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『あなたはわたしの一番星』
それが星峰蒼剣が最期に聞いた母の言葉だった。
子を産んだことで体調を崩し、若くして亡くなる――そんな女性はこの時代なにも珍しい話ではなかった。むしろ物心がつくまで生きてくれたのだから、御の字だと蒼剣は思っている。強いて悔やむなら、自分が何も親孝行できなかったくらいだ。
だから、蒼剣は母の遺言にならって、星のような男になろうと思った。
それから、蒼剣はあらゆることに努力を惜しまなかった。幼いころから父の仕事を必死に覚えようとして、特に語学に力を入れた。その努力の結果、八歳で国の留学試験に合格。途中帰国する合間にあやかし防犯具を輸入に貢献。その功績が称えられて、蒼剣が十五のときに星峰家の華族入りが認められた。そして、十七歳で正式帰国したあかつきには、星峰家の次期当主として輸入販売業で国の発展に多大な貢献――すると誰しもが思っていたが、まさかのあやかし討伐部隊に志願し、今に至る。
現に、今も星峰蒼剣はあやかし討伐部隊員として、大事な任務を遂行中だ。
それなのに。
それなのに……!
(俺があんな女の前で失態を晒してしまうとはあああああ!?)
あれから、蒼剣はまともに眠れていなかった。
大事な任務中だが、目の下には隈が隠しきれていない。星峰蒼剣だから、失態など犯さない。……あの見合いのとき、以外には。
正直、見合い相手に期待していたわけではない。
本人を見ても、今回はこのタイプか、と思ったくらいだ。だてに三十回も見合いをしてない。星峰の金に目がくらんで媚びを売ってくる者。新興華族と見下してくる者。蒼剣の見目に見惚れる者。気後れしている者。どれもが蒼剣に見合う女ではない。
だから、いつも蒼剣はあえて嫌われるような態度をとっていた。見合いの失敗は女のほうが傷が深かろう。対して、星峰蒼剣にはそんな傷を諸共しない財力と頭脳と体力と美貌がある! ……そんな彼なりの配慮である。
ただ、今回の女はあまりに体調が悪そうだった。
それなら今回も早々にフラれたことにして、早く帰してやったほうがいいなと思っていたくらいだ。どのみち、討伐隊を続けるにしろ、家に戻るにしろ、隠居生活はさせてやれない立場だ。そんな病弱では、星峰蒼剣の妻役は荷が重い。結局蒼剣に見合わないのは変わらないのだから。
だが、せっかくおめかししてきたのだ。思い出という土産の一つくらい欲しかろう。そう、星峰蒼剣という美貌を目に焼き付かせてやろうと思ったのだが。
(吸われた……間違いなく俺の血が吸われたよな?)
気後れ? 引け目?
そんなことを感じていた女が、男のシャツを剥いて、生肌に噛みついてきただと?
(しかも……あんなにき、ききき、気持ちよいだなんて!?)
痛みは犬歯が刺さった一瞬だけだった。
あとはただは甘い痺れが全身を回るだけ。
あの高揚感を思い出すだけでも、顔が蕩けそうになってしまって。
なにより、血を吸い終わったあとの、あの女の顔が頭から離れない。
頬を椿のように赤く染め、恍惚と唇を舐めていた……妖艶な姿を。
「何を呆けているんだ、蒼剣」
そのとき、蒼剣は血まみれの隊長に声をかけられた。
黒を基調とした軍服に、彼の淡い金色の髪。
遠い祖先からの海外の血が流れる彼は、神秘的な美貌を持ちながらも、実力は帝都一。
柔和な立ち振る舞いから日中は女性の甲高い歓声を集めているが、彼女たちはこうした夜の凄惨な姿を知らないからだろう。
警察隊の中のあやかし討伐隊帝都組隊長・月影怜司。彼は今もあやかしの返り血を浴び、刀すら納めていないのに、見張り中だった部下にニコニコと話しかけてきたのだ。
……そう、星峰蒼剣は任務遂行中だった。
あやかし討伐隊の平隊員として。
隊長があやかしを討伐するあいだ、市民が近寄らないように周辺を見張るという、まさに下っ端任務を遂行中だったのだ。
あやかし避け道具も徐々に広まりつつある中、高額なため、一般庶民にはなかなか行き渡らない。そのため、上流華族でもなければ、あやかしが活発化する夕方以降、いまだ帝都でもあやかし討伐隊の仕事がなくなることはない。
なので、今夜も平隊員としての責務を果たしていた蒼剣に、今まさにあやかしを一刀両断した直後の月影怜司がいじわるに笑う。
「また見合い相手に懸想を抱いてたのか?」
「ハッ、まさか」
蒼剣と怜司は一歳ちがいの幼馴染でもある。母同士が友人だったため、蒼剣母の見舞いにたびたび怜司も来ていたのだ。母が亡くなってからも、怜司母は何かと蒼剣を気遣ってくれて、ずっと幼馴染としての交流が続いている。
たとえ上司と部下という関係性になっても、蒼剣がタメ口で話す関係だ。
「この星峰蒼剣が、病弱女に思いを馳せるなどあるわけなかろう」
(十中八九、忌み子だな)
蒼剣は怜司との会話を適当にいなしながらも、見合い相手の分析を続けていた。
忌み子とは、あやかしに魅入られた者の呼称だ。
あやかし同様、生命維持のために血の摂取を必要とする。ひとたび暴走してしまえば、あやかしと似たような異形の姿となり、本能のままに血を求めて人間を襲うのだ。
後天的にうまれる場合が多く、どういう経緯で忌み子となるかは定かではないが、心や体が弱ったものに、あやかしが取り付いているのではないか――研究者からはそんな見解が出されている。
(本来なら、発見次第即排除。暴走する前に処理するに越したことはない)
月影の奥で倒れたあやかしも、徐々に人型に姿を戻しているようだ。
戻ったとしても、腹を切り裂かれた遺体でしかないが。
こんな光景、蒼剣はもちろん、討伐隊員なら週に五回は目撃している慣れた光景だ。
「だから蒼剣、オレのほうが年齢も役職も上なんだから、敬語を使えよ」
だから星影の言葉に、一仕事終えたばかりの特殊隊員たちがワッと沸く。
このあとは事後処理だけだからだ。あやかしの遺体を処理場へ運ぶ手配をして、避難させていた市民たちを解放する。こうした後処理こそ、現在見張りに徹していた平隊員の出番である。
隊長の怜司を代表とする四人の特殊隊員たちと、蒼剣を含む平隊員たちのあいだには、同じ部隊員としても大きな差がある。それは妖力の有無だ。
妖力とはあやかしも用いる超常的な現象のこと。何もない場所から炎や氷を生んだりと、その能力には個人差があるが――大事なことは一点に尽きる。
妖力がなければ、あやかしに攻撃が効かないのだ。
(残念ながら、俺にあやかしを斬る妖力がない――だからこそ、新たな忌み子という情報を隊長に報告し、このあとにでも処理しにいく必要がある……が)
そのとき、蒼剣の視界には夜の忍ぶ男の姿をとらえる。男は黒いもんぺを着ており、灯りもないこんな路地裏ではほとんどの者が目視できないが――蒼剣は見逃さなかった。
自分の顔、運動能力、頭脳――蒼剣の自慢できるところは数あるが、目の良さにはひときわ自信があるのだ。
だから、蒼剣は迷わず駆け出す。
「蒼剣?」
「物取りだ」
それだけ言い残して、蒼剣は物取りのあとを追う。
あやかし騒動が起これば、近隣住民も家から離れて避難する。それに乗じて、強盗を働く二次災害はよくあるのだ。討伐隊は警察の管轄のひとつなので、当然、こうした犯罪を取り締まる義務がある。
現に、蒼剣が見つけた物取りも近くの長屋の中で、土足でタンスを漁っていた。
(処理してしまったら、二度と雪辱は晴らせない)
「警察だ。ただちに手を止めて、降伏しろ!」
蒼剣が声をかけると、物取りは躊躇うことなく懐から小刀を取り出す。
相手が刃物を出したとなれば、あやかしと一緒だ。
あやかし討伐隊員とて、警察隊のひとり。罪人にはこちらも刀を抜くだけ。
(本当に、ただの忌み子として処理していいのか?)
男の剣筋は、物取りにしては鋭いものだった。
手慣れているのか、それとも元は侍だったのか。
ともあれ、相手に普通の刀が通じる以上、蒼剣の敵ではないわけで。
(もっと、見極めてからでもいいのでは……)
相手を怪我させることなく、蒼剣は一撃で相手の小刀を弾き飛ばす。あとは相手の手を後ろで捻ってやれば、終いだった。
「人間相手なら、いつ見ても見事だな。蒼剣」
ちょうどそのとき、拍手しながら入ってきたのが隊長の怜司だ。
蒼剣は慣れた手つきで相手の手を縛りながら軽口を飛ばす。
「褒めても金しか出んぞ」
「御曹司に言われちゃ笑えないんだよなー」
蒼剣は見合い相手のことで悩みながらも、着々と仕事を続ける。
そんな蒼剣を見下ろしながら、怜司が寂しそうに視線を下げた。
「おまえも妖力さえあれば、僕を押しのけて隊長になることだって夢じゃないのに。ま、星峰の旦那からすれば、跡取りに余計な才能がなくて喜ばしいのかもしれないが」
「……あと、一年もある」
その言葉に、一瞬だけ蒼剣の手が止まる。
蒼剣は父親との約束で、二十歳になるまでに討伐隊で成果をあげられなければ、家を継ぐ約束をしている。
だけど、今の蒼剣はただの平隊員。妖力を持つ特殊隊員が討伐しているあいだ、住民を避難誘導したり、こうして騒動に乗じて悪事を働く人間を取り締まることが役目だ。
商人として、当主として、星峰家を盛り立てる才覚が自分にないとは思えない。むしろ、そちらのほうが自分の才能を生かせるだろう。海外まで星峰の名前を轟かせる自信しかない。
だけど、蒼剣はなにがなんでも討伐隊の特殊隊員になりたい。
――そして、いつの日かあやかしの頂点……鬼を倒す。
――かつて、自分が守れなかった女の子に報いるためにも。
(だからこそ、本来なら忌み子を見過ごすなんてあってはならないのだが……)
そんな決意を胸に、再び蒼剣が奥歯を噛み締めながら手を動かしだしたときだった。
「お前、週末休みな」
「は?」
怜司の突然の提案に、蒼剣は眉間にしわを寄せる。
毎夜見廻りをする業務上、休みは週に一回輪番制でとることになっている。
だけど、今週の休みは先日の見合いで消化している蒼剣は週末も勤務になっていた。
討伐隊に残り続けるためにも、蒼剣に休んでる暇はない!
それなのに、勤務当番も、蒼剣の事情もすべて把握している隊長は刀をしまう。
「恋煩いで粗相されたらたまったもんじゃない。見合い相手とデートでもしてこいよ」
「だが、俺はなんとしてもこの一年で成果を――」
蒼剣は必死で抵抗しようとするも、悲しき平隊員。
隊長である月影怜司は腕に嵌めた銀の腕輪をゆるく回しながら、にやりと笑った。
「これは隊長命令だ」
