君の視線の外の俺

「俺にすればいいじゃん」
___数秒の沈黙。教室の前を通り過ぎる足音が聞こえ、我に返った。
「へ?」
最初に出てきた言葉はあまりに間抜けだった。
今、榎本なんて言った?
「え、う、あの…えっと…、それって…?」
また、榎本と視線が交わる。こちらを見つめる彫りの深い切れ長の瞳を前に、顔に熱が集まっていくのがわかった。
俺にしたらって、付き合うってこと?榎本って俺のこと好きだったの?初めて話したの昨日だよな、そんなことあるのか?
ばっと目線を逸らし、次に紡ぐ言葉を必死に探すが、考えれば考えるほど何も浮かばない。
「くくっ」
「え?」
堪えたような笑い声に、思わず顔を上げた。
「なーんて!本気にした?顔真っ赤じゃん」
は?
「瑞季って案外ウブなんだ?かわいいね」
榎本はそう言うと、俺の頬を軽くつねった。よほど俺の反応が面白かったのか、まだ肩で息をしながら笑いを堪えている。
前言撤回!反省した俺がバカだった!やっぱり嫌なやつだ!
俺は頬に触れた榎本の手を振り払い、席から立ち上がった。
「帰る!!!」
机の上にあるものを乱雑に鞄の中に突っ込み、扉へと向かう。そんな俺の後ろ姿に「なに育てんのー?」と大きな声が飛んできた。
「……、ホウセンカ!!!」
それだけ言い残すと、俺は振り返らず教室を後にした。


「ホウセンカか、いいな」
翌朝、俺は熊崎先生に資料を提出するために職員室にいた。植える花はあの時咄嗟に出てきた『ホウセンカ』、水やり当番は適当に書いて提出した。
「ありがとうございます」
「それにしても、榎本が委員に立候補なんてな〜。正直驚いたよ」
ちなみに、緑化委員の担当教諭は1年生の年次団だ。よぼど珍しかったのだろうか、それとも担任がおしゃべりなだけか。なんにしろ、やはり榎本は"有名"らしい。
「まぁ、やる気が出たんじゃないですかね…?」
「瑞季が一緒だからだったりしてな〜」
冗談混じりのその言葉に、昨日のことが思い出された。

『俺にしたらいいじゃん』

本気にしてしまった自分を思い返して、また羞恥に顔が赤くなる。そんな俺の様子に気づくことなく、担当教諭は話し続ける。
「花壇用の種が届くのは2週間後くらいかな。その時は担任から伝えてもらうようにする。今回は用務員さんに土づくりはお願いすることになっているから安心してくれ」
「わかりました。じゃあ。俺はこれで。」
「おう、ご苦労さん」
これ以上榎本の話題に触れたくない俺は、逃げるように職員室を去った。足早に教室に戻り、付箋を取り出して走り書きのメモを書く。

ホウセンカで提出済み
水やりは木曜日
種は2週間後

その付箋を榎本の机に貼り付けた。自席に戻ると肩の力がどっと抜け、思わずため息が漏れた。
「朝からため息とは、何か悩み事かい?少年」
「何キャラだよ、それ」
「素敵な老紳士?」
彰人はふふんと鼻を鳴らし、席についた。
「で、なんかあった?」
「…何も」
「本当かー?」と軽口を叩く彰人だか、それ以上深くは聞いてこなかった。聞かれていたとしてもなにを説明するべきか、今の俺にはわからなかった。俺はそのまま机に突っ伏し、教室の雑音に耳を傾けたまま目を閉じた。

それからの2週間は拍子抜けしたように何事もなく過ぎていった。クラスでは徐々にグループが出来始め、2年生として過ごす日々が日常になっていった。榎本とは、あの後特に会話はしてはいない。お互い普段つるんでいるグループが違うので、そもそも関わる機会もなかった。時々榎本からの視線を感じるような気もするが、気のせいだと自分に言い聞かせて過ごしていた。

「最後に、緑化委員」
ある日のホームルーム、担任の言葉にピクリと肩が跳ねた。
「花壇の種届いたので、職員室まで取りに行くように。特にいつとは指定しないが、今週中に種まきまで終わらせろとのことだ。以上、よろしく!」
ついにきたか、というのが最初の感想だった。
榎本に話しかける用事ができてしまった。やつを無視して勝手にやればいい話ではあるのだが、やる気がないわけではない榎本を除け者にして、自分だけで進めることには少し抵抗があった。
俺は意を決して、榎本に話しかけた。
「榎本、花壇の…」
「あー!種届いたみたいだね?いつやる?俺今日でもいいよ」
「お、おう」
思った以上に食い気味で話す榎本に気圧されてしまった。
「あとこれもありがとね?ちゃんと言ってなかったと思って」
榎本は先日俺が机に貼った付箋を見せながらニコニコしている。
ちゃんと確認はしていたようだ。というか、捨ててなかったのか、そのメモ。
「どう…いたしまして」
「で、種まき!瑞季今日時間ある?」
「今日やるのか?まぁ、いいけど。バイトも休みだし」
「おっけー!じゃあ、このあと花壇集合ね!種は俺が貰っておいてあげる!」
「じゃあ、頼んだ」
榎本はまとめた荷物と共に、軽い足取りで教室を出た。
なんか機嫌いいな?そんなに種まき楽しみだったのか。案外可愛いところもあるじゃん…__
そこまで考えたところで、頭をブンブンと振り、思考を掻き消す。
いや、可愛いって、相手はあの榎本だぞ?そんなわけないだろう。
俺は両手で軽く頬を叩き、気合を入れてから花壇へと向かった。

正面玄関を出て右手側、バックネットの裏にある花壇に着くと、すでに榎本がシャツの袖をまくって俺を待っていた。傍にはホウセンカの種であろう袋が置かれている。
「あ!やっときた!遅いよ」
「いや、お前が早いんだろ。種まきそんなに楽しみだったのか?」
「うーん、まぁそんなとこ!」
そう言うと榎本は花壇のそばに腰を下ろし、隣を叩くようなジェスチャーをした。促されるまま、花壇の側に腰を下ろす。
「俺、種の巻き方調べたよ。こうするんでしょ?」
榎本は近くにあった支柱を持つと、土に数センチ間隔で細い溝を掘った。おそらくすじまきをやろうとしているのだろう。すじまきとは、土の表面に一定の間隔で溝を堀り、そこに種を蒔いていく方法だ。正直、榎本がすじまきを知っていることに驚いた。すごく__
「意外」
驚きが声に出ていたようで、榎本の動きが一瞬止まった。
「失礼だなぁ、俺やる時はちゃんとやる男だよ?ほら、瑞季も手伝って!」
「お、おう」
俺はホウセンカの種を袋から取り出した。榎本が掘った溝に沿って種を蒔き、軽く土を被せていく。20分ほどであらかたの作業が終わった。 あとは、水をやれば種まき完了だ。
不意にグラウンドで練習をしている運動部の掛け声が耳に届いた。今まで集中していて気づかなかったが、ほとんどの部活がすでに練習を始めているようだった。
そういえば、榎本は運動神経いいって彰人が言ってたな。部活とか入ってないのか?そんなことを考えていると、ホースで水を撒く準備をしている榎本が声をかけてきた。
「ねぇ、火曜は放課後にするの?」
「なんの話?」
「花壇。水やりでしょ?」
「まぁ、そのつもりだけど。なんで?」
「ふーん、そっか。了解」
なんでそんなことを聞くんだろう。疑問に思いつつも、特に口にすることはなく、俺は榎本が花壇に水やりをしているところをぼーっと眺めていた。
今まで祖母や叔母以外と花を一緒に育てたことがなかったので、今回の種まきはなんだか少しむず痒い気持ちになった。ちょっと楽しかった、かもしれない。絶対に言わないが。
そうこうしているうちに、水やりが終わったようだ。榎本がホースを片づけながら話しかけてきた。
「もうすぐ中間テストだね、いけそう?」
「ぐっ、」
急に"中間テスト"という現実を突きつけられる言葉が聞こえてきたことで、俺の喉からは自分でも聞いたことのないような声が出てた。花壇のことで頭がいっぱいだったが、ゴールデンウィーク明けには中間テストが控えている。流石にそろそろ勉強もしないとまずい。
「ふふ、どっから声出してんの。喉におっさん飼ってる?」
焦り始めた俺とは対照的に、榎本は余裕そうにヘラヘラ笑っている。
「うるさいな、そういうお前はどうなんだよ」
「俺?まぁ、心配はしてない」
そうだ、こいつはこういうやつだった。
「あ、そうだ!勉強教えてあげよっか?俺、こう見えて成績良いよ?」
ニコニコと笑顔を崩さず続ける榎本に、沸々と怒りが湧いてくる。
「知ってるよ!!!いらねぇ!!」
こいつは俺からの好感度を急降下させる天才なのかもしれない。