星峰デパート。
鉄筋コンクリート造のモダンな高層建造物はもちろん夜乃は初めて見た。
このあたりは五歳ぶりだが、街の光景自体が全体的に高くなり、まるで別世界にきたようだ。
「え、土足でお店に入っていいのですか?」
「海外では家でも靴を履きっぱなしだぞ」
「か、階段が動いている!?」
「エスカレーターだ。転ぶなよ」
蒼剣に促されるまま、動く階段に初めて乗った夜乃。慎重にぴょんっと降りた二階は、一階よりも煌びやかだった。床には深紅の絨毯。天井にはシャンデリア。棚のあらゆる箇所には頭が星型の珍妙なぬいぐるみが置いてある。
夜乃がぬいぐるみに目を向けていると、蒼剣が「ふふん」と鼻を鳴らした。
「それは星峰デパートのマスコットキャラクター『ほっしーくん』だ。可愛かろう? 記念に一体やろう!」
「あ、ありがとうございます……」
“ますこっときゃらくたー”なるものが外来語に疎い夜乃にはわからないものの、くれるというものを拒否できるほど、夜乃の心は強くない。
しかし手元でよく見てみれば、桜乃が集めているぬいぐるみとは一風を成しているが、つり上がった口角に愛嬌があった。なにより蒼剣にそっくりである。
(よく見れば、かわいいかも?)
ぬいぐるみを大切に抱えた夜乃が改めて周囲を見渡していると、蒼剣がご機嫌に笑う。
「ははっ、まるで遊園地にきた子どもようだな!」
「ゆうえんち……?」
「今度連れていってやる」
(次があるの……?)
だけど、そんな疑問はすぐに夜乃から飛んでいってしまった。
「蒼剣おぼっちゃま!」
とある店員の一声に、スーツをきた老若男女が、一斉に整列して頭を下げてしまったからだ。
「えっ、えっ!?」
(実は全員討伐隊だったり?)
見た目はデパートの店員だと思うけれど、実は夜乃を油断させるために……。
そんな考えが頭をよぎった夜乃が身構えるも、蒼剣は気だるそうに「シッシッ」と追い払う仕草をしていた。
「そこの二人を残して全員散れ。今日はプライベートだ」
『かしこまりました』
そして店員たちは去っていく。彼の言葉のとおり、妙齢の女性を二人残して。
あっという間の出来事に夜乃が呆気をとられている合間にも、蒼剣は残った店員らに命令を下していた。
「おい、こないだ仕入れたオートクチュールのワンピースを持ってこい」
「まあ、素敵ですわぁ!」
「では、お嬢様はこちらに」
夜乃にはやっぱり “おーとくちゅーる”という外来語がわからないが、高そうということだけはなんとなくわかる。
だけど育ちのよさそうなわりに力が強い店員らに無理やり連れていかれた先は、カーテンで仕切られた小部屋だった。小部屋といっても天井には小さなシャンデリアがついているし、大きな鏡の前には丸い絨毯が敷かれている。
その中で、夜乃は人形になるしかなかった。
「お召し物を脱がしますね……まぁ、いい着物ですこと」
「デザインは古いですが、生地の傷みはありませんね。元はお母様? きっと大事にしていらしたんですね」
「このべっ甲の櫛も見事ですわぁ。おぼっちゃまはようやく見合うお嬢様に出会えたようですわね」
店員さんたちが下着姿になった夜乃を見てクスクスと笑う。
笑われて恥ずかしいけれど……あまりに優しい眼差しだからいやではない。
ただ、くすぐったいだけ。
(お母様、そんないいものを貸してくださったんだ……)
視線を逸らした先で、鏡台にちょこんと置かれた『ほっしーくん』が目に入った。
その偉そうな笑みに、夜乃は小さく口角をあげる。
(お土産にこの子をあげたら、お母様はどんな反応をするのだろう?)
そんなとき、店員さんに再び声をかけられる。
「ほら見て、素敵なワンピースでしてよ」
「これ、お坊ちゃまが海外から直接仕入れてきたの」
夜乃の前に合わせられたのは、レースの襟が大きなワンピース。だけど艶やかな黒地に朱色の花が大胆に描かれた柄は、夜乃にはすこし派手なようにも見えて。
(こんな大人っぽい服が私に似合うのかしら?)
だけど、不安そうな夜乃に、店員は満面の笑みを浮かべていた。
「お坊ちゃまの目利きは天下一品。右に出るものはいませんわ。坊ちゃまが選んできた絵画を帝が直々にお褒めくださったこともあるんだから」
だけど、夜乃に拒否権なんかない。促されるまま、与えられたものを着るだけ。
さらに化粧もされるらしく……夜乃はほっしーくんが座る豪奢な鏡台の前に座らされる。
ベテランそうな店員に、肩にそっと手を置かれた。
「だからあなたも背筋を伸ばして。坊ちゃまが初めて連れてきた女性なのですよ」
「あなたの着付けができるなんて、わたしたちもラッキーね」
もうひとりの若手に白粉を叩かれながら、夜乃はおずおず尋ねてみた。
蒼剣のことを、少しでも知りたいと思ったからだ。
「そんな凄い方が、どうして討伐隊に?」
それに、ベテランが少し視線を迷わせながら耳打ちしてくる。
「ここだけの話ですが……子供のころに、坊ちゃまはあやかしに襲われたことがあるそうで。そのときに、大切な女の子を亡くしてしまったんですって」
(大切な女の子……)
夜乃もお見合いの前に、星峰家の家系について説明は受けている。奥方が長男の蒼剣を産んだことで体調を崩し、しばらくして亡くなったこと。それから当主は再婚をしていないから、彼が一人っ子であるということ。
(初恋のひと、なのかしら?)
あんな自信家の人の初恋は、どんなひとなんだろう?
(きっと私なんかより、ずっとステキなひとなんだろうな)
なんとなく抱いた感想に、夜乃の胸がずきりと重くなる。
そんな自分に、夜乃は密かに驚いていた。
(なぜ、私が落ち込むのかしら?)
だって、自分は忌み子であるということを置いておいても、ただの政略的な見合い相手。出会って間もないし、単に蒼剣様に気に入ってもらえれば御の字の立場なのだ。
店員たちは慣れた手つきで化粧を進めながらも、口も動かし続ける。
「その無念を晴らすために、ご当主様の反対を押して、討伐隊に入隊なさったようですわ。まあ、二十歳になっても成果を出せなかったら、家業を継ぐ約束があるようですが」
「あと一年くらいかしら――」
夜乃の唇に、赤い紅が引かれたときだ。
「おい、雑談が多いぞ。暇を出されたいのか?」
カーテン向こうからの蒼剣の低い声音に背筋を震わす夜乃。
一方、店員さんたちはクスクスと笑うだけだった。
「もうすぐですわ」
「せっかちな殿方はフラれてしまいますよ?」
大きく揺れたカーテンの向こうから「なっ」とたじろぐ声が夜乃の耳まで届く。上ずった声で「俺の時間にいくらの価値があると……」とモゴモゴしている様に、思わず夜乃も小さく笑ってしまった。
(蒼剣様の気持ちはともかくとして、店員たちと良好な仲を築いているようね)
「さあ、用意ができましたよ」
「坊ちゃんの惚ける顔が楽しみですわね」
鏡に映る女性は、まるで別人のようだった。
大胆なワンピースに負けじと、自分は意外と派手な顔をしていたらしい。シンプルに下ろした黒髪に、赤いカチューシャと口紅がすごく映えていた。
自分では、こんな自分も意外と可愛いのではないかと思ってしまう。
だけど、夜乃は思わずこんなことも考えてしまう。
(蒼剣様は褒めてくださるかしら?)
さっきから、どうしてこんなにも蒼剣のことが気になるのだろう?
忌み子として通報されるから?
そんな恐怖ではないのは一目瞭然だった。
だって、さっきから夜乃の頭に浮かぶのは、自分を見下ろして自慢げに笑う姿や、傲慢な言動の中に隠れた気遣いの数々、そして、店員たちに好かれている様、そしてなにより血を吸ったときの蕩けたかわいい顔――そんな親しみのある姿ばかりだったから。
だったら、夜乃の思考の原因はひとつしかない。
(私、蒼剣様に惹かれているの?)
(私は、蒼剣様に討伐されるべき、忌み子なのに?)
鏡台の上のほっしーくんが、変わらぬ笑みで夜乃を見つめている。
夜乃は恥ずかしさと居たたまれなさに、そっとほっしーくんの向きを変えた。
