「いらっしゃいませ」
叔母さんの明るい声が店内に響く。
「こんにちは」
「あら、こんにちは。ちょっと待ってね。菖蒲ー!榎本くん来たよ」
「はーい、今いくー!」
夏休みが明けて、早2週間。
週に一度、榎本が花を買いに来るようになった。そこで育てている花の話をしたり、榎本のバイト先の愚痴を聞いたり、他愛もない話をする。たったそれだけの時間が毎週楽しみになっている自分がいた。
毎週決まった曜日に来るので、叔母さんも榎本の顔と名前を覚えたらしく、榎本が店に来たら必ず俺を呼んでくれるようになった。
「ずっと花瓶に生けてたんだけどさ、母さんがそれ見て小さいプランター買ってきて。だから、これからの季節にいい花の苗とか売ってない?」
「いいじゃん!この時期なら秋か冬開花の花がいいなぁ」
店内を見回しながら、榎本の気に入りそうな花を探す。
母がプランターを買ってきてくれる、か。自分の母を思い浮かべて、自重気味な笑みが溢れた。
「……素敵なお母さんだな」
それを聞いた榎本は一瞬動きが止まった。そして、柔らかな表情で「…そうだな」と返した。
「この辺の花とかどう?ネモフィラとか、可愛いんじゃない?」
実物のネモフィラを見せながら、榎本の反応を伺う。花弁が小さく可愛らしい花で、この時期は花束用にも重宝されている。
「いいね!これにする!いろんな色があるんだね」
「うん、寒色系の色が多いんだけど、最近ピンクの苗が入ってきたんだ」
「せっかくだしピンクにしようかな。母さんも喜ぶだろうし」
笑顔の榎本に、一仕事を終え、ほっと胸を撫で下ろした。お会計をしようと榎本が鞄から財布を探している。いつも学校で使っているリュックサック、それについているキーホルダー目がいった。
編み物で作られたウサギのモチーフ。やっぱりどこかで見たことがあるような。でも、頭にもやがかかったように思い出せない。
「瑞季?」
「あ、ごめんごめん。お会計だったな」
不思議そうにこちらを見る榎本の視線に気づかないふりをして、お会計の準備を進めた。
「あ〜や〜め〜〜!」
朝とは思えないハイテンションで彰人が教室へと入ってくる。後ろに音符が見えそうなほど足取りが軽い。
「なんだよ、朝っぱらから」
「文化祭だよ!文化祭!!ずっと楽しみにしてたんだよ!一年間!」
彰人は大袈裟に両手を広げてアピールすると、荷物を下ろして椅子に腰掛けた。
俺たちの学校では、毎年10月中旬ごろ、2日間にわたって文化祭が開催される。各クラスや有志が展示や模擬店、舞台発表などを行う一大イベントだ。
去年、俺のクラスの出し物は劇だった。目立ちたくない俺はもちろん演者にはならず、手先の器用さを買われて大道具を担当していた。
ちなみに彰人は主役だ。こんなに正反対な彰人と、なぜ上手くやれているのかは、自分でも甚だ疑問だ。
「あぁ、もうそんな時期か」
「テンション低!年に一回の一大イベントだぞ!しかも、来年は受験生だから心から楽しめるのは今年が最後かもしれないぞ!」
身を乗り出し、熱のこもった演説をぶつけてくる。楽しみにしているのは伝わってくるが、楽しみにしているのは伝わるが、そこまで興奮する理由は正直わからない。
「いや、そこまでか?」
「そりゃ楽しみじゃん!だって去年は…」
そこまで言って、急に彰人のテンションが下がった。急に彰人のテンションが落ちた。乗り出していた体を引っ込め、眉をへの字に曲げる。
言われてみれば、去年の文化祭で彰人は──
「…インフルエンザ、だったなぁ」
昨年の文化祭、発表は1日目だった。張り切りすぎたのか、無事に舞台を終えたあと彰人は熱を出し、2日目を欠席することになった。
準備に追われていたこともあって、結果的に彰人は文化祭をほとんど見て回れなかったはずだ。
「今年は体調に気をつけて楽しもうな」
しゅんとした彰人に声をかけると、借りてきた猫ように、こくんと頷くだけだった。
その日のホームルームでは、文化祭の出し物について話し合いが行われた。今年はカフェの模擬店を出店することになりそうだ。
「多数決でカフェっていうのは決まりでいいかな?」
文化委員の牧田さんが黒板に書かれた「カフェ」という文字に黄色のチョークで丸く囲む。
「でも、ただのカフェっていうのもなぁ。なんか工夫できることないか?今インスタ映えとか流行ってんだろ、ああいうの」
担任が口を挟む。個人的には、文化祭の模擬店なんて雰囲気が大事で、中身はなんでもいいと思う。あえて口を挟む必要もないだろうから、余計なことは言わないが。
「映えならフォトスポット作る、とかは?うちのクラスの花壇めっちゃ綺麗だし、花とかで」
花壇?俺らが世話している花壇のことか?
というか、花壇のこと知ってる人いたんだ…。
「ああ!確かに!練習中、時々目に入ってたんだよなぁ」
「通ったとき、目を惹くもんね!私も素敵だと思ってた!」
クラスメイトから口々に花壇を肯定する意見がでてくる。花壇が多くの人の目に触れていたことが、素直に嬉しい。にやけた口元を隠しながら、話の行方に耳を傾けた。
「いいんじゃない?あの世話してたのって緑化委員だったよね。それって…」
ん?なんで今緑化委員が出てくるんだ?風向きが怪しくなってきたことを悟り、背中に冷や汗が滴る。
「瑞季だったよね」
クラスの視線が一気に集まるのを感じた。
「フォトスポットの制作頼めないかな?」
まずい。この空気では断れない。というか、なんで俺だけなんだ。みんな榎本が緑化委員だって忘れてるのか?
「…わ、わかった。やってみる」
「ありがとう!じゃあ、今年の出し物は映えカフェで決定します。詳しい担当はそれぞれ後で希望を聞くので、紙に書いて提出してください」
牧田さんがアンケート用紙を配り始め、教室がざわつく。そのタイミングで、後ろから声がかかった。
「なぁ菖蒲、引き受けてよかったのか?しっかり大仕事になりそうだけど」
「あの雰囲気では断れないだろ…。まぁ、言っちゃったもんは仕方ないし、なんとかするよ」
彰人にだけ聞こえるように小さな声で抗議する。不安な気持ちを抱えたまま、ホームルームを終えることになった。
放課後の教室には、俺と牧田さんだけが残っていた。
「…ってことで、フォトスポットとあわせて、お店の中の装飾もお願いしたいんだけど、どうかな?せせっかくなら雰囲気を統一したくて……。もちろん制作は他のメンバーと一緒にやってもらうから、取りまとめをお願いする形になると思う」
牧田さんが申し訳なさそうに言う。文化委員はこの時期調整やらなんやらで一番忙しいんだろう。
「大丈夫だよ。こちらこそ、忙しいところ気を遣ってくれてありがとう」
「色々任せちゃってごめんねじゃあ、今から模擬店の企画書作ってくるね。ありがとう…!本当に助かります」
顔の前で手を合わせてお礼を言うと牧田さんは足早に教室を去っていった。
装飾、か。
花は好きだけど、デザインなんてやったことないんだよなぁ。インスタもほとんど開かないから、映えってのもわからないし…。
……でも、やるしかない。
ノートとペンを取り出し、これからやるべきことを箇条書きで書き出していく。
ますはおおまかなレイアウトを決めて、装飾に必要なものを洗い出すか。フォトスポットはそこから制作の作業が入るから、早めに材料を買っておかないといけないし…。
少し考えただけで頭が重くなる。
これ、俺にできるのか……。
不安に押しつぶされそうになって、机に突っ伏した。
コツン。
「いて」
軽く頭を叩かれ、顔を上げる。そこには、不機嫌そうに口を結んだ榎本が立っていた。
「なんで俺に声掛けないの」
「え?」
榎本は前の席に座り、俺のメモに目を落とす。
「フォトスポットを作るって話だったけど、店のレイアウトと装飾までまるっと任されたんだね」
独り言のように呟くと、ノートに何かをスラスラと書き始めた。
「お店で使うのは視聴覚室だったよね?バックヤードとフォトスポット以外の場所を客席にするとして…一席4人掛けにするなら6卓くらいは作れる?」
当たり前みたいに話を進めるその様子に、言葉が出てこない。
「どうしたの?」
「いや……めちゃくちゃ手伝ってくれるなぁって」
なんでここまでしてくれるんだろう、俺が任されたことなのに。
「はあああ………」
榎本は大きなため息をついた。
「なんでも一人でやろうとしすぎ、少しは頼ってよ。装飾、俺もやるって言ってきた」
「え、なんで」
「三人寄れば文殊の知恵、でしょ?」
「…それなら一人足りないけど」
「細かいことは気にしな〜い」
いつもの調子でおどける榎本に、自然と笑みが溢れた。
「榎本」
「なあに?」
「ありがとう」
「ん、どういたしまして」
やることは山積みのはずなのに、さっきまで胸にあった重さが、いつの間にかすっと消えていた。
叔母さんの明るい声が店内に響く。
「こんにちは」
「あら、こんにちは。ちょっと待ってね。菖蒲ー!榎本くん来たよ」
「はーい、今いくー!」
夏休みが明けて、早2週間。
週に一度、榎本が花を買いに来るようになった。そこで育てている花の話をしたり、榎本のバイト先の愚痴を聞いたり、他愛もない話をする。たったそれだけの時間が毎週楽しみになっている自分がいた。
毎週決まった曜日に来るので、叔母さんも榎本の顔と名前を覚えたらしく、榎本が店に来たら必ず俺を呼んでくれるようになった。
「ずっと花瓶に生けてたんだけどさ、母さんがそれ見て小さいプランター買ってきて。だから、これからの季節にいい花の苗とか売ってない?」
「いいじゃん!この時期なら秋か冬開花の花がいいなぁ」
店内を見回しながら、榎本の気に入りそうな花を探す。
母がプランターを買ってきてくれる、か。自分の母を思い浮かべて、自重気味な笑みが溢れた。
「……素敵なお母さんだな」
それを聞いた榎本は一瞬動きが止まった。そして、柔らかな表情で「…そうだな」と返した。
「この辺の花とかどう?ネモフィラとか、可愛いんじゃない?」
実物のネモフィラを見せながら、榎本の反応を伺う。花弁が小さく可愛らしい花で、この時期は花束用にも重宝されている。
「いいね!これにする!いろんな色があるんだね」
「うん、寒色系の色が多いんだけど、最近ピンクの苗が入ってきたんだ」
「せっかくだしピンクにしようかな。母さんも喜ぶだろうし」
笑顔の榎本に、一仕事を終え、ほっと胸を撫で下ろした。お会計をしようと榎本が鞄から財布を探している。いつも学校で使っているリュックサック、それについているキーホルダー目がいった。
編み物で作られたウサギのモチーフ。やっぱりどこかで見たことがあるような。でも、頭にもやがかかったように思い出せない。
「瑞季?」
「あ、ごめんごめん。お会計だったな」
不思議そうにこちらを見る榎本の視線に気づかないふりをして、お会計の準備を進めた。
「あ〜や〜め〜〜!」
朝とは思えないハイテンションで彰人が教室へと入ってくる。後ろに音符が見えそうなほど足取りが軽い。
「なんだよ、朝っぱらから」
「文化祭だよ!文化祭!!ずっと楽しみにしてたんだよ!一年間!」
彰人は大袈裟に両手を広げてアピールすると、荷物を下ろして椅子に腰掛けた。
俺たちの学校では、毎年10月中旬ごろ、2日間にわたって文化祭が開催される。各クラスや有志が展示や模擬店、舞台発表などを行う一大イベントだ。
去年、俺のクラスの出し物は劇だった。目立ちたくない俺はもちろん演者にはならず、手先の器用さを買われて大道具を担当していた。
ちなみに彰人は主役だ。こんなに正反対な彰人と、なぜ上手くやれているのかは、自分でも甚だ疑問だ。
「あぁ、もうそんな時期か」
「テンション低!年に一回の一大イベントだぞ!しかも、来年は受験生だから心から楽しめるのは今年が最後かもしれないぞ!」
身を乗り出し、熱のこもった演説をぶつけてくる。楽しみにしているのは伝わってくるが、楽しみにしているのは伝わるが、そこまで興奮する理由は正直わからない。
「いや、そこまでか?」
「そりゃ楽しみじゃん!だって去年は…」
そこまで言って、急に彰人のテンションが下がった。急に彰人のテンションが落ちた。乗り出していた体を引っ込め、眉をへの字に曲げる。
言われてみれば、去年の文化祭で彰人は──
「…インフルエンザ、だったなぁ」
昨年の文化祭、発表は1日目だった。張り切りすぎたのか、無事に舞台を終えたあと彰人は熱を出し、2日目を欠席することになった。
準備に追われていたこともあって、結果的に彰人は文化祭をほとんど見て回れなかったはずだ。
「今年は体調に気をつけて楽しもうな」
しゅんとした彰人に声をかけると、借りてきた猫ように、こくんと頷くだけだった。
その日のホームルームでは、文化祭の出し物について話し合いが行われた。今年はカフェの模擬店を出店することになりそうだ。
「多数決でカフェっていうのは決まりでいいかな?」
文化委員の牧田さんが黒板に書かれた「カフェ」という文字に黄色のチョークで丸く囲む。
「でも、ただのカフェっていうのもなぁ。なんか工夫できることないか?今インスタ映えとか流行ってんだろ、ああいうの」
担任が口を挟む。個人的には、文化祭の模擬店なんて雰囲気が大事で、中身はなんでもいいと思う。あえて口を挟む必要もないだろうから、余計なことは言わないが。
「映えならフォトスポット作る、とかは?うちのクラスの花壇めっちゃ綺麗だし、花とかで」
花壇?俺らが世話している花壇のことか?
というか、花壇のこと知ってる人いたんだ…。
「ああ!確かに!練習中、時々目に入ってたんだよなぁ」
「通ったとき、目を惹くもんね!私も素敵だと思ってた!」
クラスメイトから口々に花壇を肯定する意見がでてくる。花壇が多くの人の目に触れていたことが、素直に嬉しい。にやけた口元を隠しながら、話の行方に耳を傾けた。
「いいんじゃない?あの世話してたのって緑化委員だったよね。それって…」
ん?なんで今緑化委員が出てくるんだ?風向きが怪しくなってきたことを悟り、背中に冷や汗が滴る。
「瑞季だったよね」
クラスの視線が一気に集まるのを感じた。
「フォトスポットの制作頼めないかな?」
まずい。この空気では断れない。というか、なんで俺だけなんだ。みんな榎本が緑化委員だって忘れてるのか?
「…わ、わかった。やってみる」
「ありがとう!じゃあ、今年の出し物は映えカフェで決定します。詳しい担当はそれぞれ後で希望を聞くので、紙に書いて提出してください」
牧田さんがアンケート用紙を配り始め、教室がざわつく。そのタイミングで、後ろから声がかかった。
「なぁ菖蒲、引き受けてよかったのか?しっかり大仕事になりそうだけど」
「あの雰囲気では断れないだろ…。まぁ、言っちゃったもんは仕方ないし、なんとかするよ」
彰人にだけ聞こえるように小さな声で抗議する。不安な気持ちを抱えたまま、ホームルームを終えることになった。
放課後の教室には、俺と牧田さんだけが残っていた。
「…ってことで、フォトスポットとあわせて、お店の中の装飾もお願いしたいんだけど、どうかな?せせっかくなら雰囲気を統一したくて……。もちろん制作は他のメンバーと一緒にやってもらうから、取りまとめをお願いする形になると思う」
牧田さんが申し訳なさそうに言う。文化委員はこの時期調整やらなんやらで一番忙しいんだろう。
「大丈夫だよ。こちらこそ、忙しいところ気を遣ってくれてありがとう」
「色々任せちゃってごめんねじゃあ、今から模擬店の企画書作ってくるね。ありがとう…!本当に助かります」
顔の前で手を合わせてお礼を言うと牧田さんは足早に教室を去っていった。
装飾、か。
花は好きだけど、デザインなんてやったことないんだよなぁ。インスタもほとんど開かないから、映えってのもわからないし…。
……でも、やるしかない。
ノートとペンを取り出し、これからやるべきことを箇条書きで書き出していく。
ますはおおまかなレイアウトを決めて、装飾に必要なものを洗い出すか。フォトスポットはそこから制作の作業が入るから、早めに材料を買っておかないといけないし…。
少し考えただけで頭が重くなる。
これ、俺にできるのか……。
不安に押しつぶされそうになって、机に突っ伏した。
コツン。
「いて」
軽く頭を叩かれ、顔を上げる。そこには、不機嫌そうに口を結んだ榎本が立っていた。
「なんで俺に声掛けないの」
「え?」
榎本は前の席に座り、俺のメモに目を落とす。
「フォトスポットを作るって話だったけど、店のレイアウトと装飾までまるっと任されたんだね」
独り言のように呟くと、ノートに何かをスラスラと書き始めた。
「お店で使うのは視聴覚室だったよね?バックヤードとフォトスポット以外の場所を客席にするとして…一席4人掛けにするなら6卓くらいは作れる?」
当たり前みたいに話を進めるその様子に、言葉が出てこない。
「どうしたの?」
「いや……めちゃくちゃ手伝ってくれるなぁって」
なんでここまでしてくれるんだろう、俺が任されたことなのに。
「はあああ………」
榎本は大きなため息をついた。
「なんでも一人でやろうとしすぎ、少しは頼ってよ。装飾、俺もやるって言ってきた」
「え、なんで」
「三人寄れば文殊の知恵、でしょ?」
「…それなら一人足りないけど」
「細かいことは気にしな〜い」
いつもの調子でおどける榎本に、自然と笑みが溢れた。
「榎本」
「なあに?」
「ありがとう」
「ん、どういたしまして」
やることは山積みのはずなのに、さっきまで胸にあった重さが、いつの間にかすっと消えていた。
