「ども」
ぼくは首を少しだけ動かし、そのまま教室のほうへ向かった。
振り向かないようにしながら、ぎこちなく。
そして教室のとびらでちょっとだけ振り返ると、千晴が立っていた。
「なに」
ぼくは短く言った。
「ひさしぶり」
千晴が言った。
あんまり表情が変わらないので、周囲から「何考えてんのかわからない」「なんも考えてないのかも」と言われていたあの感じ。
口数少なく、あまり喋らない感じ。
じっとぼくのことを見ている。
「ああ、はい」
と顔をそらしながらぼくは言った。そして教室に入り、自分の席についた。まだ待っているのかもしれない。そう考えると出ることができない。
窓の向こうでは、グラウンドから部活の掛け声が聞こえてくる。あいている窓から入ってくる風でカーテンが揺れている。
昔は学校が終わると、千晴と連れ立ってあちこち出かけたもんだよな、と思い出す。といっても、ぼくらが一緒にいたのは小学校の頃だ。出かけるといってもたかが知れている。ちょっと離れた公園とか神社とか、金もないのにコンビニにはいって、お菓子売り場を眺め、あの店にはあれがあった、この店にはない、なんてことを確認したりするだけだったけど。
もし待っていたとして、なにか話すことになるのだろうか。
そう考えるとちょっと億劫だった。
ぼくたちが一緒にいなかった中学のこととか?
それとも昔話みたいに小学校のころのことを話すのだろうか。
そんなことを話したってなにになるんだろう。
昔は昔、だ。
なんとか適当にやりすごして、さっさと帰ろう。意を決してバックパックを肩に背負い、ぼくは教室をでた。
といっても、意気込むこともできず、顔をちょっと外に覗かせ、通路を見回した。
千晴はいなかった。
「なんだ」
まるで期待しているみたいにぼくはため息をついた。安心したわけでなく、なんとなく複雑な気持ちだった。
昔の友達なんて、いま会っても疲れるだけだし、それぞれ新しい生活や人間関係ができている。
ぼくにとっての、「教室であまり目立たず、おとなしくいる」みたいに。
千晴はどうなんだろう。下駄箱に向かいながら考えた。
中学生になり、千晴は大活躍した。その噂は母から聞いていたし、テレビのニュースや新聞、ネットでも取り上げられた。
スーパー中学生、なんて呼ばれて。
足が日本一早いとか、野球部で活躍して全国の高校からスカウトが殺到したとか、はたまた水泳のバタフライでオリンピック候補の可能性がある、とか。
母がまるで自分の息子のしたことみたいに話して聞かせた。そのたびに、「すごいねえ」とか「へえ」なんて生返事をして、母から「あんた、友達がいがないねえ。もっと喜んであげなさいよ、大親友なんでしょ」なんて謎に怒られたりもした。
大親友。
小学校の頃の親友なんて、高校生になったら別にどってこともない。
いままで出会った人のひとり、でしかないだろう。
ぼくのほうは、千晴の活躍を聞くたびに、なんとなく、どんどん距離が離れていくな、遠くに行ってしまうんだなと置いてけぼりにされた気持ちにさせられた。
なんだか自分がなんにもできてないように思えて、親友の晴れがましい姿も、自分を卑下する材料になってしまう。
「あーあ、やだやだ」
ぼくは独り言をつぶやいた。
こういうのよくない。ネットでも書いてある。人と比べると自肯定感が下がってしまうって。
かといって、自分のことを肯定するには、いろいろ足りなさすぎた。
身長も伸びなかったし、運動神経もまわりからどんどん遅れをとった。成績だって目立つようなことなし。
なんにもうまくいかない。
まるで自分自身で成長を止めたのではないか、と思えてくる。
あのときから。
あとはもう、できるだけ楽して金を稼ぐためにどうすべきか、副業とか貯蓄とかをいまから始めたほうがいいのかもしれない。
昨日も「資産に稼いでもらう」ってネット記事を夜見ていたし。
将来に不安しかないから、せめて貯金額を増やしたい。
なにかアルバイトでもこっそり隠れてやろうかな、と考えていた。
なんだか考えすぎた。横になりたいかも。靴を履き替えて校門をでると、
「古謝充」
ふたたびぼくの名前を呼ぶ声が聞こえた。
千晴が壁に寄りかかっている。
「うわ」
ぼくはまた、自然と声をあげてしまった。
なんとなく、言葉を交わすこともなく、見つめ合った。
千晴はといえば、身長もぐんと伸び、身体付きもしっかりとしている。もともと端正な顔つきだったけれど、成長してきりっとした。
ぼくのようにぼんやりとした顔をしていない。さまざまな部活に打ち込んできたからだろうか。高校生だけど、なんとなく修羅場をくぐりぬけてきた、みたいな精悍さが漂っていた。
どきりとした。
なんていうか、一般庶民と有名人の違い、というか。丁寧にこしらえたフィギュアと、雑なバッタものくらいに差がある、ように感じる。
えぐい、これはえぐい。やっぱり千晴を見ると。自分がどんどん情けなくなってくる。
何人か、生徒が僕たちを通り越していった。
なんか変な空気を感じたのか、じろじろと眺められた。
あらゆる体育会系部活動から所属を望まれている、高校の有名人とモブがじっと見つめ合っていた、なんて翌日に噂されたらたまったもんじゃない。
「ども」
バリエーションのなさが悲しい。さっきと同じように短く言い、まるで町中でやばいやつに出くわしたみたいに、さっさと背を向けて歩いた。
振り向くな、振り向くな。
とにかく、歩け。寄り道せず家に帰ればいい。そうしたら、ひとまず安全だ。
いつもより早足になってしまう。
そして角を曲がったとき、ぼくはダッシュした。
なにから逃げているのかさっぱりわからなかった。
とにかく、この場から離れたい。
そもそも、入学式のときに千晴を見かけたとき、「詰んだ」と思った。
ぼくのコンプレックスを刺激するやつが、同じ学校にいるなんて、不運すぎやしないか。
もう千晴はぼくのことを忘れているかもしれないが、こちらはずっと覚えている。それが一番情けない。
せめてクラスが違っていることだけが救いだった。
高校に入学して、「もう一度環境が変わったことだし気分を入れ替えよう。昔のことなんて忘れて。きしょいけど高校デビューと決め込もう」なんて思っていた自分の浅はかな思いは木っ端微塵に砕け散ったのだ。
千晴に見つからないように、そして目立ってしまわないように三年間をやり過ごす、と決めたのは桜が咲いていた頃で、もうすでに桜は散ってしまっていた。
花びらなんて、地面に落ちてしまったらただのゴミだ。掃除するのも面倒。なんだかこそこそ、自分の思い上がった気持ちをちりとりに集めるような毎日だったのだ。
けっこう走って息切れを起こした。まだ若いというのに、なまけて暮らしていたせいか、スタミナもない。
帰ってひとまず不貞寝しよう、もう千晴は見えない。
家の前に到着して、ぼくはへたりこんだ。
もう安心だ、とぼくは肩で息をしながら振り向くと、すぐそばに、高木千晴が不思議そうな顔をしてぼくを見下ろしていた。
息切れもしていないし、制服も髪も乱れていない。
千晴にとって、ちょっとばかり走るのなんて、なんの苦にもならないのか。
「古謝充」
千晴はさっきと同じトーンで、ぼくの名前を呼んだ。
ぼくは首を少しだけ動かし、そのまま教室のほうへ向かった。
振り向かないようにしながら、ぎこちなく。
そして教室のとびらでちょっとだけ振り返ると、千晴が立っていた。
「なに」
ぼくは短く言った。
「ひさしぶり」
千晴が言った。
あんまり表情が変わらないので、周囲から「何考えてんのかわからない」「なんも考えてないのかも」と言われていたあの感じ。
口数少なく、あまり喋らない感じ。
じっとぼくのことを見ている。
「ああ、はい」
と顔をそらしながらぼくは言った。そして教室に入り、自分の席についた。まだ待っているのかもしれない。そう考えると出ることができない。
窓の向こうでは、グラウンドから部活の掛け声が聞こえてくる。あいている窓から入ってくる風でカーテンが揺れている。
昔は学校が終わると、千晴と連れ立ってあちこち出かけたもんだよな、と思い出す。といっても、ぼくらが一緒にいたのは小学校の頃だ。出かけるといってもたかが知れている。ちょっと離れた公園とか神社とか、金もないのにコンビニにはいって、お菓子売り場を眺め、あの店にはあれがあった、この店にはない、なんてことを確認したりするだけだったけど。
もし待っていたとして、なにか話すことになるのだろうか。
そう考えるとちょっと億劫だった。
ぼくたちが一緒にいなかった中学のこととか?
それとも昔話みたいに小学校のころのことを話すのだろうか。
そんなことを話したってなにになるんだろう。
昔は昔、だ。
なんとか適当にやりすごして、さっさと帰ろう。意を決してバックパックを肩に背負い、ぼくは教室をでた。
といっても、意気込むこともできず、顔をちょっと外に覗かせ、通路を見回した。
千晴はいなかった。
「なんだ」
まるで期待しているみたいにぼくはため息をついた。安心したわけでなく、なんとなく複雑な気持ちだった。
昔の友達なんて、いま会っても疲れるだけだし、それぞれ新しい生活や人間関係ができている。
ぼくにとっての、「教室であまり目立たず、おとなしくいる」みたいに。
千晴はどうなんだろう。下駄箱に向かいながら考えた。
中学生になり、千晴は大活躍した。その噂は母から聞いていたし、テレビのニュースや新聞、ネットでも取り上げられた。
スーパー中学生、なんて呼ばれて。
足が日本一早いとか、野球部で活躍して全国の高校からスカウトが殺到したとか、はたまた水泳のバタフライでオリンピック候補の可能性がある、とか。
母がまるで自分の息子のしたことみたいに話して聞かせた。そのたびに、「すごいねえ」とか「へえ」なんて生返事をして、母から「あんた、友達がいがないねえ。もっと喜んであげなさいよ、大親友なんでしょ」なんて謎に怒られたりもした。
大親友。
小学校の頃の親友なんて、高校生になったら別にどってこともない。
いままで出会った人のひとり、でしかないだろう。
ぼくのほうは、千晴の活躍を聞くたびに、なんとなく、どんどん距離が離れていくな、遠くに行ってしまうんだなと置いてけぼりにされた気持ちにさせられた。
なんだか自分がなんにもできてないように思えて、親友の晴れがましい姿も、自分を卑下する材料になってしまう。
「あーあ、やだやだ」
ぼくは独り言をつぶやいた。
こういうのよくない。ネットでも書いてある。人と比べると自肯定感が下がってしまうって。
かといって、自分のことを肯定するには、いろいろ足りなさすぎた。
身長も伸びなかったし、運動神経もまわりからどんどん遅れをとった。成績だって目立つようなことなし。
なんにもうまくいかない。
まるで自分自身で成長を止めたのではないか、と思えてくる。
あのときから。
あとはもう、できるだけ楽して金を稼ぐためにどうすべきか、副業とか貯蓄とかをいまから始めたほうがいいのかもしれない。
昨日も「資産に稼いでもらう」ってネット記事を夜見ていたし。
将来に不安しかないから、せめて貯金額を増やしたい。
なにかアルバイトでもこっそり隠れてやろうかな、と考えていた。
なんだか考えすぎた。横になりたいかも。靴を履き替えて校門をでると、
「古謝充」
ふたたびぼくの名前を呼ぶ声が聞こえた。
千晴が壁に寄りかかっている。
「うわ」
ぼくはまた、自然と声をあげてしまった。
なんとなく、言葉を交わすこともなく、見つめ合った。
千晴はといえば、身長もぐんと伸び、身体付きもしっかりとしている。もともと端正な顔つきだったけれど、成長してきりっとした。
ぼくのようにぼんやりとした顔をしていない。さまざまな部活に打ち込んできたからだろうか。高校生だけど、なんとなく修羅場をくぐりぬけてきた、みたいな精悍さが漂っていた。
どきりとした。
なんていうか、一般庶民と有名人の違い、というか。丁寧にこしらえたフィギュアと、雑なバッタものくらいに差がある、ように感じる。
えぐい、これはえぐい。やっぱり千晴を見ると。自分がどんどん情けなくなってくる。
何人か、生徒が僕たちを通り越していった。
なんか変な空気を感じたのか、じろじろと眺められた。
あらゆる体育会系部活動から所属を望まれている、高校の有名人とモブがじっと見つめ合っていた、なんて翌日に噂されたらたまったもんじゃない。
「ども」
バリエーションのなさが悲しい。さっきと同じように短く言い、まるで町中でやばいやつに出くわしたみたいに、さっさと背を向けて歩いた。
振り向くな、振り向くな。
とにかく、歩け。寄り道せず家に帰ればいい。そうしたら、ひとまず安全だ。
いつもより早足になってしまう。
そして角を曲がったとき、ぼくはダッシュした。
なにから逃げているのかさっぱりわからなかった。
とにかく、この場から離れたい。
そもそも、入学式のときに千晴を見かけたとき、「詰んだ」と思った。
ぼくのコンプレックスを刺激するやつが、同じ学校にいるなんて、不運すぎやしないか。
もう千晴はぼくのことを忘れているかもしれないが、こちらはずっと覚えている。それが一番情けない。
せめてクラスが違っていることだけが救いだった。
高校に入学して、「もう一度環境が変わったことだし気分を入れ替えよう。昔のことなんて忘れて。きしょいけど高校デビューと決め込もう」なんて思っていた自分の浅はかな思いは木っ端微塵に砕け散ったのだ。
千晴に見つからないように、そして目立ってしまわないように三年間をやり過ごす、と決めたのは桜が咲いていた頃で、もうすでに桜は散ってしまっていた。
花びらなんて、地面に落ちてしまったらただのゴミだ。掃除するのも面倒。なんだかこそこそ、自分の思い上がった気持ちをちりとりに集めるような毎日だったのだ。
けっこう走って息切れを起こした。まだ若いというのに、なまけて暮らしていたせいか、スタミナもない。
帰ってひとまず不貞寝しよう、もう千晴は見えない。
家の前に到着して、ぼくはへたりこんだ。
もう安心だ、とぼくは肩で息をしながら振り向くと、すぐそばに、高木千晴が不思議そうな顔をしてぼくを見下ろしていた。
息切れもしていないし、制服も髪も乱れていない。
千晴にとって、ちょっとばかり走るのなんて、なんの苦にもならないのか。
「古謝充」
千晴はさっきと同じトーンで、ぼくの名前を呼んだ。



