幽霊はエロいことが苦手らしい


 クラスマッチから数日経った放課後。
 暁人と蒼介は、例の防球ネットの裏で膝を抱えて座っていた。
 そこは山の傾斜を少しだけ登った場所で、昔はここには何件か家が建てられていたらしく、コンクリートの土台がそのままになっていた。
 ひんやりと冷たいコンクリートに腰を下ろし、目の前のグランドで練習に精を出す野球部をぼんやりと見つめる。その中に、大雅の姿もあった。

「もしかしたら――」

 あの日、三人が導き出した答え。それは――

「幽霊は、『部活中』に『ユニフォームを着ている時』にしか出てこないんじゃないのかな」

 暁人の言葉に、「そんなわけ」と言いかけた口を二人がつぐんだ。
 そして、ものは試しと、大雅の部活中に暁人と蒼介は防球ネットの小道で待機してみることにした。そしてボールがネットを突き抜けたら、それを追ってきた大雅と合流し、幽霊を見つけようという計画だった。
 とはいえ、ほぼ全員が野球経験者の澤見高校野球部は、球の取りこぼしなどがほとんどなく、一時間ほど前から二人はただの野球練習観戦者となっていた。

「そーいえばさぁ」
「んー……」

 必然的に、会話の内容がどうでもいい適当なものになる。二人はスマホをたぷたぷといじりながら続けた。

「川向うの開発具合、見た?」
「ああ、たま~に見てる」
「この前お母さんとそっちらへんに寄った時に聞いたんだけど、あそこらへんはあおくんの本家所有の土地も絡んでるの?」
「らしいな」
「らしいなって、興味なしか。この大地主め」
「ほら。俺は家ではできるだけ本家と関わらないように息を潜めているので……」

 蒼介はその話題を早く終わらせようとしてか、「ソーイエバサァ」と先程の暁人の口調を真似しながら言った。

「体感、この学校には幽霊が多い気がするんだけど、そう感じてるのは俺だけか?」
「え!?」

 驚いてスマホの画面から顔を上げる暁人に、蒼介がさらに驚いたような顔になる。どうやら、自分の感覚があっていたとにも驚いているようだ。

「え、やっぱりそうなのか。俺、相変わらずなんにも見えないけど、明らかに中学校や小学校と比べるとお前が驚く回数が増えてるなって思ってさ」
「さっすがあおくん、勘がいい!」
「うす」

 ぺこりと頭を下げる蒼介に「野球部か」と突っ込みつつ、暁人は「ん-」と言葉を探しながら話し始めた。

「小学校も中学校もいたことにはいたけど、ここが多すぎるってだけだと思う。ほら、澤見高校って、古いでしょ?」

 二人が通う澤見高等学校は、創立百二十年を超える古い歴史ある学校だ。

「やっぱり古いと幽霊が出やすかったり、寄ってきやすかったりするのか」
「それもある。古いってことは、それだけ誰かがいたってことだから。……ん~ 僕独自の持論なんだけど、そもそも幽霊って、単体で幽霊になるには、よっぽど強い思いを残した人じゃないと、ならない気がするんだ」
「……と、言いますと?」
「ほとんどの幽霊は、巻き込まれただけ、と言うか……乗っかっただけ、と言うか……」

 説明が難しい。
 暁人は指をくるくる回すジェスチャーをして、何度も何度も口ごもりながら続ける。

「う~ん、なんていうんだろ……。あおくんって、綿飴作ったことある?」
「作ったことはないけど、作るのは見たことある」
「お。十分だよ。――幽霊って、ああいう感じなんだ」
「……幽霊が、綿飴ってことか?」
「イメージで言うとだけど……誰かが亡くなったり、強い気持ちを残しても、その気持ちや思いはその場に留まるだけなんだ。これが綿飴を作るときの、最初にふよふよ浮いてる状態ね」

 綿飴は最初、投入口へ砂糖を入れてからしばらくすると、熱風で溶けて伸ばされた砂糖が雲のようにふよふよと浮かんでくる。そこに串を入れて巻き上げていくのだ。

「最初は薄くて儚いふよふよが、いくつも集まると大きな雲みたいになる」
「……集合体ってことか」

 階段裏の幽霊を思い出す。あの影のように暗い人は、階段裏で行われている秘密の会合を知りたいという意識の集合体だった。

「そんな感じかな」
「……その綿飴理論で言うと、めちゃくちゃ強い気持ちを持った誰かが死んだら、厄介だろうな」
「そうだね」

 ふよふよふわふわした意識の集合体の中に、強い意志という名の串を一本差し込むと、漂っていたものがそこに巻き取られる。一人の、他とは比べ物にならないくらいの強い気持ちを持った誰かが串となって入ると、形を作る。それこそ、その綿飴には芯があるから簡単には崩れない。
 それが、姿形を持つ幽霊なのだと。

「ふよふよが誰かの意識の集合体は階段裏の幽霊。集合体に乗っかって幽霊としての姿形を得たものが図書館の幽霊ってことか」
「そう」
「けど、それと学校って、なんの関係があるんだ?」

 蒼介が続けて聞く。いつの間にか、スマホはしまわれていた。

「綿飴のふよふよは気持ちなんだ。それは死んだ人も、生きてる人の気持ちも同じ。だから、学校ってすごく溜まりやすいんだと思う。ほら、やっぱり僕ら思春期達ってさ、強い気持ちや感情があるじゃない」
「確かに。毎日感情のエネルギーの大爆発みたいだもんな」
「でしょでしょ。それで、プラスでもマイナスでも感情は感情。だから、学校はふよふよが多いんだ。小学校と中学校に幽霊が少なかったのは、そもそもの建物の古さの――」
「人がいた年数の違いか」
「そゆこと!」

 二人が通った小学校は、高校に比べて築年数があまり経っていなかった。中学校に至っては、旧深地村と澤見市が合併した時に建てられた記念学校のようなものなので、より若い建物だった。

「この高校は長い間、人の気持ちを溜め込み過ぎたんだよ。だから幽霊が多いんだ」
「……古くからあって、強い思いを残した人、か……」

 暁人の言葉に、蒼介がポツリと呟いた。
 それは独り言のようでもあり、自分に言い聞かせているようでもあった。

「――なら、深森家には、もっと多くの幽霊がいるかもしれないな」
「え? ――うわっ」

 蒼介の言葉の意味を聞き出そうと暁人が口を開いた瞬間。防球ネットが大きく揺れ支柱に当たる音が響いた。
 二人で顔を見合わせる。ついに、誰かがボールを取りこぼし、防球ネットの下を通り抜けてきたのだ。ここにくるまでだいぶ時間がかかってしまった。もう太陽は沈み、空には余韻のような光が雲を照らしているだけだ。

「よし」

 二人は立ち上がると、尻の汚れを叩きながら計画のおさらいをした。

「ボールが来たから、もしかしたら幽霊が現れるかもしれない」
「ああ。で、もし現れたら、轟が球を取りに来る前にキスして――」
「――待たせたな」
「うわあ!」

 計画をおさらいする二人の間に、いつの間にかユニフォーム姿の大雅が立っていた。……実は二人とも知らなかったが、大雅は蒼介も思わず目を見開くほどの俊足の持ち主であった。
 悲鳴を上げ、ついでに飛び上がってしまった暁人に大雅が不思議そうな顔をしたが、キスという単語は聞かれていなかったようだ。
 蒼介が窺うように暁人へ視線を送った。その視線を受けた暁人も、同じ気持ちだ。
 轟がいたら、エロいキスでの幽霊退治ができない。
 幽霊に困り、退治を依頼してきたとはいえ、まさかその方法がエロキスという、とんでもなくどうかしているものだとは、さすがの大雅も思っていないだろう。
 その姿を見たら、もしかしたら幽霊が見えると噂されるよりひどい内容を流されるかもしれない。蒼介も同じことを思っているらしく、どう動こうか悩んでいるようだ。

「じゃ、じゃあ、轟」
「おう」

 スライディングでもしたのだろうか、腹を土で汚した轟は、ようやくこの日が来たのかと目を輝かせていた。先日、あんなに突っかかり合っていた蒼介の言葉を素直に聞く。
「轟は幽霊を見つけてくれ。俺と暁人は、お前が幽霊を見つけさえしてくれれば、そこで対応するから。お前は部員に怪しまれないように部活に戻ってくれ。いいな?」
 なるほど。うまい返しである。
 轟も「分かった」と快諾し、すぐにあたりをきょろきょろとボールを探し始めた。これなら、なんとかなりそうだ。
 ……しかし、三人が思っているほど、簡単に幽霊は現れなかった。

「いねえな……」
「見つからないか。暁人はどうだ?」
「うん、僕にも見えないかな」
「そうか……」

 見えない蒼介もきょろきょろとあたりを見渡す。が、幽霊は現れない。これでは、ボールを探した方がいいのかもしれない。
 大雅がグローブを脇に挟むと、ガシガシと乱暴に坊主頭を掻いた。

「なんで今日に限って出てこねえんだよ」
「きっとそういう日もあるんだよ」
「……本当に、いつもならボール取りに来た瞬間に出てくるんだけ、ど――」

 ――そう言った大雅の目が、零れ落ちそうなほど大きく見開かれるのを、暁人は見た。
 大雅の全身に力が入るのが、息が止まるのが、ユニフォームの上からでも分かった。大きく鼻の穴が膨らんで、奥歯がカチカチと鳴る小さな音が聞こえる。
 大雅の視線の先にいるのは、蒼介だ。いや、蒼介の、後ろ――

「ッあ、ぁあああああおくんあおくんあおくんあおくぅうううん!!」

 振り向いて蒼介を見て、恐怖が口から漏れだした。
 叫ぶ暁人と固まる大雅を怪訝そうな顔で見つめる蒼介の、太腿。その陰から、まるでサルノコシカケのような白いキノコが――手が生えていた。

「ッうわあ!」

 暁人の絶叫でようやく我に返った大雅が暁人に抱き着き、つられて暁人も抱き返す。

 見えていない蒼介だけが冷静だった。そして冷静がゆえに、そのまま何の気なしに振り返ってしまったのだ。……つまり、体をひねり、後ろにいるであろうものを、抱きしめ合っている二人に、しっかりと見せつけてしまった。

「んぐぅうううう~~~!」

 ――それは、話に聞いていた通り、痩せこけた老女だった。
 品よく微笑んでいるが落ちくぼんだ目は濁り、赤く塗られた口は弧を描いている。図書館の幽霊のような狂気的な笑みではないが、暗い木々の合間に訪問着を着た老女が正座しているという場違いな恐怖に、暁人はもう心底震え上がった。

「すんませんすんませんすんません……!」

 大雅は暁人に必死にしがみつき、謝罪の言葉を口にしている。何が何だか分からないが、とりあえず謝っておこうという考えだろう。

「幽霊は今、なにしてるんだ?」
「あああああおくんの後ろにいて! 正座して! 着物姿で! で、手、ててて手を、こう、こうやってしてるの!」

 恐怖でパニックになりながら幽霊と鏡合わせのようにポーズをとって説明する。すると、自分と同じポーズをとった暁人に老女は一層笑顔を深めたようで、暁人は目にシワが寄るくらい強く瞑り「ぇあーーッ!」と奇声を上げて大雅に回す腕に力を入れた。

「怖い怖い怖いこわいこわいこわいってばほんとに怖いんだってば!!」
「お、小野……! 早くなんとかしてくれよぉ!」
「な、なん、ななな何とかしてなんて、だ、だ、だってぇ……っ」

 「何とかしてくれ」というのは、つまりは幽霊を退治してくれということだ。
 暁人だって早くそうしたい。しかし、できない。
 なぜなら二人の幽霊退治方法は、幽霊の前でエロいキスをすることなのだ。だから普段は人がいない場所でやっているし、図書館の時は乃々羽に見張りを頼んで遠ざからせていた。
 しかし、今は大雅がこんなにも近くにいる。そして幽霊は大雅がいないと出現しない。
 大雅に目と耳を塞いでもらえば問題ないのかとも一瞬思ったが、このパニックに陥った中、何も見えず何も聞こえない状態は余計パニックになってしまうだろう。
 どうしよう。そう、大雅に負けないパニック頭で考えていた時。
 蒼介の落ち着いた声が聞こえた。

「あれ、ボールじゃないか?」
「………………はぇ?」

 恐怖で涙と鼻水が出てしまっていたが、そんなことを構わずに顔を上げた。それくらい、蒼介の言葉は場違いだったのだ。
 見ると、蒼介が山際の細い道の隅を指さしていた。そしてその先には、落ち枝の束に隠れていた汚れたボールがあった。
 いつの間にか、老女はいなくなっている。

「ほんとだ」

 暁人と同じ状況の大雅が言う。
 蒼介はポケットからティッシュを取り出して暁人に手渡すと、ボールを取りに行った。

「……え、てか、なんで今この状況でボールに目が行くん? 俺ら二人とも泣きながら大騒ぎしてんのに」

 まっとうな疑問だ。
 大雅と同じ意見なのは少しだけ抵抗があった暁人だったが、ここはこくこくと頷いて同意した。大雅だけではなく暁人にも同じ顔をされた蒼介が、ボールを大雅に投げる。

「ボールに目が行くっていうか、目に入ったというか」
「はあ?」
「……さっき暁人が幽霊のポーズを真似してくれただろ? その時、手がまるで何かを指してるみたいに見えたんだ。それでその先を見たら、ボールがあった」
「……そ、そう、かも」

 言われてみれば、確かにそうだ。
 老女の見た目と出現場所の不釣り合いさから恐怖に飲み込まれてパニックになっていた。しかし、確かに冷静になってみれば、老女のポーズはなんだかおかしかった。
 品の良い笑顔と、よくよく見れば上質な藤色の訪問着を着た姿。そして、上品に差し出された手。


「あちらにあります」


 そんな言葉が、聞こえてきそうな姿だった。

「……もしかしてなんだけど……」

 暁人は恐る恐る、自身の考えを口にした。
 ボールを取りに来る時だけ現れる。指で示すような動き。
 老女がずっとここにいるのであれば、転がってきたボールがどこにあるかなんてすぐに分かるだろう。
 それらをまとめて考えた時に導き出される結論。それは――

「あの人は、ただボールの場所を教えてくれてるだけなんじゃないのかな」

 暁人が導き出した答えに、あんなにいがみ合っていた二人が、同じ反応をした。