君の視線の外の俺

ガララ、と扉が開く。
ざわついた空気の中に、榎本が入ってきた。教室の異様な光景に一瞬だけ目を止めて、それからすぐにこちらへ歩み寄ってくる
「どうしたの?」
「俺が、花の注文数…間違えて」
言いながら、視線を落とす。
積み上がった箱。
どう考えても、使い切れる量じゃない。
返品、という言葉が頭をよぎる。でも、こんな量を戻したら、叔母さんに迷惑をかけてしまう。
どうする、どうればいい…?
答えが出ないまま、思考だけが空回りする。
隣で、榎本がしゃがみ込んだ。一本、花を手に取る。何かを測るみたいに少しだけそれを見つめた後、顔を上げた。
「各テーブルにさ、“花占いできる花”って形で置くのはどう?」
「花占い?」
近くにいた牧田さんが反応する。
「それって、あの好き、嫌いって花びらをちぎっていくやつ?」
「そう。それもできるし——」
榎本は手にしていた花を、そっと差し出す。
「種類をばらけさせれば、花言葉で占いもできる。テーブルごとに違う花を置けば、ちょっとした話題にもなるし、待ち時間も潰せるんじゃない?
言葉を重ねるごとに、周りの視線が集まっていく。
「花を気に入った人は、そのまま持ち帰れるようにすればいい。“その席に座った人へのプレゼント”って形で」
その言葉に、教室が一瞬静まった。
「いいんじゃない?」
ぽつりと声が上がる。
「うん!面白そう!」
「でもさ、この量どこに置く?」
「私、空き教室聞いてくるね!」
牧田さんが急いで走り出す。それを合図に、空気が一気に動き始めた。
「じゃあ私、宣伝用のPOP作ってみる!」
「フォトスポットと装飾も終わらせちゃわないとね!」
さっきまでの重たい空気が、嘘みたいにほどけていく。その中心にいるのは、榎本だった。
「それは、一番瑞季がわかってるね!お願いできる?」
榎本がにこりと優しく微笑んだ。その顔を見た瞬間、張り詰めていたものがふっと緩んだ。
「う、うん!もちろん!」
榎本は俺の返答を聞いて安心したような表情を見せた。パンと手を叩くと、クラス全員に聞こえるように声を張った。
「じゃあ、各自別れて作業始めよう!花の配置は瑞季に、レイアウト関連は俺に聞いて!牧田さんが戻ってきたら、動ける男子は花の移動手伝ってくれると助かる!」
榎本の掛け声にクラスメイトたちが作業を始めた。バラバラと雑談や笑顔も増え始め、さっきまでの空気が、完全に塗り替えられていった。
「榎本、あの」
「ん?」
言葉が少し詰まる。
「…ありがとう。俺…」
「もう!水臭いな!」
榎本は被せるように、軽く笑った。
「頼ってって言ったじゃん」
いつものように明るい口調で言う。
「それとも、俺が頼りないって言いたいの?」
「ふふ、ううん。ありがとう」
自然と、笑えていた。
「瑞季!この花こっちでよかったんだっけ?」
「ほら、呼んでるよ」
榎本が後押しをするように、俺の背中に手を当てた。こくりと頷く。
「今行く!」
一歩踏み出す。さっきまで重かった足取りが、少しだけ軽くなっていた。

その日の作業は夜までかかった。残れるメンバーで、黙々と手を動かす。
完成した時に、誰からともなく拍手をしたことが記憶新しい。
そして、文化祭当日がやってきた。俺たちの模擬店は花占いが当たって、予想外の大盛況となった。開店時こそ人がまばらだったものの、フォトスポットや花占いの物珍しさが口コミで広がり、お昼を過ぎた頃には常に行列ができている状態だった。
「大盛況だよ!これも瑞季のおかげだね!あの大量の花を受け取った時はどうなることかと思ったけど」
隣で紅茶を用意する文化委員が嬉しそうに話しかけてきた。
「みんなのおかげだよ。それに、榎本が…」
「正直こんなに助けられることになるとは思ってなかったよ。彼、すごく一生懸命だったし、私も頑張らなきゃって思わされちゃった」
暗幕から教室の様子を覗き見た。ウエイター姿の榎本がお客さんと話している。胸には花のブローチが付けられている。榎本と目が合った。
ドキリと心臓が跳ねた。覗き見ているのがバレた。慌てて目を逸らす。足音がこちらに近づいてきた。
「1番テーブル、ダージリンティ2つと抹茶クッキーお願いします」
目の前に榎本が見えた。
「あ、はい。用意します」
「うん、よろしく」
にこりと微笑んで、フロアへと戻っていく榎本。その背中から目を離せないでいると、榎本が接客していたテーブルから話し声が聞こえた。
「さっきの店員さんかっこよくない?」
「思った!私、連絡先渡しちゃおうかな!」
確かにかっこいい。頭を振って邪念を振り払う。
「ぼーっとしてたけど、大丈夫?私クッキー用意しちゃうね!」
牧田さんに声をかけられ、はっとする。
「あ、うん」
返事をしながら、ポットに手を伸ばした瞬間——
ふと、視界の端が暗くなった。
……あれ
ピントが合わない。
足元が、ぐらりと揺れる。
一歩踏み出したはずなのに、床の感覚が遠い。
「瑞季!!」
榎本の声が聞こえたかと思えば、腕と腰を掴まれた。
崩れ落ちかけた身体が、引き寄せられる。
焦点の合わない中で、榎本の顔が近くなった。
眉を寄せて、必死に何かを言っている。
……ああ
その表情に、少しだけ安心する。
力が抜ける。
俺はそのまま意識を手放した。

「ん、ここ…」
目を開けるとそこは、見覚えのない天井だった。少し遅れて、ここがどこかを考える。
窓から差し込むオレンジ色の光が、部屋の中を柔らかく染めていた。
「気がついた?」
声に方に顔を向ける。そこにいたのは、榎本だった。丸椅子に腰掛けたまま、ほっとしたように息をついている。
「保健室だよ、疲れが溜まってたんだろうって」
「ごめん、せっかくみんなで作ってたのに」
「瑞季が謝ることないよ」
榎本がキッパリとした口調で言う。
「瑞季に負担かけすぎてたし。気付けなくてごめんね」
視線を逸らしながら言うその声は、いつもより少しだけ低い。
「あの後、お店って…」
「大丈夫、最後まで列途切れなかったし、売上もかなり良かったって」
榎本が軽く肩をすくめた。
「シフトもクラスのみんなに声かけたらなんとかなったし、心配することないよ」
さらっと言うけど、その裏で動いていたのは簡単に想像できた。
榎本だって、忙しかったはずなのに
胸の奥が、少しだけ締まる。
「……迷惑かけて、ごめん」
榎本だって今日予定があったはずなのに、俺のせいで…
「迷惑かけて、ごめん」
「だからいいって。俺、謝られるより『ありがとう』って言われたいなあ」
「みんな頑張ってたし、俺もそこそこ働いたし?」と、わざとらしく言いながら、ちらっとこちらを見る。
そのまま、少しだけ頭を寄せてきた。
意図が、わかる。
思わず、手が伸びた。
そっと髪に触れる。思ったより柔らかくて、指先が少しだけ止まる。そのまま、ゆっくり撫でた。
……何やってんだ、俺。
自分でも照れくさい。けれど、手を引く理由も見つからなかった。
しばらくして離すと、榎本が満足そうに目を細める。その顔を見て、余計に恥ずかしくなって、視線を外した。


次の日、瑞季のシフトには彰人が代わりに入ってくれた。回るの楽しみにしていたから、入ると言ったんだが俺が入ると聞かなかった。
「他のクラスは1日目で十分見たし!もともと部活の手伝い入る予定だったから問題なし!」
「それ、部活の方が困るんじゃない?」
「いや、そっちは大丈夫。振られて暇になったやつがやけくそでシフト入ってきたから、むしろ邪魔って言われた」
彰人はそう言って、けらけらと笑った。
その言葉に甘えることにした。そして、一人だと手伝いに戻りそうだと、牧田さんの判断で榎本が“お目付け役”に任命された。
「お目付け役って、俺そんなに信用ない?」
「一人だと回りにくいだろうって配慮じゃない?折角だし、文化祭楽しもうよ」
「うん、そうだな」
その日一日は榎本と一緒に文化祭を回った。焼きそばを食べたり、射的をしたり。あっという間に時間が過ぎていた。
「後夜祭、どうするの?」
「後夜祭?」
「ほら、校庭に櫓立ってるじゃん。あそこで有志の演奏があるんだって。花火も上がるらしいよ」
「へえ……、俺去年、そこまでいなかったから」
一緒に文化祭を回るはずだった彰人もおらず、時間を持て余していたため、任意参加の後夜祭には出席していなかった。
「俺も」
「そうなんだ」
一瞬、会話が途切れる。
「今年はどうするの?」
「片付け終わってから考える。今日、自由にさせてもらったし」
「じゃあ俺もそうする」
『まもなく、後夜祭を開始します。参加者は校庭に集まってください』
校内放送が聞こえた。装飾が大きかったうちのクラスは、まだ片付けが終わっていなかった。片付けをしていたクラスメイトもポツポツと後夜祭へと向かい始めていた。
「本当にいいの?私も残るよ?」
牧田さんが申し訳なさそうに言う。
「いや、今日一日休ませてもらったし、これくらいはさせて。それにあとちょっとだし」
「すぐ終わらせて俺たちも後夜祭参加するよ」
榎本が軽く続ける。
「そう?じゃあ、お言葉に甘えて…」
そう言うと、牧田さんは扉へと向かう。そして、出る直前に振り返った。
「二人とも、本当にありがとう!おかげで無事に終えられたよ!」
「こちらこそありがとう!牧田さんもお疲れさま」
手を振って見送る。教室には二人だけが残った。
「はぁああ…、終わったね」
榎本が椅子に体重を預けて、ぐっと伸びをした。
「まだ片付け残ってるよ。榎本も、本当によかったのか?これくらいなら俺一人でも」
ぱしん、と軽い音。
「あた」
「一人でやろうとしない」
「…うん」
短いやり取りのあと、少しだけ静けさが落ちる。
「この花…」
榎本が装飾に使っていた花の一つを手に取った。紫色の花だ。
「キキョウだよ。俺の1番好きな花。ちょっと高かったんだけど、職権濫用しちゃった」
「1番?」
「うん、ばあちゃんが最初に俺にくれた花なんだ」
「……そっか」
そのとき、外からパン、と大きな音がして窓の外に目をやる。暗闇の中に花火が上がっていた。
「始まったみたいだね」
「…おう」
まばらな光が、教室の中に差し込む。
「大変だったけど、楽しかったなぁ!頑張ってよかった!瑞季は?」
「……俺も。すごく楽しかった」
花火を見ていたはずの榎本と目があう。どちらからともなく笑い合った。
教室には、まだ花が残っている。窓の外にも、光の花が咲いていた。