屋上からの帰り道、俺たちはやたらゆっくり歩いた。
 別に急ぐ理由もない。テストも終わった。怪異も消えた、俺と黎助の世界は平和。俺の心臓だけが全然平和じゃないけれど。
 だって、付き合った。付き合ったのだ。
 ちら、と隣を見る。
 黎助はいつも通り涼しい顔をして歩いている。さっきまで俺のこと抱きしめて泣いてたくせに、なんでそんな平然としてるんだ。いや、耳が赤いな。よし、この気持ちは俺だけじゃない。
「……あのさ」
「なに?」
「俺と黎助、今って、その……」
「恋人だけど」
「うわっ」
 即答された。無理。心臓に悪い。俺が胸を押さえて蹲ると、黎助が笑いながら頭を撫でてくる。くそ、今はそれ逆効果だバカ。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない……」
「可愛い」
「うるさい!」
 階段を降りながら、ふと気づく。今までだって黎助とはずっと一緒にいた。放課後も、休日も、夏祭りだって。
 でも、これからは全部意味が違う。親友から恋人に変わるのって、こんなに浮かれるものなのか。

 橘先生に鍵を返却して、進路の紙を飯塚先生に提出した。内容を見て、今の俺に相応の進学先だったらしく、小言なども言われずあっさりと職員室を出た。昇降口まで来ると、他にも下校する生徒が何人かいた。
 女子たちがこっちを見てひそひそ話している。その視線の意味が、いつものように何でもないものに思えなくて、急に気まずい。
「な、なんか見られてない?」
「見られてるね」
「なんで平気なんだよ」
「明が顔真っ赤だから。明のせいかなって」
「お前のせいだろ!」
 黎助は楽しそうに笑う。本当は顔面が整ってモテる黎助のことを見てたんだろうけど。それに妬いてしまう俺もいるけど。くそ、余裕あるな。でも、その横顔が嬉しそうで、なんかもういいかって思ってしまう。
 
 外へ出ると、むわっとした夏の熱気。アスファルトの匂い。遠くで鳴く蝉の声。
「……夏だなあ」
「今更?」
「だって去年の夏、ほぼ記憶ないし」
「ああ」
 黎助が少しだけ黙る。それから、小さく息を吐いた。
「今年は忘れないでほしい」
「当たり前だろ」
「来年も」
「うん」
「その先も」
 その言い方が、まるで確認みたいで。
 俺は少しだけ笑って、強めに肩を黎助にぶつけた。
「黎助ってさ」
「うん」
「たまにすげー不安そうだよな」
「……そう?」
「そう。俺、もう忘れないから」
 立ち止まる。振り返った黎助を正面から見ると、黎助の視線を受けて俺は少しだけはにかんだ。こいつ、俺を見るときすげえ真っすぐで、ちょっと照れてしまう。
「何回でも名前呼んでくれていいし。俺も呼ぶし。欲しいものとか、してほしいこととか全部俺に教えてくれよ。来年も再来年もその先も、ずっと一緒だろ」
 黎助の目が、少し見開かれた。それから、困ったみたいに笑う。
「参ったな……」
「何が」
「明が思ったより格好良く育ってた。明のおばさんとおじさんの手腕はすごいな」
「今更気づいた?」
「いや、昔から片鱗はあったけど」
 片鱗ってなんだ。納得いかない顔をしていると、黎助が急に俺の手首を掴んだ。
「帰ろう」
「え」
「早く帰らないと、おばさんたちが騒ぐ」
「あーーーー……」
 母さんに黎助と一緒に帰るからって連絡したら、昼食をがっつり準備するとか言ってたので、早く帰らないと。
 報告はするかしないか、いまだに悩んでいる。多分ここまで来たら報告しても受け入れてはくれるだろうし、もし反対されても母さんたちには悪いけど、俺は黎助と一緒になるつもりだ。
「……どこまで報告しようかな」
「明の好きなところまで」
「黎助が説明してくれよ」
「嫌だよ。明の家族怖いし」
「嘘つけ、一番好かれてるくせに」
「本当だって。いつも明とバカなことやったときに怒られたの、かなり怖かったよ」
「俺がそのバカをやる原因だって?」
「やらかすのは明が多かったよ」
 ぶつぶつ言いながら歩き出す。繋がれた手は、離れないままだ。

 商店街を抜ける。見慣れた町。七四面字町。
 犬神、送り犬、名前を意味付けする神様か怪異なのか、それ以外にもきっと名の知らない怪異たちがいた町。
 名前を弄られて。忘れたくない人を忘れて。遠回りして。
 でも最後には、黎助のおかげでちゃんと戻ってこられた。
 まだ昼間だけれど陽が落ちて黎の時間になって、それから黎明になる。
 俺と黎助がいたら明けない夜はない、きっと大丈夫。俺たちはようやく大事な名前を、ちゃんと呼べるようになったんだ。
「黎助」
「ん?」
「好き」
 歩きながら言ったら、黎助の表情筋が固まった。うん、やっぱり結構表情豊かだな。
「急だね」
「言いたかっただけ」
「じゃあ俺も」
 繋いだ手に力がこもる。
「明、好きだよ」
 そんなふうに名前を呼ばれるたび、嬉しくなる。
 多分これから先も、ずっと。