幽霊はエロいことが苦手らしい


 ようやく最後の期末テストが終わり、夏休みまでのカウントダウンが始まった。
 普段からコツコツと勉強をする和島乃々羽のようなタイプではない二人は、一気に詰め込んだ知識を開放するかのように正面玄関から飛び出した。

「いやぁ~~! 終わったね! 色々と! 最後の科学きつかったぁ~~~」
「化学はもう……マジで分からん。覚えるしかない」
「わかるぅ……化学は理解とかではなく暗記よ……」

 今日のテストの答え合わせをする二人のほかにも正面玄関には生徒がたくさんいる。みんな、テスト期間中禁止されていた部活をようやくできると、我先に部活へ向かう生徒達だ。
 暁人も蒼介も帰宅部だったが、こういう時、部活動に入っていれば楽しかっただろうなと暁人は思った。確か、階段裏の幽霊の依頼をしてきた伊東心春は吹奏楽部だったし、和島乃々羽は家庭科部だった。轟大雅は言わずもがな。みんな部活動を楽しんでいるようだった。

「ね、あおくん」

 学校が終わっても、何かしらの活動をしているのが、少しだけ羨ましく感じた。

「今日さ、テストも終わったんだし、夕飯、食べて帰らない?」

 暁人からの提案に蒼介は驚いた表情を見せる。

「珍しい。暁人が寄り道しようなんて言うなんて」
「たまにはさ~いいな~~って」

 暁人は、学校が終わったらすぐに家に帰るタイプの生徒だ。
 理由はもちろん、早く安全な家に帰って、幽霊の脅威から身を守るためだ。澤見高校は古いので幽霊と鉢合ってしまうことが多いし、帰り道もよく遭遇したりしていた。だから暁人は暗い夜道の中を帰りたくないので、いつも蒼介を連れてまっすぐに家に帰っていたのだ。
 そんな暁人からの提案に、幽霊が見えない蒼介は珍しくテンションが上がったように「いいねぇ」と声を張る。

「あそこの中華屋さん、久しぶりに行くね。楽しみだなぁ」
「……俺はてっきり、中華屋行ったら帰りは暁人の家の近く通るから、送って行ってもらえると思って選んだのかと思ったんだけど、本当に楽しみにしてるんだな」
「そ、それもたしかにあるけど……」
「あるのかよ」

 二人が向かっている中華屋陽陽は小野家方面にある店だ。八淵川に架けられた澤見大橋という片側二車線の大きな橋の近くにあった。
 住宅街が突然開けたかと思うと、そこにあったのは暁人と蒼介が通っていた深地保育園だ。
 保育園の周りは園児達が安全に遊べるようにぐるりとフェンスで覆われていて、芝が生い茂る庭には片付け損ねられたシャベルが落ちていた。

「屋根塗り直してある!」

 深地保育園のシンボルである丸いドーム型の屋根は、当時はくすんだ赤い色をしていたのに、今は色鮮やかなワインレッドに塗り直されていた。時間が時間なので、園児達は外で遊んでいないようだが、お遊戯室の窓から光が漏れて黒い地面を照らしていた。

「懐かし~」
「園長先生、元気にしてるかな」

 二人は中華屋に向かっていた足の向きを変え、保育園へと向かった。そして少し離れた場所で立ち止まると、十年以上前の頭の中の風景と今を照らし合わせたりした。

「回転しすぎて暁人が吹っ飛んだ遊具、さすがになくなってるな」
「あれは殺人兵器だったよ。僕以外にも、轟だって吹っ飛ばされてたし」
「代わりにめちゃくちゃ豪華な滑り台ができてる」
「ほんとだ。城みたい」

 二人の視線が外の遊具から保育園の建物に移り、お遊戯室へと移る。
 ――お遊戯室。あそこには、子供の幽霊が隅のほうでみっちりと固まっているのだ。

「うう……、お遊戯室の幽霊、思い出しちゃった」

 子供達の土色の肌、ぎょろぎょろと忙しなく動く目、そして、あの口。ぞわぞわぞわっと鳥肌が立って、暁人は自分の体を抱くようにして震えた。

「角にいる子供の幽霊のことか?」
「そう。よく覚えてるね。お遊戯室の隅っこに子供が何人も集まってて、口が幼虫みたいにわあわあ動いてるの」
「その表現が気持ち悪くて覚えてんだよ」

 蒼介は無視が苦手だ。だから、暁人のその表現が頭にこびりついているのだろう。

「でも――」

 暁人が困ったように笑った。

「今となっては、あの幽霊に感謝してる、かも」
「はぁ? あんなに泣きべそかいといてか?」
「うん。だって、あの幽霊のおかげで、あおくんと友達になれたんだもん」

 お遊戯室の幽霊を怖がり、先生達を困らせるくらい泣いていた暁人に気が付いた蒼介が、声をかけえてくれたのだ。
 そして「信じる」と言ってくれた。絶対の味方ができた瞬間を、暁人は忘れることはなかった。
 だからあの幽霊達は、ある意味暁人と蒼介の橋渡しをしてくれたのだ。暁人はそう思っていた。それ、なのに――

「やっぱお前、覚えてないんだな」

 蒼介の思ってもいなかった言葉に、暁人はそのまま固まった。

「え……覚えてないって、なにを……」

 そういえば、と思い出す。
 蒼介に以前、「俺だって救われてる」と言われたことがあった。暁人には、全く記憶がないことだ。
 そもそも自分は、蒼介に救われている記憶しかないのだ。自分が蒼介を救ったことなど、今まで一度もない。
「あおくん」
 隣の、少し上にある顔を見る。
 蒼介は幼馴染だ。それはずっと変わらない。そのはずなのに、それがなぜか、少し苦しく感じてしまう自分がいた。

「ご、ごめん……覚えてないや」

 正直に言う暁人に、蒼介がふっと笑った。いつもの、呆れたように笑う、優しい笑顔だ。そして蒼介は暁人にきちんと正面から向き合うと、まっすぐに目を見つめて口を開いた。

「暁人」
「う、うん」
「お前は覚えてないかもしれないけど、俺、保育園の頃――」

 ――張り詰めた空気を一変させたのは、力が抜けるよう軽い音楽だった。

「……はぁ」

 大袈裟なくらい大きなため息を履く。
 その音は蒼介のスラックスのポケットから鳴っていて、ついさっき家に夕飯はいらないと連絡をしたスマホの着信音だった。

「……母さんからだ」
「え! 緊急の用事かな。出て出て!」
「…………悪い」

 蒼介はその場で電話に出ると、何度か「うん、そうだよ」とやり取りを繰り返した。そして、

「え? まあ、そりゃ、いる……けど」

 と、暁人を横目で見ながら話を続けた。何かに抵抗するような内容のようだったが、ついに諦めたようでスマホを耳から離すと暁人へと差し出した。

「暁人」
「ん?」
「母さんが、暁人と話したいって」
「んん!?」

 差し出されるスマホに、暁人は困惑しながらとりあえず受け取る。

「あ~! 秋ちゃんお久しぶり~!」

 このはじけるように明るい声は、間違いない。蒼介の母、恵子だ。
 しばらく会っていなかったが、相変わらず、この息子を生んだ母とは思えない明るく朗らかな声だった。

「お久しぶりです、おばさん」
「この前はうちの蒼介が夕飯いただいちゃってありがとうね~」

 暁人の母である穂香と蒼介の母である恵子は、二人が保育園時代からのママ友だ。だから恵子は、十五歳にもなった暁人のことを自分の子供のように可愛がってくれていた。

「いえいえ! うちのお父さんも、あおくんは食べさせ甲斐があるって喜んでました」
「あの子、本当によく食べるからね~。これから陽陽でしょ? 楽しんでね」
「はい!」
「……で、ここからが本題なんだけど……」

 恵子が声のトーンを落とす。まるで重大で重要ななにかを離すような口ぶりだ。
 ……まさか、幽霊退治だろうか。脳裏に今までの依頼人である三人の顔が浮かび、身構えながら話を聞いていく。

「――今週の土曜、もしよかったら、うちにランチ食べに来ない?
「へぇ? ら、ランチ……ですか?」
「そう!」

 思ってもいなかった言葉に体から力が抜ける。

「こ、今週の土曜なら、特に予定はないですけど……」

 チラリと蒼介を見る。蒼介は何とも苦い顔をしていて、どうやら会話の内容を知っているようだ。賛成も反対もしていないのが、気になるところではあったが。

「ほんと!? 実はね、蒼介のおじさんの地元から、またいっぱい夏牡蠣をいただいてね。土曜のお昼にクール便で届くから、おばさんとおじさんと蒼介の三人で牡蠣パーティしようって話してたんだけど……あきちゃん、牡蠣好きでしょう? もしよかったら、牡蠣食べ――」
「いきますっ!」

 食い気味に答えた暁人を見て、蒼介が顔を覆ってため息を吐いた。
 暁人と恵子はその後も何度かやり取りをして、「うん、じゃあ土曜日に!」という暁人の明るい声で二人の通話は幕を閉じた。
 スマホを蒼介に返しながら、暁人が照れくさそうに笑う。

「夏牡蠣につられちゃった」
「見事につられてましたねぇ」
「えへへ……」
「母さん、暁人のこと大好きだからなぁ。まあ、決まっちまったもんはしょうがないか」
「なんかあおくん僕が家に行くの嫌そうだね!?」

 キャンキャンと吠える暁人に、蒼介が面倒臭そうに答えた。

「別に嫌ってわけじゃねぇよ。ただ……」

 蒼介はもう一度ため息をついた。しかしそれは完全に無自覚だったようで、吐いてからすぐにはっとした顔になると、言いにくそうに口を開いた。

「……ただ、うちに行くと……ほら、暁人も本家に挨拶行かなきゃいけなくなるからさ」
「別にいいよ! 挨拶なんて秒で終わるし」
「でもなぁ……」

 蒼介がここまで言うのには、理由があった。
「あおくん、相変わらず本家の人達苦手だね」
「苦手ってか嫌い。関わりたくない」

 蒼介は、深森家本家を嫌っているのだ。
 それは昔からずっとで、どれくらい嫌っているかというと、暁人を本家へ近付けさせないくらい嫌いだった。

「あおくんを養子にする計画、まだ諦めてないんだ?」

 理由はいろいろとあるらしいが、主な理由のうちの一つがそれだった。
 蒼介は数も数えられない小さい頃から、本家の人間から養子になるよう説得を受けていたのだ。
 ……もっとも、蒼介が本家を嫌う一番の理由は、まだほかにあるらしいのだが、蒼介は絶対に教えてくれなかった

「……ああ。結局、本家に子供は正子しか恵まれなかったし、分家も男は俺だけだから」
「そっか」

 暁人はフェンスに寄りかかると、なんてことの無いように言った。

「大変だね」

 その、だった一言だけ。
 他人が聞いたら、冷たいと思われるかもしれない、突き放すと思われるかもしれない、短い言葉だ。けど蒼介には、暁人のその言葉で心が軽くなるのを感じた。

「ふはっ。そう、大変なんだよ」
「いろんな家があるもんねぇ」
「本家はまだ古い考え方の人間多いからさ。あー、もし暁人ん家に養子になれって言われたら、飛びつくのになぁ」
「いいね! それなら僕らは兄弟だ」
「……やっぱいいや」
「なんでさ!」

 またキャンキャンと吠えだす暁人を、蒼介が笑いながら宥める。

「……でも、本当にいいのか? うち、幽霊多いだろ」
「んあ~……多いけど、でもあおくんがいるから大丈夫!」
「っは、俺が迎え行くのかよ」
「お願いだよぉ~途中まではいくからさぁ~」

 両手を合わせ、くねくねとお願いの舞を踊る。蒼介はそんな暁人を冷たい目で見つめ――視線を、足元へと落とした。

「でも正直、助かる……」

 あまり聞いたことのない、力のない声だった。
 目線の先では、つま先が雑草をもてあそんでいる。

「え……あおくんがそんなこと言うくらい夏牡蠣が大量にあるってこと……!?」
「違うわ」

 少しだけ上を向いた蒼介が続けた。

「……今さ、ショッピングモール作るって土地開発してるだろ? それが本家所有の土地だからさ、色々と毎日慌ただしいんだよ」

 土地開発というのは、以前郷土の歴史の授業でも取り扱っていた件のことだ。川向うに新しく大型ショッピングモールを建て、それに伴って周辺の整備が現在されている。

「夏休みに入ったくらいに地鎮祭みたいのやるらしくて、専門家とか呼んだりしててさ。みんなめったにないことだから勝手が分からなくてピリピリしてて、本家から母さんへの風当たりも強いし」

 暁人は詳しくは知らなかったが、蒼介が現在の深森家の子供の中の唯一の男児で、本家の人間から養子になれと圧力をかけられていることは知っていた。しかし、本家の出ながらも女性だということで分家となった恵子にも、風当たりが強いのだという。

「土日ともなるとさ、母さんは『予定とかないから』って、いつも本家の手伝いに行くんだ。……だから、暁人が来てくれて、母さんの『予定』になってくれて、俺も母さんも嬉しい」

 困ったような、力のない、儚い笑顔だった。それだけで、蒼介の心労が窺える。
 だから暁人は、わざと明るい声を出して言った。

「もちろん! ルンルンのうっきうきで行かせていただくよ!」
「……助かる」
「気にしないで! いつもお世話になってるあおくんのため、おばさんのため、夏牡蠣のため!」
「最後のやつが本命だろ」
「……うふふふふ」

 蒼介の顔に笑顔が戻る。それがただ、嬉しかった。