星峰とは、近ごろ有名な新興華族の名前である。
はじめは珍しい輸入品が並んだだけのしがない商店だった。しかし近年、嫡男の蒼剣が留学の合間にあやかし避けの霊具や術符を輸入したことで、帝都を悩ませていたあやかし被害件数が減少。その功績で華族として爵位を得たことを皮切りに、帝都初の総合商店・デパートを成功させている。
ただ、そんな星峰家の立役者・星峰蒼剣にはとある悪名があった。
――見合い三十連敗中の高慢御曹司。
華族としての名をあげ、ますます繁栄させるために、星峰当主はあらゆる旧家に見合いを申し込んでいるらしい。なのに、見合いは一度も成功していないという。
蒼剣の年齢は十九歳になったばかり。身長も高く、身体も鍛えており、映画館の看板俳優のような知的で精悍な顔立ちだ。
それなのになぜ見合いが成功しないかといえば、蒼剣の性格に問題があるから――その一点につきていた。
「――で、こいつが本当に俺に見合う相手だと?」
現実、見合い開始早々に蒼剣が放った一言が、これだった。
(たしかに傲慢なお人柄のようね)
料亭の一番いい部屋で、椿原家と星峰家は机を挟んで向かい合っていた。
双方、父と子のみ。蒼剣の向かいに座った夜乃も、今日ばかりは生絹の着物を身に着けていた。髪も三つ編みをまとめて、べっ甲の櫛を挿している。すべて母のおさがりの古いものだが、夜乃にとっては年頃になってからはじめてのおめかしだ。
そんな夜乃を、父の一延は自慢げに語る。
「ははっ、夜乃は病気がちではあるが、気遣いのできる働き者でして。椿原家の長女がそんなことするなと言っても、夕餉の支度や裁縫など、使用人の手伝いをしてしまう優しい娘なのですよ」
和装で固めた椿原家に対して、星峰家は洋装だった。
蒼剣も仕立ての良い濃紺のスーツに、青のネクタイをつけていた。入室したときにはネクタイと同色の中折れ帽子を当たり前のようにかぶっていた。夜乃は口に出さないものの、奇抜さにそっと驚いたものだ。
そんな息子を、落ち着いたブラックスーツの星峰の当主が困り顔で褒める。
「下々の者に好かれるのも、屋敷を取り仕切る者としては大事ですからなぁ。蒼剣も口は悪いですが、あらゆる才能に長けており……家業にのみ集中してくれればいいのですが、持て余した才能を生かさんと、今はあやかし討伐隊に所属しておりまして……まぁ、来年には家業に専念するよう約束してあるのですが」
今度こそは、と当主は緊張しているのだろう。体形のせいで余計に暑いのか、何度も顔をハンカチで拭いている。
厳格な父はこういう類の男たちを嫌いそうなものだが、今日ばかりはにこやかに星峰当主の謙遜にフォローを入れていた。
「いやはや、若いうちに様々な経験を積むのも大事ですからな。身体を鍛えて悪いこともありませんし……」
「わはははは」
「あはははは」
椿原家は必死に隠しているが、近ごろ資金難が続いていた。
夜乃が忌み子になってからは母は妹を産んで以降、部屋に引きこもるようになってしまった。そのため父の一延は張り切って家を盛り立てるようになったのが……それのことごとくが失敗。古くから付き合いのある家からも見放されはじめ、どんどん資金が尽きていっているのだ。
そのため、星峰家との縁談は資金援助のための希望の星。
椿原家も名前だけは昔から続いているから、星峰家の名声もあがるというもの。
そんな利害の一致で狸親父たちが笑い合っている中で、夜乃に拒否権なんかない。
これはしょせん政略結婚。親に言われるがままに嫁ぎ、相手の子どもを産むことこそが華族の女に課せられた命題だ。あの母ですら、結婚は親が決めた相手としただけで、自分の意見など欠片も聞き入れてもらえなかったという。それが日ノ出帝国の女の宿命なのだ。
(相手がぽっと出の家柄という点を除けば、年も近くて見目もいい相手なんて、とても恵まれているわね……たしかに性格に癖はあるようだけど)
現に、蒼剣は父親同士が会話に花を咲かせているあいだも、ずっとあごに手を当てながらじろじろと夜乃の見定めを続けていた。
「今回は辛気臭い女だな。化粧で隠しているが、顔色が悪い。病気は仕方ないことだが、日頃の健康管理に気を遣っているのか? 調書は読んでいると思うが、俺は留学経験もあり、今もあやかし討伐隊の任務のかたわら事業でも成果をあげている。己を律することが出来ぬ女が俺に見合うとは到底思えんぞ?」
(私も、自分があなたに見合うとは思えないわ)
やれ、こんな目利きで儲けを出しただの、外国語を用いた交渉でこんな成果をあげただの――そんな功績を話しながらも、ずーっとじろじろと夜乃を見てくる蒼剣の態度に、さすがの夜乃も見合い三十連敗の経歴に納得していた。
だけど、夜乃がずっと下を向いていたのは怒りを覚えていたわけでも、不甲斐なさを感じていたわけでもない。
(あぁ、喉が渇いた……)
血生臭いのがバレたら困ると、夜乃は一週間血をもらえていなかった。
桜乃が必死に父に訴えてくれていたが、今回ばかりは頑なに父が首を縦に振らなかったのだ。
喉が渇きすぎて、呼吸をするだけで喉がひりひりする。
意識も呆然としてきて、父や蒼剣らがなんて言っているのかも聞き取れない。
「では、あとは若者同士で――……」
(血が飲みたい……)
それしか考えられない中、夜乃は強く肩を掴まれる。
「夜乃!」
「あ、はいっ!」
慌てて顔をあげると、蒼剣だけが腰をあげていた。そこでようやく自分も立ち上がるべきなのだと察したとき、父の一延が低い声音で耳打ちしてくる。
「絶対に忌み子とバレるなよ」
(そうよ、もとより私が、蒼剣様に見合わない存在……)
多少性格に難のある新興華族だとしても、蒼剣は外国での留学経験を持ち、輸入品の目利きで数々の成果をあげ、あやかし討伐隊でも活躍する美青年。
対して、夜乃は使用人からも虐げられている、野ねずみの遺体で喜ぶような女。
(そう――私は忌み子なんだもの)
だから、釣り合うはずがない。見合うはずない。
それなのに姿勢を戻した一延は、まるで優しい父親のような笑みを浮かべた。
「蒼剣殿に失礼のないようにな」
初夏に相応しく、料亭の中には紫陽花が咲き誇っていた。
赤や桃色、たまに白い紫陽花が咲き乱れる中で、夜乃の目に映るのは赤い花ばかり。
(紫陽花の蜜でも、喉を潤せたりするのかしら?)
「貴様はなぜ俺と目を合わせんのだ?」
蒼剣が俯く夜乃の顔を覗き込んでくる。
近くで見れば、男性とは思えないほどまつげが長く、肌も整っている。
普段はもんぺしか着ない自分とは大違いで、夜乃は思わず視線を逸らした。
「……正直、私ごときが蒼剣様に釣り合うとは思えなくて」
一般的に謙遜で使う言葉だが、夜乃からすれば事実だ。
だって、自分は忌み子だから。
本当に蒼剣は映画俳優と言われても納得してしまうほどの美丈夫なのだ。そんなきれいな顔をこんなに近づけられてしまえば、日頃の言動を忘れてときめく女も少なかろう。
しかし、蒼剣は真顔で言った。
「まあ、気持ちはわかる」
(わかっちゃうんだ?)
思わず夜乃が窺えば、腕を組んだ蒼剣がうんうんと頷いていた。
「眉目秀麗。文武両道。天に輝く星をまさに体現したような俺に、貴様が引け目に感じるのもわかる。しかし、俺は貴様が思うよりも寛大な男だ。後学のために、今日だけは俺の美貌を堪能する許可をくれてやるぞ!」
(そんなこと言われてもなぁ……)
しかも、蒼剣は本当に善意のつもりなのだろう。夜乃に対して色々と角度を変えては「こんな顔がいいか?」「背中も鍛えているぞ」と様々なポーズを決めてくる。
その姿をぼんやり眺めてから、夜乃は再び視線を下す。
(優しいひとなのね)
留学期間が長かったというし、感性は他のひととズレているのかもしれない。
だけど、このおかしな言動も、心を開かない夜乃を想ってのことだろう。
(彼も後がないと、見合いに必死なのかもしれないけど)
(こんな優しいひとなら、ますます私なんかが嫁いだら……)
なんにも特技がない夜乃など、すぐに見切られてしまうだろう。
それどころか、忌み子とバレたら。
星峰蒼剣の名前に傷がついてしまう。それどころか、一度でも忌み子が嫁いできたとなったら、爵位も剥奪されるやも。彼が繁栄させた星峰を墜落させてしまうかもしれない。
(まさに星落としの花嫁、ね……)
それでも、父が嫁げというなら、夜乃に嫁ぐ以外の選択肢はとれないのだけど。
複雑な顔を浮かべるしかない夜乃に、蒼剣は少し目を丸くした。
「たしかに、せっかくなら背景にこだわったほうがいいな」
(私、何も言ってないのに……)
だけど、蒼剣が「こっちがいいか」と進んで行ってしまうから、夜乃もついていくしかなくて。
まだ夏には遠い季節だけど、日差しが強い。いつもより重い着物のせいか。それとも喉の渇きのせいか。夜乃の足はもつれてしまう。
「あっ」
だけど、痛みはなかった。蒼剣があっさり受け止めてくれたからだ。
(どうしよう、お手を煩わせてしまったわ)
ただでさえ気を遣ってもらっているのに、これ以上面倒な娘と思われてしまったら。
(お見合いを断られてしまうかも……)
慌てすぎた夜乃は、頭を下げる前に顔をあげてしまう。
「す、すみません!」
「ふっ、ようやく俺を見たな」
蒼剣は怒るどころか、不機嫌な顔もしていなかった。
「どうだ、下を見てばかりだと転んでしまうが、上を見ればいいこともあるだろう?」
「いいこと……ですか?」
きょとんとする夜乃に、蒼剣は不敵に微笑む。
「俺の美しい顔が見れたぞ?」
(あれ?)
優越感たっぷりの笑みを浮かべる蒼剣に対して、夜乃はますます目を見開く。
(昔、どこかで似たようなことを言われたような?)
