君だけは、どうかお元気で



怜司一人が立っていた。親父さんはいない。
怜司は男を見てすぐに、俺を見た。
「なんて危険なことをしてるんだよ、一人で夜出歩くなと言っただろ、この鳥頭」
「とり…!?何度も言うな!」
「あーあー、悪いけど僕を置き去りにして夫婦喧嘩はやめてもらえる?」
「夫婦じゃねえ!」
「これからは夫婦じゃなくて、兄弟水入らずの時間だからね」
男は怜司から目を離さない。怜司も、男から視線を外さずにいる。
男の狙いは、怜司だった。俺は怜司をおびき出すための撒き餌だったというわけだ。
しかしおかしい。霊力があまりに強すぎる相手には、霊は自身が祓われてしまうことを怖れて、魂を食らおうなんて考えずに近づかないはず。怜司に戦いを挑む奴など今まで見たことが無い。俺を襲おうとして、怜司に阻まれる。それが毎度のパターンだ。
男は、怜司と対峙できるほどに、強い力を持っているということか。
それに、男は今と言っただろう。「兄弟」と言ったか。
「なんだそれ、何かの例えか?」
「雄大、僕の後ろに下がって」
怜司が俺に近づき、横に立ち並んだ。そして俺を後方に促す。
撒き餌という言葉が頭に響いた。後ろに下げられることが、餌としての役目すら終わった用無しと言われたように感じた。腹の中がぐつぐつと苛立ちで煮え滾り、熱くて爛れそうだった。
「なんだよ、怜司、お前何か分かったんなら教えろよ!」
「今は危ないから、後ろに」
「餌の次は役立たずってか!」
「うるさい」
男は俺に手の平を見せた。突如、頭に激痛が走った。後頭部から背中にかけて何にがぶつかったのか、強い衝撃が走り、痛みと眩暈で目が開けられない。ただ立っていただけなのに、いつの間にか地面に転がされていた。恐る恐る後ろに手をやると、ザラザラとした感触がした。境内を囲うように立ち並ぶ、大木のひとつとみえた。
「雄大!」
「動くなよ」
怜司が俺の傍に走り寄ろうとして、男に制止された。俺は突然、何も分からないうちに、こいつに吹っ飛ばされたみたいだった。相手の動きが読めない、俺に更なる危害が加えられるおそれもあると判断してか、怜司は黙ったまま、言う通りに動きを止めた。
俺は動きたくても動けない。倒木のように転がったまま、対峙する二人を、ブレる視界になんとか収め、ただ見つめるしかなかった。
「パパから教えてもらったのかい?」
「…ついさっきね。僕も今までずっと教えてもらってなかったから」
「ふん。俺の存在は、初めから無かったことにしたかったわけだ。そうだよね、双子なんて、あのジジイには耐えられなかっただろうし」
「ふ、…ふたご?」
ずっと、怜司は一人っ子だと思っていた。それもそうだ、怜司自身が一人っ子だと言っていたし、家の中に兄弟の存在なんて影も形もなかった。親父さんやお袋さんからだって、そんなこと一度も聞いたことがなかった。
怜司の言葉からするに、怜司自身もついさっき、親父さんから聞かされたようだ。怜司はこの事実を確かめるために、親父さんと話したいと言っていたのか。
「どうして気づいたんだい?」
「…ずっと疑問だったんだ。どうして君のことを察知できなかったのか。君ほどの力があれば、分からないはずがないのに。でも今日、一緒にいて気づいたんだ。君からは、家族と同じ気を感じた。それは純粋じゃなくて、別の気が色々混じっていて、おそらく君が今まで多くの魂を食らってきたからかもしれないけど、でも、鬼山家と同じ気を一番強く感じた。君自身の魂だからだろうね。だから分からなかった。慣れ親しんだ気だし、特に神社の近くにいられたら、家族の気に紛れてしまうから。もしかしたら君は、わざと神社の近くに身を寄せていたんじゃない?僕に覚られない様に」
「それで、僕が鬼山家の関係者じゃないかと思ってパパに聞いたわけだ。さすがだね。そうそう、山に隠れていたのも、君に気づかれないようにするためだよ。君ほどの力なら、そこらへんでうろちょろしていたら、いずれバレると思ったからね」
「ここら辺の霊を食べつくしたのも、君?」
「ふふ。そのとおり。たくさん力をつけたくてね」
「学校に石を投げたのも?」
「わあ!よく気づいてくれたね。そうだよ」
「何のために?!」
俺が話に入り込むと、あからさまに嫌そうな顔を向けてきたが、ため息を吐いて話を続ける。
「ずっと隠れ続けるのも飽きちゃってね、僕はここだよーって教えたかったんだ。雄大君を狙ったのにさ、石には気づくなんて」
「鉄砲玉みたいなスピードで飛んでくる霊気なんて、なかなかないよ」
思い出して少しだけ笑ってみせ、しかし途端に、怜司が真顔に戻った。
周囲の音が、膜を張ったようにくぐもり、小さく聞こえる。熱のこもった針で刺されているかのように、肌がチリチリと痛みだした。
怜司が警戒態勢に入った。そのせいで、普段抑え込まれている霊力が溢れ出てきている。
しかし今日は、いつにも増して強い。自然が共鳴しているのか、地震のようなうねりが体に響いてくる。心なしか、鬼山も震えているように感じた。
対面する男からも、これまでの余裕が消えたようだ。口元をキツく締めて、怜司への意識を一層集中させている。
「…で、双子のお兄さんが、僕に何の用ですか?」
「用は一つさ。君の魂を貰いにきた」
予想していた回答だったのか、たじろぐことなく男を見つめている。
「その為だけなら、雄大を巻き込むことなかったんじゃない?」
「そんなことはないよ。君に本気を出されたら、僕なんか一捻りだろうからね」
「……、人質、か」
怜司に本気を出させず、対峙し、魂を食らう方法。
それは俺を傍に置くこと。そして俺に危害を加えることを容易いことだと知らしめること。怜司一人ならどうとでもなる。でも俺を守りながり、自身への脅威を振り払うとなると、難易度は跳ね上がる。なにせ、俺は眼鏡があって初めて見えるだけの、真の無能だから。
とはいえ、怜司の後ろに控えられては、俺に手を出しにくい。だからまず俺がこいつの傍に寄る必要があった。だから俺をおびき出すために、“罠”を仕掛けたというのか。
全てがやつの思いどおり、術中にはまっている。それも全部、俺のせいだ。間抜けな俺が、まんまと自ら罠に突っ込んでいったわけだ。
悔しくて涙が出そうだ。せめて怜司の近くに行きたかった。何かあれば、肉の壁になって守れるかもしれない。しかし、起き上がろうとして背筋に力を入れると、激痛が走った。怜司のもとまで数メートルしかないのに。体の丈夫さだけが、俺の取り柄なはずなのに。
役立たず。自分で言った言葉が胸に突き刺さる。霊に相手にされない、身動きも取れない今、俺は怜司を守ることもできなければ、餌ですらない。ただの人質、足手まといだ。
変わらず転がされたままの俺には見向きもせずに、男はまた数歩、怜司に近づく。
「この為だけに、大掛かりな仕掛けだろ?それだけ君は脅威だし、なんとしても成し遂げたいんだ。…分かるかい?生まれる前から存在を否定され、誕生してまもなく家族に斬り殺された俺の気持ちが!」
瞬間、男の体中から熱気のような揺らぎが発せられた。闇夜にも浮かび上がる漆黒の色を纏うそれは、禍々しさに満ち溢れていた。どこからともなく絶叫のような雑音が木霊する。男の霊力から発する気は、恐怖や怒り、もしくは悲痛さと表現するに近い感覚を覚えた。その気の一端にでも触れれば体を溶かされてしまうような、そんな怖れと、熱を感じた。男の中に渦巻く感情の表れなのだろうか。家族の手によって殺められたと訴える男の、やり場のない悲しみと怒り。そんな負の感情がない交ぜになったような気だと思った。
こんな気にあてられて、怜司は大丈夫なのか。不安でたまらない。怜司の身が心配なこともそうだが、不安や焦りを感じることしかできない自分の状況が、不安でたまらない。万が一怜司に何かあったら。万が一の時に動けない自分は何を目にするのか。自分では変えることのできない万が一の想像が、頭にこびりついて離れない。
怜司はまだ動かない。男は遂に怜司の目と鼻の先まで寄った。怜司の姿が、男の気に包まれ、今にも隠されようとしていた。どうして何もしない。どうして動かない。
怜司はもしかして、今になってもずっと俺を気にかけているのかもしれない。無様に倒れているしかできない俺に、危険がないように。あの男の「動くな」という指示に、限界まで従っているのかもしれない。危険が及んでいるのは、怜司の方なのに。
「怜司、怜司!」
もう声をかけることしかできない。逃げて欲しい。身を守ってほしい。あいつを何とかしてほしい。そんな切実さがありながら、俺自身ではそのどれもを叶えることはできない。ただ、そう願って声を張り上げることしかできない。
今まで俺が考えてきたことが頭を駆け巡った。まるで走馬灯のように、これまで俺の中で抱えてきた、もやもやした気持ちが再生される。
ずっと、自分が可哀想だと思っていた。求めていない体質、求めていない境遇。誰のせいでもないからこそ、辛く苦しい思いをしたからといって、誰かを責めることができない。そんな自分を可哀想だと思っていた。責めることができれば、どれだけ楽だろう。自分の中だけで抑え込み、昇華させるのは苦しい。お前のせいだと罵ることで、日常的に抱えるフラストレーションを発散し、押しつけて、現実から目を背けることができるのに。
そして俺はいつの間にか、その誰かを怜司に見立ててしまっていた。俺の身を置く環境の哀れさは、お前のせいだと。俺の体質による不足を補うために、どうしてお前の体質による不足を、俺が補わなければならないのか。お前の病弱ささえなければ、全てが上手くいくのに。俺の自由を妨害する役立たずだとすら、醜い裸の心が声をあげていた。
でも今はどうだ。目を背けていた現実はどうだ。いつもそうだ。本当の役立たずは、俺の方なのだ。見えない力に吹っ飛ばされ、転がされ、危機が迫るあいつに何もできない。
「無力とは哀れなものだよね。使い物にならないんだから、存在したって、いないのと同じ。存在価値のない者の為に命を張らないといけないなんて、君も哀れだね」
怜司を見つめながら、嘲笑うように男は言った。俺の心を読んでいるのか。それとも、過去の自分を思い返しているのか。かつて無力と切り捨てられた男と、今まさに無力に倒れる俺が重なる。
存在価値が無い。その言葉を、今の俺には否定できない。もう、ここに倒れていることが、いること自体が恥ずかしくなった。自分が無力ゆえに、病弱な怜司にどれだけ守られてきたか、分かっていたはずなのに。ただ傍にいるだけで何ができるわけでもない、それどころか、怜司の行動を妨げていたのは俺の方だなんて、考えたくなかった。
「怜司!動け!」
消えたくなった。お前を守ると決めながらも、守らなければならないと勝手に感じた重圧に耐えかねて、自分可愛さに覚え始めた鬱陶しさを。自由と責任となんて、大袈裟に肥大した陳腐な葛藤を勝手に抱えて、お前に当たり散らした俺の浅はかさを。そして、そんな俺の全てを見透かされ、仕掛けられた罠に見事にはまって、守ると決めたお前を危険に晒す俺の存在そのものを。
もう何もかも、こいつと一緒に消し去ってほしい。
そして怜司だけはどうか無事で、生き残ってほしい。
「俺はどうでもいいから、お前は自分を守れ!生きろ!怜司!」
怜司は俺を見ないが、肩が揺れたのが見えた。俺の声は届いている。それでも動こうとしない。
血の気がどんどん引いていき、冷や汗が止まらない。
「怜司!」
「うるさい無能が!」
「やめろ」
男から目を離さないまま、怜司が口を開いた。その言葉に呼応するように、地面も空気も振動し、鬼山の方面から突風が吹いた。背後から突然強い力で押された男は姿勢を保てず、思わず前のめりになり、怜司にもたれ掛かった。
はっとして一端怜司から離れようとした男の手首を、怜司がすかさず掴み、離さない。
「いい加減にしろ、お前の目的は僕だろ」
今まで聞いたことも無い、威圧するような低い声に、男は震えた。俺も堪らずに息をのんだ。
すると怜司は、男の手首を掴んだまま、ついに俺の方を向いた。そしていつもの、柔らかい笑顔をみせた。
「雄大、僕にとって君は、存在することに価値があるんだよ」
怜司が俺を見ている間に、男が手を振り払った。そして一歩後ずさり、右手の平を怜司に向けた。
怜司が霊を祓う時にするポーズ、霊力を使う時の態勢だ。男は怜司の魂を奪うために、ついに行動に出たのだ。俺に気を向けた、その隙をつかれた。俺が声なんかかけなければよかったのか。俺の存在は、どこまであいつの邪魔をする。こんな俺に、存在価値などあるはずがない。
「ほざけ!いるだけで価値のある奴など在るはずがない!価値があって初めて存在が許される、お前がなによりそうじゃないか!」
「その価値は誰が決めるんだ。雄大に対しては、僕がそう思った。それで良いじゃないか」
「…!なら、……ならその価値ある奴のために、魂を捧げろ!」
男の手の平が、怜司の左胸に押し付けられた。その押しの強さに、怜司が思わず一歩引いた。
直後、怜司の体が光った。大量の眩い光が怜司の体から溢れ、男の発していた黒い気を飲み込んでいくほどに勢いよく放出されていく。光の量はどんどん増えていき、それは辺りを照らすのではなく、塗りつぶし消してしまうほどだった。
「これがお前の霊力…!」
男は恍惚とした表情で光を見ていた。しばらくして、手の平を少しだけ体から離す。すると、白い輪郭を描くひときわ輝く光が、手の平に吸い付いているように見えた。
怜司の顔に、苦痛の表情が見えた。
あれが怜司の魂なのか。魂が、怜司の体から離れてしまう。
「この力は俺のもの…この力で、俺こそが鬼山家の子孫だと認めさせてやる!」
「やめてくれ!」
やめてくれ。
怜司の魂を奪わないでくれ。
怜司を奪わないでくれ。
「俺から怜司を奪わないでくれ!!」
「雄大……、ありがとう」
怜司は再び、男の手首を掴んだ。その瞬間、あれだけ放出されていた光が一瞬で消え失せた。まるで最初から光っていなかったとでもいうように、そこには静かに闇夜が広がる。
男の動揺がみえる。もう一度手を振り払おうとするが、怜司の力が強いのか、振りほどけない。
「僕のはもう、僕だけのものじゃないんだ」
「なにを…!」
「平伏せ」
突如、鬼山から凄まじい咆哮のような音とともに、鬼山を覆い隠さんとするほどに巨大な漆黒の影が現れた。同時に、激しい風が吹き荒れ、山を駆け下りてきた。
耳を塞いでも、頭の中まで侵されている様で塞ぎきれない。風もあまりの強さに、男は背中から押し出され、あっという間に地面に叩きつけられた。
風はどんどん激しさを増していく。荒れ狂う台風のようだ。顔に風圧が直撃し、声を出すどころか、呼吸もままならない。激痛の走る体をなんとかうつ伏せに返した。頭を下げて、地を這うような体勢を取り、とにかく頭と腹を守ることだけ考えた。草木も煽られすぎて、今にも折れそうなほどに曲がっている。
まさに、そこに存在する全てのものが平伏しているようだった。
俺はもう怜司を窺うことも、前を向くこともできない。これが怜司の本当の力なのか。それとも、別の何かが働いているのか。
「この力…っ、お前、一体何をした!?」
「何も。君は怒りを買っただけだ」
唸り上がる音の隙間を縫うように、男と怜司の声が聞こえた。
「怒りだと!?僕の憎しみに勝る怒りがあるものか!神すら同情して然るべき、鬼山家への憎しみに勝るものなど…!」
「その神の怒りだよ。謹んで受け取れ」
その瞬間、地面からドンと鈍い音が鳴った。
「ぐああああああああああああ!」
地面にめり込むかというほどの重力が体にのしかかった時、男の絶叫が響いた。耐えがたい痛みに締め付けられているような声が、大気を劈く。何が起きているのか分からない。顔を上げて見ることもできない。恐ろしいことが起きていることは察しても、押し潰されそうな圧に耐え凌ぐので精一杯だった。

やがて、搾り取られたように男の悲鳴は窄んでいき、ついに声が途絶えた。それを合図とするように、獣の遠吠えのような音も、漆黒の影も、吹きすさぶ強風も、そして沈められそうな重力も、徐々に遠のき、やがて全てが無くなった。
地獄のように荒れ乱れたこの場に、静寂が訪れた。
男はどうなったのだろうか。あれから、魂が祓われたのだろうか。
どさっと、何かが落ちる音がした。恐る恐る頭を上げると、怜司だ。怜司が両の膝をついていた。腕は力なく垂れ下ろされ、頭も沈みこんでいる。そのまま、全く動かない。
その姿に、3年前の怜司が重なった。ギリギリの体力を振り絞って眼前の危機に挑み、そして力尽き、崩れ落ちようとする細い体。
血の気が引いた。怜司が危ない。上体を起こそうとして、やはり背中の痛みが強くて、バランスを崩して倒れてしまった。圧倒的な重力を耐え抜いたせいか、腕が痺れて力が入らない。どんなに殴り合いの喧嘩をしたって、筋肉に疲労を感じたことはなかった。怪我をしても、大して痛みを感じなかった。全てが赤子の手を捻るように容易く、歯ごたえのないものだった。それが、今では俺が赤子同然だ。俺の強い生命力からくる回復のスピードを優に上回る圧倒的な力によって、経験のないほどに体がボロボロだ。
それでも、俺は怜司の傍に行かなければならない。疲労で倒れたあいつの介助は、俺の務めだ。この体が引き千切れようとも、怜司を連れて帰る。
うつ伏せになったまま力の入らない体を引き摺るように、匍匐前進した。感覚のない腕を無理やり前に出し、小さいながらも着実に、怜司に近づいていく。
「ぐっ…なんで、こんな、ことが…」
声がした。男の声だ。
喉が潰れるほどに悲鳴を上げたせいか、ひどく擦れている。
しかし、あれだけの力で捻じ伏せられて、まだ魂が残っていたのか。まるで不屈の生命力だ。諦めずに起き上がろうとする男の様子に、俺は焦った。怜司はもう指一本動かせない。ほんの少しの力でも、今の怜司には為す術なく、諸に食らって大きなダメージを受けてしまう。
「もう、やめろ!諦めろ、お前の負けだ!」
「う、る、さい!ざこが!」
男はついに、脚に力を込めて立ち上がった。膝に手をつき、息を切らしながら、目の前で固まったままの怜司を見つめている。
進みを止めてはいけない。男の動きに注意しながら、小さくも怜司に近づく。
「はぁ…はぁ…、ハハハ!あいつはもう干乾びたか!」
「…何を、考えてるんだ」
「部外者は口出すな!これは鬼山家への復讐なんだ!僕の目的はただ一つ、こいつを消して、僕が鬼山家の跡取りとして認めさせること…そして、僕を殺したクソジジイの死体に唾を吐きかけてやることさ!」
男はゆらりと上体を起こすと、不気味な笑みを浮かべた。
男は俺よりもずっと怜司の近くにいる。今その場から手を出されたら、間に合わない。
「いい加減にしろよ!お前が鬼山家に恨みがあるったって、怜司には関係ねえじゃねえか!」
「おおありさ!こいつが俺の体から分裂しなきゃよかった!病弱らしく腹ん中で死ねばよかった!こいつがこの世に生まれなきゃよかったんだよ!」
体を引き摺っている場合ではなくなった。痛みなんかどうでもいい。苦しいなんざ関係ない。怜司はいつだってそうだった。荒い呼吸にも、心臓の痛みにも目を向けず、いつだって俺を見てくれていた。命綱としての俺ではなく、俺の存在そのものを守ってくれた。
怜司に生きていて欲しい。生きて、また俺の目の前で、あの穏やかな笑顔を見せて欲しい。
これ以上、俺のせいで傷つくことは許さない。
腹に、背中に、ありったけの力を込めた。不思議なことに、あれだけ感じていた激痛は遠のき、体が軽い。芯から焚かれるような熱が蘇った。目が覚めるようだった。
今なら走れる。爪先で体を弾いた。爪が食い込むほどに拳を握る。
目の前の男が動きを見せた。男もまた、拳を握りしめる。両者とも、腕を引いた。
「こうなったら力技だ!ぶっ殺してやる!!」
「させねえ!!」
みしっ…と、顎が外れる衝撃が、拳から骨に伝わった。
男の拳が怜司に届く寸でのところで、俺の拳が男の頬にめり込んだ。目玉が剝き出しになり、口がひん曲がっている。更に力を込めて、腕力で男を吹っ飛ばした。
間に合った。倒れてびくともしない男を見届けてまもなく、荒い息を整える余裕もないまま俺もその場に倒れ込んだ。仰向けで寝転ぶと、俯いて髪で隠されていた怜司の顔を覗き込めた。
その表情はこの場にふさわしくないほどに穏やかで、俺に笑いかけているように見えた。