星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~

 おぼろげな記憶をいつまで辿ればいいのかも思い出せない。
 そんな夜乃に、蒼剣は訝しげに顔をしかめる。

「なんだ、俺の顔が好みではないと?」
「いえ、大変美しゅうございます!」
「俺も鏡で見るたびにそう思う」

 そう当たり前に言ってのけた蒼剣は、夜乃の顔を覗き込んでくる。

「先ほどから顔が青い。少し休んだほうがいいだろう」

 そして言うのが早いか、動くのが早いか、呆然としている夜乃をあっさりと横抱きに持ち上げてしまった。慌てて夜乃は声を荒げる。

「お、下ろしてくださいっ!」
「俺を貴様程度も持てぬほど軟弱だと言いたいのか?」
「誰もそんなこと思っていません!」

 とっさに夜乃が否定すると、蒼剣はしてやったりという顔で再び笑う。

「じゃあ、黙って運ばれてろ」

 自信家で高慢。傍若無人で唯我独尊。
 だけど、そのどれもがただの傲慢とだとは思えない。

(言い方が下手なだけで、彼は事実しか言ってないのだわ)

 むしろ、そんな態度が、夜乃にとっては心地よい。

 そうして連れていかれた先は、庭園内の木陰の下だった。そっと夜乃を下したあと、蒼剣は「ふぅ」とネクタイを緩める。

「ここなら人気もないから、貴様もラクにするといい。俺は水でも貰って――」

 おそらく蒼剣は夜乃が暑さでやられたとでも考えたのだろう。おまえも着物を少し緩めて休んでろと意味だと夜乃もわかったが……蒼剣のシャツの合間からチラリと見える首元に、夜乃は目を逸らすことができなかった。

(すごく美味しそう……)

 思わず生唾を呑んだあと、夜乃は無意識だった。

 蒼剣のシャツの両襟をひっぱり、引き寄せて。
 夜乃は本能のまま、その首元へと噛みついていた。

 口の中に広がる味は、ひたすら甘くて、濃厚で。

(おいしい……)
「はう……」

 蒼剣の蕩けた顔に、夜乃は妖艶に目を細める。

(かわいいわね)

 不器用な言動の奥に、優しさを隠したかわいい男。

 そう思うと、ますます血が甘く感じる。
 体中に温かさが染み渡り、夜乃の顔にも血色が戻る。

 満足した夜乃は、蒼剣から顔を話したあとも、甘さの残る唇を舐めた。芳醇な残り香を楽しみように「ほう」と息を吐いたときだった。

 涙ぐむ蒼剣とハタと目を合わせたときには、もう時は遅し。

「は、破廉恥(はれんち)な!」

 蒼剣はわなわなと指を震える夜乃へと突き付けた。

「こ……こういうことは、せめて屋内でしろ!?」
(そういう問題?)

 だけど夜乃が突っ込むよりも早く、蒼剣が一目散に逃げていく。
 討伐隊に務めるだけあって、足が速い……なんて感想は、ただの夜乃の現実逃避だ。

 そう逃げていく蒼剣の背中に、我に返った夜乃が顔が真っ青に染まった。

(おわった……)



 その後、お見合いは急激に幕を閉じた。
 父の一延からは「どんな失礼なことをしたんだ!?」と問いただされたが、夜乃は何も答えられなかった。が、さすがの一延も、まさか夜乃が蒼剣の血を吸ったとは考えなかったようで、「やはりなにも勉強させてない夜乃には荷が重かったか」と落胆しただけだった。

 あれから、三日。

「ごくろうさま。私は昼食にいきますね」

 今日も夜乃は木綿の着物で、縁側の雑巾がけをしていた。
 違いといえば、近ごろ使用人の小梅に虐められないこと。夜乃がお見合いに失敗した話が大層お気に召したらしく、気味が悪いくらいに優しいのだ。

(仕事が増えないだけいいけど)

 ひとしきり雑巾がけが終わり、夜乃は誰もいないことを確認して、縁側に腰を下ろす。
 もとより使用人たちが残した残飯だけが夜乃の普通の食事だが、近ごろはそれすらも喉に通らない。

(いつ討伐隊がやってくるのかしら……)

 討伐隊に所属する蒼剣が、夜乃の正体を報告しないとは考えにくい。

 この縁側から呑気な空を見上げられるのも、あと何回だろうか。
 自分はどんな殺され方をするのだろう。

 自分だけではない、自分を匿っていた罪で、椿原のみんなも処刑に遭うのだろうか。

 気味が悪いだろうに、椿原家で働いてくれていた使用人たちも。
 自分を生んでくれた母も。見合いというチャンスをくれた父も。
 そして、忌み子の自分を愛してくれた妹も。

 みんな絞首刑に――

「ごめんなさい……」

 夜乃はうつむき、膝の上で濡れていく。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「なにがごめんなの?」

 そんな夜乃のもとへ、いつのまにか妹の桜乃がやってきていた。
 今日も木箱をもっている。夜乃へのご飯だろうか。

 だけど、夜乃は涙をぬぐって、桜乃から目を逸らすことしかできなかった。

「その……お見合いが、失敗したから……」
「そんなの仕方がないことだわ!」

 たとえ桜乃が椿原家の危機を知らないとはいえ、たとえ姉がお見合いに失敗したというのに、彼女は非常にご機嫌だった。

「おねえさまは人に会うことが少ないじゃない。相手も気まずい人だったようだし、うまくいかなくて当然よ!」

 そう言って、桜乃は夜乃の後ろから抱きしめてくれる。

「おねえさまはずっとわたしのそばにいればいいの!」

 そして、夜乃の肩口で、桜乃はゆっくりと口角をあげた。

「わたしだけがおねえさまの世界なんだから」

 そんな妹の優しい言葉に、うつむいた夜乃は唇を噛むことしかできない。

(私はどうなってもいい)
(だけど、せめて家族にだけは、桜乃だけには……)

 ただでさえ十二年、夜乃が忌み子であることを隠してきてくれたのだ。
 捨てずにいてくれた、それだけで夜乃にとっては感謝の対象だ。

(その恩を仇で返すことだけはしたくなかったのに)

 祈るように瞑った目の奥に見えたのは、死んだ家族の首が並んだ光景。
 夜乃が爪が食い込むほど膝の上でこぶしを握ったときだ。

「夜乃!」

 母屋から走ってくるのは、父の一延だった。
 一枚の便箋を持った一延は、いつもより高揚した様子を隠しきれていなかった。

「蒼剣殿からデートの誘いがきたぞ!?」
「えっ?」

 思いがけない言葉に、夜乃と桜乃は同時に顔をあげた。


 夜乃はまだ知らない。
 顔をあげれば、空には昼でも輝く星があるということを。