「指揮管制から戦隊各位、現在、地点一〇三にて威風が接敵。かなり苦戦してる模様です。直ちに応援に向かってください」
「了解、ハンドラー」
敵国ニヴルヘイムは極寒の地であるが故に熱を欲している。だから体温を持つ人間を襲い、その熱源となるものをパーツとして取り込むのだ。
我ら、アルカディア帝国アルバトロス西方方面軍独立機動部隊第一大隊オルトロスは同じく、第二大隊ケルベロス、第三大隊フェンリルと共に威風を助けるため進撃を開始する。
「アイアン・デュークより戦隊各位、地点一〇八にて第一大隊は接敵する。第二大隊、第三大隊狙撃部隊、弾頭ロケット部隊は援護を頼む。第二大隊の指揮をコールド・スキャベル。第三大隊の指揮をブリザード・アイに任せる」
「了解」
「......」
敵戦力百万に対しこちらは百五十にも満たない。少々分が悪いか。
「アイアン・デューク、応援はまだか...! 」
「アイアン・デュークより威風、今そちらに向かっている。もう少しだけ持ちこたえてくれ」
「......了解。だが五分が限界だ。急いでくれ」
声とその後ろから聞こえる現地の砲撃音、戦隊の声からしてかなり押されてるようだ。
「アイアン・デュークより戦隊各位、ギアスリーからギアシックスに変更」
「おい! そんなことしたら機体の足がぶっ壊れちまうぞ! ただでさえボロボロな機体なのに! 」
「構わない、ぶっ壊れても進めるところまで進め」
俺たちが乗っている機体、ヴィフレスト。燃料の代わりに寿命を消費して稼働する。だから、この機体に乗るのは俺たち十代の子供たち。なぜなら大人よりも寿命が残っているから。
機体の駆動系が悲鳴を上げる。ギアシックス。リミッターを解除したヴィフレストのコックピット内には、不気味なほど甘い香りの冷却ガスが充満し始めた。これは、搭乗者の生命力を無理やり吸い上げ、エネルギーに変換する際の副産物だ。
「……脈動、加速。同調率上昇。耐えてくれ...ヴィフレスト!」
モニター越しに見える雪原の向こう、地点一〇三の空が赤く染まっている。威風が放つ断末魔のような砲声。
そこへ、白銀の闇から「それ」が現れた。
ニヴルヘイムの自律兵器群。カレントリーパー。
彼らは整然とした隊列など組まない。ただ、熱源を求めて這いずる。あるものは壊れた戦車の装甲を無理やり繋ぎ合わせ、あるものは以前殺した兵士の「人工筋肉」を動力源として自身の脚に移植している。機械と肉が、凍てついたオイルで溶接された醜悪なキメラ。
奴らにとって、俺たちの命(熱)は、ただの「乾電池」に過ぎないのだ。
「全機、散開。これより地点一〇三を強制包囲する」
俺の声に応じて、第一大隊オルトロスの機体群が雪を蹴った。
視界の隅に、残寿命を示すカウンターが刻一刻と減っていくのが見える。機体を加速させるたび、視界がわずかに霞み、髪の先が白く変色していく感覚。
五分。威風が持ちこたえられる限界の時間であり、威風が「人間」でいられる時間だ。
「第二大隊、面制圧開始。一発も外すな、その弾丸も俺たちの削り取った時間だと思え」
「了解……死ぬ気で当てるよ、デューク!」
の通信が震えている。恐怖か、あるいは寿命を吸い取られる激痛か。
俺は操縦桿を握り直し、目前に迫る「熱を喰らう怪物」の群れに向けて、ヴィフレストの主砲を固定した。
「アイアン・デュークより各員。視界、最悪。……来るぞ」
雪煙の向こうから、無数の「赤い点」が浮かび上がった。
ニヴルヘイム連邦が放つ自律兵器群。
彼らには洗練された美学などない。あるものは蒸気機関のような巨大なボイラーを背負い、あるものは人間から剥ぎ取った防寒服を関節に巻き付け、油漏れを防いでいる。すべては、この極寒の世界で「熱」を維持するためだけの、醜悪な継ぎ接ぎの怪物だ。
「目標、接敵地点一〇三の敵前衛。全機、撃ち込め」
俺の声と共に、ヴィフレストの右腕にマウントされた高出力電磁加速砲が唸りを上げた。
ドン、と腹の底に響く反動。
それと同時に、身体の芯が急激に冷えていく感覚に襲われる。ヴィフレストが俺の「未来」を、細胞一つ一つの熱量を、燃料として変換した証拠だ。
一射ごとに、俺の寿命が数週間、数ヶ月と削り取られ、砲弾の破壊力へと姿を変える。
「……ッ、はあ、はあ……!」
モニターの中で、先頭のコレクターが爆散した。だが、残った敵機は、破壊された残骸に群がり、そこから漏れ出すわずかな熱エネルギーを吸い取ろうと蠢いている。仲間が死んでも、彼らにとっては「回収すべき資源」が増えたに過ぎない。
『こちら第三大隊、ブリザード・アイ。弾頭ロケット、展開完了。アイアン・デューク、退け』
冷徹な少女の声が通信機を叩く。
俺は即座に機体の姿勢を低くし、雪原を滑るように回避した。
直後、空を切り裂いて飛来した無数のロケット弾が、ニヴルヘイムの群れに突き刺さる。炎が上がる。一瞬の熱狂。だが、その炎ですら、敵機たちは触手を伸ばすようにして自分たちの動力源に取り込もうとしていた。
「指揮管制からアイアン・デューク。敵後方部隊が体制を立て直しました。攻撃に備えてください」
「はっ、やっと前線を破壊したって言うのによ」
キャンドル・ワイズが呆れるように笑う。
地響きと共に雪原が爆ぜ、地中から這い出したのは、鋼鉄と氷が癒着した「ヨトゥン」だった。
その胸部にある巨大な吸引扇が、周囲の空気を猛烈な勢いで吸い込み始める。大気が真空に近い状態まで冷却され、戦場に漂っていた火薬の熱すらも奪われていく。
「……ッ、機体が凍りつく……!」
キャンドル・ワイズの悲鳴に近い通信が飛ぶ。他の隊員も同じように。
ヴィフレストの装甲が、極低温によってガラスのように脆くなっていく。機体は、その致命的な冷却を防ごうと自動で出力を上げ、結果として搭乗者の寿命をさらに激しく喰らい始めた。
「デューク! 俺が奴の喉元を焼く! その隙に撃て!」
「待て、ワイズ! 今の出力で突っ込めばお前は――」
デュークの制止も聞かず、キャンドル・ワイズの機体が白銀の閃光と化した。
彼はギアシックスをさらに超えるオーバードライブを強制起動したのだ。
モニター越しに見える彼の指先が、一瞬で老人のように枯れ、髪は根元から真っ白に染まっていく。
(ああ、あの時……!)
雪原の中、デュークはヴィフレストの操縦桿を強く握り締める。
当時の記憶が走馬灯のように駆け巡る。ワイズが加速する背中。火花を散らしながら、ヨトゥンの装甲へ肉薄する姿。
雪原に降り注ぐ猛吹雪の中で、デュークはふと、通信のノイズの向こうにワイズの声を聞いたような気がした。
「……おい、デューク。またそんな顔して空を見てるのか? 氷の塊を眺めても、明日食うレーションは増えねぇぞ」
あれは、まだ訓練生だった頃の記憶だ。
無口で不器用な自分とは対照的に、ワイズはいつも皮肉屋で、それでいて誰よりも仲間を気に掛ける男だった。配属初日、泥だらけのヴィフレストから降りてきた俺に、ワイズは何も言わず自分の予備のグローブを投げつけてきた。「貸してやる。次は自分で用意しろ」と、わざとらしくそっぽを向いて。
俺たちは、多くの戦場で背中を預け合った。
敵のレーザーがコックピットを掠めるたび、ワイズは「死ぬなよ、交代で死ぬ順番を決めてるんだからな」と笑った。それは、いつか本当に交代で死ななければならない運命を、あいつなりに受け入れた上での精一杯の強がりだったのかもしれない。
楽しい記憶ばかりじゃない。
あいつの機体が大破して、俺が一人で戦域を離脱しなければならなかった日。
あいつが「俺のことはいい、お前が生きろ」と言った日。
その全てが、あいつの背中を見つめる記憶として胸に刻まれている。
そして、今。
目の前に立ちはだかる超大型個体「ヨトゥン」の威圧感。空さえも塗りつぶすような影を前に、部隊は凍りついた。誰もが死を悟り、通信機からは絶望的な悲鳴が溢れていた。
だが、ワイズだけは違った。
『お前が生きていれば、あいつら(仲間たち)も死ななくて済む。……俺の機体ごと撃ち抜け。それが、俺たちが生きてきた証だ』
それは、あいつが最初から決めていた「死に場所」だったんだ。
「見とけよ……ロウソクはな、消える寸前が一番明るいんだよ!」
キャンドルの機体がヨトゥンの吸引口へ特攻し、零距離で全弾を叩き込む。
吸引扇が爆発四散し、一瞬だけ「吸熱の嵐」が止まった。
「……キャンドル、無駄死にじゃないよ。……デューク、見えた。奴の核。扇の奥、三層目の防壁が剥き出しだ」
ブリザード・アイの静かな声が響く。彼女のスコープには、ヨトゥンが吸い込んだ熱を貯蔵する、真っ赤に脈動する熱源核が捉えられていた。
ヨトゥンの防壁が、ワイズの猛突撃によって歪み、その中心部にある赤い核が、まるで喉を鳴らすように剥き出しになる。ワイズはその瞬間のために、自分自身の機体熱を最大まで引き上げ、自らを「道」へと変えたのだ。
「了解した。……コールド・スキャベル、第二大隊。残りの弾丸、すべて俺の射線上に叩き込め。一瞬でいい、敵の機動を止めろ」
「了解……アイアン・デューク。死ぬなよ」
「……死ぬな、か。この機体に乗った時点で、俺たちはとっくにその選択肢を捨ててる」
俺は歯を食いしばり、操縦桿のトリガーガードを跳ね上げた。
視界の端で、キャンドル・ワイズの機体が黒煙を上げ、雪原に沈んでいくのが見える。彼が命を燃やして作り出した、わずか数秒の空白。
「第二大隊、全弾斉射ッ!!」
コールド・スキャベルの号令と共に、残存するすべての火力がヨトゥンの巨体に集中した。弾幕が肉厚な装甲を削り、火花が散る。ヨトゥンはその巨体を揺らし、剥き出しになった核を守ろうと、残った触手のようなマニピュレーターを振り回す。
だが、遅い。
「ヴィフレスト、全生命活動を戦闘出力へ転換(コンバート)。……ギア・セブン」
禁忌の領域。コックピット内の甘い香りが、今度は鼻をつくような焦げ臭い臭気へと変わった。脳が焼けるような熱さが全身を駆け抜け、代わりに指先の感覚が消えていく。モニターに表示された「Estimated Lifespan(推定余命)」の数値が、秒単位で、滝のように流れ落ちて消えていく。
「見えた……!」
ブリザード・アイの指定した座標。爆炎の合間に覗く、毒々しく輝く熱源核。
俺は全身の重みを乗せるように、主砲のトリガーを限界まで引き絞った。
「消えろ、熱を喰らう化け物共が……!!」
ヴィフレストの右腕から放たれた電磁加速弾が、音を置き去りにして大気を切り裂いた。
一直線に伸びた光の筋が、ヨトゥンの三層防壁を紙細工のように貫き、その奥にある核へと到達する。
一瞬の静寂。
次の瞬間、ヨトゥンが貯蔵していた膨大な熱エネルギーが、制御を失って内部から爆発した。
白銀の世界が、皮肉にも彼らが渇望した「熱」によって真っ赤に染まる。
衝撃波が雪を吹き飛ばし、周囲のカレントリーパーたちを次々と蒸発させていった。
「……敵、ヨトゥンの完全沈黙を確認。……周辺の自律兵器群、統制を失い後退していきます」
ブリザード・アイの報告が、遠く、水底から聞こえるような感覚で耳に届く。
俺は荒い呼吸を繰り返しながら、震える手でレバーを戻した。
戦場に静寂が戻る。ヨトゥンの爆発が残した熱気が、急速に極寒の空気にかき消されていく。
ヴィフレストのコックピット内で、俺は自分の手を見た。若々しかった皮膚はわずかに艶を失い、関節の節々が鈍く痛む。
「……各機、ステータス報告。特に『残寿命(ライフ・クロック)』だ」
俺の問いかけに、真っ先に答えたのは第一大隊の一般兵たちだった。
「こちらオルトロス三番機、残寿命三十八年。まだ……まだ戦えます」
「五番機、残り三十五年。機体の駆動系にガタが来てますが、命は無事です」
彼らの声には安堵が混じっている。十代の彼らにとって、三十年という時間はまだ「未来」と呼べる長さだ。だが、最前線でリミッターを外した俺たちの数値は、それとは残酷なまでにかけ離れていた。
「……こちらブリザード・アイ」
第三大隊を指揮する彼女の声は、先ほどよりも一層かすれている。
「後方支援に徹したけれど、ヨトゥンの防壁を貫くための精密演算にリソースを割きすぎた。……残り、九年と四ヶ月。二十年あった貯金(いのち)が、一瞬で半分以下ね」
「俺も似たようなもんだ」
コールド・スキャベルが自嘲気味に笑う。通信越しに、彼が激しく咳き込む音が聞こえた。
「第二大隊の足止め(ホールド)は、文字通り命の削り合いだったからな。……残り、八年。……おいデューク、お前はどうなんだ」
俺は手元のモニターを凝視した。
ヨトゥンの核を撃ち抜くため、ギア・セブンという禁忌に触れた代償。
さっきまで二十年近くあったはずのデジタル数字は、無慈悲に書き換えられている。
「……九年、だ」
その言葉に、通信回線が凍りついた。
他の隊員たちが三十年以上の「生」を謳歌できる可能性がある中で、部隊を率いる三人のリーダーだけが、一気に「老い」の淵へと引きずり込まれたのだ。
「……はは、たった一戦でこれかよ。二十代を拝めるかどうかも怪しくなってきたな」
スキャベルが吐き捨てるように言う。
俺たちはリーダーだ。部下を守り、戦果を出すために、誰よりも先に命を燃料として焚べる。
白く染まった前髪を乱暴にかき上げ、俺は重い操作桿を握り直した。
「全機、帰投する。……死んだワイズの『時間』を無駄にするな。一秒でも長く生き残るのが、俺たちの次の任務だ」
沈みゆく夕日が、寿命を削り取られた少年たちの、白銀の機体を赤黒く照らしていた。
基地のハンガーには、暖房の熱気よりも重苦しい沈黙が満ちていた。
帰還したのは、出撃した時の七割。雪原に散った三十人以上の「時間」は、もう二度と戻らない。
俺はひび割れたコックピットから這い出し、凍りついた地面に降り立った。足元がおぼつかない。たった数十分の戦闘で、俺の体感時間は十年分、強制的に進められてしまったのだから。
損害報告
整備班の報告書を、ブリザード・アイが淡々と読み上げる。彼女の瞳は以前より少しだけ濁り、焦点が合いにくそうだった。
• 第一大隊(オルトロス): 損失12機。
• 第二大隊(ケルベロス): 損失15機。
• 第三大隊(フェンリル): 損失8機。
• 戦死者総員: 35名。
「……ワイズを含めて、35。今回の『収穫』にしては、高すぎたわね」
彼女の言葉に、隣で機体の装甲を蹴ったコールド・スキャベルが顔を歪めた。
「ああ。……しかも、生き残った俺たちの寿命は、もう片手で数えるほどしか残ってねぇ」
ハンガーの隅では、生き残った少年兵たちが自分の機体の整備に取り掛かっていた。
整備といっても、部品の交換ではない。ヴィフレストは搭乗者の細胞とリンクする。彼らは、焼け焦げた座席を拭い、ひん曲がったレバーを愛おしそうに撫でる。それが自分たちの「命の器」だからだ。
俺は、瓦礫の中から回収されたワイズの機体の破片――熱で溶け、飴細工のように固まった通信機の基板――を手に取った。
「スキャベル。……ペンチを貸せ」
「何を作る気だ?」
「決まってるだろ。あいつがいた証拠だ」
俺たちは、戦死した仲間の機体の残骸から、小さな「タグ」を作るのが通例だった。
ニヴルヘイムに奪われた熱を取り戻すことはできない。だが、彼らがかつて「熱く生きていた」証を残すことはできる。
スキャベルは、ワイズの好物だった菓子の包み紙の燃え残りを、透明な樹脂で固めてペンダントにしていた。ブリザード・アイは、動かなくなった回路の一部をピアスに作り替えている。
「なあ、これをつけてると……あいつの寿命の数分くらいは、俺たちが肩代わりしてる気分にならないか?」
「ああ。あいつは部隊にとって大事な精神科医だったからな。俺たちが病んじまってる時もあいつがいたから立ち直れた」
「......ワイズを失ったのは、かなり...大きいな」
俺は、自分の首から下げた認識票の隣に、ワイズの基板を削って作った無骨なプレートを添えた。
生き残った隊員たちが、三十年以上の未来を抱えたまま、俺たち三人の背中を見ている。
残り十年に満たない寿命。俺たちは、この短い余生で彼らをどこまで連れていけるだろうか。
「デューク。……次も、また削ることになるわね」
ブリザード・アイが、白くなった髪を耳にかけながら言った。
「ああ。……だが、俺たちが灰になるのが先か、あいつらが平和な場所へ辿り着くのが先か。……勝負だな」
俺は整備の終わったヴィフレストを見上げた。
明日にはまた、新しい「燃料」として、俺たちの細胞が燃やされるのを待っている。
数日後、ハンガーに響いたのは新しい軍靴の音だった。
「本日付けで独立機動部隊第一大隊に配属されました、カイルです! 11歳です!」
差し出された名簿。そこに記された「推定余命:62年」という数字が、俺の「9年」という網膜に焼き付いた数字を嘲笑っているようだった。
横に立つブリザード・アイの拳が、白くなるほど握りしめられている。
――俺たちは、この幼い命をまた、あの甘いガスの香るコックピットに押し込むのか?
その夜、俺はひどく浅い眠りの中で、古い夢を見ていた。
ニヴルヘイムの侵攻が本格化する前、まだ「空」が煤けた灰色ではなく、もっと透き通るような青だった頃の記憶だ。
親の顔は覚えていない。
覚えているのは、国境沿いの冷え切った養護施設の、硬いベッドの感触だけだ。
施設では、誰もが自分の「明日」を確保するのに必死だった。余ったパンを巡って殴り合い、冷たい毛布を奪い合う。そこには愛も絆もなかった。ただ「個」として生き延びるための、狭くて息苦しい世界。
『……おい、デューク。また一人でそんなところにいるのか』
施設の職員さえ、俺を「扱いにくい、感情の欠落した子供」として見ていた。
俺もそれでいいと思っていた。誰かと繋がれば、失った時の痛みが生まれる。それなら最初から、凍りついた鉄のように、一人で立っていた方がマシだ。
だが、その考えは「ヴィフレスト」に選ばれた日に打ち砕かれた。
軍の適性検査で、俺の細胞は異常なほど機体との同調率が高かった。
『君は、他人に命を分け与える才能があるようだね』
皮肉な笑みを浮かべた軍医の言葉を、今でも思い出す。
孤独に生きてきた俺が、他人のために命を燃やす機械の心臓に選ばれる。それは神様がいるとしたら、最高に質の悪い冗談だと思った。
だが、戦場で出会ったスキャベルやブリザード・アイ、そしてワイズは違った。
彼らもまた、頼るべき親も、帰るべき家も持たない「空っぽ」の子供たちだった。
互いの寿命を燃料にして、背中を預け、血とオイルにまみれた時間を共有する。
施設で知った「孤独な自由」よりも、この戦場で味わう「命を削り合う連帯」の方が、俺にとってはよほど暖かかった。
「……ふう」
目が覚めると、指先が痺れるように冷えていた。
時計を見る。午前三時。
俺は暗い部屋の中で、首から下げた二つのプレートに触れた。一つは自分の。そしてもう一つは、昨日失ったワイズのもの。
施設にいた頃の俺なら、あいつが死んでも「一つ椅子が空いた」としか思わなかっただろう。
だが今は、胸の奥に、ヴィフレストに吸い取られた寿命とは別の、鋭い欠落感がある。
「……孤独なままなら、こんなに苦しくなかったのにな」
自嘲気味に呟き、俺は起き上がった。
残り九年。
俺には、あいつらが失った時間を、そしてこれから戦場に出される子供たちの未来を、肩代わりする責任がある。
施設で誰にも名前を呼ばれなかった少年は、今や五百人以上の命を背負う「アイアン・デューク」になってしまった。
翌朝、午前四時。
基地全体が深い眠りと極寒の底に沈んでいる時間、俺は一人でハンガーにいた。
高い天井に反響する、自分の足音。白く濁った息を吐きながら、俺は愛機「ヴィフレスト」の脚部に手を触れた。
凍てつく装甲の冷たさが、手袋越しに伝わってくる。
この冷たさは、かつて俺が育ったあの施設の壁と同じだ。
国境付近の荒野に建つ、灰色の養護施設。
そこでは、誰もが「自分一人が生き残ること」だけを考えていた。親を亡くした子供たちの瞳に宿るのは、希望ではなく、獲物を狙う野良犬のような飢えだ。
俺もその一員だった。誰とも群れず、誰にも期待せず。名前ではなく番号で呼ばれる日々。
「家族」や「絆」なんて言葉は、物語の中だけの架空の概念だと思っていた。
そんな俺が、どうして今、他人のために命を削っているんだろう。
俺はヴィフレストの装甲を研磨剤で拭いながら、胸元のプレートに触れた。
ワイズの遺品と、自分の認識票。
昨日、機体のリミッターを解除したとき、確かに感じたんだ。
吸い取られていくのは「未来の時間」だけじゃない。俺という人間の形そのものが、熱エネルギーとなって外へ流れ出していく感覚。
その空っぽになりそうな意識を繋ぎ止めてくれたのは、施設時代の孤独な記憶じゃなく、この戦場で交わしたくだらない冗談や、泥臭い通信の声だった。
「……皮肉だな」
独り言が、冷たい機体に吸い込まれていく。
施設にいた頃の俺は、死ぬのが怖くなかった。失うものが何一つなかったからだ。
だが今は違う。
残り九年。その数字がゼロになることよりも、俺が死んだ後にこの部隊の連中がどうなるかを考えると、指先がかすかに震えた。
「デューク? ……やっぱりここにいたのね」
背後から響いたのは、少し眠そうな、だが凛とした声。
振り返ると、薄い軍用コートを羽織ったブリザード・アイが立っていた。彼女の髪も、昨日よりまた少しだけ白さが増したように見える。
「早いな。昨日の今日だ、寝ていればいいものを」
「あなたこそ。……その手の震え、寒さのせいじゃないでしょう?」
彼女は俺の隣に並び、同じようにヴィフレストの巨大な影を見上げた。
かつて孤独だった少年は、今や同じ傷を持つ者たちと、燃え尽きるための時間を共有している。
「……過去を思い出していた。施設にいた頃、俺は一人で死ぬのが当然だと思ってたってことを」
「……私も似たようなものよ。でも、今は一人じゃない。それがいいことなのか、悪いことなのかは、まだ分からないけれど」
ブリザード・アイが、自身の機体を見つめて呟く。
東の空がわずかに白み始め、極夜の終わりを告げる光がハンガーの隙間から差し込んできた。
それは、俺たちの命をまた一刻、終焉へと近づける光でもあった。
極夜の空が、紫色から不吉なほど真っ白な朝焼けへと移ろっていく。ブリザード・アイの細い指が、俺のヴィフレストの装甲にそっと触れた。彼女の体温は俺以上に低く、もはや人間というよりは、氷像に触れているような錯覚を覚える。
「デューク。昨日の新兵、カイルのことだけど」
彼女は、まるで天気の話でもするように淡々と言った。
「あの子、適性テストで『同期率』が異常に高かったわ。彼を前線に出せば、一撃でヨトゥンクラスを屠れるかもしれない。……私たちの『残り』を、あの子に託すという選択肢もある」
その言葉の意味を、俺はすぐに理解した。
それは、あの子の寿命を、俺たちより先に「燃料」として使い切るということだ。そうすれば、俺たち三人の消耗は抑えられる。生き残る可能性は格段に上がる。
「……冗談だろ」
「冗談じゃないわ。指揮官として一番『合理的』な手段よ」
彼女の瞳に、感情の揺らぎはない。だが、その声は先ほどよりもわずかに掠れていた。
「あの子に、死の恐怖を教える前に、あの子の命を使い潰すのか。……そんなことをしたら、俺たちが施設で受けた『虐待』と何が違う?」
「……私たちは戦士よ、デューク。聖人君子じゃない」
彼女はそう言うと、踵を返してハンガーの出口へと向かった。
「でも、あの子にワイズの分まで背負わせるのは、少し……残酷すぎるかもね」
彼女が去った後、俺は再びヴィフレストのコックピットに目をやった。
昨日配属されたばかりの11歳の少年。あいつの「62年」という数字。
俺が昨日まで守ろうとしていた「未来」とは、本当にあんなにも脆いものだったのか。
その時、ハンガーの入り口で金属がぶつかる高い音がした。
見ると、カイルが大きな工具箱を抱えて立っていた。彼は俺に気づくと、パッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「アイアン・デューク隊長! おはようございます! あの、昨日言われた通り、ヴィフレストのメイン・スラスターの洗浄、僕がやってもいいですか? 隊長たちの命を預かる機体、僕の手で完璧に整備したいんです!」
無邪気で、淀みのない声。
施設にいた頃の自分には、一生かかっても手に入らなかった「純粋な意志」がそこにはあった。
俺は思わず、持っていたワイズのプレートを握りしめた。
もし、この子の命を「効率」のために切り売りするような大人になったら、俺はあの時死んだワイズや、これまで散っていった仲間に合わせる顔がない。
「……カイル」
「はいっ!」
「整備はいい。……だが、俺の隣にいろ」
「えっ?」
「俺の背中は、お前が守れ。機体を直すより、俺が死なないように監視する……それが今日からのお前の任務だ」
俺の言葉に、カイルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに背筋を伸ばして力強く敬礼した。
「……了解しました! 隊長の命、僕が全力でお守りします!」
その時、頭上のスピーカーから、指揮管制の無機質なアラート音が鳴り響いた。
『緊急警報。地点二一〇にて熱源反応、多数。再集結せよ。――これが、今日の最初の仕事だ』
俺はヴィフレストのハッチを開き、慣れた手つきでコックピットへ滑り込んだ。
甘い冷却ガスの香りが、再び俺の肺を満たす。
寿命を削る機械の鼓動が、俺の心臓とシンクロする。
「……行くぞ、カイル。今日という日を、精一杯焼き尽くそう」
ギアを入れる。視界の隅で「推定余命」の数字が、また一つ、砂時計の砂のようにこぼれ落ちた。
出撃のアラートが基地を飲み込む。
カイルを随伴機に据え、俺はヴィフレストを雪原へと走らせた。
通信回線に、冷徹な指揮管制の声が割り込む。
『指揮管制よりアイアン・デューク。地点二一〇、反応数……計測不能。熱源の塊が移動中。繰り返す、未知の群れが貴機の進路上に出現』
「……数が多いなんてレベルじゃないぞ。カイル、ついてこい」
「了解! デューク隊長、僕が後ろからカバーします!」
雪煙を蹴って加速した先、視界を覆うほどの黒い影が雪原を塗りつぶしていた。カレントリーパーの群れではない。それよりもさらに巨大で、熱を貪る「捕食者」たちの集団だ。
「ちっ、単独先行かよ。ブリザード・アイたちはまだか!」
俺はヴィフレストを右へ左へと滑らせ、敵の攻撃を回避しながら主砲を叩き込む。一射、二射。寿命が削れる鈍痛が脳を刺す。カイルも懸命に追随し、弾頭ロケットで俺の死角を補完するが、敵の数は圧倒的だ。
数分が経過し、俺たちの機体装甲には火花が散る傷が増えていく。カイルの機体が敵の近接攻撃を喰らい、バランスを崩して雪原に膝をついた。
「カイル!」
「大丈夫です……まだ……!」
カイルが震える手で立ち上がろうとするが、その前に巨大な鎌を持つ敵機が影を落とす。俺が援護しようと砲を向けるが、距離が遠い。
(くそ……間に合わない!)
その時、雪原の向こうから突き抜けるような、耳を劈く雷鳴が轟いた。
「デューク! 遅れて悪かったな!!」
地平線の彼方から、漆黒の機体群が雪を巻き上げて飛来する。
先頭を切るのはコールド・スキャベルのケルベロス大隊。重火器をぶっ放しながら、敵の陣形を粉砕していく。
「援護射撃、開始。 敵の防壁を剥がすぞ」
ブリザード・アイの冷徹な号令と共に、空を覆い尽くすほどの弾幕が降り注いだ。
敵の群れが、圧倒的な火力で瞬く間に霧散する。俺たちの周りを、見慣れた第一大隊の機体たちが取り囲むようにして展開した。
「遅いぞ、スキャベル……」
「へっ、カイルを守るのに少し手こずっただけだ。新入りを死なせたら、アイアン・デュークのメンツに関わるだろ?」
スキャベルが通信越しにニヤリと笑う。
俺の横では、カイルが呆然としながらも、駆けつけてくれた仲間たちの背中を見つめていた。
「みんな……」
「感傷に浸るのは後だ、カイル。生きて帰りたいなら、私たちの背中を追いかけて来い」
ブリザード・アイの冷たい叱責が、この状況で何より頼もしく響く。
仲間が揃った。
俺は噛み締めた奥歯の痛みに耐えながら、再びヴィフレストの出力をギア・フォースまで引き上げた。
「戦隊各位、これより地点二一〇を掃討する。……全機、熱を維持して生き残れ!」
再び戦場に、俺たちの命を燃やす咆哮が響き渡った。
戦闘の熱気と機体の駆動系が発する焦げ臭い匂いが、ようやく収まりつつある戦場に、冷たい風が吹き抜けていく。
敵の反応は完全に消失し、残骸だけが雪原でくすぶっていた。
「……掃討、完了。こちらアイアン・デューク。全機、損傷状況および『残寿命』の報告を」
俺の問いかけに、スキャベルとブリザード・アイ、そしてカイルから次々と生存の報告が届く。損害は軽微ではないが、死者が出なかったことだけが救いだった。
俺は通信回線を指揮管制へと切り替えた。
「指揮管制、こちらアイアン・デューク。地点二一〇の敵集団、無力化を確認。掃討完了した」
少しの間を置いて、ハンドラーの冷徹な声が返ってくる。
『……了解した、アイアン・デューク。よくやった。貴機らの「働き」は、今回の防衛戦において極めて高い戦果として記録される』
「……働き、ね」
その言葉には、俺たちを「兵器」としてしか見ていない無機質さが含まれている。
俺はヴィフレストの操縦席で、力なく笑った。
『……補足だ、デューク。今回の敵増援は、北部の研究施設から流出した個体と推測される。……君たちの寿命消費に見合うだけの、重要なデータが回収できたようだ』
「データ……」
背筋に冷たいものが走る。俺たちが削った数十年、いや数百年分もの「未来」は、結局、彼らにとっての数字や記録に過ぎないのか。
「……こちらアイアン・デューク。報告を終わる。……今後は、俺たちの命が『記録』されるだけの価値ある使い方をさせてもらうよ」
『通信終了』
プツリと通信が切れた。
静まり返ったコックピットの中で、俺はモニターの「推定余命」をもう一度確認する。
ギア・セブンを多用した影響か、残りの数字は先ほどよりもさらに減っていた。
すぐそばで、カイルの機体が不安げにこちらを伺っている。
「……デューク隊長、今の報告……」
「気にするな、カイル。俺たちは自分たちのために生きて、自分たちのために守る。それができれば、あいつらの言う『戦果』なんてものは、おまけに過ぎない」
俺は震える手で、ワイズのプレートを握り直した。
「帰投する。暖かい場所へ……といきたいところだが、基地の暖房も期待はできそうにないな」
「……はい、隊長!」
白銀の雪原を、俺たちの機体は重い足取りで基地へと引き返していく。
だが、その背中を追う仲間たちの姿は、昨日よりも少しだけ力強く見えた。
生き残った。
たったそれだけのことが、今の俺たちにとっては、世界をひっくり返すほどの重みを持っていた。
通信が切れた後も、俺はしばらくモニターを見つめたままだった。
以前のハンドラー、中佐――「マリア」は、こんなとき、必ず通信の最後に短く「お疲れ様。皆、無事に帰ってきてね」と付け加えたものだった。彼女の声は温かく、戦場で凍りついた俺たちの心に、唯一の「熱」を分けてくれる存在だった。
だが、あの一週間前の「交代」以来、指揮管制室から聞こえてくる声は、機械的な合成音のように冷え切っている。今のハンドラーは、俺たちがどれだけ寿命を削ろうと、部下が何人死のうと、ただ淡々と「戦果」と「損失」を読み上げるだけだ。
「……あいつ、俺たちの声を、ただのノイズだと思ってるのか」
スキャベルの苛立った声が通信に混じる。彼もまた、かつてのマリアを知っている一人だ。
「マリアの時は、帰投ルートの空模様まで教えてくれたのにな。今の『管制官』は、俺たちが機体から降りる前に、次のターゲットリストを送りつけてきやがる」
ブリザード・アイの静かな声には、明らかな拒絶が滲んでいた。
「道具よ。……私たちはもう、あの子(マリア)が守りたかった『子供たち』じゃない。ニヴルヘイムの熱源を探知する、使い捨てのレーダーに成り下がったのね」
俺は深く溜息をつき、ヴィフレストの操縦席を叩いた。
マリアが去った理由は誰も知らない。戦死したのか、それともこの無慈悲な軍のやり方に耐えきれず排除されたのか。
だが、今のハンドラーの態度が、軍上層部の「俺たちへの評価」を何よりも雄弁に物語っている。
俺たちは人間として扱われていない。寿命という貴重なリソースを消費して、敵のデータを吸い上げるための「生きた燃料」。
「……デューク、隊長」
カイルが通信越しに、おずおずと問いかけてくる。
「あの……管制官さん、僕のことはまだ『機体番号』でしか呼んでくれないんです。僕、まだ名前を覚えられてないんでしょうか……?」
11歳の少年が抱いた純粋な疑問が、胸を締め付ける。
あいつはまだ知らないのだ。自分たちが「人」ではなく「消耗品」としてカウントされていることを。
「カイル。あいつの言葉なんて聞かなくていい」
俺は努めて穏やかな声で答えた。
「あいつが何て呼ぼうと、お前はここで俺たちの背中を預かる『カイル』だ。……名前を忘れるのは、あいつの勝手だ。だが、俺たちは忘れない。それが俺たちの戦いなんだよ」
俺たちは基地へと機体を走らせる。
冷たい雪風が吹き荒れる中、基地の入り口が見えてきた。そこにはマリアがいた頃のような、温かいコーヒーも、労いの言葉もない。
ただ、次の「燃料」を待ち構える、無機質な格納庫が口を開けているだけだ。
ハンガーに帰投した直後の、冷え切った空気の中で集合がかかる、緊迫した展開にします。
基地のハンガーへ降り立ち、俺はヴィフレストのハッチを開いた。
極寒の空気が肺に突き刺さる。機体の駆動系からは、金属の軋みと、命を燃料にした後の焦げ付くような甘い臭いが立ち上っている。
隊員たちが次々と機体から這い出し、その場にへたり込んだり、震える手で機体の装甲を拭ったりしている。35名の戦死者を出し、生き残った俺たちの寿命も、先ほどの戦闘でさらに削られた。
基地内には、勝利の余韻など微塵もない。ただ、冷たい金属と無機質な警告灯の点滅だけが、俺たちを包み込んでいる。
その時だった。
場内のスピーカーから、耳障りな電子音が響き渡り、空気を凍りつかせるような冷徹な合成音声が流れた。
『指揮管制より、独立機動部隊第一、第二、第三大隊全機。帰投した機体は即時、メインハンガー中央へ集合せよ』
スキャベルが吐き捨てるように言った。
「……帰ってきたばかりだぞ。温かい飯の一杯も食わせる気はないらしいな」
『繰り返す。遅延は認めない。全搭乗員は速やかに集合せよ。今回の戦闘における『データ収集の不手際』、および次期作戦への通達を行う』
不手際、と今の管制官は言った。あんな死闘を繰り広げ、ヨトゥンを屠ったにも関わらず、あいつらの中では俺たちの命のやり取りも、単なる「データの欠損」に過ぎないのだ。
俺は首から下げたワイズのプレートを握りしめ、自分を奮い立たせるようにハッチの縁を強く掴んだ。
隣では、新兵のカイルが不安そうにこちらを見ている。
「デューク隊長……あんな言い方、ひどいです」
「……行こう、カイル。あいつらの顔を拝んでやる。俺たちの『命』の値段がいくらなのか、直接聞いてやるんだ」
俺は、震える脚に力を込め、冷たいコンクリートの地面へと降り立った。
ハンガーの中央、赤く点滅する警告灯の下に、生き残った少年兵たちが集まってくる。
かつてマリアがいた頃の、温かかったあの集合場所とは違う。今はただ、処刑台を待つような、静かで重苦しい空気が漂っている。
管制官の言葉が、天井のスピーカーから冷たく突き刺さる。
俺たちを「人」ではなく、ただの「パーツ」として扱う、あの声に向けて、俺たちは歩き出した。
ハンガーの中央、剥き出しの鉄骨が並ぶ広間に、生き残った少年たちが整列する。
頭上の巨大なモニターが起動し、ノイズ混じりの画面に指揮管制官のアイコンが浮かび上がった。以前のようなカメラ越しの映像ではない。ただの無機質なシンボルマークだけだ。
『全機、整列を確認した。……今回の地点二一〇での交戦データ、全ユニットの反応速度、ならびに熱変換率を精査した』
スピーカーから流れる声は、マリアのそれとは決定的に違う。抑揚がなく、まるで計算機が読み上げているような、冷たく乾いた響きだ。
「……不手際があったと言ったな」
俺は一歩前に出た。列に並ぶスキャベルが、俺の動きを制そうと小さく声を上げたが、俺は無視した。
「ヨトゥンを排除した。戦術的目標は達成しているはずだ。何が不手際だ」
モニター越しに、無機質な合成音が嘲笑うように返る。
『ヨトゥンの核を撃ち抜く際、同期率が安全圏を逸脱した。ヴィフレストの機体寿命が、設定された許容値を三パーセント超過している。……貴機らの寿命は、あくまで軍の資産だ。無駄な消耗は、今後の作戦遂行に支障をきたす』
「資産……だと?」
背後で、ブリザード・アイが微かに息を呑む音が聞こえた。
俺たちは、自分の命を削りながら戦っている。それが「軍の資産」? 仲間が死んでいくその瞬間さえ、こいつにとっては「資産の損益計算」でしかないのか。
「マリアなら、そんな言い方はしなかった。俺たちのことを『部品』だなんて呼んだこともなかったぞ!」
俺の叫び声に、管制官は一瞬の沈黙を置いた。通信回路の向こう側で、キーボードを叩く音だけが響く。
『……旧管制官の記録は、既にアーカイブへ移行済みだ。情動に訴える戦術は、効率を低下させる』
『それとデューク。貴機の推定余命、現時点で九年と数ヶ月。その『資産価値』が、部隊を率いる指揮官として相応しいか、上層部が再評価を行っている。……次回の作戦で成果が示せなければ、貴機は後方支援……いや、機体の解体処理へ回されることになるだろう』
ハンガーが、凍りつくような沈黙に包まれた。
解体。それは俺たちがこれまで「燃料」として捧げてきた命の器、ヴィフレストと共に、俺自身の細胞も破棄されることを意味する。
『以上だ。……次の作戦指令を送信する。全機、端末を確認しろ』
モニターが消え、暗いハンガーに再び無機質な警告灯の赤色が戻った。
「……解体、か」
スキャベルが力なく地面に唾を吐いた。
俺は手元の端末を開く。そこには、次の戦場が記されていた。今度もまた、無謀なまでの敵数。そして、俺たちの寿命を根こそぎにする過酷な環境条件。
「みんな、聞いたな」
俺は振り返り、列に並ぶ少年たちを見た。
彼らの顔には、恐怖と、それ以上に深い「怒り」が宿っている。かつて施設で、自分たちの生きる場所を奪われた時と同じ、野良犬のような眼差しだ。
「あいつらは俺たちを部品だと思っている。だが、俺たちはここで死ぬわけにはいかない」
俺はワイズのプレートを強く握りしめ、冷たいハンガーの床を踏みしめた。
「次の作戦で、あいつらの評価を覆す。……俺たちは『消耗品』じゃない。自分の命を、誰のために使うか自分で決める『戦士』だ」
その言葉に、小さな声で、しかし確実に、仲間たちが「了解」と答えた。
指揮管制官という見えない敵を前に、俺たちは初めて、戦場以外の「戦い」の矛先を定めたのだった。
戦火の後の静寂の中、ハンガーの隅でわずかな休息をとるデューク。彼の夢に現れるのは、今の戦場よりもさらに冷たく、救いのない過去の断片だった。
深い眠りに落ちると、俺は決まってあの「境界線」の夢を見る。
灰色の壁に囲まれた、国境沿いの施設。あの場所で俺たちは、親という存在から切り離され、ただ「資源」として選別された。
空はいつも曇っていて、太陽の熱なんてものはここには存在しないと教え込まれるような日々だった。
俺の隣には、いつも妹の「リナ」がいた。
リナは俺よりもずっと繊細で、施設の中では誰もが諦めていく中で、小さな花を摘んだり、壊れたオルゴールを直そうとしたりするような、そんな子供だった。俺がどれだけ孤独に殻を閉ざしていても、あいつだけは俺の手を握って離さなかった。
『お兄ちゃん、いつかここを出たら、熱いスープを飲もうね。本当に熱くて、体がぽかぽかするやつ』
リナのそんな夢物語を聞くのが、俺にとって唯一の「呼吸」だった。
だが、その現実は唐突に引き裂かれた。
ある朝、軍の徴兵官が施設の扉を叩いた。リナの適性値が高いと判定されたのだ。
『お兄ちゃん、大丈夫。またすぐ会えるよ』
それが、最後の言葉だった。
リナは、俺よりもずっと早く、あの「ヴィフレスト」の初期型に詰め込まれた。大人たちの都合で、何の訓練も受けないまま、熱を貪る化け物たちの巣窟へ放り込まれた。
夢の中で、俺は何度も手を伸ばす。リナの手を掴もうとする。
だが、俺の指はいつもすり抜ける。彼女の乗ったヴィフレストが、極寒の空へ飛んでいく。そして、通信機から聞こえるのは、彼女の穏やかな声ではなく、金属が引き裂かれる激しい音と、断末魔のような砲声だけだ。
『……リナッ!』
俺は叫んで、跳ね起きる。
コックピットの冷たい床の上、心臓が早鐘のように鳴っている。視界がぼやけているのは、涙なのか、それとも冷却ガスのせいなのか。
夢から覚めても、手の中にリナの温もりはない。あるのは、ワイズの遺品と、今の過酷な戦場、そして「あと九年」という残酷な刻限だけだ。
今のハンドラーに、リナの名前を伝えたところで何の意味がある?
「戦死者として記録されています」と、また事務的に返されるだけだろう。
俺は震える手で、顔を覆った。
リナは、俺が今ここでやっている「戦い」さえ知らないまま、燃え尽きてしまった。俺があいつの命を肩代わりして生きているのか、それとも、あいつが俺の中で死に続けているだけなのか。
「……スープ、か」
リナが夢見た熱いスープ。
俺は、この極寒の地で、あいつが届かなかったその温もりを、せめてこの命を燃やし尽くすその日まで、探し続けなければならない。
たとえ、それがただの空っぽな幻想だったとしても。
ハンガーからの帰り道。基地の狭い通路で、俺はコールド・スキャベルとすれ違った。
あいつもまた、睡眠を取るのを諦めて、自分の機体の調子を確認しに行こうとしていたらしい。油の染みついた軍服、こけた頬、そして白く変色し始めた髪。俺たちは二人とも、鏡を見ているようなものだ。
「……随分と顔色が悪いな、隊長殿。夢見が悪かったか?」
スキャベルが足を止め、皮肉っぽく吐き捨てた。
「あんたがハンガーの隅で、まるで死体みたいに震えてたからさ。心配で見てられなかったぜ」
「……余計なお世話だ。そんなことより、機体の調子はどうだ」
俺が話を逸らそうとすると、スキャベルはわざとらしく鼻で笑い、俺の胸ぐらを掴みそうな勢いで一歩詰め寄った。
「機体の調子? 知るかよ。そんなもん、あんたが次の命令で『ギア・エイト』でもぶち込めば、一瞬で鉄屑になるんだろ。……リナのことだろ? さっき、うなされてたな」
俺の心臓が跳ね上がった。スキャベルは、俺がうわ言で妹の名前を呼んでいたことを知っている。
「……俺の過去に首を突っ込むなと言ったはずだ」
「首を突っ込みたくなるんだよ! あんたが死んだワイズや、とっくに死んでる妹の幻影を追って、俺たち全員を道連れにするような気がしてな!」
スキャベルの怒号が通路に響く。
「あんたは責任感だけで動いてる。だがな、あんたが空っぽのまま『聖人』ぶって命をすり減らすたび、あとに残されるこっちは……俺たちは、どうすればいいんだよ!」
スキャベルの瞳には、怒りと同じくらいの、深い恐怖の色が混じっていた。
あいつもまた、いつ終わるかわからない自分の寿命を抱えて、ギリギリのところで立っている。俺がリーダーとして「潔い自己犠牲」を選ぼうとするたび、あいつの未来もまた、勝手に奪われているような気分になるのだろう。
「……全員を救おうなんて思ってない」
俺は掴まれた肩を振り払った。
「ただ、リナがあの冷たい空の上で何を見て、何を思ったのか。それを知りたくて、俺は戦ってるだけだ。……あんたに理解しろなんて言ってない」
「理解なんてクソ食らえだ。……だがな、デューク」
スキャベルは背を向け、去り際に吐き捨てるように言った。
「次は、俺の死体の上を通って敵の核を撃ち抜け。……あんたが『空っぽ』でいるために、俺たちを燃料にするなよ。……俺も、あんたも、死ぬときは人間として死ぬんだ」
あいつはそう言い残して、闇の中へと消えていった。
通路には、冷たい換気扇の音だけが響いている。
俺たちは戦友だ。だが、今は互いに、死へと向かう秒針を突きつけ合っているようなものだ。
俺は壁に背を預け、震える手でリナの幻影を追いかけるのをやめた。
スキャベルの言う通りだ。俺が夢に逃げ込んでいる間も、現実は容赦なく、仲間たちの命を削り取っている。
スキャベルの足音が遠ざかっても、俺の胸の中に残ったのは、納得という名の静けさではなかった。むしろ、喉元に刺さったままの棘のように、鈍い疼きが続いている。
「人間として死ぬ……か」
それは、明日には今の「俺」という輪郭を捨てて、単なる冷たい砲弾となって散れ、という意味に近い。あいつは正しい。戦場にセンチメンタリズムを持ち込むのは、一番の毒だ。それは百も承知している。
けれど、もしこの「思い出」さえ捨ててしまったら。
極寒の空へ消えていったリナの声も、最後に見せた笑顔の記憶さえも消してしまったら、その時、俺の中に残るのは何だ?
――ただ、熱を効率よく燃やすだけの、血の通った機械。
そうなってしまったら、俺は本当に「死ぬ」のと同じだ。いや、むしろ今この瞬間、とっくに死んでいるのかもしれない。
俺は暗い通路の壁に、頭をコツンと預けた。
納得なんてできない。スキャベルの言う現実的な生存戦略と、リナを追いかけずにはいられない俺の渇望。その両方が、正反対の方向から俺の心臓を引っ張り合っている。
それでも、俺はその棘を抜こうとはしなかった。
痛いからこそ、自分が生きていると実感できる。リナがいたという証拠を、せめて俺の記憶の中にだけでも焼き付けておかなければ、あいつは二度死ぬことになる。
「……勝手な奴だな、俺も」
微かな吐息が、暗闇に白く消えた。
理屈じゃない。これは、死にゆく俺たちが、せめて最後に守り抜こうとしている「自分自身」という名前の亡霊への執着だ。
冷えた通路の空気が、少しだけ苦く感じた。
明日にはまた、引き金を引かなければならない。その時、この苦しみさえも燃料に変わってしまうなら、せめて今夜だけは、リナと二人で飲んだはずのない温かいスープの味を、夢に見ていたかった。
暗い通路の影から、その会話のすべてを聞いていたブリザード・アイ。
彼女は息を潜め、スキャベルの足音が遠ざかるのを待ってから、音もなくデュークの前に姿を現した。彼女の足元で、氷の破片がカサリと小さく鳴った。
「……リナ、っていうのね」
不意に背後から響いた声に、俺は肩を跳ねさせた。
振り返ると、ブリザード・アイが薄暗がりの中に立っていた。彼女の顔は表情を失い、月光のような冷たさだけを纏っている。彼女が盗み聞きをしていたのか、あるいは偶然通りかかっただけなのかは分からない。だが、その瞳は俺の奥底にある「秘密」を正確に射抜いていた。
「……いつからそこにいた」
「最初からよ。スキャベルがあんたに詰め寄る前からね」
彼女はため息をつくように一歩近づいた。彼女の軍服の襟元には、以前拾った回路の欠片で作ったピアスが、かすかに揺れている。
彼女は俺に詰め寄るわけでも、責めるわけでもなく、ただ俺の隣に並んで、冷え切った壁に背中を預けた。
「……最低ね、あんたたち」
彼女は自嘲気味に笑った。
「あんなに怒鳴り合っておいて、二人とも結局、同じ場所で足踏みしてる。……『死ななきゃいけない』なんて理屈を並べながら、心の中では誰かの幻影を追いかけているなんて。……馬鹿みたい」
彼女の声は、先ほどまでの氷のような冷静さとは違い、どこか震えていた。
彼女もまた、この施設で育ち、何かを、あるいは誰かを失ってきた人間だ。彼女にとっての「楔」は何なのか。俺は彼女の横顔を直視することができなかった。
「……デューク。私は、あんたがリナを追いかけて死ぬことを許さないわよ」
彼女は俺の方を向き、その細い指で、俺の認識票の隣にある「ワイズのプレート」を軽く指弾した。
「あんたが一人でリナに会いに行こうとすれば、私がその前にあんたを撃ち落とす。……私だって、ワイズを失って、これ以上『自分の大切な人』の気配を消されたくないの。……わかった?」
それは脅迫というよりは、祈りに近い言葉だった。
彼女は、俺がリナを追いかけて壊れていくことを恐れているのではない。俺が「誰かの死」を燃料にして戦うことを、これ以上見たくないのだ。
「……ああ。分かった。俺は、勝手には逝かない」
「嘘つき」
彼女は小さくそう呟き、俺の肩にふわりと頭を預けた。
極限の緊張状態にある戦士の背中とは思えない、あまりに脆弱な重み。彼女の髪からは、戦場特有の焦げ臭さではなく、なぜか古い図書館のような、冷たく乾いた匂いがした。
「……明日の作戦、生きて帰ったら教えて。……リナがどんな子だったか、もっと詳しく」
「……お前が、それを聞いてどうする」
「決まってるでしょ。……あんたが忘れても、私が覚えていてあげるから」
彼女の言葉が、氷の塊となって俺の心臓に深く突き刺さった。
俺は、彼女にリナのことを話すだろう。そして、リナという存在は、俺だけの孤独な執着から、この戦場で共に生きる仲間たちの記憶へと、少しだけ形を変えて共有されていく。
通路を吹き抜ける冷気が、さっきよりも少しだけ、痛みを伴わなくなっていた。
俺たちは、泥沼に沈みながらも、誰かの名前を呼び合うことで、ようやく人間としての輪郭を保っているのだ。
作戦地点――。空は重苦しい鉛色で、周囲を囲む雪山がまるで墓標のようにそびえ立っていた。
「全機、展開。これより地点四〇二の敵群を排除する。……隊長、準備はいいか?」
スキャベルの通信に、俺は答えられなかった。
視界の端。雪原の向こう側に、白いワンピースを着た少女が立っているからだ。
リナだ。あの日、施設から連れ去られた時のままの姿で、リナが冷たい風の中に立っている。
「……リナ?」
俺の視界には、硝煙と炎に混じって、あの灰色の施設の廊下が浮かんでいる。リナが、小さな花を握りしめて微笑んでいるのが見える。
「……リナ、どうしてそんなところにいるんだ。そこは危ない」
俺はヴィフレストの操縦桿から片手を離し、モニターの向こう側にいるはずのない妹に触れようと手を伸ばした。
その瞬間、機体の反応が鈍る。背後から肉薄してきたカレントリーパーの放った熱線が、俺のヴィフレストの左肩装甲を焼き切った。
「ッ……!?」
衝撃で現実の戦場に引き戻される。だが、意識は半分、リナのいる灰色の施設に囚われたままだ。
俺は無意識に、幻影のリナを隠すように機体を旋回させた。その軌道は、味方の防衛ラインを大きく逸脱している。
『デューク? 何をしてる、そこは後方支援の待機域だよ。敵を誘導する気?』
ブリザード・アイの疑問を持った声が聞こえる。だが、俺にはそれが「リナを邪魔するな」という罵声のように聞こえた。
「どけ! あいつがいるんだ、邪魔するな!」
俺は混乱の中でトリガーを引いた。弾丸は敵ではなく、味方の近くの雪山を削り取る。
意識が混濁し、呼吸が荒くなる。敵の機体が目前まで迫る。死の恐怖が脳を刺すと、一瞬だけ正気が戻る。俺は機体を捻り、敵の攻撃を紙一重で回避した。だが、回避した先でまたリナの幻影を見て、また操縦が乱れる。
『――指揮管制より全機、警告。アイアン・デューク機、戦術的判断能力の著しい低下を確認。同期率が危険値に達している』
冷徹な管制官の声が、今の俺には天の声のように響いた。
俺は戦っている。こんなに必死に、寿命を削りながら戦っているのに、俺の体は戦場という器からこぼれ落ちそうになっている。
『アイアン・デューク、これ以上の交戦は部隊全体の損失を招く。……直ちに前線を離脱せよ。貴機の権限は一時的に凍結する』
「……違う、俺は、リナを……!」
俺が抗うよりも早く、ヴィフレストの制御システムが強制介入を開始した。コックピット内に警告アラームの電子音が鳴り響き、機体は自動的に戦線の遥か後方、誰もいない氷原へと強制的に退避させられる。
制御不能なまま動く自分の機体を見ながら、俺はモニターの中で消えゆくリナの影をただ追いかけていた。
『貴機は戦線離脱後、後方支援部隊へ転属する。……これより先、戦闘への参加は一切認めない』
戦場から切り離された。
一番大切な戦いの場から、俺という存在だけが爪弾きにされたのだ。
広がる雪原の中に、俺のヴィフレストだけが孤独に取り残されていく。遠くでスキャベルたちが必死に叫んでいる通信の声が、まるで別の世界の出来事のように遠のいていった。
俺は震える手で、もうそこにはいないリナの名を呼んだ。
それが、最前線から追放された戦士の、最初で最後の絶望だった。
戦線から強制排除されたデュークのヴィフレストが、雪煙の向こうへ消えていく。その光景は、残された仲間たちにとって、まさに「精神的な支柱」を無理やり引き抜かれたような衝撃だった。
『デュークッ!? おい、嘘だろ……離脱だと!?』
スキャベルの怒号が通信回線を埋め尽くす。だが、どれだけ呼びかけても、デュークからの応答は返ってこない。彼が強引に叩き込まれた「後方支援」という名の隔離領域へ、声は届かなくなっていた。
「……あいつ、馬鹿か。あんな中途半端な場所で、何をしてるのよ!」
ブリザード・アイの冷徹な声も、今は激情に震えていた。彼女は視界の端に映る、敵の波状攻撃を弾頭ロケットで吹き飛ばす。普段の正確な演算に基づく射撃とは違い、その動作には焦りが滲んでいる。
隊の要であるデュークを失い、連携は急速に瓦解していた。
オルトロス大隊の機体群が次々とカレントリーパーの群れに飲み込まれる。熱源を求める敵の執着は凄まじく、指揮官を失った混乱を嗅ぎつけて、さらに獰猛にその数を増やしていた。
『第二大隊、下がれ! 奴らは熱源の大きい順に食いついてくる。デュークの機体が抜けた穴を、俺たちで埋めるしかない!』
スキャベルがケルベロスの重装甲を前面に押し出し、必死に防波堤となる。しかし、敵の数は百万。対するこちらは百五十に満たない。一人欠けるだけで、生存率は目に見えて急落していく。
「――っ、くそッ!」
一機の味方機が、カレントリーパーの鋭利な触手によって脚を奪われ、雪原に引きずり込まれる。熱を吸い取られ、沈黙していく機体。それを見る余裕すら、今の彼らにはない。
ブリザード・アイは、スコープ越しにデュークが消えたはずの方向を何度も確認していた。彼女の瞳には、怒りとも悲しみともつかない色が混ざっている。
「デューク……あんた、そんなところで大人しくしてるつもり? 私たちがここまで引き受けて、あんたの『九年』を無駄にする気!?」
彼女は、かつてワイズがいた頃の連携を再現しようと、血眼で演算を繰り返す。
スキャベルは重機関砲の弾薬が尽きるまで引き金を引いた。
彼ら全員が、喉から血の味がするほどの激痛を堪えながら、必死に「戦線」という線にしがみついていた。デュークが戻る場所を、絶対に失わないために。
『全機、命を削れ。……デュークの顔を拝むまで、ここで灰になるわけにはいかねぇんだよ!!』
スキャベルの咆哮が、混乱する戦場に響く。
彼らはただの部品ではない。リーダーを奪われ、追放の屈辱を味わいながらも、それでもなお、自分たちの「命の残り時間」を燃料にして、この絶望的な防衛戦を保ち続けていた。
雪原の彼方、無線が途絶えた闇の先で、デュークが何を見ているのかも知らずに。彼らはただ、仲間を信じて、牙を剥き出しにして雪原を駆けていた。
数時間に及んだ死闘の末、極寒の雪原にようやく静寂が戻った。
ニヴルヘイムの自律兵器群は、熱源の枯渇を見極めたのか、あるいは戦術的な目的を達したのか、雪煙の向こうへ整然と引き揚げていった。
残されたのは、凍てついた機体の残骸と、黒く焦げた雪の荒野だけだ。
帰投するオルトロス、ケルベロス、フェンリル各隊の姿は、見る影もなかった。
出撃時、百五十名いた仲間は、いまや三分の一にも満たない。機体は至る所が欠損し、剥き出しになった装甲からは、搭乗者の生命力を吸い上げた際に生じた甘い冷却ガスが、白い吐息のように絶えず漏れ出している。
スキャベルのケルベロス大隊の機体は、その多くが片腕を失っていた。ブリザード・アイが指揮するフェンリル隊の機体群は、過負荷で駆動系が焼き付き、雪を引きずるようにして進んでいる。
彼らのコックピットの中は、地獄だった。
極度の緊張から解放された途端に襲い来る、細胞レベルでの飢えと激しい倦怠感。寿命を無理やり引き伸ばして戦った代償に、指先一つ動かすのにも、十年分もの老化が身体にのしかかる。
基地のハンガーへ続く扉が開く。
その奥には、彼らが命を削って守り抜いたはずの基地がある。だが、そこには温かい出迎えなどない。待っているのは、ただ「損失データ」の確認を急ぐ指揮管制の無機質な記録装置と、次なる燃料を求める冷徹な管理者だけだ。
スキャベルは、ぼろぼろになったケルベロスのハッチを、力なく叩き割るように開けた。
髪は真っ白に染まり、かつての青年兵の面影は消え失せている。彼は地面に降り立つと、足元がおぼつかず、機体の装甲に寄りかかって激しく咳き込んだ。血が、雪の上を赤く染める。
「……あいつを、死なせちまったかと思ったぞ。……デューク」
スキャベルが、雪の中で誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
彼の目線の先には、一足先に強制隔離されていたデュークのヴィフレストが、力なくうなだれるように駐機されていた。
ブリザード・アイも、機体から這い出してきた。
彼女の瞳からは、もう氷のような輝きさえ失われている。ただ、自分が何を守り、何を失ったのかを理解することさえ拒絶するような、うつろな空虚だけがそこにあった。彼女は、デュークの方へ歩み寄ろうとするが、足が動かない。体力の限界を超え、神経系が悲鳴を上げている。
生き残った少年兵たちの間には、言葉もなかった。
誰もが「あと何年生きられるか」を計算する余裕さえない。ただ、この地獄のような一日が終わったという事実だけが、重い鉛のように彼らの心に沈殿している。
ハンガーの照明が、冷たく彼らを照らし出す。
帰還した者たちの顔は、老人のようにしわがれ、あるいは死人のように青白い。彼らは自分たちの「命の器」である機体の横に倒れ込み、ただ荒い呼吸を繰り返すだけだった。
この大敗北のあとで、果たして明日は来るのだろうか。
彼らが必死に繋いだ命のバトンは、この冷酷な軍にとって、果たして何の意味を持つのか。
答えを知る者は、誰一人としていなかった。
ハンガーに差し込む光は、昨日と変わらず無機質で冷たい。
だが、その朝の空気には、決定的な「欠落」が混じっていた。
午前五時。戦場の悪夢から這い上がった生存者たちが、ぼろぼろの体を引きずってハンガーへ集まってくる。
無意識のうちに、誰もが同じ場所を探していた。
第一大隊のリーダー、アイアン・デュークの愛機「ヴィフレスト」の駐機エリア。
いつもなら、誰よりも早くハンガーに降り立ち、機体の装甲を拭き、ワイズのプレートを握りしめて佇んでいるはずの男の姿がない。
「……おい、デュークは?」
スキャベルが、血の滲んだ包帯を巻き直しながら、あたりを見回した。
言葉の響きには、怒気もなければ責めるような調子もない。ただ、昨日までの習慣に従った、当たり前の確認だった。
誰も答えない。
ブリザード・アイも、カイルも、その場に立っている少年兵たちも、全員がスキャベルと同じ場所を見つめたまま、微動だにしない。
「……あいつ、昨日の作戦のあと、後方支援に飛ばされたんだったな」
ブリザード・アイが、ひどく掠れた声で呟く。
頭では分かっている。軍からの通達を受けた。デュークは戦線を離脱させられたのだ。だが、その事実は、重すぎる喪失感となって彼らの思考を麻痺させていた。
「ああ……そうだったな。後方だ。……あいつが、前線にいないわけがない」
カイルが、手に持っていた洗浄用のクロスを握りしめたまま、うつむいた。
彼らにとって、デュークがいないという状況は、「別の場所に転属した」という論理的な説明を超えて、まるで世界の一部が消滅したかのような不可解な空白だった。
隣のエリアに駐機されたデュークのヴィフレストを見つめる。
ハッチは固く閉ざされ、機体からは何の鼓動も聞こえない。そこに搭乗者がいないという事実が、昨日失った仲間たちの不在よりも鋭く、彼らの胸を突き刺した。
デュークがそこにいない。
そのことが意味するのは、彼らが命をかけて維持してきた「戦線」という名の均衡が、すでに崩壊し始めているという予感だった。
誰かがデュークの機体に駆け寄ろうと一歩踏み出し、そして思い出したように足を止める。
もしそこにデュークがいないのなら、自分たちは一体、誰のために、何のために、このボロボロの機体を整備し、ギアを上げればいいのか。
ハンガーには、重苦しい静寂だけが満ちている。
戦うための準備をする場所でありながら、そこには「戦う理由」が欠けていた。
朝日がデュークのいない空席を容赦なく照らし出す。その眩しさが、かえって昨日の大敗北の冷たさを際立たせていた。
誰も、言葉を発することができない。
ただ、失ったものの大きさを、骨の髄まで噛み締めるような朝だった。
その静寂は、スピーカーから流れる無機質な電子音によって無残に引き裂かれた。
『第一、第二、第三大隊、全搭乗員へ告ぐ。これより再編成を行う。貴機らの「機体残存率」および「推定余命」に基づき、次期作戦目標を確定した』
ハンガーの全員が、ゆっくりと天井のスピーカーを見上げる。ブリザード・アイは鋭い視線で、スキャベルは憎悪を滲ませた目で、音の震源地を睨みつけた。
『目標地点、領域ノード・アルファおよびベータ。現在、敵の支配下にある二つの拠点奪還を命じる。これより三十分以内に整備を完了させ、出撃せよ』
「……奪還? 冗談だろ」
スキャベルが乾いた笑いを漏らした。
昨日、三分の一まで削られたのだ。まともな整備など到底追いつくはずもない。機体は悲鳴を上げ、パイロットの神経はすり減り、何より部隊の「柱」であるデュークは後方へ追いやられている。
『戦力不足は承知している。だが、当該地点のデータ確保が最優先だ。各ユニットの寿命消費率を最大値まで引き上げろ。これが貴機らに与えられた「資産価値」を証明する最後の機会となる』
それは命令というより、宣告だった。
「失敗すれば、お前たちはもう不要だ」という、あからさまな最後通牒。
カイルが震える手で自分の機体を見つめる。
「……そんな、無理ですよ。こんな状態で二つも基地を奪還なんて……僕たち、全滅するまで使い潰されるだけじゃ……」
ブリザード・アイは何も言わなかった。ただ、彼女は自分の機体のハッチに手をかけ、氷のように冷たい瞳で指揮管制官のアイコンを見つめていた。彼女の指先は、今の管制官へのささやかな抵抗として、機体の装甲に細い引っかき傷を刻み込んでいる。
スキャベルは通信回線を切り、仲間たちを振り返った。
その顔には、昨日までの「生き残る」という希望さえ薄れ、代わりに死を覚悟した者特有の、研ぎ澄まされた冷酷さが宿っていた。
「聞いたな、お前ら。……あいつらは、俺たちが地獄で踊る姿を見たいらしい」
彼は、血のついた手袋を力強く締め直す。
「デュークがいなくなって、あいつは俺たちがただの『壊れかけの道具』になったと思ったんだろうよ。……だが、俺たちを使い捨てるなら、せめてあいつらに、最高に高くつく『ガラクタ』だってことを思い知らせてやろうぜ」
ハンガーの空気は、戦慄よりも深い、暗い絶望と静かな闘志に支配されていた。
もはや誰も、明日を夢見るような顔はしていない。ただ、使い潰される前に、自分たちの命を何倍もの代償に変えてやるという、歪んだ覚悟だけがそこに立ち込めていた。
「出撃準備だ。……二度と帰れないかもしれない。だが、死ぬまで『アイアン・デューク』の隊だったことを忘れるな」
誰が言うでもなく、少年たちはボロボロの機体へと歩き出す。
後方支援に追いやられたデュークには届かない、絶望的な号令がハンガーに響き渡った。
ハンガーに現れたのは、軍が送り込んだ新たな指揮官――『アイアン・フィスト』と揶揄される、冷徹な戦術家だった。
彼はデュークとは対照的に、感情を排し、機体寿命や搭乗者の生存率を極限まで計算し尽くす男だ。彼の指揮下で、部隊は昨日までの「死にゆく少年たち」の集まりから、一瞬で「正確に敵を削り取る精密機械」へと変貌させられた。
ノード・アルファ攻防戦。
新たな指揮官の指示は残酷なほど的確だった。
「第七、第八小隊は囮となれ。全エネルギーを中央突破に回す。スキャベル、貴機の砲撃精度は平均を下回っている。次は外すな」
スキャベルは唇を噛み締め、無言で照準を合わせる。かつてデュークが「無理をするな」と言ってくれた場所で、今は淡々と「死ね」と言われているに等しい。だが、彼らは抗わない。抗う理由は、今は「生存」ではないからだ。
「……アイアン・フィスト。あんたの戦術に従う」
ブリザード・アイが冷たく答える。彼女の瞳は、敵の基地を見据えていない。遠く、後方支援部隊の隔離区域にいるはずのデュークの背中を、幻視しているようだった。
「……この戦績、あんた(フィスト)のためじゃない。デュークが戻ってきたとき、俺たちが壊滅していてあいつを絶望させないためよ」
第一大隊の少年たちは、かつてないほどの戦果を叩き出した。
それは恐怖による支配ではなく、あの日、自分たちを置いて逝った隊長――デュークという存在への、ある種の「意地」だった。
どれだけ効率を重視する新指揮官に扱かれようと、彼らは戦術の端々に「デュークならどう動くか」を読み込み、連携させる。敵の基地が一つ、また一つと沈黙していく。
一方、後方支援部隊の防壁の中に隔離されたデュークは、通信モニター越しにその戦果を聞いていた。
味方の信号が敵基地を制圧していく音を聞くたび、彼は胸が張り裂けそうな衝動に駆られる。
「俺が……俺がいれば、あいつらにこんな酷な真似はさせなかった……」
かつて自分が座っていた隊長席に、他人が座り、自分の隊を「資産」として使い潰している。その事実は、リナの幻影を見るよりも深く、デュークの精神を削り取っていった。
だが、ノード・アルファ陥落の報せが届いたとき、デュークはハッとした。
モニターの端に映ったブリザード・アイの機体が、わざとデュークが好んだ回避機動を行い、敵の死角へと入り込んだのだ。
スキャベルもまた、デュークがかつて愛用していた戦術パターンの残滓を見せていた。
彼らは戦っている。
冷徹な指揮官の影に隠れながら、彼らはデュークの帰還を待つ「戦場」を、必死に作り上げているのだ。
「……帰るぞ。絶対に」
デュークは、誰にも見えない場所で、折れた操縦桿を強く握りしめた。
自分は後方にいる。だが、心はあの猛烈な火線の中にあり、かつての仲間たちの背中を追いかけていた。
前線では、新指揮官が次の指令を叫ぶ。
『次はベータ基地だ。データ回収を急げ! 消耗品はいくらでも代わりがいる』
「代わりなんて、いねぇよ」
スキャベルが吐き捨てるように呟き、再びケルベロスの主砲を火種へと向ける。
デュークが戻ってくるその日まで、彼らは壊れゆく体を鋼のように固め、戦場という名の待ち合わせ場所を死守し続けていた。
数週間の「後方支援」は、デュークにとって狂気と正気の境界を彷徨う長い試練だった。
モニター越しに仲間たちが戦う姿を眺め、新しい指揮官の冷徹な采配を聞き、そして何より、リナの幻影が少しずつ形を変えていくのを肌で感じていた。
ある夜、格納庫の隅でデュークは独り、ワイズのプレートを握りしめていた。
以前のような焦燥感はない。ただ、静かな痛みが胸にあるだけだ。
「……リナ。お前がいた場所は、俺にとっての『逃げ場』だったんだな」
口にすると、それは驚くほどすとんと腹に落ちた。
戦うのが怖いからリナを追っていたのではない。自分の人生を、自分の足で歩くのが怖かったのだ。だからこそ、あの灰色の施設という過去に、死んだ妹という亡霊に、自分を縛り付けていた。
前線から戻った仲間たちの損傷具合、疲弊しきった顔、そして何より、自分がいなくても彼らが戦い抜いているという事実。それらすべてが、デュークに「もう、過去の重力に引きずられるな」と語りかけていた。
リナのことを忘れるつもりはない。彼女と飲んだはずのない温かいスープの記憶も、彼女の微笑みも、一生大切に抱えていく。けれど、それを追いかけるのはもう終わりだ。
デュークは立ち上がり、ワイズのプレートを胸元のポケットの奥深くに仕舞い込んだ。
もう、幻影を追いかけて戦場を揺らすことはない。次の一歩は、リナがいる過去に向かうためではなく、いま生きている仲間たちが待つ「明日」へ向かうために踏み出す。
翌朝、デュークは後方支援の指揮官室の扉を叩いた。
その顔つきは、かつての迷い多き少年兵のものではなく、戦う意味を再定義した一人の戦士のものだった。
後方支援エリアの管制塔が、耳を塞ぎたくなるような警告音を響かせている。
デュークがヴィフレストのエンジンにオーバーロードをかけ、格納庫の防壁を強引に突破したからだ。
「警告! 警告! アイアン・デューク、直ちに停止せよ! 貴機の行為は軍法違反、ならびに反逆行為とみなす!」
通信機からの罵倒を、デュークはOFFにした。
無機質な警告アラームは、もう彼には届かない。かつて幻影のリナに支配されていた頃の迷いは消え失せ、操縦桿を握る手には、確かな意志が宿っている。
格納庫の隔壁が閉まりかけるのを、彼はヴィフレストの主砲で強引にこじ開けた。金属が悲鳴を上げ、火花が散る。その轟音を背にして、彼は滑走路を駆け抜けた。
「……リナ」
彼は一度だけ、空を見上げた。
視界の端にリナの幻影が揺らぐ。だが、今回はそれが過去の亡霊としてではなく、今の自分を送り出すための、ただの風のように感じられた。
「もう追いかけない。……お前の分まで、俺たちが生きる場所を守る」
彼はヴィフレストの出力を最大まで解放した。
機体が大気を切り裂き、爆音を轟かせて戦域へと突き進む。軍の追撃機や管制からの制止命令など、今の彼には虫の羽音にも等しい。
一方、ベータ基地奪還作戦の最前線。
新リーダーの指揮下、仲間たちは限界を超えた過酷な戦いを強いられていた。機体はボロボロで、弾薬も底を尽きかけている。
『……全機、退避しろ! これ以上の損失は許容できない!』
新リーダーの冷徹な声すらも、今は焦りに震えていた。ブリザード・アイの機体が片腕を吹き飛ばされ、スキャベルの機体は白煙を噴き上げて停止しようとしている。
全滅の文字が、彼らの網膜に浮かび上がったその時だった。
戦場を切り裂くような、見慣れた駆動音。
灰色の空から、一機のヴィフレストが隕石のように墜落するように舞い降りた。
地響きとともに雪煙が舞い、敵の大隊がたじろぐ。
煙の中から現れた機体は、左肩を欠損し、装甲は傷だらけだったが、その咆哮だけは誰よりも力強かった。
『……随分と待たせたな。戦場に遅刻するなんて、隊長失格か?』
通信にノイズ混じりの、だが確かなデュークの声が響く。
「……デューク!?」
スキャベルが呆然と声を上げる。ブリザード・アイの瞳に、初めて安堵と希望の光が宿った。
デュークは敵の真っ只中に銃口を向け、新リーダーに向けて通信を飛ばす。
『俺の隊を返してもらう。……ガラクタの掃除は、俺たちにしかできないんでね』
帰ってきた。
失われたはずの「要」が戻り、第一大隊の少年たちの目から、死の恐怖が消えていく。
彼らはデュークという核を中心に、まるで呼吸を合わせるように再び戦列を組み直した。
デュークは、リナを過去に置いてきた。
その代わりに、目の前で命を燃やす仲間たちを、今度は二度と失わないと心に誓って、再び戦場の中心で引き金を引いた。
敵の猛攻が一時的に止んだ、わずかな静寂の隙間。
雪原に散らばっていた部隊の残存機が、スキャベルの合図で一箇所に集まる。鈍い駆動音を響かせ、各機が背中を預け合うようにして陣形を組んだ。
通信回線には、ザラついたノイズと、重苦しい沈黙が流れている。
最初に口を開いたのは、ブリザード・アイだった。彼女の声はかつてないほど低く、震えていた。
『……デューク。あんた、基地へ帰るつもりはないんでしょ』
彼女の問いかけに、デュークは戦場の火線を見つめたまま答える。
『……戻れば、間違いなく解体だ。俺は軍の資産としてではなく、一人の人間として、最後の一秒までこの機体で戦いたい』
『そうだろうね』
ブリザード・アイは少しだけ言葉を切り、続けざまに厳しい事実を告げた。
『管制の記録を見たわ。あんたの脱獄は反逆罪として全域に手配が回っている。戻れば即刻、拘束と解体。逃げ続ければ……軍の全ユニットが、私たちを排除するために差し向けられる』
スキャベルが、荒い息を吐きながら通信に割り込む。
『笑えねぇ状況だな。……おい、みんな聞いたか。今の作戦目標を達成したところで、俺たちを待っているのは勲章じゃなくて、『戦犯』という名の処刑台だ』
通信回線に、仲間の戦士たちの戸惑う声が重なる。
帰れば処罰。逃げれば追っ手。どちらに転んでも、安息の地などどこにもない。
『ここで全員で決めるぞ』
スキャベルの声に、戦場の熱気とは違う、冷徹な響きが宿る。
『基地に戻って『模範的な部隊』として幕を引くか。それとも、デュークを連れてここから逃亡し、最後まで自分たちのための『戦い』を続けるか。……多数決なんて悠長なことは言ってられねぇ。全員、覚悟を決めろ』
スキャベルは、自身のケルベロスの主砲を、味方へ向けるのではなく、基地の方向へ向けて突き出した。
『俺は、デュークが戻ってきただけで十分だ。あいつを差し出して生き残るくらいなら、ここで終わる方がマシだ』
『私もよ』
ブリザード・アイが即座に呼応する。
『あいつがいない場所で、また計算機みたいに戦うなんて御免だわ。私たちが守るべきは『軍の資産』じゃない。デューク、あんた自身の命よ』
次々と、仲間たちの通信が繋がっていく。迷いのある声もあれば、死を覚悟した者の静かな決意もある。
デュークは、コックピットの中で小さく息を吐いた。
自分を守るために、仲間たちが一生を棒に振ろうとしている。その重みに、胸が締め付けられるような痛みを感じた。だが、不思議と今は、恐怖はない。
『……お前たち、後悔するぞ』
デュークが言うと、スキャベルが通信越しに短く笑った。
『今さら何を言ってやがる。……俺たちは、最初から後悔なんてする余裕がないほど、擦り切れたガラクタなんだよ』
戦場を包む風が、激しさを増す。
彼らは軍の犬ではなく、自分たちの意志で「道」を選ぼうとしている。
逃亡か、死か。
戦場の静寂が、まるで冷たい刃のように彼らを切り裂く。
通信回線に、新リーダーである「アイアン・フィスト」の声が鋭く割り込んできた。彼は事態を察知し、あえて通信を傍受して割り込んできたのだ。
『通信を傍受した。……貴様ら、狂ったか? 逃亡は即座に抹殺を意味する。基地に戻り、デュークを差し出せ。そうすれば、貴様らの身分と機体寿命の保証は継続してやる』
フィストの声には、迷いが一切ない。彼は「効率」と「軍の秩序」を信奉する男だ。
しかし、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ブリザード・アイが即座に通信を遮断した。彼女は冷ややかな声で、隊員全員に向けて告げる。
『……聞いたわね。これが軍の答え。デュークを引き渡せば、私たちはまた、魂を抜かれた抜け殻として明日を迎えることになる。……誰か、戻る者はいる? 今ならまだ、私を撃って帰還すれば功績になるわよ』
通信回線には、数秒の沈黙が流れた。
基地へ戻れば、生存は保証される。だが、それは昨日までの死んだような日々の繰り返しだ。
『笑わせるな』
スキャベルが吐き捨てるように言った。
『俺は、あいつ(フィスト)の指揮下で機械みたいに戦うくらいなら、このケルベロスの自爆スイッチを押してここで果てる方を選ぶ。……デューク、あんたはどうする? あんたについて行ったら、間違いなく地獄だぞ』
デュークは、震えそうになる手を自らの胸に当て、ヴィフレストのメインカメラを仲間たちの機体へと向けた。
彼はもう、リナの幻影に逃げ込むことはしない。
『地獄か……望むところだ。だが、行くなら俺の意志で決めてくれ。……俺は、軍の道具としてではなく、お前たちという『人間』と共に生きたい。もし、それに賭けてくれる奴がいるなら……』
その瞬間、ブリザード・アイのフェンリルが、デュークの機体にぴったりと寄り添うように移動した。
続いて、残された数少ない機体が次々とデュークを囲むように陣形を組む。新リーダーの警告など、最初から聞こえていなかったかのように。
『……デューク。あんたがリナのことを話してくれた時、私は決めていたのよ』
ブリザード・アイが、静かに通信を飛ばす。
『あんたが過去を追うのをやめて、今を生きようとした。なら、その『今』を奪わせるわけにはいかないでしょ』
スキャベルがケルベロスの主砲を、堂々と基地の方角へ向けた。
『聞こえたか、フィスト。これが俺たちの回答だ。……基地への帰還コードは破棄した。これより第一大隊は、軍の管理下を離脱する』
通信回線の向こうで、フィストが何かを怒鳴っているのがかすかに聞こえたが、スキャベルはその回線を完全にシャットダウンした。
通信機から、プツリ、という音がして、ノイズさえも消えた。
彼らは今、歴史上初めて、軍という巨大な檻からその身を解き放った。
『全機、進軍開始』
デュークが叫ぶ。
その声には、過去を背負った哀しみも、未来への不安もない。あるのは、仲間と共に戦場を駆けるという、戦士としての純粋な高揚感だけだった。
ヴィフレストが先陣を切り、彼らは基地とは反対側の、深い嵐の渦巻く未知の宙域へと機体を加速させた。
背後で、かつて所属していた基地が、小さく点滅しながら遠ざかっていく。
逃亡者という名の、新たな戦場が幕を開けた。
それは死か、それとも本当の自由か――。答えを出すのは、これからの彼ら自身の「命」だけだ。
軍の網を潜り抜け、彼らはレーダーの届かない極寒の荒野、通称「沈黙の谷」へ身を隠した。
空には人工的な衛星光も届かない、本物の星空が広がっている。
ヴィフレスト、ケルベロス、フェンリル。
かつては誇り高い軍の尖兵だった機体たちは、今や所属を失い、ただの「逃亡者の鉄屑」として雪原にうずくまっていた。
コックピットの明かりを極限まで絞り、デュークはハッチを開けて外に出た。
雪が肌を刺す。彼は端末を取り出し、仲間たちの生体情報を確認する。そこには、残酷なまでに正確な「残り時間」が記されていた。
• デューク:8年と11ヶ月
• スキャベル:9年と1ヶ月
• ブリザード・アイ:8年と12ヶ月(約9年)
• その他隊員(カイル含む):20年以上
自分たちは、長くてもあと9年足らずで灰になる。
一方で、自分たちが命懸けで守り抜いてきた年若い隊員たちは、20年以上の未来を背負っている。
「……計算通りにいけば、俺たちが死んだ後も、あいつらは生き残れるな」
不意に背後で雪を踏む音がして、スキャベルがやってきた。彼もまた、機体から降りて手袋を脱いでいる。その手は、凍傷と過負荷で青白く変色していた。
「何を計算してるんだ? 隊長殿」
「……あいつらのことだ。カイルたちには、俺たちとは違う未来がある」
スキャベルは鼻で笑い、近くの岩に腰を下ろした。
「奇遇だな。俺も同じことを考えてた。俺たちは『使い捨ての燃料』として製造されたが、あいつらは違う。俺たちがここで泥を食ってでも道を切り開けば、あいつらは、あいつらが望む『人間らしい死に方』を選べるかもしれない」
そこへ、ブリザード・アイも静かに合流する。
彼女は言葉少なく、ただ空を見上げていた。
「軍は追ってくる。休息はあと数時間。その後は、追っ手を撒きながら南の禁断領域へ向かうわよ。……あそこなら、軍も手出しできない」
デュークはうなずき、胸ポケットの中のワイズのプレートに触れた。
もう、リナを追いかけるための「寿命」ではない。
この仲間たちと、まだ見ぬ未来をカイルたちに手渡すための、残り9年の命だ。
「……行こう。俺たちの戦いは、今日からが本番だ」
遠くで、吹雪が唸りを上げる。
それは軍の追撃の音か、それとも彼らを祝福する嵐か。
軍から逃亡した反逆者たちの、最初の夜が更けていく。彼らにとって、これまでの人生で一番短く、そして一番濃密な一日が終わろうとしていた。
翌朝、デュークは操縦桿を握り直し、隣を走るスキャベル、ブリザード・アイ、そしてカイルたちの方へ視線をやった。
「……行くぞ」
その声は、かつてワイズが放った言葉のように、暗闇を切り裂くほどに澄んでいた。
逃亡という名の日々の中で、彼らもまた、消える寸前のロウソクのように、誰よりも強く、激しく輝き始めている。
「ワイズ、見ていてくれ。……俺たちは、最後まで燃え尽きるつもりだ」
彼らは夜の闇を突き抜け、地平線の彼方にある希望を目指して、再びその足を加速させた。
氷壁の影を縫うようにして、三十名のオルトロス・レジスタンスが進む。
先頭をゆくデュークのヴィフレストが、雪の下に隠された地雷反応を察知し、瞬時に機体を旋回させて回避する。後続のスキャベルたちが、一切の無駄なく隊列を修正し、その動きを追う。
『……今の反応、軍の旧式センサーか。奴ら、この谷の入り口を既に封鎖しに来てる』
ブリザード・アイの冷徹な報告に、デュークは眉を寄せた。
彼らが選んだルートは、誰にも見つからないはずの「死の谷」だった。だが、軍の追撃部隊は、彼らがかつて「軍の資産」として刷り込まれた通りの予測ルートで、網を張っている。
「……あいつらは、俺たちがどこへ向かうかを知っているのか?」
デュークが呟く。自分たちが何を考え、どこを目指すのか、軍はデータとして握っているのだ。だが、そのデータには一つだけ、決定的な欠落がある。
それは、ワイズが遺した「ロウソクの火」、つまり理屈を超えた「意地」の計算だ。
『デューク、前方に熱源反応。数……三十……いや、四十! 追撃の先鋒だ。……奴ら、正面からぶつかってくるつもりよ』
ブリザード・アイの声に、緊張が走る。
この雪原の狭隘部で四十機を相手にすれば、いくら彼らでも被害なしでは済まない。
その時、デュークはかつてワイズが教えてくれた「限界のその先」を思い出した。
機体出力を上げるのではない。あえて出力の「熱」をコックピットの装甲の外へ逃がし、周囲の雪原を一瞬にして融解させる。
「カイル、支援班、いいか! 俺が氷壁を溶かす。地盤が崩れると同時に、スキャベル、火力を叩き込め!」
『了解! ……全員、隊長に合わせろ!』
デュークはヴィフレストのコアを、かつてワイズがしたように極限まで過熱させた。
コックピットが焼けるような熱気に包まれる。リナの幻影はもう見えない。そこにあるのは、ワイズの灯した光が、今の自分たちを照らしているという確信だけだ。
「……見とけよ。俺たちも、消える寸前まで明るく輝いてやる!」
デュークが咆哮とともに前方の氷壁に突っ込む。
次の瞬間、雪原全体が轟音を立てて崩落し、軍の追撃部隊を雪の底へと飲み込んでいった。
敵の先鋒が壊滅し、視界が晴れる。
そこには、これまで軍が管理していた地図の外側、誰も踏み込んだことのない「自由な地平線」が広がっていた。
俺たちは立ち止まらない。
三十機の機体が、雪煙を上げて未踏の地へと踏み出していく。デュークの心の中には、もう何の迷いもなかった。
彼らが目指すのは、大陸の西の果て、断崖と常緑の森に囲まれた中立国**「ヴェリディア」**。
かつての帝国主義的な軍事機構から最も遠い場所にあるとされ、彼らにとっては、まさに地図の空白地帯であり、聖域のような響きを持つ場所です。
追っ手の軍勢を雪崩の底に沈めてから、数日。
彼らはついに、軍の通信網が一切届かない「沈黙の果て」へと到達していた。
氷の荒野は終わりを告げ、代わりに姿を現したのは、霧に包まれた深い針葉樹の森と、険しい山岳が連なるヴェリディアの国境付近だ。
空の色が違う。かつての戦場を覆っていた重苦しい鉛色は消え、西の空には、どこまでも広がる澄んだ蒼が広がっている。
「……通信が、完全に沈黙したわ」
ブリザード・アイが、フェンリルのモニターを確認しながら、短く息を吐いた。彼女の表情からは、常に敵の熱源を探り続けていた鋭い緊張が消え、初めて「休息」というものに戸惑うような柔らかな色が浮かんでいる。
スキャベルも、ケルベロスのコックピットから降り、腰を伸ばした。
金属の軋む音と、遠くで鳴く名もなき鳥の声以外、ここには何の命令も、爆撃の轟音もない。
「なあ、デューク。これが『自由』ってやつか? ……あまりに静かすぎて、耳がおかしくなりそうだ」
デュークはヴィフレストの傍らに立ち、湿った大気を深く吸い込んだ。
戦場から逃げ出してきて、初めて感じる「無音」。
かつては、この沈黙が怖かった。何が起きるか分からない、何者にも守られていないという孤独が、彼を苛んでいたからだ。しかし今の彼には、この何もない時間が、自分たちが生きているという証のように感じられた。
三十名の仲間たちは、それぞれ機体の周りで焚き火を囲んだり、あるいはただ地面に座り込んで空を見上げたりしている。
誰も指揮管制からの指示を待っていない。自分たちの機体の、どの部品を直すか、明日はどの森を越えるか。すべてを自分たちで決められるという事実。
「カイル、無理に機体調整をしなくていい。……今は、ただ寝ろ」
デュークの言葉に、若手の兵士たちが顔を見合わせ、安堵したように微笑む。
彼らにとっては、それまで「戦うこと」以外になかった人生で、初めて手に入れた贅沢な時間だった。
夜、デュークは一人、静かな森の小川のほとりに座った。
ワイズのプレートを胸から取り出し、冷たい水にさらす。
このプレートは、あの日からずっと自分と共に地獄を歩んできた。だが、もうこのプレートの中に、救いを求める必要はない。
彼らはヴェリディアを目指している。
そこが約束の地か、それともただの幻か。それは分からない。だが、少なくとも今の自分たちは、誰の命令でもなく、自分たちの意志で西へ向かっている。
「ロウソクは、消える寸前が一番明るい――か」
デュークは小さく呟いた。
残り8年と11ヶ月。
それは短い時間かもしれない。だが、軍の歯車として消費されるはずだった時間を、自分たちのために使い切るという決意があれば、この時間は誰よりも濃く、熱く燃え上がることができるはずだ。
風が森を揺らす。
デュークは、久しく忘れていた「明日」への期待を抱きながら、仲間たちが待つ焚き火の方へと歩き出した。
眼下のカレントリーパーの銃口が、まるで獲物の心臓を狙い定めるかのように、デュークたちの隠れている枝の隙間へゆっくりと向いてくる。
(……バレたか。いや、まだだ。奴らはまだ確信していない)
デュークは極限の集中の中で、敵のセンサーが発する微かな磁場を皮膚で感じていた。カレントリーパーのEMP兵器は、獲物の生体反応と機体の残留熱を照合しようとしている。もし今、誰か一人でも身じろぎをすれば、確実にその電磁波が彼らの心臓を焼き払うだろう。
デュークは無言で、背後に控えるブリザード・アイとスキャベルに合図を送る。
――『奇襲は俺一人で行う。お前たちは合図があるまで絶対に動くな』。
その視線には、かつてワイズがヨトゥンへ突っ込んだ時のような、静かな決意が宿っていた。
彼は機体を離れ、枝から枝へと影のように跳躍する。カレントリーパーの巨大な頭部、そのセンサーが集約された最上部のカメラユニットへ肉薄する。
敵がトリガーを引くより速く。
デュークは腰のナイフを引き抜き、敵の冷却排気口のカバーを強引に引き剥がした。そこに、彼が持ち歩いていた「高濃度冷却ゲル」を叩き込む。
シュウウゥゥッ! と嫌な音が鳴り響き、カレントリーパーの電子センサーが瞬時に凍りついた。
『――!? ターゲット確認、座標……っ!』
混乱する敵兵の通信。デュークはその頭上で叫んだ。
「今だ、スキャベル! 全火力、一点集中!」
その合図を待っていたかのように、森の静寂を切り裂いて咆哮が響く。
木の上から一斉に展開したスキャベルたちのケルベロス部隊が、隠蔽を解いて火線を放つ。カレントリーパーの周囲の地面が弾け飛び、青白い電磁の光が乱反射する。
突発的な奇襲に、軍の死神たちは陣形を乱した。
重装甲で正面からは崩せないカレントリーパーも、不意を突かれ、センサーを潰されてはただの鈍重な鉄の塊だ。
「全員乗り込め! ここで消耗戦はするな!」
デュークはカレントリーパーの肩を踏み台にして宙を舞い、地上のヴィフレストへと着地した。
森が燃え上がる炎に包まれる中、三十名の機体が一斉に駆動音を上げ、敵の包囲網を逆方向に突破していく。
背後で、カレントリーパーのEMPが空しく夜空を裂く。
だが、彼らはもうその場にはいない。
疾走するヴィフレストの中で、デュークは深く息を吐いた。
心臓は早鐘を打っている。だが、その胸にあるのは恐怖ではなく、確実に「死神」を出し抜いたという手応えだった。
「……見たか、ワイズ。俺たちはまだ、使い物になるぞ」
西へ。ヴェリディアへの道は、まだ始まったばかりだ。
ニヴルヘイム連邦の追っ手を振り切った代償として、彼らは自分たちの「足跡」を決定的に残してしまった。
地図を開けば一目瞭然だった。目的地である西の聖域「ヴェリディア」へ向かうには、ニヴルヘイムが現在最も軍事力を注ぎ込んでいる広大な占領地――通称**「鉄の回廊」**を縦断する以外に道はない。
そこは、常に監視衛星と無数の無人索敵ドローンが空を覆う、敵国の心臓部だ。
「……正気か? ここを抜けるのか」
スキャベルがモニターに表示された赤色地帯を見つめ、思わず苦笑した。そこは軍の補給線が密集し、各所に防衛拠点と迎撃砲台が設置された、言わば『蜂の巣』だ。
デュークは冷めた目でルートをなぞる。
「隠れて通るなんて最初から無理だったんだ。奴らの監視網は、虫一匹の移動すら見逃さない」
「じゃあどうする? 正面突破?」
ブリザード・アイの問いに、デュークは深く呼吸をしてから言った。
「いや、『紛れ込む』。軍の補給部隊の偽装信号を奪い、奴らの正規軍の真っ只中を、堂々と行進する」
三十名の生存者たちは、狂気とも言える作戦を即座に飲み込んだ。
かつて軍の「資産」として訓練された彼らには、軍の識別信号や通信プロトコルを偽造する術が叩き込まれている。だが、それは敵の懐に飛び込むという、極めて高いリスクを伴う賭けだった。
鉄の回廊 ―― 偽装行軍
翌朝、鋼鉄の空の下で彼らは行動を開始した。
彼らのヴィフレストやケルベロスは、急ごしらえの装甲板と連邦軍のマーキングを施され、遠目には補給物資を運ぶ「後方支援隊」の姿に偽装されていた。
「全機、機体出力を最小に。通信機は傍受専用に切り替えろ。余計な信号は出すな。……我々は今、ニヴルヘイムの忠実な犬だ」
デュークの指示に従い、三十機の機体が編隊を組む。
彼らの隣を、本物の軍用輸送機が轟音を立てて追い抜いていく。敵の検問所が目の前に迫る。そこでは、数十機のカレントリーパーが警戒にあたっていた。
(バレれば終わりだ。だが、あいつらは『味方が自分たちを裏切るはずがない』という傲慢を持っている)
デュークは冷や汗を流しながらも、一切の動揺を見せずに識別信号を送信した。
検問所のレーダーが彼らの機体の上をなぞる。心臓が早鐘を打つ。ワイズがかつて教えてくれた「限界のその先」――恐怖を完全に殺し、ただの機械の一部になりきる精神統一。
『識別コード、確認……。支援隊、通過を許可する』
ゲートが開く。
彼らは何食わぬ顔で、敵国のど真ん中を堂々と通り抜けていく。
しかし、そのすぐ横では、自分たちが昨日まで戦っていた仲間や、犠牲になった者たちの記録が、敵のモニターで「排除対象」として流れているのを目撃する。
「……あいつらは、俺たちが死んだと思っているんだな」
スキャベルが通信で小さく呟く。
彼らは今、敵の掌の上でダンスを踊っている。この「鉄の回廊」を突き抜けるまで、彼らは一度も呼吸を乱すことは許されない。
西へ、さらに西へ。
ヴェリディアの影さえ見えない距離だが、彼らの覚悟は確実に、敵国の心臓部を蝕み始めていた。
「鉄の回廊」の検問所は、ただの通行許可証を見る場所ではなかった。
警備に当たっているのは、感情を持たない自律式無人機――『ガーディアン・アイ』。彼らは識別信号だけでなく、機体内部の生命反応や、搭乗者の生体データをセンサーで逐一スキャンするようプログラムされている。
ゲートの前で停止したデュークのヴィフレストに、数機のドローンが群がり、青白いスキャン光を浴びせてきた。
『識別コード、照合完了。……搭乗者の生体反応を検知。不一致。機体内部の確認が必要』
スピーカーから流れる合成音声に、周囲の空気が凍りつく。
後ろに続くスキャベルたちの機体も、次々とスキャンされ、停止を命じられている。
「……バレたか」
スキャベルが吐き捨てるように呟く。だが、デュークは冷静だった。
彼は最初から、この検問所で「偽装がバレる」ことを想定していた。彼が練り上げていたのは、単なる偽装ではない。**「生体反応の逆転移」**という、本来なら禁忌とされる戦術だ。
「カイル、準備はいいか。俺たちの生体データを、機体のダミー回路へ強制的に同期させる」
「……っ、了解! でも、それだと僕たちの体温と鼓動が、数分間完全に停止したみたいに認識されますよ!」
「それでいい。奴らのセンサーは『死体』か『機械』しか見ない。……俺たちは、一時的に『人間であることを辞める』んだ」
デュークはメインコンソールを操作し、強引に機体の冷却装置をオーバーロードさせた。
コックピット内の気温が急激に低下し、兵士たちの心拍数が人工的に抑制される。極限の寒冷と静寂。デュークたちは自らの肉体を、強制的に「冷凍保存」に近い状態へと追い込んだ。
センサーが、デュークたちの身体をスキャンする。
モニターには、人間特有の温かな鼓動の代わりに、整備された機械パーツの冷たい反響だけが表示された。
『スキャン完了。生体反応、検知されず。……判定:無人運送機。通行を許可する』
ゲートが重々しい音を立てて開き始めた。
カイルたちが震える息を必死に殺しながら、機械のふりをして通過していく。あと数秒遅れていれば、低体温症で意識を失っていたかもしれない。
しかし、最後の一機がゲートを抜けようとしたその時、警備用の大型ドローンが不審な動きを見せた。
『……待て。一点、異常を確認。当該機体から、微弱な「記憶の残滓」のような電子信号を確認。……念のため、機体内部の強制開放を行う』
ドローンのアームが、カイルの機体のハッチに伸びる。
機械のフリをして生き延びた彼らの目の前で、隠していた「人間としての記憶」が、皮肉にもスキャンの隙間から漏れ出したのだ。
デュークは迷わず、突き進んでいた機体を反転させた。
「……全員、隠蔽解除! 奴ら、俺たちを人間だと見抜いた! 鉄の回廊のど真ん中で、地獄を見せてやるぞ!」
機械のふりをするのは終わりだ。
ハッチから冷気が立ち上る中、デュークたちは本来の熱量を一気に解放し、検問所を内側から破壊し始めた。
偽装という名の舞台は終わり、彼らは自分たちの命を懸けた、正真正銘の反逆者として戦場に躍り出た。
検問所を破壊し、警報が連邦全域に鳴り響いた。
もはや隠密行動は不可能だ。空を見上げれば、無数の迎撃ドローンが編隊を組んで殺到し、地平線の彼方からは連邦軍の主力戦車隊が土煙を上げて迫ってくる。
「……計算通りだな。奴らの本気は、これくらいか」
スキャベルがケルベロスの主砲を撃ち放ち、先頭の戦車を爆散させるが、次から次へと新しい標的が補充される。三十対一千。絶望的な戦力差だ。
逃げ場のない「鉄の平原」で、彼らは完全に包囲された。
『こちらニヴルヘイム連邦防衛軍。反逆者ども、全機武装を解除して跪け。貴様らに明日はない』
通信機から流れる無慈悲な宣告。
カイルたちが乗る支援機体が損傷を受け、火花を散らす。ブリザード・アイのフェンリルも、シールドを半分削り取られ、膝をつきかけていた。
「デューク! ダメだ、もう囲い込まれる!」
ブリザード・アイの叫びに、デュークはコックピットの中で静かに目を閉じた。
モニターに表示された、仲間たちの寿命――20年以上を残した彼ら。そして、あと9年足らずで消える自分たちの寿命。
(……俺たちの「使い道」は、ここで決まる)
デュークはヴィフレストのメインシステムを、安全回路ごとショートさせた。コックピットが赤い警告灯に染まり、機体から限界を超えた高熱が噴き出す。
「全員、よく聞け」
デュークの声は、通信越しに驚くほど静かに響いた。
「この先、ヴェリディアへの道は俺が作る。……カイル、お前たちは俺が突破口を開いた瞬間、迷わずその背後を突き抜けろ。一度も振り返るな」
「隊長!? 何を言って……そんなことしたら、あなたは……!」
「――『ロウソクはな、消える寸前が一番明るいんだよ』」
デュークは、かつてワイズが言った言葉を噛みしめるように呟いた。
ヴィフレストの全出力を、足元の推進器と前方へ向けるエネルギー砲に集中させる。機体のフレームが熱で歪み、警報が鳴り止まない。
「俺の残り時間は、9年だ。だが、この9年分を今この瞬間に燃やせば、奴らの防壁くらいは簡単に焼き切れる」
デュークは操縦桿を握りしめ、地平線を埋め尽くす連邦軍の軍勢を正面に捉えた。
かつては恐怖でしかなかった「死」が、今は仲間を守るための最も熱い「燃料」に思えた。
「行くぞ。俺たちの『道』を、歴史に刻んでやる」
ヴィフレストが、太陽よりも眩い光を放ち始めた。
それは、ニヴルヘイム連邦の軍勢さえも一瞬にして白銀に塗り替えるような、圧倒的な閃光だった。
その瞬間地平線が、デュークが放とうとした閃光よりも遥かに速い、真紅の対空レーザーで塗りつぶされた。
「――っ!?」
デュークが叫ぶ間もなかった。連邦軍の包囲網を形成していたカレントリーパーたちが、上空から降り注いだ精密な飽和攻撃によって、次々と爆炎の花を咲かせていく。
それは軍の無機質な攻撃ではなく、まるで戦場を舞うダンスのような、優雅でいて破壊的な連係攻撃だった。
空を埋め尽くしていた無人ドローン群が、漆黒の機体群によって瞬く間に掃討されていく。
『こちら、ヴェリディア共和国独立空域防衛隊。対象を味方として認識した。……これよりエリアを確保する』
通信回線に入ってきたのは、冷たく、それでいてどこか懐かしい響きを持つ女性の声だった。
デュークの機体が、強制停止した出力の余韻で震える。スキャベルとブリザード・アイも、信じられないものを見るように上空を見上げた。
雲を突き抜けて降下してきたのは、ヴェリディアの紋章を纏った重武装の機動打撃軍。その先頭をゆく、深紅のラインが入った特殊機体が、デュークのヴィフレストの目の前に着地した。
ハッチが開く。
そこに立っていたのは、かつてデュークたちが軍の管理下にいた頃、彼らの面倒を見ていた指揮官――**「マリア」**だった。
かつて軍を去り、死んだと噂されていた彼女。なぜ彼女が、この敵国のど真ん中に、しかもヴェリディアの軍を率いて現れたのか。
「……遅かったかしら。もう少し早ければ、あんたたちの派手な自爆を見なくて済んだんだけど」
マリアはかつてと変わらぬ、少し呆れたような笑みを浮かべていた。
デュークは震える手でハッチを開け、地上に降り立つ。彼の寿命は、まだ削られていない。ワイズのプレートが胸の中で、静かに鼓動を打つかのように熱を帯びている。
「大佐……なぜ、あんたがここに」
「話はあとよ、デューク。連邦軍の増援が来るまで、あと数分。……私の部隊についてきなさい。ヴェリディアまで、最短の道を案内してあげる」
マリアは背を向け、自身の機体へと戻っていく。
彼女の部隊が展開した防衛フィールドのおかげで、彼らは圧倒的な戦力差という死の淵から、間一髪で生還したのだ。
カイルたちが呆然と立ち尽くす中、スキャベルが皮肉っぽく笑った。
「おいおい、最高の上官だな。……まさか、俺たちの逃亡劇に特等席を用意してくれていたとは」
「……行くぞ」
デュークは仲間たちを見渡した。
三十名の生存者。死ぬはずだった場所に、希望が舞い降りた。
ヴェリディアの深紅の軍団を先頭に、彼らは「鉄の回廊」を突破するための、本当の反撃を開始する。
ヴェリディア共和国の深紅の装甲を纏った機動部隊が、デュークたちの周囲を完璧なフォーメーションで固める。ニヴルヘイム連邦の監視網を、まるで大波が砂の城を押し流すかのように無効化しながら、一行は西の果てへと突き進んでいた。
ヴェリディアの主力機が空を制圧しているため、今までの潜伏行軍が嘘のように、彼らは堂々と戦場を駆け抜けていく。
「……昔より機体の扱いが荒くなったわね、デューク」
前方をゆくマリアの指揮官機から、通信が届く。昔懐かしい、少し呆れたような、しかし核心を突く声だ。
デュークはヴィフレストの操縦桿を握り直し、苦笑した。
「……中佐こそ。死んだはずの人が、どうしてあんな派手な登場を?」
「死んだことにしたのよ。あの大層な組織で、誰かの駒として最後を迎えるつもりはなかったから。……今は、自分の意志で動く部隊の指揮を執っているわ」
マリア――かつての上官は、淡々と言った。
「あんたたちの逃亡は、こちらでも『興味深いデータ』として掴んでいた。……私の部隊は、管理されることに飽き飽きした『はぐれ者』の集まりよ。あんたたちと同じね」
その後ろで、ヴェリディア独立機動部隊の若い兵士が、無邪気な様子で通信に割って入ってきた。
「隊長! 噂の『鋼の反逆者』って、もっと無骨な人たちだと思ってました! 指揮官機との並走、距離の詰め方がめちゃくちゃ綺麗ですね!」
スキャベルがその言葉に鼻を鳴らす。
「おいおい、褒めても何も出ねぇぞ。……ったく、ヴェリディアの連中は、戦場でこんなに余裕があるのか?」
「余裕じゃないですよ、スキャベルさん! 隊長……いや、マリア中佐の指揮下では、全員が『最高のパフォーマンスを出すための最短ルート』を計算してるだけです。マリア中佐の戦術予測は、連邦のAIより数手先を行ってますから!」
ブリザード・アイが、少しだけ表情を緩めた。
「……効率だけを重視した、血の通わない機械の予測じゃない。……ねえ中佐。あんた、今でも『ロウソク』の火を消させないように戦っているの?」
通信の向こうで、マリアがわずかに沈黙した。
「……デュークが、まだその言葉を大事にしているなんてね。ワイズは、あんたたちに火を灯して死んだ。……私は、その火が燃え尽きるのを、ただ黙って見ているつもりはないわ」
マリアの言葉には、軍人としての規律と、かつての部下を思う温かな情が混ざり合っていた。
かつては「資産」として、管理されるがままに戦うしかなかった彼ら。しかし今は、ヴェリディアの護衛を受け、かつての指導者と共に、自分たちの未来を選び取ろうとしている。
「中佐、あとどれくらいで国境に着く?」
デュークが尋ねると、マリアは迷いのない声で答えた。
「あと三時間。……鉄の回廊を抜ければ、そこはヴェリディアの懐よ。ようやく、あんたたちが『兵器』ではなく『人間』として眠れる場所に着くわ」
三十名の生存者たちは、互いの顔を見合わせた。
二十年以上の未来を持つカイルも、残り少ない寿命を燃やすデュークたちも。
誰もが、その「三時間後」という、かつては想像もできなかった平和な響きに、胸を熱くしていた。
ヴェリディア軍の施設の一室。壁一面のモニターには、国境の様子や穏やかな風景が映し出されているが、そこに集まった30名の隊員たちの間には、どこか落ち着かない空気が流れていた。
マリア中佐が扉を開けて入ってくると、全員が反射的に背筋を伸ばし、直立不動の姿勢をとった。長年染み付いた「兵士」としての習慣だ。
「……楽にして。今は軍の基地じゃない、ヴェリディアの保護施設よ」
マリアが苦笑しながら促すが、スキャベルやブリザード・アイをはじめとする面々は、どこか居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。
「中佐」
デュークが重い口を開いた。彼の瞳には、安堵とは別の、静かな動揺が宿っている。
「……市民証は受け取りました。ここには、俺たちを追い立てる命令も、解体を迫る管制の音声もありません。……ですが」
デュークは言葉を切り、ブリザード・アイと視線を交わした。彼女の肩も、まだ鎧を脱ぐことを拒んでいるかのように強張っている。
「『明日、何をすればいいか』という命令が、誰からも下されない。……それが、俺たちにはひどく恐ろしいんです。この8年と11ヶ月という残り時間を、ただ『生きて消費する』ということが、戦場で死ぬよりも難しいことに思える」
スキャベルも、不器用に指を組み合わせた。
「俺もだ。朝起きて、戦場へ向かう準備をしないで何をする? 腹を空かせて、ただレーションを食って、また寝るだけか? ……そんな生活に、何の意味があるんだ?」
カイルたち若手でさえ、未来はあっても、その「自由な時間」をどう扱えばいいのか戸惑っているのが伝わってくる。彼らにとって人生とは、常に「敵」と「任務」の対比で語られるものだった。それを失った今、彼らは自分という存在の輪郭を見失いそうになっていた。
マリアは彼らを一人ずつ見回した。
その目は、かつての厳しい教官としての眼差しではなく、迷子を見守るような慈悲に満ちていた。
「……そうね。一日で『人間』に戻れなんて言ったら、それこそ無茶な命令だわ」
マリアは壁のスイッチを押し、モニターの明かりを消した。部屋が薄暗くなり、彼らの顔から軍の規律という仮面が少しだけ剥がれ落ちる。
「焦る必要はないわ。あんたたちは、死ぬために戦ってきたんじゃない。生きたかったから、ここまで来たんでしょ? ……明日から、とりあえずはこの施設の庭いじりでも、機体のメンテナンスの手伝いでもいい。自分が『やりたい』と思える小さなことから始めてみて」
彼女はデュークの肩にそっと手を置いた。
「答えなんて出なくていい。この8年、あるいは20年。その時間をどう使うか、何を感じるか。それを考え続けること自体が、あんたたちが始めた新しい『戦い』なんだから」
デュークは黙って頷いた。
彼らの心には、まだヴェリディアの平穏と、自分たちの未熟な精神との間に深い溝がある。
兵器として生きた彼らが、一人の市民として地に足をつけるまでには、戦場を駆けるよりも長い時間と、誰かの寄り添いが必要なのだと、改めて悟った夜だった。
部屋に静寂が戻り、重たい空気だけが残された。
他の隊員たちがそれぞれの休息場所へ向かった後、デューク、ブリザード・アイ、スキャベルの三人は、薄暗い照明の下で沈黙を分け合っていた。
先に口を開いたのは、ブリザード・アイだった。彼女は、デュークがずっと抱えていた「あの名前」を、傷口に触れるように小さく呟いた。
「……リナのこと。ずっと、言えずにいたのね」
スキャベルもまた、椅子の背もたれに深く体重を預け、表情を強張らせている。戦場を共にした仲間として、彼らはデュークがどれほどその死を引きずり――あるいは、その死を糧にして戦ってきたかを知っている。
「思い出すたび、胸が焼けるようだろ」とスキャベルが低く言った。「あの時、俺たちがもう少し早く動けていれば。……お前一人に、全部背負わせたことが、どうしても引っかかっているんだ」
二人の視線は、デュークの胸元に向けられていた。そこには、ワイズのプレートと共に、リナの記憶が重く横たわっているはずだ。二人はデュークが壊れてしまわないか、ずっと心配してきたのだ。
デュークは窓の外、ヴェリディアの穏やかな夜空を眺めていた。かつてリナと共に見た、戦火に彩られた空とは違う、静かな星空。
「心配するな」
デュークは振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。それは、戦場で仲間を鼓舞するための強がりではなく、すべてを受け入れた者の表情だった。
「……確かに、あの日を忘れたことは一度もない。悔しさも、悲しみも、俺の体のどこかにずっとこびりついている。だが、今こうして俺が生きて、お前たちとここにいる。それは、リナが俺に託した命の続きだと思っているんだ」
デュークは自らの胸に手を当てた。
「後悔がないと言えば嘘になる。だが、あの選択を間違っていたとも思わない。俺は、自分ができる限りの全てを出し切った。リナが命を賭けて繋いだこの命を、ここで無駄に朽ちさせるつもりはないよ」
デュークの言葉には、迷いがなかった。それはリナの死を無意味なものにしないという、彼なりの決着だった。
ブリザード・アイは安堵したように小さく息を吐き、スキャベルは少し照れくさそうに顔を背けた。
「……そうかよ。ならいいんだ」
スキャベルがぶっきらぼうに言い、ブリザード・アイも静かに頷く。
「そうね。……あなたがそう言うなら、それが答えなのね」
夜の静寂の中で、三人の間にあったわだかまりが、少しずつほどけていく。
兵器として死ぬことだけを考えてきた彼らが、こうして過去の傷を認め合い、未来について語り合えるようになったこと。それこそが、彼らが「人間」へと戻るための、最初の小さな一歩だった。
ヴェリディアでの穏やかな日々が始まって、早数週間が経った。
戦火の匂いは消え、朝になれば鳥が鳴き、夜には静かな眠りがある。かつての仲間たち――三十名の元遊撃部隊の面々は、慣れない手つきで木を植えたり、街の修繕を手伝ったりして、少しずつ「市民」としての表情を取り戻しつつあった。
スキャベルは地元の農家の手伝いで逞しい腕を振るい、ブリザード・アイは図書館で静かに過ごす時間を見つけていた。誰にとっても、それは夢のような平和だった。
だが、デュークの中には、消えない棘のような感情が燻り続けていた。
ある夜、デュークは全員に招集をかけた。かつての作戦会議と同じ場所。だがそこには、モニターに映し出される敵の陣形も、刻一刻と迫る死のカウントダウンもない。
三十名が整列する。彼らの服装は軍服から簡素な服に変わったが、その立ち姿には、長年染み付いた「戦士」の質感が残っていた。
「……皆、この数週間はどうだった」
デュークが問いかけると、数人が「悪くない」「安眠できる」と口々に答えた。カイルも、明るい表情で「もう二度と戦場には戻りたくない」と笑った。
だが、デュークは静かに首を振った。
「俺もそうだ。誰の命令も受けず、明日の命を気にせず、ただ生きる。……素晴らしいことだと思う」
デュークは言葉を切り、彼ら一人ひとりの目を見つめた。
「だが、俺は夜、眠るたびに奴らの声が聞こえる。ワイズ、リナ、そしてあの回廊で散っていった者たちだ。奴らは、俺たちがこの『平和な観客』として生きることを、本当に望んでいるだろうか?」
場が静まり返る。兵士たちの顔から、穏やかな表情が消え、かつての鋭い光が戻ってくる。
「俺たちは、誇りを持って戦い抜いた。ニヴルヘイムの理不尽に抗い、自由を求めて火を灯し続けた。……その『誇り』を、平和ボケの中に捨ててしまっていいのか? 俺たちがヴェリディアの市民として一生を終えるのは、奴らが繋いでくれたバトンを地面に投げ捨てることと同じではないか?」
デュークは拳を握りしめた。
「俺は、このまま終わるつもりはない。もちろん、連邦の犬に戻るつもりもない。……ヴェリディアの軍の一部となり、今度は自分たちの手で、理不尽に焼かれる者たちを守る『盾』となるか。それとも、このまま市民として、歴史から静かに消えていくか。……今日、ここで決めたい」
スキャベルが顔を上げ、かつてないほど真剣な眼差しでデュークを見つめた。
「……結局、俺たちは戦うことでしか、自分を証明できねぇのかよ」
「いや」とデュークは即座に否定した。
「俺たちは、死ぬために戦うのはもうやめた。……これからは、守るために戦うか、それとも守られるために生きるかだ。どちらが奴らに顔向けできる道か、俺たち自身の意志で選ぼう」
基地の夜風が吹き抜ける中、三十名の決断の時が迫っていた。彼らはもう「資産」ではない。自分の人生を、自分の手で選び取る権利を、ようやく手に入れたのだから。
デュークの言葉が終わると、沈黙が支配した。
三十名の内、戦場へ戻ると手を挙げたのはデューク、スキャベル、アイ、カイル、そして9名の隊員。合計13名だった。
残りの17名は、苦渋の表情を浮かべながらも「市民として生きる」道を選んだ。彼らの中には、戦うことへの恐怖や、ただ穏やかに寿命を全うしたいという正直な願いがあった。それは誰にも否定できない、彼らが命を賭けて手に入れた正当な権利だ。
部屋には、分断された空気が流れる。しかし、そこに角突き合わせるような険悪さはない。三十名は互いに理解し、静かに頷き合った。
「……そうか。お前たちの選択を尊重する。……今日から俺たちは、別々の道を歩むことになるな」
デュークの言葉に、市民として生きることを選んだ一人が歩み寄り、デュークの手を強く握りしめた。
「デューク。俺たちは戦えないかもしれない。だが、あんたたちがヴェリディアで灯してくれる火を、街の中から支えるよ。……あんたたちが帰る場所が、平和な国であるように」
その言葉に、デュークの胸が熱くなる。
別れは寂しい。だが、彼らは二度と「連邦の資産」として、誰かに使い捨てられることはないのだ。
翌朝。基地の宿舎から出てきた13名の姿は、昨夜の悩み抜いた表情とは打って変わり、どこか吹っ切れたような鋭い眼光を宿していた。
彼らは駐機エリアへ向かう足を一瞬止め、中庭で端末を操作していたマリア中佐の元へと歩み寄った。デュークを先頭に、スキャベル、アイ、そしてカイルたちが続く。
そのただならぬ雰囲気に、マリアは作業の手を止め、ゆっくりと顔を上げた。彼女の瞳はすべてを悟ったかのように細められる。
「……何の用かしら。市民生活に馴染むために、機体の整備でも手伝いに来たの?」
マリアの問いかけに、デュークは真っ直ぐに彼女の視線を受け止めた。
「いいえ、中佐。……俺たち13名は、戦場へ戻ります」
その言葉を聞いた瞬間、マリアの表情からわずかに温かみが消えた。彼女は静かに立ち上がり、13名の兵士たちを鋭く見回す。かつて彼らを率いた指揮官としての、厳しい眼差しだ。
「……正気なの? やっと手に入れたその自由を、自分から捨てに行くというの。あんたたちは平和な国で、人間として人生をやり直せるはずだったのに」
彼女の言葉には、憤りというよりも、彼らを再び戦火へ送ることへの強い拒絶が混ざっていた。しかし、デュークたちは一歩も引かなかった。
「……中佐、俺たちは考えました。このままヴェリディアで市民として穏やかに暮らしていくことは、平和な選択かもしれません。ですが、俺たちは夢を見るんです」
デュークは、静かに一人ひとりの名前を口にした。
「雪原で消えたワイズ。あの鉄の回廊の手前で、敵のレーザーをその身に受けて道を作ってくれたカリス。……撤退の合図を送り続けたまま、戻らなかったエリオットやサナの姿を」
デュークの声は、絞り出すように震えていた。
「俺たちがここで平穏に生き残ることは、彼らが繋いでくれたバトンを地面に投げ捨てることと同じではないかと思えてならないんです。カリスが守ろうとした未来、エリオットが叫び続けた希望……それを『終わったこと』にしてしまうなんて、彼らに合わせる顔がない」
デュークは拳を握りしめ、マリアを見据えた。
「俺は、このまま終わるつもりはない。ワイズが見せてくれたあの光を、カリスが背中で守り抜いた道筋を、俺たちが終わらせるわけにはいかないんです。……彼らが戦った『理不尽な世界』を、今度は自分たちの手で変えに行く。それが、生き残った俺たちの責任であり、誇りなんです」
マリアは、その名を聞いて目元をわずかに潤ませた。かつて彼女が部下として預かり、そして戦場へ送り出さざるを得なかった若者たちの名前。
「……そう。カリスも、エリオットも、サナも……みんな、あんたたちの中に生きているのね」
マリアは深く、力強く頷いた。
「分かったわ。その決意、受け取った。死んでいった彼らの分まで、あんたたちが『生きて』戦うのよ。……本当に、救いようのない連中ね」
彼女は苦い笑みを浮かべ、少しだけ寂しそうな、それでも最後には確かな信頼を込めた目でデュークを見た。
「理由を聞かなければ、ただの馬鹿な突撃兵だと切り捨てていたところよ。……でも、あんたたちが『誇り』のために戦場を選ぶなら、私がそれを止める権利はないわね」
マリアはデュークの胸を、拳で軽く小突いた。
「いいわ、許可する。ただし条件がある。ヴェリディアの空と大地を汚す連邦軍の残党を、残らず叩き潰してきなさい。……死ぬために戦場へ行くなんて報告は二度と認めないわよ。あんたたちは、生き残って、生きるために勝つの。それが、あんたたちを見送った17人の市民にとっても、散っていった仲間にとっても、一番の弔いになるはずだから」
デュークは敬礼した。それはかつての機械的な動作ではなく、信頼する指揮官に対する、兵士としての、そして人間としての誓いだった。
「了解。……必ず、生きて帰ります」
マリアへの誓いを胸に、13名の兵士たちは静かに居住区へと戻った。
朝焼けが窓を染める中、食堂には残りの17名――市民としてヴェリディアで生きる道を選んだ仲間たちが、最後になるかもしれない朝食を囲んでいた。
デュークたちが足を踏み入れると、笑い声が止み、食堂にいた全員が椅子を引いて立ち上がった。昨夜、言葉を交わしたはずなのに、いざ出発の時を前にすると、胸の奥から込み上げるものがある。
「……行くのか、デューク」
市民生活を選んだ仲間の一人が、震える声で尋ねる。
デュークは深く頷き、隣に並ぶスキャベル、アイ、そしてカイルたちを見渡した。
「ああ。俺たちには、あっち側でやらなきゃならないことがある。ワイズやカリス、エリオットたちが命を賭けて灯した火を、俺たちが消すわけにはいかないんだ」
デュークは歩み寄り、かつて同じ釜の飯を食った彼らと握手を交わした。
その手は、かつて銃を握り締めていた時のような冷たさではなく、戦火を越えた者特有の温かさを帯びていた。
「お前たちが選んだこの『平和』は、俺たちにとっても一番の救いだよ。俺たちが帰る場所が、ただの戦場じゃなく『日常』であること。それが、俺たちが戦う最大の理由になる」
スキャベルも、普段の荒っぽい口調を封じ、静かな声で付け加えた。
「……食いすぎんなよ。お前たちが太って俺たちを笑うのが、次の戦場の目標だ」
その言葉に、部屋中がくぐもった笑いに包まれる。
ブリザード・アイは、涙をこらえきれない仲間に近寄り、静かに肩を抱いた。
「また会おう。……ヴェリディアの空が、今日みたいに青い日に」
最後にカイルが、幼い頃からの友人と握手を交わし、力強く頷く。
言葉はもう必要なかった。彼らがこれから踏み出すのは、再びの戦地。だが、そこにはもう「逃げ場所を探す絶望」はない。背中を守り抜くという約束と、帰るべき場所があるという確かな希望だけが、彼らのエンジンを駆動させていた。
13名は居住区を後にする。
出口で振り返ると、残された17名が静かに敬礼を返していた。
それは軍の規律としての敬礼ではなく、共に地獄を生き抜いた「家族」としての別れの挨拶だった。
冷たい外気に触れ、デュークは再び空を見上げた。
ヴェリディアの空は広く、どこまでも高く続いていた。彼らは背負った名前と共に、新たな空へ翼を広げる。
ヴェリディア共和国の軍事施設。整然と整列した13名の姿は、かつての泥にまみれた亡命者たちのそれとは違い、共和国の制服に身を包んだ「正規兵」としての気品と、戦場を知る者特有の冷徹な鋭さを宿していた。
入隊式は、華やかなものではなかった。しかし、マリア中佐を筆頭に、共和国の幹部たちが揃う中での叙勲は、彼らがもはや「資産」ではなく、この国の「守り手」として認められた証だった。
部隊名:『エコー・オブ・レガシー(遺志の残響)』
マリア中佐が、13名の隊列の前に立つ。彼女の顔には、かつての教官としての厳しい笑みが浮かんでいた。
「共和国軍第1独立遊撃部隊、『エコー・オブ・レガシー』。……それが、あんたたちに与えられる名前よ」
中佐は、紋章が刻まれた隊旗をデュークに手渡した。
「ワイズ、カリス、エリオット……あの日散った者たちの志を継ぎ、その残響を連邦の闇に届けるという意味を込めたわ。……あんたたちが戦場でその名前を名乗るたび、彼らは死ぬことなく、あんたたちの背中を守り続けることになる」
デュークはその重みを感じながら、力強く旗を掲げた。
合言葉:『明日のために、火を灯す』
入隊式の終わりに、デュークは13名全員を見渡した。顔には、これから始まる戦いへの覚悟が刻まれている。彼らは声を揃え、自分たちの誓いを口にする。
「明日のために、火を灯す」
それは、単なるスローガンではなかった。
かつて消えかかっていた自分たちの命をワイズが繋ぎ、それをカリスが守り、エリオットが先へと導いた。その火を二度と消さず、今度は自分たちが、理不尽な暗闇に閉ざされた誰かのために、新しい未来の火を灯し続ける――。
彼らが口にするたび、その言葉はただの合言葉を超え、彼らの心臓を鼓動させる「道標」となっていく。
式の後、デュークは駐機エリアで自機『ヴィフレスト』の装甲に、『エコー・オブ・レガシー』の部隊章と、小さな名前――ワイズ、カリス、エリオットたちの名を書き加えた。
「行くぞ、皆」
デュークがヘルメットを被る。
彼らの前には、広大な空と、まだ見ぬ戦場が広がっている。だが、今はもう一人ではない。背中には12名の仲間が、そして心の中には、彼らが託した希望という名の炎が燃えている。
『エコー・オブ・レガシー』の戦いが、今、正式に幕を開ける。
ヴェリディア共和国軍の広大な演習場。
そこには、新型の機体**『ヴァルキリー・フレーム』**がずらりと並んでいた。連邦軍の機体とは比較にならない出力、最新鋭のレーダー、そして過酷な戦場でもパイロットの生命を守るための強固な装甲。それはヴェリディアが総力を挙げて開発した、まさに「最高峰の兵器」だった。
マリア中佐は、整備兵たちに指示を出し、デュークたちの前でそのハッチを開けさせた。
「……これが、あんたたちに支給される新型機よ。これまでのヴィフレストやケルベロスとは次元が違う。電子装備、加速性能、すべてにおいて連邦の機体を凌駕するはずだわ」
整備兵たちが誇らしげに機体のスペックを説明する中、デューク、スキャベル、アイたちは、目の前の真っさらな機体を複雑な表情で見つめていた。最新鋭の機体は確かに美しい。だが、それは彼らにとって、あまりにも「見知らぬもの」だった。
デュークは新型機の装甲にそっと触れ、それから自分の機体――ボロボロになりながらも、数々の戦場を共に駆け抜けてきた愛機『ヴィフレスト』へ視線を移した。
「……中佐、ありがたい申し出だ。だが、この機体は受け取れない」
マリアは眉をひそめた。
「どういうこと? あんな古びた機体で、最新の戦場に立つつもりなの?」
「この装甲には、俺たちが生きてきた時間のすべてが刻まれているんです」
デュークは愛機の肩を叩いた。そこにはワイズやカリス、エリオットたちと死線を越えた時に刻まれた無数の傷跡があった。
「最新の性能なんて必要ない。俺たちが戦場で背中を守り抜けるのは、この機体の性能のおかげじゃない。ここに詰まっている仲間たちの想いと、俺たちの身体に染み付いたこの機体のクセ、それがあればこそなんです。……新しい相棒なんて、必要ありません」
スキャベルも、ケルベロスのレバーを握りしめて頷く。
「同感だね。俺のケルベロスは、調整し直せばまだ戦える。あいつら(仲間たち)の魂が乗ってる機体を捨ててまで、新型の骨組みに乗る気はねぇよ」
アイも静かに同意を示し、他の12名も一歩も引く気配を見せない。
最新鋭の機体を前にしても、彼らの決意は揺るがなかった。彼らにとって機体は単なる「兵器」ではなく、共に戦った記憶そのものなのだ。
マリアは溜息をつき、それから少しだけ口角を上げた。
「……分かったわ。頑固な連中ね。……いいでしょう、その機体、あんたたちの希望通りに最大限のチューニングを施すわ。ただし、新型機に匹敵する性能を維持するのが条件よ。自分の愛機が『ガラクタ』になって消えるのが嫌なら、整備兵に泣きつくまで徹底的にいじり倒しなさい」
「……了解」
デュークたちが敬礼すると、整備兵たちは呆れ顔で、しかしどこか尊敬の眼差しで彼らの愛機を囲い込み始めた。
その日からの合同訓練は、まさに異常な光景だった。
最新のヴァルキリー・フレームを駆る他のヴェリディア軍部隊に対し、旧式の、しかし徹底的に調整され、想いを詰め込まれた13機の機体が、圧倒的な練度と連携で見事に競り勝っていく。
『エコー・オブ・レガシー』の戦いは、最新のスペックを誇る者たちをも黙らせるほどの、熱を持った伝説となりつつあった。
マリア中佐の承認を受けた整備班は、まるで「狂気」に近い熱量でデュークたちの愛機の改造に取り掛かった。
「中佐の条件は『最新鋭と同等の性能』……なら、フレームそのものを換えるんじゃなく、中身を食い尽くす勢いでヴェリディアの最新技術を叩き込んでやるよ!」
整備長がそう豪語するように、彼らの愛機は外見こそ使い込まれた重厚な面影を残しつつも、内部構造は異次元の進化を遂げていった。それぞれの戦闘スタイルに合わせ、最高の『牙』が与えられたのだ。
『エコー・オブ・レガシー』機体改装プラン
• デューク機:ヴィフレスト『ヴェノム・エッジ』
• 特徴: 高機動戦闘特化。
• 装備: 重力制御を応用した『ブースト・アクセラレーター』を背部に搭載。一瞬の加速で敵の死角へ回り込む。武装には、敵のシールドを強制無効化する『電磁高周波ブレード』を増設し、近接での一撃離脱を極めた。
• スキャベル機:ケルベロス『ハード・ハウラー』
• 特徴: 拠点防衛・火力制圧特化。
• 装備: 多連装の『収束粒子砲』を両肩にマウント。さらに、敵のEMP攻撃を完全に遮断する『対電磁波アクティブ・フィールド』を展開可能にし、敵陣のど真ん中で仁王立ちできる「鉄の要塞」へと変貌した。
• アイ機:フェンリル『ブリザード・ファング』
• 特徴: 長距離狙撃・索敵特化。
• 装備: 衛星通信と連動した『超長距離高精度ライフル』。熱源センサーをさらに強化し、敵の機体内部の心臓部(動力源)を一点透視する『量子照準システム』を搭載。
• カイル機:支援機『ウィスパー・テイル』
• 特徴: 戦場全体を統括する指揮・電子戦特化。
• 装備: 味方12機のデータをリンクさせ、戦場全体を俯瞰する『統合戦術ネットワーク・アンテナ』を搭載。敵の通信をハッキングし、味方全員に最適な回避・攻撃ルートをリアルタイムで指示する「戦場の心臓」となる。
その他の9名も、それぞれの個性を活かした装備が施された。重装甲で弾幕を張る機体、あるいは光学迷彩を極めた潜入用の機体――13機すべてが、ヴェリディアの粋を集めた「魔改造」を施されたのだ。
訓練場に再登場した彼らの機体を見て、他のエリート部隊の兵士たちは絶句した。
ボロボロの装甲の隙間から、最新鋭機すら上回る青白い高出力エネルギーが漏れ出している。それは、まるで戦場で散った仲間たちの魂が、機体を通じて再び現代の戦場へ牙を剥いているような、異様な威圧感を放っていた。
「……性能は最新、魂は古参。悪くないバランスだ」
スキャベルが愛機の砲身をなでながら不敵に笑う。
デュークは『ヴェノム・エッジ』のメインスラスターを点火した。かつて感じたことのない、背中を押し出す強大な推進力が、自分の神経と直結したかのように心地よく響く。
「中佐、準備は完了した。……『エコー・オブ・レガシー』、いつでも出撃できる」
彼らは今、ヴェリディア共和国という強固な盾を得て、かつて自分たちを追い詰めたニヴルヘイム連邦の防衛網を、その手で粉砕するための準備を整えた。
「エコー・オブ・レガシー」の名は、瞬く間に連邦軍の軍事データベースにおいて「最優先排除対象」として登録されることになった。
彼らは戦場を選ばない。ヴェリディアの辺境から連邦の補給線まで、その「古くて新しい」13機の鉄塊は、嵐のように駆け抜け、すべての作戦を完遂した。連邦軍の最新鋭機を、かつて自分たちが乗っていた旧式のフレームで屠るたび、彼らは亡き仲間の名前を心の中で呼び、勝利を捧げてきた。
しかし、運命は予期せぬ交錯を見せる。
連邦領内の荒野で、通信傍受と偵察を行っていた際のことだ。
カイルのモニターに、微弱な信号が反応した。
『……ターゲット、捕捉。……追跡されているのは、単機。追う側は、三機』
デュークが『ヴェノム・エッジ』の視界を広げる。
地平線の先、砂煙を上げて逃げ惑うのは、かつてデュークたちが乗っていたものと同型の量産型偵察機だった。
荒野の静寂を切り裂き、デュークの『ヴェノム・エッジ』がアルカディア帝国の追撃部隊――三機の最新鋭機と少女たちの間に割って入った。
デュークは全周波数を開放し、帝国軍のパイロットたちへ向けて、低く、冷徹な警告を発した。
「こちら独立遊撃部隊『エコー・オブ・レガシー』。……これより先、その子供たちに一指も触れさせるわけにはいかない。即刻、撤退しろ」
通信の向こうで、帝国軍の隊長機が嘲笑うような反応を返す。
『独立部隊だと? ……部外者が我らの教育に口を出すな。排除しろ、標的を巻き込んでも構わん』
彼らはデュークたちの警告を、単なる通りすがりの妨害程度にしか考えていない。帝国軍の機体が加速し、少女たちの機体を囲い込むように散開する。その動きには、かつて自分たちが受けていたような、冷酷で「人間味」を感じさせないプログラムされた殺意が宿っていた。
デュークは深く溜息をつき、コックピットの中で小さく首を振った。
「……話を聞かない相手に割く時間は、俺たちにはないんだ。面倒だが、片づけるぞ」
「了解。サクサクと掃除しますか」
スキャベルがケルベロスの重粒子砲を、狙いを定めることもなく追撃機の進行方向に突き出す。
アイが「ブリザード・ファング」の照準を完璧にロックオンし、カイルが電子戦で帝国機の通信と索敵機能を一瞬で無力化した。
「……警告はしたぞ。後は知らない」
デュークがブースト・アクセラレーターを点火した瞬間、『ヴェノム・エッジ』の姿が砂煙の中に消えた。
帝国軍が反応するよりも速い。
デュークの機体は、一撃で追撃機の一機のスラスターを精密に切断。制御を失い墜落する機体を見向きもせず、次の標的へ向かう。
スキャベルの放った収束重粒子が、空中で二機の帝国機を絡め取るように撃ち抜き、爆炎が荒野を染めた。
戦闘開始から、わずか十秒。
爆風が収まると、そこには黒煙を上げて沈黙する帝国軍の機体と、呆然と立ち尽くす少女たちの姿だけがあった。デュークは、戦い終えたヴィフレストの装甲から立ち上る熱を逃がしながら、静かに少女たちの方へ歩み寄る。
「……警告はしたはずだ。向こうが聞かなかっただけの話だ」
スキャベルが吐き捨てるように呟き、他の12機も静かに包囲陣を解いていく。
かつて自分たちがいた「アルカディア」という名の鎖が、皮肉にも自分たちの手によって一つずつ引きちぎられていく。
デュークは少女たちの機体を見上げ、改めて声をかけた。
「……ついて来い。ここには、まだ『狩る側』の人間が溢れている」
帝国の少年少女たちを導き、彼らは再び進み始める。その背中は、かつて導かれる側だった子供たちのそれではなく、守るべき未来を背負った戦士たちのものだった。
荒野の土埃が少しずつ静まり、デュークは『ヴェノム・エッジ』のハッチを開け、少女の機体へと歩み寄った。少女もまた、震える手でコクピットのロックを解除し、地面へと降り立つ。
少女の瞳には、先ほどまでの恐怖とは別の、深い困惑が宿っていた。
「助けてくれて……ありがとうございます。でも、あなたたちは……」
彼女はデュークたちの機体に刻まれた使い込まれた装甲と、彼らが纏う独特の雰囲気を凝視し、おそるおそる言葉を紡いだ。
「あなたたち、アルカディア帝国の人間ですか? ……そんな、どうしてあんなに戦い方が……」
デュークはヘルメットを脱ぎ、吹き抜ける風に髪を揺らした。彼の顔には、かつてアルカディアの訓練所にいた頃の面影が、今の鋭い戦士の眼差しと混ざり合っている。
「……かつてはな」
デュークの短い答えに、少女は息を呑んだ。
「俺たちが、この帝国から最初に逃げ出した『逃亡者』だ。……あんたたちも、今の俺たちと同じ道を歩もうとしているんだろう?」
少女が言葉を失い立ち尽くしていると、スキャベルがケルベロスの影から無造作に現れ、不躾に問いかけた。
「おい、小娘。聞かせてくれよ。……俺たちの時とは状況が違うはずだ。今の帝国は管理が厳格だって聞く。そんな中で、なんでまた逃亡なんて無茶をしたんだ? 捕まれば再教育じゃ済まねぇだろ」
少女は戸惑い、唇を噛んだ。「それは……」と口を開きかけたが、言葉に詰まってしまう。彼女にとって、それはあまりに過酷で、誰にも理解されないと諦めていた記憶なのかもしれない。
その時、カイルの声が通信を通じて全員の脳内に鋭く響いた。
『――隊長! 反応あり! ……4機、こちらへ向かっています!』
スキャベルが即座に重粒子砲を肩に乗せ、アイが静かにライフルのセーフティを解除する。デュークもまた、反射的に腰のブレードへと手を伸ばした。
『待ってください! ……敵じゃない!』
カイルの緊迫した声が、一瞬で安堵に変わる。
『……生体反応を確認。アルカディアの制服だ。……少女と連れ立って逃げてきた者たちです!』
地平線の先から、砂煙を上げて4機の機体がこちらへ接近してくる。その機影は、帝国軍の追撃部隊のような冷徹な連携ではなく、ただ必死に、仲間を求めて駆けてくる荒々しいものだった。
到着した4機のハッチが同時に開く。現れたのは、先ほどの少女と同じ年頃の少年や少女たちだった。彼らはデュークたちと、先ほど助けた少女を見て、堰を切ったように安堵の表情を浮かべる。
「……仲間が、追いついてくれたんだ」
少女がふらりと歩み寄り、駆け寄ってきた4人と合流する。彼らの姿を見て、デュークは確信した。自分たちが切り開いた道は、確実に、しかし確実に誰かの希望を繋いでいるのだと。
「……おい、デューク。また厄介なのが増えたな」
スキャベルが苦笑しながら言ったが、その眼差しはどこまでも温かかった。
「ああ。……だが、守り甲斐のある荷物が増えただけだ」
荒野の空が、重苦しいエンジン音に支配された。
カイルのモニターに映し出されたのは、わずか数分前まで平和だったはずの空を埋め尽くす、20機の機影。帝国軍が送り込んできたのは、訓練機ではなく、実戦用の最新鋭機『ヴィフレスト』の中隊だった。
「……中隊規模か。本気で消しに来たな」
スキャベルが不敵に鼻で笑うが、その手はケルベロスのトリガーに吸い付くように置かれている。逃げ出してきた5名の少年少女たちは、20機の猛威を前にコクピットの中で青ざめ、声を上げることもできていない。
「隊長、陣形はどうしますか?」アイの冷静な問いが響く。
デュークは『ヴェノム・エッジ』の視界を戦場全体に固定し、簡潔に命じた。
「護衛陣形をとる。カイルは逃亡者たちの周囲に電子防壁を展開し、アイとスキャベルは敵の先鋒を叩き潰せ。残りの8名は俺と共に中央突破する。……これより先、一機も突破させるな」
20機のヴィフレストが、圧倒的な火力で一斉に襲い掛かる。雨のような弾幕が荒野を薙ぎ払う。
しかし、『エコー・オブ・レガシー』の13機は微動だにしない。
カイルのリンク制御により、彼らの機体はまるで一つの生き物のように連動していた。敵の弾幕の隙間を踊るように回避し、スキャベルの放つ重粒子砲が、敵陣の隊列を内側から切り裂く。アイの狙撃は、20機の動きを止めるかのように、確実に敵のセンサーアイを射抜いていく。
「……な、なんだあの動きは。本当に旧式の機体なのか!?」
帝国軍のパイロットが通信で叫ぶのが聞こえる。
デュークは『ヴェノム・エッジ』の加速限界を超え、音を置き去りにする速度で敵の中隊へ飛び込んだ。電磁高周波ブレードが一閃するたび、敵機は火花を散らして沈黙する。
かつて自分たちが教わった「効率的な殺し方」を、自分たちが今、最も嫌悪する「抑圧の象徴」へ向けて、慈悲なく叩き込む。
わずか数分。
20機の中隊は、もはや機体としての機能を失った鉄屑の山と化し、砂に埋もれていた。
静寂が戻る。
保護した5名の少年少女たちは、コクピットの中からモニター越しにその光景を呆然と見つめていた。敵軍の精鋭を、たった13機で、それも自分たちが乗ってきたものと同型の機体で「瞬殺」したのだ。
デュークが少女の機体の横に降り立ち、ハッチを開けた。
「……大丈夫か?」
少女は言葉を失い、ただ開いた口をふさぐことができない。恐怖よりも、目の前の戦士たちのあまりの強さに、圧倒されているようだった。
「……あなたたち、本当に……」
「帝国が作った兵器を、少しばかり手入れしただけだ」
スキャベルが吐き捨てるように言い、アイは静かにライフルの熱を冷ましている。
少年少女たちの瞳に映るのは、もはや「助けてくれる優しい人」ではない。彼らこそが、帝国が最も恐れ、そして帝国の子供たちが夢見る「真の自由を掴んだ英雄」であるという確信だった。
彼らの圧倒的な力は、ただ敵を倒しただけではなかった。それは、少女たちの心の中にあった「帝国には勝てない」という重い鎖を、音を立てて砕く力でもあった。
ヴェリディア共和国の国境を越え、ようやく安全な居住区へと彼女たちを送り届けた後のことだった。
整備班が機体の損傷をチェックする傍らで、スキャベルは重苦しい表情のまま、保護した少女たちを囲むようにして立ち止まった。
他の隊員たちが安堵の空気に包まれる中、スキャベルの鋭い眼光は少女たちの中心人物である少女を見据えていた。
「おい。一つ、腑に落ちないことがある」
スキャベルの低い声に、周囲の空気から温かみが消える。
「俺たちが帝国を脱走した時は、ここまで徹底した追撃はなかった。精々、国境付近の哨戒部隊が追いかけてくる程度だったはずだ。……だが、お前たちの時は違う。中隊規模の正規兵を差し向け、迷いなく抹殺しようとしてきた。お前たちは、一体何を帝国から持ち出したんだ?」
少女は一瞬怯えたように肩を震わせたが、すぐに意を決したようにカバンの中にあるデータチップを握りしめた。
「……私たちも、詳しくは分からないんです」
彼女は震える声で続けた。
「ただ、私たちが配属されていた『第7隔離区画』では、ここ数ヶ月で異常な事態が起きていたんです。脱走者が増えるたびに、帝国軍はそれまで以上に執拗に、かつ暴力的な手段で私たちを処理するようになりました。……そして、私たちの部隊が逃げ出す直前、上官たちが口にしていたんです。『完成した』と」
デュークが腕を組み、静かに問いかける。
「何が完成したんだ?」
「……『兵器の枷』です。私たちはこれまで、帝国に逆らえないように脳内にナノチップを埋め込まれていました。でも、それだけじゃ足りないからと、彼らは新しいプログラムを開発していました。自分たちの意志すら持てなくなり、ただ敵を排除するだけの『自律型戦闘機械』……。私たちは、その実験がこれから本格的に運用されるという情報を耳にして、逃げ出すしかなかったんです」
スキャベルは眉間に深い皺を刻み、忌々しそうに拳を壁に叩きつけた。
「……なるほどな。俺たちが逃げ出した時、帝国はまだ『駒』の性能に満足していた。だが、今や帝国は俺たちのような個体すら不要になり、完全に制御可能な『人形』に変えようとしているわけか」
デュークの表情には、怒りを超えた静かな決意が宿っていた。
帝国が求めているのは、もはや軍人ですらない。ただの命令遂行マシンだ。そんな国が平和を掲げ、周辺諸国を威圧していること自体、世界の歪みそのものだった。
「彼女たちを追ったのは、単なる脱走兵の処理じゃない」
デュークは少女たちを見つめ、確信を持って言い放った。
「実験の失敗作を処分し、情報の流出を防ぐための隠蔽工作だ。……帝国は、自分たちが手を汚している最中の『証拠』を必死に消そうとしているんだ」
少女たちは黙ってうなずいた。彼女たちの逃亡は、帝国という巨大な氷山が抱える、最も冷たく暗い秘密を暴くための最初の一歩だった。
スキャベルはため息をつき、愛機ケルベロスの装甲を乱暴に叩いた。
「……厄介なモンを拾っちまったな。だが、帝国がそこまで躍起になって隠したい秘密なら……俺たちが徹底的に白日の下に晒してやるのも、悪くねぇだろ?」
デュークはうなずき、新たな戦いの準備を整えるべく、他の12名へと視線を向けた。
『エコー・オブ・レガシー』の火は、もはや単なる復讐の炎ではなく、帝国の闇を焼き払うための確かな「松明」へと変わろうとしていた。
ヴェリディア共和国軍の作戦室。
少女たちが持ち帰ったデータチップの解析結果は、戦慄すべき内容だった。人体実験の記録、そして「兵器の枷」を強制するシステム――。
報告を受けたマリア中佐は、デスクの上に置かれたモニターを睨みつけ、深い溜息をついた。
「……帝国も、いよいよ人間の尊厳を捨てるつもりね。子供たちを、意思のない『鉄の人形』に変えるなんて」
部屋の隅には、救出された少女たちがいた。彼女たちは、かつてのデュークたちが見せたのと同じ、あるいはそれ以上の悲壮な決意を宿した眼差しで、中佐を見つめていた。
「中佐。私たちを、戦場に戻してください」
少女の声は震えていなかった。
「あの子たちが、まだあそこで待っているんです。私たちが逃げ出したことで、次はもっと酷い目に遭わされるかもしれない……。だから、今度は私たちが、あの子たちを連れ戻す側に回りたいんです」
マリアは椅子から立ち上がり、彼女たちの真っ直ぐな視線を一通り見渡してから、デュークへと視線を移した。
「……デューク。あんたたちの部隊は、すでに過酷な任務の連続よ。これ以上、重荷を背負う必要はないはずよ」
「彼女たちは、俺たちと同じ道を歩むことを選んだんです」
デュークは静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「帝国がやろうとしていることを知って、ただ黙って見過ごすことは、俺たち『エコー・オブ・レガシー』の矜持が許さない。彼女たちを戦力としてカウントし、俺たちの部隊に配置してください」
マリアは眉間に深い皺を刻んだ。彼女にとって、それは軍事的な戦力増強という意味以上に、子供たちを再び「戦火の渦」へ放り込むという、指揮官として最も忌避すべき選択だったからだ。
「……自分たちが地獄を抜けたからといって、他人もその地獄へ引きずり込むことが、あんたたちの言う『守る』ことなの?」
マリアの厳しい問いかけに、デュークは視線を逸らさなかった。
「守るということは、ただ安全な場所に隔離することではありません。……彼女たち自身が、自分たちの尊厳を勝ち取るための場所へ、俺たちが導くことです」
マリアはしばらく沈黙し、窓の外を眺めた。ヴェリディアの平和な空が、今はどこか遠いもののように感じられた。
彼女は結局、忌々しそうに書類にサインをし、それを机に叩きつけた。
「配置を認める。……ただし条件があるわ。彼女たちを『兵器』として使うことは絶対に許さない。……あんたたち、これ以上、失うものを増やさないで頂戴。それが、中佐としての私の唯一の条件よ」
「……了解」
デュークたちは深く敬礼した。
こうして、かつて追われる側だった少女たちは、皮肉にも帝国を倒すための『エコー・オブ・レガシー』の新たな隊員として組み込まれることになった。
マリア中佐は、立ち去る彼らの背中を見送りながら、小さく独り言をこぼした。
「……本当に、救いようのない連中ね。……勝ちなさいよ。生き延びて、あの子たちを人間として連れ帰ってきなさい」
アルカディア帝国の実験施設から保護された5人の少女たち。彼女たちは帝国時代、名前ではなく管理番号で呼ばれていた。
彼女たちが「エコー・オブ・レガシー」の一員として新たな人生を歩むにあたり、デュークたちは彼女たちに、かつての自分たちのような「冷徹な兵器の名前」ではなく、柔らかく、春の陽だまりのような名前を贈ることにする。
ヴェリディア共和国の格納庫には、かつてないほど緊張した空気が流れていた。
整然と並ぶ13機の愛機たちの傍らに、真っ白な装甲を纏った5機の最新鋭機『ヴァルキリー・フレーム』が静かに鎮座している。
デュークは少女たちを呼び寄せると、マリア中佐から渡された支給品リストではなく、自分たちで用意した「小さなプレート」を一枚ずつ手渡した。
「帝国が付けた番号なんて、今日で終わりだ。……お前たちは今日から、一人の人間としてこの部隊で生きる。自分たちで名付けろ。何が良い?」
少女たちは震える手でプレートを受け取る。彼女たちの瞳には、兵器として生きてきた過去への決別と、これから手にする未来への戸惑いと希望が入り混じっていた。
一番年上の少女が、以前、帝国の壁の向こうにわずかに見えた花を思い出しながら、小さく呟く。
「……サクラ。春に咲く、あの花のような名前がいいです」
その言葉をきっかけに、残りの少女たちも迷いながらも、自分たちの心に浮かんだ名前を口にした。
「……私は、カトレア。気高いって意味があるって、本で読んだから」
「じゃあ、私はアイリスにする。……強くなれる気がするから」
「……ルナがいい。夜空の月のように、暗闇を照らす光になりたいから」
「……ミナ。……みんなと、一緒にいたいから」
デュークはその名前を一つずつ復唱し、力強く頷いた。
「いい名前だ。今日からお前たちは、その名前で呼ばれる。……サクラ、カトレア、アイリス、ルナ、ミナ。……『エコー・オブ・レガシー』の新メンバーだ」
スキャベルが最新鋭機のハッチを叩き、少しぶっきらぼうに笑う。
「聞いたか? ……名前があるってことは、死に様じゃなくて『生き様』を選べるってことだ。その機体、大事に乗れよ。最新式だからって調子に乗ってると、俺のケルベロスに置いていくぞ」
アイもまた、少女たちの傍らに寄り添い、優しく微笑む。
「機体の調整は私たちが手伝うわ。……困ったことがあったら、いつでも言って。私たちはもう、一人じゃないから」
カイルが戦術モニターに新しい18名の名前を登録していく。
サクラ、カトレア、アイリス、ルナ、ミナ。
少女たちは、自分の名前が記された最新鋭機のコクピットを見上げ、生まれて初めて「自分自身の意志」でそのハッチへと足を踏み入れた。
デュークは自分の愛機『ヴィフレスト』のレバーを強く握り直す。
かつての戦友たちから受け継いだ火は、今、新しい風を受けてさらに強く燃え上がった。
格納庫に並ぶ18機の機体は、どれも異様な威圧感を放っていた。
デュークたちの古びた機体は、幾多の戦火を潜り抜けた傷跡を「歴戦の勲章」として刻み、そこに最新の兵装が違和感なくマウントされている。対して、サクラたちの『ヴァルキリー・フレーム』は、真っ白な装甲に六脚の駆動系が精密に組み込まれ、まるで神話に登場する守護獣のような洗練された美しさを纏っていた。
サクラが『ヴァルキリー・サクラ』の六脚を大地に突き刺し、腰の武装マウントをチェックする。
「……六本の足で地面を掴む感覚、自分の体の一部みたいです。これなら、どんな悪路でも絶対に倒れない」
カトレアが肩の武装を起動させ、アイリスが腰の武装ユニットをパージして再接続する。彼女たちは、まだぎこちないながらも、この「多脚機」という新しい肉体を着実に自分のものにしていった。
デュークは自身の機体の四肢を動かし、スキャベルの『ケルベロス』が六脚を安定させて重粒子砲を構える様子を確認する。
「いいか、サクラ、カトレア、アイリス、ルナ、ミナ。お前たちの機体は、機動力と安定性が売りだ。俺たちの『重い』戦いとは違う。……戦場を縦横無尽に駆け巡り、俺たちの影から敵を撃ち抜け」
「了解です! ……でも、デュークさん」
サクラが通信越しに、少しだけ笑った。
「私たちの足、何本あっても足りないくらい、どこまでも走っていきますから。……見ていてください!」
スキャベルが愛機を動かし、六脚が金属音を立てて大地を噛む。
「威勢がいいな。……だが、無茶はするなよ。お前たちがコケたら、俺たちが踏んづけて進むからな」
その軽口に、部隊全員の緊張が少しだけ解けた。
カイルが戦術回線を全機に同期させる。
「全機、リンク完了。……帝国領内第9地下工廠まで、最短ルートを算出。……行くぞ、エコー・オブ・レガシー!」
18機の多脚機が、一斉に駆動音を響かせる。
6本の足が地面を強く蹴り、砂煙を巻き上げて加速していくその姿は、かつて亡命者として追われた彼らが、今度は「狩る側」として故郷へ帰還する、静かなる復讐の進軍だった。
帝国の境界線へと続く、果てしない荒野。
18機の多脚機が上げる走行音が、乾いた大地に重低音の轍を刻んでいく。その行軍の中で、デュークはふと、自分たちがこの地を逃げ出した時のことを思い出していた。
当時は逃げるあてもなくただただ西を目指していた。背後からは帝国の追っ手、前には死地のようなニヴルヘイムとの国境。あの頃の自分たちは、ただ「生きたい」というだけの、飢えた獣のような存在だった。
「……随分と遠くまで来たな」
スキャベルが通信でそう呟くと、六脚の駆動音がリズムを刻みながら答える。
サクラ、カトレア、アイリス、ルナ、ミナの5機は、デュークたちの周囲を固めるように編隊を組んでいる。その繊細な足さばきを見て、スキャベルはどこか懐かしげに口を開いた。
「おい、サクラたち。帝国を出る時、俺たちがどんな風に噂されていたか知ってるか?」
サクラが少しだけ躊躇いながら答える。
「……はい。矯正部隊の教官からは、『あの13名は戦場から逃げ出した愚か者だ』と聞かされました。誇りも持たず、祖国を捨てて敵国に媚びを売った、卑怯な亡命者……だと」
「はっ、笑わせるぜ」
スキャベルは鼻で笑った。
「軍に配属された時、俺たちの戦績を聞いてお前らもそう思ったんだろ? だけど、この前の荒野で、あの中隊をねじ伏せる俺たちを見てどう思った?」
スキャベルは、当時のデューク率いる「大隊」がいかにして全滅に近い消耗を強いられ、それでも仲間を守るために牙を剥き続けたのかを、淡々と、しかし熱を込めて語り始めた。かつてワイズやエリオットが、いかにして理不尽な命令を拒み、命を削って「守るための戦い」を貫いたのか。
「俺たちが逃げたのは、戦うことからじゃない。……『ただの消耗品』として使い潰される運命からだ。最後まで抗い、最後まで誰かのために生きた証拠が、今の俺たちの戦い方だ」
少女たちは黙って聞いていた。
かつて帝国で教え込まれた「デュークたちは逃亡した臆病者」という刷り込みは、あの荒野で目の当たりにした圧倒的な光景によって、すでに瓦解していた。
「……最初は、本当にそう思っていました」
アイリスが少し震える声で告げる。
「でも、違いました。……助けてくれた時、皆さんの背中を見たんです。帝国が言っていたような『逃亡者の卑怯な影』じゃなくて、誰かを守るために、あんなに美しく戦う人たちの背中を」
サクラも続く。
「私たちは教えられていたんです。デュークさんたちは『死ぬべき存在』で、見つけたらすぐに抹殺しなければならない、欠陥品だと。……でも、今日ようやく分かりました。皆さんは、私たちに『未来』を教えてくれた人たちなんです」
デュークはその言葉を聞きながら、愛機『ヴィフレスト』の六脚で地面を強く蹴った。
かつての「逃亡者」という汚名は、今や帝国を震え上がらせる「エコー・オブ・レガシー」という誇りに変わった。
「……愚か者か」
デュークは静かに言った。
「俺たちが走ってきたこの長い道のりは、誰かの背中を守り、誰かに火を灯すためのものだったんだからな」
18機の鉄の獣は、夕暮れに染まる帝国領の地平線へと向かう。
帝国の境界線が近づくにつれ、緊張感が高まるはずの行軍だった。
その時、沈黙を破ってマリア中佐からの通信が割り込んできた。
通信越しに響く中佐の声は、いつもの凛とした響きとは裏腹に、明らかに動揺し、焦燥に駆られていた。
『――デューク! ……聞こえるか!』
「中佐? どうしたんですか、そんなに声を荒らげて」
デュークが訝しげに問い返すと、通信の向こうでマリアが深く、乱暴に息を吐く音が聞こえた。
『……肝心なことを、伝えるのを忘れていたわ! 第9地下工廠の内部構造図と、自律兵器の起動プロセスを停止させるためのコード……それを、あんたたちに渡すのを完全に失念していたのよ!』
……その瞬間、デュークのコックピットに沈黙が走った。
「…………え?」
隣を走っていたスキャベルのケルベロスが、不自然な足並みでガクンと揺れた。
「おい、冗談だろ……? 今から突入するっていうのに、攻略の肝を抜きで俺たちは何をしに行くつもりだったんだ?」
デュークは呆然とモニターを見つめる。帝国への復讐心に燃え、熱く語り合いながら進んできたが、肝心の作戦内容については、誰一人として疑問を抱いていなかった。
すると、アイが呆れ返ったような声で通信回線に入ってきた。
『……はぁ。デューク、スキャベル。あなたたちねぇ。熱くなっているのもいいけれど、もう少し冷静になりなさいよ。私だっててっきり、二人がすでに把握しているものだとばかり……』
『ぼ、僕もです!』とカイルが慌てて続く。
『僕も完全に忘れてました……いや、マリア中佐がしっかり手配してくれているものだと信じ込んでいて……』
その言葉に、他の隊員たちからも次々と「俺も忘れてた」「いや、俺もだ」という間の抜けた声が上がった。
あんなに切迫した雰囲気で語り合い、シリアスに未来を背負っていたはずの部隊が、全員揃って「目的地への行き方」を忘れていたという事実に気づいたのだ。
マリアの必死な怒鳴り声が、再び響く。
『あんたたちねぇ! ……もういいわ、今からデータを転送するから、ちゃんと受信しなさい! ……本当に、あんたたちという連中は……』
中佐の必死さと、自分たちのあまりの杜撰さに、デュークは思わず声を上げて笑ってしまった。
「……すまん、中佐。どうやら俺たちは、帝国の闇を焼く前に、自分たちの頭を冷やす必要があったみたいだ」
スキャベルもケルベロスのカメラを空に向け、肩を震わせる。
「いや、参ったな。サクラたちにカッコいいところを見せようと思ってたのによ。……おい、お前ら。笑っていいぞ」
緊張の糸が完全に解け、格納庫のような無機質な空気が、まるで家族が談笑するような穏やかな雰囲気に包まれる。
サクラや他の少女たちも、モニター越しに呆れつつも、どこか安心したようにクスリと笑った。
「デュークさんたちも、意外と普通の人なんですね」
サクラの言葉に、部隊全員の笑い声が通信回線を埋め尽くす。
「ああ、普通さ。だからこそ、その普通を守るために戦うんだ」
デュークは改めて送られてきた作戦データを確認し、レバーを握り直す。
先ほどまでの刺々しい復讐の行軍は、どこか温かい、連帯感に満ちたものに変わっていた。
夜の帳が完全に下り、帝国領内の工廠付近は深い闇に包まれていた。18機の機体が、六脚を静かに地面に沈めながら、音もなく忍び寄る。
工廠のレーダー網を回避し、最深部へと肉薄する絶好のタイミングだった。
デュークが愛機『ヴィフレスト』の通信回路を全機に繋ぐ。
静寂の中、彼の低い声が響いた。
「――『エコー・オブ・レガシー』」
その言葉と同時に、スキャベル以下、かつてから共に戦ってきた12名が、間髪入れずに声を揃える。
「「――明日のために、火を灯せ!」」
一糸乱れぬ復唱。それは彼らが絶望的な逃亡生活の中で、自分たちが何者であるかを忘れないために交わしてきた、何よりも大切な誓いの言葉だった。
その直後、サクラたちの回線から、戸惑いに満ちた声が漏れる。
「……明日のために、火を灯せ? なんのことですか?」
「それは、散っていったワイズや、あの時名前さえ呼べなかった仲間たちの、果たせなかった「明日への願い」そのものなんだ。」
スキャベルが少し沈黙し、コックピットで小さく笑った。
「……まったくだ。俺たちは、自分たちだけで生きているような気になっていた。だが、あの合言葉は、俺たちの命の中に残された、あいつらの『生きたかった証』でもあるわけだ」
デュークもまた、愛機『ヴィフレスト』の六脚を強く大地に踏みしめ、深く、深く頷いた。
「俺たちは、ただ生き残っただけじゃない。あいつらの夢や、意志を一緒に運んでいるんだ。その火を消すわけにはいかないな」
サクラたちは、その言葉を聞いて、デュークたちが纏っている最新鋭の装甲が、決してただの鉄の塊ではなく、多くの人々の重たい記憶を背負っていることを肌で感じ取っていた。
デュークがもう一度、静かに、しかし部隊全員の心に届くように言葉を紡ぐ。
「……『エコー・オブ・レガシー』。明日のために、火を灯す。……あいつらの分まで、俺たちが明日を照らしてやるぞ」
その声には、以前よりもずっと重く、そして温かい決意が満ちていた。
もう、迷いはない。
散っていった仲間たちの誇りと、これから救い出す子供たちの未来。その全てを火種にして、デュークたちは闇に覆われた工廠へと、その六脚を力強く踏み出していく。
狙撃地点から、ブリザード・アイは工廠の全景をスコープ越しに捉えていた。
かつて自分たちがいた頃の工廠は、常に熱気と喧騒に満ちていた。機体の駆動音、整備兵の怒号、コンテナがぶつかり合う物流の音。絶え間ない作業の気配が、そこには確かにあったはずだ。
だが、今の視界に映る工廠は、あまりにも静かだった。
ライトは煌々と灯り、まるで何事もなかったかのように施設は整っている。しかし、そこには「生きた機械」の気配がまるでない。物音ひとつしないその光景に、アイの背筋に冷たいものが走った。
『……デューク、こちらアイ。嫌な予感がする』
アイの声は冷静だったが、いつになく鋭い響きを含んでいた。
『工廠内が不気味すぎる。警備の哨戒機も、見張りも、整備兵の影すらない。まるで……最初から、獲物を待ち構える罠の中に自分たちから歩み寄っているような……。全機、警戒態勢を最大まで引き上げなさい。常時、いつでも応戦できるよう回路を直結しておいて』
「了解だ、アイ。全員、聞いたな。油断するな」
デュークの合図と共に、18機の六脚機が工廠のメインハングルのゲートを強行突破した。
重い金属音が静寂の工廠に響き渡るが、応戦する敵の姿はない。ただ、広い空間に自分たちの足音だけが空虚に響く。
デュークたちは慎重に、しかし力強く奥へと進んだ。
通路の両脇には、兵士たちのための宿舎が並んでいる。その扉の一つ一つを、デュークたちは射撃体勢を維持したまま通り過ぎていく。
内部は、帝国軍の管理下にあるはずなのに、まるで時間が止まったかのような静寂に支配されていた。寝台は乱れることもなく、床には塵一つ落ちていない。かつての自分たちのような、子供たちの生活の痕跡を探そうとするが、そこにあるのはただ冷たい消毒液の匂いと、無機質な壁だけだった。
「見張りがいない……。これほど大きな施設で、迎撃の一つもしてこないなんて」
スキャベルがケルベロスのセンサーで周囲を走査するが、反応は皆無だ。
その「無反応」こそが、何よりも不気味だった。
「……罠か、それとも最初から空っぽなのか。どちらにせよ、獲物が奥で待ち構えていることだけは間違いなさそうだ」
デュークが愛機の武装を肩にマウントし、最深部へと通じる通路を見据えた。
18機の六脚が、金属の床を正確に踏みしめていく。工廠の静寂は、今にも引き裂かれそうなほど張り詰めていた。その先に待ち受けるのが「救うべき子供たち」なのか、それとも「完成された殺戮機械」なのか。
彼らは、静寂という名の毒が充満する工廠の深淵へと、足を踏み入れていく。
ハンガーの最奥、巨大な保管庫へ通じる扉を開けた瞬間、照明が一斉に赤く点滅した。
そこには、何十体もの最新鋭機が整然と並んでいた。しかし、その機体にはメンテナンスの跡はなく、装甲の継ぎ目からは無機質なケーブルがパイロットの座席へと直結されていた。
突如、沈黙を破って機体が起動する。人型に近い多脚の怪物たちが、まるで糸に操られる人形のようなぎこちない動きでデュークたちに襲いかかってきた。
「敵だ! 配置につけ!」
スキャベルが叫び、迷わずケルベロスの重粒子砲をチャージする。
「動くな、ゴミクズども! ……一気に粉砕してやる!」
「やめてください!!」
サクラたちの悲鳴のような絶叫が通信回線を突き抜けた。
『ヴァルキリー・サクラ』が、猛然と加速するスキャベルのケルベロスの前に立ちはだかり、その銃口を手で抑え込む。
「スキャベルさん、撃たないで! ……あれは、私たちと同じ……あそこで実験を受けていた、あの子たちなんです!」
その言葉に、デュークは息を呑んだ。
よく見れば、襲いかかってくる機体群のコクピットハッチは、あえて半開きのまま固定され、内部のパイロットの四肢は硬質なケーブルで拘束されていた。彼らは戦っているのではない。強制的に「プログラム」を流し込まれ、脳を直接回路として利用されているのだ。
「……兵器の枷、か」
デュークの声が、冷たく震えた。
目の前にいるのは、敵兵ではない。かつてアルカディアで同じ夢を見、同じ空腹に耐えたはずの、後代の少年少女たちだ。彼らは機体を操縦しているのではなく、機体そのものの一部――生体パーツとして組み込まれていた。
「……私たちは、ここから逃げ出したからいい。でも、残されたあの子たちは……」
カトレアの機体が、襲いかかってくる後代の機体に抱きつくようにして動きを止めた。機体越しに聞こえるのは、プログラムによる駆動音の中に混じる、パイロットたちの微かなうめき声だ。
遊撃部隊の面々は戦慄した。
自分たちが帝国に対して抱いていた怒りは、単なる軍事的な憎悪ではなかった。こんな非人道的な「実験」を日常として行っている帝国という組織の、根本的な腐敗に対する嫌悪感。
「……救うどころか、俺たちはこの子たちを殺さなきゃならないのか」
スキャベルが拳を強く握りしめ、銃口を下ろす。
戦場における最強の戦士たちが、初めて「引き金を引くこと」を拒絶し、立ち尽くした。
「デューク……どうするんだ。撃てば彼らは死ぬ。だが、このままでは……」
デュークは『ヴィフレスト』の六脚で、硬いコンクリートの床を噛み締めた。
彼らの目の前にいるのは、救うべき未来ではなく、帝国の罪の結晶だった。しかし、それでもデュークの眼差しには、決して諦めない炎が灯っている。
「……機体から引き剥がす。……全員、武装は『非殺傷モード』に切り替えろ。彼らの脳を、プログラムを、俺たちの手で解放する!」
「無茶だ! ……そんなことをすれば、こちらの隙だらけになる!」
「関係ない。……俺たちは、あの子たちを『連れ戻す』ためにここに来たんだ」
エコー・オブ・レガシーの18機が、帝国による最悪の拷問を止めるため、盾となり、かつてない過酷な「救出戦」へと身を投じた。
「カイル、無茶をするな! ……その機動力、機体のフレームが持たないぞ!」
デュークの警告を、カイルは聞き流した。彼の機体『ヴァルキリー・カイル』が、まるでダンスを踊るかのように六脚を躍動させる。
工廠の壁面を垂直に駆け上がり、重力を無視した軌道で敵の懐へ飛び込む。襲いかかってくる後代の『ヴィフレスト』は、帝国が最適化した戦闘プログラムによって、人間には不可能なレベルの回避機動を繰り返していた。しかし、カイルはその「予測」を上回っていた。
「……計算は終わっています。彼らの動きは『効率的』すぎる。だからこそ、次は読みやすい!」
カイルは機体の腰部マウントから、あらかじめ高熱処理を施した小型の特殊ナイフを引き抜いた。
接近戦用ではない。本来は機体整備や回路修復に使うための、精密で鋭利な刃だ。
敵機がゼロ距離で放つ回転回避を、カイルはわずか数センチの差で紙一重にかわす。六脚が火花を散らして床面を掴み、そのまま背後に回り込むと、流れるような動作で敵機の背面に露出した「生体接続ケーブル」を一閃した。
シュッ、と微かな音が響き、ケーブルが切断される。
直後、暴れていた敵機の動きがピタリと止まり、その場に崩れ落ちた。パイロットの少年が、コクピットの中で意識を失うのがモニター越しに見える。
一人、また一人。
カイルは、相手に致命傷を与えず、ただ「接続」を断つことだけに特化した非人道的なまでの精密操作を続けていた。
「……あいつ、本当にあのカイルか?」
スキャベルはケルベロスのメインカメラでその光景を追っていたが、思わず言葉を失った。重粒子砲を構える手すら止まっている。
「あんな芸当、まともな神経じゃできねぇ。一歩間違えれば、ケーブルと一緒にパイロットの神経まで焼き切るぞ……。あいつ、いつの間に……」
デュークもまた、『ヴィフレスト』の中で呆然と目を見開いていた。
彼らにとって、カイルはあくまで後方支援と索敵の要だった。だが今、目の前で行われているのは、戦場における最も繊細で、最も恐ろしい「外科手術」だ。
「……俺たちが戦い方を見失っている間に、あいつは、あの子たちを救うための『技術』を磨いていたのか」
カイルの機体が、加速の衝撃で軋み音を上げる。六脚が高速回転し、限界を超えた負荷をフレームにかけているのが分かる。
それでもカイルは止まらない。敵の攻撃の軌道をすべて読み切り、その隙間にナイフを差し込み続ける。
「一人残らず……全員、助け出します。……それが、エコー・オブ・レガシーの戦いですから!」
カイルの狂気にも近い精密な躍動に、工廠の闇が切り裂かれていく。
デュークとスキャベルは、互いに顔を見合わせ、すぐさまその「背中」を守るために前へと踏み出した。彼らは、仲間の驚異的な覚悟に触れ、再び自分たちの進むべき道を確信した。
「カイルが道を切り開いた! 皆、続け! 奴らを止めるぞ!」
デュークの咆哮と共に、エコー・オブ・レガシーの全機が動き出した。
六脚の機動力を活かし、敵の装甲が薄い関節部を的確に叩く。強烈な衝撃で一時的に回路をフリーズさせ、その隙にケーブルを断ち切る。凄まじい連携だった。戦場はもはや破壊の場ではなく、救出のためのオペ室と化していた。
だが、帝国の工廠はそこまで甘くなかった。
重厚なゲートを突き破り、制式採用された最新鋭機――帝国の本隊がなだれ込んできた。被検体である子供たちと、血も涙もない帝国軍の増援。挟み撃ちの状況に、部隊の空気が一変する。
「増援だと!? ……クソッ、数が多い!」
スキャベルがケルベロスの重粒子砲を乱射し、迫りくる敵機をなぎ払うが、次から次へと増援が現れる。30機の被検体に加え、さらに20機の精鋭部隊。圧倒的な数の暴力が、デュークたちをじりじりと追い詰めていった。
激しい砲火の中、一機の機体が孤立した。
部隊の中でも特に優しく、いつも周囲を気遣っていた――バルドの機体だ。
「バルド、戻れ! 左翼から回り込まれるぞ!」
デュークの声が飛ぶより早く、バルドの機体は、背後から被検体の一体を庇おうとしていた。直撃を避けるため、盾のように立ち塞がった彼の機体に、帝国軍の集中砲火が容赦なく降り注ぐ。
「……バルドォォッ!」
隊員の悲痛な叫びが通信に響いた。
バルドの機体は、全身から火花を散らし、六脚が一本ずつ無惨に折れ曲がっていく。最後の力を振り絞り、彼は自分を狙った敵機の進路をブロックし、仲間たちに叫んだ。
「……行けッ! ここは俺が……灯し続ける!」
轟音と共にバルドの機体が大爆発を起こし、闇を真っ赤に染め上げた。
通信から彼のノイズが消えた。13機あった「家族」が、一つ欠けた。
「……バルド……嘘だろ……」
スキャベルの声が震える。目の前で仲間を失った衝撃が、戦場に一瞬の静寂をもたらした。サクラたち5人は、何が起きたのかを理解し、その凄惨な現実に震え上がる。
デュークの顔から血の気が引く。しかし、彼の瞳に宿る炎は消えなかった。
仲間が命をかけて守り抜こうとした「明日」を、ここで潰させるわけにはいかない。
「……バルドは、俺たちに道を残してくれたんだ。……泣くな、叫ぶな。奴らを一人残らず片付けて、あの子たちを連れて帰るぞ!」
デュークの叫びは、悲しみを超えた狂気じみた決意に満ちていた。
バルドの機体が燃え盛る中、エコー・オブ・レガシーは、かつてないほどの激憤を込めて帝国軍に牙を剥いた。それは、復讐ではなく、彼らが失った絆の重みを刻み込む、あまりに切ない反撃の始まりだった。
工廠の奥深くでは、地獄のような光景が続いていた。
バルドを失った衝撃も冷めやらぬまま、押し寄せる帝国軍の増援と、自我を奪われた被検体たちの猛攻。デュークたちの機体はどれも満身創痍で、六脚の駆動系は悲鳴を上げ、残弾アラートがコックピットに鳴り響いている。
「クソッ……! 終わりが見えねぇぞ!」
スキャベルの叫びも、もはや掠れていた。
その乱戦の中、ついにさらなる犠牲が生まれる。
被検体の一機を無理に無力化しようとしたユーリの機体が、横から突っ込んできた帝国軍正規兵のランスに貫かれた。
「……悪い、隊長。あとは……頼……」
通信が途絶える。
さらに、彼を助けようと飛び出したテオの機体も、集中砲火を浴びて沈黙した。
「まだだ……まだ、火を……消すわけには……」
テオの最期の声は、爆炎の中に消えていった。
13機いた「家族」が、バルド、ユーリ、テオの3人を失い、ついに10機にまで減っていた。
デュークの意識は、疲労と絶望で朦朧としていた。サクラたち5人を守り、子供たちを救い、そして仲間を失う。その精神的な負荷は、すでに限界をとうに超えていた。
一方、ヴェリディア共和国の司令部。
作戦終了予定時刻を30分過ぎても、デュークたちからの定期連絡は一切なかった。
「……遅すぎる。どういうことなの?」
マリア中佐は、通信士の肩を掴まんばかりに身を乗り出していた。
モニターにはノイズだけが走り、戦域からの信号は途絶えたままだ。
「中佐、磁気嵐の影響かもしれませんが……それにしても反応がありません。ロストした可能性も……」
「馬鹿なこと言わないで! あの連中が、あんなところで終わるはずがないわ!」
マリアは叫んだが、その拳は震えていた。
無理な作戦だったのかもしれない。救出を優先させ、攻撃を制限させた自分の判断が、彼らを追い詰めているのではないか。焦燥感と罪悪感が、彼女の心を支配しようとしたその時。
マリアは震える声で、待機していた全軍に通信を入れた。
「……予定変更よ! 予備役、第2、第3強襲大隊、全機発進! 救援に向かうわ! デュークたちを……一人たりとも、あんな暗闇に置き去りにはさせない!」
工廠のゲートが、外側から巨大な爆発と共に吹き飛ばされた。
絶望の中にいたデュークの視界に、眩いばかりの照明弾の光が飛び込む。
そして、聞き慣れた共和国軍の重厚なエンジン音。
『こちらヴェリディア救助大隊! ――デューク、遅くなって悪かったわね!』
マリア中佐の声が、戦場に響き渡った。
空を埋め尽くす共和国の支援部隊が、一斉に帝国軍の増援へと牙を剥く。
「……中佐……」
デュークは、震える手でレバーを握り直した。
失った仲間たちの名前が、脳裏を駆け巡る。バルド、ユーリ、テオ。彼らが守ろうとした「火」は、今、共和国の援軍という巨大な炎となって、帝国の闇を照らし始めた。
「全機……耐えろ。……火を、絶やすな……!」
ボロボロになった15機(生き残った10機+少女5機)の六脚機は、援軍の光の中で、最後の大逆転へと動き出した。
共和国の救援大隊による凄まじい面制圧が、工廠を埋め尽くしていた帝国軍を強引に押し戻した。圧倒的な物量と火力の前に帝国軍は撤退を余儀なくされ、ボロボロになった15機の多脚機は、這いずるようにして救助艦へと収容された。
しかし、共和国へと帰還した彼らを待っていたのは、勝利の凱歌ではなく、凍り付いたような沈黙だった。
喪失の対価
基地の格納庫に降り立ったデュークたちは、コクピットから出る力さえ残っていなかった。
今回の代償は、あまりにも大きすぎた。
• 仲間の死: 共に地獄を生き抜いてきたバルド、ユーリ、テオの3名が戦死。
• 救えなかった命: カイルが必死にケーブルを切断し、一時的に無力化した被検体の子供たちも、激しい混戦と工廠の崩壊に巻き込まれ、その多くを救い出すことができなかった。
サクラたち5人の少女は、自分たちの「後輩」にあたる子供たちが炎に包まれる光景を目の当たりにし、ただ膝をついて慟哭していた。
作戦後、医務室で強制的に受けさせられたバイタルチェックの結果は、残酷な現実を突きつけた。
限界を超えた神経接続、仲間の死による精神的負荷、そして最新鋭機との死闘――。それらは、ナノマシンに蝕まれた彼らの寿命を、無慈悲に削り取っていた。
「了解、ハンドラー」
敵国ニヴルヘイムは極寒の地であるが故に熱を欲している。だから体温を持つ人間を襲い、その熱源となるものをパーツとして取り込むのだ。
我ら、アルカディア帝国アルバトロス西方方面軍独立機動部隊第一大隊オルトロスは同じく、第二大隊ケルベロス、第三大隊フェンリルと共に威風を助けるため進撃を開始する。
「アイアン・デュークより戦隊各位、地点一〇八にて第一大隊は接敵する。第二大隊、第三大隊狙撃部隊、弾頭ロケット部隊は援護を頼む。第二大隊の指揮をコールド・スキャベル。第三大隊の指揮をブリザード・アイに任せる」
「了解」
「......」
敵戦力百万に対しこちらは百五十にも満たない。少々分が悪いか。
「アイアン・デューク、応援はまだか...! 」
「アイアン・デュークより威風、今そちらに向かっている。もう少しだけ持ちこたえてくれ」
「......了解。だが五分が限界だ。急いでくれ」
声とその後ろから聞こえる現地の砲撃音、戦隊の声からしてかなり押されてるようだ。
「アイアン・デュークより戦隊各位、ギアスリーからギアシックスに変更」
「おい! そんなことしたら機体の足がぶっ壊れちまうぞ! ただでさえボロボロな機体なのに! 」
「構わない、ぶっ壊れても進めるところまで進め」
俺たちが乗っている機体、ヴィフレスト。燃料の代わりに寿命を消費して稼働する。だから、この機体に乗るのは俺たち十代の子供たち。なぜなら大人よりも寿命が残っているから。
機体の駆動系が悲鳴を上げる。ギアシックス。リミッターを解除したヴィフレストのコックピット内には、不気味なほど甘い香りの冷却ガスが充満し始めた。これは、搭乗者の生命力を無理やり吸い上げ、エネルギーに変換する際の副産物だ。
「……脈動、加速。同調率上昇。耐えてくれ...ヴィフレスト!」
モニター越しに見える雪原の向こう、地点一〇三の空が赤く染まっている。威風が放つ断末魔のような砲声。
そこへ、白銀の闇から「それ」が現れた。
ニヴルヘイムの自律兵器群。カレントリーパー。
彼らは整然とした隊列など組まない。ただ、熱源を求めて這いずる。あるものは壊れた戦車の装甲を無理やり繋ぎ合わせ、あるものは以前殺した兵士の「人工筋肉」を動力源として自身の脚に移植している。機械と肉が、凍てついたオイルで溶接された醜悪なキメラ。
奴らにとって、俺たちの命(熱)は、ただの「乾電池」に過ぎないのだ。
「全機、散開。これより地点一〇三を強制包囲する」
俺の声に応じて、第一大隊オルトロスの機体群が雪を蹴った。
視界の隅に、残寿命を示すカウンターが刻一刻と減っていくのが見える。機体を加速させるたび、視界がわずかに霞み、髪の先が白く変色していく感覚。
五分。威風が持ちこたえられる限界の時間であり、威風が「人間」でいられる時間だ。
「第二大隊、面制圧開始。一発も外すな、その弾丸も俺たちの削り取った時間だと思え」
「了解……死ぬ気で当てるよ、デューク!」
の通信が震えている。恐怖か、あるいは寿命を吸い取られる激痛か。
俺は操縦桿を握り直し、目前に迫る「熱を喰らう怪物」の群れに向けて、ヴィフレストの主砲を固定した。
「アイアン・デュークより各員。視界、最悪。……来るぞ」
雪煙の向こうから、無数の「赤い点」が浮かび上がった。
ニヴルヘイム連邦が放つ自律兵器群。
彼らには洗練された美学などない。あるものは蒸気機関のような巨大なボイラーを背負い、あるものは人間から剥ぎ取った防寒服を関節に巻き付け、油漏れを防いでいる。すべては、この極寒の世界で「熱」を維持するためだけの、醜悪な継ぎ接ぎの怪物だ。
「目標、接敵地点一〇三の敵前衛。全機、撃ち込め」
俺の声と共に、ヴィフレストの右腕にマウントされた高出力電磁加速砲が唸りを上げた。
ドン、と腹の底に響く反動。
それと同時に、身体の芯が急激に冷えていく感覚に襲われる。ヴィフレストが俺の「未来」を、細胞一つ一つの熱量を、燃料として変換した証拠だ。
一射ごとに、俺の寿命が数週間、数ヶ月と削り取られ、砲弾の破壊力へと姿を変える。
「……ッ、はあ、はあ……!」
モニターの中で、先頭のコレクターが爆散した。だが、残った敵機は、破壊された残骸に群がり、そこから漏れ出すわずかな熱エネルギーを吸い取ろうと蠢いている。仲間が死んでも、彼らにとっては「回収すべき資源」が増えたに過ぎない。
『こちら第三大隊、ブリザード・アイ。弾頭ロケット、展開完了。アイアン・デューク、退け』
冷徹な少女の声が通信機を叩く。
俺は即座に機体の姿勢を低くし、雪原を滑るように回避した。
直後、空を切り裂いて飛来した無数のロケット弾が、ニヴルヘイムの群れに突き刺さる。炎が上がる。一瞬の熱狂。だが、その炎ですら、敵機たちは触手を伸ばすようにして自分たちの動力源に取り込もうとしていた。
「指揮管制からアイアン・デューク。敵後方部隊が体制を立て直しました。攻撃に備えてください」
「はっ、やっと前線を破壊したって言うのによ」
キャンドル・ワイズが呆れるように笑う。
地響きと共に雪原が爆ぜ、地中から這い出したのは、鋼鉄と氷が癒着した「ヨトゥン」だった。
その胸部にある巨大な吸引扇が、周囲の空気を猛烈な勢いで吸い込み始める。大気が真空に近い状態まで冷却され、戦場に漂っていた火薬の熱すらも奪われていく。
「……ッ、機体が凍りつく……!」
キャンドル・ワイズの悲鳴に近い通信が飛ぶ。他の隊員も同じように。
ヴィフレストの装甲が、極低温によってガラスのように脆くなっていく。機体は、その致命的な冷却を防ごうと自動で出力を上げ、結果として搭乗者の寿命をさらに激しく喰らい始めた。
「デューク! 俺が奴の喉元を焼く! その隙に撃て!」
「待て、ワイズ! 今の出力で突っ込めばお前は――」
デュークの制止も聞かず、キャンドル・ワイズの機体が白銀の閃光と化した。
彼はギアシックスをさらに超えるオーバードライブを強制起動したのだ。
モニター越しに見える彼の指先が、一瞬で老人のように枯れ、髪は根元から真っ白に染まっていく。
(ああ、あの時……!)
雪原の中、デュークはヴィフレストの操縦桿を強く握り締める。
当時の記憶が走馬灯のように駆け巡る。ワイズが加速する背中。火花を散らしながら、ヨトゥンの装甲へ肉薄する姿。
雪原に降り注ぐ猛吹雪の中で、デュークはふと、通信のノイズの向こうにワイズの声を聞いたような気がした。
「……おい、デューク。またそんな顔して空を見てるのか? 氷の塊を眺めても、明日食うレーションは増えねぇぞ」
あれは、まだ訓練生だった頃の記憶だ。
無口で不器用な自分とは対照的に、ワイズはいつも皮肉屋で、それでいて誰よりも仲間を気に掛ける男だった。配属初日、泥だらけのヴィフレストから降りてきた俺に、ワイズは何も言わず自分の予備のグローブを投げつけてきた。「貸してやる。次は自分で用意しろ」と、わざとらしくそっぽを向いて。
俺たちは、多くの戦場で背中を預け合った。
敵のレーザーがコックピットを掠めるたび、ワイズは「死ぬなよ、交代で死ぬ順番を決めてるんだからな」と笑った。それは、いつか本当に交代で死ななければならない運命を、あいつなりに受け入れた上での精一杯の強がりだったのかもしれない。
楽しい記憶ばかりじゃない。
あいつの機体が大破して、俺が一人で戦域を離脱しなければならなかった日。
あいつが「俺のことはいい、お前が生きろ」と言った日。
その全てが、あいつの背中を見つめる記憶として胸に刻まれている。
そして、今。
目の前に立ちはだかる超大型個体「ヨトゥン」の威圧感。空さえも塗りつぶすような影を前に、部隊は凍りついた。誰もが死を悟り、通信機からは絶望的な悲鳴が溢れていた。
だが、ワイズだけは違った。
『お前が生きていれば、あいつら(仲間たち)も死ななくて済む。……俺の機体ごと撃ち抜け。それが、俺たちが生きてきた証だ』
それは、あいつが最初から決めていた「死に場所」だったんだ。
「見とけよ……ロウソクはな、消える寸前が一番明るいんだよ!」
キャンドルの機体がヨトゥンの吸引口へ特攻し、零距離で全弾を叩き込む。
吸引扇が爆発四散し、一瞬だけ「吸熱の嵐」が止まった。
「……キャンドル、無駄死にじゃないよ。……デューク、見えた。奴の核。扇の奥、三層目の防壁が剥き出しだ」
ブリザード・アイの静かな声が響く。彼女のスコープには、ヨトゥンが吸い込んだ熱を貯蔵する、真っ赤に脈動する熱源核が捉えられていた。
ヨトゥンの防壁が、ワイズの猛突撃によって歪み、その中心部にある赤い核が、まるで喉を鳴らすように剥き出しになる。ワイズはその瞬間のために、自分自身の機体熱を最大まで引き上げ、自らを「道」へと変えたのだ。
「了解した。……コールド・スキャベル、第二大隊。残りの弾丸、すべて俺の射線上に叩き込め。一瞬でいい、敵の機動を止めろ」
「了解……アイアン・デューク。死ぬなよ」
「……死ぬな、か。この機体に乗った時点で、俺たちはとっくにその選択肢を捨ててる」
俺は歯を食いしばり、操縦桿のトリガーガードを跳ね上げた。
視界の端で、キャンドル・ワイズの機体が黒煙を上げ、雪原に沈んでいくのが見える。彼が命を燃やして作り出した、わずか数秒の空白。
「第二大隊、全弾斉射ッ!!」
コールド・スキャベルの号令と共に、残存するすべての火力がヨトゥンの巨体に集中した。弾幕が肉厚な装甲を削り、火花が散る。ヨトゥンはその巨体を揺らし、剥き出しになった核を守ろうと、残った触手のようなマニピュレーターを振り回す。
だが、遅い。
「ヴィフレスト、全生命活動を戦闘出力へ転換(コンバート)。……ギア・セブン」
禁忌の領域。コックピット内の甘い香りが、今度は鼻をつくような焦げ臭い臭気へと変わった。脳が焼けるような熱さが全身を駆け抜け、代わりに指先の感覚が消えていく。モニターに表示された「Estimated Lifespan(推定余命)」の数値が、秒単位で、滝のように流れ落ちて消えていく。
「見えた……!」
ブリザード・アイの指定した座標。爆炎の合間に覗く、毒々しく輝く熱源核。
俺は全身の重みを乗せるように、主砲のトリガーを限界まで引き絞った。
「消えろ、熱を喰らう化け物共が……!!」
ヴィフレストの右腕から放たれた電磁加速弾が、音を置き去りにして大気を切り裂いた。
一直線に伸びた光の筋が、ヨトゥンの三層防壁を紙細工のように貫き、その奥にある核へと到達する。
一瞬の静寂。
次の瞬間、ヨトゥンが貯蔵していた膨大な熱エネルギーが、制御を失って内部から爆発した。
白銀の世界が、皮肉にも彼らが渇望した「熱」によって真っ赤に染まる。
衝撃波が雪を吹き飛ばし、周囲のカレントリーパーたちを次々と蒸発させていった。
「……敵、ヨトゥンの完全沈黙を確認。……周辺の自律兵器群、統制を失い後退していきます」
ブリザード・アイの報告が、遠く、水底から聞こえるような感覚で耳に届く。
俺は荒い呼吸を繰り返しながら、震える手でレバーを戻した。
戦場に静寂が戻る。ヨトゥンの爆発が残した熱気が、急速に極寒の空気にかき消されていく。
ヴィフレストのコックピット内で、俺は自分の手を見た。若々しかった皮膚はわずかに艶を失い、関節の節々が鈍く痛む。
「……各機、ステータス報告。特に『残寿命(ライフ・クロック)』だ」
俺の問いかけに、真っ先に答えたのは第一大隊の一般兵たちだった。
「こちらオルトロス三番機、残寿命三十八年。まだ……まだ戦えます」
「五番機、残り三十五年。機体の駆動系にガタが来てますが、命は無事です」
彼らの声には安堵が混じっている。十代の彼らにとって、三十年という時間はまだ「未来」と呼べる長さだ。だが、最前線でリミッターを外した俺たちの数値は、それとは残酷なまでにかけ離れていた。
「……こちらブリザード・アイ」
第三大隊を指揮する彼女の声は、先ほどよりも一層かすれている。
「後方支援に徹したけれど、ヨトゥンの防壁を貫くための精密演算にリソースを割きすぎた。……残り、九年と四ヶ月。二十年あった貯金(いのち)が、一瞬で半分以下ね」
「俺も似たようなもんだ」
コールド・スキャベルが自嘲気味に笑う。通信越しに、彼が激しく咳き込む音が聞こえた。
「第二大隊の足止め(ホールド)は、文字通り命の削り合いだったからな。……残り、八年。……おいデューク、お前はどうなんだ」
俺は手元のモニターを凝視した。
ヨトゥンの核を撃ち抜くため、ギア・セブンという禁忌に触れた代償。
さっきまで二十年近くあったはずのデジタル数字は、無慈悲に書き換えられている。
「……九年、だ」
その言葉に、通信回線が凍りついた。
他の隊員たちが三十年以上の「生」を謳歌できる可能性がある中で、部隊を率いる三人のリーダーだけが、一気に「老い」の淵へと引きずり込まれたのだ。
「……はは、たった一戦でこれかよ。二十代を拝めるかどうかも怪しくなってきたな」
スキャベルが吐き捨てるように言う。
俺たちはリーダーだ。部下を守り、戦果を出すために、誰よりも先に命を燃料として焚べる。
白く染まった前髪を乱暴にかき上げ、俺は重い操作桿を握り直した。
「全機、帰投する。……死んだワイズの『時間』を無駄にするな。一秒でも長く生き残るのが、俺たちの次の任務だ」
沈みゆく夕日が、寿命を削り取られた少年たちの、白銀の機体を赤黒く照らしていた。
基地のハンガーには、暖房の熱気よりも重苦しい沈黙が満ちていた。
帰還したのは、出撃した時の七割。雪原に散った三十人以上の「時間」は、もう二度と戻らない。
俺はひび割れたコックピットから這い出し、凍りついた地面に降り立った。足元がおぼつかない。たった数十分の戦闘で、俺の体感時間は十年分、強制的に進められてしまったのだから。
損害報告
整備班の報告書を、ブリザード・アイが淡々と読み上げる。彼女の瞳は以前より少しだけ濁り、焦点が合いにくそうだった。
• 第一大隊(オルトロス): 損失12機。
• 第二大隊(ケルベロス): 損失15機。
• 第三大隊(フェンリル): 損失8機。
• 戦死者総員: 35名。
「……ワイズを含めて、35。今回の『収穫』にしては、高すぎたわね」
彼女の言葉に、隣で機体の装甲を蹴ったコールド・スキャベルが顔を歪めた。
「ああ。……しかも、生き残った俺たちの寿命は、もう片手で数えるほどしか残ってねぇ」
ハンガーの隅では、生き残った少年兵たちが自分の機体の整備に取り掛かっていた。
整備といっても、部品の交換ではない。ヴィフレストは搭乗者の細胞とリンクする。彼らは、焼け焦げた座席を拭い、ひん曲がったレバーを愛おしそうに撫でる。それが自分たちの「命の器」だからだ。
俺は、瓦礫の中から回収されたワイズの機体の破片――熱で溶け、飴細工のように固まった通信機の基板――を手に取った。
「スキャベル。……ペンチを貸せ」
「何を作る気だ?」
「決まってるだろ。あいつがいた証拠だ」
俺たちは、戦死した仲間の機体の残骸から、小さな「タグ」を作るのが通例だった。
ニヴルヘイムに奪われた熱を取り戻すことはできない。だが、彼らがかつて「熱く生きていた」証を残すことはできる。
スキャベルは、ワイズの好物だった菓子の包み紙の燃え残りを、透明な樹脂で固めてペンダントにしていた。ブリザード・アイは、動かなくなった回路の一部をピアスに作り替えている。
「なあ、これをつけてると……あいつの寿命の数分くらいは、俺たちが肩代わりしてる気分にならないか?」
「ああ。あいつは部隊にとって大事な精神科医だったからな。俺たちが病んじまってる時もあいつがいたから立ち直れた」
「......ワイズを失ったのは、かなり...大きいな」
俺は、自分の首から下げた認識票の隣に、ワイズの基板を削って作った無骨なプレートを添えた。
生き残った隊員たちが、三十年以上の未来を抱えたまま、俺たち三人の背中を見ている。
残り十年に満たない寿命。俺たちは、この短い余生で彼らをどこまで連れていけるだろうか。
「デューク。……次も、また削ることになるわね」
ブリザード・アイが、白くなった髪を耳にかけながら言った。
「ああ。……だが、俺たちが灰になるのが先か、あいつらが平和な場所へ辿り着くのが先か。……勝負だな」
俺は整備の終わったヴィフレストを見上げた。
明日にはまた、新しい「燃料」として、俺たちの細胞が燃やされるのを待っている。
数日後、ハンガーに響いたのは新しい軍靴の音だった。
「本日付けで独立機動部隊第一大隊に配属されました、カイルです! 11歳です!」
差し出された名簿。そこに記された「推定余命:62年」という数字が、俺の「9年」という網膜に焼き付いた数字を嘲笑っているようだった。
横に立つブリザード・アイの拳が、白くなるほど握りしめられている。
――俺たちは、この幼い命をまた、あの甘いガスの香るコックピットに押し込むのか?
その夜、俺はひどく浅い眠りの中で、古い夢を見ていた。
ニヴルヘイムの侵攻が本格化する前、まだ「空」が煤けた灰色ではなく、もっと透き通るような青だった頃の記憶だ。
親の顔は覚えていない。
覚えているのは、国境沿いの冷え切った養護施設の、硬いベッドの感触だけだ。
施設では、誰もが自分の「明日」を確保するのに必死だった。余ったパンを巡って殴り合い、冷たい毛布を奪い合う。そこには愛も絆もなかった。ただ「個」として生き延びるための、狭くて息苦しい世界。
『……おい、デューク。また一人でそんなところにいるのか』
施設の職員さえ、俺を「扱いにくい、感情の欠落した子供」として見ていた。
俺もそれでいいと思っていた。誰かと繋がれば、失った時の痛みが生まれる。それなら最初から、凍りついた鉄のように、一人で立っていた方がマシだ。
だが、その考えは「ヴィフレスト」に選ばれた日に打ち砕かれた。
軍の適性検査で、俺の細胞は異常なほど機体との同調率が高かった。
『君は、他人に命を分け与える才能があるようだね』
皮肉な笑みを浮かべた軍医の言葉を、今でも思い出す。
孤独に生きてきた俺が、他人のために命を燃やす機械の心臓に選ばれる。それは神様がいるとしたら、最高に質の悪い冗談だと思った。
だが、戦場で出会ったスキャベルやブリザード・アイ、そしてワイズは違った。
彼らもまた、頼るべき親も、帰るべき家も持たない「空っぽ」の子供たちだった。
互いの寿命を燃料にして、背中を預け、血とオイルにまみれた時間を共有する。
施設で知った「孤独な自由」よりも、この戦場で味わう「命を削り合う連帯」の方が、俺にとってはよほど暖かかった。
「……ふう」
目が覚めると、指先が痺れるように冷えていた。
時計を見る。午前三時。
俺は暗い部屋の中で、首から下げた二つのプレートに触れた。一つは自分の。そしてもう一つは、昨日失ったワイズのもの。
施設にいた頃の俺なら、あいつが死んでも「一つ椅子が空いた」としか思わなかっただろう。
だが今は、胸の奥に、ヴィフレストに吸い取られた寿命とは別の、鋭い欠落感がある。
「……孤独なままなら、こんなに苦しくなかったのにな」
自嘲気味に呟き、俺は起き上がった。
残り九年。
俺には、あいつらが失った時間を、そしてこれから戦場に出される子供たちの未来を、肩代わりする責任がある。
施設で誰にも名前を呼ばれなかった少年は、今や五百人以上の命を背負う「アイアン・デューク」になってしまった。
翌朝、午前四時。
基地全体が深い眠りと極寒の底に沈んでいる時間、俺は一人でハンガーにいた。
高い天井に反響する、自分の足音。白く濁った息を吐きながら、俺は愛機「ヴィフレスト」の脚部に手を触れた。
凍てつく装甲の冷たさが、手袋越しに伝わってくる。
この冷たさは、かつて俺が育ったあの施設の壁と同じだ。
国境付近の荒野に建つ、灰色の養護施設。
そこでは、誰もが「自分一人が生き残ること」だけを考えていた。親を亡くした子供たちの瞳に宿るのは、希望ではなく、獲物を狙う野良犬のような飢えだ。
俺もその一員だった。誰とも群れず、誰にも期待せず。名前ではなく番号で呼ばれる日々。
「家族」や「絆」なんて言葉は、物語の中だけの架空の概念だと思っていた。
そんな俺が、どうして今、他人のために命を削っているんだろう。
俺はヴィフレストの装甲を研磨剤で拭いながら、胸元のプレートに触れた。
ワイズの遺品と、自分の認識票。
昨日、機体のリミッターを解除したとき、確かに感じたんだ。
吸い取られていくのは「未来の時間」だけじゃない。俺という人間の形そのものが、熱エネルギーとなって外へ流れ出していく感覚。
その空っぽになりそうな意識を繋ぎ止めてくれたのは、施設時代の孤独な記憶じゃなく、この戦場で交わしたくだらない冗談や、泥臭い通信の声だった。
「……皮肉だな」
独り言が、冷たい機体に吸い込まれていく。
施設にいた頃の俺は、死ぬのが怖くなかった。失うものが何一つなかったからだ。
だが今は違う。
残り九年。その数字がゼロになることよりも、俺が死んだ後にこの部隊の連中がどうなるかを考えると、指先がかすかに震えた。
「デューク? ……やっぱりここにいたのね」
背後から響いたのは、少し眠そうな、だが凛とした声。
振り返ると、薄い軍用コートを羽織ったブリザード・アイが立っていた。彼女の髪も、昨日よりまた少しだけ白さが増したように見える。
「早いな。昨日の今日だ、寝ていればいいものを」
「あなたこそ。……その手の震え、寒さのせいじゃないでしょう?」
彼女は俺の隣に並び、同じようにヴィフレストの巨大な影を見上げた。
かつて孤独だった少年は、今や同じ傷を持つ者たちと、燃え尽きるための時間を共有している。
「……過去を思い出していた。施設にいた頃、俺は一人で死ぬのが当然だと思ってたってことを」
「……私も似たようなものよ。でも、今は一人じゃない。それがいいことなのか、悪いことなのかは、まだ分からないけれど」
ブリザード・アイが、自身の機体を見つめて呟く。
東の空がわずかに白み始め、極夜の終わりを告げる光がハンガーの隙間から差し込んできた。
それは、俺たちの命をまた一刻、終焉へと近づける光でもあった。
極夜の空が、紫色から不吉なほど真っ白な朝焼けへと移ろっていく。ブリザード・アイの細い指が、俺のヴィフレストの装甲にそっと触れた。彼女の体温は俺以上に低く、もはや人間というよりは、氷像に触れているような錯覚を覚える。
「デューク。昨日の新兵、カイルのことだけど」
彼女は、まるで天気の話でもするように淡々と言った。
「あの子、適性テストで『同期率』が異常に高かったわ。彼を前線に出せば、一撃でヨトゥンクラスを屠れるかもしれない。……私たちの『残り』を、あの子に託すという選択肢もある」
その言葉の意味を、俺はすぐに理解した。
それは、あの子の寿命を、俺たちより先に「燃料」として使い切るということだ。そうすれば、俺たち三人の消耗は抑えられる。生き残る可能性は格段に上がる。
「……冗談だろ」
「冗談じゃないわ。指揮官として一番『合理的』な手段よ」
彼女の瞳に、感情の揺らぎはない。だが、その声は先ほどよりもわずかに掠れていた。
「あの子に、死の恐怖を教える前に、あの子の命を使い潰すのか。……そんなことをしたら、俺たちが施設で受けた『虐待』と何が違う?」
「……私たちは戦士よ、デューク。聖人君子じゃない」
彼女はそう言うと、踵を返してハンガーの出口へと向かった。
「でも、あの子にワイズの分まで背負わせるのは、少し……残酷すぎるかもね」
彼女が去った後、俺は再びヴィフレストのコックピットに目をやった。
昨日配属されたばかりの11歳の少年。あいつの「62年」という数字。
俺が昨日まで守ろうとしていた「未来」とは、本当にあんなにも脆いものだったのか。
その時、ハンガーの入り口で金属がぶつかる高い音がした。
見ると、カイルが大きな工具箱を抱えて立っていた。彼は俺に気づくと、パッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「アイアン・デューク隊長! おはようございます! あの、昨日言われた通り、ヴィフレストのメイン・スラスターの洗浄、僕がやってもいいですか? 隊長たちの命を預かる機体、僕の手で完璧に整備したいんです!」
無邪気で、淀みのない声。
施設にいた頃の自分には、一生かかっても手に入らなかった「純粋な意志」がそこにはあった。
俺は思わず、持っていたワイズのプレートを握りしめた。
もし、この子の命を「効率」のために切り売りするような大人になったら、俺はあの時死んだワイズや、これまで散っていった仲間に合わせる顔がない。
「……カイル」
「はいっ!」
「整備はいい。……だが、俺の隣にいろ」
「えっ?」
「俺の背中は、お前が守れ。機体を直すより、俺が死なないように監視する……それが今日からのお前の任務だ」
俺の言葉に、カイルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに背筋を伸ばして力強く敬礼した。
「……了解しました! 隊長の命、僕が全力でお守りします!」
その時、頭上のスピーカーから、指揮管制の無機質なアラート音が鳴り響いた。
『緊急警報。地点二一〇にて熱源反応、多数。再集結せよ。――これが、今日の最初の仕事だ』
俺はヴィフレストのハッチを開き、慣れた手つきでコックピットへ滑り込んだ。
甘い冷却ガスの香りが、再び俺の肺を満たす。
寿命を削る機械の鼓動が、俺の心臓とシンクロする。
「……行くぞ、カイル。今日という日を、精一杯焼き尽くそう」
ギアを入れる。視界の隅で「推定余命」の数字が、また一つ、砂時計の砂のようにこぼれ落ちた。
出撃のアラートが基地を飲み込む。
カイルを随伴機に据え、俺はヴィフレストを雪原へと走らせた。
通信回線に、冷徹な指揮管制の声が割り込む。
『指揮管制よりアイアン・デューク。地点二一〇、反応数……計測不能。熱源の塊が移動中。繰り返す、未知の群れが貴機の進路上に出現』
「……数が多いなんてレベルじゃないぞ。カイル、ついてこい」
「了解! デューク隊長、僕が後ろからカバーします!」
雪煙を蹴って加速した先、視界を覆うほどの黒い影が雪原を塗りつぶしていた。カレントリーパーの群れではない。それよりもさらに巨大で、熱を貪る「捕食者」たちの集団だ。
「ちっ、単独先行かよ。ブリザード・アイたちはまだか!」
俺はヴィフレストを右へ左へと滑らせ、敵の攻撃を回避しながら主砲を叩き込む。一射、二射。寿命が削れる鈍痛が脳を刺す。カイルも懸命に追随し、弾頭ロケットで俺の死角を補完するが、敵の数は圧倒的だ。
数分が経過し、俺たちの機体装甲には火花が散る傷が増えていく。カイルの機体が敵の近接攻撃を喰らい、バランスを崩して雪原に膝をついた。
「カイル!」
「大丈夫です……まだ……!」
カイルが震える手で立ち上がろうとするが、その前に巨大な鎌を持つ敵機が影を落とす。俺が援護しようと砲を向けるが、距離が遠い。
(くそ……間に合わない!)
その時、雪原の向こうから突き抜けるような、耳を劈く雷鳴が轟いた。
「デューク! 遅れて悪かったな!!」
地平線の彼方から、漆黒の機体群が雪を巻き上げて飛来する。
先頭を切るのはコールド・スキャベルのケルベロス大隊。重火器をぶっ放しながら、敵の陣形を粉砕していく。
「援護射撃、開始。 敵の防壁を剥がすぞ」
ブリザード・アイの冷徹な号令と共に、空を覆い尽くすほどの弾幕が降り注いだ。
敵の群れが、圧倒的な火力で瞬く間に霧散する。俺たちの周りを、見慣れた第一大隊の機体たちが取り囲むようにして展開した。
「遅いぞ、スキャベル……」
「へっ、カイルを守るのに少し手こずっただけだ。新入りを死なせたら、アイアン・デュークのメンツに関わるだろ?」
スキャベルが通信越しにニヤリと笑う。
俺の横では、カイルが呆然としながらも、駆けつけてくれた仲間たちの背中を見つめていた。
「みんな……」
「感傷に浸るのは後だ、カイル。生きて帰りたいなら、私たちの背中を追いかけて来い」
ブリザード・アイの冷たい叱責が、この状況で何より頼もしく響く。
仲間が揃った。
俺は噛み締めた奥歯の痛みに耐えながら、再びヴィフレストの出力をギア・フォースまで引き上げた。
「戦隊各位、これより地点二一〇を掃討する。……全機、熱を維持して生き残れ!」
再び戦場に、俺たちの命を燃やす咆哮が響き渡った。
戦闘の熱気と機体の駆動系が発する焦げ臭い匂いが、ようやく収まりつつある戦場に、冷たい風が吹き抜けていく。
敵の反応は完全に消失し、残骸だけが雪原でくすぶっていた。
「……掃討、完了。こちらアイアン・デューク。全機、損傷状況および『残寿命』の報告を」
俺の問いかけに、スキャベルとブリザード・アイ、そしてカイルから次々と生存の報告が届く。損害は軽微ではないが、死者が出なかったことだけが救いだった。
俺は通信回線を指揮管制へと切り替えた。
「指揮管制、こちらアイアン・デューク。地点二一〇の敵集団、無力化を確認。掃討完了した」
少しの間を置いて、ハンドラーの冷徹な声が返ってくる。
『……了解した、アイアン・デューク。よくやった。貴機らの「働き」は、今回の防衛戦において極めて高い戦果として記録される』
「……働き、ね」
その言葉には、俺たちを「兵器」としてしか見ていない無機質さが含まれている。
俺はヴィフレストの操縦席で、力なく笑った。
『……補足だ、デューク。今回の敵増援は、北部の研究施設から流出した個体と推測される。……君たちの寿命消費に見合うだけの、重要なデータが回収できたようだ』
「データ……」
背筋に冷たいものが走る。俺たちが削った数十年、いや数百年分もの「未来」は、結局、彼らにとっての数字や記録に過ぎないのか。
「……こちらアイアン・デューク。報告を終わる。……今後は、俺たちの命が『記録』されるだけの価値ある使い方をさせてもらうよ」
『通信終了』
プツリと通信が切れた。
静まり返ったコックピットの中で、俺はモニターの「推定余命」をもう一度確認する。
ギア・セブンを多用した影響か、残りの数字は先ほどよりもさらに減っていた。
すぐそばで、カイルの機体が不安げにこちらを伺っている。
「……デューク隊長、今の報告……」
「気にするな、カイル。俺たちは自分たちのために生きて、自分たちのために守る。それができれば、あいつらの言う『戦果』なんてものは、おまけに過ぎない」
俺は震える手で、ワイズのプレートを握り直した。
「帰投する。暖かい場所へ……といきたいところだが、基地の暖房も期待はできそうにないな」
「……はい、隊長!」
白銀の雪原を、俺たちの機体は重い足取りで基地へと引き返していく。
だが、その背中を追う仲間たちの姿は、昨日よりも少しだけ力強く見えた。
生き残った。
たったそれだけのことが、今の俺たちにとっては、世界をひっくり返すほどの重みを持っていた。
通信が切れた後も、俺はしばらくモニターを見つめたままだった。
以前のハンドラー、中佐――「マリア」は、こんなとき、必ず通信の最後に短く「お疲れ様。皆、無事に帰ってきてね」と付け加えたものだった。彼女の声は温かく、戦場で凍りついた俺たちの心に、唯一の「熱」を分けてくれる存在だった。
だが、あの一週間前の「交代」以来、指揮管制室から聞こえてくる声は、機械的な合成音のように冷え切っている。今のハンドラーは、俺たちがどれだけ寿命を削ろうと、部下が何人死のうと、ただ淡々と「戦果」と「損失」を読み上げるだけだ。
「……あいつ、俺たちの声を、ただのノイズだと思ってるのか」
スキャベルの苛立った声が通信に混じる。彼もまた、かつてのマリアを知っている一人だ。
「マリアの時は、帰投ルートの空模様まで教えてくれたのにな。今の『管制官』は、俺たちが機体から降りる前に、次のターゲットリストを送りつけてきやがる」
ブリザード・アイの静かな声には、明らかな拒絶が滲んでいた。
「道具よ。……私たちはもう、あの子(マリア)が守りたかった『子供たち』じゃない。ニヴルヘイムの熱源を探知する、使い捨てのレーダーに成り下がったのね」
俺は深く溜息をつき、ヴィフレストの操縦席を叩いた。
マリアが去った理由は誰も知らない。戦死したのか、それともこの無慈悲な軍のやり方に耐えきれず排除されたのか。
だが、今のハンドラーの態度が、軍上層部の「俺たちへの評価」を何よりも雄弁に物語っている。
俺たちは人間として扱われていない。寿命という貴重なリソースを消費して、敵のデータを吸い上げるための「生きた燃料」。
「……デューク、隊長」
カイルが通信越しに、おずおずと問いかけてくる。
「あの……管制官さん、僕のことはまだ『機体番号』でしか呼んでくれないんです。僕、まだ名前を覚えられてないんでしょうか……?」
11歳の少年が抱いた純粋な疑問が、胸を締め付ける。
あいつはまだ知らないのだ。自分たちが「人」ではなく「消耗品」としてカウントされていることを。
「カイル。あいつの言葉なんて聞かなくていい」
俺は努めて穏やかな声で答えた。
「あいつが何て呼ぼうと、お前はここで俺たちの背中を預かる『カイル』だ。……名前を忘れるのは、あいつの勝手だ。だが、俺たちは忘れない。それが俺たちの戦いなんだよ」
俺たちは基地へと機体を走らせる。
冷たい雪風が吹き荒れる中、基地の入り口が見えてきた。そこにはマリアがいた頃のような、温かいコーヒーも、労いの言葉もない。
ただ、次の「燃料」を待ち構える、無機質な格納庫が口を開けているだけだ。
ハンガーに帰投した直後の、冷え切った空気の中で集合がかかる、緊迫した展開にします。
基地のハンガーへ降り立ち、俺はヴィフレストのハッチを開いた。
極寒の空気が肺に突き刺さる。機体の駆動系からは、金属の軋みと、命を燃料にした後の焦げ付くような甘い臭いが立ち上っている。
隊員たちが次々と機体から這い出し、その場にへたり込んだり、震える手で機体の装甲を拭ったりしている。35名の戦死者を出し、生き残った俺たちの寿命も、先ほどの戦闘でさらに削られた。
基地内には、勝利の余韻など微塵もない。ただ、冷たい金属と無機質な警告灯の点滅だけが、俺たちを包み込んでいる。
その時だった。
場内のスピーカーから、耳障りな電子音が響き渡り、空気を凍りつかせるような冷徹な合成音声が流れた。
『指揮管制より、独立機動部隊第一、第二、第三大隊全機。帰投した機体は即時、メインハンガー中央へ集合せよ』
スキャベルが吐き捨てるように言った。
「……帰ってきたばかりだぞ。温かい飯の一杯も食わせる気はないらしいな」
『繰り返す。遅延は認めない。全搭乗員は速やかに集合せよ。今回の戦闘における『データ収集の不手際』、および次期作戦への通達を行う』
不手際、と今の管制官は言った。あんな死闘を繰り広げ、ヨトゥンを屠ったにも関わらず、あいつらの中では俺たちの命のやり取りも、単なる「データの欠損」に過ぎないのだ。
俺は首から下げたワイズのプレートを握りしめ、自分を奮い立たせるようにハッチの縁を強く掴んだ。
隣では、新兵のカイルが不安そうにこちらを見ている。
「デューク隊長……あんな言い方、ひどいです」
「……行こう、カイル。あいつらの顔を拝んでやる。俺たちの『命』の値段がいくらなのか、直接聞いてやるんだ」
俺は、震える脚に力を込め、冷たいコンクリートの地面へと降り立った。
ハンガーの中央、赤く点滅する警告灯の下に、生き残った少年兵たちが集まってくる。
かつてマリアがいた頃の、温かかったあの集合場所とは違う。今はただ、処刑台を待つような、静かで重苦しい空気が漂っている。
管制官の言葉が、天井のスピーカーから冷たく突き刺さる。
俺たちを「人」ではなく、ただの「パーツ」として扱う、あの声に向けて、俺たちは歩き出した。
ハンガーの中央、剥き出しの鉄骨が並ぶ広間に、生き残った少年たちが整列する。
頭上の巨大なモニターが起動し、ノイズ混じりの画面に指揮管制官のアイコンが浮かび上がった。以前のようなカメラ越しの映像ではない。ただの無機質なシンボルマークだけだ。
『全機、整列を確認した。……今回の地点二一〇での交戦データ、全ユニットの反応速度、ならびに熱変換率を精査した』
スピーカーから流れる声は、マリアのそれとは決定的に違う。抑揚がなく、まるで計算機が読み上げているような、冷たく乾いた響きだ。
「……不手際があったと言ったな」
俺は一歩前に出た。列に並ぶスキャベルが、俺の動きを制そうと小さく声を上げたが、俺は無視した。
「ヨトゥンを排除した。戦術的目標は達成しているはずだ。何が不手際だ」
モニター越しに、無機質な合成音が嘲笑うように返る。
『ヨトゥンの核を撃ち抜く際、同期率が安全圏を逸脱した。ヴィフレストの機体寿命が、設定された許容値を三パーセント超過している。……貴機らの寿命は、あくまで軍の資産だ。無駄な消耗は、今後の作戦遂行に支障をきたす』
「資産……だと?」
背後で、ブリザード・アイが微かに息を呑む音が聞こえた。
俺たちは、自分の命を削りながら戦っている。それが「軍の資産」? 仲間が死んでいくその瞬間さえ、こいつにとっては「資産の損益計算」でしかないのか。
「マリアなら、そんな言い方はしなかった。俺たちのことを『部品』だなんて呼んだこともなかったぞ!」
俺の叫び声に、管制官は一瞬の沈黙を置いた。通信回路の向こう側で、キーボードを叩く音だけが響く。
『……旧管制官の記録は、既にアーカイブへ移行済みだ。情動に訴える戦術は、効率を低下させる』
『それとデューク。貴機の推定余命、現時点で九年と数ヶ月。その『資産価値』が、部隊を率いる指揮官として相応しいか、上層部が再評価を行っている。……次回の作戦で成果が示せなければ、貴機は後方支援……いや、機体の解体処理へ回されることになるだろう』
ハンガーが、凍りつくような沈黙に包まれた。
解体。それは俺たちがこれまで「燃料」として捧げてきた命の器、ヴィフレストと共に、俺自身の細胞も破棄されることを意味する。
『以上だ。……次の作戦指令を送信する。全機、端末を確認しろ』
モニターが消え、暗いハンガーに再び無機質な警告灯の赤色が戻った。
「……解体、か」
スキャベルが力なく地面に唾を吐いた。
俺は手元の端末を開く。そこには、次の戦場が記されていた。今度もまた、無謀なまでの敵数。そして、俺たちの寿命を根こそぎにする過酷な環境条件。
「みんな、聞いたな」
俺は振り返り、列に並ぶ少年たちを見た。
彼らの顔には、恐怖と、それ以上に深い「怒り」が宿っている。かつて施設で、自分たちの生きる場所を奪われた時と同じ、野良犬のような眼差しだ。
「あいつらは俺たちを部品だと思っている。だが、俺たちはここで死ぬわけにはいかない」
俺はワイズのプレートを強く握りしめ、冷たいハンガーの床を踏みしめた。
「次の作戦で、あいつらの評価を覆す。……俺たちは『消耗品』じゃない。自分の命を、誰のために使うか自分で決める『戦士』だ」
その言葉に、小さな声で、しかし確実に、仲間たちが「了解」と答えた。
指揮管制官という見えない敵を前に、俺たちは初めて、戦場以外の「戦い」の矛先を定めたのだった。
戦火の後の静寂の中、ハンガーの隅でわずかな休息をとるデューク。彼の夢に現れるのは、今の戦場よりもさらに冷たく、救いのない過去の断片だった。
深い眠りに落ちると、俺は決まってあの「境界線」の夢を見る。
灰色の壁に囲まれた、国境沿いの施設。あの場所で俺たちは、親という存在から切り離され、ただ「資源」として選別された。
空はいつも曇っていて、太陽の熱なんてものはここには存在しないと教え込まれるような日々だった。
俺の隣には、いつも妹の「リナ」がいた。
リナは俺よりもずっと繊細で、施設の中では誰もが諦めていく中で、小さな花を摘んだり、壊れたオルゴールを直そうとしたりするような、そんな子供だった。俺がどれだけ孤独に殻を閉ざしていても、あいつだけは俺の手を握って離さなかった。
『お兄ちゃん、いつかここを出たら、熱いスープを飲もうね。本当に熱くて、体がぽかぽかするやつ』
リナのそんな夢物語を聞くのが、俺にとって唯一の「呼吸」だった。
だが、その現実は唐突に引き裂かれた。
ある朝、軍の徴兵官が施設の扉を叩いた。リナの適性値が高いと判定されたのだ。
『お兄ちゃん、大丈夫。またすぐ会えるよ』
それが、最後の言葉だった。
リナは、俺よりもずっと早く、あの「ヴィフレスト」の初期型に詰め込まれた。大人たちの都合で、何の訓練も受けないまま、熱を貪る化け物たちの巣窟へ放り込まれた。
夢の中で、俺は何度も手を伸ばす。リナの手を掴もうとする。
だが、俺の指はいつもすり抜ける。彼女の乗ったヴィフレストが、極寒の空へ飛んでいく。そして、通信機から聞こえるのは、彼女の穏やかな声ではなく、金属が引き裂かれる激しい音と、断末魔のような砲声だけだ。
『……リナッ!』
俺は叫んで、跳ね起きる。
コックピットの冷たい床の上、心臓が早鐘のように鳴っている。視界がぼやけているのは、涙なのか、それとも冷却ガスのせいなのか。
夢から覚めても、手の中にリナの温もりはない。あるのは、ワイズの遺品と、今の過酷な戦場、そして「あと九年」という残酷な刻限だけだ。
今のハンドラーに、リナの名前を伝えたところで何の意味がある?
「戦死者として記録されています」と、また事務的に返されるだけだろう。
俺は震える手で、顔を覆った。
リナは、俺が今ここでやっている「戦い」さえ知らないまま、燃え尽きてしまった。俺があいつの命を肩代わりして生きているのか、それとも、あいつが俺の中で死に続けているだけなのか。
「……スープ、か」
リナが夢見た熱いスープ。
俺は、この極寒の地で、あいつが届かなかったその温もりを、せめてこの命を燃やし尽くすその日まで、探し続けなければならない。
たとえ、それがただの空っぽな幻想だったとしても。
ハンガーからの帰り道。基地の狭い通路で、俺はコールド・スキャベルとすれ違った。
あいつもまた、睡眠を取るのを諦めて、自分の機体の調子を確認しに行こうとしていたらしい。油の染みついた軍服、こけた頬、そして白く変色し始めた髪。俺たちは二人とも、鏡を見ているようなものだ。
「……随分と顔色が悪いな、隊長殿。夢見が悪かったか?」
スキャベルが足を止め、皮肉っぽく吐き捨てた。
「あんたがハンガーの隅で、まるで死体みたいに震えてたからさ。心配で見てられなかったぜ」
「……余計なお世話だ。そんなことより、機体の調子はどうだ」
俺が話を逸らそうとすると、スキャベルはわざとらしく鼻で笑い、俺の胸ぐらを掴みそうな勢いで一歩詰め寄った。
「機体の調子? 知るかよ。そんなもん、あんたが次の命令で『ギア・エイト』でもぶち込めば、一瞬で鉄屑になるんだろ。……リナのことだろ? さっき、うなされてたな」
俺の心臓が跳ね上がった。スキャベルは、俺がうわ言で妹の名前を呼んでいたことを知っている。
「……俺の過去に首を突っ込むなと言ったはずだ」
「首を突っ込みたくなるんだよ! あんたが死んだワイズや、とっくに死んでる妹の幻影を追って、俺たち全員を道連れにするような気がしてな!」
スキャベルの怒号が通路に響く。
「あんたは責任感だけで動いてる。だがな、あんたが空っぽのまま『聖人』ぶって命をすり減らすたび、あとに残されるこっちは……俺たちは、どうすればいいんだよ!」
スキャベルの瞳には、怒りと同じくらいの、深い恐怖の色が混じっていた。
あいつもまた、いつ終わるかわからない自分の寿命を抱えて、ギリギリのところで立っている。俺がリーダーとして「潔い自己犠牲」を選ぼうとするたび、あいつの未来もまた、勝手に奪われているような気分になるのだろう。
「……全員を救おうなんて思ってない」
俺は掴まれた肩を振り払った。
「ただ、リナがあの冷たい空の上で何を見て、何を思ったのか。それを知りたくて、俺は戦ってるだけだ。……あんたに理解しろなんて言ってない」
「理解なんてクソ食らえだ。……だがな、デューク」
スキャベルは背を向け、去り際に吐き捨てるように言った。
「次は、俺の死体の上を通って敵の核を撃ち抜け。……あんたが『空っぽ』でいるために、俺たちを燃料にするなよ。……俺も、あんたも、死ぬときは人間として死ぬんだ」
あいつはそう言い残して、闇の中へと消えていった。
通路には、冷たい換気扇の音だけが響いている。
俺たちは戦友だ。だが、今は互いに、死へと向かう秒針を突きつけ合っているようなものだ。
俺は壁に背を預け、震える手でリナの幻影を追いかけるのをやめた。
スキャベルの言う通りだ。俺が夢に逃げ込んでいる間も、現実は容赦なく、仲間たちの命を削り取っている。
スキャベルの足音が遠ざかっても、俺の胸の中に残ったのは、納得という名の静けさではなかった。むしろ、喉元に刺さったままの棘のように、鈍い疼きが続いている。
「人間として死ぬ……か」
それは、明日には今の「俺」という輪郭を捨てて、単なる冷たい砲弾となって散れ、という意味に近い。あいつは正しい。戦場にセンチメンタリズムを持ち込むのは、一番の毒だ。それは百も承知している。
けれど、もしこの「思い出」さえ捨ててしまったら。
極寒の空へ消えていったリナの声も、最後に見せた笑顔の記憶さえも消してしまったら、その時、俺の中に残るのは何だ?
――ただ、熱を効率よく燃やすだけの、血の通った機械。
そうなってしまったら、俺は本当に「死ぬ」のと同じだ。いや、むしろ今この瞬間、とっくに死んでいるのかもしれない。
俺は暗い通路の壁に、頭をコツンと預けた。
納得なんてできない。スキャベルの言う現実的な生存戦略と、リナを追いかけずにはいられない俺の渇望。その両方が、正反対の方向から俺の心臓を引っ張り合っている。
それでも、俺はその棘を抜こうとはしなかった。
痛いからこそ、自分が生きていると実感できる。リナがいたという証拠を、せめて俺の記憶の中にだけでも焼き付けておかなければ、あいつは二度死ぬことになる。
「……勝手な奴だな、俺も」
微かな吐息が、暗闇に白く消えた。
理屈じゃない。これは、死にゆく俺たちが、せめて最後に守り抜こうとしている「自分自身」という名前の亡霊への執着だ。
冷えた通路の空気が、少しだけ苦く感じた。
明日にはまた、引き金を引かなければならない。その時、この苦しみさえも燃料に変わってしまうなら、せめて今夜だけは、リナと二人で飲んだはずのない温かいスープの味を、夢に見ていたかった。
暗い通路の影から、その会話のすべてを聞いていたブリザード・アイ。
彼女は息を潜め、スキャベルの足音が遠ざかるのを待ってから、音もなくデュークの前に姿を現した。彼女の足元で、氷の破片がカサリと小さく鳴った。
「……リナ、っていうのね」
不意に背後から響いた声に、俺は肩を跳ねさせた。
振り返ると、ブリザード・アイが薄暗がりの中に立っていた。彼女の顔は表情を失い、月光のような冷たさだけを纏っている。彼女が盗み聞きをしていたのか、あるいは偶然通りかかっただけなのかは分からない。だが、その瞳は俺の奥底にある「秘密」を正確に射抜いていた。
「……いつからそこにいた」
「最初からよ。スキャベルがあんたに詰め寄る前からね」
彼女はため息をつくように一歩近づいた。彼女の軍服の襟元には、以前拾った回路の欠片で作ったピアスが、かすかに揺れている。
彼女は俺に詰め寄るわけでも、責めるわけでもなく、ただ俺の隣に並んで、冷え切った壁に背中を預けた。
「……最低ね、あんたたち」
彼女は自嘲気味に笑った。
「あんなに怒鳴り合っておいて、二人とも結局、同じ場所で足踏みしてる。……『死ななきゃいけない』なんて理屈を並べながら、心の中では誰かの幻影を追いかけているなんて。……馬鹿みたい」
彼女の声は、先ほどまでの氷のような冷静さとは違い、どこか震えていた。
彼女もまた、この施設で育ち、何かを、あるいは誰かを失ってきた人間だ。彼女にとっての「楔」は何なのか。俺は彼女の横顔を直視することができなかった。
「……デューク。私は、あんたがリナを追いかけて死ぬことを許さないわよ」
彼女は俺の方を向き、その細い指で、俺の認識票の隣にある「ワイズのプレート」を軽く指弾した。
「あんたが一人でリナに会いに行こうとすれば、私がその前にあんたを撃ち落とす。……私だって、ワイズを失って、これ以上『自分の大切な人』の気配を消されたくないの。……わかった?」
それは脅迫というよりは、祈りに近い言葉だった。
彼女は、俺がリナを追いかけて壊れていくことを恐れているのではない。俺が「誰かの死」を燃料にして戦うことを、これ以上見たくないのだ。
「……ああ。分かった。俺は、勝手には逝かない」
「嘘つき」
彼女は小さくそう呟き、俺の肩にふわりと頭を預けた。
極限の緊張状態にある戦士の背中とは思えない、あまりに脆弱な重み。彼女の髪からは、戦場特有の焦げ臭さではなく、なぜか古い図書館のような、冷たく乾いた匂いがした。
「……明日の作戦、生きて帰ったら教えて。……リナがどんな子だったか、もっと詳しく」
「……お前が、それを聞いてどうする」
「決まってるでしょ。……あんたが忘れても、私が覚えていてあげるから」
彼女の言葉が、氷の塊となって俺の心臓に深く突き刺さった。
俺は、彼女にリナのことを話すだろう。そして、リナという存在は、俺だけの孤独な執着から、この戦場で共に生きる仲間たちの記憶へと、少しだけ形を変えて共有されていく。
通路を吹き抜ける冷気が、さっきよりも少しだけ、痛みを伴わなくなっていた。
俺たちは、泥沼に沈みながらも、誰かの名前を呼び合うことで、ようやく人間としての輪郭を保っているのだ。
作戦地点――。空は重苦しい鉛色で、周囲を囲む雪山がまるで墓標のようにそびえ立っていた。
「全機、展開。これより地点四〇二の敵群を排除する。……隊長、準備はいいか?」
スキャベルの通信に、俺は答えられなかった。
視界の端。雪原の向こう側に、白いワンピースを着た少女が立っているからだ。
リナだ。あの日、施設から連れ去られた時のままの姿で、リナが冷たい風の中に立っている。
「……リナ?」
俺の視界には、硝煙と炎に混じって、あの灰色の施設の廊下が浮かんでいる。リナが、小さな花を握りしめて微笑んでいるのが見える。
「……リナ、どうしてそんなところにいるんだ。そこは危ない」
俺はヴィフレストの操縦桿から片手を離し、モニターの向こう側にいるはずのない妹に触れようと手を伸ばした。
その瞬間、機体の反応が鈍る。背後から肉薄してきたカレントリーパーの放った熱線が、俺のヴィフレストの左肩装甲を焼き切った。
「ッ……!?」
衝撃で現実の戦場に引き戻される。だが、意識は半分、リナのいる灰色の施設に囚われたままだ。
俺は無意識に、幻影のリナを隠すように機体を旋回させた。その軌道は、味方の防衛ラインを大きく逸脱している。
『デューク? 何をしてる、そこは後方支援の待機域だよ。敵を誘導する気?』
ブリザード・アイの疑問を持った声が聞こえる。だが、俺にはそれが「リナを邪魔するな」という罵声のように聞こえた。
「どけ! あいつがいるんだ、邪魔するな!」
俺は混乱の中でトリガーを引いた。弾丸は敵ではなく、味方の近くの雪山を削り取る。
意識が混濁し、呼吸が荒くなる。敵の機体が目前まで迫る。死の恐怖が脳を刺すと、一瞬だけ正気が戻る。俺は機体を捻り、敵の攻撃を紙一重で回避した。だが、回避した先でまたリナの幻影を見て、また操縦が乱れる。
『――指揮管制より全機、警告。アイアン・デューク機、戦術的判断能力の著しい低下を確認。同期率が危険値に達している』
冷徹な管制官の声が、今の俺には天の声のように響いた。
俺は戦っている。こんなに必死に、寿命を削りながら戦っているのに、俺の体は戦場という器からこぼれ落ちそうになっている。
『アイアン・デューク、これ以上の交戦は部隊全体の損失を招く。……直ちに前線を離脱せよ。貴機の権限は一時的に凍結する』
「……違う、俺は、リナを……!」
俺が抗うよりも早く、ヴィフレストの制御システムが強制介入を開始した。コックピット内に警告アラームの電子音が鳴り響き、機体は自動的に戦線の遥か後方、誰もいない氷原へと強制的に退避させられる。
制御不能なまま動く自分の機体を見ながら、俺はモニターの中で消えゆくリナの影をただ追いかけていた。
『貴機は戦線離脱後、後方支援部隊へ転属する。……これより先、戦闘への参加は一切認めない』
戦場から切り離された。
一番大切な戦いの場から、俺という存在だけが爪弾きにされたのだ。
広がる雪原の中に、俺のヴィフレストだけが孤独に取り残されていく。遠くでスキャベルたちが必死に叫んでいる通信の声が、まるで別の世界の出来事のように遠のいていった。
俺は震える手で、もうそこにはいないリナの名を呼んだ。
それが、最前線から追放された戦士の、最初で最後の絶望だった。
戦線から強制排除されたデュークのヴィフレストが、雪煙の向こうへ消えていく。その光景は、残された仲間たちにとって、まさに「精神的な支柱」を無理やり引き抜かれたような衝撃だった。
『デュークッ!? おい、嘘だろ……離脱だと!?』
スキャベルの怒号が通信回線を埋め尽くす。だが、どれだけ呼びかけても、デュークからの応答は返ってこない。彼が強引に叩き込まれた「後方支援」という名の隔離領域へ、声は届かなくなっていた。
「……あいつ、馬鹿か。あんな中途半端な場所で、何をしてるのよ!」
ブリザード・アイの冷徹な声も、今は激情に震えていた。彼女は視界の端に映る、敵の波状攻撃を弾頭ロケットで吹き飛ばす。普段の正確な演算に基づく射撃とは違い、その動作には焦りが滲んでいる。
隊の要であるデュークを失い、連携は急速に瓦解していた。
オルトロス大隊の機体群が次々とカレントリーパーの群れに飲み込まれる。熱源を求める敵の執着は凄まじく、指揮官を失った混乱を嗅ぎつけて、さらに獰猛にその数を増やしていた。
『第二大隊、下がれ! 奴らは熱源の大きい順に食いついてくる。デュークの機体が抜けた穴を、俺たちで埋めるしかない!』
スキャベルがケルベロスの重装甲を前面に押し出し、必死に防波堤となる。しかし、敵の数は百万。対するこちらは百五十に満たない。一人欠けるだけで、生存率は目に見えて急落していく。
「――っ、くそッ!」
一機の味方機が、カレントリーパーの鋭利な触手によって脚を奪われ、雪原に引きずり込まれる。熱を吸い取られ、沈黙していく機体。それを見る余裕すら、今の彼らにはない。
ブリザード・アイは、スコープ越しにデュークが消えたはずの方向を何度も確認していた。彼女の瞳には、怒りとも悲しみともつかない色が混ざっている。
「デューク……あんた、そんなところで大人しくしてるつもり? 私たちがここまで引き受けて、あんたの『九年』を無駄にする気!?」
彼女は、かつてワイズがいた頃の連携を再現しようと、血眼で演算を繰り返す。
スキャベルは重機関砲の弾薬が尽きるまで引き金を引いた。
彼ら全員が、喉から血の味がするほどの激痛を堪えながら、必死に「戦線」という線にしがみついていた。デュークが戻る場所を、絶対に失わないために。
『全機、命を削れ。……デュークの顔を拝むまで、ここで灰になるわけにはいかねぇんだよ!!』
スキャベルの咆哮が、混乱する戦場に響く。
彼らはただの部品ではない。リーダーを奪われ、追放の屈辱を味わいながらも、それでもなお、自分たちの「命の残り時間」を燃料にして、この絶望的な防衛戦を保ち続けていた。
雪原の彼方、無線が途絶えた闇の先で、デュークが何を見ているのかも知らずに。彼らはただ、仲間を信じて、牙を剥き出しにして雪原を駆けていた。
数時間に及んだ死闘の末、極寒の雪原にようやく静寂が戻った。
ニヴルヘイムの自律兵器群は、熱源の枯渇を見極めたのか、あるいは戦術的な目的を達したのか、雪煙の向こうへ整然と引き揚げていった。
残されたのは、凍てついた機体の残骸と、黒く焦げた雪の荒野だけだ。
帰投するオルトロス、ケルベロス、フェンリル各隊の姿は、見る影もなかった。
出撃時、百五十名いた仲間は、いまや三分の一にも満たない。機体は至る所が欠損し、剥き出しになった装甲からは、搭乗者の生命力を吸い上げた際に生じた甘い冷却ガスが、白い吐息のように絶えず漏れ出している。
スキャベルのケルベロス大隊の機体は、その多くが片腕を失っていた。ブリザード・アイが指揮するフェンリル隊の機体群は、過負荷で駆動系が焼き付き、雪を引きずるようにして進んでいる。
彼らのコックピットの中は、地獄だった。
極度の緊張から解放された途端に襲い来る、細胞レベルでの飢えと激しい倦怠感。寿命を無理やり引き伸ばして戦った代償に、指先一つ動かすのにも、十年分もの老化が身体にのしかかる。
基地のハンガーへ続く扉が開く。
その奥には、彼らが命を削って守り抜いたはずの基地がある。だが、そこには温かい出迎えなどない。待っているのは、ただ「損失データ」の確認を急ぐ指揮管制の無機質な記録装置と、次なる燃料を求める冷徹な管理者だけだ。
スキャベルは、ぼろぼろになったケルベロスのハッチを、力なく叩き割るように開けた。
髪は真っ白に染まり、かつての青年兵の面影は消え失せている。彼は地面に降り立つと、足元がおぼつかず、機体の装甲に寄りかかって激しく咳き込んだ。血が、雪の上を赤く染める。
「……あいつを、死なせちまったかと思ったぞ。……デューク」
スキャベルが、雪の中で誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
彼の目線の先には、一足先に強制隔離されていたデュークのヴィフレストが、力なくうなだれるように駐機されていた。
ブリザード・アイも、機体から這い出してきた。
彼女の瞳からは、もう氷のような輝きさえ失われている。ただ、自分が何を守り、何を失ったのかを理解することさえ拒絶するような、うつろな空虚だけがそこにあった。彼女は、デュークの方へ歩み寄ろうとするが、足が動かない。体力の限界を超え、神経系が悲鳴を上げている。
生き残った少年兵たちの間には、言葉もなかった。
誰もが「あと何年生きられるか」を計算する余裕さえない。ただ、この地獄のような一日が終わったという事実だけが、重い鉛のように彼らの心に沈殿している。
ハンガーの照明が、冷たく彼らを照らし出す。
帰還した者たちの顔は、老人のようにしわがれ、あるいは死人のように青白い。彼らは自分たちの「命の器」である機体の横に倒れ込み、ただ荒い呼吸を繰り返すだけだった。
この大敗北のあとで、果たして明日は来るのだろうか。
彼らが必死に繋いだ命のバトンは、この冷酷な軍にとって、果たして何の意味を持つのか。
答えを知る者は、誰一人としていなかった。
ハンガーに差し込む光は、昨日と変わらず無機質で冷たい。
だが、その朝の空気には、決定的な「欠落」が混じっていた。
午前五時。戦場の悪夢から這い上がった生存者たちが、ぼろぼろの体を引きずってハンガーへ集まってくる。
無意識のうちに、誰もが同じ場所を探していた。
第一大隊のリーダー、アイアン・デュークの愛機「ヴィフレスト」の駐機エリア。
いつもなら、誰よりも早くハンガーに降り立ち、機体の装甲を拭き、ワイズのプレートを握りしめて佇んでいるはずの男の姿がない。
「……おい、デュークは?」
スキャベルが、血の滲んだ包帯を巻き直しながら、あたりを見回した。
言葉の響きには、怒気もなければ責めるような調子もない。ただ、昨日までの習慣に従った、当たり前の確認だった。
誰も答えない。
ブリザード・アイも、カイルも、その場に立っている少年兵たちも、全員がスキャベルと同じ場所を見つめたまま、微動だにしない。
「……あいつ、昨日の作戦のあと、後方支援に飛ばされたんだったな」
ブリザード・アイが、ひどく掠れた声で呟く。
頭では分かっている。軍からの通達を受けた。デュークは戦線を離脱させられたのだ。だが、その事実は、重すぎる喪失感となって彼らの思考を麻痺させていた。
「ああ……そうだったな。後方だ。……あいつが、前線にいないわけがない」
カイルが、手に持っていた洗浄用のクロスを握りしめたまま、うつむいた。
彼らにとって、デュークがいないという状況は、「別の場所に転属した」という論理的な説明を超えて、まるで世界の一部が消滅したかのような不可解な空白だった。
隣のエリアに駐機されたデュークのヴィフレストを見つめる。
ハッチは固く閉ざされ、機体からは何の鼓動も聞こえない。そこに搭乗者がいないという事実が、昨日失った仲間たちの不在よりも鋭く、彼らの胸を突き刺した。
デュークがそこにいない。
そのことが意味するのは、彼らが命をかけて維持してきた「戦線」という名の均衡が、すでに崩壊し始めているという予感だった。
誰かがデュークの機体に駆け寄ろうと一歩踏み出し、そして思い出したように足を止める。
もしそこにデュークがいないのなら、自分たちは一体、誰のために、何のために、このボロボロの機体を整備し、ギアを上げればいいのか。
ハンガーには、重苦しい静寂だけが満ちている。
戦うための準備をする場所でありながら、そこには「戦う理由」が欠けていた。
朝日がデュークのいない空席を容赦なく照らし出す。その眩しさが、かえって昨日の大敗北の冷たさを際立たせていた。
誰も、言葉を発することができない。
ただ、失ったものの大きさを、骨の髄まで噛み締めるような朝だった。
その静寂は、スピーカーから流れる無機質な電子音によって無残に引き裂かれた。
『第一、第二、第三大隊、全搭乗員へ告ぐ。これより再編成を行う。貴機らの「機体残存率」および「推定余命」に基づき、次期作戦目標を確定した』
ハンガーの全員が、ゆっくりと天井のスピーカーを見上げる。ブリザード・アイは鋭い視線で、スキャベルは憎悪を滲ませた目で、音の震源地を睨みつけた。
『目標地点、領域ノード・アルファおよびベータ。現在、敵の支配下にある二つの拠点奪還を命じる。これより三十分以内に整備を完了させ、出撃せよ』
「……奪還? 冗談だろ」
スキャベルが乾いた笑いを漏らした。
昨日、三分の一まで削られたのだ。まともな整備など到底追いつくはずもない。機体は悲鳴を上げ、パイロットの神経はすり減り、何より部隊の「柱」であるデュークは後方へ追いやられている。
『戦力不足は承知している。だが、当該地点のデータ確保が最優先だ。各ユニットの寿命消費率を最大値まで引き上げろ。これが貴機らに与えられた「資産価値」を証明する最後の機会となる』
それは命令というより、宣告だった。
「失敗すれば、お前たちはもう不要だ」という、あからさまな最後通牒。
カイルが震える手で自分の機体を見つめる。
「……そんな、無理ですよ。こんな状態で二つも基地を奪還なんて……僕たち、全滅するまで使い潰されるだけじゃ……」
ブリザード・アイは何も言わなかった。ただ、彼女は自分の機体のハッチに手をかけ、氷のように冷たい瞳で指揮管制官のアイコンを見つめていた。彼女の指先は、今の管制官へのささやかな抵抗として、機体の装甲に細い引っかき傷を刻み込んでいる。
スキャベルは通信回線を切り、仲間たちを振り返った。
その顔には、昨日までの「生き残る」という希望さえ薄れ、代わりに死を覚悟した者特有の、研ぎ澄まされた冷酷さが宿っていた。
「聞いたな、お前ら。……あいつらは、俺たちが地獄で踊る姿を見たいらしい」
彼は、血のついた手袋を力強く締め直す。
「デュークがいなくなって、あいつは俺たちがただの『壊れかけの道具』になったと思ったんだろうよ。……だが、俺たちを使い捨てるなら、せめてあいつらに、最高に高くつく『ガラクタ』だってことを思い知らせてやろうぜ」
ハンガーの空気は、戦慄よりも深い、暗い絶望と静かな闘志に支配されていた。
もはや誰も、明日を夢見るような顔はしていない。ただ、使い潰される前に、自分たちの命を何倍もの代償に変えてやるという、歪んだ覚悟だけがそこに立ち込めていた。
「出撃準備だ。……二度と帰れないかもしれない。だが、死ぬまで『アイアン・デューク』の隊だったことを忘れるな」
誰が言うでもなく、少年たちはボロボロの機体へと歩き出す。
後方支援に追いやられたデュークには届かない、絶望的な号令がハンガーに響き渡った。
ハンガーに現れたのは、軍が送り込んだ新たな指揮官――『アイアン・フィスト』と揶揄される、冷徹な戦術家だった。
彼はデュークとは対照的に、感情を排し、機体寿命や搭乗者の生存率を極限まで計算し尽くす男だ。彼の指揮下で、部隊は昨日までの「死にゆく少年たち」の集まりから、一瞬で「正確に敵を削り取る精密機械」へと変貌させられた。
ノード・アルファ攻防戦。
新たな指揮官の指示は残酷なほど的確だった。
「第七、第八小隊は囮となれ。全エネルギーを中央突破に回す。スキャベル、貴機の砲撃精度は平均を下回っている。次は外すな」
スキャベルは唇を噛み締め、無言で照準を合わせる。かつてデュークが「無理をするな」と言ってくれた場所で、今は淡々と「死ね」と言われているに等しい。だが、彼らは抗わない。抗う理由は、今は「生存」ではないからだ。
「……アイアン・フィスト。あんたの戦術に従う」
ブリザード・アイが冷たく答える。彼女の瞳は、敵の基地を見据えていない。遠く、後方支援部隊の隔離区域にいるはずのデュークの背中を、幻視しているようだった。
「……この戦績、あんた(フィスト)のためじゃない。デュークが戻ってきたとき、俺たちが壊滅していてあいつを絶望させないためよ」
第一大隊の少年たちは、かつてないほどの戦果を叩き出した。
それは恐怖による支配ではなく、あの日、自分たちを置いて逝った隊長――デュークという存在への、ある種の「意地」だった。
どれだけ効率を重視する新指揮官に扱かれようと、彼らは戦術の端々に「デュークならどう動くか」を読み込み、連携させる。敵の基地が一つ、また一つと沈黙していく。
一方、後方支援部隊の防壁の中に隔離されたデュークは、通信モニター越しにその戦果を聞いていた。
味方の信号が敵基地を制圧していく音を聞くたび、彼は胸が張り裂けそうな衝動に駆られる。
「俺が……俺がいれば、あいつらにこんな酷な真似はさせなかった……」
かつて自分が座っていた隊長席に、他人が座り、自分の隊を「資産」として使い潰している。その事実は、リナの幻影を見るよりも深く、デュークの精神を削り取っていった。
だが、ノード・アルファ陥落の報せが届いたとき、デュークはハッとした。
モニターの端に映ったブリザード・アイの機体が、わざとデュークが好んだ回避機動を行い、敵の死角へと入り込んだのだ。
スキャベルもまた、デュークがかつて愛用していた戦術パターンの残滓を見せていた。
彼らは戦っている。
冷徹な指揮官の影に隠れながら、彼らはデュークの帰還を待つ「戦場」を、必死に作り上げているのだ。
「……帰るぞ。絶対に」
デュークは、誰にも見えない場所で、折れた操縦桿を強く握りしめた。
自分は後方にいる。だが、心はあの猛烈な火線の中にあり、かつての仲間たちの背中を追いかけていた。
前線では、新指揮官が次の指令を叫ぶ。
『次はベータ基地だ。データ回収を急げ! 消耗品はいくらでも代わりがいる』
「代わりなんて、いねぇよ」
スキャベルが吐き捨てるように呟き、再びケルベロスの主砲を火種へと向ける。
デュークが戻ってくるその日まで、彼らは壊れゆく体を鋼のように固め、戦場という名の待ち合わせ場所を死守し続けていた。
数週間の「後方支援」は、デュークにとって狂気と正気の境界を彷徨う長い試練だった。
モニター越しに仲間たちが戦う姿を眺め、新しい指揮官の冷徹な采配を聞き、そして何より、リナの幻影が少しずつ形を変えていくのを肌で感じていた。
ある夜、格納庫の隅でデュークは独り、ワイズのプレートを握りしめていた。
以前のような焦燥感はない。ただ、静かな痛みが胸にあるだけだ。
「……リナ。お前がいた場所は、俺にとっての『逃げ場』だったんだな」
口にすると、それは驚くほどすとんと腹に落ちた。
戦うのが怖いからリナを追っていたのではない。自分の人生を、自分の足で歩くのが怖かったのだ。だからこそ、あの灰色の施設という過去に、死んだ妹という亡霊に、自分を縛り付けていた。
前線から戻った仲間たちの損傷具合、疲弊しきった顔、そして何より、自分がいなくても彼らが戦い抜いているという事実。それらすべてが、デュークに「もう、過去の重力に引きずられるな」と語りかけていた。
リナのことを忘れるつもりはない。彼女と飲んだはずのない温かいスープの記憶も、彼女の微笑みも、一生大切に抱えていく。けれど、それを追いかけるのはもう終わりだ。
デュークは立ち上がり、ワイズのプレートを胸元のポケットの奥深くに仕舞い込んだ。
もう、幻影を追いかけて戦場を揺らすことはない。次の一歩は、リナがいる過去に向かうためではなく、いま生きている仲間たちが待つ「明日」へ向かうために踏み出す。
翌朝、デュークは後方支援の指揮官室の扉を叩いた。
その顔つきは、かつての迷い多き少年兵のものではなく、戦う意味を再定義した一人の戦士のものだった。
後方支援エリアの管制塔が、耳を塞ぎたくなるような警告音を響かせている。
デュークがヴィフレストのエンジンにオーバーロードをかけ、格納庫の防壁を強引に突破したからだ。
「警告! 警告! アイアン・デューク、直ちに停止せよ! 貴機の行為は軍法違反、ならびに反逆行為とみなす!」
通信機からの罵倒を、デュークはOFFにした。
無機質な警告アラームは、もう彼には届かない。かつて幻影のリナに支配されていた頃の迷いは消え失せ、操縦桿を握る手には、確かな意志が宿っている。
格納庫の隔壁が閉まりかけるのを、彼はヴィフレストの主砲で強引にこじ開けた。金属が悲鳴を上げ、火花が散る。その轟音を背にして、彼は滑走路を駆け抜けた。
「……リナ」
彼は一度だけ、空を見上げた。
視界の端にリナの幻影が揺らぐ。だが、今回はそれが過去の亡霊としてではなく、今の自分を送り出すための、ただの風のように感じられた。
「もう追いかけない。……お前の分まで、俺たちが生きる場所を守る」
彼はヴィフレストの出力を最大まで解放した。
機体が大気を切り裂き、爆音を轟かせて戦域へと突き進む。軍の追撃機や管制からの制止命令など、今の彼には虫の羽音にも等しい。
一方、ベータ基地奪還作戦の最前線。
新リーダーの指揮下、仲間たちは限界を超えた過酷な戦いを強いられていた。機体はボロボロで、弾薬も底を尽きかけている。
『……全機、退避しろ! これ以上の損失は許容できない!』
新リーダーの冷徹な声すらも、今は焦りに震えていた。ブリザード・アイの機体が片腕を吹き飛ばされ、スキャベルの機体は白煙を噴き上げて停止しようとしている。
全滅の文字が、彼らの網膜に浮かび上がったその時だった。
戦場を切り裂くような、見慣れた駆動音。
灰色の空から、一機のヴィフレストが隕石のように墜落するように舞い降りた。
地響きとともに雪煙が舞い、敵の大隊がたじろぐ。
煙の中から現れた機体は、左肩を欠損し、装甲は傷だらけだったが、その咆哮だけは誰よりも力強かった。
『……随分と待たせたな。戦場に遅刻するなんて、隊長失格か?』
通信にノイズ混じりの、だが確かなデュークの声が響く。
「……デューク!?」
スキャベルが呆然と声を上げる。ブリザード・アイの瞳に、初めて安堵と希望の光が宿った。
デュークは敵の真っ只中に銃口を向け、新リーダーに向けて通信を飛ばす。
『俺の隊を返してもらう。……ガラクタの掃除は、俺たちにしかできないんでね』
帰ってきた。
失われたはずの「要」が戻り、第一大隊の少年たちの目から、死の恐怖が消えていく。
彼らはデュークという核を中心に、まるで呼吸を合わせるように再び戦列を組み直した。
デュークは、リナを過去に置いてきた。
その代わりに、目の前で命を燃やす仲間たちを、今度は二度と失わないと心に誓って、再び戦場の中心で引き金を引いた。
敵の猛攻が一時的に止んだ、わずかな静寂の隙間。
雪原に散らばっていた部隊の残存機が、スキャベルの合図で一箇所に集まる。鈍い駆動音を響かせ、各機が背中を預け合うようにして陣形を組んだ。
通信回線には、ザラついたノイズと、重苦しい沈黙が流れている。
最初に口を開いたのは、ブリザード・アイだった。彼女の声はかつてないほど低く、震えていた。
『……デューク。あんた、基地へ帰るつもりはないんでしょ』
彼女の問いかけに、デュークは戦場の火線を見つめたまま答える。
『……戻れば、間違いなく解体だ。俺は軍の資産としてではなく、一人の人間として、最後の一秒までこの機体で戦いたい』
『そうだろうね』
ブリザード・アイは少しだけ言葉を切り、続けざまに厳しい事実を告げた。
『管制の記録を見たわ。あんたの脱獄は反逆罪として全域に手配が回っている。戻れば即刻、拘束と解体。逃げ続ければ……軍の全ユニットが、私たちを排除するために差し向けられる』
スキャベルが、荒い息を吐きながら通信に割り込む。
『笑えねぇ状況だな。……おい、みんな聞いたか。今の作戦目標を達成したところで、俺たちを待っているのは勲章じゃなくて、『戦犯』という名の処刑台だ』
通信回線に、仲間の戦士たちの戸惑う声が重なる。
帰れば処罰。逃げれば追っ手。どちらに転んでも、安息の地などどこにもない。
『ここで全員で決めるぞ』
スキャベルの声に、戦場の熱気とは違う、冷徹な響きが宿る。
『基地に戻って『模範的な部隊』として幕を引くか。それとも、デュークを連れてここから逃亡し、最後まで自分たちのための『戦い』を続けるか。……多数決なんて悠長なことは言ってられねぇ。全員、覚悟を決めろ』
スキャベルは、自身のケルベロスの主砲を、味方へ向けるのではなく、基地の方向へ向けて突き出した。
『俺は、デュークが戻ってきただけで十分だ。あいつを差し出して生き残るくらいなら、ここで終わる方がマシだ』
『私もよ』
ブリザード・アイが即座に呼応する。
『あいつがいない場所で、また計算機みたいに戦うなんて御免だわ。私たちが守るべきは『軍の資産』じゃない。デューク、あんた自身の命よ』
次々と、仲間たちの通信が繋がっていく。迷いのある声もあれば、死を覚悟した者の静かな決意もある。
デュークは、コックピットの中で小さく息を吐いた。
自分を守るために、仲間たちが一生を棒に振ろうとしている。その重みに、胸が締め付けられるような痛みを感じた。だが、不思議と今は、恐怖はない。
『……お前たち、後悔するぞ』
デュークが言うと、スキャベルが通信越しに短く笑った。
『今さら何を言ってやがる。……俺たちは、最初から後悔なんてする余裕がないほど、擦り切れたガラクタなんだよ』
戦場を包む風が、激しさを増す。
彼らは軍の犬ではなく、自分たちの意志で「道」を選ぼうとしている。
逃亡か、死か。
戦場の静寂が、まるで冷たい刃のように彼らを切り裂く。
通信回線に、新リーダーである「アイアン・フィスト」の声が鋭く割り込んできた。彼は事態を察知し、あえて通信を傍受して割り込んできたのだ。
『通信を傍受した。……貴様ら、狂ったか? 逃亡は即座に抹殺を意味する。基地に戻り、デュークを差し出せ。そうすれば、貴様らの身分と機体寿命の保証は継続してやる』
フィストの声には、迷いが一切ない。彼は「効率」と「軍の秩序」を信奉する男だ。
しかし、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ブリザード・アイが即座に通信を遮断した。彼女は冷ややかな声で、隊員全員に向けて告げる。
『……聞いたわね。これが軍の答え。デュークを引き渡せば、私たちはまた、魂を抜かれた抜け殻として明日を迎えることになる。……誰か、戻る者はいる? 今ならまだ、私を撃って帰還すれば功績になるわよ』
通信回線には、数秒の沈黙が流れた。
基地へ戻れば、生存は保証される。だが、それは昨日までの死んだような日々の繰り返しだ。
『笑わせるな』
スキャベルが吐き捨てるように言った。
『俺は、あいつ(フィスト)の指揮下で機械みたいに戦うくらいなら、このケルベロスの自爆スイッチを押してここで果てる方を選ぶ。……デューク、あんたはどうする? あんたについて行ったら、間違いなく地獄だぞ』
デュークは、震えそうになる手を自らの胸に当て、ヴィフレストのメインカメラを仲間たちの機体へと向けた。
彼はもう、リナの幻影に逃げ込むことはしない。
『地獄か……望むところだ。だが、行くなら俺の意志で決めてくれ。……俺は、軍の道具としてではなく、お前たちという『人間』と共に生きたい。もし、それに賭けてくれる奴がいるなら……』
その瞬間、ブリザード・アイのフェンリルが、デュークの機体にぴったりと寄り添うように移動した。
続いて、残された数少ない機体が次々とデュークを囲むように陣形を組む。新リーダーの警告など、最初から聞こえていなかったかのように。
『……デューク。あんたがリナのことを話してくれた時、私は決めていたのよ』
ブリザード・アイが、静かに通信を飛ばす。
『あんたが過去を追うのをやめて、今を生きようとした。なら、その『今』を奪わせるわけにはいかないでしょ』
スキャベルがケルベロスの主砲を、堂々と基地の方角へ向けた。
『聞こえたか、フィスト。これが俺たちの回答だ。……基地への帰還コードは破棄した。これより第一大隊は、軍の管理下を離脱する』
通信回線の向こうで、フィストが何かを怒鳴っているのがかすかに聞こえたが、スキャベルはその回線を完全にシャットダウンした。
通信機から、プツリ、という音がして、ノイズさえも消えた。
彼らは今、歴史上初めて、軍という巨大な檻からその身を解き放った。
『全機、進軍開始』
デュークが叫ぶ。
その声には、過去を背負った哀しみも、未来への不安もない。あるのは、仲間と共に戦場を駆けるという、戦士としての純粋な高揚感だけだった。
ヴィフレストが先陣を切り、彼らは基地とは反対側の、深い嵐の渦巻く未知の宙域へと機体を加速させた。
背後で、かつて所属していた基地が、小さく点滅しながら遠ざかっていく。
逃亡者という名の、新たな戦場が幕を開けた。
それは死か、それとも本当の自由か――。答えを出すのは、これからの彼ら自身の「命」だけだ。
軍の網を潜り抜け、彼らはレーダーの届かない極寒の荒野、通称「沈黙の谷」へ身を隠した。
空には人工的な衛星光も届かない、本物の星空が広がっている。
ヴィフレスト、ケルベロス、フェンリル。
かつては誇り高い軍の尖兵だった機体たちは、今や所属を失い、ただの「逃亡者の鉄屑」として雪原にうずくまっていた。
コックピットの明かりを極限まで絞り、デュークはハッチを開けて外に出た。
雪が肌を刺す。彼は端末を取り出し、仲間たちの生体情報を確認する。そこには、残酷なまでに正確な「残り時間」が記されていた。
• デューク:8年と11ヶ月
• スキャベル:9年と1ヶ月
• ブリザード・アイ:8年と12ヶ月(約9年)
• その他隊員(カイル含む):20年以上
自分たちは、長くてもあと9年足らずで灰になる。
一方で、自分たちが命懸けで守り抜いてきた年若い隊員たちは、20年以上の未来を背負っている。
「……計算通りにいけば、俺たちが死んだ後も、あいつらは生き残れるな」
不意に背後で雪を踏む音がして、スキャベルがやってきた。彼もまた、機体から降りて手袋を脱いでいる。その手は、凍傷と過負荷で青白く変色していた。
「何を計算してるんだ? 隊長殿」
「……あいつらのことだ。カイルたちには、俺たちとは違う未来がある」
スキャベルは鼻で笑い、近くの岩に腰を下ろした。
「奇遇だな。俺も同じことを考えてた。俺たちは『使い捨ての燃料』として製造されたが、あいつらは違う。俺たちがここで泥を食ってでも道を切り開けば、あいつらは、あいつらが望む『人間らしい死に方』を選べるかもしれない」
そこへ、ブリザード・アイも静かに合流する。
彼女は言葉少なく、ただ空を見上げていた。
「軍は追ってくる。休息はあと数時間。その後は、追っ手を撒きながら南の禁断領域へ向かうわよ。……あそこなら、軍も手出しできない」
デュークはうなずき、胸ポケットの中のワイズのプレートに触れた。
もう、リナを追いかけるための「寿命」ではない。
この仲間たちと、まだ見ぬ未来をカイルたちに手渡すための、残り9年の命だ。
「……行こう。俺たちの戦いは、今日からが本番だ」
遠くで、吹雪が唸りを上げる。
それは軍の追撃の音か、それとも彼らを祝福する嵐か。
軍から逃亡した反逆者たちの、最初の夜が更けていく。彼らにとって、これまでの人生で一番短く、そして一番濃密な一日が終わろうとしていた。
翌朝、デュークは操縦桿を握り直し、隣を走るスキャベル、ブリザード・アイ、そしてカイルたちの方へ視線をやった。
「……行くぞ」
その声は、かつてワイズが放った言葉のように、暗闇を切り裂くほどに澄んでいた。
逃亡という名の日々の中で、彼らもまた、消える寸前のロウソクのように、誰よりも強く、激しく輝き始めている。
「ワイズ、見ていてくれ。……俺たちは、最後まで燃え尽きるつもりだ」
彼らは夜の闇を突き抜け、地平線の彼方にある希望を目指して、再びその足を加速させた。
氷壁の影を縫うようにして、三十名のオルトロス・レジスタンスが進む。
先頭をゆくデュークのヴィフレストが、雪の下に隠された地雷反応を察知し、瞬時に機体を旋回させて回避する。後続のスキャベルたちが、一切の無駄なく隊列を修正し、その動きを追う。
『……今の反応、軍の旧式センサーか。奴ら、この谷の入り口を既に封鎖しに来てる』
ブリザード・アイの冷徹な報告に、デュークは眉を寄せた。
彼らが選んだルートは、誰にも見つからないはずの「死の谷」だった。だが、軍の追撃部隊は、彼らがかつて「軍の資産」として刷り込まれた通りの予測ルートで、網を張っている。
「……あいつらは、俺たちがどこへ向かうかを知っているのか?」
デュークが呟く。自分たちが何を考え、どこを目指すのか、軍はデータとして握っているのだ。だが、そのデータには一つだけ、決定的な欠落がある。
それは、ワイズが遺した「ロウソクの火」、つまり理屈を超えた「意地」の計算だ。
『デューク、前方に熱源反応。数……三十……いや、四十! 追撃の先鋒だ。……奴ら、正面からぶつかってくるつもりよ』
ブリザード・アイの声に、緊張が走る。
この雪原の狭隘部で四十機を相手にすれば、いくら彼らでも被害なしでは済まない。
その時、デュークはかつてワイズが教えてくれた「限界のその先」を思い出した。
機体出力を上げるのではない。あえて出力の「熱」をコックピットの装甲の外へ逃がし、周囲の雪原を一瞬にして融解させる。
「カイル、支援班、いいか! 俺が氷壁を溶かす。地盤が崩れると同時に、スキャベル、火力を叩き込め!」
『了解! ……全員、隊長に合わせろ!』
デュークはヴィフレストのコアを、かつてワイズがしたように極限まで過熱させた。
コックピットが焼けるような熱気に包まれる。リナの幻影はもう見えない。そこにあるのは、ワイズの灯した光が、今の自分たちを照らしているという確信だけだ。
「……見とけよ。俺たちも、消える寸前まで明るく輝いてやる!」
デュークが咆哮とともに前方の氷壁に突っ込む。
次の瞬間、雪原全体が轟音を立てて崩落し、軍の追撃部隊を雪の底へと飲み込んでいった。
敵の先鋒が壊滅し、視界が晴れる。
そこには、これまで軍が管理していた地図の外側、誰も踏み込んだことのない「自由な地平線」が広がっていた。
俺たちは立ち止まらない。
三十機の機体が、雪煙を上げて未踏の地へと踏み出していく。デュークの心の中には、もう何の迷いもなかった。
彼らが目指すのは、大陸の西の果て、断崖と常緑の森に囲まれた中立国**「ヴェリディア」**。
かつての帝国主義的な軍事機構から最も遠い場所にあるとされ、彼らにとっては、まさに地図の空白地帯であり、聖域のような響きを持つ場所です。
追っ手の軍勢を雪崩の底に沈めてから、数日。
彼らはついに、軍の通信網が一切届かない「沈黙の果て」へと到達していた。
氷の荒野は終わりを告げ、代わりに姿を現したのは、霧に包まれた深い針葉樹の森と、険しい山岳が連なるヴェリディアの国境付近だ。
空の色が違う。かつての戦場を覆っていた重苦しい鉛色は消え、西の空には、どこまでも広がる澄んだ蒼が広がっている。
「……通信が、完全に沈黙したわ」
ブリザード・アイが、フェンリルのモニターを確認しながら、短く息を吐いた。彼女の表情からは、常に敵の熱源を探り続けていた鋭い緊張が消え、初めて「休息」というものに戸惑うような柔らかな色が浮かんでいる。
スキャベルも、ケルベロスのコックピットから降り、腰を伸ばした。
金属の軋む音と、遠くで鳴く名もなき鳥の声以外、ここには何の命令も、爆撃の轟音もない。
「なあ、デューク。これが『自由』ってやつか? ……あまりに静かすぎて、耳がおかしくなりそうだ」
デュークはヴィフレストの傍らに立ち、湿った大気を深く吸い込んだ。
戦場から逃げ出してきて、初めて感じる「無音」。
かつては、この沈黙が怖かった。何が起きるか分からない、何者にも守られていないという孤独が、彼を苛んでいたからだ。しかし今の彼には、この何もない時間が、自分たちが生きているという証のように感じられた。
三十名の仲間たちは、それぞれ機体の周りで焚き火を囲んだり、あるいはただ地面に座り込んで空を見上げたりしている。
誰も指揮管制からの指示を待っていない。自分たちの機体の、どの部品を直すか、明日はどの森を越えるか。すべてを自分たちで決められるという事実。
「カイル、無理に機体調整をしなくていい。……今は、ただ寝ろ」
デュークの言葉に、若手の兵士たちが顔を見合わせ、安堵したように微笑む。
彼らにとっては、それまで「戦うこと」以外になかった人生で、初めて手に入れた贅沢な時間だった。
夜、デュークは一人、静かな森の小川のほとりに座った。
ワイズのプレートを胸から取り出し、冷たい水にさらす。
このプレートは、あの日からずっと自分と共に地獄を歩んできた。だが、もうこのプレートの中に、救いを求める必要はない。
彼らはヴェリディアを目指している。
そこが約束の地か、それともただの幻か。それは分からない。だが、少なくとも今の自分たちは、誰の命令でもなく、自分たちの意志で西へ向かっている。
「ロウソクは、消える寸前が一番明るい――か」
デュークは小さく呟いた。
残り8年と11ヶ月。
それは短い時間かもしれない。だが、軍の歯車として消費されるはずだった時間を、自分たちのために使い切るという決意があれば、この時間は誰よりも濃く、熱く燃え上がることができるはずだ。
風が森を揺らす。
デュークは、久しく忘れていた「明日」への期待を抱きながら、仲間たちが待つ焚き火の方へと歩き出した。
眼下のカレントリーパーの銃口が、まるで獲物の心臓を狙い定めるかのように、デュークたちの隠れている枝の隙間へゆっくりと向いてくる。
(……バレたか。いや、まだだ。奴らはまだ確信していない)
デュークは極限の集中の中で、敵のセンサーが発する微かな磁場を皮膚で感じていた。カレントリーパーのEMP兵器は、獲物の生体反応と機体の残留熱を照合しようとしている。もし今、誰か一人でも身じろぎをすれば、確実にその電磁波が彼らの心臓を焼き払うだろう。
デュークは無言で、背後に控えるブリザード・アイとスキャベルに合図を送る。
――『奇襲は俺一人で行う。お前たちは合図があるまで絶対に動くな』。
その視線には、かつてワイズがヨトゥンへ突っ込んだ時のような、静かな決意が宿っていた。
彼は機体を離れ、枝から枝へと影のように跳躍する。カレントリーパーの巨大な頭部、そのセンサーが集約された最上部のカメラユニットへ肉薄する。
敵がトリガーを引くより速く。
デュークは腰のナイフを引き抜き、敵の冷却排気口のカバーを強引に引き剥がした。そこに、彼が持ち歩いていた「高濃度冷却ゲル」を叩き込む。
シュウウゥゥッ! と嫌な音が鳴り響き、カレントリーパーの電子センサーが瞬時に凍りついた。
『――!? ターゲット確認、座標……っ!』
混乱する敵兵の通信。デュークはその頭上で叫んだ。
「今だ、スキャベル! 全火力、一点集中!」
その合図を待っていたかのように、森の静寂を切り裂いて咆哮が響く。
木の上から一斉に展開したスキャベルたちのケルベロス部隊が、隠蔽を解いて火線を放つ。カレントリーパーの周囲の地面が弾け飛び、青白い電磁の光が乱反射する。
突発的な奇襲に、軍の死神たちは陣形を乱した。
重装甲で正面からは崩せないカレントリーパーも、不意を突かれ、センサーを潰されてはただの鈍重な鉄の塊だ。
「全員乗り込め! ここで消耗戦はするな!」
デュークはカレントリーパーの肩を踏み台にして宙を舞い、地上のヴィフレストへと着地した。
森が燃え上がる炎に包まれる中、三十名の機体が一斉に駆動音を上げ、敵の包囲網を逆方向に突破していく。
背後で、カレントリーパーのEMPが空しく夜空を裂く。
だが、彼らはもうその場にはいない。
疾走するヴィフレストの中で、デュークは深く息を吐いた。
心臓は早鐘を打っている。だが、その胸にあるのは恐怖ではなく、確実に「死神」を出し抜いたという手応えだった。
「……見たか、ワイズ。俺たちはまだ、使い物になるぞ」
西へ。ヴェリディアへの道は、まだ始まったばかりだ。
ニヴルヘイム連邦の追っ手を振り切った代償として、彼らは自分たちの「足跡」を決定的に残してしまった。
地図を開けば一目瞭然だった。目的地である西の聖域「ヴェリディア」へ向かうには、ニヴルヘイムが現在最も軍事力を注ぎ込んでいる広大な占領地――通称**「鉄の回廊」**を縦断する以外に道はない。
そこは、常に監視衛星と無数の無人索敵ドローンが空を覆う、敵国の心臓部だ。
「……正気か? ここを抜けるのか」
スキャベルがモニターに表示された赤色地帯を見つめ、思わず苦笑した。そこは軍の補給線が密集し、各所に防衛拠点と迎撃砲台が設置された、言わば『蜂の巣』だ。
デュークは冷めた目でルートをなぞる。
「隠れて通るなんて最初から無理だったんだ。奴らの監視網は、虫一匹の移動すら見逃さない」
「じゃあどうする? 正面突破?」
ブリザード・アイの問いに、デュークは深く呼吸をしてから言った。
「いや、『紛れ込む』。軍の補給部隊の偽装信号を奪い、奴らの正規軍の真っ只中を、堂々と行進する」
三十名の生存者たちは、狂気とも言える作戦を即座に飲み込んだ。
かつて軍の「資産」として訓練された彼らには、軍の識別信号や通信プロトコルを偽造する術が叩き込まれている。だが、それは敵の懐に飛び込むという、極めて高いリスクを伴う賭けだった。
鉄の回廊 ―― 偽装行軍
翌朝、鋼鉄の空の下で彼らは行動を開始した。
彼らのヴィフレストやケルベロスは、急ごしらえの装甲板と連邦軍のマーキングを施され、遠目には補給物資を運ぶ「後方支援隊」の姿に偽装されていた。
「全機、機体出力を最小に。通信機は傍受専用に切り替えろ。余計な信号は出すな。……我々は今、ニヴルヘイムの忠実な犬だ」
デュークの指示に従い、三十機の機体が編隊を組む。
彼らの隣を、本物の軍用輸送機が轟音を立てて追い抜いていく。敵の検問所が目の前に迫る。そこでは、数十機のカレントリーパーが警戒にあたっていた。
(バレれば終わりだ。だが、あいつらは『味方が自分たちを裏切るはずがない』という傲慢を持っている)
デュークは冷や汗を流しながらも、一切の動揺を見せずに識別信号を送信した。
検問所のレーダーが彼らの機体の上をなぞる。心臓が早鐘を打つ。ワイズがかつて教えてくれた「限界のその先」――恐怖を完全に殺し、ただの機械の一部になりきる精神統一。
『識別コード、確認……。支援隊、通過を許可する』
ゲートが開く。
彼らは何食わぬ顔で、敵国のど真ん中を堂々と通り抜けていく。
しかし、そのすぐ横では、自分たちが昨日まで戦っていた仲間や、犠牲になった者たちの記録が、敵のモニターで「排除対象」として流れているのを目撃する。
「……あいつらは、俺たちが死んだと思っているんだな」
スキャベルが通信で小さく呟く。
彼らは今、敵の掌の上でダンスを踊っている。この「鉄の回廊」を突き抜けるまで、彼らは一度も呼吸を乱すことは許されない。
西へ、さらに西へ。
ヴェリディアの影さえ見えない距離だが、彼らの覚悟は確実に、敵国の心臓部を蝕み始めていた。
「鉄の回廊」の検問所は、ただの通行許可証を見る場所ではなかった。
警備に当たっているのは、感情を持たない自律式無人機――『ガーディアン・アイ』。彼らは識別信号だけでなく、機体内部の生命反応や、搭乗者の生体データをセンサーで逐一スキャンするようプログラムされている。
ゲートの前で停止したデュークのヴィフレストに、数機のドローンが群がり、青白いスキャン光を浴びせてきた。
『識別コード、照合完了。……搭乗者の生体反応を検知。不一致。機体内部の確認が必要』
スピーカーから流れる合成音声に、周囲の空気が凍りつく。
後ろに続くスキャベルたちの機体も、次々とスキャンされ、停止を命じられている。
「……バレたか」
スキャベルが吐き捨てるように呟く。だが、デュークは冷静だった。
彼は最初から、この検問所で「偽装がバレる」ことを想定していた。彼が練り上げていたのは、単なる偽装ではない。**「生体反応の逆転移」**という、本来なら禁忌とされる戦術だ。
「カイル、準備はいいか。俺たちの生体データを、機体のダミー回路へ強制的に同期させる」
「……っ、了解! でも、それだと僕たちの体温と鼓動が、数分間完全に停止したみたいに認識されますよ!」
「それでいい。奴らのセンサーは『死体』か『機械』しか見ない。……俺たちは、一時的に『人間であることを辞める』んだ」
デュークはメインコンソールを操作し、強引に機体の冷却装置をオーバーロードさせた。
コックピット内の気温が急激に低下し、兵士たちの心拍数が人工的に抑制される。極限の寒冷と静寂。デュークたちは自らの肉体を、強制的に「冷凍保存」に近い状態へと追い込んだ。
センサーが、デュークたちの身体をスキャンする。
モニターには、人間特有の温かな鼓動の代わりに、整備された機械パーツの冷たい反響だけが表示された。
『スキャン完了。生体反応、検知されず。……判定:無人運送機。通行を許可する』
ゲートが重々しい音を立てて開き始めた。
カイルたちが震える息を必死に殺しながら、機械のふりをして通過していく。あと数秒遅れていれば、低体温症で意識を失っていたかもしれない。
しかし、最後の一機がゲートを抜けようとしたその時、警備用の大型ドローンが不審な動きを見せた。
『……待て。一点、異常を確認。当該機体から、微弱な「記憶の残滓」のような電子信号を確認。……念のため、機体内部の強制開放を行う』
ドローンのアームが、カイルの機体のハッチに伸びる。
機械のフリをして生き延びた彼らの目の前で、隠していた「人間としての記憶」が、皮肉にもスキャンの隙間から漏れ出したのだ。
デュークは迷わず、突き進んでいた機体を反転させた。
「……全員、隠蔽解除! 奴ら、俺たちを人間だと見抜いた! 鉄の回廊のど真ん中で、地獄を見せてやるぞ!」
機械のふりをするのは終わりだ。
ハッチから冷気が立ち上る中、デュークたちは本来の熱量を一気に解放し、検問所を内側から破壊し始めた。
偽装という名の舞台は終わり、彼らは自分たちの命を懸けた、正真正銘の反逆者として戦場に躍り出た。
検問所を破壊し、警報が連邦全域に鳴り響いた。
もはや隠密行動は不可能だ。空を見上げれば、無数の迎撃ドローンが編隊を組んで殺到し、地平線の彼方からは連邦軍の主力戦車隊が土煙を上げて迫ってくる。
「……計算通りだな。奴らの本気は、これくらいか」
スキャベルがケルベロスの主砲を撃ち放ち、先頭の戦車を爆散させるが、次から次へと新しい標的が補充される。三十対一千。絶望的な戦力差だ。
逃げ場のない「鉄の平原」で、彼らは完全に包囲された。
『こちらニヴルヘイム連邦防衛軍。反逆者ども、全機武装を解除して跪け。貴様らに明日はない』
通信機から流れる無慈悲な宣告。
カイルたちが乗る支援機体が損傷を受け、火花を散らす。ブリザード・アイのフェンリルも、シールドを半分削り取られ、膝をつきかけていた。
「デューク! ダメだ、もう囲い込まれる!」
ブリザード・アイの叫びに、デュークはコックピットの中で静かに目を閉じた。
モニターに表示された、仲間たちの寿命――20年以上を残した彼ら。そして、あと9年足らずで消える自分たちの寿命。
(……俺たちの「使い道」は、ここで決まる)
デュークはヴィフレストのメインシステムを、安全回路ごとショートさせた。コックピットが赤い警告灯に染まり、機体から限界を超えた高熱が噴き出す。
「全員、よく聞け」
デュークの声は、通信越しに驚くほど静かに響いた。
「この先、ヴェリディアへの道は俺が作る。……カイル、お前たちは俺が突破口を開いた瞬間、迷わずその背後を突き抜けろ。一度も振り返るな」
「隊長!? 何を言って……そんなことしたら、あなたは……!」
「――『ロウソクはな、消える寸前が一番明るいんだよ』」
デュークは、かつてワイズが言った言葉を噛みしめるように呟いた。
ヴィフレストの全出力を、足元の推進器と前方へ向けるエネルギー砲に集中させる。機体のフレームが熱で歪み、警報が鳴り止まない。
「俺の残り時間は、9年だ。だが、この9年分を今この瞬間に燃やせば、奴らの防壁くらいは簡単に焼き切れる」
デュークは操縦桿を握りしめ、地平線を埋め尽くす連邦軍の軍勢を正面に捉えた。
かつては恐怖でしかなかった「死」が、今は仲間を守るための最も熱い「燃料」に思えた。
「行くぞ。俺たちの『道』を、歴史に刻んでやる」
ヴィフレストが、太陽よりも眩い光を放ち始めた。
それは、ニヴルヘイム連邦の軍勢さえも一瞬にして白銀に塗り替えるような、圧倒的な閃光だった。
その瞬間地平線が、デュークが放とうとした閃光よりも遥かに速い、真紅の対空レーザーで塗りつぶされた。
「――っ!?」
デュークが叫ぶ間もなかった。連邦軍の包囲網を形成していたカレントリーパーたちが、上空から降り注いだ精密な飽和攻撃によって、次々と爆炎の花を咲かせていく。
それは軍の無機質な攻撃ではなく、まるで戦場を舞うダンスのような、優雅でいて破壊的な連係攻撃だった。
空を埋め尽くしていた無人ドローン群が、漆黒の機体群によって瞬く間に掃討されていく。
『こちら、ヴェリディア共和国独立空域防衛隊。対象を味方として認識した。……これよりエリアを確保する』
通信回線に入ってきたのは、冷たく、それでいてどこか懐かしい響きを持つ女性の声だった。
デュークの機体が、強制停止した出力の余韻で震える。スキャベルとブリザード・アイも、信じられないものを見るように上空を見上げた。
雲を突き抜けて降下してきたのは、ヴェリディアの紋章を纏った重武装の機動打撃軍。その先頭をゆく、深紅のラインが入った特殊機体が、デュークのヴィフレストの目の前に着地した。
ハッチが開く。
そこに立っていたのは、かつてデュークたちが軍の管理下にいた頃、彼らの面倒を見ていた指揮官――**「マリア」**だった。
かつて軍を去り、死んだと噂されていた彼女。なぜ彼女が、この敵国のど真ん中に、しかもヴェリディアの軍を率いて現れたのか。
「……遅かったかしら。もう少し早ければ、あんたたちの派手な自爆を見なくて済んだんだけど」
マリアはかつてと変わらぬ、少し呆れたような笑みを浮かべていた。
デュークは震える手でハッチを開け、地上に降り立つ。彼の寿命は、まだ削られていない。ワイズのプレートが胸の中で、静かに鼓動を打つかのように熱を帯びている。
「大佐……なぜ、あんたがここに」
「話はあとよ、デューク。連邦軍の増援が来るまで、あと数分。……私の部隊についてきなさい。ヴェリディアまで、最短の道を案内してあげる」
マリアは背を向け、自身の機体へと戻っていく。
彼女の部隊が展開した防衛フィールドのおかげで、彼らは圧倒的な戦力差という死の淵から、間一髪で生還したのだ。
カイルたちが呆然と立ち尽くす中、スキャベルが皮肉っぽく笑った。
「おいおい、最高の上官だな。……まさか、俺たちの逃亡劇に特等席を用意してくれていたとは」
「……行くぞ」
デュークは仲間たちを見渡した。
三十名の生存者。死ぬはずだった場所に、希望が舞い降りた。
ヴェリディアの深紅の軍団を先頭に、彼らは「鉄の回廊」を突破するための、本当の反撃を開始する。
ヴェリディア共和国の深紅の装甲を纏った機動部隊が、デュークたちの周囲を完璧なフォーメーションで固める。ニヴルヘイム連邦の監視網を、まるで大波が砂の城を押し流すかのように無効化しながら、一行は西の果てへと突き進んでいた。
ヴェリディアの主力機が空を制圧しているため、今までの潜伏行軍が嘘のように、彼らは堂々と戦場を駆け抜けていく。
「……昔より機体の扱いが荒くなったわね、デューク」
前方をゆくマリアの指揮官機から、通信が届く。昔懐かしい、少し呆れたような、しかし核心を突く声だ。
デュークはヴィフレストの操縦桿を握り直し、苦笑した。
「……中佐こそ。死んだはずの人が、どうしてあんな派手な登場を?」
「死んだことにしたのよ。あの大層な組織で、誰かの駒として最後を迎えるつもりはなかったから。……今は、自分の意志で動く部隊の指揮を執っているわ」
マリア――かつての上官は、淡々と言った。
「あんたたちの逃亡は、こちらでも『興味深いデータ』として掴んでいた。……私の部隊は、管理されることに飽き飽きした『はぐれ者』の集まりよ。あんたたちと同じね」
その後ろで、ヴェリディア独立機動部隊の若い兵士が、無邪気な様子で通信に割って入ってきた。
「隊長! 噂の『鋼の反逆者』って、もっと無骨な人たちだと思ってました! 指揮官機との並走、距離の詰め方がめちゃくちゃ綺麗ですね!」
スキャベルがその言葉に鼻を鳴らす。
「おいおい、褒めても何も出ねぇぞ。……ったく、ヴェリディアの連中は、戦場でこんなに余裕があるのか?」
「余裕じゃないですよ、スキャベルさん! 隊長……いや、マリア中佐の指揮下では、全員が『最高のパフォーマンスを出すための最短ルート』を計算してるだけです。マリア中佐の戦術予測は、連邦のAIより数手先を行ってますから!」
ブリザード・アイが、少しだけ表情を緩めた。
「……効率だけを重視した、血の通わない機械の予測じゃない。……ねえ中佐。あんた、今でも『ロウソク』の火を消させないように戦っているの?」
通信の向こうで、マリアがわずかに沈黙した。
「……デュークが、まだその言葉を大事にしているなんてね。ワイズは、あんたたちに火を灯して死んだ。……私は、その火が燃え尽きるのを、ただ黙って見ているつもりはないわ」
マリアの言葉には、軍人としての規律と、かつての部下を思う温かな情が混ざり合っていた。
かつては「資産」として、管理されるがままに戦うしかなかった彼ら。しかし今は、ヴェリディアの護衛を受け、かつての指導者と共に、自分たちの未来を選び取ろうとしている。
「中佐、あとどれくらいで国境に着く?」
デュークが尋ねると、マリアは迷いのない声で答えた。
「あと三時間。……鉄の回廊を抜ければ、そこはヴェリディアの懐よ。ようやく、あんたたちが『兵器』ではなく『人間』として眠れる場所に着くわ」
三十名の生存者たちは、互いの顔を見合わせた。
二十年以上の未来を持つカイルも、残り少ない寿命を燃やすデュークたちも。
誰もが、その「三時間後」という、かつては想像もできなかった平和な響きに、胸を熱くしていた。
ヴェリディア軍の施設の一室。壁一面のモニターには、国境の様子や穏やかな風景が映し出されているが、そこに集まった30名の隊員たちの間には、どこか落ち着かない空気が流れていた。
マリア中佐が扉を開けて入ってくると、全員が反射的に背筋を伸ばし、直立不動の姿勢をとった。長年染み付いた「兵士」としての習慣だ。
「……楽にして。今は軍の基地じゃない、ヴェリディアの保護施設よ」
マリアが苦笑しながら促すが、スキャベルやブリザード・アイをはじめとする面々は、どこか居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。
「中佐」
デュークが重い口を開いた。彼の瞳には、安堵とは別の、静かな動揺が宿っている。
「……市民証は受け取りました。ここには、俺たちを追い立てる命令も、解体を迫る管制の音声もありません。……ですが」
デュークは言葉を切り、ブリザード・アイと視線を交わした。彼女の肩も、まだ鎧を脱ぐことを拒んでいるかのように強張っている。
「『明日、何をすればいいか』という命令が、誰からも下されない。……それが、俺たちにはひどく恐ろしいんです。この8年と11ヶ月という残り時間を、ただ『生きて消費する』ということが、戦場で死ぬよりも難しいことに思える」
スキャベルも、不器用に指を組み合わせた。
「俺もだ。朝起きて、戦場へ向かう準備をしないで何をする? 腹を空かせて、ただレーションを食って、また寝るだけか? ……そんな生活に、何の意味があるんだ?」
カイルたち若手でさえ、未来はあっても、その「自由な時間」をどう扱えばいいのか戸惑っているのが伝わってくる。彼らにとって人生とは、常に「敵」と「任務」の対比で語られるものだった。それを失った今、彼らは自分という存在の輪郭を見失いそうになっていた。
マリアは彼らを一人ずつ見回した。
その目は、かつての厳しい教官としての眼差しではなく、迷子を見守るような慈悲に満ちていた。
「……そうね。一日で『人間』に戻れなんて言ったら、それこそ無茶な命令だわ」
マリアは壁のスイッチを押し、モニターの明かりを消した。部屋が薄暗くなり、彼らの顔から軍の規律という仮面が少しだけ剥がれ落ちる。
「焦る必要はないわ。あんたたちは、死ぬために戦ってきたんじゃない。生きたかったから、ここまで来たんでしょ? ……明日から、とりあえずはこの施設の庭いじりでも、機体のメンテナンスの手伝いでもいい。自分が『やりたい』と思える小さなことから始めてみて」
彼女はデュークの肩にそっと手を置いた。
「答えなんて出なくていい。この8年、あるいは20年。その時間をどう使うか、何を感じるか。それを考え続けること自体が、あんたたちが始めた新しい『戦い』なんだから」
デュークは黙って頷いた。
彼らの心には、まだヴェリディアの平穏と、自分たちの未熟な精神との間に深い溝がある。
兵器として生きた彼らが、一人の市民として地に足をつけるまでには、戦場を駆けるよりも長い時間と、誰かの寄り添いが必要なのだと、改めて悟った夜だった。
部屋に静寂が戻り、重たい空気だけが残された。
他の隊員たちがそれぞれの休息場所へ向かった後、デューク、ブリザード・アイ、スキャベルの三人は、薄暗い照明の下で沈黙を分け合っていた。
先に口を開いたのは、ブリザード・アイだった。彼女は、デュークがずっと抱えていた「あの名前」を、傷口に触れるように小さく呟いた。
「……リナのこと。ずっと、言えずにいたのね」
スキャベルもまた、椅子の背もたれに深く体重を預け、表情を強張らせている。戦場を共にした仲間として、彼らはデュークがどれほどその死を引きずり――あるいは、その死を糧にして戦ってきたかを知っている。
「思い出すたび、胸が焼けるようだろ」とスキャベルが低く言った。「あの時、俺たちがもう少し早く動けていれば。……お前一人に、全部背負わせたことが、どうしても引っかかっているんだ」
二人の視線は、デュークの胸元に向けられていた。そこには、ワイズのプレートと共に、リナの記憶が重く横たわっているはずだ。二人はデュークが壊れてしまわないか、ずっと心配してきたのだ。
デュークは窓の外、ヴェリディアの穏やかな夜空を眺めていた。かつてリナと共に見た、戦火に彩られた空とは違う、静かな星空。
「心配するな」
デュークは振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。それは、戦場で仲間を鼓舞するための強がりではなく、すべてを受け入れた者の表情だった。
「……確かに、あの日を忘れたことは一度もない。悔しさも、悲しみも、俺の体のどこかにずっとこびりついている。だが、今こうして俺が生きて、お前たちとここにいる。それは、リナが俺に託した命の続きだと思っているんだ」
デュークは自らの胸に手を当てた。
「後悔がないと言えば嘘になる。だが、あの選択を間違っていたとも思わない。俺は、自分ができる限りの全てを出し切った。リナが命を賭けて繋いだこの命を、ここで無駄に朽ちさせるつもりはないよ」
デュークの言葉には、迷いがなかった。それはリナの死を無意味なものにしないという、彼なりの決着だった。
ブリザード・アイは安堵したように小さく息を吐き、スキャベルは少し照れくさそうに顔を背けた。
「……そうかよ。ならいいんだ」
スキャベルがぶっきらぼうに言い、ブリザード・アイも静かに頷く。
「そうね。……あなたがそう言うなら、それが答えなのね」
夜の静寂の中で、三人の間にあったわだかまりが、少しずつほどけていく。
兵器として死ぬことだけを考えてきた彼らが、こうして過去の傷を認め合い、未来について語り合えるようになったこと。それこそが、彼らが「人間」へと戻るための、最初の小さな一歩だった。
ヴェリディアでの穏やかな日々が始まって、早数週間が経った。
戦火の匂いは消え、朝になれば鳥が鳴き、夜には静かな眠りがある。かつての仲間たち――三十名の元遊撃部隊の面々は、慣れない手つきで木を植えたり、街の修繕を手伝ったりして、少しずつ「市民」としての表情を取り戻しつつあった。
スキャベルは地元の農家の手伝いで逞しい腕を振るい、ブリザード・アイは図書館で静かに過ごす時間を見つけていた。誰にとっても、それは夢のような平和だった。
だが、デュークの中には、消えない棘のような感情が燻り続けていた。
ある夜、デュークは全員に招集をかけた。かつての作戦会議と同じ場所。だがそこには、モニターに映し出される敵の陣形も、刻一刻と迫る死のカウントダウンもない。
三十名が整列する。彼らの服装は軍服から簡素な服に変わったが、その立ち姿には、長年染み付いた「戦士」の質感が残っていた。
「……皆、この数週間はどうだった」
デュークが問いかけると、数人が「悪くない」「安眠できる」と口々に答えた。カイルも、明るい表情で「もう二度と戦場には戻りたくない」と笑った。
だが、デュークは静かに首を振った。
「俺もそうだ。誰の命令も受けず、明日の命を気にせず、ただ生きる。……素晴らしいことだと思う」
デュークは言葉を切り、彼ら一人ひとりの目を見つめた。
「だが、俺は夜、眠るたびに奴らの声が聞こえる。ワイズ、リナ、そしてあの回廊で散っていった者たちだ。奴らは、俺たちがこの『平和な観客』として生きることを、本当に望んでいるだろうか?」
場が静まり返る。兵士たちの顔から、穏やかな表情が消え、かつての鋭い光が戻ってくる。
「俺たちは、誇りを持って戦い抜いた。ニヴルヘイムの理不尽に抗い、自由を求めて火を灯し続けた。……その『誇り』を、平和ボケの中に捨ててしまっていいのか? 俺たちがヴェリディアの市民として一生を終えるのは、奴らが繋いでくれたバトンを地面に投げ捨てることと同じではないか?」
デュークは拳を握りしめた。
「俺は、このまま終わるつもりはない。もちろん、連邦の犬に戻るつもりもない。……ヴェリディアの軍の一部となり、今度は自分たちの手で、理不尽に焼かれる者たちを守る『盾』となるか。それとも、このまま市民として、歴史から静かに消えていくか。……今日、ここで決めたい」
スキャベルが顔を上げ、かつてないほど真剣な眼差しでデュークを見つめた。
「……結局、俺たちは戦うことでしか、自分を証明できねぇのかよ」
「いや」とデュークは即座に否定した。
「俺たちは、死ぬために戦うのはもうやめた。……これからは、守るために戦うか、それとも守られるために生きるかだ。どちらが奴らに顔向けできる道か、俺たち自身の意志で選ぼう」
基地の夜風が吹き抜ける中、三十名の決断の時が迫っていた。彼らはもう「資産」ではない。自分の人生を、自分の手で選び取る権利を、ようやく手に入れたのだから。
デュークの言葉が終わると、沈黙が支配した。
三十名の内、戦場へ戻ると手を挙げたのはデューク、スキャベル、アイ、カイル、そして9名の隊員。合計13名だった。
残りの17名は、苦渋の表情を浮かべながらも「市民として生きる」道を選んだ。彼らの中には、戦うことへの恐怖や、ただ穏やかに寿命を全うしたいという正直な願いがあった。それは誰にも否定できない、彼らが命を賭けて手に入れた正当な権利だ。
部屋には、分断された空気が流れる。しかし、そこに角突き合わせるような険悪さはない。三十名は互いに理解し、静かに頷き合った。
「……そうか。お前たちの選択を尊重する。……今日から俺たちは、別々の道を歩むことになるな」
デュークの言葉に、市民として生きることを選んだ一人が歩み寄り、デュークの手を強く握りしめた。
「デューク。俺たちは戦えないかもしれない。だが、あんたたちがヴェリディアで灯してくれる火を、街の中から支えるよ。……あんたたちが帰る場所が、平和な国であるように」
その言葉に、デュークの胸が熱くなる。
別れは寂しい。だが、彼らは二度と「連邦の資産」として、誰かに使い捨てられることはないのだ。
翌朝。基地の宿舎から出てきた13名の姿は、昨夜の悩み抜いた表情とは打って変わり、どこか吹っ切れたような鋭い眼光を宿していた。
彼らは駐機エリアへ向かう足を一瞬止め、中庭で端末を操作していたマリア中佐の元へと歩み寄った。デュークを先頭に、スキャベル、アイ、そしてカイルたちが続く。
そのただならぬ雰囲気に、マリアは作業の手を止め、ゆっくりと顔を上げた。彼女の瞳はすべてを悟ったかのように細められる。
「……何の用かしら。市民生活に馴染むために、機体の整備でも手伝いに来たの?」
マリアの問いかけに、デュークは真っ直ぐに彼女の視線を受け止めた。
「いいえ、中佐。……俺たち13名は、戦場へ戻ります」
その言葉を聞いた瞬間、マリアの表情からわずかに温かみが消えた。彼女は静かに立ち上がり、13名の兵士たちを鋭く見回す。かつて彼らを率いた指揮官としての、厳しい眼差しだ。
「……正気なの? やっと手に入れたその自由を、自分から捨てに行くというの。あんたたちは平和な国で、人間として人生をやり直せるはずだったのに」
彼女の言葉には、憤りというよりも、彼らを再び戦火へ送ることへの強い拒絶が混ざっていた。しかし、デュークたちは一歩も引かなかった。
「……中佐、俺たちは考えました。このままヴェリディアで市民として穏やかに暮らしていくことは、平和な選択かもしれません。ですが、俺たちは夢を見るんです」
デュークは、静かに一人ひとりの名前を口にした。
「雪原で消えたワイズ。あの鉄の回廊の手前で、敵のレーザーをその身に受けて道を作ってくれたカリス。……撤退の合図を送り続けたまま、戻らなかったエリオットやサナの姿を」
デュークの声は、絞り出すように震えていた。
「俺たちがここで平穏に生き残ることは、彼らが繋いでくれたバトンを地面に投げ捨てることと同じではないかと思えてならないんです。カリスが守ろうとした未来、エリオットが叫び続けた希望……それを『終わったこと』にしてしまうなんて、彼らに合わせる顔がない」
デュークは拳を握りしめ、マリアを見据えた。
「俺は、このまま終わるつもりはない。ワイズが見せてくれたあの光を、カリスが背中で守り抜いた道筋を、俺たちが終わらせるわけにはいかないんです。……彼らが戦った『理不尽な世界』を、今度は自分たちの手で変えに行く。それが、生き残った俺たちの責任であり、誇りなんです」
マリアは、その名を聞いて目元をわずかに潤ませた。かつて彼女が部下として預かり、そして戦場へ送り出さざるを得なかった若者たちの名前。
「……そう。カリスも、エリオットも、サナも……みんな、あんたたちの中に生きているのね」
マリアは深く、力強く頷いた。
「分かったわ。その決意、受け取った。死んでいった彼らの分まで、あんたたちが『生きて』戦うのよ。……本当に、救いようのない連中ね」
彼女は苦い笑みを浮かべ、少しだけ寂しそうな、それでも最後には確かな信頼を込めた目でデュークを見た。
「理由を聞かなければ、ただの馬鹿な突撃兵だと切り捨てていたところよ。……でも、あんたたちが『誇り』のために戦場を選ぶなら、私がそれを止める権利はないわね」
マリアはデュークの胸を、拳で軽く小突いた。
「いいわ、許可する。ただし条件がある。ヴェリディアの空と大地を汚す連邦軍の残党を、残らず叩き潰してきなさい。……死ぬために戦場へ行くなんて報告は二度と認めないわよ。あんたたちは、生き残って、生きるために勝つの。それが、あんたたちを見送った17人の市民にとっても、散っていった仲間にとっても、一番の弔いになるはずだから」
デュークは敬礼した。それはかつての機械的な動作ではなく、信頼する指揮官に対する、兵士としての、そして人間としての誓いだった。
「了解。……必ず、生きて帰ります」
マリアへの誓いを胸に、13名の兵士たちは静かに居住区へと戻った。
朝焼けが窓を染める中、食堂には残りの17名――市民としてヴェリディアで生きる道を選んだ仲間たちが、最後になるかもしれない朝食を囲んでいた。
デュークたちが足を踏み入れると、笑い声が止み、食堂にいた全員が椅子を引いて立ち上がった。昨夜、言葉を交わしたはずなのに、いざ出発の時を前にすると、胸の奥から込み上げるものがある。
「……行くのか、デューク」
市民生活を選んだ仲間の一人が、震える声で尋ねる。
デュークは深く頷き、隣に並ぶスキャベル、アイ、そしてカイルたちを見渡した。
「ああ。俺たちには、あっち側でやらなきゃならないことがある。ワイズやカリス、エリオットたちが命を賭けて灯した火を、俺たちが消すわけにはいかないんだ」
デュークは歩み寄り、かつて同じ釜の飯を食った彼らと握手を交わした。
その手は、かつて銃を握り締めていた時のような冷たさではなく、戦火を越えた者特有の温かさを帯びていた。
「お前たちが選んだこの『平和』は、俺たちにとっても一番の救いだよ。俺たちが帰る場所が、ただの戦場じゃなく『日常』であること。それが、俺たちが戦う最大の理由になる」
スキャベルも、普段の荒っぽい口調を封じ、静かな声で付け加えた。
「……食いすぎんなよ。お前たちが太って俺たちを笑うのが、次の戦場の目標だ」
その言葉に、部屋中がくぐもった笑いに包まれる。
ブリザード・アイは、涙をこらえきれない仲間に近寄り、静かに肩を抱いた。
「また会おう。……ヴェリディアの空が、今日みたいに青い日に」
最後にカイルが、幼い頃からの友人と握手を交わし、力強く頷く。
言葉はもう必要なかった。彼らがこれから踏み出すのは、再びの戦地。だが、そこにはもう「逃げ場所を探す絶望」はない。背中を守り抜くという約束と、帰るべき場所があるという確かな希望だけが、彼らのエンジンを駆動させていた。
13名は居住区を後にする。
出口で振り返ると、残された17名が静かに敬礼を返していた。
それは軍の規律としての敬礼ではなく、共に地獄を生き抜いた「家族」としての別れの挨拶だった。
冷たい外気に触れ、デュークは再び空を見上げた。
ヴェリディアの空は広く、どこまでも高く続いていた。彼らは背負った名前と共に、新たな空へ翼を広げる。
ヴェリディア共和国の軍事施設。整然と整列した13名の姿は、かつての泥にまみれた亡命者たちのそれとは違い、共和国の制服に身を包んだ「正規兵」としての気品と、戦場を知る者特有の冷徹な鋭さを宿していた。
入隊式は、華やかなものではなかった。しかし、マリア中佐を筆頭に、共和国の幹部たちが揃う中での叙勲は、彼らがもはや「資産」ではなく、この国の「守り手」として認められた証だった。
部隊名:『エコー・オブ・レガシー(遺志の残響)』
マリア中佐が、13名の隊列の前に立つ。彼女の顔には、かつての教官としての厳しい笑みが浮かんでいた。
「共和国軍第1独立遊撃部隊、『エコー・オブ・レガシー』。……それが、あんたたちに与えられる名前よ」
中佐は、紋章が刻まれた隊旗をデュークに手渡した。
「ワイズ、カリス、エリオット……あの日散った者たちの志を継ぎ、その残響を連邦の闇に届けるという意味を込めたわ。……あんたたちが戦場でその名前を名乗るたび、彼らは死ぬことなく、あんたたちの背中を守り続けることになる」
デュークはその重みを感じながら、力強く旗を掲げた。
合言葉:『明日のために、火を灯す』
入隊式の終わりに、デュークは13名全員を見渡した。顔には、これから始まる戦いへの覚悟が刻まれている。彼らは声を揃え、自分たちの誓いを口にする。
「明日のために、火を灯す」
それは、単なるスローガンではなかった。
かつて消えかかっていた自分たちの命をワイズが繋ぎ、それをカリスが守り、エリオットが先へと導いた。その火を二度と消さず、今度は自分たちが、理不尽な暗闇に閉ざされた誰かのために、新しい未来の火を灯し続ける――。
彼らが口にするたび、その言葉はただの合言葉を超え、彼らの心臓を鼓動させる「道標」となっていく。
式の後、デュークは駐機エリアで自機『ヴィフレスト』の装甲に、『エコー・オブ・レガシー』の部隊章と、小さな名前――ワイズ、カリス、エリオットたちの名を書き加えた。
「行くぞ、皆」
デュークがヘルメットを被る。
彼らの前には、広大な空と、まだ見ぬ戦場が広がっている。だが、今はもう一人ではない。背中には12名の仲間が、そして心の中には、彼らが託した希望という名の炎が燃えている。
『エコー・オブ・レガシー』の戦いが、今、正式に幕を開ける。
ヴェリディア共和国軍の広大な演習場。
そこには、新型の機体**『ヴァルキリー・フレーム』**がずらりと並んでいた。連邦軍の機体とは比較にならない出力、最新鋭のレーダー、そして過酷な戦場でもパイロットの生命を守るための強固な装甲。それはヴェリディアが総力を挙げて開発した、まさに「最高峰の兵器」だった。
マリア中佐は、整備兵たちに指示を出し、デュークたちの前でそのハッチを開けさせた。
「……これが、あんたたちに支給される新型機よ。これまでのヴィフレストやケルベロスとは次元が違う。電子装備、加速性能、すべてにおいて連邦の機体を凌駕するはずだわ」
整備兵たちが誇らしげに機体のスペックを説明する中、デューク、スキャベル、アイたちは、目の前の真っさらな機体を複雑な表情で見つめていた。最新鋭の機体は確かに美しい。だが、それは彼らにとって、あまりにも「見知らぬもの」だった。
デュークは新型機の装甲にそっと触れ、それから自分の機体――ボロボロになりながらも、数々の戦場を共に駆け抜けてきた愛機『ヴィフレスト』へ視線を移した。
「……中佐、ありがたい申し出だ。だが、この機体は受け取れない」
マリアは眉をひそめた。
「どういうこと? あんな古びた機体で、最新の戦場に立つつもりなの?」
「この装甲には、俺たちが生きてきた時間のすべてが刻まれているんです」
デュークは愛機の肩を叩いた。そこにはワイズやカリス、エリオットたちと死線を越えた時に刻まれた無数の傷跡があった。
「最新の性能なんて必要ない。俺たちが戦場で背中を守り抜けるのは、この機体の性能のおかげじゃない。ここに詰まっている仲間たちの想いと、俺たちの身体に染み付いたこの機体のクセ、それがあればこそなんです。……新しい相棒なんて、必要ありません」
スキャベルも、ケルベロスのレバーを握りしめて頷く。
「同感だね。俺のケルベロスは、調整し直せばまだ戦える。あいつら(仲間たち)の魂が乗ってる機体を捨ててまで、新型の骨組みに乗る気はねぇよ」
アイも静かに同意を示し、他の12名も一歩も引く気配を見せない。
最新鋭の機体を前にしても、彼らの決意は揺るがなかった。彼らにとって機体は単なる「兵器」ではなく、共に戦った記憶そのものなのだ。
マリアは溜息をつき、それから少しだけ口角を上げた。
「……分かったわ。頑固な連中ね。……いいでしょう、その機体、あんたたちの希望通りに最大限のチューニングを施すわ。ただし、新型機に匹敵する性能を維持するのが条件よ。自分の愛機が『ガラクタ』になって消えるのが嫌なら、整備兵に泣きつくまで徹底的にいじり倒しなさい」
「……了解」
デュークたちが敬礼すると、整備兵たちは呆れ顔で、しかしどこか尊敬の眼差しで彼らの愛機を囲い込み始めた。
その日からの合同訓練は、まさに異常な光景だった。
最新のヴァルキリー・フレームを駆る他のヴェリディア軍部隊に対し、旧式の、しかし徹底的に調整され、想いを詰め込まれた13機の機体が、圧倒的な練度と連携で見事に競り勝っていく。
『エコー・オブ・レガシー』の戦いは、最新のスペックを誇る者たちをも黙らせるほどの、熱を持った伝説となりつつあった。
マリア中佐の承認を受けた整備班は、まるで「狂気」に近い熱量でデュークたちの愛機の改造に取り掛かった。
「中佐の条件は『最新鋭と同等の性能』……なら、フレームそのものを換えるんじゃなく、中身を食い尽くす勢いでヴェリディアの最新技術を叩き込んでやるよ!」
整備長がそう豪語するように、彼らの愛機は外見こそ使い込まれた重厚な面影を残しつつも、内部構造は異次元の進化を遂げていった。それぞれの戦闘スタイルに合わせ、最高の『牙』が与えられたのだ。
『エコー・オブ・レガシー』機体改装プラン
• デューク機:ヴィフレスト『ヴェノム・エッジ』
• 特徴: 高機動戦闘特化。
• 装備: 重力制御を応用した『ブースト・アクセラレーター』を背部に搭載。一瞬の加速で敵の死角へ回り込む。武装には、敵のシールドを強制無効化する『電磁高周波ブレード』を増設し、近接での一撃離脱を極めた。
• スキャベル機:ケルベロス『ハード・ハウラー』
• 特徴: 拠点防衛・火力制圧特化。
• 装備: 多連装の『収束粒子砲』を両肩にマウント。さらに、敵のEMP攻撃を完全に遮断する『対電磁波アクティブ・フィールド』を展開可能にし、敵陣のど真ん中で仁王立ちできる「鉄の要塞」へと変貌した。
• アイ機:フェンリル『ブリザード・ファング』
• 特徴: 長距離狙撃・索敵特化。
• 装備: 衛星通信と連動した『超長距離高精度ライフル』。熱源センサーをさらに強化し、敵の機体内部の心臓部(動力源)を一点透視する『量子照準システム』を搭載。
• カイル機:支援機『ウィスパー・テイル』
• 特徴: 戦場全体を統括する指揮・電子戦特化。
• 装備: 味方12機のデータをリンクさせ、戦場全体を俯瞰する『統合戦術ネットワーク・アンテナ』を搭載。敵の通信をハッキングし、味方全員に最適な回避・攻撃ルートをリアルタイムで指示する「戦場の心臓」となる。
その他の9名も、それぞれの個性を活かした装備が施された。重装甲で弾幕を張る機体、あるいは光学迷彩を極めた潜入用の機体――13機すべてが、ヴェリディアの粋を集めた「魔改造」を施されたのだ。
訓練場に再登場した彼らの機体を見て、他のエリート部隊の兵士たちは絶句した。
ボロボロの装甲の隙間から、最新鋭機すら上回る青白い高出力エネルギーが漏れ出している。それは、まるで戦場で散った仲間たちの魂が、機体を通じて再び現代の戦場へ牙を剥いているような、異様な威圧感を放っていた。
「……性能は最新、魂は古参。悪くないバランスだ」
スキャベルが愛機の砲身をなでながら不敵に笑う。
デュークは『ヴェノム・エッジ』のメインスラスターを点火した。かつて感じたことのない、背中を押し出す強大な推進力が、自分の神経と直結したかのように心地よく響く。
「中佐、準備は完了した。……『エコー・オブ・レガシー』、いつでも出撃できる」
彼らは今、ヴェリディア共和国という強固な盾を得て、かつて自分たちを追い詰めたニヴルヘイム連邦の防衛網を、その手で粉砕するための準備を整えた。
「エコー・オブ・レガシー」の名は、瞬く間に連邦軍の軍事データベースにおいて「最優先排除対象」として登録されることになった。
彼らは戦場を選ばない。ヴェリディアの辺境から連邦の補給線まで、その「古くて新しい」13機の鉄塊は、嵐のように駆け抜け、すべての作戦を完遂した。連邦軍の最新鋭機を、かつて自分たちが乗っていた旧式のフレームで屠るたび、彼らは亡き仲間の名前を心の中で呼び、勝利を捧げてきた。
しかし、運命は予期せぬ交錯を見せる。
連邦領内の荒野で、通信傍受と偵察を行っていた際のことだ。
カイルのモニターに、微弱な信号が反応した。
『……ターゲット、捕捉。……追跡されているのは、単機。追う側は、三機』
デュークが『ヴェノム・エッジ』の視界を広げる。
地平線の先、砂煙を上げて逃げ惑うのは、かつてデュークたちが乗っていたものと同型の量産型偵察機だった。
荒野の静寂を切り裂き、デュークの『ヴェノム・エッジ』がアルカディア帝国の追撃部隊――三機の最新鋭機と少女たちの間に割って入った。
デュークは全周波数を開放し、帝国軍のパイロットたちへ向けて、低く、冷徹な警告を発した。
「こちら独立遊撃部隊『エコー・オブ・レガシー』。……これより先、その子供たちに一指も触れさせるわけにはいかない。即刻、撤退しろ」
通信の向こうで、帝国軍の隊長機が嘲笑うような反応を返す。
『独立部隊だと? ……部外者が我らの教育に口を出すな。排除しろ、標的を巻き込んでも構わん』
彼らはデュークたちの警告を、単なる通りすがりの妨害程度にしか考えていない。帝国軍の機体が加速し、少女たちの機体を囲い込むように散開する。その動きには、かつて自分たちが受けていたような、冷酷で「人間味」を感じさせないプログラムされた殺意が宿っていた。
デュークは深く溜息をつき、コックピットの中で小さく首を振った。
「……話を聞かない相手に割く時間は、俺たちにはないんだ。面倒だが、片づけるぞ」
「了解。サクサクと掃除しますか」
スキャベルがケルベロスの重粒子砲を、狙いを定めることもなく追撃機の進行方向に突き出す。
アイが「ブリザード・ファング」の照準を完璧にロックオンし、カイルが電子戦で帝国機の通信と索敵機能を一瞬で無力化した。
「……警告はしたぞ。後は知らない」
デュークがブースト・アクセラレーターを点火した瞬間、『ヴェノム・エッジ』の姿が砂煙の中に消えた。
帝国軍が反応するよりも速い。
デュークの機体は、一撃で追撃機の一機のスラスターを精密に切断。制御を失い墜落する機体を見向きもせず、次の標的へ向かう。
スキャベルの放った収束重粒子が、空中で二機の帝国機を絡め取るように撃ち抜き、爆炎が荒野を染めた。
戦闘開始から、わずか十秒。
爆風が収まると、そこには黒煙を上げて沈黙する帝国軍の機体と、呆然と立ち尽くす少女たちの姿だけがあった。デュークは、戦い終えたヴィフレストの装甲から立ち上る熱を逃がしながら、静かに少女たちの方へ歩み寄る。
「……警告はしたはずだ。向こうが聞かなかっただけの話だ」
スキャベルが吐き捨てるように呟き、他の12機も静かに包囲陣を解いていく。
かつて自分たちがいた「アルカディア」という名の鎖が、皮肉にも自分たちの手によって一つずつ引きちぎられていく。
デュークは少女たちの機体を見上げ、改めて声をかけた。
「……ついて来い。ここには、まだ『狩る側』の人間が溢れている」
帝国の少年少女たちを導き、彼らは再び進み始める。その背中は、かつて導かれる側だった子供たちのそれではなく、守るべき未来を背負った戦士たちのものだった。
荒野の土埃が少しずつ静まり、デュークは『ヴェノム・エッジ』のハッチを開け、少女の機体へと歩み寄った。少女もまた、震える手でコクピットのロックを解除し、地面へと降り立つ。
少女の瞳には、先ほどまでの恐怖とは別の、深い困惑が宿っていた。
「助けてくれて……ありがとうございます。でも、あなたたちは……」
彼女はデュークたちの機体に刻まれた使い込まれた装甲と、彼らが纏う独特の雰囲気を凝視し、おそるおそる言葉を紡いだ。
「あなたたち、アルカディア帝国の人間ですか? ……そんな、どうしてあんなに戦い方が……」
デュークはヘルメットを脱ぎ、吹き抜ける風に髪を揺らした。彼の顔には、かつてアルカディアの訓練所にいた頃の面影が、今の鋭い戦士の眼差しと混ざり合っている。
「……かつてはな」
デュークの短い答えに、少女は息を呑んだ。
「俺たちが、この帝国から最初に逃げ出した『逃亡者』だ。……あんたたちも、今の俺たちと同じ道を歩もうとしているんだろう?」
少女が言葉を失い立ち尽くしていると、スキャベルがケルベロスの影から無造作に現れ、不躾に問いかけた。
「おい、小娘。聞かせてくれよ。……俺たちの時とは状況が違うはずだ。今の帝国は管理が厳格だって聞く。そんな中で、なんでまた逃亡なんて無茶をしたんだ? 捕まれば再教育じゃ済まねぇだろ」
少女は戸惑い、唇を噛んだ。「それは……」と口を開きかけたが、言葉に詰まってしまう。彼女にとって、それはあまりに過酷で、誰にも理解されないと諦めていた記憶なのかもしれない。
その時、カイルの声が通信を通じて全員の脳内に鋭く響いた。
『――隊長! 反応あり! ……4機、こちらへ向かっています!』
スキャベルが即座に重粒子砲を肩に乗せ、アイが静かにライフルのセーフティを解除する。デュークもまた、反射的に腰のブレードへと手を伸ばした。
『待ってください! ……敵じゃない!』
カイルの緊迫した声が、一瞬で安堵に変わる。
『……生体反応を確認。アルカディアの制服だ。……少女と連れ立って逃げてきた者たちです!』
地平線の先から、砂煙を上げて4機の機体がこちらへ接近してくる。その機影は、帝国軍の追撃部隊のような冷徹な連携ではなく、ただ必死に、仲間を求めて駆けてくる荒々しいものだった。
到着した4機のハッチが同時に開く。現れたのは、先ほどの少女と同じ年頃の少年や少女たちだった。彼らはデュークたちと、先ほど助けた少女を見て、堰を切ったように安堵の表情を浮かべる。
「……仲間が、追いついてくれたんだ」
少女がふらりと歩み寄り、駆け寄ってきた4人と合流する。彼らの姿を見て、デュークは確信した。自分たちが切り開いた道は、確実に、しかし確実に誰かの希望を繋いでいるのだと。
「……おい、デューク。また厄介なのが増えたな」
スキャベルが苦笑しながら言ったが、その眼差しはどこまでも温かかった。
「ああ。……だが、守り甲斐のある荷物が増えただけだ」
荒野の空が、重苦しいエンジン音に支配された。
カイルのモニターに映し出されたのは、わずか数分前まで平和だったはずの空を埋め尽くす、20機の機影。帝国軍が送り込んできたのは、訓練機ではなく、実戦用の最新鋭機『ヴィフレスト』の中隊だった。
「……中隊規模か。本気で消しに来たな」
スキャベルが不敵に鼻で笑うが、その手はケルベロスのトリガーに吸い付くように置かれている。逃げ出してきた5名の少年少女たちは、20機の猛威を前にコクピットの中で青ざめ、声を上げることもできていない。
「隊長、陣形はどうしますか?」アイの冷静な問いが響く。
デュークは『ヴェノム・エッジ』の視界を戦場全体に固定し、簡潔に命じた。
「護衛陣形をとる。カイルは逃亡者たちの周囲に電子防壁を展開し、アイとスキャベルは敵の先鋒を叩き潰せ。残りの8名は俺と共に中央突破する。……これより先、一機も突破させるな」
20機のヴィフレストが、圧倒的な火力で一斉に襲い掛かる。雨のような弾幕が荒野を薙ぎ払う。
しかし、『エコー・オブ・レガシー』の13機は微動だにしない。
カイルのリンク制御により、彼らの機体はまるで一つの生き物のように連動していた。敵の弾幕の隙間を踊るように回避し、スキャベルの放つ重粒子砲が、敵陣の隊列を内側から切り裂く。アイの狙撃は、20機の動きを止めるかのように、確実に敵のセンサーアイを射抜いていく。
「……な、なんだあの動きは。本当に旧式の機体なのか!?」
帝国軍のパイロットが通信で叫ぶのが聞こえる。
デュークは『ヴェノム・エッジ』の加速限界を超え、音を置き去りにする速度で敵の中隊へ飛び込んだ。電磁高周波ブレードが一閃するたび、敵機は火花を散らして沈黙する。
かつて自分たちが教わった「効率的な殺し方」を、自分たちが今、最も嫌悪する「抑圧の象徴」へ向けて、慈悲なく叩き込む。
わずか数分。
20機の中隊は、もはや機体としての機能を失った鉄屑の山と化し、砂に埋もれていた。
静寂が戻る。
保護した5名の少年少女たちは、コクピットの中からモニター越しにその光景を呆然と見つめていた。敵軍の精鋭を、たった13機で、それも自分たちが乗ってきたものと同型の機体で「瞬殺」したのだ。
デュークが少女の機体の横に降り立ち、ハッチを開けた。
「……大丈夫か?」
少女は言葉を失い、ただ開いた口をふさぐことができない。恐怖よりも、目の前の戦士たちのあまりの強さに、圧倒されているようだった。
「……あなたたち、本当に……」
「帝国が作った兵器を、少しばかり手入れしただけだ」
スキャベルが吐き捨てるように言い、アイは静かにライフルの熱を冷ましている。
少年少女たちの瞳に映るのは、もはや「助けてくれる優しい人」ではない。彼らこそが、帝国が最も恐れ、そして帝国の子供たちが夢見る「真の自由を掴んだ英雄」であるという確信だった。
彼らの圧倒的な力は、ただ敵を倒しただけではなかった。それは、少女たちの心の中にあった「帝国には勝てない」という重い鎖を、音を立てて砕く力でもあった。
ヴェリディア共和国の国境を越え、ようやく安全な居住区へと彼女たちを送り届けた後のことだった。
整備班が機体の損傷をチェックする傍らで、スキャベルは重苦しい表情のまま、保護した少女たちを囲むようにして立ち止まった。
他の隊員たちが安堵の空気に包まれる中、スキャベルの鋭い眼光は少女たちの中心人物である少女を見据えていた。
「おい。一つ、腑に落ちないことがある」
スキャベルの低い声に、周囲の空気から温かみが消える。
「俺たちが帝国を脱走した時は、ここまで徹底した追撃はなかった。精々、国境付近の哨戒部隊が追いかけてくる程度だったはずだ。……だが、お前たちの時は違う。中隊規模の正規兵を差し向け、迷いなく抹殺しようとしてきた。お前たちは、一体何を帝国から持ち出したんだ?」
少女は一瞬怯えたように肩を震わせたが、すぐに意を決したようにカバンの中にあるデータチップを握りしめた。
「……私たちも、詳しくは分からないんです」
彼女は震える声で続けた。
「ただ、私たちが配属されていた『第7隔離区画』では、ここ数ヶ月で異常な事態が起きていたんです。脱走者が増えるたびに、帝国軍はそれまで以上に執拗に、かつ暴力的な手段で私たちを処理するようになりました。……そして、私たちの部隊が逃げ出す直前、上官たちが口にしていたんです。『完成した』と」
デュークが腕を組み、静かに問いかける。
「何が完成したんだ?」
「……『兵器の枷』です。私たちはこれまで、帝国に逆らえないように脳内にナノチップを埋め込まれていました。でも、それだけじゃ足りないからと、彼らは新しいプログラムを開発していました。自分たちの意志すら持てなくなり、ただ敵を排除するだけの『自律型戦闘機械』……。私たちは、その実験がこれから本格的に運用されるという情報を耳にして、逃げ出すしかなかったんです」
スキャベルは眉間に深い皺を刻み、忌々しそうに拳を壁に叩きつけた。
「……なるほどな。俺たちが逃げ出した時、帝国はまだ『駒』の性能に満足していた。だが、今や帝国は俺たちのような個体すら不要になり、完全に制御可能な『人形』に変えようとしているわけか」
デュークの表情には、怒りを超えた静かな決意が宿っていた。
帝国が求めているのは、もはや軍人ですらない。ただの命令遂行マシンだ。そんな国が平和を掲げ、周辺諸国を威圧していること自体、世界の歪みそのものだった。
「彼女たちを追ったのは、単なる脱走兵の処理じゃない」
デュークは少女たちを見つめ、確信を持って言い放った。
「実験の失敗作を処分し、情報の流出を防ぐための隠蔽工作だ。……帝国は、自分たちが手を汚している最中の『証拠』を必死に消そうとしているんだ」
少女たちは黙ってうなずいた。彼女たちの逃亡は、帝国という巨大な氷山が抱える、最も冷たく暗い秘密を暴くための最初の一歩だった。
スキャベルはため息をつき、愛機ケルベロスの装甲を乱暴に叩いた。
「……厄介なモンを拾っちまったな。だが、帝国がそこまで躍起になって隠したい秘密なら……俺たちが徹底的に白日の下に晒してやるのも、悪くねぇだろ?」
デュークはうなずき、新たな戦いの準備を整えるべく、他の12名へと視線を向けた。
『エコー・オブ・レガシー』の火は、もはや単なる復讐の炎ではなく、帝国の闇を焼き払うための確かな「松明」へと変わろうとしていた。
ヴェリディア共和国軍の作戦室。
少女たちが持ち帰ったデータチップの解析結果は、戦慄すべき内容だった。人体実験の記録、そして「兵器の枷」を強制するシステム――。
報告を受けたマリア中佐は、デスクの上に置かれたモニターを睨みつけ、深い溜息をついた。
「……帝国も、いよいよ人間の尊厳を捨てるつもりね。子供たちを、意思のない『鉄の人形』に変えるなんて」
部屋の隅には、救出された少女たちがいた。彼女たちは、かつてのデュークたちが見せたのと同じ、あるいはそれ以上の悲壮な決意を宿した眼差しで、中佐を見つめていた。
「中佐。私たちを、戦場に戻してください」
少女の声は震えていなかった。
「あの子たちが、まだあそこで待っているんです。私たちが逃げ出したことで、次はもっと酷い目に遭わされるかもしれない……。だから、今度は私たちが、あの子たちを連れ戻す側に回りたいんです」
マリアは椅子から立ち上がり、彼女たちの真っ直ぐな視線を一通り見渡してから、デュークへと視線を移した。
「……デューク。あんたたちの部隊は、すでに過酷な任務の連続よ。これ以上、重荷を背負う必要はないはずよ」
「彼女たちは、俺たちと同じ道を歩むことを選んだんです」
デュークは静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「帝国がやろうとしていることを知って、ただ黙って見過ごすことは、俺たち『エコー・オブ・レガシー』の矜持が許さない。彼女たちを戦力としてカウントし、俺たちの部隊に配置してください」
マリアは眉間に深い皺を刻んだ。彼女にとって、それは軍事的な戦力増強という意味以上に、子供たちを再び「戦火の渦」へ放り込むという、指揮官として最も忌避すべき選択だったからだ。
「……自分たちが地獄を抜けたからといって、他人もその地獄へ引きずり込むことが、あんたたちの言う『守る』ことなの?」
マリアの厳しい問いかけに、デュークは視線を逸らさなかった。
「守るということは、ただ安全な場所に隔離することではありません。……彼女たち自身が、自分たちの尊厳を勝ち取るための場所へ、俺たちが導くことです」
マリアはしばらく沈黙し、窓の外を眺めた。ヴェリディアの平和な空が、今はどこか遠いもののように感じられた。
彼女は結局、忌々しそうに書類にサインをし、それを机に叩きつけた。
「配置を認める。……ただし条件があるわ。彼女たちを『兵器』として使うことは絶対に許さない。……あんたたち、これ以上、失うものを増やさないで頂戴。それが、中佐としての私の唯一の条件よ」
「……了解」
デュークたちは深く敬礼した。
こうして、かつて追われる側だった少女たちは、皮肉にも帝国を倒すための『エコー・オブ・レガシー』の新たな隊員として組み込まれることになった。
マリア中佐は、立ち去る彼らの背中を見送りながら、小さく独り言をこぼした。
「……本当に、救いようのない連中ね。……勝ちなさいよ。生き延びて、あの子たちを人間として連れ帰ってきなさい」
アルカディア帝国の実験施設から保護された5人の少女たち。彼女たちは帝国時代、名前ではなく管理番号で呼ばれていた。
彼女たちが「エコー・オブ・レガシー」の一員として新たな人生を歩むにあたり、デュークたちは彼女たちに、かつての自分たちのような「冷徹な兵器の名前」ではなく、柔らかく、春の陽だまりのような名前を贈ることにする。
ヴェリディア共和国の格納庫には、かつてないほど緊張した空気が流れていた。
整然と並ぶ13機の愛機たちの傍らに、真っ白な装甲を纏った5機の最新鋭機『ヴァルキリー・フレーム』が静かに鎮座している。
デュークは少女たちを呼び寄せると、マリア中佐から渡された支給品リストではなく、自分たちで用意した「小さなプレート」を一枚ずつ手渡した。
「帝国が付けた番号なんて、今日で終わりだ。……お前たちは今日から、一人の人間としてこの部隊で生きる。自分たちで名付けろ。何が良い?」
少女たちは震える手でプレートを受け取る。彼女たちの瞳には、兵器として生きてきた過去への決別と、これから手にする未来への戸惑いと希望が入り混じっていた。
一番年上の少女が、以前、帝国の壁の向こうにわずかに見えた花を思い出しながら、小さく呟く。
「……サクラ。春に咲く、あの花のような名前がいいです」
その言葉をきっかけに、残りの少女たちも迷いながらも、自分たちの心に浮かんだ名前を口にした。
「……私は、カトレア。気高いって意味があるって、本で読んだから」
「じゃあ、私はアイリスにする。……強くなれる気がするから」
「……ルナがいい。夜空の月のように、暗闇を照らす光になりたいから」
「……ミナ。……みんなと、一緒にいたいから」
デュークはその名前を一つずつ復唱し、力強く頷いた。
「いい名前だ。今日からお前たちは、その名前で呼ばれる。……サクラ、カトレア、アイリス、ルナ、ミナ。……『エコー・オブ・レガシー』の新メンバーだ」
スキャベルが最新鋭機のハッチを叩き、少しぶっきらぼうに笑う。
「聞いたか? ……名前があるってことは、死に様じゃなくて『生き様』を選べるってことだ。その機体、大事に乗れよ。最新式だからって調子に乗ってると、俺のケルベロスに置いていくぞ」
アイもまた、少女たちの傍らに寄り添い、優しく微笑む。
「機体の調整は私たちが手伝うわ。……困ったことがあったら、いつでも言って。私たちはもう、一人じゃないから」
カイルが戦術モニターに新しい18名の名前を登録していく。
サクラ、カトレア、アイリス、ルナ、ミナ。
少女たちは、自分の名前が記された最新鋭機のコクピットを見上げ、生まれて初めて「自分自身の意志」でそのハッチへと足を踏み入れた。
デュークは自分の愛機『ヴィフレスト』のレバーを強く握り直す。
かつての戦友たちから受け継いだ火は、今、新しい風を受けてさらに強く燃え上がった。
格納庫に並ぶ18機の機体は、どれも異様な威圧感を放っていた。
デュークたちの古びた機体は、幾多の戦火を潜り抜けた傷跡を「歴戦の勲章」として刻み、そこに最新の兵装が違和感なくマウントされている。対して、サクラたちの『ヴァルキリー・フレーム』は、真っ白な装甲に六脚の駆動系が精密に組み込まれ、まるで神話に登場する守護獣のような洗練された美しさを纏っていた。
サクラが『ヴァルキリー・サクラ』の六脚を大地に突き刺し、腰の武装マウントをチェックする。
「……六本の足で地面を掴む感覚、自分の体の一部みたいです。これなら、どんな悪路でも絶対に倒れない」
カトレアが肩の武装を起動させ、アイリスが腰の武装ユニットをパージして再接続する。彼女たちは、まだぎこちないながらも、この「多脚機」という新しい肉体を着実に自分のものにしていった。
デュークは自身の機体の四肢を動かし、スキャベルの『ケルベロス』が六脚を安定させて重粒子砲を構える様子を確認する。
「いいか、サクラ、カトレア、アイリス、ルナ、ミナ。お前たちの機体は、機動力と安定性が売りだ。俺たちの『重い』戦いとは違う。……戦場を縦横無尽に駆け巡り、俺たちの影から敵を撃ち抜け」
「了解です! ……でも、デュークさん」
サクラが通信越しに、少しだけ笑った。
「私たちの足、何本あっても足りないくらい、どこまでも走っていきますから。……見ていてください!」
スキャベルが愛機を動かし、六脚が金属音を立てて大地を噛む。
「威勢がいいな。……だが、無茶はするなよ。お前たちがコケたら、俺たちが踏んづけて進むからな」
その軽口に、部隊全員の緊張が少しだけ解けた。
カイルが戦術回線を全機に同期させる。
「全機、リンク完了。……帝国領内第9地下工廠まで、最短ルートを算出。……行くぞ、エコー・オブ・レガシー!」
18機の多脚機が、一斉に駆動音を響かせる。
6本の足が地面を強く蹴り、砂煙を巻き上げて加速していくその姿は、かつて亡命者として追われた彼らが、今度は「狩る側」として故郷へ帰還する、静かなる復讐の進軍だった。
帝国の境界線へと続く、果てしない荒野。
18機の多脚機が上げる走行音が、乾いた大地に重低音の轍を刻んでいく。その行軍の中で、デュークはふと、自分たちがこの地を逃げ出した時のことを思い出していた。
当時は逃げるあてもなくただただ西を目指していた。背後からは帝国の追っ手、前には死地のようなニヴルヘイムとの国境。あの頃の自分たちは、ただ「生きたい」というだけの、飢えた獣のような存在だった。
「……随分と遠くまで来たな」
スキャベルが通信でそう呟くと、六脚の駆動音がリズムを刻みながら答える。
サクラ、カトレア、アイリス、ルナ、ミナの5機は、デュークたちの周囲を固めるように編隊を組んでいる。その繊細な足さばきを見て、スキャベルはどこか懐かしげに口を開いた。
「おい、サクラたち。帝国を出る時、俺たちがどんな風に噂されていたか知ってるか?」
サクラが少しだけ躊躇いながら答える。
「……はい。矯正部隊の教官からは、『あの13名は戦場から逃げ出した愚か者だ』と聞かされました。誇りも持たず、祖国を捨てて敵国に媚びを売った、卑怯な亡命者……だと」
「はっ、笑わせるぜ」
スキャベルは鼻で笑った。
「軍に配属された時、俺たちの戦績を聞いてお前らもそう思ったんだろ? だけど、この前の荒野で、あの中隊をねじ伏せる俺たちを見てどう思った?」
スキャベルは、当時のデューク率いる「大隊」がいかにして全滅に近い消耗を強いられ、それでも仲間を守るために牙を剥き続けたのかを、淡々と、しかし熱を込めて語り始めた。かつてワイズやエリオットが、いかにして理不尽な命令を拒み、命を削って「守るための戦い」を貫いたのか。
「俺たちが逃げたのは、戦うことからじゃない。……『ただの消耗品』として使い潰される運命からだ。最後まで抗い、最後まで誰かのために生きた証拠が、今の俺たちの戦い方だ」
少女たちは黙って聞いていた。
かつて帝国で教え込まれた「デュークたちは逃亡した臆病者」という刷り込みは、あの荒野で目の当たりにした圧倒的な光景によって、すでに瓦解していた。
「……最初は、本当にそう思っていました」
アイリスが少し震える声で告げる。
「でも、違いました。……助けてくれた時、皆さんの背中を見たんです。帝国が言っていたような『逃亡者の卑怯な影』じゃなくて、誰かを守るために、あんなに美しく戦う人たちの背中を」
サクラも続く。
「私たちは教えられていたんです。デュークさんたちは『死ぬべき存在』で、見つけたらすぐに抹殺しなければならない、欠陥品だと。……でも、今日ようやく分かりました。皆さんは、私たちに『未来』を教えてくれた人たちなんです」
デュークはその言葉を聞きながら、愛機『ヴィフレスト』の六脚で地面を強く蹴った。
かつての「逃亡者」という汚名は、今や帝国を震え上がらせる「エコー・オブ・レガシー」という誇りに変わった。
「……愚か者か」
デュークは静かに言った。
「俺たちが走ってきたこの長い道のりは、誰かの背中を守り、誰かに火を灯すためのものだったんだからな」
18機の鉄の獣は、夕暮れに染まる帝国領の地平線へと向かう。
帝国の境界線が近づくにつれ、緊張感が高まるはずの行軍だった。
その時、沈黙を破ってマリア中佐からの通信が割り込んできた。
通信越しに響く中佐の声は、いつもの凛とした響きとは裏腹に、明らかに動揺し、焦燥に駆られていた。
『――デューク! ……聞こえるか!』
「中佐? どうしたんですか、そんなに声を荒らげて」
デュークが訝しげに問い返すと、通信の向こうでマリアが深く、乱暴に息を吐く音が聞こえた。
『……肝心なことを、伝えるのを忘れていたわ! 第9地下工廠の内部構造図と、自律兵器の起動プロセスを停止させるためのコード……それを、あんたたちに渡すのを完全に失念していたのよ!』
……その瞬間、デュークのコックピットに沈黙が走った。
「…………え?」
隣を走っていたスキャベルのケルベロスが、不自然な足並みでガクンと揺れた。
「おい、冗談だろ……? 今から突入するっていうのに、攻略の肝を抜きで俺たちは何をしに行くつもりだったんだ?」
デュークは呆然とモニターを見つめる。帝国への復讐心に燃え、熱く語り合いながら進んできたが、肝心の作戦内容については、誰一人として疑問を抱いていなかった。
すると、アイが呆れ返ったような声で通信回線に入ってきた。
『……はぁ。デューク、スキャベル。あなたたちねぇ。熱くなっているのもいいけれど、もう少し冷静になりなさいよ。私だっててっきり、二人がすでに把握しているものだとばかり……』
『ぼ、僕もです!』とカイルが慌てて続く。
『僕も完全に忘れてました……いや、マリア中佐がしっかり手配してくれているものだと信じ込んでいて……』
その言葉に、他の隊員たちからも次々と「俺も忘れてた」「いや、俺もだ」という間の抜けた声が上がった。
あんなに切迫した雰囲気で語り合い、シリアスに未来を背負っていたはずの部隊が、全員揃って「目的地への行き方」を忘れていたという事実に気づいたのだ。
マリアの必死な怒鳴り声が、再び響く。
『あんたたちねぇ! ……もういいわ、今からデータを転送するから、ちゃんと受信しなさい! ……本当に、あんたたちという連中は……』
中佐の必死さと、自分たちのあまりの杜撰さに、デュークは思わず声を上げて笑ってしまった。
「……すまん、中佐。どうやら俺たちは、帝国の闇を焼く前に、自分たちの頭を冷やす必要があったみたいだ」
スキャベルもケルベロスのカメラを空に向け、肩を震わせる。
「いや、参ったな。サクラたちにカッコいいところを見せようと思ってたのによ。……おい、お前ら。笑っていいぞ」
緊張の糸が完全に解け、格納庫のような無機質な空気が、まるで家族が談笑するような穏やかな雰囲気に包まれる。
サクラや他の少女たちも、モニター越しに呆れつつも、どこか安心したようにクスリと笑った。
「デュークさんたちも、意外と普通の人なんですね」
サクラの言葉に、部隊全員の笑い声が通信回線を埋め尽くす。
「ああ、普通さ。だからこそ、その普通を守るために戦うんだ」
デュークは改めて送られてきた作戦データを確認し、レバーを握り直す。
先ほどまでの刺々しい復讐の行軍は、どこか温かい、連帯感に満ちたものに変わっていた。
夜の帳が完全に下り、帝国領内の工廠付近は深い闇に包まれていた。18機の機体が、六脚を静かに地面に沈めながら、音もなく忍び寄る。
工廠のレーダー網を回避し、最深部へと肉薄する絶好のタイミングだった。
デュークが愛機『ヴィフレスト』の通信回路を全機に繋ぐ。
静寂の中、彼の低い声が響いた。
「――『エコー・オブ・レガシー』」
その言葉と同時に、スキャベル以下、かつてから共に戦ってきた12名が、間髪入れずに声を揃える。
「「――明日のために、火を灯せ!」」
一糸乱れぬ復唱。それは彼らが絶望的な逃亡生活の中で、自分たちが何者であるかを忘れないために交わしてきた、何よりも大切な誓いの言葉だった。
その直後、サクラたちの回線から、戸惑いに満ちた声が漏れる。
「……明日のために、火を灯せ? なんのことですか?」
「それは、散っていったワイズや、あの時名前さえ呼べなかった仲間たちの、果たせなかった「明日への願い」そのものなんだ。」
スキャベルが少し沈黙し、コックピットで小さく笑った。
「……まったくだ。俺たちは、自分たちだけで生きているような気になっていた。だが、あの合言葉は、俺たちの命の中に残された、あいつらの『生きたかった証』でもあるわけだ」
デュークもまた、愛機『ヴィフレスト』の六脚を強く大地に踏みしめ、深く、深く頷いた。
「俺たちは、ただ生き残っただけじゃない。あいつらの夢や、意志を一緒に運んでいるんだ。その火を消すわけにはいかないな」
サクラたちは、その言葉を聞いて、デュークたちが纏っている最新鋭の装甲が、決してただの鉄の塊ではなく、多くの人々の重たい記憶を背負っていることを肌で感じ取っていた。
デュークがもう一度、静かに、しかし部隊全員の心に届くように言葉を紡ぐ。
「……『エコー・オブ・レガシー』。明日のために、火を灯す。……あいつらの分まで、俺たちが明日を照らしてやるぞ」
その声には、以前よりもずっと重く、そして温かい決意が満ちていた。
もう、迷いはない。
散っていった仲間たちの誇りと、これから救い出す子供たちの未来。その全てを火種にして、デュークたちは闇に覆われた工廠へと、その六脚を力強く踏み出していく。
狙撃地点から、ブリザード・アイは工廠の全景をスコープ越しに捉えていた。
かつて自分たちがいた頃の工廠は、常に熱気と喧騒に満ちていた。機体の駆動音、整備兵の怒号、コンテナがぶつかり合う物流の音。絶え間ない作業の気配が、そこには確かにあったはずだ。
だが、今の視界に映る工廠は、あまりにも静かだった。
ライトは煌々と灯り、まるで何事もなかったかのように施設は整っている。しかし、そこには「生きた機械」の気配がまるでない。物音ひとつしないその光景に、アイの背筋に冷たいものが走った。
『……デューク、こちらアイ。嫌な予感がする』
アイの声は冷静だったが、いつになく鋭い響きを含んでいた。
『工廠内が不気味すぎる。警備の哨戒機も、見張りも、整備兵の影すらない。まるで……最初から、獲物を待ち構える罠の中に自分たちから歩み寄っているような……。全機、警戒態勢を最大まで引き上げなさい。常時、いつでも応戦できるよう回路を直結しておいて』
「了解だ、アイ。全員、聞いたな。油断するな」
デュークの合図と共に、18機の六脚機が工廠のメインハングルのゲートを強行突破した。
重い金属音が静寂の工廠に響き渡るが、応戦する敵の姿はない。ただ、広い空間に自分たちの足音だけが空虚に響く。
デュークたちは慎重に、しかし力強く奥へと進んだ。
通路の両脇には、兵士たちのための宿舎が並んでいる。その扉の一つ一つを、デュークたちは射撃体勢を維持したまま通り過ぎていく。
内部は、帝国軍の管理下にあるはずなのに、まるで時間が止まったかのような静寂に支配されていた。寝台は乱れることもなく、床には塵一つ落ちていない。かつての自分たちのような、子供たちの生活の痕跡を探そうとするが、そこにあるのはただ冷たい消毒液の匂いと、無機質な壁だけだった。
「見張りがいない……。これほど大きな施設で、迎撃の一つもしてこないなんて」
スキャベルがケルベロスのセンサーで周囲を走査するが、反応は皆無だ。
その「無反応」こそが、何よりも不気味だった。
「……罠か、それとも最初から空っぽなのか。どちらにせよ、獲物が奥で待ち構えていることだけは間違いなさそうだ」
デュークが愛機の武装を肩にマウントし、最深部へと通じる通路を見据えた。
18機の六脚が、金属の床を正確に踏みしめていく。工廠の静寂は、今にも引き裂かれそうなほど張り詰めていた。その先に待ち受けるのが「救うべき子供たち」なのか、それとも「完成された殺戮機械」なのか。
彼らは、静寂という名の毒が充満する工廠の深淵へと、足を踏み入れていく。
ハンガーの最奥、巨大な保管庫へ通じる扉を開けた瞬間、照明が一斉に赤く点滅した。
そこには、何十体もの最新鋭機が整然と並んでいた。しかし、その機体にはメンテナンスの跡はなく、装甲の継ぎ目からは無機質なケーブルがパイロットの座席へと直結されていた。
突如、沈黙を破って機体が起動する。人型に近い多脚の怪物たちが、まるで糸に操られる人形のようなぎこちない動きでデュークたちに襲いかかってきた。
「敵だ! 配置につけ!」
スキャベルが叫び、迷わずケルベロスの重粒子砲をチャージする。
「動くな、ゴミクズども! ……一気に粉砕してやる!」
「やめてください!!」
サクラたちの悲鳴のような絶叫が通信回線を突き抜けた。
『ヴァルキリー・サクラ』が、猛然と加速するスキャベルのケルベロスの前に立ちはだかり、その銃口を手で抑え込む。
「スキャベルさん、撃たないで! ……あれは、私たちと同じ……あそこで実験を受けていた、あの子たちなんです!」
その言葉に、デュークは息を呑んだ。
よく見れば、襲いかかってくる機体群のコクピットハッチは、あえて半開きのまま固定され、内部のパイロットの四肢は硬質なケーブルで拘束されていた。彼らは戦っているのではない。強制的に「プログラム」を流し込まれ、脳を直接回路として利用されているのだ。
「……兵器の枷、か」
デュークの声が、冷たく震えた。
目の前にいるのは、敵兵ではない。かつてアルカディアで同じ夢を見、同じ空腹に耐えたはずの、後代の少年少女たちだ。彼らは機体を操縦しているのではなく、機体そのものの一部――生体パーツとして組み込まれていた。
「……私たちは、ここから逃げ出したからいい。でも、残されたあの子たちは……」
カトレアの機体が、襲いかかってくる後代の機体に抱きつくようにして動きを止めた。機体越しに聞こえるのは、プログラムによる駆動音の中に混じる、パイロットたちの微かなうめき声だ。
遊撃部隊の面々は戦慄した。
自分たちが帝国に対して抱いていた怒りは、単なる軍事的な憎悪ではなかった。こんな非人道的な「実験」を日常として行っている帝国という組織の、根本的な腐敗に対する嫌悪感。
「……救うどころか、俺たちはこの子たちを殺さなきゃならないのか」
スキャベルが拳を強く握りしめ、銃口を下ろす。
戦場における最強の戦士たちが、初めて「引き金を引くこと」を拒絶し、立ち尽くした。
「デューク……どうするんだ。撃てば彼らは死ぬ。だが、このままでは……」
デュークは『ヴィフレスト』の六脚で、硬いコンクリートの床を噛み締めた。
彼らの目の前にいるのは、救うべき未来ではなく、帝国の罪の結晶だった。しかし、それでもデュークの眼差しには、決して諦めない炎が灯っている。
「……機体から引き剥がす。……全員、武装は『非殺傷モード』に切り替えろ。彼らの脳を、プログラムを、俺たちの手で解放する!」
「無茶だ! ……そんなことをすれば、こちらの隙だらけになる!」
「関係ない。……俺たちは、あの子たちを『連れ戻す』ためにここに来たんだ」
エコー・オブ・レガシーの18機が、帝国による最悪の拷問を止めるため、盾となり、かつてない過酷な「救出戦」へと身を投じた。
「カイル、無茶をするな! ……その機動力、機体のフレームが持たないぞ!」
デュークの警告を、カイルは聞き流した。彼の機体『ヴァルキリー・カイル』が、まるでダンスを踊るかのように六脚を躍動させる。
工廠の壁面を垂直に駆け上がり、重力を無視した軌道で敵の懐へ飛び込む。襲いかかってくる後代の『ヴィフレスト』は、帝国が最適化した戦闘プログラムによって、人間には不可能なレベルの回避機動を繰り返していた。しかし、カイルはその「予測」を上回っていた。
「……計算は終わっています。彼らの動きは『効率的』すぎる。だからこそ、次は読みやすい!」
カイルは機体の腰部マウントから、あらかじめ高熱処理を施した小型の特殊ナイフを引き抜いた。
接近戦用ではない。本来は機体整備や回路修復に使うための、精密で鋭利な刃だ。
敵機がゼロ距離で放つ回転回避を、カイルはわずか数センチの差で紙一重にかわす。六脚が火花を散らして床面を掴み、そのまま背後に回り込むと、流れるような動作で敵機の背面に露出した「生体接続ケーブル」を一閃した。
シュッ、と微かな音が響き、ケーブルが切断される。
直後、暴れていた敵機の動きがピタリと止まり、その場に崩れ落ちた。パイロットの少年が、コクピットの中で意識を失うのがモニター越しに見える。
一人、また一人。
カイルは、相手に致命傷を与えず、ただ「接続」を断つことだけに特化した非人道的なまでの精密操作を続けていた。
「……あいつ、本当にあのカイルか?」
スキャベルはケルベロスのメインカメラでその光景を追っていたが、思わず言葉を失った。重粒子砲を構える手すら止まっている。
「あんな芸当、まともな神経じゃできねぇ。一歩間違えれば、ケーブルと一緒にパイロットの神経まで焼き切るぞ……。あいつ、いつの間に……」
デュークもまた、『ヴィフレスト』の中で呆然と目を見開いていた。
彼らにとって、カイルはあくまで後方支援と索敵の要だった。だが今、目の前で行われているのは、戦場における最も繊細で、最も恐ろしい「外科手術」だ。
「……俺たちが戦い方を見失っている間に、あいつは、あの子たちを救うための『技術』を磨いていたのか」
カイルの機体が、加速の衝撃で軋み音を上げる。六脚が高速回転し、限界を超えた負荷をフレームにかけているのが分かる。
それでもカイルは止まらない。敵の攻撃の軌道をすべて読み切り、その隙間にナイフを差し込み続ける。
「一人残らず……全員、助け出します。……それが、エコー・オブ・レガシーの戦いですから!」
カイルの狂気にも近い精密な躍動に、工廠の闇が切り裂かれていく。
デュークとスキャベルは、互いに顔を見合わせ、すぐさまその「背中」を守るために前へと踏み出した。彼らは、仲間の驚異的な覚悟に触れ、再び自分たちの進むべき道を確信した。
「カイルが道を切り開いた! 皆、続け! 奴らを止めるぞ!」
デュークの咆哮と共に、エコー・オブ・レガシーの全機が動き出した。
六脚の機動力を活かし、敵の装甲が薄い関節部を的確に叩く。強烈な衝撃で一時的に回路をフリーズさせ、その隙にケーブルを断ち切る。凄まじい連携だった。戦場はもはや破壊の場ではなく、救出のためのオペ室と化していた。
だが、帝国の工廠はそこまで甘くなかった。
重厚なゲートを突き破り、制式採用された最新鋭機――帝国の本隊がなだれ込んできた。被検体である子供たちと、血も涙もない帝国軍の増援。挟み撃ちの状況に、部隊の空気が一変する。
「増援だと!? ……クソッ、数が多い!」
スキャベルがケルベロスの重粒子砲を乱射し、迫りくる敵機をなぎ払うが、次から次へと増援が現れる。30機の被検体に加え、さらに20機の精鋭部隊。圧倒的な数の暴力が、デュークたちをじりじりと追い詰めていった。
激しい砲火の中、一機の機体が孤立した。
部隊の中でも特に優しく、いつも周囲を気遣っていた――バルドの機体だ。
「バルド、戻れ! 左翼から回り込まれるぞ!」
デュークの声が飛ぶより早く、バルドの機体は、背後から被検体の一体を庇おうとしていた。直撃を避けるため、盾のように立ち塞がった彼の機体に、帝国軍の集中砲火が容赦なく降り注ぐ。
「……バルドォォッ!」
隊員の悲痛な叫びが通信に響いた。
バルドの機体は、全身から火花を散らし、六脚が一本ずつ無惨に折れ曲がっていく。最後の力を振り絞り、彼は自分を狙った敵機の進路をブロックし、仲間たちに叫んだ。
「……行けッ! ここは俺が……灯し続ける!」
轟音と共にバルドの機体が大爆発を起こし、闇を真っ赤に染め上げた。
通信から彼のノイズが消えた。13機あった「家族」が、一つ欠けた。
「……バルド……嘘だろ……」
スキャベルの声が震える。目の前で仲間を失った衝撃が、戦場に一瞬の静寂をもたらした。サクラたち5人は、何が起きたのかを理解し、その凄惨な現実に震え上がる。
デュークの顔から血の気が引く。しかし、彼の瞳に宿る炎は消えなかった。
仲間が命をかけて守り抜こうとした「明日」を、ここで潰させるわけにはいかない。
「……バルドは、俺たちに道を残してくれたんだ。……泣くな、叫ぶな。奴らを一人残らず片付けて、あの子たちを連れて帰るぞ!」
デュークの叫びは、悲しみを超えた狂気じみた決意に満ちていた。
バルドの機体が燃え盛る中、エコー・オブ・レガシーは、かつてないほどの激憤を込めて帝国軍に牙を剥いた。それは、復讐ではなく、彼らが失った絆の重みを刻み込む、あまりに切ない反撃の始まりだった。
工廠の奥深くでは、地獄のような光景が続いていた。
バルドを失った衝撃も冷めやらぬまま、押し寄せる帝国軍の増援と、自我を奪われた被検体たちの猛攻。デュークたちの機体はどれも満身創痍で、六脚の駆動系は悲鳴を上げ、残弾アラートがコックピットに鳴り響いている。
「クソッ……! 終わりが見えねぇぞ!」
スキャベルの叫びも、もはや掠れていた。
その乱戦の中、ついにさらなる犠牲が生まれる。
被検体の一機を無理に無力化しようとしたユーリの機体が、横から突っ込んできた帝国軍正規兵のランスに貫かれた。
「……悪い、隊長。あとは……頼……」
通信が途絶える。
さらに、彼を助けようと飛び出したテオの機体も、集中砲火を浴びて沈黙した。
「まだだ……まだ、火を……消すわけには……」
テオの最期の声は、爆炎の中に消えていった。
13機いた「家族」が、バルド、ユーリ、テオの3人を失い、ついに10機にまで減っていた。
デュークの意識は、疲労と絶望で朦朧としていた。サクラたち5人を守り、子供たちを救い、そして仲間を失う。その精神的な負荷は、すでに限界をとうに超えていた。
一方、ヴェリディア共和国の司令部。
作戦終了予定時刻を30分過ぎても、デュークたちからの定期連絡は一切なかった。
「……遅すぎる。どういうことなの?」
マリア中佐は、通信士の肩を掴まんばかりに身を乗り出していた。
モニターにはノイズだけが走り、戦域からの信号は途絶えたままだ。
「中佐、磁気嵐の影響かもしれませんが……それにしても反応がありません。ロストした可能性も……」
「馬鹿なこと言わないで! あの連中が、あんなところで終わるはずがないわ!」
マリアは叫んだが、その拳は震えていた。
無理な作戦だったのかもしれない。救出を優先させ、攻撃を制限させた自分の判断が、彼らを追い詰めているのではないか。焦燥感と罪悪感が、彼女の心を支配しようとしたその時。
マリアは震える声で、待機していた全軍に通信を入れた。
「……予定変更よ! 予備役、第2、第3強襲大隊、全機発進! 救援に向かうわ! デュークたちを……一人たりとも、あんな暗闇に置き去りにはさせない!」
工廠のゲートが、外側から巨大な爆発と共に吹き飛ばされた。
絶望の中にいたデュークの視界に、眩いばかりの照明弾の光が飛び込む。
そして、聞き慣れた共和国軍の重厚なエンジン音。
『こちらヴェリディア救助大隊! ――デューク、遅くなって悪かったわね!』
マリア中佐の声が、戦場に響き渡った。
空を埋め尽くす共和国の支援部隊が、一斉に帝国軍の増援へと牙を剥く。
「……中佐……」
デュークは、震える手でレバーを握り直した。
失った仲間たちの名前が、脳裏を駆け巡る。バルド、ユーリ、テオ。彼らが守ろうとした「火」は、今、共和国の援軍という巨大な炎となって、帝国の闇を照らし始めた。
「全機……耐えろ。……火を、絶やすな……!」
ボロボロになった15機(生き残った10機+少女5機)の六脚機は、援軍の光の中で、最後の大逆転へと動き出した。
共和国の救援大隊による凄まじい面制圧が、工廠を埋め尽くしていた帝国軍を強引に押し戻した。圧倒的な物量と火力の前に帝国軍は撤退を余儀なくされ、ボロボロになった15機の多脚機は、這いずるようにして救助艦へと収容された。
しかし、共和国へと帰還した彼らを待っていたのは、勝利の凱歌ではなく、凍り付いたような沈黙だった。
喪失の対価
基地の格納庫に降り立ったデュークたちは、コクピットから出る力さえ残っていなかった。
今回の代償は、あまりにも大きすぎた。
• 仲間の死: 共に地獄を生き抜いてきたバルド、ユーリ、テオの3名が戦死。
• 救えなかった命: カイルが必死にケーブルを切断し、一時的に無力化した被検体の子供たちも、激しい混戦と工廠の崩壊に巻き込まれ、その多くを救い出すことができなかった。
サクラたち5人の少女は、自分たちの「後輩」にあたる子供たちが炎に包まれる光景を目の当たりにし、ただ膝をついて慟哭していた。
作戦後、医務室で強制的に受けさせられたバイタルチェックの結果は、残酷な現実を突きつけた。
限界を超えた神経接続、仲間の死による精神的負荷、そして最新鋭機との死闘――。それらは、ナノマシンに蝕まれた彼らの寿命を、無慈悲に削り取っていた。
