父のノートパソコンを借り、母に電話で指示されるままにアプリをインストールする。テレビ電話を行う事ができるそのアプリは、開いたとたんに真っ暗な颯斗の顔を小さな窓に映した。母が予め用意した『会議室』に入り、遠慮がちに手を振る。画面の中の真っ暗な颯斗も遅れて手を振る様子が見えた。
「颯斗、逆光!パソコンひっくり返して」
手元のスマホからもパソコンのスピーカーからも母の声が聞こえ、颯斗は瞬時にスマホの通話を切った。颯斗は言われたとおりにノートパソコンを持ってテーブルの反対側に座った。小窓の颯斗の顔は不自然に赤いが、目や鼻の位置は確認できるようになった。
「カメラの位置わかる?目線の高さにカメラが来るようにあんたが下がるかカメラ上げるかしないと」
そう言う母の顔は明るく照らされており、颯斗がイメージするオンライン面談そのものだった。
書類審査を通過した颯斗に課せられた次の審査はオンライン面談だった。てっきりすぐに東京まで行って対面オーディションを受けるのだと思っていた颯斗は困った。ダンスを見せればいいのだと意気込んでいたのに、顔しか見えない面談では何を聞かれるのかわからなくて今から緊張してしまう。母はそんな颯斗の心配よりも映りの良さが大事だと言い、スマホで面談を受けようとした颯斗を止めてこうして学校終わりに予行演習をさせられている。
颯斗は床に座ってパソコンを見ているため、これ以上自身の身体をかがめることはできない。颯斗は席を立って通学鞄を引きずり、パソコンの下に教科書を積み上げた。
「どう?」
「まだ暗い」
颯斗はリビングで本を読み耽っている國吉の鞄から他の本を取り上げた。借りるよ、と一言声をかけると、んー、と生返事が返ってくる。國吉が持ってきたハードカバーの本を二冊ノートパソコンの下に敷くと、カメラは丁度颯斗の目線に追いついた。画面の向こうの母に「どう?」と再び聞くと、母が眉を寄せているのがクリアに見えた。
「ねぇ誰か来てる?」
「友達が来てる。見学で」
國吉は最近はまったという読書に夢中で、母子が通話を繋いでいる間声を出していなかった。それが突然、颯斗が國吉に話しかけたことで母の知るところとなった。
「ちょっと……挨拶させて」
母は硬い声で颯斗を急かす。颯斗は通話中に他の誰かが居たことを母に咎められるのではないかと内心ビクビクした。実のところ隠す気などなく、言う必要がないと思っただけなのだ。颯斗はカメラから離れて小さな声で國吉を呼び、本を閉じさせて國吉をカメラの前まで引っ張った。
母は國吉の姿を確認するなり「こんにちはー」と声を一段上げて満面の笑みを見せた。息子の友達を前に叱る気配はなく、安心する。國吉は目で颯斗に助けを求め、颯斗が指で画面を指差すと緊張した面持ちで自己紹介を始めた。
「はじめまして。石成小学校五年、居倉國吉です。十一歳です」
國吉が言い終わると、母も明るい声で「颯斗のママですーよろしくねー」と手を振った。もういいか、と颯斗が國吉の後ろからカメラに映り、
「もー、女の子が遊びに来てるのかと思って身構えちゃったー」
「はぁ?」
颯斗は目いっぱいに眉を吊り上げ、口を歪ませてカメラに近付いた。
「だってもー、遠くで女の子みたいな声するからー」
母はあっはっはっは、と高い声で大笑いする。笑い声を滲ませながら「あんた小学生とつるんでんの?」と無神経にも颯斗を揶揄う母に、颯斗は小学生時代の反抗期が蘇ったような心地がした。
「コイツも!アイドル目指してんの!!」
颯斗は憤って力強く言う。決して、島の他の子や同級生と馴染めていないわけでは無いのだと颯斗のプライドにかけて主張する必要があった。
「あ、もしかして動画の」
母も見ていたオーディション動画に國吉は映っている。そうだよ、と颯斗はぶっきらぼうに母の推察を肯定した。
「そっかー、國吉くんのとこのご両親はなんて?」
「……応援してるっぽいよな?」
颯斗はダンス教室の見学に来た時の陽気な女将さんの様子を思い浮かべる。國吉は颯斗がそう聞いても首を傾げるだけで、何も発さない。オンライン通話を前にひどく緊張している様子で、普段の生意気さは形を潜めている。
「旅館の息子。泊まったでしょ、ひさご旅館」
何も言わない國吉に代わり颯斗は説明した。母は「あー!なぁんだ、じゃあ二度目ましてだね」と頷き、キョロキョロするばかりで居心地が悪そうな國吉に「覚えてる?」と笑いかける。
「会ってたの?」
颯斗は國吉に聞いた。夏休みの頃、國吉が宿泊客の部屋に侵入して結果可愛がられたことを思い出した。あんなことを普段からやっているのか。颯斗は國吉を恥ずかしい奴だな、と小突いた。母は國吉にもう一度「よろしくねー」と手を振る。颯斗には「まだ画面暗いから電気つけてカーテンも開けて」と鋭い指示を飛ばした。
通話が切れ、静かで暗いリビングの中、國吉はパソコンに熱中する颯斗にのっそりと寄り添う。窓の外はオレンジ色で、空の上の方には紫色も混じる。パソコンの画面の光を顔に浴びた國吉は乾いた口を開いた。
「これ受かったらデビューなの?」
「ばか、審査はまだあるし全部通ってもデビューじゃないよ」
國吉は「ばか」と言われたことにむっとして颯斗の脇腹を突いた。颯斗は痛みを我慢して無視を決め込む。國吉の攻撃は同年代の男の子のふざけに比べると優しいほうだ。颯斗は時計をみて五時をとうに過ぎていることに気付く。カーテンを閉め、國吉に「もう帰る?」と問う。決して追い出そうとしているのでは無く、年上の友達として年下を気にかけているだけだ。だが、直前のやり取りが影響して颯斗の気遣いは國吉には伝わらない。颯斗から返された本を片付けることはなく、体育座りで颯斗を見上げた。
「東京に帰っちゃう?」
「は?俺が帰るとしたら横浜だけど」
「横浜って東京じゃないの」
「神奈川だよ学校で習うだろ」
四十七都道府県を覚えさせられるのは何年生の時だっただろう、と考えるが、やはり颯斗は間違っていないはずだ。小学校五年生なら既に習っている。
「じゃあさ、しんさ?は東京?」
國吉が寂しそうに丸い瞳で颯斗を見上げる。半年前からアイドルになると颯斗に豪語した國吉が未だに情報に疎いことに颯斗は次第に可哀そうになる。自身の進路が順調な優越感も相まって、颯斗は國吉を見下すのをやめた。体育座りの國吉の正面にしゃがみ、尻を着けてごろんと足を伸ばした。
「いいか、審査は東京。いつになるかは知らない。所属したらレッスン通わないといけないから四月から横浜に帰る」
「えー」
「人の夢が叶うんだから喜べよお前」
颯斗はわかりやすく、颯斗自身の野望も混ぜながら説明する。國吉相手に「もし通れば」とか「できれば」なんて弱弱しいことを言う気はなかった。颯斗は自信もあるし、チャンスがまだあることもわかっているからだ。
「いいなー東京つれていってよ」
國吉はそんな颯斗の熱の入った構想には見向きもせず、のんきに颯斗の脚に自身の足を重ねる。
「ダメに決まってるだろ、遊びじゃないんだから」
颯斗も國吉の白い靴下に踏まれた足を引き抜いて小さな足を踏み返した。
「新幹線乗るのはじめてー!」
颯斗は駆け出そうとする國吉の身体を抑えた。休日が始まる前日の夕方で人はまばらだ。寂しいプラットフォームに響く國吉の声に、周囲にいた大人が二人に目線を向けて笑う。颯斗は恥ずかしさで声が出ず、人が見えた方向の四方に浅く頭を下げた。新幹線は中学生から大人と同じ料金だ。颯斗は切符に印字された金額にショックを受け、大人として國吉を見張っていないといけない責任で緊張していた。
ビデオ通話での審査を通過した颯斗は次の対面審査のため、三連休の間横浜に帰ることになった。休みの時間を実家で過ごし、オーディションがあるその日だけ東京に出る予定だ。
國吉がついてくることになった経緯について颯斗はよく知らない。母は、颯斗にとって実家である横浜の家に「國吉くんも来ていいよ」と言うし、父も「だって仲良いだろう?」と言ってのける。島の人達の中ではそんな友達ごと家族ぐるみの仲があるのだろうが、果たして棚橋家はそんな習慣があっただろうかと不思議に思う。颯斗も最初こそ旅行気分の國吉がついてくると知って抵抗したが互いの両親が認めたのもあって最後には諦めた。学校が終わってすぐ船に乗り、行きの新幹線で國吉の面倒を見たら、あとはオーディションに集中するだけでいいのだ。
落ち着かない國吉の手を握り、指定の席まで一直線に早歩きをする。颯斗が新幹線に慣れていたとして、大人がいないのは不安なものだ。
新幹線が出発してすぐ、颯斗は二人分の弁当を取り出した。勝手を知らない國吉のため、前方の席に折りたたまれている背面テーブルも出してやり、弁当を乗せる。簡単に使い捨て容器にパックされた弁当だが、内容は悪くない。ひさご旅館の人が用意してくれたとかで、船に乗る前ニコニコとした女将さんに菓子折りと一緒に持たされた。その時はなぜ國吉に持たさないのかと思ったが、今は納得だ。國吉は座ったとたん靴を脱いで、自身のリュックを足元におろしその上に足を乗せる。こんな奴には食べ物を預けられない。
周囲の静けさに合わせて無言でおかずを頬張っていると、通路を挟んだ隣の席のおばちゃんが話かけてきた。
「こどもらだけね?」
颯斗は一体何を聞かれているのかわからず、咀嚼するふりで数秒稼いだが、それが島に近い言葉遣いで「大人は一緒じゃないのか」という意味だと気付いた。
「はい」
「ほーね、えらいねー。お兄ちゃん頑張ってねぇ」
おばちゃんはそれだけ言って座席を倒した。それ以上の話をする気は無いようで、目を閉じてじっとしている。
颯斗の脳裏にあの気味の悪いコメントが過った。颯斗は二歳年上の年長者として國吉を無事に横浜の家まで連れて行かなければならないのだ。その責任があるのだ。ここは年長者らしく國吉に警告する必要がある。
「お前、可愛いから気をつけろよ」
だが、颯斗にはそれらしいことを伝える語彙が無かった。当然意図を汲めない國吉は変な顔をして身を引く。
「えぇ?はやちゃんに言われても嬉しくないよ別に」
照れる素振りまで見せる國吉。颯斗は伝わらないことに辟易して、褒めてるんじゃなくて注意してんだぞ、と凄む。かわいくねーな、と愚痴まで漏らせば國吉は途端に笑みを仕舞って颯斗の足を蹴った。
「っいった!」
静かな車内に颯斗の声が響く。颯斗は口を押え、腰を浮かせてあたりを見回した。幸い誰も颯斗の方に注意を向けたりはしておらず、隣のおばちゃんでさえも騒音を気にした様子はない。
「なんだよ人が心配して言ってんのに」
窓を向いてツーンとする國吉に颯斗は小声で対抗した。國吉はすっかり拗ねて颯斗を無視してしまう。これは困る。これから颯斗の横浜の家に向かうというのに、目を離した隙にすぐ迷子になってしまいそうなクソガキにいう事を聞かせられないとなると責められるのは颯斗のほうだ。颯斗は蹴られた仕返しとばかりに國吉の腹をくすぐった。驚いた國吉はドカ、と肘をレストアームにぶつけて顔をしかめる。だが腕の痛みに気を取られるのもつかの間だ。笑い声が出ないようにクスクスと音を忍ばせて座席で暴れ始める。擽っている側としても國吉が笑っているのか苦しんでいるのかわからない。國吉が疲れ果てたところを見計らって颯斗は漸く手を離した。國吉はぐったりして反抗する気をなくし、颯斗が労うように肩に手を置けば、これまた許すようにその上に手を重ねた。
目を覚ました時は名古屋を過ぎていた。窓の外は暗く、新幹線が走る音がやけに大きく響いて感じられる。國吉も寝ていることを確認してトイレに立った。先客がいて、戻るまでもない颯斗は壁にもたれかかってスマホを弄った。しかし移動中の新幹線はインターネットが上手く使えない。片っ端から反応がありそうなアプリを立ち上げて時間を潰す。インターネットが少し動いたその時、颯斗が開いていたのは動画投稿アプリだった。手癖で自身が投稿した動画のコメント欄を開く。あの気味の悪いコメントには未だに誰も反応しない。颯斗は最早見慣れてしまった『砂ついた足舐めたい』という文字列を無感情で確認し他の動画を探る。案の定インターネットが弱い環境では動作が重く、何もできやしない。丁度よくトイレのドアが開き、反射で隠すようにスマホを仕舞う。出てきた人の顔も見ることなく入れ替わるようにドアに身体を滑り込ませた。
眠気眼の國吉のリュックを持ってやり、横浜駅で降車した。母に「ついたよ」とメッセージで連絡すると一秒もかからず既読の印が現れる。顔を上げて遠くを見れば改札を通る前から母の姿が見えた。会えたのが嬉しくて早まる気持ちで改札を抜けたのに、いざ腕を開いて歓迎する母をみて恥ずかしくなった。歩くスピードが落ちた颯斗に代わって母が歩み寄る。國吉が隣にいるのに母は構わず颯斗を抱きしめた。母はそのまま國吉も抱きしめて「よくきたねー」と、まるで親戚のおばさんのような声掛けをする。國吉は喜んでいるが、颯斗にはそれが気まずい。
母の大きな車に乗って十一か月振りに実家に戻る。母の運転する車に乗ること自体も久々で、慣れた芳香剤の匂いが心地よかった。
家につくと國吉のテンションは持ち直したが、既にリビングに用意されていた布団をみるや否や飛び込んで蹲る。時間も時間で、相当眠いのだろう。
「お風呂も明日でいーよ。あ、颯斗は入ってよ。アンタくらいの年の子が一番汗臭いんだから」
「はぁ?」
母の言葉に苛立つが、強くは言い返せない。うとうとしているが國吉の前であるし、母は今回の旅の協力者だ。颯斗はそれ以上の反発を飲み込んで、もともと清めるつもりだった身体で渋々浴室に向かった。
翌日の朝、颯斗はもう一度風呂に入る羽目になった。家の勝手を知らない子供をひとりで浴室に放り込むわけにはいかず、颯斗が國吉を見るしかないのだ。颯斗は先日の夕方から突然手のかかる弟ができたような心地で國吉の身体を洗った。二歳しか違わないのに、とすっかりお兄ちゃんにされた颯斗は國吉の頭にざばーとお湯をかけて鬱憤を晴らした。幸い聞き分けのいい國吉は泡が目に入った、だとかもう上がる、などと言わない。颯斗は次第に「こんなに大人しいなら弟にしてやってもいいか」と思い始める。國吉の我儘が叶って横浜まで連れてくることになったということはもう颯斗の頭から抜けている。
「水族館はじめてー!」
國吉は颯斗の手を解いて小さな水槽に顔を近付けた。瀬戸内海から来たのだから海など見飽きているだろうと思ったが、國吉は海の生き物が好きなようだった。そういえば、とウミウシを素手で触っていた國吉を思い出した。颯斗の意識の中ではもはや怖くて気持ちの悪い生き物だったので國吉がそういう生き物が好きかもしれない、という発想ごとなかった。ちゃんとした水族館につれて行ってあげればよかったね、と母が目を合わせてくる。颯斗も同じように思った。暗くて静かで、イルカもサメもいないような小さな水族館でこれだけ喜べるのだから。
水槽の奥に書かれている文字を一つ一つ丁寧に読んでいく國吉の背中を見て颯斗は、本当に読めているのか、とからかいたくなるのを抑えた。近頃國吉は中学生の颯斗でも読まないような本を読んで過ごしていた。どこまでいってもそれは児童書ではあるのだが、文章ががみっちりと並ぶ本は一律読めない颯斗からするとそれはすごいことで、もうそんな種で國吉をからかってもきっと楽しくはなれない。
別段に魚にも水槽の奥の格言にも興味がわかない颯斗は暇になり、スマホを取り出す。ふと、國吉の写真をとっておいてやろうと颯斗はカメラを起動する。液晶越しに國吉を捉えた時には一体何をそんなに見るところがあるのか、やけに真剣な様子だった。横顔をカメラに収めようとする颯斗など意識の外で、水槽から漏れ出る灯りが國吉の瞳や頬を照らしている。
11月の終わりともなれば夕方になると少し肌寒い。颯斗は薄着をしてきたことを後悔した。國吉は温かい気候で育ったせいか寒がりで、朝からずっと紺色のブルゾンを手放さない。颯斗と母にとっては慣れた道を歩いて建物内に入った。國吉と母と会話を挟みながら駅に向かうためのルートを進んでゆく。途中、ひどく明るい場所があり、國吉も興味を惹かれたようだった。どうしても通りかかる場所なので颯斗もそちらを見ながら歩いていた。少しだけざわざわとした空気が漂っていて、今日もその場でなにかしらの催しをやることがわかる。
なにあれ、と國吉に服の裾を掴まれる。
「ああ、歌うんじゃないの」
颯斗は遠くに見えたポスターから得た情報を口に出す。三連休なのだ、こういった催しをやっていても、不思議はない。だが、國吉にとっては衝撃だったようで、どうしても、といった様子で手すりに近付こうと颯斗を引き留めて引っ張る。
「本当に?アイドルってこと?」
「知らないけど。そうだと思う」
「見ないの?」
「だって知らない人だし」
「でも芸能人だよ」
芸能人、とは違うのではと颯斗なら思うが、國吉は準備中で未だ空っぽのステージに興奮していて動く気配がない。颯斗は目で母に助けを求めた。
「見ていく?いいよ」
「えぇ…」
母と國吉は、気乗りしない颯斗を置いてけぼりにして二階の手すりからまだ何も始まっていないステージを見下ろした。ステージのすぐ前のパイプ椅子には既にお客さんがぎっちりと座っていて、女性客が多いことから待ち望まれているのが男性グループだと悟った。いつかここに立つのだと思っていた日もあったし、そんなことをするような事務所よりか、もっと手厚いところで花咲たいと野望をもっていた日もあった。今の颯斗はどっちなのだろう、と観客を見下ろしながら自問自答する。
まだかまだかと期待する國吉の前に、漸くそのグループが登壇した。音楽と共に出てきた彼らが位置につくと、待ち構えていたようにすぐさま別の音楽が鳴る。彼らは掛け声も挨拶もなしに突然踊って歌い始めた。女性客たちの息の揃ったコールと、メンバー全員の振りがピタリと揃ったダンスから、彼らが決して結成して日の浅いグループでは無いのだとわかる。
一曲が終わり、メンバーは初めて挨拶をして、立ったままMCを始めた。誰かがボケて、誰かが笑って、誰かがツッコミをして、賑やかなグループだった。客たちもよく笑っている。それらが本当に面白いのかは、颯斗にはわからない。ファンである彼女らにとってはきっと面白いのだろう、と思うしかない。そんな内容であるのに、國吉は手すりにしがみついて一生懸命にアイドルを見ていた。
すごかったねー。すごかったねーあのひと。
電車の中で、國吉と母に席を譲ってその正面に張り付ついた。颯斗の前でリュックを抱えて座る國吉は、熱に浮かされたように延々と颯斗に語りかけてくる。
國吉の相手がめんどくさくなった颯斗は相槌の種類が尽きて、ついに、「國吉もいつかあの場所で踊るかもな」と返す。颯斗の言葉に國吉が黙る。静かになった國吉が不思議で颯斗は目の前の國吉を覗き込んだ。颯斗は不安になった。大きな事務所に所属するアイドルにはやっぱり縁のない舞台だ。例えばA-RISEなんかはデビュー当初からあんな小さなステージで踊ったことはない。國吉にそんな知識があるわけがないと頭では分かっているのに、颯斗は國吉を低く見積もっているわけではないのだと咄嗟に言い訳の言葉を紡いだ。
「まだ可能性の話な」
腰を少しかがめて國吉の膝に自身の膝をコツンとぶつける。國吉は膝を見て、そして両手で吊革を掴んでいる颯斗を見上げた。それは放心しているようにも見えた。
「そっか」
おどるんだ、あそこで。
國吉は大人びた声で呟いて颯斗に笑いかける。颯斗の背によって國吉の顔には影が落ちていた。
夕食は颯斗の要望でファミレスに寄ったので帰ってきて真っ先にお風呂に入る。本日二度目だ。でも翌日の最終選考に向けてしっかりと浴槽に浸かった。一緒に入った國吉を先に上がらせて温かい湯の中で身体を解す。颯斗は緊張で胸が痛いくらいだった。夕方、知らないアイドルのステージを見てなんとも思えなかったのがウソのように心臓がばくばくとしている。
前日と同じようにリビングに敷かれた布団で二人並んで眠った。國吉は今日に限って眠くならないようで、灯りを消す前から忙しなく寝返りを打っていた。
「はやちゃんは明日アイドルになるんだよね」
暗闇の中國吉のとんちんかんな問いに颯斗は適当に「うん」と返した。自分の緊張で手一杯だ。國吉に教えるのはまた今度でいいだろう。
「ぼくもなるよ」
國吉はひとりで盛り上がっている。掛け布団にくるまって颯斗の方に身体を向けてもぞもぞと身体を揺らした。何も返さない颯斗のせいでしばらくの沈黙が続いた。もう寝られそうだ、というまどろみの中、隣の布団が再びもぞもぞと動いた。
「あしたがんばってね」
最後に聞いたのは國吉の囁き声だった。明日が勝負の颯斗の眠りを邪魔していけないという認識はもっていたらしい。
