幽霊はエロいことが苦手らしい


 空気がじっとりと湿っていて、日が差す日中はまるで真夏のよう。
 頭皮を焦がすような白い太陽の光が降り注ぐ今日、澤見高校ではクラスマッチが開催されていた。
 それぞれの学年のクラスが桃、白、緑の三つのグループに分けられ、学年の壁を越えて応援し合う夏休み前の一大行事である。種目はリレーに障害物競走、ソフトボールにバドミントンなど、澤見高校の二つあるグランドと体育館をすべて開放してのお祭り騒ぎだ。
 先日ようやく中間テストが終わったこともあって、生徒達は全員これでもかというくらい羽を伸ばしていた。

「おー、打った打った」
「がんばれー! 走れー!」

 卓球の試合を終えた暁人と借り物競争を終わらせた蒼介は、クラスメイトが勝ち進んでいるソフトボールの試合をグランド端の木陰から応援していた。
 暁人と蒼介がいる四組は、派手で声が大きい生徒もいるが、根が穏やかな生徒が多く、クラスマッチの出場種目決めでも男女共にあまり揉めずに済んで良かった。声を揃えて独自の掛け声を披露するクラスもあったが、四組は皆各々が好きに応援していた。

「すごいな。あいつ、剣道部だろ? よくあんなに飛ばせるな」

 クラスメイトの活躍を素直に褒める蒼介をチラリと見る。
 あまり顔には出さないが、蒼介もこのクラスに馴染めているようだ。
 どちらかというと蒼介は人見知り気味で、暁人のほうがコミュニケーション能力は高い。だからなのか、蒼介は小学校時代は友達が少なかった。中学校に上がってから少しは改善されたものの、今でも人の名前がなかなか覚えられなかったり、人見知りに加えて他人への興味関心の低さが窺える。

「竹刀もバットも似てっからな~」
「関係あるのか?」
「佐々倉、今日のために竹刀で野球の素振りを毎日五百回してたらしいで」
「それは意味があるのか」
「……深森、お前それ絶対に佐々倉に言うなよ」

 そんな蒼介が、暁人以外のクラスメイト達と楽しそうに話をしている。話している相手は、暁人以外で蒼介がよく話す人畜無害な穏やか男子達だったが、小学校時代と比べれば素晴らしい進歩だ。
 あまり見ない角度の蒼介の顔を盗み見しながら、暁人は嬉しいような、寂しいような、不思議な感覚を覚え――別の感覚も覚えた

「あおくん……僕ちょっとトイレ行ってくる」

 コテンパンに負けた卓球の試合中、水分を飲みすぎたようだ。

「一緒に行くか」
「ううん、大丈夫。ちゃちゃっと済ませてくるね」

 蒼介は一緒に応援していた男子と、「どうすれば三人前のチャーハンを美味しく作れるか」という熱い話を繰り広げていた。そこを邪魔したくはない。
 暁人は一言伝えると、ここから一番近いトイレへと向かった。

「あら」

 しかし、そこは第一グランドと第二体育館に近い場所ということもあって、男子トイレでさえ長蛇の列ができていた。これなら、校舎の中のトイレを使ったほうが楽だ。そう思った暁人は、次のトイレチャレンジを確実にものにするために、少し離れたトイレへ向かうことにした。

「……あ~……やっぱりあおくんについてきてもらえばよかったなぁ~……」

 小さく呟いた声が、人の気配が一切しない普通教室棟の二階廊下に響く。普段エネルギーに満ち溢れるここは、それが信じられないくらい静まり返っていた。

「こういう時って、幽霊が来やすいのよねぇ~……」

 静寂が怖いのか、わざと声を出して進む。
 いつもと違う場所が静か、いつもと違う場所が賑やか。そういう時は、幽霊を引き寄せやすい。普段と違う状況に、幽霊も「どうしたんだろう」と思ってひょっこりと顔を覗かせてくるのだ。
 だから今の状況のような、クラスマッチで人がまったくいない廊下や教室の前を通るのは、少しだけ勇気のいる行動だった。……実際、とある教室の前を通った時、誰もいないはずの教室の教壇でやけに細長い女が合唱団の指揮者のような動きをしていたり、換気のために開けていた廊下の窓枠に外からしがみつく手があったりして、暁人はできるだけ廊下の真ん中を歩いた。
 蒼介を連れてこなかったことを後悔し、涙目になりながらも、ようやくトイレまであと数メートルのところにまで来た。歩いているうちに膀胱が音を上げてきていて、トイレに長蛇の列がないことにホッと体から力が抜ける。その時――

「小野」
「にぎゃあっっ!」

 暁人はお手本のように飛び上がった。とっさに股間を押さえ、腹に力を入れて振り返れば、そこには野球のグローブをはめた男子生徒が立っていた。

「と、轟……」

 暁人と蒼介、二人と同じ幼稚園と小学校だった轟大雅が、そこにいた。
 小さい頃から地域の少年野球クラブに所属していた彼は、今も変わらず野球部に所属しているらしい。短く刈り上げた丸い頭と、すでに真っ黒に日に焼けた肌が印象的だった。

「あ、トイレ行く途中だったか。悪ぃな」
「……」
「えっ! もしかしてアウトだった!?」
「まだセーフだよ!」

 危うくアウトになるところではあったが、暁人はやけくそ気味にそのまま「なんだよ!」と返した。
 大雅は暁人の勢いに押されたのか――はたまた別の原因か、なにか言いづらそうに視線を明るい窓の外へとそらす。
 ――その姿は、幼稚園と小学生の頃、暁人を「幽霊が見えるなんて気持ち悪いやつ」とからかった姿からかけ離れていた。

「……クラスマッチが終わったらさ、そのまま帰る?」
「うん、あおくんと帰るつもりだけど」
「あおくん? ……ああ、深森のことか。小野、お前まだ深森のことあおくんなんて呼んでんのかよ」
「う、うるさいな! 用事がないなら、僕トイレに行きたいんだけど!」
「あ、ちょっと待てよ!」

 そう言ってトイレへと向かおうとした暁人を、真っ黒に日焼けした腕が掴む。

「その……相談したいことが、あるんだけど」

 言いにくそうにする姿は、伊東心春と和島乃々羽と同じだった。