気がしぼみそうな颯斗は、やる気のなかった動画オーディションをやるしかなかった。なにか夢に、未来に繋げられることをしていないと喚いて全てをめちゃくちゃにしてしまいそうだった。務めて冷静に、へらへらと笑って國吉に「動画オーディションそろそろ撮るか!」と持ち掛けた。
國吉はまた生意気にも「いいよ」とクールに返事をする。颯斗にはもうこの『クソガキ』に突っかかる気力も無い。自分ひとりなら絶対にやらないようなことだから、國吉のためにやって、おまけで自分の姿の動画に残せれば十分だ。二次審査への道が閉ざされてからやっと、先生の言った「動画は鏡より真実、動画の君らが実際に周りに見えている姿」という言い分に納得ができた。ただ、先生が勧めてくれた日から結構時間が経っている。締め切りが近いのもあり、次の日が土曜であるのをいいことに明日もう一度ここに来い、と國吉に言いつけてから解散した。
颯斗は次の日、制服でその場に現れる。國吉は颯斗より早くそこに居て、停めた自転車のペダルを回して遊んでいた。颯斗は國吉を見つけると錆びた自転車を降りて慣性を使って自転車に引っ張られるように走る。
「お前その服しかないの?」
「なんで中学の制服?」
二人は互いの装いにケチをつけてから動画撮影の計画を練った。ダンス上手さがよくわかる振り付けを選ぶのはもちろんのこと、動画として見ごたえのある景色を映すことが颯斗の作戦だ。どうせ踊れない人も投票に参加するのだから、と目を引く色彩にすることに舵を切る。颯斗が希望する景色は海だ。島で育った國吉なら、どこかいいところを知っていてもおかしくない。もしどこにも当てが無いというのなら連れ回して探す気力はあるし、最終手段の撮影スポットも頭にある。
「海が見えるとこしらない?」
「どこからでも海は見えるよ」
「ばか、景色がいいとこを聞いてるんだよ」
颯斗はスマホの画面を國吉に見せつけ、昨日見つけた『海の景色の画像』を示す。国も知らないその場所の景色にはカラフルな家がひしめく街並みと絵画のような青の海が映っている。國吉はその景色に顔を顰めて「こんな家ないよ」と颯斗を見上げる。颯斗は呆れた。探しているのは海だというのに、なんと物わかりの悪い子供だろうか。二歳下の國吉に怒るのを我慢して颯斗は要望を明確に説こうと試みる。しかし國吉はとうに颯斗の説明に飽きて、「旅館に聞きに行こう」と言い出した。せっかく集合場所をダンス教室の前にしたのに、こいつは家に帰る気なのか、と颯斗はさらに呆れた。それでも、國吉が機嫌を損ねて離脱しても一人ではオーディション動画を撮る気にならないので反発しなかった。
「じゃあ、それでいいよ。旅館まで案内して」
「一回来たのに道覚えてないの?」
颯斗の目には再び國吉の頭にいつか貼った『クソガキ』というシールが見えた。道を正確に覚えていたわけでは無いが、「その家の人がその場にいる場合は礼儀として、案内して、と言うものだ」と思う。それも口から出かかって、颯斗は我慢した。國吉とするそのばかばかしいやりとりの全ては颯斗自身が二次審査に参加すらできない悔しさに比べればどうってことのないものだ。それを我慢しなければならないのだから、これくらいは我慢できる。そう思う度大人になれるような気がした。
國吉は自転車に飛び乗って「ついてきて」と駆け出す。元気に先陣を切る國吉の背中を颯斗は追いかけた。
二度目のひさご旅館は四ヶ月前より活気があって忙しそうだった。國吉は騒がしい表を放って寂しい裏へ周り、人目につかない場所で自転車を停める。颯斗が口を開こうとすれば、口に指を立てて「しー」と声に出した。子供仕草に颯斗は笑いを堪える。
國吉が靴を脱いで音もなく縁側に上がるのに続いて颯斗も上がりこむ。忙しいのはわかるが、隠れる必要があるのだろうかという疑問も、國吉の迫真の「しーっ」によってかき消された。
抜き足差し足で廊下を進み、人の声がする障子の一歩前で國吉は立ち止まる。部屋の様子を伺っているようで、障子から姿が透けないよう、慎重に壁に耳を近づけた。颯斗もその場から聴こえる人の声に集中した。特に耳を澄ませずとも複数の男女の声がするのがわかった。
國吉は颯斗を廊下にとどめ、単身でその部屋に乗り込んだ。よく滑る障子をススス、とあけて、「こんにちはー」と部屋に滑り込んで行った。
颯斗は開いた障子の隙間から部屋の隅に重ねられたスーツケースを見た。國吉は旅館に泊まっている客の部屋に潜り込んだのだ、とそこで漸く気付く。颯斗には田舎の旅館の勝手など知らないが、國吉がここまでひそひそ移動していたことからそれは決して褒められることではないのだろう。それは部外者の颯斗も例外ではなく、ここの大人たちに國吉諸共注意をされかねない。。國吉に黙って自転車を停めた所まで戻ろうかと迷ったが、颯斗の心配をよそに宿泊客の國吉を歓迎する声が響いてきた。
「まぁ~、あなたがくによしちゃん?」
少し訛った年配の女の人が感嘆する。
「こう見るとちいさいねぇ、こんな子が立派なもんだ」
男の人がそう言った後、ぱんぱん、と体を叩く音がした。國吉が背中やら肩やらを貸したのだろう。
「いくつ?」
また別の女の人が聞く。國吉はいつもの子供っぽい高い声で「十歳です」と返事をした。そのすぐ後に廊下の向こうから人の足音がした。颯斗が隠れている障子の前まできっと来るだろう。颯斗は慌てて庭に飛び降り、この場を仕切る大人から見つからないようにしゃがんだ。靴下が汚れるのも構わず、暗い縁側の下に身を収める。あの女将さんの凛とした声が頭の上からして、続いて障子を開ける音もした。女将さんが部屋の中に入ってしまうと見つかった國吉が怒られるかもしれないと思うと、颯斗一人で逃げてしまうことができなかった。砂利に手をついて上から聞こえる声に集中すると、やはり、女将さんは國吉が宿泊客の部屋に居座っていることを咎めているようだ。だが客の前であるためか、普段から國吉には甘いのか、女将さんの「ごめんなさいねぇ」という籠った声が縁側の下の颯斗に届いた。今この場で叱るわけでは無いらしいと踏んだ颯斗は身体の半分を庭に出して部屋の中の声を聴いた。
「ねぇ海とか見に行かないの?きれいだよ」
國吉のその声だけははっきりと耳が拾う。颯斗には最初から國吉がふざけているようにしか思えなかったが、どうやら作戦が作戦があったようだ。
「海ねぇ、そうよね。どこかいいところはあるかしら」
宿泊客はまんまと國吉の提案に乗る。颯斗の質問にも答えられなかった國吉がその回答をするわけも無く、話を繋がなければならない女将さんはすらすらと案内を始めた。
「高台でしたら四国までよおくみえますよ。カフェミサキのオープンデッキから皆さん写真撮っていかれますから。港からの景色もおすすめですよ。朝だと市もやってるんですけどねぇ、田舎なもんですからはやーく終いますけど」
颯斗は期待していたような情報では無いな、と思いつつ、女将さんが挙げた場所の名前を頭にメモした。そこまでの道は國吉が知らないはず無いだろうと決めつけた。
「映えるよ」
國吉が口を挟む。すると宿泊客は声を揃えてどっと笑った。
「最近の子はやっぱりそういうの気にするのねぇ」
「かわいいー」
女の人の声が重なって場を賑やかにする。女将さんのよく通る笑い声も混ざって、もう勝手に客室に潜り込んだ國吉が怒られる空気にはならなそうだと颯斗はほっとした。颯斗は怒られる心配がなくなった國吉を置いて、今度こそ自転車を停めた裏口に戻る。砂利につけてしまった足で廊下に戻るわけにはいかず、小石の鋭さを足裏で受け止めながら靴を脱いだ場所までこそこそと歩いた。
自転車を停めたまま跨って意味も無くペダルを漕いでいれば、國吉は戻ってきた。國吉があの場から抜けるにはもっと時間がかかると思っていたのに、颯斗が想像するより早かった。「おかえりー」と言えば、國吉がまた「しーっ」と眉を歪める。かかとを靴に収めるのもそこそこに國吉は自転車に乗って敷地から出ていった。颯斗もタイヤの後ろのスタンドを蹴って國吉を追いかけた。
旅館からしばらく走って、スピードを落とした國吉の背中に向かって叫ぶ。
「カフェミサキってどこ?」
國吉は颯斗の声に反応して自転車から降りた。無言で山の上の方を指して颯斗に近付く。指の先は木の緑と家がまばらに建っているものしか見えず、颯斗は「連れってって」と急かした。
自転車で登るにはきつい坂を駆けて、数十分、二人は白い壁で塗られた飲食店っぽい建物についた。少しの間だけだと言い訳してその敷地内に自転車を停める。カフェに入ろうとする國吉の肩を引き寄せて周辺の景色を確認した。確認したわけでは無いが、颯斗の見立てではカフェの中から見える景色と屋外から見える景色は同じだ。踊っている動画を撮るのだから、迷惑が掛かる屋内ではできない。汗ばむシャツと肌の間を風が通り抜け、七月の暑さで熱を持った体を宥める。少し歩けば、女将さんの話の通り、四国まできれいに見える場所を見つけた。しかしそこには手すりが設けられ、その先に乗り出しても踊れるようなスペースは無い。颯斗は國吉にスマホを預け、手すりの内側に立って軽くステップを踏んだ。國吉が撮った録画はめちゃくちゃで、手振れはひどく、颯斗の頭のすぐ上で景色が切り取られている。これでは景色のいい場所に移動した意味がない。颯斗は國吉を手すりの前に向かわせて今度は自分がカメラを構えた。
「軽くでいいから踊って」
國吉は黙って迷っていたが、ダンス教室で習っている曲の振り付けを歌いながら披露した。國吉がまだ踊っている最中に録画を停止する。雲の隙間から日が差し島をスポットライトの如く照らしているのが、動画に映っている。珍しい天気が撮れたと颯斗は薄々気付いていながら、やっぱりこの場所は気に入らない。高いところは景色がいいが、一様にして手すりがつくものであるし、海が遠く色も薄い。。國吉に「いくよー」と声をかけて一か所目の撮影を切り上げた。
國吉はその後女将さんがおすすめした順に港に案内してくれたが、颯斗は港も気に入らなかった。海がきらめいて綺麗で、いまにも漁師がひょこっと出てきそうな背景はインパクトがあるが、颯斗の狙う意図とは違う。もっとちゃんと綺麗な場所で、明るくて、周りからそんなところに住んでてうらやましいと思われるような背景を映さなければ。
國吉が身を挺して手に入れた撮影スポットの情報にケチをつけていく颯斗に國吉も疲れ始めた。もう普通に海で遊ぼうよ、と動画を撮るという目的すらも投げ出して自転車のサドルに縋ってしゃがみ込む。颯斗も計画通りにことが運ばず疲れていた。都会とは違う辺鄙な島なのだから、もっと人の手が入っていない神秘的な撮影スポットがごろごろあるのだと思っていた。しかし実際は、海がよく見える崖には手すりがあり、景色のいい場所には景色を独占するための家がある。
二次審査にも行けず動画オーディションまで諦めてしまうときっと悔しさで頭がおかしくなってしまう、颯斗はそう思った。
「いいよ、海行こうよ…」
颯斗の焦りと裏腹に口からは情けない声が出る。七月の暑さはもはや、小学生と中学生になったばかりの子供には耐えられるものではない。カラカラとなる自転車を引いて颯斗は海の方角へ向けてとぼとぼ歩き始めた。國吉は少しの元気を取り戻して、颯斗を自転車で追い越した。
「こっち!」
汗で髪が貼り付く頬で國吉が後ろの颯斗を振り向く。颯斗が自転車に乗る数秒間も待てない國吉はそのまま海辺を駆け抜けた。太陽は見上げる位置にあるが、もう夕方と言っていい時間だ。誰かが住んでいるとも思えない寂れた家と家の間の細い道を國吉は縫ってゆく。
「どこいくんだよ」
ぴったりと後ろについて背中に投げかけても、國吉は走るのに夢中で返事もしない。どんどん遠ざかる生活圏に後ろ髪を引かれながらも、必死に追いかけた。こんなところではぐれては帰り道も定かではない。長い長い細道を抜けた先はだだっ広く何もない開けた駐車場で、道路らしきものは見えないが、車も入れるような道もどこかに繋がっているらしい。國吉はそちらには目も向けず駐車場を突っ切って自転車を走らせた。そのまま人の家の庭に入り込んで近道をしようとする。
「やめろよ入るなよ」
ここに来るまでも人の敷地ではなかろうかと思えるような道は通ったが、さすがに今回は見逃せなかった。その家の塀に囲まれた庭は、盆栽が並んでよく手入れがされており、家自体も日本家屋ではあるが周辺と比べると立派で小奇麗だった。間違いなく人が住んでいる家だ。
國吉は颯斗の制止に足ついて自転車を止めるが、一瞥してそのまま自転車を押して歩いた。乗るなという意味ではない、と颯斗は呆れるが、直後、「くによし、きーたーよー!」と國吉が大声を響かせた。颯斗はぎょっとするが、國吉の知り合いの家だという可能性に賭け、自転車を降りて自身も庭に入った。國吉に並んで縁側を覗き込めば、奥から「はいはいはいはい」とちゃきちゃきしたおばちゃんの声が近付いてきた。おばちゃんは年こそ取っているが颯斗の知る、のんびりして足取りの遅い高齢者とは印象が異なる。日に焼けて骨と皺だけの首から下を隠す花柄のシャツが障子を開けて二人を出迎えた。
「いらっしゃいもー夏休みかほいで自転車で来たんか暑かったろうに」
おばちゃんは颯斗が挨拶する暇も与えず喋り倒す。息継ぎの間に何度か軽く頭を下げると、彼女は知らない顔に気付いた。
「クニちゃんの友達じゃね麦茶あるよ飲んでいきんさい熱中症なったらかなわんでわたし怒られてしまうわほれこっからあがりい」
國吉がわが物顔で縁側に座る。てっきり靴を脱いで上がるのかと思ったが、國吉は履いたまま足をぷらぷらさせて麦茶が運ばれて来るのを待っていた。中学校の制服まで着てきている颯斗は初めての知らない人の家でそんな態度を取るわけにもいかず、麦茶が入った冷水筒を片手に、コップ二つをもう片手に持ってきたおばちゃんに「ありがとうございます」と言うまで座ることをしなかった。
「クニちゃんもう中学生になったんかもーあっという間じゃこの歳になるとなんでも」
颯斗の制服をみて勘違いしたおばちゃんを、國吉は「ちがうよ」と冷たく遮った。
「棚橋颯斗です。國吉くんとは習い事が一緒で」
颯斗がかしこまって言えば、國吉が「はやちゃんは中学だけど僕は小五だよ」と横やりを入れた。
「ほうかいね、あんたまだ五年生ねどうりで小さい思うたわ」
おばちゃんは先程と意見をころりと変えて笑う。
「棚橋さんかぁ知らんなぁごめんねぇ」
颯斗からすればこんなに家が離れていれば知らなくて当然だと思うのだが、この人にとってはそうでは無いらしい。だがそれ以上掘り下げることもなく、「ゼリーもあるよ」と、柱を支えによいしょと立ち上がる。颯斗はそこまではしてもらえない、と「いえ」と断るが、おばちゃんには届かない。コップから口を離した國吉が「あとで食べる!遊んでくる!」と叫んでやっと、おばちゃんは「ほうね」と納得する。國吉は縁側から飛び降りて庭の反対側に走る。颯斗は國吉が向かった方角を確認してから「麦茶おいしかったです」と部屋の奥で冷水筒を冷蔵庫に納めるおばちゃんに向かって声を投げた。
ずっと水分を取らずに駆けまわっていた二人に麦茶は助かったが、あまりに急で勝手な行動だった。海で遊ぶというから、近くの海岸に降りるのかと思っていたのに、こんな遠くまで来てしまった。中学生の颯斗はまだしも、小学生の國吉なら本当はもう遊ばずに帰った方がいい時間だ。國吉を探しに庭の反対側に出ると、眼下に広い海と大きな岩が広がった。そこに続くらしい急な階段が、國吉が駆けていった痕跡をこのしている。颯斗はポケットに入れたスマホを服の上から握りしめ、滑り落ちないよう慎重に階段を下った。降りた先の視界は岩に阻まれ、その岩の高さも颯斗の身長の二倍はある。足元は既に砂浜で、その先に小さなビーチがあることは明らかだった。波の音が岩にぶつかり、岩から岩へ共鳴して大きな音となって颯斗を包む。そのまま海へ出るのが惜しくなり、颯斗はその場でスマホのカメラを構えた。岩の影になった所へスマホを向けると、水面が太陽の光を反射して岩肌に網目のような模様を映しているのが液晶越しでもはっきりと映った。颯斗は迷わずかがんだままシャッターボタンを押す。前日に調べた海の写真のどれよりも優れた景色だ、と颯斗は興奮した。しかし日中動画ばかりを撮っていたカメラアプリは動画モードのままで、颯斗が押したと思ったシャッターボタンは録画開始ボタンだった。カシャ、という音の代わりに、ポーンという合図をスマホが鳴らす。そんな人工的な音さえも岩は律儀に音を反響させるので、颯斗は感嘆で開いていた口を慌てて閉じた。このまま夕日が差し込むビーチに歩いて行けばすごい映像が撮れるかもしれない。颯斗は腰を落としたままゆっくりと身体を捻って岩の間から海へ出ようとする。右から誘ってくる太陽光に向かって歩こうとしたその時、岩の向こうから少年が現れた。颯斗は噤んでいたはずの口から反射的にうわっ、と声が漏れ、スマホを揺らしてしまう。少年は「はやちゃんなにしてんの」と遅くなった撮影者をじっとりと責めるように見つめる。液晶に気を取られて中腰のまま動けない撮影者は、「こういうの探してたんだよ今日」とぼそっと放った。國吉の姿を捉えて我に返った颯斗はそこで録画停止ボタンを押した。
「どういうの?」
「ほら、岩に海が映ってきれいじゃん。すごくね?ほら」
颯斗は撮影を始めたポイントから岩壁を指差した。國吉には颯斗の感動が伝わらないのか、いつもの声色で「それ、きれいだよね」としか反応しない。
「俺こういうの探してたんだって。ここで動画撮ろう」
「これ海じゃ無くて岩だけどいいの?」
「いい。暗くなる前に早く」
颯斗はまだ新しくて大事なスマホを岩壁の反対側の石に立てかけ、砂浜に少し差すように押し込んだ。アプリを立ち上げ、いつかの日にお気に入りリストに入れていた琥珀一途の曲を音源を選択する。岩壁に國吉を立たせ、二人分のスペースが確保されるようにレンズの広角も広げた。「振り付けどんなのだっけ?」とのんきな國吉に、「なんでもいい!適当で」と投げかけて、録画ボタンをタップした。岩壁に走り、國吉に並んで踊り始める。岩と岩にこだまするのは颯斗の好きな曲だった。当然振り付けも知っていて、どこが見せ場なのかも分かっている。適当でめちゃくちゃな振りを踊る國吉を横目に、颯斗は振りの途中、カメラに向かってこっそりウィンクをした。颯斗が憧れる琥珀一途のメンバーが、歌番組で同じようにウィンクしていたのを見たことがあった。その歌番組を見た日から数年後の今日まで、颯斗はそれになりたくて仕方がなかった。琥珀一途というアイドルが颯斗の目標を決めた。あんなに渋っていた動画オーディション用の撮影が、今はこんなにもワクワクする。撮影が終わったことを知らせるために曲がループを始めるまで、颯斗は夢中になっていた。撮れた動画を確認するために膝を曲げてスマホを手にとった時、ついに自転車で駆けまわった一日分の疲れがどっと押し寄せた。颯斗は撮れている動画が決して出来栄えのいいものではないことを半ば承知して保存した。
「ここって誰かの敷地?」
「しらない」
「明日もここに来れる?」
「いいよ」
颯斗は秘密基地を見つけたような心地で空を仰いだ。こんな秘境をオーディション動画に使えるやつはそうそういない。撮影前の場所選びから選考は始まっているのだ。既に合格を言い渡された気で颯斗はポケットにしまったスマホを叩いた。
「帰ろう。分かるとこまで道案内しろよ」
「海で遊ばないの?」
國吉は影が濃くはっきりと入る顔で颯斗に遊び時間をせがむ。颯斗は取り合わなかった。五時を報せるチャイムもとうに鳴り、もうじきあたりも暗くなる。颯斗の家でももうすぐ父が帰宅するだろう。
「帰る。お腹空いた。いくよ」
颯斗は國吉が聞き分けがいいことを知っている。有無を言わせず背中を向けて来た道の急な階段を駆けあがれば、國吉も足裏にくっついた砂をじゃりじゃりといわせて颯斗の後ろについてきた。
颯斗は家に帰ってから今日一日で撮った動画を見返した。坂の上で撮った動画、岩に反射する水面の模様を撮った動画、即席で踊って颯斗のダンスがところどころ見切れている動画。とりわけ印象的だったのはやはり水面の模様を映す岩壁の映像だ。動画の音声には雑音混じる心地よい波の音が入っていて、再生する度その時間に戻ったかのような気にさせられる。颯斗は始めこそ撮影の目当てであった冒頭の岩壁のシーンだけを切り取ろうと考えていたが、何度も見ているうちに編集する手を止めた。岩壁からカメラが移動し、ひとりの少年を捉えた時のハッとする美しさは、消してしまうにはもったいなかった。颯斗はこんな素晴らしい映像を撮れた自身の撮影の腕の自慢をしたいと思うようになった。この動画を見た人がどんな誉め言葉をくれるのだろうと考えずにはいられない。半逆光によって照らされた國吉の黒髪は透けて輝き、つるりと丸い頬の輪郭が空の色に溶けてしまいそうだ。標準のカメラアプリで撮ったために補正フィルターのかかっていない、ほくろやえくぼの質感をそのまま残す肌が却って絵画のような色を出していた。そしてくっきりとした目が黒く、じとりとカメラを見つめる。國吉が笑ったり、不機嫌になったり、驚いたりしたときの顔はとても幼い。しかしこんな風に落ち着いていると、とても大人びている。その幼い容姿より実年齢よりずっと大人のように見えた。
この國吉を、世に出してしまいたい。
颯斗はアプリの動画投稿ボタンをタップしてその動画を読み込む。タイトルをつけないと投稿できないとわかって、画面の前で悩んだ。最後には國吉の了承を得ず動画投稿をするのは良くないと気付き、その投稿画面を閉じた。どうせ明日会うのだし、その時に聞けばいい。その前にもっといい動画が撮れるかもしれない。そもそも本来の目的はオーディション動画を投稿することだ。颯斗は冷静になるため、スマホをベッドに放って昼間の熱気が籠る自室を出た。
颯斗はその場に着くまで気付いていなかった。
昨日、岩壁に写っていた水面の模様は太陽が傾いた夕方にしか出現しない。昼間、真上にある太陽の光を水面は岩壁まで反射させることはできないのだ。颯斗は絶好のタイミングが訪れるまで國吉に振りを教えることにした。投稿するオーディション動画に使用する音源は指定であるため、颯斗も含め一から曲も振り付けも覚える必要があった。オーデション用に公開されている音源はいくつかあるものの、颯斗が踊ってもいいと思える曲は一曲しかなかった。男性アイドルの曲ではあるのだが、颯斗が普段聞いているジャンルとは違う。覚えたばかりの振りを國吉に伝授し、形になってきたら動画をまわす。それを何度も何度も繰り返し、太陽が傾くのを待った。
「もうつかれたー」
時間前に音をあげた國吉は海の方に逃げてしまう。颯斗も國吉について岩の間から出た。岩壁に水面の模様が反射する時間を待つので無ければ、颯斗だって今頃撮り終えていたはずだ。その時が来るまで休憩していてもいいか、とぬるい海風を顔に受け止めた。半袖の制服シャツが風にはためいてぼうぼうと音を立てる。國吉は靴と靴下を脱いで波打ち際で海水を避ける遊びを始めた。乾いた砂を探して腰を落とした颯斗はこっそりとその後ろ姿にスマホのカメラを向ける。青い空と緑がかった海の境目から入道雲が立ち上がり、溶けたソフトクリームのように横に伸びて水平を浸食する。その中心に國吉の裸足が入り込み、砂浜を湿らせまいと波を蹴る。颯斗は息を止めて録画ボタンを押した。ぽーんと小さな音が風に乗った。
撮られているとも知らない少年が海にずかずかと入り、足首が澄んだ海水に埋まる。波は遊ぶように少年の足にまとわりつき、擽ったふくらはぎには目印のように泡をのこしていった。遠くの入道雲はいつの間にか形をかえ、高く背を伸ばし陰影濃く立体的に渦巻いた。少年は腰を曲げてそっと水面に手を入れる。垂れる髪を風が持ち上げ、少年の真剣な顔を覗かせた。少年の手が水面からゆっくりと上ってくる。その手には淡い紫に複雑な突起をもった得体のしれない生き物が乗っている。颯斗は撮影をしていることも忘れて咄嗟に「うわキモなにそれ!!」と叫んで立ち上がった。
國吉は颯斗が気味悪がったことが不満なのか、「ウミウシ知らないの」と両手にのった大きな軟体動物を颯斗の方に差し出した。颯斗はカメラで國吉を捉えたまま数歩逃げるが、國吉がそれをもって追いかけてこないことを知るとじりじりとそれに近付いた。
「なにこれ」
「ウミウシ」
「こんなのいるんだ」
颯斗はスマホのカメラにそれが写るよう構える。画面越しに確認しても目を見張るほど鮮やかだ。國吉の小さい手に乗っていることを加味しても大きい方に入るだろう。それは穏やかな性格なのか、國吉の手の中に大人しく収まっていた。颯斗は録画停止ボタンをタップしようとして既に録画が終了していたことに気付く。きっと慌てて立ち上がった拍子に指が当たってしまったのだろうと納得する。颯斗はその巨大ウミウシを気持ち悪いと思いながら、カメラを動画モードから写真モードに切り替えてシャッターボタンをタップする。島で育った國吉が平気そうなのだからきっと問題無いのだろうが、毒があると言われてもおかしくない鮮やかさが心配だった。
「もうもどしてやれよ」
颯斗は國吉から離れ、波打ち際を去る。國吉は黙ってその場に巨大ウミウシをそっと放した。ばいばーい、なんて可愛らしくそいつを見送る國吉を呼びつけ、オーデション動画の練習を再開した。
水面の反射が始まる少し前から本番さながらの撮影をスタートする。カメラが写す範囲から外れないよう、砂浜に立ち位置の目印をし場外を表す線を引いた。撮れた動画を確認しつつそれを三度繰り返せば岩壁に写る模様は美しさのピークを迎えていた。「これが本番だからな」と國吉に念押しし、二人で踊る。踊る最中、ターン振りで太陽光が顔を直撃し颯斗はカメラの位置を見失う。眩しくも目は開けたまま、足の感覚を頼りに正面を定めた。颯斗は視界を失ったくらいでたった一つのターンの感覚が狂うことは無いと自信を持っている。例え間違っていても、もう一度くらいなら取り直す時間もあるだろうと余裕さえあった。音源がループを始めたところで撮り終えたことがわかり、颯斗は砂に少し埋まったスマホに駆けた。後ろから覗き込む國吉にも見えるよう手首を傾けて、動画の再生を一から始めた。
颯斗の動きにいくらキレがあっても春にダンスを習い始めたばかりの國吉の動きは人並みだ。それを補うように二人のズボンや肌に水面の波が反射する。時間経過によって太陽光がサーっと颯斗の目を照らし、鼻から上の表情を白く消す。すぐ下の國吉の横顔もついでに照らして、振りが終わった直後、ダメ押しのように風がそよいだ。風は二人の短い髪をふわりと浮かせた。
「これを投稿すればいいの?」
既に帰る気でいる國吉はしゃがむ颯斗の肩に手を置いて急かすように指を柔らかく埋めた。颯斗は自身の表情がわかりにくくなっていることが気にかかったが、カメラの位置を見失ったシーンが違和感のないものになっていたことで諦めがついた。國吉に急かされるまま、その場で投稿の手順を踏んだ。曲名を入れたタイトルと、オーデションに参加していることを示すハッシュタグ、キャプションには適当に二人のニックネームを書き込んで動画のアップロードを済ませた。投稿が完了したことを示すポップアップが二人を労う。
颯斗はそのままスマホを閉じて帰り支度をした。締め切りには間に合った。もう夏の間にできることはない。颯斗は國吉に続いて急な階段を上りながら夏休みの予定をおさらいした。颯斗は夏の間忙しい父にどこかに連れて出てもらえることは無い。お盆前にある登校日のあと中学でできた友達と遊びに行く約束があり、お盆の終わりにも釣りに誘ってくれた友達もいる。それ以外は、颯斗には宿題とテレビしかない。
「國吉は夏休みどっか行くの」
「いかないよ」
「……“千夏ちゃん”って人は」
「八月から」
階段を登り切った國吉はその場からケンケンパ、とスキップして進む。
「暇なら俺が遊んでもいいよ。宿題も見るし」
颯斗は言いながら、尻すぼみに声が小さくなった。二歳年下に対してずいぶんと下手にでたものだ。颯斗は恥ずかしくなって一気に階段を駆け上がった。
「えー」
しっかりと聞こえてたらしい國吉は腕を大きく振って歩きながら渋る。颯斗はカッと恥ずかしさと悔しさが込み上げた。本当なら颯斗だってどこかに出かけられると思っていた。島でできた友達と、忙しいくらい遊びに行くのだと思っていた。
「お前、アイドルになりたいくせにあんまり知らないだろ」
コンサートの映像見せてやるよ、と追えば、國吉は乗ろうとした自転車のサドルを叩いて、今度は嬉しそうに「えー」と声をあげた。
