星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~


 ◇

「食べないのかい?」
「お腹が空いていないので」

 皿の上のオムライスは、まだ半分以上残っていた。

 足の高い椅子に座ること自体もまだ慣れず、薄桃色のワンピースとやらも愛着が湧かない。ナプキンという白い布で口を拭い、食器を置いた夜乃に、月影怜司は喜びも落胆もしなかった。

「ふむ……あまり洋食は好まないのか……」
(そういうわけでもないけど)

 はじめて食べたオムライスはとても美味しかった。
 ふんわり卵はもちろんだが、ケチャップというタレが甘酸っぱくて好みだったのだ。

 だけど、夜乃の生活が一変した。今までは朝早くから夜遅くまで働きどおしだったのに対して、今は狭い部屋(牢獄)の中で、ただ時間をつぶすだけの毎日。食欲が湧かないのも当然である。

 それに一緒に食事をとるわけでもなく、食べ残しの量から色々考察されるなど、あまり気持ちのいいものではない。

(まさに実験動物ね)

 椿原の家を出てから、おそらく一週間。
 陽を見ることのない生活は、食事の時間でしか計ることしかできない。

 家を出る前も、一週間くらい直接あれを摂取していなかった。牛肉で身体はいつも満たされていたような気がしていたが……やることがないからこそ、一度気になってしまえば、もう渇望を忘れることができない。

 だから、もう夜乃は限界だったのだ。

「あの……喉が渇いたのですが」
「ん? 好きなだけ水を飲んでいいよ? お茶がよければ、お湯を用意させよう。茶葉は何がいいかな? 好きなものでいいし、珈琲とか飲んでみたいのならば――」

 親切で色々と候補を挙げてくれる怜司に、夜乃が「そうではなく」と口を挟む。
 すると、月影怜司は待ってましたとばかりに、目を細めた。

「何が飲みたいんだ?」
(わかっているくせに)

 彼の柔和な笑みが、最近やけに鼻につくようになっていた。
 忌み子という実験動物をわざわざこんな部屋まで用意して飼ったのだ。

 この一週間、何も、誰も夜乃の身体に触れることはなかったが……。
 夜乃がこう言い出すのを、きっと彼は待っていたのだろう。

 だから、夜乃は視線を逸らしながら口にする。

「血が飲みたいです」
「はい、どうぞ」

 指を差し出してきた怜司に、夜乃はきょとんと怜司を見返してしまった。
 動かない夜乃に、怜司が「あれ?」と小首をかしげる。

「指からじゃ足りないか? 普段はどこから飲んでいたんだ?」
「……ねずみの遺体などをいただければ、勝手に傷口から啜りますので」
「そんな寂しいことを言わないでくれよ。本当の畜生みたいじゃないか」
(畜生、ね……)

 怜司からしたら、軽口の一環なのだろう。
 だけど、実際に何十年もそう生活していた夜乃からしたら、自嘲するしかない。

(人間扱いされないことくらい、わかっていたことなのに)

 それなのに怜司は床に膝をつき、そっと座ったままの夜乃を抱きしめてくる。
 ちょうど夜乃の視線のすぐ下に、怜司の肩口があった。

 黒いシャツの隙間から見える白い肌から、夜乃は視線を離せない。

「オレの血を飲んでくれ」

 その言葉に、夜乃の胸がドクンと爆ぜる。

「オレの身をきみに捧げたい。その覚悟をもって、オレはきみに求婚をしたんだ」

 求婚に対して、夜乃は返事をしていなかった。
 だって、蒼剣との正式な破談を聞かされていないのだ。

 父の一延は桜乃に鞍替えさせると言っていたけれど、星峰家、ならびに蒼剣自身から聞いたわけではない。女のくせに往生際が悪いと言われたとしても……彼の口から直接聞くまで、夜乃は諦めたくなかったのだ。

 それでも、怜司の優しくも男らしい香りが、夜乃の鼻孔をくすぐる。

「きみが何度否定しようとも、きみが忌み子になったのはオレのせいだ。だったら、オレがきみの血肉になるのが平等だろう? きみだけに負担を強いるなんて、オレが耐えられない。だからこそ、オレはきみに求婚したんだ」

 ――目の前に、新鮮な獲物がいる。

 その事実に、どうしても夜乃の心拍数が増加する。
 どんどん自分の瞳孔が開いていくのがわかった。

 そして、月影怜司は夜乃にとって最上の言葉で再び求婚してくるのだ。

「オレの血をきみに捧げさせてくれ」

 ――どんな味がするのだろう?

 討伐隊の隊長を務めるような男だ。健康で鍛えている若い男の血が不味いはずがない。
 しかも、彼は幼き頃のヒーローなのだ。運命の人が自分に跪いて求婚してくるなんて、まさに恋愛小説みたいだ。

 今後長きにわたって血をもらうなら、夫婦であるほうがいい。
 蜜夜を重ねていくのと同じだ。それがこの見目麗しい討伐隊の隊長なんて、こんなに恵まれたことはない。

 歯が疼いて、夜乃は唇を開きかける。

 ――このまま噛みついてやればいい。
 ――それが、この男の望みなのだから。

 本能が、夜乃にそう囁きかけてくる。
 だけど、夜乃はすぐにその口を閉じた。

(私が飲みたい血はこれ(・・)じゃない!)

 夜乃が怜司をどんっと突き放したときだった。
 この座敷牢に続く扉が叩かれ、外からの「お客様です」という声に怜司が了承する。

「またあとで、じっくり話そう」

 怜司がゆるやかに微笑んだ直後、重厚な扉がゆっくりと開かれる。
 彼女はたくさんの荷物を抱えてぶーたれていた。

「月影様、おねえさまを泣かしているの!?」
「いらっしゃい、桜乃ちゃん」

 閉じ込められてからのはじめての来客は椿原桜乃・夜乃の妹だった。
 今日も新橋色の着物に黒いブーツを合わせて、髪もきれいにコテで巻いたお気に入りの恰好をしている。ただいつもと違う点は、その手にたくさんの包みを抱えていること。

 何が入っているか定かではないが、包み紙には見覚えがあった。いつも牛肉の桐箱を包んでいた包装紙と同じ……つまり桜乃は星峰デパートで買い物をしてきたのだ。

(蒼剣様と、デートでもしていたのかしら?)

 そんな夢のようだった時間を思い返した胸をぎゅっと掴みながら、夜乃は妹に尋ねる。

「桜乃、どうしてここにきたの……?」
(だって桜乃は、私がずっと疎ましかったはず……)

 だからこそ、怜司に手紙を送って、自分を連行させた。それなのに、桜乃は「これは全部おねえさまへのプレゼントだよ!」と包みを開け始めるではないか。

 中からは、色とりどりの服や装飾品がでてきた。しかもどれも高価なものに見える。
 そんなお金、桜乃の小遣いはもちろん、今の椿原家には用意できるはずもない。

 しかし、桜乃はいつもの屈託ない笑顔で言ってのけるのだ。

「桜乃がおねえさまを見捨てるはずがないでしょ? 桜乃はおねえさまが安全で幸せになれるように一計しただけだよ♡」

 そして、躊躇いなく夜乃に抱き着いてきては、まっすぐに夜乃を見上げてくる。

「これでずーっと薄暗い部屋の中で、桜乃が会いたいときに好きだけおねえさまを独り占めできるでしょ? おねえさまはずっと桜乃だけのものだからね!」

 そのうっとりした笑みに、夜乃の背筋に寒気が走る。

(この子は何を言っているの?)

 理解ができなかった。だけど、想像してしまった。
 だって桜乃が自分に向ける顔は、まぎれもなく人形に向けたものと同じだったから。

(あぁ……私は、この子にとって人形と同じだったのね)

 それなら、怖がられたほうがよかった。
 それなら、疎まれたほうがよかった。

(もう、人間でも畜生でも……生き物ですらないじゃない)

 無機質な光は、天井の電灯と同じだ。
 巷では『夜でも昼間のようだ』と歓迎されているようだが、たとえ暗くても、夜乃は月や星による光のほうがずっと好きだった。小さくてもずっと眩しい気がしたのだ。

 遥か遠くからでも、自分を見ていてくれる――夜乃にとっての道しるべだったのだ。
 ルンルンと包みを広げる桜乃を、夜乃は微笑を浮かべながら見つめる。

 だけど、その目には力がない。
 ただ、無機質な化け物が考えているのは、一つだけだった。

 ――喉が渇いた。

 額の上の部分が疼く。目の奥が熱くて、歯の奥や爪の根元が痛かった。
 当然、喉はまるで砂を呑み込んだときのように苦しくて。

「おねえさま?」
「夜乃さん?」

 脂汗を搔いて、床に手をつき、ハアハアと荒い息を繰り広げる。
 そんな姉の姿に、桜乃は歓喜の声をあげた。

「あぁん、おねえさまかわいい♡」
「こら、仮にも苦しむお姉さんを喜ぶなよ」

 注意する怜司も口だけなのが簡単に見て取れる。
 だけど四つん這いで、口からよだれを垂らした夜乃はそんなふたりに構う余裕はない。

 そのとき、通路へと続く扉が再び叩かれる。今度はもっと荒々しい音を立てていた。

「怜司様、少々よろしいでしょうか!?」
「……なんだ?」

 不機嫌を隠さずに怜司が出れば、扉の隙間から大きな叫び声が聞こえた。



「たのもーーーーーーーーーーっ!」



 その声に、夜乃はたまらず顔をあげる。
 紛れもない、その声の主は――

 だけど、その耳はすぐに桜乃に塞がれてしまう。

「おねえさまはなーんも聞こえない、でしょ?」

 夜乃に対してはにこりと微笑むけれど、桜乃は怜司に冷たい視線を送っていた。
 それに、怜司が即座に「少し席を外す」と部屋を出ていってしまう。

 重厚な扉がバタンと閉められる。
 再び静かになった檻の中で、桜乃は嬉しそうに微笑んだ。

「さぁ、桜乃といっしょにあそぼう!」

 今もハァハァと立ち上がれずにいるのに、夜乃に選択肢はないらしい。

 夜乃は妹の人形遊びに付き合うだけ。
 妹のかわいそうでかわいい人形になるだけ。

 そこに、夜乃の心なんて必要がない。


 ――だったら、もう飲んでしまえ。


 再び、さっきより強く、夜乃の本能が訴えてくる。

 目の前に、美味しそうな獲物がいるではないか。
 柔らかそうな白い肌。それに牙を沈める感触に夜乃は覚えがあった。


 ――だって、彼女がもっと幼いときに、飲んだことがあるでしょう?


 あのときは新鮮だったけど、十年経って、どれだけ熟成されたのだろう?
 かわいい妹に、何も理解していない妹に、教えてやればいい。


 ――おまえが玩具扱いしている姉は、忌み子なのだと。


 ……そう、夜乃の本能が騒いでいるのに。
 苦しむ自分を嬉しそうに見下ろす妹を無視して、窓の外を見る。

 木の板でぎっちり嵌められて、決して空の色は見えないけれど。

 たしかに、今、夜乃の耳には彼の声が聞こえたのだ。
 夜乃はカラカラの喉を必死に動かす。

「今は……何時くらいなのかしら?」
「ん? もう夜だよ。遅いのはわかっているけど、どうしてもおねえちゃんに早くプレゼントを渡したくって。ねぇ、おねえさま、この服に着替えられる?今日はすっごく暑くて、お日様もカンカンでね、もうすぐ夏だし、今のおねえちゃんにはぴったりだと――」

 白くて薄い着流しを掲げて楽しそうに話す桜乃をよそに、夜乃は荒い息を繰り返しながら、窓のほうに赤い光を放つ目で、窓を見上げる。
 
 夜乃はもう知っている。
 たとえ窓が塞がれていようとも、牢に閉じ込められようとも。

 きっと空には、きれいな一番星が浮かんでいるということを。



 だから、夜乃は星に願いを祈る。

(蒼剣様――)
(私は、あなたに見合う女になりたい)