颯斗の春休みはあっという間に終わった。家の掃除をして自室を選んで、家に残されていたものの中から勉強机とベッド枠を適当に選び、父とともに少し修理なんかもして、島をあちこち案内してもらえば二週間足らずの休みは消え、学校が始まってしまった。
都会からきた颯斗は島の子たちにちやほやされるかなと当然のように浮かれていたが、入学式ではだれにも話しかけられず帰路についた。遠巻きに見られているような気はしたが、フレンドリーな島の子たちから話しかけてくれるだろうと思っていたばかりに出だしで挫く。それでも深刻に考えるということはなく、隣の席になった静かな奴に話かけることで友達がいない問題は解消した。一週間も過ぎれば近くの席の男の子とは概ね話せるようになった。かつて小学校ではそこそこクラスの中心にいたので島でもそのつもりでいた。しかしどうやら、このクラスは静かな子が多いらしく中学校生活一週間を過ぎてもお調子者は現れない。隣の教室からは三日目から大きな声や揃った笑い声が聞こえてきたのにだ。きっと二組にお調子者が集められて、ここが静かになったのだろうと颯斗は結論づけた。中学校すべての学年を通して二組までしかない。島の学校の規模はそんなものだった。だから部活の種類も少ないし、無いに等しい校則を破りそうな派手な生徒も見ない。
颯斗は運動部に入るべきか迷った。部活に入れば遊びに行く友達には困らないだろう。土地勘のない颯斗にはそれが魅力的だ。それでも迷った。これが横浜の中学校なら間違いなく部活に入っていない。ダンススクールとその練習に時間を割きたいからにほかならない。周りの席の男の子たちがバレー部を選んだりテニス部を選んだり、変わり種の太鼓部なんかを選ぶ中、颯斗は少ない部活一覧の中から活動日が少なそうな部の上をシャープペンシルで突いて回った。
四月中旬。空が曇るとまだまだ寒い。雨が降ると思って颯斗は焦りながら帰った。洗濯物を入れておかないといけない。父とは特に家事の分担をしていないが、自然と洗濯機を回したり服を干したりするのを買って出ていた。横浜にいた時から時々やっていたし、洗濯機の型が違うともうどのボタンを押せばいいのかわからない父に代わって格闘した後からそこは颯斗の領分となった。親子そろって島に持ってきた服は少ない。今干しているものが雨に濡れてしまうと困るのだ。
だが、家が見えてきたところで曇り空が途切れている。颯斗の家の真上の空は雨雲どころか晴れている。颯斗は走るのをやめて息を整え遠くの海を眺めた。肩に食い込み痛めつけてくる指定鞄を反対側に持ち換えたらたらと歩く。家はもうすぐで、雨が降る前には確実に間に合いそうだ。
ふと、いたー!という声が頭から降ってきた。
声の方を探すと、家へと続くの小道の一つ上の小道に黒いランドセルの男の子が立っている。この間の、旅館で出逢った『クソガキ』だ。男の子は手すりの隙間からするりと颯斗の前に降りてきて颯斗の行く先を阻んだ。颯斗は男の子の横を強引にすり抜けて玄関に向かって歩いた。
「ねぇなんて名前だっけ」
「棚橋颯斗だよ。敬語つかえよ」
後ろから付いてくる男の子に構わず鍵をポケットから出し少々乱暴にガチャガチャと鍵穴に差し込む。まずは洗濯物を入れないと、という思考の中に、とコイツの名前ってクニヨシだっけ?という記憶を辿る声が入ってくる。
「ダンスおしえてください」
國吉は中学生の颯斗に怖気づかず小学生が使える精一杯の敬語で要件を言った。子供なので仕方が無いが、その言葉は子供っぽく舌足らずだった。
「何年生?」
「小五」
颯斗はこの子供の相手が面倒だと思った。甘やかされて育ったような男の子だ。颯斗が小学五年生の時はもっと背が高く喋り方もしっかりしていたように思う。歳下の相手が苦手だと思ったことはなかったのに、目の前の小さな頭を見ると変に落ち着かない。
「お母さんにダンス通わしてもらえよ」
颯斗は既にスマホでダンス教室を探していた。島にダンス教室は二つ。いつ開催しているかもわからない高齢者向けの体操のような教室と、ちびっこ向けのヒップホップ教室。後者はインスタグラムで情報があり、場所も開催曜日も載せられていた。しかしそこに載る写真を見る限り、未就学児から小学校低学年を対象としたものは明らかだった。もっと上手くなりたいと願う颯斗が求めているクラスでは無い。目当てのものが無かったことで「通わせてほしい」と父に頼む機会を失っている。颯斗が催促もしないからか、島に越してくる途中の船で「探しておく」と言っていた父からは今日まで何もアクションがない。
「あんなんじゃなくてこの前のがいい」
頭の中で、横浜にいた時のダンスの先生が「基礎舐めんな」と颯斗を叱った時の顔が思い浮かぶ。
「基礎なめんな」
「だってあれはアイドルじゃない」
「なんだよお前アイドルになりたいのかよ」
「なれるもん」
颯斗は苛立った。それは今、颯斗が言葉にできないものだった。この子供は、颯斗がどんな思いでいるかを知らず、それを表明することで周りからどんなことを言われるかも考えず、簡単にそう口にしてしまうのだ。
「……ちょっと今日は一旦帰って」
苛立っているのに、弱々しい声が出る。
「わかった!」
男の子にごねられると思っていたが、にっこりと元気な声が返ってきた。ひさご旅館で出会った時も感じたが、我儘で自己中心的な振る舞いをするのに妙に物分かりがいい。
またね、とまるで友達みたいに手を振って國吉は来た道を去った。黒いランドセルに隠れる背中を数秒見送り、急いで靴を脱ぎ捨て重い鞄を床に放る。そのまま暗い部屋の床に座るともうダメで、起き上がるのが嫌になる。そのまま目を閉じると眠ってしまいそうだ。数週間前に買ったばかりのカーペットに耳をくっつけるとザーザーとした雑音が心地よい。颯斗は深い溜息を吐いた。
そしてふと、心地の良い雑音の正体に思い当たる。
慌てて立ち上がり、窓越しに庭を見て、は?と叫んでしまった。雨はしっかりと降っており、洗濯物を襲っている。颯斗は大慌てでサンダルを履いて洗濯物を引っ掴んだ。さっきまで向こうにあった雨雲がどんよりと暗く太陽を隠している。幸い雨音に気付くのが早かったおかげで洗濯物のダメージは少ない。颯斗は、はぁーもぉー、と声を出して山になった洗濯物の中から自分の服だけを取り出して隅に避けた。
数刻後、父が仕事から帰ってきた。古いキッチンで夕ご飯を準備する父の背中を見ながら、颯斗は「あのさぁ」と切り出す。
「部活で迷ってるんだけど」
父は昨日の残りのごはんを茶碗に入れて電子レンジに入れる。簡単に野菜を切って鍋に放り込んだ具の少ない味噌汁に、帰り道に買ってきた総菜を並べて今日の夜ご飯だ。颯斗はせめてもの手伝いで箸を用意して温め終わったごはんを電子レンジの中から取り出した。
「部活と習い事、どっちをとろうかと思って」
島内のダンス教室を見つけた、とは言わず、父の出方を待った。また笑って誤魔化されるだろうと身構えていたが、父はそうだそうだ、と話し始めた。
「バスでちょっと行ったところにダンス教室あるらしいんだよ。だけど颯斗と同じ年齢まで続けてる子は今はいないらしくてな」
颯斗の心は緊張でどくん、と脈打つ。父は颯斗のことをちゃんと見てくれていたのだ。ダンススクールに通いたがった颯斗のことを理解していたのだ。
「先生は若いみたいだし、本格的なのをやりたいなら一度相談したほうがいい。見学行こうか?」
「相談ってなんのこと」
「颯斗のレベルに合わせたクラスは無いそうだから、どうするかって」
「もう話したの?」
颯斗の心臓はよりどきどきする。諦めたくないけれど、諦めようとも考えていた夢だ。それが今、こうしてほんの少し、道が蘇ろうとしている。この島でダンスを教えている人を探す際に、父は息子である颯斗のダンスの腕前について、決してちびっこレベルでは無いと伝えたのだ。
「いいの、月謝……」
颯斗は夢に繋がる道が再び見えたことに興奮していた。だからどうにか父やその先生を説得しなければという考えでいっぱいだ。横浜にいたときのダンススクールの月謝は、関係がギクシャクしてからも母が負担してくれていた。通えるかどうかは父の財布の紐にかかっている。
「そんなの心配するなよ。颯斗が本気でやりたいことならいくらでも出す。ずっと言ってるだろ、父さんもママもお前のために働いてるって」
父は、ママも、と力強く言った。颯斗はそう言われて、味噌汁の小さな具が上手く飲み込めなかった。しかし父は颯斗の夢に協力的で、颯斗がダンスを続けられそうなことは確かなのだ。颯斗は喉の違和感を無視してまずは目の前の父に今できるとびきりの笑顔を披露した。もしそのダンス教室の先生と相性が悪くて通わないことになっても颯斗は平気な気がした。なんていったって、ここでは母から追い詰められることはないのだから。
颯斗は部活の入部希望を活動日が月一回と最も少ないボランティア部にして提出した。活動内容は校内の掲示板の張替えや花壇の世話だと聞いた。実際に学校の外へ繰り出してボランティアらしいことをするわけでは無いと先生に確認をして決めたのだった。ダンス教室の見学の日も決まり、颯斗はようやく島の学校に馴染むことに集中できるようになった。
周りの席の男の子と部活が異なるため、新たに交流の輪を広げなければならない。なにか糸口はないものかと、教室の後ろで一週間前のオリエンテーションで書かされた自己紹介カードを眺めた。クラスメイトの名前と顔を一致させる作業でもあった。島の子たちは小学校から互いによく知っている間柄も見られ、授業中には名字で呼び合うがそれ以外の時間は下の名前やあだ名で通っている。颯斗は人の顔を覚えるのが得意な方だが、関わりが少なければどうしようもない。部活が無く空いている放課後の時間をつかってじいっとクラスメイトの手書きの文字とにらめっこをした。もとより文章を読むのが得意ではない颯斗は無意識に手足が動いてしまう。手を胸の前で組んで抑えていたが、足が癖でリズムを取り始めた。ぺた、と教室に響く上履きの音で、颯斗は一度あたりを見まわした。教室には誰もいない。四階にある音楽室から吹奏楽部の揃った楽器の音が聴こえるのみだ。颯斗は腕組を解放して手をぶらぶらと揺らした。その動きはすぐに足のステップと連動して、覚えたばかりの曲を再現し始めた。視線は壁に張られた自己紹介カードに向けられているが、手足はもう完全に踊っている。
教室の前方でガサ、と物音がした。
颯斗は思わずうわっと大きな声を上げて振り返った。クラスメイトの女子が教室に入ってきていた。颯斗はまたさっと自己紹介カードに目を通して女の子の顔と名前を探した。なんとなく名前を思い出せるが、絶対に間違えたくなかった。
「そんなびっくりされるとはおもわんかった」
女の子は普段女子五人で行動している子の一人で、いつも頬に赤みが差している子だ。カーディガンの袖を伸ばして口許を隠して颯斗を笑った。
「誰もいないとおもってたから」
颯斗も笑みを返して、また壁に視線を戻した。だが女の子は机をかきわけて颯斗の近くまで歩いてきた。
「さっきの踊りもしかしてエーライズ?」
颯斗は自己紹介カードの中からついに頬に赤みが差している女の子を見つけた。
「え、よくわかったね大石さん」
「ね、ウチもよくわかったな、って思ってる。棚橋くんエーラ好きなん?」
大石の自己紹介カードの下方には、縦に細い字で『好きなもの:テレビドラマ、音楽』とあった。
「うん、曲が好きで聴いてる」
本当はそれだけが理由ではない。A-RISEの難しくて派手なダンスが好きだし、メンバーが出演するYouTube番組も面白いと思って見ることはある。だが、学校でそれを表に出すことに抵抗があった。颯斗は濁して答えたが、それでも大石は目を輝かせた。
「わかる!かっこいいよね、KPOPっぽい感じ」
颯斗が好きなのは曲だけで、熱烈なアイドルファンではないと知った大石は、すぐさま、私ほんとはステップアップのオタクなんだよね、と打ち明けた。あー、わかるよ、と颯斗は返し、頭の中でSTEPUPというアイドルグループの記憶を探した。
「ぼくがするよ君のリード、握らせてあげるワンチャンス……とかの」
STEPUPを知るきっかけとなった、数年前に流行した曲のフレーズを口ずさんだ。
「それみんな言ってくるー!」
颯斗の回答は正解だったようで、大石の赤い頬がきゅっと持ち上げられた。颯斗はそれ以上のことは情報が出ず困ったが、幸い大石は想定していたようで、「まだ覚えられてるだけマシだよね。最近はテレビ少ないし」とにこにこした顔のまま宣った。
「あぁ、バラエティでは見たことある。かっこよかったよね」
STEPUPは颯斗の世代よりも少し上で、流行が遅ければ顔も名前も一致していたかもしれない。思い返すと当時はその曲のダンスが流行していたように思うし、ダンススクールに入りたての頃は上のクラスがSTEPUPの曲を課題曲として練習していた記憶もある。
「それ本当に思ってる?」
大石はにやにやしながら伸ばしたカーディガンで口を隠した。颯斗は大石の質問の意図がわからず、困惑も隠さず笑いで誤魔化した。
「うちもわかるよステパがブスなことくらい」
「え、いやほんとにそんなことおもってないんだけど」
大石の言葉には度肝を抜かれた。無難な話題のつもりでアイドルの容姿に少し言及しただけで、まさかそんな返しをされるとは思わない。だが大石は颯斗の言葉を真に受けず、いいよわかるから、と続けた。
「私もアイドルは顔だけじゃないと思ってるし、ステパの方が面白いんだもん。事務所のごり押しでスカしてるエーラと違ってSNSでもファンサあるし」
「……」
颯斗は大石の勢いに押し黙った。大石の柔和でいつでも笑って見えるような顔立ちが恐ろしく感じた。大石は顔を上げて、颯斗の顔が引きつっていることに漸く気付き、また気まずそうに顔を伏せて、ごめんね、話しすぎたよね、と颯斗に小さく頭を下げた。颯斗も颯斗で、いや別に、と言うしかなかった。言ってしまってから、もっと明るく茶化せばよかったと後悔した。ここで場を明るくするなら、「考えすぎじゃん!」や「もしかしてめっちゃオタク?」などだろうか。「A-RISEとばっちりなんだけど」よりもっと踏み込んで、「俺がA-RISEのガチファンだったら絶交だったよ」などとからかっても良かったかもしれない。大石は静かに鞄を肩にかけなおし、教室の出口をちらりとみてから、落ち着いた表情を颯斗に向けた。
「あの、ありがとうね、ステパのことカッコイイって言ってくれて」
大石は去り際にそんな言葉を残して手を振る。控えめな足音が廊下に響き、少しの間を置いて音楽室の重いドアが閉じた音が聴こえた。颯斗も自己紹介カードを眺めることに飽きて、机に置いたままだった鞄を拾って教室を見渡す。
もともと印象は薄かったが、大石の印象はガラリと変わった。アイドルが好きだったことまでは意外、という感想で済んだが、その熱量は怖いと思うほどだった。横浜の知り合いにもアイドルを好きすぎるあまり何枚のCDを買っただとか、家族で北海道までコンサートに行っただとかという人がいたが、大石の話はそんなものとは温度が違った。好きだと言うその口と矛盾する容姿の批判に、「かっこいいと言ってくれてありがとう」という、まるでアイドルの評判を背負っているかのような口ぶり。
大石のせいでA-RISEとSTEPUPの印象まで変わってしまいそうになる。颯斗はそんな自分が嫌になりながら、学校から離れた帰り道ですぐに携帯を取り出した。音楽を聴くアプリで琥珀一途のプレイリストを選択してイヤフォンで耳を詰める。こんな気分でいつもみたいにA-RISEの曲を聴きたくなかった。
父と訪れたダンス教室の見学にはなぜかあの『クソガキ』こと國吉もいた。先に中級クラスの練習をガラス窓から覗いていた國吉に、なんでいるんだよ、と目線を向けると、國吉は真っ黒な瞳でこちらを見て小さく手を振ってきた。
ガラスの向こうでダンスの先生が父に笑顔で礼をして、「どうぞ座っちゃってください!」とよく通る声を響かせた。小学校高学年もちらほら混ざるたくさんのちびっ子たちが一斉にこちらを振り向く。先生は手をパンパン叩いて、「後ろ向かなーい!」と叫んで強引にレッスンに戻った。
國吉はもうダンスの見学に飽きたのか、少し後ろのベンチに座る颯斗の父の隣に陣取った。颯斗はダンスレッスンを目では見ながら、後ろの二人が気になって耳はそちらの音を拾う。
「こんばんは……」
「こんばんは」
國吉と父の挨拶は颯斗の耳にはへんな感じで、ぞわぞわと駆け巡る居心地の悪さを目の前のガラスを触ることで体の外へ逃がそうとする。
「はやとくんはここにはいりますか」
國吉は『子供が知らない大人に話すときの喋り方』そのものを駆使して甘えたような声で抑揚は平坦に、ゆっくりと言葉を繋いだ。
「入るかなー?これから決めるよ」
父も國吉に合わせ、ゆっくりとした口調で返した。
「颯斗の友達かな?」
「うん。居倉の國吉」
國吉の名字を、颯斗はその時初めて聞いた。颯斗はただそれが苗字か、と思っただけだったが、父は驚いて「あー!ひさご旅館の!」と感嘆まであげた。
「國吉くんも入るんね?お母さんは?」
父の声には家で聞かない方言が混ざり、颯斗は不安からついに父と國吉に目を向けた。それはちょうど國吉がベンチから降りるところで、「あのね、はやとくんがはいるならかんがえます」とちぐはぐに返事をしていた。國吉はそのまま教室の廊下を駆けていき、他の生徒の親らしきグループと話し込んでいる女の人の腕をつかんでその手を輪から引きずり出す。
女の人は國吉に抵抗しながら尚も話を続け、話の切りがよくなったところで集団に一言断りをいれて笑いながら國吉に手を引かれた。女の人は笑顔だったが、颯斗の父が会釈をし、それに倣って颯斗も遅れて会釈したのを見て笑顔を引っ込めた。自身の手を引く國吉を一瞥してから手を振りほどき、國吉より前に出て再び表情にパッと笑顔を灯した。
「あらー棚橋さんこんばんはぁ。この間はどうもぉ」
「いいえこちらこそ」
父はぺこぺこと腰をかがめて女の人に挨拶を返した。國吉は父に「お母さんは?」と聞かれて連れてきたものだから当然のことをしたまでだ、と何食わぬ顔でいるが、颯斗は二人の様子から、顔を合わせるつもりでは無かったのだと察した。
「居倉さんの息子さんも見学に?」
「そう、そうなんです。急にこういうダンスに興味もったって言って」
こういう、と言いながらガラスの向こうで踊るちびっこを一瞥した。女の人は颯斗を見てにこりと会釈してから「こちらが?」と父の顔を伺った。父も顔を前に傾け、そうです、と控えめに笑った。
「お父さんと旅館きてくれたねぇ?おばちゃんのことわかる?」
颯斗は突然矛先を向けられ戸惑った。旅館で食事をしたことについては「はい」と答えたかったが、女の人のことはわからず何も答えられない。
「わからんよねぇ!男の子からしたら着物着たおばちゃんの顔なんて区別つかんじゃろうけぇ」
女の人は通る声であっはっはっは、と笑って、腕を軽く組んで手を優雅にしならせて宙を叩いた。困った颯斗は父の目を見て助けを求めるが、父も困っているようで、いえいえとんでもない、と笑うだけだった。
「ひさごの女将です。おばちゃんの顔覚えとったら得よー。顔広いから、困ったら何でも言うてね」
やっと素性を明かしてくれたが、颯斗の記憶には無い顔で、ただあの日オレンジジュースを持ってきてくれた仲居さんと違う人物であることだけを理解した。
中級クラスのレッスンが終わり、ちびっ子たちがぞろぞろと教室から出てくる。出てきた子は次々と親元へ走る。突進された母親たちは「わー」といって子供を抑え、ほなね、とバラバラになって建物から出ていく。先生は声を張って「お客さんいるからはよ出てねー忘れ物しないでよー先週おったでしょ」と座り込んで水筒を煽る女の子のグループに声をかけた。
先生は颯斗が立っているガラス窓まで来て黒いカーテンを閉め、開いたドアから颯斗と父を呼んだ。
颯斗のダンスを見た先生はスマホで流していた音楽を止めて、上手いじゃーんと大きく拍手した。颯斗をその場に座らせて、自身も床に座って胡坐をかく。鏡の向こうを覗くと、黒いカーテンの近くで父とあの女の人が距離をとって話しているのが見えた。父は立ったままで、女の人はパイプ椅子に腰かけている。
「中学一年生だよね。横浜でもやってたんでしょ?レベル高いわー」
褒められていることはよくわかる。だが、先生がバインダーの中の紙にすらすらと何かを書き込んでいくのが気になって、普段のように元気に「ありがとうございます」と返すことができなかった。
「そして國吉くんね。何か踊る?」
「踊る!」
颯斗が知らないうちに颯斗は國吉の友達ということになっていたし、同じ日にダンス教室の見学をすることになっていたし、それどころかダンスが上手な颯斗と同じ枠としてレベルチェックまですることになった。先生がスマホを持ち上げて、曲流してあげるよー、と言うが國吉は傲慢にも「歌うからいい」と言ってのける。
國吉の実力については考えたことが無かった。ダンスを教えてくれ、と颯斗に頼みに来たときは颯斗の都合であしらっただけで、彼の現状の能力を低く見積もっていたわけではない。もし、本当に才のある奴なのであれば。
アイドルになれると恥ずかし気もなく発した國吉を、颯斗は見定めるつもりで睨んだ。
國吉は片手を伸ばし、膝を付く。そして伸ばした腕を八の字に振って、ゆっくりと立ち上がりながらくるりと180度回った。
「あーあぁーああーあぁー」
颯斗は何が始まったのかと慄き、肩をすくめた。耳を塞ごうとして、それが國吉の喉から発せられるものだと気付き、顔の横に上げかけた手を止める。
「なぁーあぁーああーあぁー」
國吉は颯斗の父と女将さんがいる方を見つめたまま再び腕を八の字に振った。
よくみると女将さんは椅子の上で腰を曲げて声もなく笑い転げており、父も朗らかな顔をして國吉に静かな拍手を送っている。その異様な光景に颯斗はついていけず、横の先生をみるが、この人も「奉納舞か、確かに踊ってるわ」と笑うだけだった。ひとしきり笑った女将さんは立ち上がり奇妙な舞を披露する國吉を止めに入った。「はーいもうおわりよぉ」と女将さんが一つ言うだけで國吉はすんなり動きを止めて静かになった。颯斗は助かったと思った。何が面白いのかもわからないし、奇妙さが怖かった。
「國吉くんはこういう舞がやりたい?」
先生は國吉が踊り始めてから今までバインダーに何一つ書き込んでおらず、颯斗のときと打って変わってニコニコと猫撫で声で話す。その反応に颯斗は安心する。國吉の踊りを変だと思ったのは自分だけではなかったのだと思えた。
「ううん。はやとくんみたいなのがいい」
國吉は真っ黒な瞳ではっきりと言う。先生は背後の女将さんに目線を向けて「お母さんはいいんでしたっけ?」と申し訳なさそうに確認する。
「ええようちはみーんな好きにさせてますから」
さっきの笑いが抜けていない女将さんは声を震わせながらにこやかに返した。
「颯斗くんはさ、みんなと一緒に習うのは嫌?」
「……もっと上手くなりたいので」
意地悪な聞き方だと思った。あのまま横浜にいればなんの疑問も持たず大勢の仲間とレッスンを受けていただろう。だから、他の人と一緒であることが嫌なわけでは無いのに、まるで颯斗が気難しい子のように表現されてはたまらない。颯斗はただ今までに近い環境を手にしたいだけなのだ。
「そっかぁ。現状生徒一人だと私もここ借りられないから…」
先生は誰に聞かせるでもなく、ひとりごとのようにぽつりと言っただけだった。そのぼやきの意味は分からなくても、それが颯斗を受け持つことができないという意味であることは分かった。5人も場にいるのに、教室は静まりかえる。
その沈黙を壊してくれたのは女将さんだった。
「それは生徒二人でも先生できまぁせんの?」
「國吉くんと2人で生徒ってことですか?」
先生はどうしましょう、と口では言いながら、答えを出す気は無いようだった。ただ単に、「できません」という言葉を避けているだけにも見えた。
「だってもー、颯斗ちゃんかわいそうだから。習いたいんよね?ダンス」
「はい」
突然話しかけられた颯斗は反応が遅れ、咄嗟に小さな「はい」が出た後、また大きく「はい」と言い直した。
颯斗の習い事は週一回のダンス教室に決まった。月謝の相談をする大人3人が隅で固まっている間、颯斗と國吉は大きな鏡の前で、鏡越しに互いを見た。
「クニヨシくんさ、アイドルになりたいって言ってたよな」
「なるよ」
「いつからそう思った?」
「こないだから」
颯斗はため息を隠さなかった。だが、それは國吉を責めるための溜息ではない。鏡の向こうの國吉の星座のようなほくろが反転している。だけども顔立ちに違和感はなく、女の子達が見れば「かわいい」と評しそうな顔だ。颯斗は鏡を見るのを止め、実物の國吉を見て覚悟を決めた。
「俺もなるよ」
アイドルに、と小さく付け加えた。声は小さくとも、家族ではない他人を前に口に出して言う時点で覚悟は十分だった。横浜のダンススクールに入った時から、島に移住することが決まった時まで。それが颯斗の夢だった。もはや夢なんかではない、計画だと言ってもいい。颯斗はそのために悩み、そのために心配し、そのために踊ってきた。國吉は動じず、同じように颯斗の方を向いて颯斗のつま先に自身の小さなつま先をぶつけた。
「いいよ」
「いいよってなんだよ。俺はずっと目指して……」
大人の話が終わった気配に颯斗は口を噤んだ。國吉は颯斗が言いかけたことなど気にもせず立ち上がって女将さんに突進していった。そして女将さんの腕をぶんぶん振りながら、「きいて、きいて」と大人の注目を集める。
「はやちゃんもアイドルなりたいって」
「おい!」
颯斗は大人が3人もいるにも関わらず大きな声で國吉を咎めた。慌てて立ち上がって國吉を追いかけるが、大人の後ろに隠れる『クソガキ』を捉えることはできない。
「あらぁそうなん?上手いもんね」
女将さんはそれだけ言って、「それじゃあ先生よろしくお願いします」とお辞儀をして國吉に引っ張られるまま教室を後にした。父も続けて、では失礼します、と屈伸するような礼で別れを告げた。颯斗も恥ずかしさに顔を歪ませながら「お願いします」と頭を下げた。
車の中、すっかり暗くなった外を眺める颯斗に父は嬉しさを隠せない声で「よかったよかった」と笑った。先ほどの國吉の暴露のことを言っているのだと思い、颯斗はよくないよ、とぼやいた。
「やっぱり颯斗はママに似て性格明るいからな、友達もすぐできたな」
「うん」
2歳も下の國吉が友達かと聞かれれば颯斗としては答えに困るが、既に学校に友達と呼べる同級生はいるので特に反論しない。
「父さんと一緒に島に来るって言うから諦めたのかとおもったよ」
父は今度こそ國吉の暴露について言及した。確かに颯斗はもう1年以上、「アイドルになりたい」という夢を発信していない。それを言わなくても準備はしてきたし、現にダンススクールをこうして探したことにもつながる。父も母も、颯斗がわざわざ言わなくてもわかってくれていると思っていた。
「諦めてないよ。来るときにもダンスはやりたいって言ったじゃん」
「そうだよなぁ。はー、よかったよ」
何に対して父が「よかった」と思うのか、颯斗は考えないことにした。父が自分の夢を応援してくれていると、確認することなく確信していたかった。頭の中で、大石の前で歌ったSTEPUPのあのメロディが鳴る。そのフレーズしか知らない颯斗は、延々と繰り返されるメロディに急かされてYouTubeでその曲を検索した。運転する父の邪魔にならないよう、音量を小さくし、スマホの下方にあるスピーカーを耳にくっつけた。タイヤが砂利を巻き込む雑音の中、微かにアイドルたちが「忘れないで俺ら一途、一か八かのハチ公……」と颯斗の知らないメロディを囁いた。
都会からきた颯斗は島の子たちにちやほやされるかなと当然のように浮かれていたが、入学式ではだれにも話しかけられず帰路についた。遠巻きに見られているような気はしたが、フレンドリーな島の子たちから話しかけてくれるだろうと思っていたばかりに出だしで挫く。それでも深刻に考えるということはなく、隣の席になった静かな奴に話かけることで友達がいない問題は解消した。一週間も過ぎれば近くの席の男の子とは概ね話せるようになった。かつて小学校ではそこそこクラスの中心にいたので島でもそのつもりでいた。しかしどうやら、このクラスは静かな子が多いらしく中学校生活一週間を過ぎてもお調子者は現れない。隣の教室からは三日目から大きな声や揃った笑い声が聞こえてきたのにだ。きっと二組にお調子者が集められて、ここが静かになったのだろうと颯斗は結論づけた。中学校すべての学年を通して二組までしかない。島の学校の規模はそんなものだった。だから部活の種類も少ないし、無いに等しい校則を破りそうな派手な生徒も見ない。
颯斗は運動部に入るべきか迷った。部活に入れば遊びに行く友達には困らないだろう。土地勘のない颯斗にはそれが魅力的だ。それでも迷った。これが横浜の中学校なら間違いなく部活に入っていない。ダンススクールとその練習に時間を割きたいからにほかならない。周りの席の男の子たちがバレー部を選んだりテニス部を選んだり、変わり種の太鼓部なんかを選ぶ中、颯斗は少ない部活一覧の中から活動日が少なそうな部の上をシャープペンシルで突いて回った。
四月中旬。空が曇るとまだまだ寒い。雨が降ると思って颯斗は焦りながら帰った。洗濯物を入れておかないといけない。父とは特に家事の分担をしていないが、自然と洗濯機を回したり服を干したりするのを買って出ていた。横浜にいた時から時々やっていたし、洗濯機の型が違うともうどのボタンを押せばいいのかわからない父に代わって格闘した後からそこは颯斗の領分となった。親子そろって島に持ってきた服は少ない。今干しているものが雨に濡れてしまうと困るのだ。
だが、家が見えてきたところで曇り空が途切れている。颯斗の家の真上の空は雨雲どころか晴れている。颯斗は走るのをやめて息を整え遠くの海を眺めた。肩に食い込み痛めつけてくる指定鞄を反対側に持ち換えたらたらと歩く。家はもうすぐで、雨が降る前には確実に間に合いそうだ。
ふと、いたー!という声が頭から降ってきた。
声の方を探すと、家へと続くの小道の一つ上の小道に黒いランドセルの男の子が立っている。この間の、旅館で出逢った『クソガキ』だ。男の子は手すりの隙間からするりと颯斗の前に降りてきて颯斗の行く先を阻んだ。颯斗は男の子の横を強引にすり抜けて玄関に向かって歩いた。
「ねぇなんて名前だっけ」
「棚橋颯斗だよ。敬語つかえよ」
後ろから付いてくる男の子に構わず鍵をポケットから出し少々乱暴にガチャガチャと鍵穴に差し込む。まずは洗濯物を入れないと、という思考の中に、とコイツの名前ってクニヨシだっけ?という記憶を辿る声が入ってくる。
「ダンスおしえてください」
國吉は中学生の颯斗に怖気づかず小学生が使える精一杯の敬語で要件を言った。子供なので仕方が無いが、その言葉は子供っぽく舌足らずだった。
「何年生?」
「小五」
颯斗はこの子供の相手が面倒だと思った。甘やかされて育ったような男の子だ。颯斗が小学五年生の時はもっと背が高く喋り方もしっかりしていたように思う。歳下の相手が苦手だと思ったことはなかったのに、目の前の小さな頭を見ると変に落ち着かない。
「お母さんにダンス通わしてもらえよ」
颯斗は既にスマホでダンス教室を探していた。島にダンス教室は二つ。いつ開催しているかもわからない高齢者向けの体操のような教室と、ちびっこ向けのヒップホップ教室。後者はインスタグラムで情報があり、場所も開催曜日も載せられていた。しかしそこに載る写真を見る限り、未就学児から小学校低学年を対象としたものは明らかだった。もっと上手くなりたいと願う颯斗が求めているクラスでは無い。目当てのものが無かったことで「通わせてほしい」と父に頼む機会を失っている。颯斗が催促もしないからか、島に越してくる途中の船で「探しておく」と言っていた父からは今日まで何もアクションがない。
「あんなんじゃなくてこの前のがいい」
頭の中で、横浜にいた時のダンスの先生が「基礎舐めんな」と颯斗を叱った時の顔が思い浮かぶ。
「基礎なめんな」
「だってあれはアイドルじゃない」
「なんだよお前アイドルになりたいのかよ」
「なれるもん」
颯斗は苛立った。それは今、颯斗が言葉にできないものだった。この子供は、颯斗がどんな思いでいるかを知らず、それを表明することで周りからどんなことを言われるかも考えず、簡単にそう口にしてしまうのだ。
「……ちょっと今日は一旦帰って」
苛立っているのに、弱々しい声が出る。
「わかった!」
男の子にごねられると思っていたが、にっこりと元気な声が返ってきた。ひさご旅館で出会った時も感じたが、我儘で自己中心的な振る舞いをするのに妙に物分かりがいい。
またね、とまるで友達みたいに手を振って國吉は来た道を去った。黒いランドセルに隠れる背中を数秒見送り、急いで靴を脱ぎ捨て重い鞄を床に放る。そのまま暗い部屋の床に座るともうダメで、起き上がるのが嫌になる。そのまま目を閉じると眠ってしまいそうだ。数週間前に買ったばかりのカーペットに耳をくっつけるとザーザーとした雑音が心地よい。颯斗は深い溜息を吐いた。
そしてふと、心地の良い雑音の正体に思い当たる。
慌てて立ち上がり、窓越しに庭を見て、は?と叫んでしまった。雨はしっかりと降っており、洗濯物を襲っている。颯斗は大慌てでサンダルを履いて洗濯物を引っ掴んだ。さっきまで向こうにあった雨雲がどんよりと暗く太陽を隠している。幸い雨音に気付くのが早かったおかげで洗濯物のダメージは少ない。颯斗は、はぁーもぉー、と声を出して山になった洗濯物の中から自分の服だけを取り出して隅に避けた。
数刻後、父が仕事から帰ってきた。古いキッチンで夕ご飯を準備する父の背中を見ながら、颯斗は「あのさぁ」と切り出す。
「部活で迷ってるんだけど」
父は昨日の残りのごはんを茶碗に入れて電子レンジに入れる。簡単に野菜を切って鍋に放り込んだ具の少ない味噌汁に、帰り道に買ってきた総菜を並べて今日の夜ご飯だ。颯斗はせめてもの手伝いで箸を用意して温め終わったごはんを電子レンジの中から取り出した。
「部活と習い事、どっちをとろうかと思って」
島内のダンス教室を見つけた、とは言わず、父の出方を待った。また笑って誤魔化されるだろうと身構えていたが、父はそうだそうだ、と話し始めた。
「バスでちょっと行ったところにダンス教室あるらしいんだよ。だけど颯斗と同じ年齢まで続けてる子は今はいないらしくてな」
颯斗の心は緊張でどくん、と脈打つ。父は颯斗のことをちゃんと見てくれていたのだ。ダンススクールに通いたがった颯斗のことを理解していたのだ。
「先生は若いみたいだし、本格的なのをやりたいなら一度相談したほうがいい。見学行こうか?」
「相談ってなんのこと」
「颯斗のレベルに合わせたクラスは無いそうだから、どうするかって」
「もう話したの?」
颯斗の心臓はよりどきどきする。諦めたくないけれど、諦めようとも考えていた夢だ。それが今、こうしてほんの少し、道が蘇ろうとしている。この島でダンスを教えている人を探す際に、父は息子である颯斗のダンスの腕前について、決してちびっこレベルでは無いと伝えたのだ。
「いいの、月謝……」
颯斗は夢に繋がる道が再び見えたことに興奮していた。だからどうにか父やその先生を説得しなければという考えでいっぱいだ。横浜にいたときのダンススクールの月謝は、関係がギクシャクしてからも母が負担してくれていた。通えるかどうかは父の財布の紐にかかっている。
「そんなの心配するなよ。颯斗が本気でやりたいことならいくらでも出す。ずっと言ってるだろ、父さんもママもお前のために働いてるって」
父は、ママも、と力強く言った。颯斗はそう言われて、味噌汁の小さな具が上手く飲み込めなかった。しかし父は颯斗の夢に協力的で、颯斗がダンスを続けられそうなことは確かなのだ。颯斗は喉の違和感を無視してまずは目の前の父に今できるとびきりの笑顔を披露した。もしそのダンス教室の先生と相性が悪くて通わないことになっても颯斗は平気な気がした。なんていったって、ここでは母から追い詰められることはないのだから。
颯斗は部活の入部希望を活動日が月一回と最も少ないボランティア部にして提出した。活動内容は校内の掲示板の張替えや花壇の世話だと聞いた。実際に学校の外へ繰り出してボランティアらしいことをするわけでは無いと先生に確認をして決めたのだった。ダンス教室の見学の日も決まり、颯斗はようやく島の学校に馴染むことに集中できるようになった。
周りの席の男の子と部活が異なるため、新たに交流の輪を広げなければならない。なにか糸口はないものかと、教室の後ろで一週間前のオリエンテーションで書かされた自己紹介カードを眺めた。クラスメイトの名前と顔を一致させる作業でもあった。島の子たちは小学校から互いによく知っている間柄も見られ、授業中には名字で呼び合うがそれ以外の時間は下の名前やあだ名で通っている。颯斗は人の顔を覚えるのが得意な方だが、関わりが少なければどうしようもない。部活が無く空いている放課後の時間をつかってじいっとクラスメイトの手書きの文字とにらめっこをした。もとより文章を読むのが得意ではない颯斗は無意識に手足が動いてしまう。手を胸の前で組んで抑えていたが、足が癖でリズムを取り始めた。ぺた、と教室に響く上履きの音で、颯斗は一度あたりを見まわした。教室には誰もいない。四階にある音楽室から吹奏楽部の揃った楽器の音が聴こえるのみだ。颯斗は腕組を解放して手をぶらぶらと揺らした。その動きはすぐに足のステップと連動して、覚えたばかりの曲を再現し始めた。視線は壁に張られた自己紹介カードに向けられているが、手足はもう完全に踊っている。
教室の前方でガサ、と物音がした。
颯斗は思わずうわっと大きな声を上げて振り返った。クラスメイトの女子が教室に入ってきていた。颯斗はまたさっと自己紹介カードに目を通して女の子の顔と名前を探した。なんとなく名前を思い出せるが、絶対に間違えたくなかった。
「そんなびっくりされるとはおもわんかった」
女の子は普段女子五人で行動している子の一人で、いつも頬に赤みが差している子だ。カーディガンの袖を伸ばして口許を隠して颯斗を笑った。
「誰もいないとおもってたから」
颯斗も笑みを返して、また壁に視線を戻した。だが女の子は机をかきわけて颯斗の近くまで歩いてきた。
「さっきの踊りもしかしてエーライズ?」
颯斗は自己紹介カードの中からついに頬に赤みが差している女の子を見つけた。
「え、よくわかったね大石さん」
「ね、ウチもよくわかったな、って思ってる。棚橋くんエーラ好きなん?」
大石の自己紹介カードの下方には、縦に細い字で『好きなもの:テレビドラマ、音楽』とあった。
「うん、曲が好きで聴いてる」
本当はそれだけが理由ではない。A-RISEの難しくて派手なダンスが好きだし、メンバーが出演するYouTube番組も面白いと思って見ることはある。だが、学校でそれを表に出すことに抵抗があった。颯斗は濁して答えたが、それでも大石は目を輝かせた。
「わかる!かっこいいよね、KPOPっぽい感じ」
颯斗が好きなのは曲だけで、熱烈なアイドルファンではないと知った大石は、すぐさま、私ほんとはステップアップのオタクなんだよね、と打ち明けた。あー、わかるよ、と颯斗は返し、頭の中でSTEPUPというアイドルグループの記憶を探した。
「ぼくがするよ君のリード、握らせてあげるワンチャンス……とかの」
STEPUPを知るきっかけとなった、数年前に流行した曲のフレーズを口ずさんだ。
「それみんな言ってくるー!」
颯斗の回答は正解だったようで、大石の赤い頬がきゅっと持ち上げられた。颯斗はそれ以上のことは情報が出ず困ったが、幸い大石は想定していたようで、「まだ覚えられてるだけマシだよね。最近はテレビ少ないし」とにこにこした顔のまま宣った。
「あぁ、バラエティでは見たことある。かっこよかったよね」
STEPUPは颯斗の世代よりも少し上で、流行が遅ければ顔も名前も一致していたかもしれない。思い返すと当時はその曲のダンスが流行していたように思うし、ダンススクールに入りたての頃は上のクラスがSTEPUPの曲を課題曲として練習していた記憶もある。
「それ本当に思ってる?」
大石はにやにやしながら伸ばしたカーディガンで口を隠した。颯斗は大石の質問の意図がわからず、困惑も隠さず笑いで誤魔化した。
「うちもわかるよステパがブスなことくらい」
「え、いやほんとにそんなことおもってないんだけど」
大石の言葉には度肝を抜かれた。無難な話題のつもりでアイドルの容姿に少し言及しただけで、まさかそんな返しをされるとは思わない。だが大石は颯斗の言葉を真に受けず、いいよわかるから、と続けた。
「私もアイドルは顔だけじゃないと思ってるし、ステパの方が面白いんだもん。事務所のごり押しでスカしてるエーラと違ってSNSでもファンサあるし」
「……」
颯斗は大石の勢いに押し黙った。大石の柔和でいつでも笑って見えるような顔立ちが恐ろしく感じた。大石は顔を上げて、颯斗の顔が引きつっていることに漸く気付き、また気まずそうに顔を伏せて、ごめんね、話しすぎたよね、と颯斗に小さく頭を下げた。颯斗も颯斗で、いや別に、と言うしかなかった。言ってしまってから、もっと明るく茶化せばよかったと後悔した。ここで場を明るくするなら、「考えすぎじゃん!」や「もしかしてめっちゃオタク?」などだろうか。「A-RISEとばっちりなんだけど」よりもっと踏み込んで、「俺がA-RISEのガチファンだったら絶交だったよ」などとからかっても良かったかもしれない。大石は静かに鞄を肩にかけなおし、教室の出口をちらりとみてから、落ち着いた表情を颯斗に向けた。
「あの、ありがとうね、ステパのことカッコイイって言ってくれて」
大石は去り際にそんな言葉を残して手を振る。控えめな足音が廊下に響き、少しの間を置いて音楽室の重いドアが閉じた音が聴こえた。颯斗も自己紹介カードを眺めることに飽きて、机に置いたままだった鞄を拾って教室を見渡す。
もともと印象は薄かったが、大石の印象はガラリと変わった。アイドルが好きだったことまでは意外、という感想で済んだが、その熱量は怖いと思うほどだった。横浜の知り合いにもアイドルを好きすぎるあまり何枚のCDを買っただとか、家族で北海道までコンサートに行っただとかという人がいたが、大石の話はそんなものとは温度が違った。好きだと言うその口と矛盾する容姿の批判に、「かっこいいと言ってくれてありがとう」という、まるでアイドルの評判を背負っているかのような口ぶり。
大石のせいでA-RISEとSTEPUPの印象まで変わってしまいそうになる。颯斗はそんな自分が嫌になりながら、学校から離れた帰り道ですぐに携帯を取り出した。音楽を聴くアプリで琥珀一途のプレイリストを選択してイヤフォンで耳を詰める。こんな気分でいつもみたいにA-RISEの曲を聴きたくなかった。
父と訪れたダンス教室の見学にはなぜかあの『クソガキ』こと國吉もいた。先に中級クラスの練習をガラス窓から覗いていた國吉に、なんでいるんだよ、と目線を向けると、國吉は真っ黒な瞳でこちらを見て小さく手を振ってきた。
ガラスの向こうでダンスの先生が父に笑顔で礼をして、「どうぞ座っちゃってください!」とよく通る声を響かせた。小学校高学年もちらほら混ざるたくさんのちびっ子たちが一斉にこちらを振り向く。先生は手をパンパン叩いて、「後ろ向かなーい!」と叫んで強引にレッスンに戻った。
國吉はもうダンスの見学に飽きたのか、少し後ろのベンチに座る颯斗の父の隣に陣取った。颯斗はダンスレッスンを目では見ながら、後ろの二人が気になって耳はそちらの音を拾う。
「こんばんは……」
「こんばんは」
國吉と父の挨拶は颯斗の耳にはへんな感じで、ぞわぞわと駆け巡る居心地の悪さを目の前のガラスを触ることで体の外へ逃がそうとする。
「はやとくんはここにはいりますか」
國吉は『子供が知らない大人に話すときの喋り方』そのものを駆使して甘えたような声で抑揚は平坦に、ゆっくりと言葉を繋いだ。
「入るかなー?これから決めるよ」
父も國吉に合わせ、ゆっくりとした口調で返した。
「颯斗の友達かな?」
「うん。居倉の國吉」
國吉の名字を、颯斗はその時初めて聞いた。颯斗はただそれが苗字か、と思っただけだったが、父は驚いて「あー!ひさご旅館の!」と感嘆まであげた。
「國吉くんも入るんね?お母さんは?」
父の声には家で聞かない方言が混ざり、颯斗は不安からついに父と國吉に目を向けた。それはちょうど國吉がベンチから降りるところで、「あのね、はやとくんがはいるならかんがえます」とちぐはぐに返事をしていた。國吉はそのまま教室の廊下を駆けていき、他の生徒の親らしきグループと話し込んでいる女の人の腕をつかんでその手を輪から引きずり出す。
女の人は國吉に抵抗しながら尚も話を続け、話の切りがよくなったところで集団に一言断りをいれて笑いながら國吉に手を引かれた。女の人は笑顔だったが、颯斗の父が会釈をし、それに倣って颯斗も遅れて会釈したのを見て笑顔を引っ込めた。自身の手を引く國吉を一瞥してから手を振りほどき、國吉より前に出て再び表情にパッと笑顔を灯した。
「あらー棚橋さんこんばんはぁ。この間はどうもぉ」
「いいえこちらこそ」
父はぺこぺこと腰をかがめて女の人に挨拶を返した。國吉は父に「お母さんは?」と聞かれて連れてきたものだから当然のことをしたまでだ、と何食わぬ顔でいるが、颯斗は二人の様子から、顔を合わせるつもりでは無かったのだと察した。
「居倉さんの息子さんも見学に?」
「そう、そうなんです。急にこういうダンスに興味もったって言って」
こういう、と言いながらガラスの向こうで踊るちびっこを一瞥した。女の人は颯斗を見てにこりと会釈してから「こちらが?」と父の顔を伺った。父も顔を前に傾け、そうです、と控えめに笑った。
「お父さんと旅館きてくれたねぇ?おばちゃんのことわかる?」
颯斗は突然矛先を向けられ戸惑った。旅館で食事をしたことについては「はい」と答えたかったが、女の人のことはわからず何も答えられない。
「わからんよねぇ!男の子からしたら着物着たおばちゃんの顔なんて区別つかんじゃろうけぇ」
女の人は通る声であっはっはっは、と笑って、腕を軽く組んで手を優雅にしならせて宙を叩いた。困った颯斗は父の目を見て助けを求めるが、父も困っているようで、いえいえとんでもない、と笑うだけだった。
「ひさごの女将です。おばちゃんの顔覚えとったら得よー。顔広いから、困ったら何でも言うてね」
やっと素性を明かしてくれたが、颯斗の記憶には無い顔で、ただあの日オレンジジュースを持ってきてくれた仲居さんと違う人物であることだけを理解した。
中級クラスのレッスンが終わり、ちびっ子たちがぞろぞろと教室から出てくる。出てきた子は次々と親元へ走る。突進された母親たちは「わー」といって子供を抑え、ほなね、とバラバラになって建物から出ていく。先生は声を張って「お客さんいるからはよ出てねー忘れ物しないでよー先週おったでしょ」と座り込んで水筒を煽る女の子のグループに声をかけた。
先生は颯斗が立っているガラス窓まで来て黒いカーテンを閉め、開いたドアから颯斗と父を呼んだ。
颯斗のダンスを見た先生はスマホで流していた音楽を止めて、上手いじゃーんと大きく拍手した。颯斗をその場に座らせて、自身も床に座って胡坐をかく。鏡の向こうを覗くと、黒いカーテンの近くで父とあの女の人が距離をとって話しているのが見えた。父は立ったままで、女の人はパイプ椅子に腰かけている。
「中学一年生だよね。横浜でもやってたんでしょ?レベル高いわー」
褒められていることはよくわかる。だが、先生がバインダーの中の紙にすらすらと何かを書き込んでいくのが気になって、普段のように元気に「ありがとうございます」と返すことができなかった。
「そして國吉くんね。何か踊る?」
「踊る!」
颯斗が知らないうちに颯斗は國吉の友達ということになっていたし、同じ日にダンス教室の見学をすることになっていたし、それどころかダンスが上手な颯斗と同じ枠としてレベルチェックまですることになった。先生がスマホを持ち上げて、曲流してあげるよー、と言うが國吉は傲慢にも「歌うからいい」と言ってのける。
國吉の実力については考えたことが無かった。ダンスを教えてくれ、と颯斗に頼みに来たときは颯斗の都合であしらっただけで、彼の現状の能力を低く見積もっていたわけではない。もし、本当に才のある奴なのであれば。
アイドルになれると恥ずかし気もなく発した國吉を、颯斗は見定めるつもりで睨んだ。
國吉は片手を伸ばし、膝を付く。そして伸ばした腕を八の字に振って、ゆっくりと立ち上がりながらくるりと180度回った。
「あーあぁーああーあぁー」
颯斗は何が始まったのかと慄き、肩をすくめた。耳を塞ごうとして、それが國吉の喉から発せられるものだと気付き、顔の横に上げかけた手を止める。
「なぁーあぁーああーあぁー」
國吉は颯斗の父と女将さんがいる方を見つめたまま再び腕を八の字に振った。
よくみると女将さんは椅子の上で腰を曲げて声もなく笑い転げており、父も朗らかな顔をして國吉に静かな拍手を送っている。その異様な光景に颯斗はついていけず、横の先生をみるが、この人も「奉納舞か、確かに踊ってるわ」と笑うだけだった。ひとしきり笑った女将さんは立ち上がり奇妙な舞を披露する國吉を止めに入った。「はーいもうおわりよぉ」と女将さんが一つ言うだけで國吉はすんなり動きを止めて静かになった。颯斗は助かったと思った。何が面白いのかもわからないし、奇妙さが怖かった。
「國吉くんはこういう舞がやりたい?」
先生は國吉が踊り始めてから今までバインダーに何一つ書き込んでおらず、颯斗のときと打って変わってニコニコと猫撫で声で話す。その反応に颯斗は安心する。國吉の踊りを変だと思ったのは自分だけではなかったのだと思えた。
「ううん。はやとくんみたいなのがいい」
國吉は真っ黒な瞳ではっきりと言う。先生は背後の女将さんに目線を向けて「お母さんはいいんでしたっけ?」と申し訳なさそうに確認する。
「ええようちはみーんな好きにさせてますから」
さっきの笑いが抜けていない女将さんは声を震わせながらにこやかに返した。
「颯斗くんはさ、みんなと一緒に習うのは嫌?」
「……もっと上手くなりたいので」
意地悪な聞き方だと思った。あのまま横浜にいればなんの疑問も持たず大勢の仲間とレッスンを受けていただろう。だから、他の人と一緒であることが嫌なわけでは無いのに、まるで颯斗が気難しい子のように表現されてはたまらない。颯斗はただ今までに近い環境を手にしたいだけなのだ。
「そっかぁ。現状生徒一人だと私もここ借りられないから…」
先生は誰に聞かせるでもなく、ひとりごとのようにぽつりと言っただけだった。そのぼやきの意味は分からなくても、それが颯斗を受け持つことができないという意味であることは分かった。5人も場にいるのに、教室は静まりかえる。
その沈黙を壊してくれたのは女将さんだった。
「それは生徒二人でも先生できまぁせんの?」
「國吉くんと2人で生徒ってことですか?」
先生はどうしましょう、と口では言いながら、答えを出す気は無いようだった。ただ単に、「できません」という言葉を避けているだけにも見えた。
「だってもー、颯斗ちゃんかわいそうだから。習いたいんよね?ダンス」
「はい」
突然話しかけられた颯斗は反応が遅れ、咄嗟に小さな「はい」が出た後、また大きく「はい」と言い直した。
颯斗の習い事は週一回のダンス教室に決まった。月謝の相談をする大人3人が隅で固まっている間、颯斗と國吉は大きな鏡の前で、鏡越しに互いを見た。
「クニヨシくんさ、アイドルになりたいって言ってたよな」
「なるよ」
「いつからそう思った?」
「こないだから」
颯斗はため息を隠さなかった。だが、それは國吉を責めるための溜息ではない。鏡の向こうの國吉の星座のようなほくろが反転している。だけども顔立ちに違和感はなく、女の子達が見れば「かわいい」と評しそうな顔だ。颯斗は鏡を見るのを止め、実物の國吉を見て覚悟を決めた。
「俺もなるよ」
アイドルに、と小さく付け加えた。声は小さくとも、家族ではない他人を前に口に出して言う時点で覚悟は十分だった。横浜のダンススクールに入った時から、島に移住することが決まった時まで。それが颯斗の夢だった。もはや夢なんかではない、計画だと言ってもいい。颯斗はそのために悩み、そのために心配し、そのために踊ってきた。國吉は動じず、同じように颯斗の方を向いて颯斗のつま先に自身の小さなつま先をぶつけた。
「いいよ」
「いいよってなんだよ。俺はずっと目指して……」
大人の話が終わった気配に颯斗は口を噤んだ。國吉は颯斗が言いかけたことなど気にもせず立ち上がって女将さんに突進していった。そして女将さんの腕をぶんぶん振りながら、「きいて、きいて」と大人の注目を集める。
「はやちゃんもアイドルなりたいって」
「おい!」
颯斗は大人が3人もいるにも関わらず大きな声で國吉を咎めた。慌てて立ち上がって國吉を追いかけるが、大人の後ろに隠れる『クソガキ』を捉えることはできない。
「あらぁそうなん?上手いもんね」
女将さんはそれだけ言って、「それじゃあ先生よろしくお願いします」とお辞儀をして國吉に引っ張られるまま教室を後にした。父も続けて、では失礼します、と屈伸するような礼で別れを告げた。颯斗も恥ずかしさに顔を歪ませながら「お願いします」と頭を下げた。
車の中、すっかり暗くなった外を眺める颯斗に父は嬉しさを隠せない声で「よかったよかった」と笑った。先ほどの國吉の暴露のことを言っているのだと思い、颯斗はよくないよ、とぼやいた。
「やっぱり颯斗はママに似て性格明るいからな、友達もすぐできたな」
「うん」
2歳も下の國吉が友達かと聞かれれば颯斗としては答えに困るが、既に学校に友達と呼べる同級生はいるので特に反論しない。
「父さんと一緒に島に来るって言うから諦めたのかとおもったよ」
父は今度こそ國吉の暴露について言及した。確かに颯斗はもう1年以上、「アイドルになりたい」という夢を発信していない。それを言わなくても準備はしてきたし、現にダンススクールをこうして探したことにもつながる。父も母も、颯斗がわざわざ言わなくてもわかってくれていると思っていた。
「諦めてないよ。来るときにもダンスはやりたいって言ったじゃん」
「そうだよなぁ。はー、よかったよ」
何に対して父が「よかった」と思うのか、颯斗は考えないことにした。父が自分の夢を応援してくれていると、確認することなく確信していたかった。頭の中で、大石の前で歌ったSTEPUPのあのメロディが鳴る。そのフレーズしか知らない颯斗は、延々と繰り返されるメロディに急かされてYouTubeでその曲を検索した。運転する父の邪魔にならないよう、音量を小さくし、スマホの下方にあるスピーカーを耳にくっつけた。タイヤが砂利を巻き込む雑音の中、微かにアイドルたちが「忘れないで俺ら一途、一か八かのハチ公……」と颯斗の知らないメロディを囁いた。
