花壇にホウセンカを植えてから、約1週間。俺は過去最大級のピンチを迎えていた。
それは___
「あ゛あ゛あ゛あ゛」
「人間が出していい声じゃないぞ?」
人がまばらになった放課後の教室。机に突っ伏し頭を抱える俺に、彰人が冷ややかな目線を向けた。
「なんで余裕そうなんだよ。来週だぞ、テスト」
中間テストが近づき、苦手な数式を頭に詰め込む日々に今にも発狂しそうだ。
順位を下げないことを条件に花屋のバイトを許してもらっているため、絶対に落とせない。赤点なんてもってのほかだ。
「普段の授業聞いてたら大丈夫じゃね?今回範囲そんな広くないし」
そうだ、こいつはできる側の人間だった。というか、時々授業中寝てるだろ。
「お前とは頭の出来が違うんだよ」
「嬉しくねぇよ」
1年生でも怪しかった数学が2年に入ってさらにわからなくなった。受験には必要だから勉強しないわけにはいかないが、苦手なことに向き合い続けるのは体力がいる。
「んじゃ、俺部活行くわ」
「おう、頑張ってな」
彰人はゴールデンウィークに大会があるらしく、テスト期間でも部活があるらしい。運動部は総じてこの時期忙しそうで、俺の方が時間があるはずなのに本当に勉強が進まない。
気分転換に外の空気を吸おう。そう考えて俺は窓を開けた。心地の良い風が肌を掠め、ポカポカした陽気が疲れを少し和らげてくれた気がした。両手を組み、体を上に持ち上げるように伸びをする。
「んーー!はぁ!やるか」
窓を閉めようとした、その時___
ガンッ
「い゛だッッッ」
鋭い衝撃が走り、肩をを抑えた。グラつく視界の中、ぶつかってきたものの正体に視線をやれば、それは野球ボールだった。
「大丈夫ですかーーー?」
外から叫ぶ声が聞こえた。
ジンジンと痛む肩を抑えながら、窓の外を見る。俺がいる教室の真下で、野球部であろう人物が帽子をとってこちらを見上げていた。
「し、四宮くん?」
「瑞季!ごめん、大丈夫?」
「だ、大丈夫!これ投げるね!」
痛みと久しぶりに話した四宮くんとの会話で俺は軽くパニックになりながら、咄嗟に飛んできたボールを四宮くんに見せた。
「そっち取りに行く!」
そう言い残し、四宮くんは校舎の中に入っていった。
数分後、四宮くんが教室に現れた。俺を見つけると四宮は心配そうな表情で俺の顔を覗き込んできた。
「ぶつかったの肩?本当にごめんね。保健室行こう?」
俺が肩を気にする様子を見て、優しい声色で話しかけてくれる。
「うん、大丈夫。もう、痛くないし…」
四宮くんの顔が近く、痛みどころではない俺は赤くなった顔に気づかれないように下を向く。そんな俺に「無理しないでね」と、四宮くんはいたわる言葉をかけてくれた。こういう優しいところが俺は___
「ありがとう。本当に大丈夫だから、ほら」
俺が肩をぐるぐる回す仕草をすると、四宮くんがほっとしたような表情を浮かべた。
「そ、そうだ、これ」
俺は飛んできた野球ボールを四宮くんに手渡した。
「ありがとう、次から本当に気をつけるね」
「うん」
2人の時間が少し名残惜しい、なんて思うのは俺のわがままだろうか。
「…テスト前なのに部活って大変だね」
「うん、まぁね。でも、来週の大会、3年生にとっては最後になるし。できることは全部やっときたいかな」
「そう、だよね…」
こうやって一つのことに打ち込む人を見ていると、テストだけで弱音を吐いている自分が恥ずかしくなってきた。
「あ!そういえば、なに育ててるの?」
「え?」
「花壇だよ。この前、花壇で見かけた気がして」
「ホウセンカだよ。先週種まきしたんだ 」
ん?花壇、ホウセンカ…。何か忘れてる気が___
ふと、黒板に書かれた日付が目に入った。そこには『4月28日(火)』とある。
「あ!!」
急に大きな声を出した俺に、四宮くんが驚きの表情を浮かべている。
「ごめん、用事思い出した!四宮くん、またね!」
「う、うん。気をつけてね」
四宮くんに見送られ、急ぎ足で教室を出た。そのまま階段を下り、正門を抜ける。
俺としたことが、テストに気を取られて水やりを忘れるなんて…
ホウセンカは比較的育てやすいとはいえ、発芽するまで注意して経過を観察することが大切だ。おまけに、乾燥には強くない品種のため、特にこの時期の水やりは重要になる。
バックネット裏に差し掛かったところで、花壇に人影が見えた。その人物はどうやら水やりをしているように見える。
一体誰が?用務員さんは休みのはずだけど…。
俺が花壇に近づくと、水やりをしている人物はこちらに気づいたようで、手をブンブンと振ってきた。
「あ、やっときた。遅いよ〜」
そこでは、榎本はホースを手に花壇に水やりをしていた。
「今日、俺が当番の日……」
「知ってるよ?聞いたじゃん、いつ水やりするのか」
そう言われてみれば、種まきをした日にそんなことを聞かれていたような気もする。
「なんで」
「瑞季が来るからじゃん」
俺が来ることが、当番じゃない日に花壇に来る理由になるんだろうか。
「でも、それ」
俺がホースに目線を落とすと、その視線を辿るように榎本が後を追う。きょとんとした顔をして数秒俺を見つめたあと、榎本は言った。
「うーん、水あげなくて枯れちゃうのやだなって。あと、水やり終わってたら時間空くでしょ?その分瑞季と話す時間が増えるじゃん」
当たり前のように言うので、豆鉄砲を喰らった鳩のような気持ちになった。
「……水やり終わったら帰るとか思わなかったの?」
「あ、確かに」
「ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
「じゃあ、水やりももう終わるし、ちょっと話そうよ」
そう言うと榎本は
「テスト期間だぞ?」
「そうだけど…」
榎本が口を尖らせて拗ねたような口調で言う。
「勉強」
「え?」
「教えてくれよ、頭いいんだろ」
「うん!!もちろん!!」
急いで片付けると、鞄を持って
約3週間後の火曜日、返ってきたテスト結果を手に、俺は花壇へ向かった。火曜日は俺の当番の日ではあるのだが、あの日以来、なぜか榎本も火曜日に水やりに来るのが当たり前になっていた。
花壇に着くと、すでに水やりの準備している榎本の姿が見えた。俺は鞄からテスト用紙を取り出し、興奮気味に数学Bのテスト用紙を見せた。
「これ!見てくれよ!数学でこんな点数とれたの初めてだ!」
その用紙には俺の数学の点数とは思えない82点と記されていた。いつも平均点ギリギリの俺が80点取れるなんて、、
嬉しさのあまり忘れていたが、俺にとっては良い点数でも、榎本にとっては喜しいものではないかもしれない。意気揚々と見せたことに少し後悔していると、榎本は手を止めこちらを振り返った。
「すごいじゃん!瑞季頑張ってたもんね!」
「……ッ」
こんなに真正面から褒められるとは思っておらず、面食らってしまった。
ホウセンカは葉が大きくなり始めているところ。
「だいぶ大きくなったね、花が咲くまであと少し?」
「うん順調にいけば2週間後くらいに咲くんじゃないかな」
「そういえば、なんでホウセンカにしたの?」
「一番は育てやすいからかな。俺もこんな大きい花壇を任せてもらったことなかったし。それに___」
「それに?」
そこまで言って言葉に詰まった。
あの時見た榎本の表情で、ホウセンカの花が浮かんできた。
なんて、こいつに言ったら調子に乗るに決まっている。
「な、なんでもいいだろ!」
「瑞季のけちー!教えてよ!誰のおかげでいい点とれたと思ってるの!」
「それは俺の努力だろ!」
最初の印象はいけすかないやつだったけど、いやそれは今も変わらないか。いいところも知れた。今はこの掴めない男を知りたいと少し思ってしまってもいる。
不貞腐れる榎本を笑っていると、隣にあるカバンに目がいった。そこには、赤い毛糸で編まれたクマのマスコットが付いていた。
ん?あのキーホルダー、どこかで見たことあるような…
「サボってないで手伝ってよ?今日は瑞季が当番の日なんだから」
「言われなくてもやるよ!」
まぁ、いいか。
俺は文句を垂れる榎本からホースを奪い、花壇に水やりをする。
空は雲ひとつない晴天。日差しが照り付け、少し汗ばむ季節になってきたが、植物が育つにはもってこいの気候だ。花壇を見れば、力強く根を張ったホウセンカが日々成長しているのを感じる。
あと、2週間か。
こんなに花が咲くのを心待ちにしたのは初めてかもしれない。
それは___
「あ゛あ゛あ゛あ゛」
「人間が出していい声じゃないぞ?」
人がまばらになった放課後の教室。机に突っ伏し頭を抱える俺に、彰人が冷ややかな目線を向けた。
「なんで余裕そうなんだよ。来週だぞ、テスト」
中間テストが近づき、苦手な数式を頭に詰め込む日々に今にも発狂しそうだ。
順位を下げないことを条件に花屋のバイトを許してもらっているため、絶対に落とせない。赤点なんてもってのほかだ。
「普段の授業聞いてたら大丈夫じゃね?今回範囲そんな広くないし」
そうだ、こいつはできる側の人間だった。というか、時々授業中寝てるだろ。
「お前とは頭の出来が違うんだよ」
「嬉しくねぇよ」
1年生でも怪しかった数学が2年に入ってさらにわからなくなった。受験には必要だから勉強しないわけにはいかないが、苦手なことに向き合い続けるのは体力がいる。
「んじゃ、俺部活行くわ」
「おう、頑張ってな」
彰人はゴールデンウィークに大会があるらしく、テスト期間でも部活があるらしい。運動部は総じてこの時期忙しそうで、俺の方が時間があるはずなのに本当に勉強が進まない。
気分転換に外の空気を吸おう。そう考えて俺は窓を開けた。心地の良い風が肌を掠め、ポカポカした陽気が疲れを少し和らげてくれた気がした。両手を組み、体を上に持ち上げるように伸びをする。
「んーー!はぁ!やるか」
窓を閉めようとした、その時___
ガンッ
「い゛だッッッ」
鋭い衝撃が走り、肩をを抑えた。グラつく視界の中、ぶつかってきたものの正体に視線をやれば、それは野球ボールだった。
「大丈夫ですかーーー?」
外から叫ぶ声が聞こえた。
ジンジンと痛む肩を抑えながら、窓の外を見る。俺がいる教室の真下で、野球部であろう人物が帽子をとってこちらを見上げていた。
「し、四宮くん?」
「瑞季!ごめん、大丈夫?」
「だ、大丈夫!これ投げるね!」
痛みと久しぶりに話した四宮くんとの会話で俺は軽くパニックになりながら、咄嗟に飛んできたボールを四宮くんに見せた。
「そっち取りに行く!」
そう言い残し、四宮くんは校舎の中に入っていった。
数分後、四宮くんが教室に現れた。俺を見つけると四宮は心配そうな表情で俺の顔を覗き込んできた。
「ぶつかったの肩?本当にごめんね。保健室行こう?」
俺が肩を気にする様子を見て、優しい声色で話しかけてくれる。
「うん、大丈夫。もう、痛くないし…」
四宮くんの顔が近く、痛みどころではない俺は赤くなった顔に気づかれないように下を向く。そんな俺に「無理しないでね」と、四宮くんはいたわる言葉をかけてくれた。こういう優しいところが俺は___
「ありがとう。本当に大丈夫だから、ほら」
俺が肩をぐるぐる回す仕草をすると、四宮くんがほっとしたような表情を浮かべた。
「そ、そうだ、これ」
俺は飛んできた野球ボールを四宮くんに手渡した。
「ありがとう、次から本当に気をつけるね」
「うん」
2人の時間が少し名残惜しい、なんて思うのは俺のわがままだろうか。
「…テスト前なのに部活って大変だね」
「うん、まぁね。でも、来週の大会、3年生にとっては最後になるし。できることは全部やっときたいかな」
「そう、だよね…」
こうやって一つのことに打ち込む人を見ていると、テストだけで弱音を吐いている自分が恥ずかしくなってきた。
「あ!そういえば、なに育ててるの?」
「え?」
「花壇だよ。この前、花壇で見かけた気がして」
「ホウセンカだよ。先週種まきしたんだ 」
ん?花壇、ホウセンカ…。何か忘れてる気が___
ふと、黒板に書かれた日付が目に入った。そこには『4月28日(火)』とある。
「あ!!」
急に大きな声を出した俺に、四宮くんが驚きの表情を浮かべている。
「ごめん、用事思い出した!四宮くん、またね!」
「う、うん。気をつけてね」
四宮くんに見送られ、急ぎ足で教室を出た。そのまま階段を下り、正門を抜ける。
俺としたことが、テストに気を取られて水やりを忘れるなんて…
ホウセンカは比較的育てやすいとはいえ、発芽するまで注意して経過を観察することが大切だ。おまけに、乾燥には強くない品種のため、特にこの時期の水やりは重要になる。
バックネット裏に差し掛かったところで、花壇に人影が見えた。その人物はどうやら水やりをしているように見える。
一体誰が?用務員さんは休みのはずだけど…。
俺が花壇に近づくと、水やりをしている人物はこちらに気づいたようで、手をブンブンと振ってきた。
「あ、やっときた。遅いよ〜」
そこでは、榎本はホースを手に花壇に水やりをしていた。
「今日、俺が当番の日……」
「知ってるよ?聞いたじゃん、いつ水やりするのか」
そう言われてみれば、種まきをした日にそんなことを聞かれていたような気もする。
「なんで」
「瑞季が来るからじゃん」
俺が来ることが、当番じゃない日に花壇に来る理由になるんだろうか。
「でも、それ」
俺がホースに目線を落とすと、その視線を辿るように榎本が後を追う。きょとんとした顔をして数秒俺を見つめたあと、榎本は言った。
「うーん、水あげなくて枯れちゃうのやだなって。あと、水やり終わってたら時間空くでしょ?その分瑞季と話す時間が増えるじゃん」
当たり前のように言うので、豆鉄砲を喰らった鳩のような気持ちになった。
「……水やり終わったら帰るとか思わなかったの?」
「あ、確かに」
「ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
「じゃあ、水やりももう終わるし、ちょっと話そうよ」
そう言うと榎本は
「テスト期間だぞ?」
「そうだけど…」
榎本が口を尖らせて拗ねたような口調で言う。
「勉強」
「え?」
「教えてくれよ、頭いいんだろ」
「うん!!もちろん!!」
急いで片付けると、鞄を持って
約3週間後の火曜日、返ってきたテスト結果を手に、俺は花壇へ向かった。火曜日は俺の当番の日ではあるのだが、あの日以来、なぜか榎本も火曜日に水やりに来るのが当たり前になっていた。
花壇に着くと、すでに水やりの準備している榎本の姿が見えた。俺は鞄からテスト用紙を取り出し、興奮気味に数学Bのテスト用紙を見せた。
「これ!見てくれよ!数学でこんな点数とれたの初めてだ!」
その用紙には俺の数学の点数とは思えない82点と記されていた。いつも平均点ギリギリの俺が80点取れるなんて、、
嬉しさのあまり忘れていたが、俺にとっては良い点数でも、榎本にとっては喜しいものではないかもしれない。意気揚々と見せたことに少し後悔していると、榎本は手を止めこちらを振り返った。
「すごいじゃん!瑞季頑張ってたもんね!」
「……ッ」
こんなに真正面から褒められるとは思っておらず、面食らってしまった。
ホウセンカは葉が大きくなり始めているところ。
「だいぶ大きくなったね、花が咲くまであと少し?」
「うん順調にいけば2週間後くらいに咲くんじゃないかな」
「そういえば、なんでホウセンカにしたの?」
「一番は育てやすいからかな。俺もこんな大きい花壇を任せてもらったことなかったし。それに___」
「それに?」
そこまで言って言葉に詰まった。
あの時見た榎本の表情で、ホウセンカの花が浮かんできた。
なんて、こいつに言ったら調子に乗るに決まっている。
「な、なんでもいいだろ!」
「瑞季のけちー!教えてよ!誰のおかげでいい点とれたと思ってるの!」
「それは俺の努力だろ!」
最初の印象はいけすかないやつだったけど、いやそれは今も変わらないか。いいところも知れた。今はこの掴めない男を知りたいと少し思ってしまってもいる。
不貞腐れる榎本を笑っていると、隣にあるカバンに目がいった。そこには、赤い毛糸で編まれたクマのマスコットが付いていた。
ん?あのキーホルダー、どこかで見たことあるような…
「サボってないで手伝ってよ?今日は瑞季が当番の日なんだから」
「言われなくてもやるよ!」
まぁ、いいか。
俺は文句を垂れる榎本からホースを奪い、花壇に水やりをする。
空は雲ひとつない晴天。日差しが照り付け、少し汗ばむ季節になってきたが、植物が育つにはもってこいの気候だ。花壇を見れば、力強く根を張ったホウセンカが日々成長しているのを感じる。
あと、2週間か。
こんなに花が咲くのを心待ちにしたのは初めてかもしれない。
