まだ少し肌寒さが残る3月上旬。窓の外では桜が静かに揺れていた。
不意に吹いた風に目を細めれば、隣から聞き慣れた声が聞こえてきた。頬に何かが当たる感触がして、目を開ける。
「花びら、ついてた」
揶揄うように笑う彼を、今はただ愛おしいと思う。
「ほんとに、キザなやつ」
赤くなった顔を隠すように小さく呟いた。
榎本に出会って三度目の春が来た。榎本と付き合い始めてから一年以上も経つなんて、正直実感が湧かない。そして、自分たちが今日、卒業するということにも。
「もう卒業か、あっという間だね。」
校庭に咲いた桜を窓から覗いた榎本が感嘆の声を漏らした。
「三年はほぼ勉強しかしてなかったからな」
「ね、俺はもう少し瑞季と会いたかったんだけど」
そう言って頬を膨らまして不貞腐れる榎本を肘で小突いた。
「それで、俺が落ちたらどうしてたんだ?」
「そう言われるから我慢してたんじゃん。瑞季が頑張ってるの、俺も見てきたし」
口も尖ってきたので、意地悪するのはこのくらいにしておく。「はいはい、俺も会いたかったよ」と軽く受け流した。
「思ってないじゃん、それ!」
このちょっと面倒くさいところも可愛いなんて思っている俺は相当重症だ。
高校三年生は勉強一色の一年だった。榎本とは一緒に帰ったり、勉強したりはしていたが、一緒に出かけることはほとんどなかった。というのも、俺の成績が志望校の判定ギリギリを常に彷徨っていたからだ。初めてB判定を取れた秋の模試では、榎本が自分のことのように喜んでくれた。榎本も法学部に危なげなく合格。特待生というから驚きだ。しかも、受験期間もバイトは続けていたらしい。俺からしたら超人としか言いようがない。まぁ、それも榎本が小さい頃から積み上げてきた努力の成果なのだろうけれど。
「まぁ、これからは会えるようになるんだし」
「そうだけどさぁ、学校に行っても瑞季がいないって信じらんない」
これだけ言っても、まだ榎本は不満げにそっぽを向いている。しばらくそのまま見つめていると、ちらりと横目でこちらの様子を伺ってきたので、やはり本気で怒っているのではないらしい。
「入学式まで時間もあるんだし、どっか行こうよ。二人で」
それを聞いた榎本の表情がパッと明るくなる。付き合ってからの榎本は以前よりも感情が顔に出やすくなったと思う。本当に単純で、愛おしい。
「おーい、お二人さん、今日もお熱いね!」
二人だけだった教室に、四宮くんが大手を振って入ってきた。
「うっせえ、楓。こっちくんな」
「酷いなあ、俺は二人の恋のキューピットじゃないか」
榎本は四宮くんに対して相変わらずの態度だけど、仲が悪いわけではないみたいだ。榎本によると、四宮くんは教育学部に進学するらしい。小学校教諭を目指すそうだが、誰からも好かれる人懐っこさもあって、妙に納得したのを覚えている。
というか、恋のキューピットといえば_____
「ねぇ、四宮くん。ずっと聞きたかったんだけど」
「ん?」
少し距離が近くなった四宮くんとの間に、榎本が割って入ってきた。
「花壇で話してた榎本に彼女がいるって話……」
「ああ、あれね、わかってると思うけど、嘘だよ、大嘘。なんか二人がもどかしくて、つい意地悪しちゃった」
てへ、と舌を出してぶりっ子ポーズを決める四宮くんに、思わず吹き出した。
「本当にこいつは性格が悪い」
榎本は四宮くんの後ろに回り込むと、腕を前に回しヘッドロックをかけた。
「ギブギブ!わかってるって!もう邪魔しませんよ!」
力を緩めた榎本に「いじめっ子!怪力!」と吐き捨てる四宮くんがおかしくて笑ってしまう。
「瑞季もひどいよお」
泣き真似をする四宮くんをみて、榎本と二人目が合った。本当に困った友人を持ったものだ。でも、こんな日常も今日で最後となると寂しさが募る。
「おーい!四宮ーーー!!!」
廊下から四宮くんを呼ぶ声が聞こえた。声に続いて教室の扉から彰人がひょこりと顔を覗かせた。
「この後、野球部のやつらと飯行こうってなってるんだけどお前も来る?」
「うーん、彰人も来るの?」
泣き真似をやめた四宮くんが少し考えるポーズをとって、彰人に問いかけた。
「え、まぁいくけど」
「じゃあ、いく!」
「なんだそれ。まぁおっけ!伝えてくるわ!菖蒲と榎本もくるか?」
「いや、今日はいいかな、ありがとう」
「俺も」
「おっけ!じゃあ、またな!」
風のように去っていった彰人を見送り、一瞬の静寂が教室を包む。
「ほら、お前もいくんだよ」
榎本が四宮くんのカバンを持ち、扉の方へと体を押していく。四宮くんも文句を垂れながら榎本に背中を預けている。この二人にとってこんなやりとりは日常茶飯事なのだろう。それが伝わってきて、また笑みが溢れた。
「わかってます〜、邪魔者は退散しますぅ。あ、二人とも後で卒アルにメッセージ書いてね?」
「はいはい」
「もちろん!」
名残惜しそうにこちらを何度かこちらを振り返りながら、四宮くんは教室を去っていた。その度に手を振りかえすとと、ニコニコと嬉しそうにするものだから無自覚とは恐ろしいとも思う。
二人きりになった教室。なんとなく緊張してしまい、話す話題を探してしまう。
「彰人と四宮くんってあんなに仲良かったんだ」
「みたいだな。あ、でも確か大学同じって言ってたな。」
「彰人、スポーツ健康学部って言ってたから…キャンパス同じかもね?」
「へぇ………、大変そうだな」
「え?なんで?」
「いや、なんでもない」
不自然に目線を逸らす榎本を不思議に思ったが、こう返されたらどれだけ聞いても話してくれない。今までの経験上わかっていることだったので、深くは追求しないでおく。
キーンコーンカーンコーン
放課後を知らせるチャイムが鳴った。きっとこれを聞くのは今日が最後になるだろう。
「ねぇ、瑞季」
呼ぶ声に反応して榎本の方に向き直る。
「これ、受け取ってくれる?」
差し出された手のひらには編み物で作られた小さな花のキーホルダーがあった。驚いて顔を上げると、目が合った榎本は照れくさそうに視線を外した。俺はキーホルダーを受け取り、じっくりとみた。
「これってキキョウの花?」
「そう、瑞季が好きって言ってたから」
文化祭で話したことを榎本は覚えてくれていたらしい。ぎゅっと胸が苦しくなった。
「…ありがとう、大切にする」
胸の前でぎゅっと握った。涙が出そうになり、慌てて目を擦る。
そんな俺を心配そうに覗き込む榎本。榎本を心配させないように、大袈裟に声を張って話題を帰る。
「俺からも、渡したいものあるからちょっと待って」
近くに置いていた荷物から用意していたものを取り出す。本当は渡すかどうかずっと迷っていた。笑われるかもしれないと。でも、こんな素敵なものを貰ったら、俺も何か返したいと思った。
意を決して用意したそれを榎本に差し出す。
「…!」
俺が持っているのは一5本のバラの花束。もっと榎本らしい花束を作ろうかと思ったが、俺が榎本に今一番渡したい花束はこれだった。
「…プロポーズ?」
「茶化すならいい」
恥ずかしくなって、差し出したバラを引っ込めた。
「違う、待って!すげえ嬉しい!本当に!」
必死になる榎本がおかしくて、意地悪する気も失せた。素直にバラを榎本に渡す。差し出した腕ごとぎゅっと引き寄せられ、抱きしめられた。
「……ありがとう、俺と出会ってくれて」
榎本の肩が震えている。いつも強気なくせに、こういう時だけ塩らしいのは反則だ。
それに応えるように、抱きしめる腕に力を入れた。
キキョウの花言葉「永遠の愛」
5本バラの花言葉「あなたに出会えてよかった」
榎本はこれを知っていたのだろうか。俺と同じ気持ちでいてくれたのだろうか。
温かい気持ちが胸を溢れて止まらない。
この学び舎で過ごした時間がかけがえのなく愛しい時間になったのは、榎本のおかげだ。
榎本の頬にゆっくりと手を伸ばす。
「…どうしたの?」
榎本の手が俺の手を包み込んだ。不思議そうな表情をしているが、俺を見る目はとても優しい。俺はその問いに応えるように、少し背伸びをして自分の唇を榎本の唇に重ねた。
「………瑞季ってほんとずるい」
榎本は焦った様子で口元に手を当てた。耳を真っ赤にしたする姿が愛おしい。
「…なんで?」
「これ以上好きにさせてどうすんの!」
これから俺たちを取り巻く環境は変わり、お互い色々な人と出会うだろう。それでも、この温かい気持ちを大切にしていきたい。そう思える人と、俺は出会うことができた。
