怜司は退院後、祠に封印されていた男と対面した。
俺も同行したが、祠から少し離れて、親父さんと待っていた。鬼山家に生まれた双子の兄弟として、二人きりで話がしたいという怜司の願いからだった。
だから、二人がどんな会話をしたのかは聞こえていないし、怜司からも教えてもらってもいない。後で聞いたが、親父さんやお袋さんすら聞かされていないらしい。
30分くらいだっただろうか、風の音の方が大きいほどの、静かな会話。
その後、怜司は男の封印を解いたのか、連れて戻ってきた。
その魂は怜司そっくりの姿で、しかし怜司よりも少しだけ、目元のキツい印象を受けた。
親父さんはその姿を見て、唇を噛みしめ、涙を堪えている。俺が急いで呼び寄せたお袋さんは霊感こそないものの、そこにいる気配を感じると言って、顔を覆い、その場で泣き崩れてしまった。
この姿は、17年後を想像したものなのだろうか。お互いに顔を見ることも許されないまま引き離された親子が、17年の時を経て、無事に再会することができた。
「優司」と何度もお袋さんに呼びかけられた男の口元が、僅かに動いた気がした。
男は、鬼山家の式神になることが決まった。
鬼山家の者として存在していたいと願う男が、親父さんに直談判したそうだ。
式神となるには、使役する主が必要だ。親父さんは、怜司がなるように言ったのだが、怜司は何故か頑なにそれを拒んだ。鬼窟神社の現宮司が主になるべきだという主張を譲らず、結局、親父さんが主となった。
親父さんは、自分の霊力が弱いことを気にしていた。主の力が式神より弱いと、式神の力をコントロールすることが難しく、式神が言うことを聞かない、もしくは式神が使役の契約を解いて暴走してしまうおそれがあるらしい。
しかし怜司も男も、鬼山家や親父さんに背く意思がないことを親父さんに説明し、渋々ながら納得してもらった。式神としては個人を主とするしかないが、男としては、鬼山家の式神になったつもりでいる。だから主は正直誰でもいいし、宮司が主の方が体裁が良いだろうと、そういう主張だった。
怜司に仕える方が、男にとっても良いだろうと思うのだが。弟に使役されるというのが気になるのだろうか。そこはあまり突っ込まないことにした。
式神を使役するにあたっては、主が呼び出すための式神の名が必要となる。
そこで男には改めて、「優司」という名が与えられた。これで男は晴れて、鬼山家の優司となれた。
優司はどこかに封印されているわけでもなく、普段は家族のように境内をふらついている。鬼山家の式神になったおかげなのか、神社に残る祖父の気に干渉されることがなくなったと言っていた。不愉快と言っていたのはこのことだったようだ。嬉しくて仕方ないのか、拝殿や社務所の中や外を宛てもなくうろついては、親父さんや怜司に話しかけている。あの出来事からは信じられないほど穏やかな雰囲気を見せていた。
ただ、俺は鬼山家の人間じゃないからなのか、優司から少しばかり冷遇を受けている。ポルターガイストのような悪戯を仕掛けられ、その度に怜司が気を察して、ささやかな兄弟喧嘩が起きる。優司が眼鏡を隠した時は怜司に雷を落とされ、さすがにやりすぎたと肩を落としていた。とはいえ俺には、怜司と喧嘩したり怒られたり、そんなやり取りすらも、優司には楽しくて仕方ないように見えた。
式神になること、名を優司とすること、これらは全て怜司の入れ知恵だったと、後になって優司から聞かされた。そして、バツが悪そうに目を逸らしながら、謝罪の言葉を口にした。自分のエゴで怜司や俺や、色々な人や魂を傷つけたと、反省しているようだった。
小宮誠の魂は優司に食われ、優司の魂と融合してしまった。引き離して慰霊することはもう叶わない。その罪は忘れずに背負っていく。小宮誠のお墓には、必ずお参りに行くという約束もしたと、優司から教えてもらった。
師走は、師匠も走ると書く。普段どっしり構えている僧侶ですら、忙しく動き回る季節。
それは親父さんを見ているとしみじみ思う。親父さんはただでさえ普段から忙しいのに、毎年この時期は、初詣の参拝客を迎える準備でより忙しくなる。冬休みに入り暇人の代名詞となった俺達も、当然に駆り出された。
そんな怒涛の12月が過ぎ去ろうとしている。もうすぐ年が明ける。そんな実感のないまま、ついに大晦日を迎えた。
年越し蕎麦に、お袋さんが揚げまくってくれた大量の天麩羅を食らい尽くして、今はお茶を飲みながら二人、ソファに座ってテレビを眺めている。俺にとっては何の興味もない公共放送の歌番組、怜司が毎年楽しみにしているから、仕方なく一緒に見ている。他に見たい番組もやりたいこともないから、暇潰しにはちょうど良いけど。
この時間帯は、実力派の歌手がバラードをしっとりと歌い上げるパートらしい。アーティスト名もタイトルも一応聞いたことはあるが、興味のないバラードは途端に子守唄へと変貌する。眼鏡を外し、ソファ前のローテーブルに置いて目を擦った。それでも目がしばしばする。
「雄大、寝るなよ!こっからのサビが良いんだからー」
船を漕ぎ始めた俺の肩を掴み、容赦なく揺らしてきた。
あの騒動から、怜司は心なしか、俺へのあたりが強くなった気がする。良い言い方をすれば、気兼ねなくなった、距離が縮んだということだろうか。今まではずっと、気を遣われていたと思う。それが怜司の接し方だと思っていたが、ずっと遠慮していたのかもしれない。俺に不自由を強いているという引け目で、そうさせてしまっていたのだろう。今では、それこそ家族のように、扱き使われるし、文句言ってくるし、甘えてくる。
実は例年、歌番組は怜司が一人、もしくはお袋さんと見ていて、俺は見ていない。俺は自室に籠もって、本を読んだりと好きにダラダラ過ごしていた。今年は部屋から俺を引き釣りだして、一緒に見ようとリビングに押し込んできたのだ。
こうして自分の趣味にも付き合わせようとする強引さ、正直悪くない。
でも、眠いものは眠くて、怜司が目を輝かせながら聞き惚れているサビパートも、左耳から右耳へと素通りしていく。
満足げに歌い切り、深々とお辞儀をして捌けていくアーティストの姿を見送りながら、怜司は大きなため息をついた。
「にしてもさ、テスト結果、残念だったな〜」
怜司は退院したものの体力の戻りが悪かったため、2学期の残りを全て休んだ。怜司が学校を休むということは、俺も休むということだ。二人とも終業式にも出られず、そのせいで通知表を貰い損ねた。別に急ぎ必要なものでもないだろうと先生に言われ、3学期の始めに受け取ることになった。期末試験の解答用紙もその時に、と。だから俺達は、あの努力の結果を年内に拝むことができなかった。
それだけが怜司の中でひどく心残りのようで、冬休み中ずっと愚痴をこぼしているのだ。
「せめて点数知りたかったな~」
「どうせ年明けに分かるんだから、いいだろ」
「え〜?頑張ったのに〜」
ローテーブルに置かれたみかんを転がしながら、もう何回目か分からないため息を吐いた。
「…でもさ、楽しかったな、勉強。もっと真面目にやれば良かった。雄大の隣で」
「やればいいさ。高校最後は有終の美で飾れよ」
「ははは」
歌番組はラストスパートに入ったのか、一転してビートの激しいアップテンポな曲が続く。会場やお茶の間で見ているであろう視聴者に向けてボーカルが煽り、ギターがソロで魅せると歓声が上がった。
平和だ。心からそう思った。俺たちの前に立ちはだかっていた全ての障害が無くなった。そう思えるくらい、俺の心は今までにないほどの平穏を感じていた。
でも俺にはあとひとつ、やることがある。部屋に隠してある紙袋を頭に浮かべた。
年が明けた1月1日、怜司の18歳の誕生日にと、誕生日プレゼントを用意しておいた。寒がりな怜司が使えるものとして、マフラーにしてみた。今怜司が使っているのはお袋さんのお古で、怜司のものではない。怜司はモノにこだわりがなく、使えるものを使うという考えで生きている。でも、明日は18歳。高校を卒業する年に何か贈りたいと思い、ネットで探した。肌の白い怜司に似合いそうな、黒地に白とブラウンのチェック柄だ。
この村への配送は、県の運送会社が週に1~2回、指定された商店へ配達されるようになっている。人口も少なく、宅配利用者も少ないことから、個別の配達は原則認められていない。俺の注文した品も、ここから歩いて20分程先にある商店に配送されることになっていて、先月、配達完了の連絡が届いた。
それで受け取りに行った帰り、オバケと鬼ごっこする羽目になったわけだ。
注文した時点では、単に誕生日と卒業お祝いとするつもりだった。しかし今では、怜司への今までの感謝の気持ちをまず込めたいと思っている。ずっと我儘に振る舞っていた俺を、それでも気にかけ、俺を守ってきてくれたことにお礼を言いたい。そして、これからもずっと、お互い傍にいて支え合おうと、そう伝えたい。
歌番組はトリを務める男性歌手、女性歌手それぞれが歌い終わり、今日のプレイバックを流している。こんなにたくさんのアーティストが出ていたのか不思議に思うくらい、番組も時間もあっという間に過ぎていった。
「雄大」
怜司がこちらを向いて、声をかけてきた。
「雄大に出会えてよかった」
真面目な声で言うものだから、戸惑って言葉が出てこない。
テレビからは、蛍の光が流れていた。
「ありがとう」
「……これからもよろしく、だろ?」
ようやく搾り出して送った言葉に、怜司はただ、優しく笑い返してきた。
歌番組が終わり、各地の神社仏閣が映し出された。
どこも初詣で賑わいを見せている。年が替わる瞬間を今か今かと皆が待っていた。
鬼窟神社に参拝に来る人たちは、例年、日付の変わった早朝辺りから姿を見せ始める。ウチももうすぐ、新年のお祝いとともにこんな賑わいが訪れるのだろう。
俺もそろそろ用意しておこうと思い、怜司にトイレと断り席を立った。少し離れるくらいなら大丈夫だろうと、眼鏡はそのまま置いておいた。
自室に入り、ベッドの下に横倒しにしておいた紙袋を取り出した。少し被ってしまった埃を払い、改めて中身を確認し、部屋を出た。
階段を下りてリビングに戻ると、怜司はいなかった。
キッチンの方を見たが、いない。怜司もトイレに行ったのだろうか。
アナウンサーが年明けのカウントダウンを始めた。
3、2、1……
『今年もよろしく』
「うわっ?!」
目の前に突然優司が現れた。
「お前急に出てくんな!今までどこにいたんだよ」
『どこって、僕はいつでもどこにでもいるよ。それより…』
優司は俺の裸眼を指差しながら、ゆっくりと告げた。
『おめでとう。晴れて君は、自由の身だ』
終
