澄める空は琥珀に溶ける

HAKUが、廉だった。

僕の孤独な夜に、いつも決まって静かな文字の羅列で寄り添ってくれていた人が。僕の撮る彩度の低い、誰にも見向きもされないような写真を「好きだ」と、誰よりも早く肯定してくれた匿名の理解者が。

『俺はあなたの切り取る世界が好きです』と、真っ直ぐに伝えてくれた人が。
『あなたの周りにいます』と、あの夜、意味深な言葉を残した人が。

ずっと、廉だったのだ。

土砂降りの雨の音だけが、僕たちの間を支配していた。
視界を白く染め上げるほどの豪雨は、まるでこの世界から他のすべての存在を洗い流してしまったかのように激しく、冷たく地面を叩きつけている。
僕は、丸めた膝の上に置いた祖父のライカを抱え込んだまま、信じられないものを見るような目で、目の前で膝をつく廉を見つめていた。

廉もまた、僕をじっと見つめ返していた。
普段は一切の隙を見せない彼の黒髪は、雨水をたっぷりと吸って額に無造作に張り付き、その涼やかな琥珀色の瞳の奥には、隠しきれない焦燥と、ある種の覚悟のような光が揺らめいている。黒いシャツは彼の広い肩と厚い胸板にぴたりと張り付き、彼もまた体温を奪われているはずなのに、僕の肩を包み込む彼の手からは、火傷しそうなほどの熱が伝わってきていた。

頭の中で、これまでの様々な記憶の断片が、恐ろしいほどのスピードでパズルのように組み合わさっていく。

『好きな人が好きなものは、気になります』
アンバー・デイズのカウンターで廉が口にした言葉と、HAKUがDMで送ってきた言葉の一致。

僕が傘を持っていなかったあの日、HAKUが雨の心配をしてきたタイミング。

僕が写真部だったことを、廉が知っていた理由。

HAKUという名前。琥珀の、ハク。

どうして、もっと早く気づかなかったのだろう。
彼から発せられる言葉の温度も、理詰めで逃げ道を塞ぐような話し方も、僕の領域を侵食してくるその不器用で真っ直ぐな距離の詰め方も、すべてが完全に同一人物のものだったというのに。僕は、現実の美しい後輩と、ネットの向こうの匿名の存在という二つの顔を、自分の中で勝手に切り離して、都合よく甘えていただけなのだ。

「……なんで」

喉の奥から絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていて、雨の音にかき消されてしまいそうだった。
でも、そのかすかな震えを帯びた三文字は、確かに廉の耳に届いていた。

「なんで……」

もう一度、繰り返す。
どうして、隠していたの。どうして、もっと早く言ってくれなかったの。僕が現実とネットの狭間で、二つの感情に引き裂かれそうになって、どれだけ罪悪感に苛まれていたか。

廉は、僕の肩を掴んでいた手にほんの少しだけ力を込め、それから、一つ深い深呼吸をした。
冷たい雨を吸い込んだ彼の胸が、ゆっくりと上下する。

「……先輩の写真を初めて見たのは、学校の写真部の公式アカウントの投稿がきっかけでした」

廉の低く、よく通る声が、雨のカーテンを突き抜けて僕の耳に届く。
その声は、言い訳をするような響きは一切なく、ただ事実を丁寧に、僕に捧げるように紡がれていた。

「春の展示告知の投稿の中に、先輩が撮った公園の影の写真がありました。それを見た瞬間、目が離せなくなった。それからすぐ、SNSのおすすめ欄に偶然『すず』のアカウントが流れてきて……それが先輩のものだと確信して、俺は『HAKU』というアカウントを作りました」
「……それが、いつの話?」
「先輩が、部活をやめて、学校に来なくなる少し前くらいです」
「その頃から……?」
「はい」

僕は息を呑んだ。
廉は、僕が不登校になって部屋の暗闇に閉じこもるずっと前から、僕のことを、そして僕がファインダー越しに見つめている世界を、知っていたのだ。僕が誰にも理解されないと絶望し、一人で勝手に傷ついていたあの時、すでに彼は、僕の写真をその目で見つめていてくれた。

「知ってたのに……。どうして、言ってくれなかったの?」

彼を責めるつもりはなかった。ただ、純粋な疑問だった。もし彼がもっと早く名乗り出てくれていれば、僕はあんなに長く、孤独な夜を過ごさなくても済んだかもしれないのに。
廉は、僕の濡れた頬を視線でなぞるようにしながら、痛みを堪えるような表情で答えた。

「先輩は、わざわざ本名も顔も隠して、誰にも分からないような海の底みたいな場所で、ひっそりと写真を投稿していたでしょう。そこへ、もし俺が『同じ学校の一年生です』と名乗って踏み込めば、先輩は確実に警戒して、その安全な場所から逃げ出してしまうと思ったんです。……怖がらせるのが、嫌だった」
「……」
「俺は、ただの匿名のフォロワーとして、先輩の写真を見守りたかった。先輩が撮るものが、先輩の切り取る静かな世界が、俺はどうしようもなく好きだったから。だから、正体を明かすわけにはいかなかったんです」

廉の言葉には、僕の臆病な性質を完全に理解した上での、彼なりの極端で、不器用な配慮が満ちていた。
僕の領域を壊さないために。僕の逃げ場を奪わないために。彼は、冷たい電子の海を隔てた向こう側から、ずっと一人で僕を見つめ続けていたのだ。

雨が容赦なく僕たちの体を打ち据え続けている。
水たまりに落ちる無数の雨粒が、白い飛沫を上げている。

廉は僕の肩から手を離し、濡れた地面に両膝をついたまま、少しだけ姿勢を正して僕の真正面に相対した。

「それからしばらくして……先輩が『アンバー・デイズ』のドアを開けて、俺の前に現れた時。俺は、ずっと探していて、ずっと会いたかった人が、ついに自分のテリトリーに来てくれた、と思いました」

あの日の、彼の表情を思い出す。
僕が初めて店を訪れた時、彼が僕を見て、微かに眉を上げ、琥珀色の瞳の奥に熱を灯したあの瞬間。あれは、偶然の出会いに驚いたのではなく、探し求めていた人を見つけた静かな歓喜の表れだったのだ。

「……最初から、僕のこと、分かってたの……?」
「はい。鞄から見えたカメラのストラップと、先輩のその雰囲気で、一瞬で分かりました」
「なのに……どうして、」
「先輩が、俺のことをHAKUだと知らないままの方が、先輩にとっての『安全な場所』が二つになるかと思ったからです」

廉の口からこぼれたその理由に、僕は言葉を失った。

「安全な場所が、二つ……」
「現実世界で息が詰まったら、路地裏のドーナツ屋に逃げてくればいい。そして夜、一人で寂しくなったら、ネットの向こうのHAKUに写真を送ればいい。……俺が二つの役割を完全に分担すれば、先輩の世界は今より少しだけ呼吸しやすくなるんじゃないか、と。俺の傲慢な計算でした」

なんて、非合理的で、狂気じみた優しさだろう。
彼は僕のために、完璧な逃避場所を二重に構築しようとしていたのだ。現実の彼と、匿名の彼。二つの異なる姿を使って、僕の傷ついた心を全方位から保護しようと試みていた。

「……でも、それは次第に、俺自身をひどく苦しめることになりました」

廉の声が、ほんの少しだけ震えたように聞こえた。雨のせいでそう聞こえただけかもしれない。でも、あの常に冷静な彼が、感情のコントロールを失いかけていることは明白だった。

「先輩が俺に、『雨の日に傘を貸してくれた知り合いがいる』と、HAKUである俺に向かって報告してきた時。先輩が、『廉くんに話したら』と、画面の向こうの俺に伝えてきた時」

廉の言葉が、僕の胸を締め付ける。毎夜、僕がHAKUに向けて送ったメッセージの数々。

「先輩の中で、現実の俺と、ネットのHAKUが、完全に別の人間として認識されているという事実が……どうしようもなく苦しかった。先輩がHAKUという存在に依存していくのも、現実の俺との間で葛藤しているのも、手に取るように分かった。俺は、俺自身に嫉妬していたんです」

彼が嫉妬していた。
僕がHAKUを慕うことに。僕が廉を頼ることに。
同じ人間なのに、分断された自分自身に嫉妬して、暗闇の中で一人、彼はギリギリの精神状態で僕のメッセージを受け止めていたのだ。

「……先輩が、二つの感情の間で引き裂かれて、傷ついていくのを見るのが、狂うほど嫌だった。それはHAKUとしての俺でも、廉としての俺でも、まったく同じで。……でも、ここまで嘘を重ねてしまって、先輩に全部を話す正しいタイミングが分からなくて。結局、ずっと隠したまま、こんな形で知られることになってしまった」

廉は再び、両手を伸ばして僕の震える肩にそっと手を置いた。
雨で冷え切っているはずの彼の手のひらが、僕の濡れたシャツ越しに、信じられないほどの熱を伝えてくる。

「……ごめんなさい」

廉が、謝った。
あのプライドが高く、常に自分が正しいと確信して動いている彼が。誰よりも完璧に世界を計算し尽くしているはずの彼が、今、雨の中で僕に向かって深く頭を下げたような、そんな切実な声で謝罪を口にした。

「ずっと隠していたこと、謝ります。決して先輩を試したり、騙して弄んだりしていたわけじゃない。でも、先輩が知らないことを俺だけが知っていて、先輩を混乱させてしまったことは事実です。……本当に、ごめんなさい」

僕は雨に打たれながら、廉の顔をじっと見つめた。
分厚い眼鏡のレンズには水滴が絶え間なく流れ落ちていて、視界は最悪だった。でも、今の廉の顔だけは、なぜかひどく鮮明に僕の脳裏に焼き付いた。

彼の琥珀色の瞳は、雨のせいか、それとも他の理由からか、濡れてひどく深い黒色を帯びていた。いつものような氷の刃のような鋭さはなく、どこか怯えているような、拒絶されることを恐れる子供のような、そんな頼りなさそうな表情をしていたのだ。

僕の胸の中で、これまで別々の箱に入れられていた様々な感情が、激流のように混ざり合い、渦を巻いていた。

驚き。混乱。
どうして言ってくれなかったんだという、ほんの少しの怒りと悲しみ。
騙されていたことに対する情けなさ。

でも、それらのマイナスの感情をすべて塗り潰してしまうほどの、強烈で圧倒的な安堵感が、僕の体の中心から外側に向かって、光のように広がっていくのを感じていた。

すっと、何かのピースが完璧な形で合わさったような感覚。
廉とHAKUが同じ人だった。
僕に温かいミルクを淹れてくれた手と、僕の写真に美しい言葉を紡いでくれた手が、同じものだった。
僕を雨から守ってくれた腕と、僕の孤独な夜を終わらせてくれた言葉が、同じ人間の内側から生まれていた。

バラバラだった二つの優しさが、一つに繋がった。
僕を肯定し、僕を愛してくれたのは、最初からずっと、「琥珀廉」というたった一人の人間だったのだ。

「俺は、先輩の写真が好きです」

廉がもう一度、僕の目を見てはっきりと言った。
雨音に決して負けない、強い意志を持った声。

「最初にDMで言った『あなたの切り取る世界が好きです』という言葉も、本当のことだった。店で話したことも、バックヤードで先輩を壁に押し付けて言った言葉も、全部本当のことです。嘘はひとつもありません」

彼が言葉を重ねるたびに、僕の中の不安や恐れが、雨水と一緒に地面へと洗い流されていく。

「先輩が見ているその静かな世界が好きで。世界を誰よりも優しく見つめる先輩自身が好きで。先輩が心無い言葉で傷つくのを見たくなくて、先輩を守りたかった。……先輩の全部が、欲しかった」

僕は、雨の音を聞いた。
頭から冷たい雨を被りながら、世界で一番温かい彼の言葉を聞いていた。

「あなたの切り取る世界も、あなた自身も。……全部、俺にください」

廉の究極の執着と独占欲が込められたその言葉が、雨の中に重く落ちた。

それは、僕という存在のすべてを彼に明け渡せという、恐ろしいほどの強要だった。僕の過去も、現在も、写真も、感情も、すべてを彼の手のひらの上に乗せろという宣告。

でも、僕の胸の奥の一番柔らかい場所にその言葉が深々と突き刺さった瞬間、僕は、自分がずっとこの支配を、この絶対的な帰属を望んでいたのだと、はっきりと自覚した。

僕は、抱え込んでいたライカをゆっくりと手放し、雨に濡れた自分の両手を、廉の方へと伸ばした。

「……廉くん」
「はい」
「廉くんが、HAKUさんで……よかった」

僕の口から出たその言葉に、廉は一瞬だけ息を呑み、わずかに目を細めた。
彼の瞳の奥で、張り詰めていた緊張の糸がふっと解け、琥珀色が優しく揺らいだのが分かった。

「僕……HAKUさんにも、廉くんにも、まったく同じような、重くて苦しい気持ちを持ってた。現実の廉くんに惹かれているのに、ネットのHAKUさんにも依存していて。二人の違う人に同じような気持ちを持ってる自分が、どこかおかしくて、ひどく汚い人間みたいで……それがずっと、変だと思ってた」

僕は、喉の奥の震えを必死に抑えながら、自分の内側に溜め込んでいたドロドロとした感情をすべて吐き出した。

「でも。同じ人だったなら、変じゃなかったんだね」
「……」
「僕が惹かれていたのは、最初から最後まで、廉くん一人だったんだ。……廉くんが好きだっていうことに、本当はずっと気づいてた。でも、HAKUさんのことも好きで、それが自分でもおかしいから、どうすればいいか分からなくて。……でも、同じ人だったなら。僕の二つの『好き』は、間違ってなかった」

僕は、伸ばした両手で、廉のずぶ濡れの黒いシャツの胸元を、すがりつくようにぎゅっと強く掴んだ。
指先から、彼の心臓の力強い鼓動が伝わってくる。

「……廉くんが、好きです。ネットでも、リアルでも。……僕の全部を肯定してくれた、廉くんのことが、好き」

声に出して伝えた瞬間、僕の目から、雨水とは違う熱い雫が溢れ出した。
ずっと抱えていた重荷が下りたような安堵と、彼に受け入れられることへの歓喜が、涙となって止まらなくなった。

雨が、激しく降り続いている。
世界は相変わらず灰色のノイズに包まれ、僕たちはその中心で泥まみれになって膝をついている。

廉は、僕の告白を聞いて、少しの間、瞬きもせずに僕の顔をじっと見つめていた。
まるで、僕の言葉の響きを脳の奥底に永遠に刻み込もうとするかのように。

それから。

廉は、僕の肩を抱いていた腕に強い力を込め、僕の体を自分の方へと一気に引き寄せた。

「あっ……」

僕の体が前へと崩れ、再び彼の厚い胸板にぶつかる。
引き寄せられたまま、彼の顔が、僕の顔のすぐ近くまで迫ってきた。

鼻先が触れそうな距離。彼の熱い吐息が、僕の濡れた肌にかかる。
廉の大きな手が、僕の背中を抱え込み、もう片方の手が、僕の濡れた髪にそっと触れ、後頭部を優しくホールドした。

そして廉の唇が、ゆっくりと僕の額に触れた。

雨の冷たさと、氷のような空気の中に、彼の唇の信じられないほどの熱さと温もりが、僕の皮膚を貫いて直接脳髄を焼くように伝わってきた。

それは、激しい情熱をぶつけるようなキスではなかった。
額にそっと落とされた、祈りのような、誓いのような、ひどく静かで重厚なキスだった。
「これで契約は成立した。もうお前はどこにも逃げられない」と、僕の魂に直接烙印を押すような、絶対的な所有の証。

僕は、彼の唇の熱に打たれたまま、されるがままに目を閉じていた。
やがて、廉の唇がゆっくりと額から離れ、彼の額が僕の額にコツンとすり寄せられた。

「……先輩」

ひどく低く、甘く、そして恐ろしいほどの執着を孕んだ声が、僕の耳のすぐそばで鼓膜を震わせた。

「もう、どこにも逃がしません。誰にも先輩の写真を笑わせないし、誰にも先輩を傷つけさせない」

彼の手が、僕の背中をさらに強く引き寄せる。骨が軋むほどの強い力で。

「俺だけのものになってください。ずっと俺の隣にいてください」

その言葉は、もはや願いではなく、国王の命令のような絶対的な響きを持っていた。
僕の意志など関係なく、僕を彼という甘い檻の中に永遠に閉じ込め、二度と外界の冷たい空気に触れさせないという、病的なまでの独占欲。

でも、僕はその檻の扉が閉まる音を、恐怖ではなく、至上の幸福として聞き届けていた。
僕の壊れかけた小さな世界を、彼はその両手で完全に包み込み、外界から遮断してくれたのだから。

僕は、廉の濡れた胸の中で、彼の体の温度を感じながら、激しい雨の音をただ静かに聞いていた。
僕の世界のノイズをすべて掻き消してくれる、この美しい嵐の中で。

「……うん」

僕は、彼のシャツを握りしめた手にさらに力を込め、はっきりと言葉にした。

「僕の全部、廉くんにあげる。……だから、ずっと、僕のそばにいて」

僕のその答えを聞いた瞬間。
廉の胸の奥から、深く、本当に安堵したような、そして同時にすべてを手に入れた捕食者のような、長く熱い溜め息がこぼれた。

廉が、僕をもっと、もっと強く引き寄せた。
僕の体と彼の体の境界線が溶けてなくなってしまうのではないかと思うほど、強く、熱く、一つに結びつくように。

雨は、二人の姿を世界から隠すように、いつまでも、いつまでも降り続いていた。
僕の左の耳たぶを触る癖は、この時、彼の腕の強さに守られて、完全に鳴りを潜めていた。
もう、怯える必要はどこにもなかった。僕の世界は今、琥珀色の瞳をした美しい侵略者によって、完璧に、そして永遠に囚われたのだから。