椿原当主・一延の頓珍漢な申し出に、蒼剣は素っ頓狂な声を返す。
さすがの蒼剣も、一瞬思考が停止した。
(椿原夜乃が、他の男と婚約した?)
(代わりに、自分は椿原桜乃と結婚しろだと?)
視点が合った蒼剣は、即座に一延の胸倉を掴む。
「あんなちんちくりんが夜乃の代わりになるはずないだろう!?」
礼儀など忘れて、蒼剣は一延を大きく揺さぶった。
「お離しください~~!」
「夜乃の婚約者は誰だぁ!?」
「…………」
散々騒ぐ一延だが、蒼剣の質問には口を尖らせてだんまりを決め込む。
そんな素振りに、蒼剣の中の何かがプツンと切れた。
「はーはははははっ、こんな家、ぶっ潰して――」
椿原家に出入りしている業者すべてに圧力をかけるなんて、今の星峰にとって容易なこと。そんな妄想に目をギラギラさせながら、目を回している一延をさらにブンブンとぶん回していたときだった。
奥のふすまが、静かに開く音がする。
潜むわけでもない、だけど床を極力鳴らさない品のある歩き方で、慎ましい女性が顔を出す。深いえんじ色の着物がとてもよく似合っていた。町娘らしいアレンジなども一切なく、伝統的な着こなしだからこそ、淑女の洗練された色気が醸し出されている。
そんな三十代後半の淑女が、蒼剣の質問に静かに答えた。
「月影様でございます」
それは、まぎれもなく椿原夜乃の母親・雪乃であった。
着流しで伏せっていたときは思わなかったが、目の力強さが夜乃にそっくりだ。
(なるほど。あいつの秘めた気の強さは、母親譲りだったのか)
ふとそんなことに納得しながらも、蒼剣は邪魔でしかない一延を放り投げた。
ぼすんと醜い尻が弾んでいるが、知ったことではない。
蒼剣は雪乃だけを見て、端的に質問する。
「月影怜司、で違いないか?」
「さようでございます」
そう認めた雪乃は、淑やかに膝をついた。
そして流れるような動きで、手と額を床につく。
「どうかお願いします。わたくしどもはどうなっても構いません。ですが、なにとぞ夜乃をお救いいただけませんでしょうか?」
蒼剣の前で迷うことなく土下座しはじめた妻に対して、夫の一延は慌てて顔をあげさせようとする。
「よ、よせ! 余計なことを言うなっ!」
(男の風上にもおけないな)
妻に顔を上げさせるなら、もっと他の理由があるだろうに。
自分本位でしかない一延を、蒼剣は雑に蹴飛ばす。靴棚にぶつかって目を回しているようだが、蒼剣は未だ頭を下げ続ける雪乃だけを見返した。
「救えとはどういうことだ?」
「わたくしが外出している間に、夜乃が忌み子として、月影家に連行されたと聞きました。どうやら桜乃が手引きしたようです」
「あのちんちくりんと、月影が?」
どうも蒼剣はしっくりこない。
月影がどうして夜乃に目をつけた?
ちんちくりんな妹と月影の関係は?
そもそも、あの妹が自分と結婚をしたがると思えないが……。
だけど、蒼剣はずっと頭を下げ続ける雪乃を見下ろす。
どうしても、この母親がウソを吐いているようには見えない。
「わたくしどもはどうなっても構いません。ですが、夜乃も、桜乃も、わたくしの大切な娘でございます。桜乃も愚かな娘ですが、何卒、何卒ご容赦を……」
顔は見えないが……だんだんと、声が震えている。まるで泣いているようだった。そもそも『椿原の女性』と口にしていたことから、旧家としてのプライドが高いのだろう。新興貴族の星峰家など、格下と思っているに違いない。
なのに、彼女は躊躇うことなく、土下座をした。
娘たちのために、プライドを捨てて必死に懇願し続ける母親の姿は、なんと気高く、美しいものだろうか。
自らの審美眼に絶対の自信を持つ蒼剣は満足げに口角をあげる。
「上を見ろ」
ゆっくりと顔をあげた雪乃の目は涙で充血していた。
そんな淑女に、蒼剣はあごに親指と人差し指を添えたポーズを決める。
「どうだ、これが夜乃殿の夫……貴殿の義理の息子になる男の顔だ」
「…………」
無駄にきらめきだす蒼剣の姿に、雪乃も、何度も吹き飛ばされた一延も呆然とするしかない。さらにもう後者など完全に目に入っていない蒼剣はずいっと顔を雪乃の近づける。
「美しかろう? 俺の母の自慢だぞ。貴殿も今後好きなだけ自慢するがいい」
そんなトドメに、さすがの雪乃も「ぷっ」と噴き出す。
クスクスと笑い出した未来の義母は涙を拭いながらきれいに微笑んだ。
「いつかあなたの母君とたくさん話すことがあるようですわ」
「あと五十年は待て。ひ孫くらい抱きたいだろう?」
「まあ、気が早いですこと」
そして、蒼剣は踵を返す。
この場でこれ以上できることはない。
月影家は本家だけでなく、近辺に別邸をいくつも構えている。
どこに連れていかれたのが、即急に探らねばならないのだ。
だけど、外に飛び出した蒼剣の目に曇りはない。
青き空を指さし、高々に吠えてみせた。
「待ってろ、月影! この雪辱、今すぐ晴らしてやる!」
さすがの蒼剣も、一瞬思考が停止した。
(椿原夜乃が、他の男と婚約した?)
(代わりに、自分は椿原桜乃と結婚しろだと?)
視点が合った蒼剣は、即座に一延の胸倉を掴む。
「あんなちんちくりんが夜乃の代わりになるはずないだろう!?」
礼儀など忘れて、蒼剣は一延を大きく揺さぶった。
「お離しください~~!」
「夜乃の婚約者は誰だぁ!?」
「…………」
散々騒ぐ一延だが、蒼剣の質問には口を尖らせてだんまりを決め込む。
そんな素振りに、蒼剣の中の何かがプツンと切れた。
「はーはははははっ、こんな家、ぶっ潰して――」
椿原家に出入りしている業者すべてに圧力をかけるなんて、今の星峰にとって容易なこと。そんな妄想に目をギラギラさせながら、目を回している一延をさらにブンブンとぶん回していたときだった。
奥のふすまが、静かに開く音がする。
潜むわけでもない、だけど床を極力鳴らさない品のある歩き方で、慎ましい女性が顔を出す。深いえんじ色の着物がとてもよく似合っていた。町娘らしいアレンジなども一切なく、伝統的な着こなしだからこそ、淑女の洗練された色気が醸し出されている。
そんな三十代後半の淑女が、蒼剣の質問に静かに答えた。
「月影様でございます」
それは、まぎれもなく椿原夜乃の母親・雪乃であった。
着流しで伏せっていたときは思わなかったが、目の力強さが夜乃にそっくりだ。
(なるほど。あいつの秘めた気の強さは、母親譲りだったのか)
ふとそんなことに納得しながらも、蒼剣は邪魔でしかない一延を放り投げた。
ぼすんと醜い尻が弾んでいるが、知ったことではない。
蒼剣は雪乃だけを見て、端的に質問する。
「月影怜司、で違いないか?」
「さようでございます」
そう認めた雪乃は、淑やかに膝をついた。
そして流れるような動きで、手と額を床につく。
「どうかお願いします。わたくしどもはどうなっても構いません。ですが、なにとぞ夜乃をお救いいただけませんでしょうか?」
蒼剣の前で迷うことなく土下座しはじめた妻に対して、夫の一延は慌てて顔をあげさせようとする。
「よ、よせ! 余計なことを言うなっ!」
(男の風上にもおけないな)
妻に顔を上げさせるなら、もっと他の理由があるだろうに。
自分本位でしかない一延を、蒼剣は雑に蹴飛ばす。靴棚にぶつかって目を回しているようだが、蒼剣は未だ頭を下げ続ける雪乃だけを見返した。
「救えとはどういうことだ?」
「わたくしが外出している間に、夜乃が忌み子として、月影家に連行されたと聞きました。どうやら桜乃が手引きしたようです」
「あのちんちくりんと、月影が?」
どうも蒼剣はしっくりこない。
月影がどうして夜乃に目をつけた?
ちんちくりんな妹と月影の関係は?
そもそも、あの妹が自分と結婚をしたがると思えないが……。
だけど、蒼剣はずっと頭を下げ続ける雪乃を見下ろす。
どうしても、この母親がウソを吐いているようには見えない。
「わたくしどもはどうなっても構いません。ですが、夜乃も、桜乃も、わたくしの大切な娘でございます。桜乃も愚かな娘ですが、何卒、何卒ご容赦を……」
顔は見えないが……だんだんと、声が震えている。まるで泣いているようだった。そもそも『椿原の女性』と口にしていたことから、旧家としてのプライドが高いのだろう。新興貴族の星峰家など、格下と思っているに違いない。
なのに、彼女は躊躇うことなく、土下座をした。
娘たちのために、プライドを捨てて必死に懇願し続ける母親の姿は、なんと気高く、美しいものだろうか。
自らの審美眼に絶対の自信を持つ蒼剣は満足げに口角をあげる。
「上を見ろ」
ゆっくりと顔をあげた雪乃の目は涙で充血していた。
そんな淑女に、蒼剣はあごに親指と人差し指を添えたポーズを決める。
「どうだ、これが夜乃殿の夫……貴殿の義理の息子になる男の顔だ」
「…………」
無駄にきらめきだす蒼剣の姿に、雪乃も、何度も吹き飛ばされた一延も呆然とするしかない。さらにもう後者など完全に目に入っていない蒼剣はずいっと顔を雪乃の近づける。
「美しかろう? 俺の母の自慢だぞ。貴殿も今後好きなだけ自慢するがいい」
そんなトドメに、さすがの雪乃も「ぷっ」と噴き出す。
クスクスと笑い出した未来の義母は涙を拭いながらきれいに微笑んだ。
「いつかあなたの母君とたくさん話すことがあるようですわ」
「あと五十年は待て。ひ孫くらい抱きたいだろう?」
「まあ、気が早いですこと」
そして、蒼剣は踵を返す。
この場でこれ以上できることはない。
月影家は本家だけでなく、近辺に別邸をいくつも構えている。
どこに連れていかれたのが、即急に探らねばならないのだ。
だけど、外に飛び出した蒼剣の目に曇りはない。
青き空を指さし、高々に吠えてみせた。
「待ってろ、月影! この雪辱、今すぐ晴らしてやる!」
