8月初旬、夏休みもいよいよ中盤戦。茹だるような暑さと日差しが照りつけ外に出るのにも億劫だ。珍しく予定がある俺は、溶けそうになりながら久々にバイト先以外の場所を目指していた。
「瑞季、久しぶり!」
「おう」
学校の花壇には、ひと足先に榎本が到着していた。コスモスの苗を植えるために、花壇の土を整備するのが今日なのだ。
「ねぇ、瑞季」
「なに?」
「駅前の花屋、本当に働いてるの?」
「働いてるよ、なんで?」
「前行った時にいなかったから」
「7月末だったら、ちょうど体調崩しててお店にはいなかったからかな」
「え、大丈夫なのか?……って、そうか…」
そう言った榎本は、肩から脱力したように見えた。
「というか、やっぱりおばさんが言ってたの榎本のことだったんだ」
「やっぱり?」
「いやおばさんが、なんか高校生くらいの子が来てたって」
「ああ、そう」
榎本はそう短く返事をすると、鞄から何かを取り出した。それを俺の前に差し出す。
「これ、俺のノート…」
「終業式の日、机の上に忘れてたから」
「それで店まで来てくれたんだ、ありがとう。でも、なんかごめん。今日会うってわかってたから持ってこなくてもよかったのに」
「いや、それはそうなんだけど…」
そう言って、榎本はバツが悪そうに言葉を詰まらせた。少しの沈黙に気まずさを覚え、他の話題を探しているとあることを思い出した。
「そうだ!一輪挿し買っていったって聞いたけど、何買ったの?」
「ひまわり」
「いいな!元気がもらえる気がするんだよなぁ。なんでひまわりにしたの?」
そんなに難しい質問でもない気がするのだが、榎本は再び考え込むような素振りを見せた。俺としては、綺麗だから、とかそんな簡単な理由が返ってくると思っていたから、言葉を探す姿に少し驚きがあった。
「……似てたから」
「へ?」
「あ、いや、夏だし。あと、咲いてるとこみるの結構好き」
「わかる!この時期、花壇に植ってること多いからつい探しちゃうもんな」
榎本が一輪挿しを買って、家で花の世話をしているなんて。最初出会った頃では想像ができなかった。やはり植物が好きで緑化委員に立候補したのだろうか。それとも花壇を作る中で…?どちらにしろ、こうやって遠慮せずに花を語れる相手が叔母さん以外にできるなんて思ってもみなかった。
「あ、ひまわりといえば、四宮くんがこの間お店に来て花束を買って行ったんだ。俺が作ったんだけど、その時もひまわり使ったな」
「!」
俺の言葉を聞いて、榎本が驚いたような表情でこちらを振り向いた。そして、頭を抱え込み、その場にしゃがみ込んだ。
「チッ…そういうことかよ、やっぱり変だと思ったんだ」
榎本が大きくため息をついた。
「え?」
「いや、なんでも」
俺も榎本の目線に合わせて聞き返してみるが、はぐらかされてしまう。特におかしいことを言ったつもりはないのだがどうしたのだろうか。今日の榎本はいつもに増して掴みどころがない。
「瑞季もひまわり好きなの?」と榎本が伏せた顔をこちらに向けて尋ねてきた。
「あ、うん!夏の花だと一番好きだな。悠木園って知ってるか?ここ毎年すっげえ綺麗なひまわり畑を作ってるんだ。」
俺はスマホの検索窓に「悠木園」と打ち込み、出てきた画像を榎本に見せた。
「去年は行けなかったから、今年は絶対行くって決めてて…」
ピロン。
スマホの画面に通知が光った。ポップアップされたその内容に気づいて、榎本が声を出した。
「悠木園って」
俺は慌てて通知を開き、詳細を確認する。
「ひまわり畑の公開期間が短縮!?やばい、早く行かないと」
カレンダーアプリを開き、バイトの予定を確認する。次の日曜日に"悠木園"と予定を入れたところで、隣から声がかかった。
「俺と行かない?」
「え?」
「俺、ひまわり割と好きだし。瑞季も話し相手いた方が面白いんじゃないかなって」
「他の人と行く約束とかしてなければ…」と小さく続けた榎本はサッと俺から目線をそらした。
そんな榎本の態度に、思わず俺も視線を外してしまう。いつもはぐいぐい来るくせに、今日はしおらしくてなんか調子狂う。まぁでも、もともと1人で行く予定だったし、花をもっと好きになってもらえるチャンスかもしれない。
「いいぞ、次の日曜日空いてる?」
俺の返答に榎本がバッと顔を上げた。
「空いてる!」
「じゃあ、その日行こう。集合場所とかは…あとでいいか。ラインするからID教えて」
「……」
「なに?」
なんだその表情《かお》。俺、変なこと言ってないよな?
目を少し見開いてキョトンとした表情を見せる榎本につい口調が強くなった。
「いや、はい。これ」
差し出されたスマホに映ったIDを入力し、「友だち追加」をタップする。追加した相手が俺だと分かるように「瑞季菖蒲」とメッセージを送っておいた。
ピロン、と続けて通知音がなった。
「何これ?」
通知を開くと、榎本からスタンプが送られてきていた。ポメラニアンが小さな前足をあげながら、「よろしく」と言っているスタンプだ。
「可愛いでしょ?ポメ吉」
「ポメ吉?え、あ、まぁ」
「瑞季に似てない?」
「…はぁ!?」
「うそうそ。冗談だって。ふふふ」
「なッ!」
ちょっと静かだと思ったら、もういつもの調子だ。心配して損した。
ん?心配……?なんで俺が…。
いや、考えるのは後だ。先に今日ここにきた目的を達成しなければ。この大きさの花壇の土作りは俺も初めてだし、早く始めないと日が暮れてしまうかもしれない。
俺は思考をリセットするようにパチッと両頬を叩き、立ち上がった。
「作業しないと帰れねーだろ!ほら!」
榎本にスコップを手渡すと、「えー、もうちょっと話してからでもいいじゃん。夏休みの近況報告しようよ〜!」と駄々をこねていたが、俺は無視して土作りに取り掛かった。
「…っと、これで全部?」
手に持った肥料を花壇に撒き終わった後に、榎本が訪ねてくる。
「うん、あとはこれを混ぜるだけ」
「おっけー」
榎本は落ちかけていた袖を再び捲り、スコップを手に取った。俺も同じように土をかき混ぜるポーズをとる。額から汗が滴るのを感じる。普段運動もしてない上に、夏休みが始まってからバイト先以外に出かけていない俺に取っては重労働だ。隣では榎本が涼しい顔をして作業をこなしている。
くっそ、こいつ欠点ないのか?勉強できて、体力あって、おまけに顔もいい。いや、減らず口は欠点に入るか。
もちろんそんな言葉を口にだす余裕もなく、黙々と土をかき混ぜていると、隣から声がかかった。
「ねぇ、瑞季」
榎本が手を止めたことがわかった。俺も作業をやめて、スコップを土に突き刺した。
「なんで四宮のこと好きなの?」
「またその話?だから、好きとかじゃ……」
否定しようと榎本の方に向き直る。顔を上げて、視線が交わった。いつになく真剣な眼差しで見つめられ、言葉に詰まる。その目で見られると、取り繕った言葉が見透かされている気がして嘘がつけない。そう、思わされた。
観念した俺は、四宮との出来事を思い起こす。あれは、去年の夏休み直前____
「…傘」
「え?」
「傘を忘れたんだ。急に雨が降ってきて、困ってたら四宮くんが声をかけてくれた。『駅まで行くけど、一緒に行く?』って。駅まで送ってくれたけど、用事思い出したって来た道を戻って行ったんだ。たぶん、俺が困ってたからわざわざ駅まで送ってくれたんだと思う」
「……」
「そこから、なんとなく目が追うようになっていて、気づいたら……」
声が震える。こんな話、誰にもしたことがない。今後もすることがないと思っていた。
「笑うだろ?そんな少しのことでって、でも俺はそれが」
「笑わないよ」
ああ、またその目だ。いつだって軽口を叩いて、今だって俺を揶揄っているだけのはずなのに。
息が詰まりそうだ。自分の鼓動がだんだんと早くなるのがわかった。
「あ!バイト!俺今日バイトだった!もう土十分混ざったしこれで終わろう!ごめん!片付け任せた!」
それだけ言い残して、俺は逃げるようにその場を後にした。
正門を抜けるまで、とにかく走った。花壇が見えなくなったところで、立ち止まって息を整える。額に汗が滲んでいる。
心臓がうるさい。熱が集まって顔が赤い。それはきっと、この暑さのせいだ。
