生徒が部活動に励む放課後。
暁人と蒼介は、昼飯を食べていた記念館の近くで乃々羽と時間が経つのを待っていた。
昼休みに目が溶けるくらい泣いた乃々羽は、そんなことを微塵も感じさせない晴れやかな表情をしている。
「何時くらいまで待機するの?」
「五時半とか、六時くらいかな……人が少なくなればいいんだけど。さっきあおくんが図書館を見てきてくれたんだけど、まだ結構人がいるみたいなんだよね」
「そっか。人が多いと、幽霊も出てきにくいからか」
「あーーーーそのーーーなんと言いますかそのーーーー」
恐ろしく目を泳がせる暁人の隣で、涼しい顔をのまま蒼介が言った
「そういうことだ」
「あ、うん、そう、うん。そんな感じ、うん」
まさか同級生に――しかも女子に、「幽霊の退治方法は『エロいキスをする』というものなので、人目が少ない方がいい」なんて言えるわけがない。
涼しい顔でごまかす蒼介の隣で、しっかりとネクタイを締めた襟ぐりに指を突っ込んで何とか風を送る
「そういえば」
そんな暁人を横目に、蒼介が口を開いた。
「いつもは怖さがなくなって図書館に行ってしまうって言ってたのに、今日はどうして怖さがそのままだったんだ?」
「ん? どゆこと?」
「いつも、その……こ、小島さん?」
「和島です」
「ほんとごめん――和島さんは、図書館が怖いことを忘れて行っちゃってたんだろ? 今日、暁人に助けを求めたってことは、その怖さがまだあったってことだろ」
「ああ、確かに!」
二人から聞かれて乃々羽が答えた。
「今日、四時間目のホームルームの時間に郷土の歴史の授業があって、その時に図書館でやったんだ」
「あ、四組もそうだったよ。一組は図書館でやったんだね」
「うん。それで、やっぱり怖さはなくて、普通に友達と図書館に行ってしばらくして思い出して――」
いるであろう場所を見ると、やはりいたのだという。
本当なら、一緒に図書館に来ていたクラスメイトが座るそこに、その人はいた。成り替わるようにして、座っていた。
「そこで怖さが一気にきたんだ。やっぱりおかしい、普通じゃない。怖さを忘れるのも、おかしいって」
恐怖の鮮度を保っていたおかげで、暁人のもとへこれたのだ。
「小野くんのことは、心春から聞いていたの」
「心春?」
「二組の伊東心春。心春は同じ中学校で、仲が良かったんだ」
伊東心春。それは、二人に初めて幽霊退治を依頼してきた女子生徒だ。
彼女は入部したての吹奏楽部で、出身中学校が吹奏楽部強豪校であったため、その実力を買われて今までやっていたパーカッション担当になり、早々に実践的な練習に励んでいた。その場所が、あの階段裏だったのだ。
「ああ、伊東さんね! 和島さん、伊東さんと仲良いんだ」
「うん。入学してからクラスは離れちゃったけど、ずっと心春が元気ないなって思ってたの。でも、ある日からすっきりしたような顔になって、「よかった、安心した」って思ってたら、今度は自分が……」
心春は自分を心配してくれていた乃々羽が落ち込んだ時、同じように気にかけ、話を聞いたのだ。
「私その時、仲良しだった心春にも幽霊のこと言えなくて。だって、絶対変な奴だって思われるから。環境が変わって、病んじゃったんだって、思われそうで」
「あー……はは、確かに」
話を聞いている暁人の顔が絶妙なものになる。それをすぐに察して、乃々羽がごめんと謝った。
「ごめん。小野君のことを悪く言ってるんじゃないの。本当にごめんなさい。私今、すごく嫌ないい方しちゃった」
「ううん、全然! 気にしないで。誰だってそう思っちゃうよ」
「ああ。実際、暁人のビビり方は病的だ」
「あおくん!?」
幼馴染二人の、あからさまに元気を出そうとしてくれるやり取りに、乃々羽がまた笑顔を見せた。
「ありがとう。――でね、その時に心春に言われたの」
二人きりで歩く通学路。黒い影がぞっとするくらい伸び、狂ったような赤い夕陽に包まれる中。
『もし乃々羽の悩みが、人に言いにくいような、不思議なことだったとしたら……四組の、小野暁人くんなら、なんとかしてくれるかもしれない』
――と。
「その言葉がずっと頭の中にあって。それで今日、怖いって思えているうちに話しかけたの」
「そうだったんだ」
「うん。――心春、すごく元気そうだよ。今度、介護施設の慰安訪問コンサートで、後半のパーカッションを任されたんだって」
暁人は先日廊下で見かけた心春を思い出した。
心春は暁人と蒼介に気が付くと、周りに気が付かれないよう、小さく手を振って笑っていた。
それを思い出して、切ない気持ちになる。
「あのね、和島さん」
小春にも伝えたことを、乃々羽にも伝える。
「僕を頼ってきてくれたのは光栄だけど、解決するとは言い切れないんだ」
暁人は幽霊が見える。しかし、干渉はできない。
「幽霊退治」という言葉を便宜上使っているだけで、退治や除霊などといった、いわゆる霊能力者と呼ばれるような力は、暁人にはない。
それを心春に伝えた時も、自分の無力さが苦しくて仕方がなかった。
「……もしかしたら、どうにもならないかもしれない。その時は、自分で解決するしかない。といっても、図書館に行かないことを徹底するくらいしかないけど……」
「うん」
「それにね、もしこれから僕達がすることによって解決したとしても、それは一時的なもので、また元に戻るかもしれない」
「分かった。その時は、また小野くんを頼らせて貰ってもいいかな」
「うん」
二人のやり取りをじっと見守っていた蒼介が、少し困惑したように言った
「……ずいぶん、軽く言うんだな」
確かに、と暁人も思う。
昼間の乃々羽の様子を見ていたら、「解決するとは言い切れない」という言葉に不安でうろたえると思っていたが、ずいぶんスムーズに話が進んでしまった。
「うん。だってしょうがないもんね、見えちゃうものは。もしこれで日常生活に支障が出ちゃう場合は、きちんと親にも相談してみるよ」
そう言い切った乃々羽は、曇りが晴れたようにすがすがしい表情をしていた。
「なんか……吹っ切れたというか、すがすがしい感じがする」
「そう? そう見える?」
「うん」
「ああ」
同じタイミングで答え、さらには頷きまで重なった二人を見て乃々羽がまた笑った。
「もしそう見えるんだとしたら、それは二人のおかげだよ」
時刻は夕暮れ。今まで三人を照らしていた太陽の光が校舎の陰に隠れる、
「小野くんと深森くんが、私の話を聞いてくれたから」
乃々羽の淡い色の髪に影が落ち、金糸のように輝いていた光が失われる。それでも、乃々羽の表情は眩しいくらいに晴れやかだった。
「誰にも信じてもらえないと思ってた。でも、小野くんが信じるよって言ってくれて。……深森くんも一緒に話を聞いてくれてすごく嬉しかった。誰かに信じてもらえるって、すごく心強いんだ。心春が言ってた通りだった」
「伊東さんが?」
「うん。心春、二人のおかげで練習いっぱい打ち込めてるみたい。小春がね、言ってたの。初めて二人に話をした時、馬鹿にすることもなく、真剣に話を聞いてくれたのが嬉しかったって。もし幽霊がいなくならなくても、これでいいやって思えるくらい嬉しかったって」
きゅう、と、暁人の目が細められた。下唇を噛んで、手を強く握る。
――嬉しかったのだ。
自分と同じように幽霊が見えて、困っていた人の心を救えて、嬉しくてたまらなかった。
乃々羽から見えない陰で、蒼介が暁人の背中を優しく叩いた。横を見れば、蒼介の穏やかな目が暁人を見つめていた。
「――あ」
遠くで、六時を知らせるチャイムが鳴った。
