに決まっている。
 だって、こんな未来。
 昔の俺は、想像すらできなかったのだから。