そうは言っても、時間が来れば陽は昇る。
幸せな人にも、不幸を背負う人にも、等しく日付は変わり、朝がやってくる。
自分が眠っていたことに、目が覚めてから気がついた。起きた出来事を自分の中で昇華できずに、心臓がうるさく騒いで、ずっと眠れなかったのに。どこかで意識が飛んだのだろう。呑気な自分に嫌気が差す。
時刻は4時半。親父さんがぼちぼち清掃を始める時間だろうか。
ふと、昨日の朝の出来事を思い出した。不審な旅人との出会い。初対面で、ほんとに短い中での会話のやりとりだったが、どこか気楽さも感じた気がした。でもそう感じたのは、怜司にあんな言葉を投げつけてしまった手前、今は怜司と会話ができないから、他の会話ができる人を心の中で求めているだけかもしれない。それでも気になってしまう。
いなかったら、いなかったでいい。とりあえず上着を羽織って外に出てみると、ちょうど親父さんが拝殿の前を掃き掃除しているところだった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
怜司とのやりとりが聞こえていたか気になったが、俺に何も言ってこないということは、どうやらその心配はなさそうだ。
「早く目が覚めたんで、俺残りやります」
「そうか。今日は寝違えたのかどうも腰の調子が悪くて、助かる。あ、昨日みたいに遅くならないように」
「はい、すんません」
「頼んだよ」
そう言って親父さんは俺に箒を渡して、社務所に入った。受付の準備をするのだろう。
いよいよ落ち葉もなくなり、土埃を気持ち掃う程度で終わりそうだ。そのまま社務所の裏に回り、旅人を見かけた辺りを窺ってみた。
するとすぐに、カサカサという木の葉の擦れる音と、地面を踏みしめる音が奥から聞こえた。
「やあ」
タイミングが良すぎるほど、そいつはたった今、目の前に現れた。
「お前待ち伏せしてたのか?」
「君こそ、僕に会いたかったのかい?」
「うぜえ」
「相変わらず口悪いなあ」
そんなこいつは、相変わらず薄汚い。また昨日一晩、この鬼山で野宿をしたようだった。
それでもまるで気にならないようで、堂々とした立ち姿を俺に見せている。
「いい加減、降りてこいよ」
「じゃあ代わりに、昨日お願いしたこと、やってよ」
「お願い?」
「この村を案内することだよ。僕一人じゃあよく分からないし」
「一人旅が趣味なんだろ?」
「その土地での出会いを大事にしている、旅人だよ」
何を言っても返されてしまう。良く言えば、打てば響く、というのか。テンポの良い会話に、少しばかり気持ちが軽くなった。
そのせいで、うっかり口が滑った。
「分かったよ。後でいいか?」
「ありがとう!君は良い人だね」
深く被った帽子で顔はいまいち見えないが、嬉しそうに弾んだ声が聞こえるから、本当に喜んでいるようだ。
朝食を食べ終えた後、大体9時頃に、神社から一番近いバス停で待ち合わせすることにした。場所を伝えると、「分かったよ!」と両手で大きな丸を作り、了解の合図を送ってくれた。どうして頑なにこちらまで降りてこようとしないのかは未だに謎だが、意思疎通ができれば特に問題ない。早々と奥に戻っていったあいつの背中を見送った後、大して必要のない掃き掃除の残りを終わらせて家に戻った。
会う約束はした。しかし問題は、俺が一人では行けないことだ。村の中を案内すると言ったって、見せる場所は限られている。とはいえ、移動だけでも時間がかかる。その間ずっと怜司を一人にしておくわけにはいかない。
普段であれば何てことない。部屋のドアを開けて、「でかけようぜ」と言えばいいだけのことだ。それが今は、なんとハードルの高いことか。ドアをノックするところから躊躇われる。
そもそも、昨日の今日で「でかけようぜ」は無理がすぎる。暗に邪魔だと言っておきながら、次の日には一緒に、などと虫の良すぎる話だ。しかし、そうするしか他ない。できれば朝食前の今、話を済ませたい。怜司の部屋の前で、大きく深呼吸をした。
遠慮がちにドアをノックする。
「はい」
しばらく間が空くかと思ったが、思ったよりもずっと早く返事が来た。声に緊張感もなく、いつも通り。拍子抜けした俺も、いつも通りに「入るぞ」と言って、ドアを開けた。
怜司はベッドに胡坐をかいて、音楽を聴いていた。親父さんのお下がりの有線イヤホンをしているが、音量が大きいのか音が漏れている。女性ボーカルの曲だろうか、高いキーの歌声が流れていた。
俺の姿を確認すると、怜司はイヤホンを外して、「おはよう」と声をかけてくれた。
あまりにも普段通りで、昨日の出来事は俺の見た夢ではないかと疑うほどだ。
「あ、ああ…」
「どうしたの?なんか用事?」
「あ、ああ。えっと、実は…」
呆気に取られたが、怜司が普段通りなら、それでいいのだろうか。落ち度のある俺の方が腑に落ちないというのも不思議な話だが、怜司の作ってくれたこの流れに乗ることにして、まず昨日の出会いから説明した。怜司は珍しく眉間に皺を寄せながら、訝し気に俺の話を聞いていた。
「え、何その人。鬼山で野宿って本気で言ってるの?」
「そいつが言うには」
「鬼山の異変ってそういうこと?人騒がせだな…。まあ人間なら安心か」
「それで今日なんだけど、そいつが村を案内してほしいって」
「え、ホント?!」
あんなに険しかった怜司の顔が、一瞬で明るくなった。怜司は鬼山村のことが好きだからか、村に興味を持ってくれる人には無条件で飛びついてしまうところがある。といっても、今までそんな奇特な奴、片手で数えて余る程度しかいなかったから、それほど例があるわけではないが。
「9時に最寄りのバス停って伝えといたから、朝飯食ったら支度して行こう」
「なんでバス停?ココで良かったじゃないか」
「いや、なんていうかそいつ、こっちに全然降りてこようとしないから。とりあえず目的地を変えてみようかと思って」
「神社に降りてこない…?」
明るくなった怜司の顔が、またもや険しくなってしまった。しばらく何か考えている様子を見せたが、とにかくまずは会ってみようということで、話はまとまった。
ご機嫌なのか鼻歌を歌い始めた怜司を見るに、昨日の一件は本当に幻だったのだろうか。恐る恐る昨日の件を振ってみたい気持ちはあったが、折角こんなにも和やかな雰囲気でいるのだ。万一にぶち壊してしまったら、それこそもう二度と修復できない。
俺の中でも何もなかったことにして、部屋を後にした。
予定通りに朝食を済ませた後、身支度を終えて、家を出た。
身支度と言っても、俺は普段と変わらない服装に、二人共用の水筒と財布、スマホを斜め掛けのショルダーバッグに突っ込んでおしまい。怜司は手ぶら。体を冷やさないように、ダークグレーのダウンジャケットを羽織り、ベージュの大判ストールをぐるぐるに巻いた。もはや顔の半分が見えていない。年末から年明け2月いっぱいまでは、鬼山村の気温がグッと下がり怜司の体には堪えるからと、外出を避けていた。今日は滅多にない外出だからか、防寒着でもこもこに包まれている怜司の目は、嬉しそうにキラキラと輝いていた。
おそらく徒歩であろう旅人の横で二人自転車に乗るわけにはいかないと思い、咄嗟に待ち合わせ場所をバス停に指定したが、我ながら良い判断だったと思う。どうせ観光として案内する場所なんて限られているし、そこには必ずバス停がある。移動で長く歩く必要はさほどないはずだ。
「バスなんていつ以来だろう。バス旅行だね!」
「旅行じゃないだろ」
「えー。だって僕、家と学校と、時々喫茶店くらいしか行かないからさ。日帰り旅行ってかんじ!」
行動が制限されている怜司にとっては、確かにバスでの移動は遠出となるか。その気になれば自転車を飛ばしてどこへでも行ける自分を振り返り、胸の奥をチクりと刺された気になった。
「夕方までには帰るぞ」
「へえー。偉いな、雄大」
「お前が疲れるからだろ!」
バス停は鳥居を抜けて、学校とは反対の方面を向けば視界に入る。1分と経たないうちに着く、「神社前」というバス停だ。
既に人が一人立っているのが見えた。見慣れたキャップを深く被り、見慣れた服装、もはや黒と言っても過言ではない白のスニーカー。あの男だ。
今にもスキップで飛び出しそうにはしゃいでいた怜司が、突然静かになった。見ると、男の姿を、穴が開くほどに凝視している。
「まあ、一見怪しいよな」
「…、たしかに」
「でもまあ、喋れる奴だよ。それに何かあれば俺が殴るから安心しろ」
「ははっ!そっか、人間なら雄大が圧勝だね」
そう言いつつも、怜司は俺の一歩前に出て歩き進める。怜司はいつも俺と歩くときは、俺の一歩前に出る。体の大きさだけで言えば、俺のボディを全くガードできていない。端から見た二人の姿を想像しては、いつも少しだけ笑えてしまう。
俺たちに気づいた男は、こちらを振り向くと、柔らかい笑みをみせた。
「やあ、…はじめましてかな」
俺をチラと見たあと、男は怜司をじっと見つめた。
「はじめまして。鬼山怜司といいます」
「鬼山怜司君、ね。よろしくね。そういえば君の名前、聞いてなかったな」
「…、雄大」
「雄大君ね。覚えたよ」
「あなたは?」
「僕の名前はね、……実はね、僕も"れいじ”なんだ」
「え、ホント?!」
怜司が面白いくらい良い反応をみせた。何かが一緒で盛り上がる感性を持ち合わせていない俺は、この手のムードに興覚めしてしまう。
「すごい!運命ですね、れいじさん!」
「ふふ。本当だね。雄大君もそう思わないかい?」
「名前が一緒の人間くらい、生きていればいくらでも会うだろう」
「雄大君は冷めてるんだね」
「雄大は冷めてるな」
「何だよ急に仲良くなるなよ!」
二人並んで俺のことをじとっと見つめてくる。顔の造形は全く違うのに、どことなく醸し出す雰囲気がよく似ている。
「れいじさん、気が合いそうで嬉しいです!今日は楽しみですね」
「ありがとう。僕こそ嬉しいよ。ところで、まずはどこに行くのかな?」
「歴史が好きって聞いたので、郷土資料館でもと」
「良いね。鬼山村は、神様の村なんだよね。面白い昔話がありそうだ」
「鬼神様の起源なんてどうですか?」
この村に興味を示してもらえて、話ができることで怜司もいつになく興奮している。会話が盛り上がっている中、バスのエンジン音が遠くから響いてきた。早く乗りたい怜司は、バスのフロントが近づいて見えるまで、道路の奥を覗き込んでいる。
「怜司君はカワイイね。まるで君の弟だ」
「同い年だし。俺は単なる居候だし」
バスが到着すると、怜司は俺と男の間に入って並んだ。日曜日は通学の学生もいないし、村民はほとんどが自家用車で移動するため、足腰の弱ったご老人がちらほら座っているだけで、席はかなり空いていた。折角だからと思い、俺は二人を引き連れて一番後ろのロングシートに向かった。怜司がバスに乗り込むと、静かに座っていたご老人がハッとして、怜司に挨拶をする。怜司もいつも通り穏やかな声で挨拶を返した。
怜司を窓側に座らせようと思ったが、それよりも前に、怜司が男を窓側に誘導した。
「景色見える方がいいですよね」
「いいのかい?ありがとう」
男が窓側に座ると、その隣に怜司が腰を下ろした。舗装の甘い道路ではバスはかなり揺れるし、後方だとガスの匂いがきつくなる。なるべく酔わないようにと思い怜司を窓側に座らせたかったのだが、当の本人は男に村を見せたくて張り切っているようだ。俺は怜司の反対隣りに座り、目的地に着くまで怜司の様子を見守ることにした。
俺にとってもバス移動は久しぶりだった。景色は何で移動しようが変わらないが、座っていれば行きたいところに行けるというのは、やっぱり楽なものだ。
怜司は男と窓の外を眺めながらお喋りを続けている。
「れいじさんはずっと旅をしているんですか?」
「そうだね。ここには隣の県から歩いてきたよ」
「え、歩き?すごい体力…」
「旅には体力が必要だよ」
「電車とか、バスとか、乗らないの?」
「実は、お金がなくてね」
「ちょっと待て。この運賃払えるのか?」
「……、あ」
すっかり忘れていたと笑うもんだから、怜司もおかしくなって笑い出した。全然笑い事ではないのだが、お金のない奴に文句言っても仕方ないので、今日はやむなく俺が三人分払うことにした。
「ていうかお前、荷物どうした?」
よく見てみれば、男は荷物を持っていない。手ぶらだ。転々と移動する旅人というのなら、パンパンに荷物が詰め込まれたバカでかいリュックを背負っていてもおかしくない。
「あー、置いてきちゃった」
「うっかりが過ぎるだろ、…あとで返せよ」
「はーい」
そうこう話しているうちに、バスは目的地「資料館入り口」に到着した。
