陸上部のエース×陸上部よりも足が速い帰宅部


4月10日
 県立東西高校の入学式翌日。御池葉月は始業時間より20分ほど余裕を持って教室に到着した。バックパックを下ろし、ジャケットを脱いでネクタイを緩める。
 一人の2年生が一年二組の教室までやってきて、教室の入口で女子に声をかけた。ぎょっとするほど背が高い上級生に、クラスメイトはみな振り返った。
葉月も例外ではない。背の高い男は肩につくほどの髪をハーフアップにして、整った顔も相まってモデルのような雰囲気だ。
「すみません。陸上部の烏丸といいます。御池さんはいますか」礼儀正しく、心地良いテノール。葉月はヤバいと思って下を向いたが、女子に「御池くん」と呼ばれた。観念するしかない。
「俺です」
「廊下で話せるかな」
「ハイ」立ち上がり、廊下に出る。烏丸と名乗った2年生は見上げるほど背が高く、おそらく180センチ台半ば。毒気のない整った顔が葉月を見下ろしている。
「入学おめでとう。陸上部二年の烏丸です。サッカー部の足立の後輩だよね?四条北中で一番足が速かったって聞いてる。陸上部に興味はありませんか」
「あー、サッカー部なんで陸上はちょっとわかんないッス」とぼけて逃げるしかない。
 部活に縛られるのは中学で懲りた。小学校時代はずっと陸上クラブだった。中学では帰宅部のつもりが、何でもいいから運動部に入れと迫られ、無理やりサッカー部に入れられたのだ。
サッカーを初心者から始めて、2年半、大してうまくはならなかった。
「いつでもいいから、放課後に時間をもらえないかな。陸上部の事を知ってもらいたいんだ」
「予定はまだあんまりわからなくて……」曖昧に答える。烏丸はいかにも『いい人』で、角が立つ言い方をしたくはなかった。だが陸上部に入るつもりはさらさらない。葉月は高校こそは自分のやりたい事をやると心に決めていた。

 
4月14日
 下校時刻、葉月は陸上部二年の烏丸を昇降口で見かけて、気が付かないふりをしながら走って体育倉庫に逃げ込んだ。今週、ここに隠れるのは3回目だ。ハードルやボールが置かれている奥に、得点板があり、ひと一人座れるスペースがある。入り口からのぞかれても見えない。
腰を下ろし、ため息をつく。ほこりっぽいが仕方ない。逃げるが勝ちだ。下手に争うより逃げた方がマシ。スポーツを長年やっていたせいで、上下関係が染み付いていて葉月は年長者の頼みを断るのが苦手だった。
「バーカ。勝手に探してろ」 
 ほこりっぽい体育倉庫でスマホを出してヘッドホンをつけ、好きなバンドの曲を聴く。心地良いドラムとベースのリズムを感じ、ボーカルの軽やかな声に目を閉じる。音楽が好きだ。何よりも好きだった。

 不意にヘッドホンがつまみ上げられ、音楽が消える。上空から烏丸の困った顔が葉月を見おろしていた。優しげな毒のない顔。いかにも女の子にモテそうだ。
「こんなところにいたんだ。怖くないよ。少し話そう」
「話すと、陸部に入ることになるから嫌です」
「だから逃げてたの?無理強いはしないから出てきて。ほら」
手が差し伸べられ、仕方なく掴んだ。しっかりとした大きな手だ。短距離の選手にしてはデカ過ぎる。体型も、違う気がした。
「烏丸先輩は、種目はなんですか」
「僕は棒高跳び」
「どのくらいの高さまで飛ぶんですか」立ち上がると、烏丸の手は几帳面な様子で御池の肩のほこりを指先で叩いて落とした。
「4メートルから5メートルの間かな」ヘッドホンを渡され、後について体育倉庫から出る。
「へぇ。怖そう」
「サッカーで頭をボールに当てる勇気のほうがすごいと思うよ」
「ヘディングは慣れたら、全然平気です」
ジャージ姿の烏丸の髪が風に揺れた。肩より長いサラサラの髪。
「御池と話がしたかった」
「いま話してます」
「そうだね。警戒させちゃったな。……学校の外で話そうか。荷物取ってくるから、ここで待っていてもらえる?」葉月が頷くと、烏丸は部活棟の方へ走って行った。4月は陸上部は忙しい。入る見込みのない新入部員の勧誘に時間を使う余裕は無いはずだ。この隙に帰ってしまおう、と思うが、なぜか葉月は烏丸を待っていた。
 
「他にも陸部出身の新入生はいますよね。なんで俺なんですか」
駅前のファーストフードでおごってもらう。烏丸はお茶を頼んだ。陸上部は食事制限をしていることが多い。
「小学校の記録会で一緒に走ったことがあるんだ。四条東小の烏丸薙。覚えてない?僕が一学年上だけど、当時は身長が同じくらいで、金メダルの御池と銀メダルの僕で、肩を組んで写真を撮った」
「同じくらい?先輩っていまは何センチすか」
「186センチ」
「すげ。俺171です」
「足立も御池をサッカー部に誘ったんだよね?」
「ハイ。春休み中に、連絡が来て断りました。軽音楽部に入りたくて」ポテトをつまむ。食事制限をしているであろう烏丸の口にポテトを突っ込みたい衝動に駆られたが、こらえる。烏丸のスッキリした顔には無駄な肉はない。体脂肪率はどのくらいだろう。一桁な事は確かだ。
「軽音楽部は三月で廃部になったよ」
「聞きました。受験勉強で3年が全員引退して廃部。4人いないと再開は無理らしいんで、軽音やりたい人を探してるんです」
「うちも、今の三年が夏に引退したら、僕を入れて棒高跳びが二人と短距離が一人だけになる。校庭でも陸上部のスペースは限られていて、指導も週一の棒高跳びのコーチが外部から来てるのと、顧問の先生が見れるトラック競技だけなんだ。新入部員に好きな競技を選ばせてあげられなくて、そのあたりも課題」
「夏に廃部すか」
「うん。1年生が入らなければそうなる。御池は、もし軽音部が集まらなかった場合のこと考えてる?」
「個人で練習して、高校の外でギターをできる場所を探します」烏丸は威圧感はまるでなく、小綺麗な顔とテノールの声に説得されて、陸上部に入ってしまいそうだ、と葉月は思った。衝動に抗えず、ポテトを一本つまんで近づけると烏丸は口を開けた。葉月は烏丸の口の中にポテトを差し込んだ。
「美味い」
「ポテト食うのいつぶりですか」
「思い出せない」
 バーガーをおごってもらった礼を言い、駅前で別れると烏丸は高校へ戻っていった。遠目で見てもデカく、手足が長い。小学校の時に会ったらしいが、思い出せなかった。これから、練習をするのだろう。ひとまず、陸上部からは逃げ切った。次は軽音部のメンバー探しだ。
 
 
4月15日
「御池葉月いる?」中休み、教室の入り口に現れた坊主頭のガッチリした男子生徒が葉月を呼んだ。学年章が緑、つまり2年生だ。
「中央掲示板に軽音楽部復活させませんかってチラシ貼っただろ」
「ハイ。まずかったすか」
「今日の昼休みに第二音楽室に来い。音楽の先生に許可は取ってある」

昼休みになり、葉月は第二音楽室へ向かった。第二音楽室は一年から三年の教室とは別棟にある。渡り廊下を通った先、三階の突き当たりの教室だ。
ドアを開け、なかに入る。第一音楽室より手狭だ。ピアノはアップライト、壁には作り付けの棚が並び、倉庫も兼ねている。
 窓を開ける。校庭に面していて、開けた途端春の風が舞い込んだ。高校1年の春。受験に合格して一番に買ってもらったエレキギター。軽音楽部に入りたくて入学したのに、廃部になったと聞かされた時の落胆。
何もかもが、この春に起きたのだ。
 
音楽の先生とはチラシを作る前に話をして、軽音楽部が復活するなら顧問をしてもらう話を取り付けた。音楽準備室も見せてもらった。ドラムセットにアンプ、古びたエレキギターとベースとエフェクター。キーボード。バンドスコアが何冊も並んでいる。知らないバンドもあったが、ほとんどは有名どころだ。一番ボロボロだったバンドスコアはディープ・パープルだ。スモーク・オン・ザ・ウォーターはおそらく誰でも一度は聴いたことがある。
 
 音楽室の窓の下は校庭の片隅だった。男子が三人、柔軟をしていて、体型でランナーだとわかる。10メートルほどの全力疾走を繰り返しているところに、もう二人、男子が合流した。二人ともスラリと背が高い。一人には葉月は見覚えがある。ハーフアップのサラサラの髪に、奥行きのある顔。烏丸だった。陸上部が練習をしている。

「何見てるの」低めの女の子の声が耳元でして、葉月はビクついた。音もなく近づいて来た女の子は、明るい茶色のロングヘアですっきりとした目元と小さな口。やけに無表情だがかわいい。おまけになんだかイチゴのようないい匂いがする。
「御池もう来てたのか。昼メシは?」中休みに教室へ押しかけた坊主の2年生も第二音楽室に入ってきた。
「ウッス。3時間目のあとに食いました」
「楽器何やってる?」
「ギターです。まだ買って一ヶ月なんでド素人です」
「2年の東野伊緒。ドラムやってる」
「御池葉月です。よろしくお願いします」
「石田ヨンア。ボーカルとギター。私たち三人でバンドをやっていて、あと一人くるから」
第二音楽室のドアがガラリと音を立てて開き、ギグバッグに背負われるように現れたのは、マッシュで小柄なメガネの男子だった。
「こんにちはー、ベースの山科研吾です。1年生の御池くんだよね?楽器はなに?ギター?ギターって言って!」
「ギターです」
「ヤッター!!これで4人揃った!何が弾ける?」
「まだ始めたばっかで、今はスモーク・オン・ザ・ウォーターを、レッスンで習ってます」
「ロック!ハグしよう!」ギグバッグを机に下ろした山科が飛びついてきて、受け止める。
「去年までここの軽音はジャズバンドでさー、俺たちはロックバンドだから、入部しないで外で活動してたんだ。軽音部を引き継ごうにも三人しかいなくて廃部になっちゃって……御池ありがとう!しかも、御池ってすごくかっこいいじゃん。俺たちのバンドにもイケメンが来た!」

 翌朝、葉月はギグバッグを背負って登校した。いつもの登校時間より30分早い。職員室で鍵を借り、第二音楽室にやってきた。第一音楽室からは金管楽器の音がした。吹奏楽部が朝練をやっている。
 音楽室のこもった空気を入れ替えるために窓を開けると野球部がランニングをしている掛け声が聞こえてきた。窓から下を見下ろすと、陸上部も朝練をしていて烏丸が一人いてストレッチをしている。おはようと声をかけてもよかったが、かけない。
 葉月は棚のアンプを見にいった。家にあるものより大型で古い。家ではギターを弾くときはアンプにヘッドホンをつないでいて、週一のレッスンの時だけ、音を出すことが出来る。棚にはエフェクターもあり、傷だらけで年季が入っていた。
 軽音楽部はまだ廃部のままだ。今日、葉月と2年生の三人が部活動届を出して、校長が承認すれば軽音楽部は復活。アンプも使える。
 ギグバッグからギターを取り出す。始業時間までには余裕がある。椅子に座り、葉月はピックを持った。
 いつからこんなに音楽が好きだったのか、思い出せない。小学生の時にはもう好きで、陸上クラブにいく車のなかで父親の流す曲に合わせてでたらめに歌っていた。
陸上クラブのことはあまり思い出したくはなかった。意味の分からない叱責に厳しい指導、食事制限、負けるのが嫌で吐くまで走った。吐いてもすぐにまた走る。長距離が好きだったが、花形競技の短距離の選手にされ、それでも負けはしなかった。何のために走るのかわからないまま走り続け、小6の終わりの陸上クラブからの引退でチームメイトが泣く中、「中学でも陸上を頑張りまーす」と心にも無いことを言い、白けた気持ちになった。
 サッカー部では友達もでき、後悔はない。だが葉月自身のやりたいことではなかった。1人きりの第二音楽室で、膝に中古のエレキギターを抱き、安堵のため息をつく。やっと、やりたいことができる。
 準備は出来ていた。これからこの第二音楽室が活動の場なのだと思いながら、葉月は世界一有名なリフをいた。親がせっかくやるならちゃんと習えと通わせてくれた週一のレッスンと、家にいる間はひたすらに練習をし続けた成果で、短期間に葉月のギターの腕前は上達していた。アンプに繋いでいないなんてことのない音に一人笑う。そろそろ教室へ行こう。エレキギターをギグバッグにしまい、窓を閉めようと窓際に行くと、烏丸はまだ校庭にいて、葉月は窓から声をかけた。
「烏丸先輩、おはよう」烏丸はコーンを拾い集める手を止め、上を見上げ、手で日差しを遮った。始業10分前の予鈴がなった。烏丸に手を振り窓を閉める。
 
 昼休み。葉月は購買部でパンを買ってから、二階の2年生のフロアへやってきた。軽音部ができるのが確実になったので、烏丸に正式に断りをいれなくてはならない。だが何組か、分からない。
手始めに七組を覗くが、いない。六組を覗くと、中学のサッカー部の先輩だった足立がいた。
「御池ー。サッカー部にはいる気になったか」
「足立先輩、こんにちは。あの、烏丸先輩探してて……」
「薙は二組。陸上もやんの?」
「あざーす。陸上はやりません」二年と三年は二組に理系難関大を目指す生徒が集まっている。二組ということは、烏丸は勉強も出来るという事だった。
 二年二組を覗くと、見覚えのある坊主頭が目に入った。東野だ。ヨンアと山科もいる。山科が椅子から立ち上がった。
「御池、辞めるって言わないよね?」教室の後ろのロッカーの上にはギグバッグが置いてある。山科のベースだ。
「もう入部届は出しました。あの、烏丸先輩いますか」
「僕に用?」御池が振り返ると烏丸が葉月の真後ろにいた。教室に戻って来たところのようで、手にはテキストを抱え、隣には女子がいる。見覚えがあり、入学式で挨拶をしていた生徒代表だと気がついた。
「話があって、でも今じゃなくていいです」
「今でいいよ。行こう。お昼は食べた?」
「まだです」購買部で買ったパンを見せる。
「じゃあ昼付き合って。そうだ。朝、三階からなんて言ってた?聞こえなかったんだ」
「『烏丸先輩、おはよう』」
「そっか。おはよう」にこにこと時間はずれのおはようを言って、烏丸はトートバッグ片手に教室から出た。

「軽音楽部が復活することになって、入部しました。役に立てなくてすみません」
「おめでとう。よかったね」
「東野先輩たちと同じクラスなんですね」
「東野と石田と山科がバンド組んでるのは知ってたんだ。軽音やりたいけど一人足りないっていうのも、耳に入ってた。御池に言わなきゃと思って、言えなかったから、軽音部が出来てホッとしてる」
「……なんて言っていいかわかんないッス」
「だよね。自分の自己中心さに驚いてる」
 木陰のベンチは心地良い気温で、葉月は袖をまくり、ペットボトルの緑茶を飲んだ。購買で買ったパンを、なぜか食べる気にはなれなかった。烏丸は弁当のおかずを几帳面な様子で箸で口に運んで、咀嚼し、飲み込んでいる。食べることもトレーニングのうち、と小学生の時にコーチから散々いわれた事を思い出す。
「烏丸先輩は俺のために、軽音部に入れます?」
「音痴なんだ」
「ドラムなら音痴は関係ない」
「なら入る。ドラマー、空いてる?」
「東野先輩がドラムやってます。それに、好きじゃなきゃ音楽やってもきっとつまらない。地区予選はいつからですか」
「来週末に市民陸上競技場である。集中しないと……」葉月はパンのパッケージを開け、食べた。食べないと午後が持たない。今日から部活もあるのだ。
「市民陸上競技場、懐かしい。競技は何時からですか」
「9時」
「烏丸先輩、きっとうまく行きます」
「ありがとう。御池も、ギター頑張って。嫌じゃなかったら、また昼を一緒に食べよう」
「ハイ、毎日一緒に食ってもいいッス。ここ穴場だから気に入りました」
「ハハ」
 
 何気なく言った一言が本当になった。翌日、旧校舎裏のテラスに葉月が行くと、烏丸がノートパソコンを開いて1人座っていた。微かなタイピングの音がしている。
「ウッス」
「ああ、御池。お昼一緒に食べる?」
「ハイ。課題すか」
「うん。色々、やる事が多くて」
「俺いないほうがいいなら……」
「そう思ってたら、ここには来てないよ」無言でキーを叩くかすかな音だけが響く。優しい音だ。声も、顔も、タイピングさえ、烏丸は優しい。葉月は弁当を出した。母親に頼んで、陸上をやっていた時のような弁当にしてもらった。ブロッコリーとピカタはうんざりだと思っていたが、3年ぶりに食べると悪くない。
「御池、下の名前なんだっけ?」パソコンを見つめたまま烏丸が聞いた。
「葉っぱに月で、ハヅキです。烏丸先輩は?」
「僕はクサカンムリに雉で薙って名前。名前に鳥が二種類いる。御池葉月か、日本画みたいな名前だね。葉月って呼んでいい?」
「はい」パソコンからちらりと目線を上げ、烏丸は葉月を見てわずかに嬉しそうな顔をした。
 
「7月25日に初ライブをやる。文化部発表会で2曲か3曲」東野が第二音楽室に入るなり告知した。
「オーケー……御池は歌える?一曲はヨンアちゃんがギターやって、御池がメインボーカルにしない?」山科が言った。
「ヨンア先輩みたいに上手くないです」
「ヨンアちゃんはプロだもん」石田は元々教会の聖歌隊にいて、子供の頃からコーラスの仕事もしているプロの歌手だ。
「私もギター弾きたいから、一曲は御池が歌って。歌は教えてあげる。踊れる?」
「いや、踊れないです」
「教えてあげる」石田はニコリともしないで言った。
「ヨンア、御池に手ぇ出すな。辞めたら困る」
「伊緒、バンドのアカウント作ったけど、バンドの名前は変える?」山科が言った。
「『鴨川デルタ』のままでいいだろ。ライブまでにいい名前を思いついたら変えればいい」
「なんで『鴨川デルタ』ってバンド名にしたんですか」
「三人だから、三角形でデルタ。それだけじゃ短いから、デルタ地帯にちなんで『鴨川デルタ』。深い意味はない。4人だからどんな名前がいいかな」山科はベースのストラップを身体にかけた。ドラムのセッティングも終わり、軽音楽部の練習が始まった。