星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~


 ◇

 ただの控室なのに、天井にはシャンデリア、床には赤い絨毯が敷かれていた。

 金装飾で縁取られた姿見には、絶世の美女が映っている。
 深紅の振袖を身にまとった椿原夜乃だ。

 専門家の手によってきれいに結い上げられ、化粧を施された姿は、だれもが振り返るほどの絶世の美女。女性にしては少し高めの体躯から伸びる、白くてしなやかな首筋や指筋からも色気があり、艶やかな赤い紅を引いた唇をぽかんと開けた姿すらも、隣の男を見惚れさせるに十分だった。

「これが……私、ですか?」
「お、俺が見立てたドレスなら、もう二割美しさが増しただろうに」

 隣で鏡を覗き込む星峰蒼剣が照れながらも悔しそうにしてるが、それは夜乃の母・雪乃との口論に負けたせいだった。 

 今日の夜乃の衣装に関して、雪乃は深紅の振袖を、蒼剣は真っ赤なドレスを着せたかったらしい。だけど夜乃がまだ椿原姓であることと、夜乃自身が母が用意してくれたものが着たいと主張したため、今日の和装に至っている。

 今日は、二人の婚約披露パーティーだった。
 正式な婚姻には準備の時間が必要とのことで、ひとまず星峰蒼剣の婚約者として、夜乃のお披露目をすることになったのだ。規模も最小限にしたとのことだが、蒼剣が手配した西洋風の迎賓館はとても広く、美しく、夜乃は別世界にきたように思うほどだった。

 そして、本番前に迎えに来た蒼剣と二人きりになったにも関わらず、蒼剣はすでに会場にいる夜乃の母に対して敵対心をむき出しにしていた。

「雪乃殿は白無垢を勧めてくるだろうが、今日は譲ってやったんだ。結婚式は絶対に純白のウエディングドレスを着せてやるからな!」
「……もう、両方じゃだめなんですか?」

 自分の衣装に関して二人が揉めるなんて、夜乃にとっては信じられないことだった。

 だけど、冷めることなく三時間以上揉めていた二人を思い返してうんざりと口にしてみれば、蒼剣が嬉しそうに目を見開いていた。

「さすが俺の見立てた女。妙案じゃないか!」

 大仰しく褒めてくる蒼剣に、思わず夜乃は噴き出してしまう。

(本当にかわいいひと)

 自信家で、いつも偉そうで。だけど、素直に褒めてくれるひと。
 夜乃が愛おしく見上げていると、「俺も紋付き袴……ますます男っぷりが上がってしまうではないか」とにやにやしていた蒼剣が、急にキョロキョロと周囲を見渡し始めた。

 恐る恐ると蝶ネクタイを外す。そして、おもむろにシャツをはだけさせた。

「の、飲むか……?」

 その恰好で飲むかと聞かれたら、一つしかない。
 夜乃はどきどきしながら聞いてみる。

「……いいんですか? 今からパーティーなのに、その……血の匂いが……」

 三日前の今日の打ち合わせのときにも、蒼剣から血をもらっている。それに今も蒼剣から毎日牛肉が届いているから、いつになく夜乃の喉が潤っていた。

 だから今飲む必要はないのだが……美味しいものはいつでも飲みたい。
 固唾を呑む夜乃に、蒼剣は眉根を寄せた。

「そんな匂いなど、貴様しかわからんと思うぞ?」
「えっ?」

 そんな蒼剣に、夜乃はきょとんと目を見開く。

「で、でも、お父様がずっと人前にでる前には、最低三日は血を飲まずに匂いを消しておくようにと――」
「よし、雪乃殿に報告しておこう」
(つまり、今までの苦労はお父様の虚言のせいだったということ?)

 お見合いのときに蒼剣を押し倒してしまったのも、デートのときに路地裏で蒼剣を襲おうとしてしまったときも、晩餐会に向かう馬車の中ではしたなく貪ってしまったときも。

 全部、夜乃は一週間以上、血を飲ませてもらっていなかったからこそ起きた事件だ。

(じゃあ、ある意味、お父様には感謝しないとね)

 そのどれらが欠けても、きっと夜乃は、今こうして蒼剣と穏やかに話せてはいないのだから。まあ、一週間程前、妻の雪乃が、父の一延が必死に隠していた十年分の帳簿を洗いざらい確認し、一延は雪乃に説教されていた。離婚の話まで出されて、ようやく一延は今までの失態について頭を下げたらしい。一延は何事も雪乃に相談することでひとまず決着がついたようだ。

 ともあれ、今、夜乃がこんなことが言えるようになったのも、そんな過去があってのこと。

「……ただ、私に血を飲んで欲しいだけではなくて?」
「なっ……貴様は俺の話を聞いていたのか!?」

 挑発的に微笑む夜乃に、夜乃は仰々しくのけぞる。
 夜乃は逃がさないとばかりに、蒼剣の両頬を手で包んで静かに告げた。

「夜乃」
「は?」

 目を丸くする蒼剣に、夜乃は口角をあげる。

(だって、私はこの人の『特別』になるんですもの)

 蒼剣は誰に対しても『貴様』と呼ぶ、ある種の無礼者である。
 たとえ幼馴染や隊長に対してもそう呼ぶのだからと、夜乃も自然と自分がそう呼ばれることを受け入れていた。

 だけど、もう違う。もう他のひとと同じではない。
 これから夜乃は、この星峰蒼剣の『婚約者(とくべつ)』になるのだから。

「私の名前は椿原夜乃です。いつになったら名前で呼んでくださるの?」

 夜乃の手の中で、蒼剣の顔がどんどん赤く染まっていく。
 もごもごと動かす口がまるで乳を求める赤子のようだと微笑ましく待っていると、蒼剣はいつになく小さな声で言った。

「よ、よ……夜乃」
「はい、蒼剣様」

 それに、夜乃は満面の笑みで応える。
 そんな絶世の美女のひとりの男だけの笑みから、蒼剣の視線は泳いでいた。

「お、俺は本当に、夜乃がパーティー中に倒れられたら面倒だから、こうして図らってやっているからにして――」
「そうですね。ありがとうございます」

 夜乃は「はいはい」と流して、そっと首筋に手を下した。

 指をつーっと伝わせると、蒼剣が小さく震えている。必死に平然を装っているようだが、呼吸もどんどん荒くなっているのが容易に見て取れた。

 わざとか、それとも無意識か。夜乃が飲みやすいように、蒼剣の膝が曲げられる。
 いよいよ肩口に牙を突き立てようとして……夜乃は再び口を開く。

「ねぇ、蒼剣様?」
「こ、今度はなんだぁ!?」
「私、まだはっきり言われていません」

 裏返った声を放つ蒼剣を、今度は真剣な顔で見上げた。

 怖くて、ずっと聞けなかったこと。
 だけど、今聞かないと、きっと一生聞けないような――そんなこと。

 夜乃は椿原の女だから、意を決して尋ねるのだ。

「私はあなた様の見合い相手として相応しかったのですか?」
「……でなきゃ、わざわざこんなパーティーなど開かないだろう?」

 夜乃は見つめる。
 そわそわと、だけどうんざりと言い放つ蒼剣を、じーっと見つめる。

 夜乃が心の中で数を七まで数えたときだった。
 これ以上ないほど顔を赤らめた蒼剣が思いっきり叫ぶ。

「星峰蒼剣は、椿原夜乃を愛している!」
「よくできました」

 シャツの襟口を引き寄せた夜乃は、今度こそ蒼剣の肩口に噛みついた。

「はうっ!」

 夜乃が血を飲むと、やっぱり蒼剣がかわいく啼く。

 その姿に、夜乃は幸せそうに微笑んで。
 身体に沁みわたる甘くてしあわせな味を少しずつ味わいながら、彼の頭をそっと撫でていたときだった。

「きゃっ」

 小さな悲鳴に夜乃が視線を向けると、少しだけ開いた扉の隙間からまん丸の目が覗き込んでいた。夜乃が見間違えるはずがない、かわいい妹が思いっきり叫ぶ。

「星峰様のバカ! 破廉恥(はれんち)っ! 嫁入り前のおねえさまにまた(・・)手を出すなんて……このケダモノぉっ!」

 そして、夜乃の妹・椿原桜乃が「きゃーっ」と逃げていく。
 いつもよりもお洒落をしている背中に向かって、手を伸ばした蒼剣の姿はなんとも情けなかった。

「はっ、破廉恥なのは貴様の姉のほう……」

 だけど、最後まで言わずに夜乃の表情を気にしたのは懸命だっただろう。
 実際、夜乃はくすくすと笑っていただけなのだが、蒼剣は大きな咳ばらいをして、自ら外した蝶ネクタイを直す仕草をする。

「あいつは今日も元気そうだな」
「家では毎日母に絞られて、泣いてばかりですけどね」

 先日の夜乃を売った一件で、家に帰ってから、桜乃もまた大層母の雪乃に叱られた。その結果、一週間の外出禁止に加え、雪乃直々の淑女教育が始まったのだ。

 丸っぽい癖字の矯正や、幼さが残る喋り方の訓練に加えて、華道や茶道、椿原の女として相応しい教養を身に着けるべく、毎日泣きながらも、母の厳しい教育を施されている。まあ、夜乃も今まで学べなかった分、一緒に楽しく勉強しているのだが。

 そんな様子をたまに眺めている蒼剣もまた、桜乃に対して変わらず嫌悪を抱いていないようだ。今の不躾も、責任は他にあるというらしい。

「それにしても怜司はちゃんと見張りをしているのか!?」
(わざと見過ごしてそうなのは気のせいかしら?)

 あのあと、月影怜司は正式に椿原家に謝罪にきた。
 忌み子のことは、問題が起こらない限り、怜司だけのうちに秘めておくということ。そのうえで、今後夜乃の体調に支障があれば、できるかぎりの協力をすることを約束してくれた。

 家族全員の前できっちりと頭を下げてくれた怜司と、一緒に『俺がいい男すぎるばかりに、幼馴染が嫉妬させてしまいすまなかった!』と同じように頭を下げた蒼剣の顔に免じて、今回限りということで夜乃も許したのだ。

 今日、そんな討伐隊の隊長・怜司はわざわざ休暇をとってまで、夜乃たちの周辺の警護を買って出てくれていた。現に、夜乃たちが「お時間です」と改めて呼ばれて控え室を出れば、討伐隊の制服を着た怜司が片目を閉じていた。

(それって何よりのお祝いよね)

 夜乃は歩きながら会釈をした後、蒼剣の腕に目を向ける。
 今日も蒼剣のジャケットの袖から、あの銀の腕輪がチラチラと見えていたからだ。

「ねぇ、蒼剣様。その腕輪は……」
「だから気にするな。決闘で勝った褒賞で返してもらっただけだ」

 だけど、蒼剣は腕輪を撫でながら、あっさりと言い退ける。

 あれから、蒼剣は夜乃に腕輪のことを話していない。
 だから夜乃は腕輪のことが気になりながらも、深く尋ねてはいなかった。

 返してもらった――その言葉だけで、腕輪の元の持ち主がわかったということもある。
 けれど、それ以上にメロンの少年は……腕輪よりもわかりやすい輝きを残しているのだから。

「上を見ろ、貴様が大好きな男の顔があるぞ」
(どうしてすぐに気づかなかったのかしら?)

 今も、顔をあげれば蒼剣が今日も自信に満ちた笑みを浮かべている。

 こんなに『ヒーロー』は、何も変わらず、夜乃を照らしてくれているのに。
 改めて、夜乃は腕輪の件に触れないことを決める。

(彼のかわいい姿は、私だけのものだもの)

 だって、今からパーティーだから。
 豪華絢爛な扉の前で、腕を差し出してきた蒼剣が小さく口を開く。

「俺の星がようやく手に入ったな」
(星って、私のこと?)

 だから、夜乃は腕に手を絡ませながら、顔をあげた。

「星を落としたのは、私のほうでは?」
「なっ!?」

 そして、扉が開かれる。
 たくさんの拍手に包まれた未来は、とても明るい。



 《星落としの花嫁~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に溺愛される~》 完